No.271 (2007/05/28)『温室効果の暴走』と『暴走温室効果』

 環境研究所のHPの江守正多氏の温室効果についての解説について「大気温度はどのように決まるか」というレポートを公開しました。

 さて、江守氏をはじめ、二酸化炭素地球温暖化仮説を主張する議論の中で、しばしば大気中二酸化炭素濃度が上昇することによって大気温度が上昇し、これによって大気中の水蒸気濃度が上がり水蒸気の温室効果の増大で更に大気温度が上昇し水蒸気濃度が上がるとする、温室効果の正のフィードバックによる温室効果の暴走に言及されることがあります。
 事の正否は別にして、この温室効果の暴走の例としてよく取り上げられるのが金星の表面温度が高いということです。この点について少しまとめておきたいと思います。

 江守氏らの主張は、要するに温室効果ガスの増大は気温上昇に直結し、正のフィードバックが働くという文脈で語られています。これを『温室効果の暴走』と呼ぶことにします。
 これに対して、『暴走温室効果』とは、大気を持つ惑星において、太陽放射の内、大気を含めた惑星の加熱に有効に働く入射量が、惑星大気上層から宇宙空間に放射される低温度の赤外線放射による放熱量を上回るというものです。もしこの条件が満足されると、大気を含めた惑星の保持する熱エネルギー量が限りなく増大し、大気温度が限りなく高くなることになります。この非定常な大気温度の上昇過程を『暴走温室効果』と呼びます
 まず大きな誤解の一つが、現状の金星が高温である理由が暴走温室効果によるというものです。たとえ金星の表面温度が高くても、現状では太陽放射の有効な入射量と金星大気上層からの赤外線放射量は釣り合っており、金星の温度状態はほとんど定常とみなせるのです(金星の表面温度が高いのは大気厚が大きく、表面気圧が92気圧という高圧であるためです。)。
 金星における暴走温室効果とは、現在的な問題ではなく過去の金星に於いて暴走温室効果が存在したか否かという問題なのです。暴走温室効果があったとする主張では、金星にもかつて地球のような『海』が存在し、一旦大気圧が数気圧程度にまで低下し、大気が可視光線に対して透明になったことを前提にしています。なぜなら、金星の過去の歴史において海が存在せず、常に分厚い大気を持っていたとすると、大気の太陽放射(主に可視光領域)に対する反射率が大きすぎて、有効な入射量が小さすぎて、大気からの放熱量を上回ることがないからです。
 過去に金星で暴走温室効果があったか否かは私には判断できるだけの材料がありませんので、あくまでも憶測ですがその可能性は極めて小さいと考えます。もし一旦海が出来た段階で暴走温室効果状態になって大気温度が上昇し始めると、大気中の水蒸気濃度が上昇することで急速に雲量が増え、太陽光に対する反射率が大きくなり、暴走温室効果の成立する条件が失われると考えるからです。まあ、憶測はこの程度にしておきます。
 いずれにせよ、結論的には、現在の金星では暴走温室効果は存在しないのです。

 さて、暴走温室効果についての研究では、灰色大気に対する放射対流平衡モデルによる数値計算結果から、地表温度に対する惑星大気上層からの赤外線放射による放熱量は、極大値=最大値を示した後は、地表温度の上昇に対して逆に小さくなるとしています。この最大値を射出限界と呼びます。射出限界と太陽放射の有効入射量を比較して、有効入射量の方が大きくなると暴走温室効果状態になります。
 射出限界は400W/m2程度といわれています。射出限界が生じるのは、惑星大気の透明度と温度減率の関係で説明されています(ただ、放射対流平衡モデルは、大気運動を軽視したパラメータ調整を行っており、これ自体信頼できるとはいえませんが・・・。)。この射出限界に対して、地球における太陽放射の有効入射量は239W/m2程度なので、地球大気において暴走温室効果が生じる可能性はありません。この意味で、江守氏たちの主張はあくまでも比喩的な表現であり、『温室効果の暴走』≠『暴走温室効果』なのです。

 既に「大気温度はどのように決まるか」のなかで触れましたが、温度的にみて定常状態にある惑星大気では、惑星の重力加速度と大気組成とその厚さが決まれば、大気の重力的な安定性から大気温度の鉛直分布が規定されるため、保持できる熱量には上限が存在します。地球においては相変化する水蒸気(水、氷)があるため、乾燥大気ほど単純ではありません。
 地球大気の乾燥温度減率は9.8℃/1000m程度ですが、実際の大気では6.5℃/1000m程度です。これは水蒸気の相変化による大気への放熱があるからです。もし、江守氏らが主張するように温室効果の増大で、大気の保持する熱エネルギー量が増大すれば、水蒸気の対流速度が増大し、温度減率が6.5℃/1000mよりも更に小さくなるでしょう。つまり現在よりも多くの熱が対流圏上層に運ばれ、放熱量が増大します。水蒸気量の増加によって雲量も増えるでしょうから結果として太陽放射の有効入射量は減少し、逆に対流圏上層からの放熱量が増加するという負のフィードバック過程になる可能性が高いと考えられます。

 江守氏らが主張するように、温室効果がいくらでも増大して高温化するというのは杞憂に過ぎません。

No.270 (2007/05/24)非科学的環境対策

 我が無能な政府・安倍内閣は、2050年までに二酸化炭素排出量を半減させると提案するそうです。日本・米国は言うに及ばず、対策が進んでいるというEUを含めて、京都議定書の削減目標も達成できないのに、どうしてそんなことが出来るのか?少し考えればこんなことは単なる宣伝効果を狙っただけの空手形に過ぎないことは検討するまでもないことです。愚かなマスコミ・報道機関の諸君は相変わらず何も疑わずに大本営発表を垂れ流すだけです。

 さて、NHKの『クローズアップ現代』という番組にワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウンが登場して、また愚かなことを語っていました。曰く、「風力発電などのローカルな再生可能エネルギーへ転換すれば、環境問題対策(ここでは二酸化炭素温暖化対策と同義であろう)と同時に経済成長が両立可能だ」と。

 既に風力発電の技術的な問題の詳細については、石油代替エネルギー供給技術の有効性の検討等で検討しているので、ここでは少し違った角度から検討することにします。

 まず、風力発電について最も導入の進んでいる工業国はデンマークということになっていますので、その実態を考えてみることにします。デンマークの人口は約541万人、日本(約12,777万人)の1/24程度です。
 まず経済規模の指標として、GDP(PPP:購買力平価)について比較すると、デンマークは31,200ドル/人、日本は33,100ドル/人です(出典:Wikipedia)。
 次に、石油消費量を比較してみます。

 

 デンマークは18.9万バレル/日、国民一人当たりの年間消費量は12.75バレル/人・年です。日本は536万バレル/日、国民一人当たりの年間消費量は15.31バレル/人・年です。また、総務省統計局のデータ『 6-1 エネルギーバランス−生産・輸出入・消費量』による石炭、天然ガス、電力を含む最終消費量で比較すると、2003年において石油換算重量でデンマークは3,328kg/人・年、日本は3,653kg/人・年です。

 以上から、一人当たりのGDPはデンマークと日本では同程度であり、平均的にみて暮らしぶりにそれほど大きな違いがないと考えてよいでしょう。エネルギー消費に関しては、一人当たりの二酸化炭素排出量にそれほど大きな違いはなさそうです。
 
 デンマークという風力発電を電力需要の20%にまで導入した国と日本の現状を比較しても、二酸化炭素排出量に劇的な違いはないということです。つまり、今後日本が、風力発電を大規模に導入したところで、二酸化炭素排出量を劇的に減らせる可能性は皆無だということです(私はむしろ増加するのではないかと考えていますが・・・。)。

2007年5月31日大分合同新聞朝刊
『温暖化対策は商機』(ロンドン共同=高山一郎)より

 上図はGDP当たりの一次エネルギー(≒石油)消費量の比較ですが、自然エネルギーの導入が進んでいるというドイツやEUに比較して、日本は圧倒的に石油消費量が少ないのです。つまりこの図も、自然エネルギーを導入することでGDP当たりの石油消費量を減らせる保証は何処にも存在しないことを示しているのです。

 二酸化炭素排出量を削減しようと考えているのならば、最も確実な政策は、工業生産を縮小すること、工業生産に支えられた生産活動を縮小する以外に方法はないのです。

No.269 (2007/04/28)驚くべき日本の外交感覚

 我が恥ずべき米国傀儡政権安倍首相は、宗主国訪問にあたり、なぜか米国向けに前大戦中の中国や朝鮮で行った日本の残虐行為について『遺憾』の意を表明した。
 その同じ日、まさに残虐行為を受けた中国人当事者からの訴えに対して、我が国の最高裁判所は強制連行・暴行、あるいは従軍慰安婦問題を事実認定したにもかかわらず、日本に対する賠償請求については棄却した。
 まさに戦後一貫したこの無責任かつ不誠実な戦後処理が、この国に対するアジア諸国の不信感の源流にあることは想像に難くない。この国の外交が宗主国米国しか見ていないことを如実に示した出来事である。

No.268 (2007/04/28)エタノール混合ガソリン

 エタノール混合ガソリンが販売開始された。政府の『補助金』=税金の無駄遣いによって、『販売』価格は従来のレギュラーガソリンと同等になるようにしている。
 一方、ブラジルなどにおいて、早くもバイオ・エタノール原料用作物への作付け転換の影響で、世界市場における一部農産品価格の上昇が始まった。裕福な国にとっては、『まあ、仕方ないか』ですむ問題であるが、貧しい国の住民にとってはまさに生きるか死ぬかの問題である。
 裕福な国の国策による地球温暖化対策のためという『名目』の税金の投入が、貧しい国の人々の食料を奪うのである。彼らの口に入るべき食料が裕福な国の車の燃料として燃やされるのである。我々はこの問題の本質から目を逸らしてはならないだろう。

 技術的な問題に少し触れておこう。日本はバイオ・エタノール用の農作物を大量に作ることは出来ないから、バイオ・エタノールそのもの、あるいは原料用の作物を輸入することで対応する。製造コストから考えれば、糖類、澱粉を多く含む食料用の農作物からエタノールを作ることになる。それでも補助金を投入しなくては通常ガソリンと経済的に太刀打ちできない。
 技術的には、植物性廃棄物のセルロースを原料に、これを糖化した上でエタノールを生産することも可能だが、食料用農産物からの製造に比べて、複雑な工程を追加しなくてはならず、高コスト=低エネルギー効率になることは避けられない。現実的には食料用農作物からエタノールを製造するよりもはるかに高価格となるセルロースを原料にして大量のエタノール製造をすることは考えられない。それ故、世界の農産品市場において価格の高騰につながるのである。

No.267 (2007/04/18)長崎市長銃殺とマスコミ報道

 長崎市長伊藤一長氏が銃殺されました。マスコミ報道の言う『個人的な怨恨』を額面どおり受け取ることは、非常に無理があるように感じます。世の中は小泉〜安倍というタカ派政権の台頭で、一気に自衛隊の軍隊化、憲法9条破棄、核武装へ向かおうとしています。このような状況下にあって、保守勢力内のハト派・穏健派は『獅子身中の虫』的目障りな存在なのかもしれません。昨年の加藤紘一氏の事件に続く今回の伊藤一長氏に対する銃撃は、あるいは保守タカ派の穏健派に対する見せしめなのではないかという疑念がぬぐえませんが、ここでは深入りしないことにします。

 この事件をマスコミ・報道機関はお題目の様に『言論の自由に対する挑戦』だとか『あらゆる暴力は許さない』などと、あたかも自分は正義の代弁者であるというような報道を繰り返しています。
 今回のテロは、背後関係は良くわかりませんが、形としては個人レベルの不規則的な殺人であり、刑法で何らかの裁きを受ける『事件』です。しかし、現在の安倍政権は、組織的な無差別殺人=戦争を合法化する憲法改正を行おうとしているのです。これが一度合法化されてしまえば敗戦国にならない限り、いかに無差別大量殺人を行おうとも、勲章はもらっても刑法犯として訴追されることは無いのです。
 私には、個人レベルのテロに対しては声高に批判してみせるマスコミ・報道機関の諸君が、組織的大量殺人を国家の名の下に免責する戦争行為を合法化する憲法改正に対して、何ら批判的な主張を行わないという論理的な不整合がどうしても理解できません。
 ついでに言えば、北朝鮮の核開発・ミサイル発射実験を批判しながら、米核戦略を容認し、日本の核武装につながる核燃料再処理、もんじゅ運転再開、H2ロケット打ち上げ実験に対して何ら批判しないことも不合理です。

 所詮日本のマスコミ・報道機関というやつは『大本営発表』あるいは『資本の広報装置』であり、これに社会正義や本質的な体制批判を期待するなど幻想に過ぎないことを銘記しておくことが必要です。

No.266 (2007/04/16)NHK『こどもニュース』と『あるある大辞典』

 関西テレビの『あるある大辞典』という番組がデータを捏造していたということで叩かれている。私は見たことがないので良くわからないが、この種の『娯楽番組』は、程度の差はあるにせよ、少なからずヤラセや虚偽報道が含まれていることは受けての大人たちは織り込み済みで見ているに違いない。内容を額面どおりに受け取るのはよほどの愚か者だと思う。個人的には、それほど騒ぐほどのことでもないと思う。もちろん、だからといってデータの捏造やヤラセがあってよいのかといえば、そんなことはないのであるが・・・。

 一昨日、見るとはなしにNHKの『週間こどもニュース』という番組を見てしまった。これは子供、おそらく小中学生を主要な対象とした子供向けの『報道番組』であろう。この種の番組は娯楽番組ではなく、しかも子供という、自己責任による事実の検証能力のない視聴者に情報を提供する番組である。使い方によっては体制に都合の良い情報で判断能力のない子供たちを洗脳するにはもってこいの番組である。
 今回の放送の中で『地球温暖化』についての特集が放送された。その内容をNHKのHPから以下に引用しておく。


“温暖化”でくらしが変わる?
'07/04/14 放送

最近、なんだか日本の気候が変だと思わない?
今年は、まだ4月だというのに静岡市では最高気温が30℃を超した。桜の開花も早い。
日本は“地球温暖化”しているの?
もし温暖化が進むと地球はどうなるの?温暖化は私たちのくらしはどう変わるのか、紹介したよ。
地球温暖化とは、私たちが石油や石炭などを使うときに出る二酸化炭素などによって地球が暖まる、という現象。実際、本当に地球は暖かくなってきているのかな?
日本では1年の平均気温が、ここ100年で約1℃上がっている。
たったの1℃?って思うかもしれないけれど、平均気温が1℃上がるって結構大変なこと。とっても暖かかった今年の冬も、平均気温と比べると差は「+1.5℃」。でも、この1.5℃の差が全国にいろいろな影響をもたらしているんだ。

新潟県魚沼市で農業をしている森山英昭さんは、地域の特産品のユリの花を作っている。今回、ヒラクが森山さんと畑に行ってみるとまったく雪がない。いつもの年ならまだ1m以上雪が残っているはずだ。雪がないほうが、花の成長にはいいんじゃない?と思うかもしれないけれど、ここでは雪がないことで困ってしまっている。
どういうことかというと・・・この地域では、春になるとユリ畑の雪かきをする。でも、一部の畑はわざと雪を残しておくんだ。そうすれば、雪のない畑の芽が先に出て成長する。雪を残したほうは、遅れて芽が出て成長する。こうしてユリの生長の時期をずらすことで、農家の人たちは長い期間にわたって花を売ることができるんだ。でも、暖冬で雪がないと、すべてのユリが同じ時期に花をつけてしまう。そうなると収穫は追いつかないし、短い間しかユリを売れない。森山さんは「雪があると助かる面もあるんですよ」と教えてくれた。

琵琶湖で魚を獲っている漁師さんたちの話では、今年の冬は漁の調子があまりよくないんだって。
獲れる量が少なかったり、いつもは魚がいるはずの場所に全然いなかったり・・・。
原因のひとつとして考えられているのは、湖の下のほうの酸素の量が少なくなっている、ということ。
湖の中の酸素は、魚などが呼吸することでどんどん減っていく。でも上のほうの水は、空気から酸素を取り込むことができる。下のほうはというと、使われる一方。そうなると、下のほうでは生き物はくらせないよね。
ところが、琵琶湖では冬になると湖の下のほうに酸素を運ぶしくみがあるんだ。
どういうことかというと・・・冬になって寒くなると、冷たい空気で上のほうの水が冷やされる。水は冷えると重くなり、下のほうにおりていく。この水は酸素をたくさん含んでいるので、した歩のうにも酸素がいきわたるというわけ。この時、酸素も一緒に下のほうに運ばれる、というわけ。さらに、酸素をたくさん含んだ雪どけ水も湖の底のほうに流れ込むから、春までにたくさんの酸素が下のほうに届くんだ。
でも、暖冬だと水も冷やされないし、雪解け水も少ない。そのために湖の底の酸素が減ってしまい、魚が減ったのではないか・・・と考えられているんだ。
1.5℃平均気温が上がるっていうのは、大変なことなんだね。

国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)という会議では、地球の温暖化の予測や、温暖化が地球にどんな影響を与えるかを話し合っている。今年、IPCCは2100年後の地球の平均気温が今と比べてどのくらい上がるのかという予測を発表した。それによると・・・

石油などの化石燃料を減らしてクリーンエネルギーを使い、省エネ技術が発展したりした社会・・・+2℃
化石燃料を使いつつ、クリーンエネルギーや省エネ技術を使う社会・・・+3℃
このまま化石燃料を使い続け、省エネ技術も発展しない社会・・・+4℃

100年後、平均気温が4℃上がったら、いったい日本ではどんな影響があると考えられているんだろう?

・ 1年のほぼ半分が夏になり、最高気温が30℃をこす日が100日以上になる(現在は45日程度)・暑さのため、熱中症などで体調を崩す人が増える
・ デング熱などの伝染病を人から人にうつす蚊が日本にもすむようになり、伝染病が流行する危険性が高くなる
・ これまで獲れていた魚が取れなくなったり、農作物が作れなくなったりする
・ 生き物が、これまでくらしていた場所にすめなくなる
・・・その他にもいろいろな影響が出ると考えられているんだよ。

世界では、さらに大きな影響があると考えられている。IPCCの報告書によると・・・

・ 大雨や洪水の回数が増え、大きな被害が出る
・ 干ばつがひどくなり、数億人が水不足にくるしむ
・ 低い土地が水の中に沈んでしまう
・ 世界全体で穀物の生産が減る
・ 生物、植物の40%が全滅する

ショッキングな内容だよね。

国立環境研究所の江守正多さんは、「温暖化で大きな被害を受ける場所は必ず出てくると思います。そうすると、難民(=国に住めなくなった人々)が発生したり、被害を受けている国とまだ受けていない国の間で関係が悪くなったりすることも考えられます。だから、温暖化は日本だけではなく、世界全体の問題なんです」と話しています。

世界の国々は温暖化に対してどんな対策を考えているんだろう?
EU(ヨーロッパ連合)では二酸化炭素を出す量を1990年の時より、20%減らすことを決め、イギリスは60%減らす法律の案を出しました。一方、日本は1997年に「京都議定書」という約束の中で6%減らすと決めたが、実は二酸化炭素の量は増えてしまっている。世界で最も二酸化炭素を出している国、アメリカでは二酸化炭素を減らす目標を決めていない。インドや中国など、発展中の国々が出す二酸化炭素の量が増えているという問題もある。

温暖化を止めるにはまだまだ解決しなければならないことだらけだ。
温暖化は私たちのくらしに大きな影響を与えるだけではなく、次の世代の命にもかかわる問題。
ひとりひとりが温暖化を食い止めるために何ができるのか、考えていかなければなりませんね。

【 2007/04/14 放送(内容は放送時点でのものです)


 放送の中では、既に環境省さえ最近では言わなくなってきた南極氷河の後退で海水位が上がるなど、ここの記述にはないことを更に『お父さん』役のコメンテーターが『煽って』いた。

 これを見た子供たちはどう判断するのか?確かにIPCCの『予測』としているものの大部分の子供たちがこれを真実として了解していることは想像に難くない。影響の大きさから言って、その悪質ぶりは『あるある大辞典』の比ではないと思うのは私だけであろうか?このNHKの悪辣ぶりは許しがたいものだと考える。

 蛇足であるが、ここに登場した国立環境研究所の江守正多氏は、温暖化説のスポークスマンとして色々なところに登場しているようだが、その非科学性はいずれ別の機会に紹介しようと思う。

No.265 (2007/04/10)HP『アンビエンテ』開設について

 これまで当HPのサブサイトとして掲載してきました『有明海・諫早湾干拓リポート』と『有明海臨海日記』が本日から、独立したHP『アンビエンテ(九州環境保護派連携ビューロー)』としてスタートします。
 ご存知の様に過去三年間、当HPの中で運営してきましたが、内容の拡充にともなって、編集作業の能力的な限界に達しつつあったために、この際編集作業を分離して、より柔軟で速報性を高め、更なる充実を図る方が有効であろうと判断した結果です。
 実際にはこれまで通り、緊密な連携を図りつつ、更に広範な分野をカバーしていきたいと考えています。当HPからはほとんどこれまでどうりすべての内容にアクセス可能です。また、新たにトップページからの入り口も設けましたので、これまで以上にアクセスしていただきますようお願いいたします。

 以下、この点につきまして『有明海臨海日記』No.179の古川編集長の文章を転載しておきます。


179. 編集作業の分離

 現在、「環境問題を考える」のサブ・サイトとしてスタートした「有明海・諌早湾干拓リポート」の編集移管に向けた作業を行っています。かなり大きなものになった事もあり、近藤邦明氏の作業を軽減するためのものです。

 また、今後、HP管理者にはCO2地球温暖化論者との苛烈な闘いに全力を傾倒して頂く必要があるからでもあります。

 もちろん、アクセスについては従来とほぼ同様の形を取り、HP自体を分離する訳ではありません。この三年間で、環境問題に対する姿勢、編集方針に対する相互理解、信頼関係が確立したからですが、今後、「有明海・諌早湾干拓リポート」、「有明臨海日記」については編集をこちらで行う事で準備中です。

 なお、四月からは「有明海・諌早湾干拓リポート」を「アンビエンテ」に変更します。さらに、新たなシリーズとして九州の地名を取上げる「地名は古代の化石」をスタートさせ、同時にリポート内の古代史関係だけにアクセスできる窓口「九州古代史の探求」を設けたいと考えています。

 かなり神経を使う作業が要求される事になりますが、互いのバック・アップも兼ねて移管作業を行いたいと考えています。


 

No.264 (2007/04/06)学会誌掲載論文転載についての私見

 このHPでは、今日的なテーマである環境問題について科学的・論理的に考え、理解を深めることを目的に運営しています。この目的を満足するためには、関連する自然科学分野での研究の到達点についての情報を出来る限り正確かつ迅速に紹介していくことが重要ではないかと考えています。
 各分野の最新研究の情報は、多くの場合、分野ごとに組織された学会組織の『学会誌』に掲載されることが一般的ではないかと考えます。私の経験からは、学会に参加するための会費を支払うことによって会員になると、自動的に学会誌が送付されるというのが一般的なようです。

 さて、こうした学会誌に掲載された論文が、原典を明記した上で第三者によって転載あるいは引用された場合、どのような不都合が考えられるでしょうか?
 まず、商業的科学雑誌に掲載された論文の場合、当該論文が掲載された雑誌が売れなくなるという経済的な被害が考えられますが、学会誌ではこれは考えられません。
 また、論文内容が経済的に大きな利益を生むような場合、それは特許によって守ることが可能です。より多くの人に対して、当該理論・技術が誰によって確立されたものであるのかを周知することになり、むしろ利点の方が多いように思われます。
 紹介の形態としては、誤解を生じさせないためには、部分引用よりもむしろ全文転載の方が望ましいと考えられます。少し形は違いますが、かつて、東北大学の明日香壽川と気象研究所の吉村純による連名の論文『温暖化問題懐疑論へのコメント』で、本HP所収の私のレポートの一節のみを取り出し、彼らの都合の良い解釈で『誤りである』と指摘されたことがあります。部分引用では、大きな誤解が生じる可能性があります(蛇足ですが、吉村純は彼らのレポートに異議があるのならば、気象学会に入会して気象学会の中で議論しようなどという勧誘メールをよこしました。)。
 自然科学研究の成果を広く知ってもらい、当該学会員以外に対しても広く情報を開示していくことは、異分野間の研究の活性化に資するものであり、ひいては当該学会の活性化を促すものであろうと考えられます。『まともに運営されている学会ないし学会誌』であれば、第三者による引用や全文転載で不利益が生じることは考えられないように思います(もし不都合があるとすれば、学会組織の常識が、一般社会や異分野の研究者の評価に耐えないようなデタラメなものである場合でしょう。吉村純が隠れ蓑にしたあの学会の様に・・・。)。

 現状では、残念ながら全文転載に難色を示す学会も少なくないようですが、どうか、再考くださいますよう、衷心より切にお願いいたします。合掌。

No.263 (2007/03/27)速報 大入島訴訟判決

 昨日、大分地方裁判所において、大入島埋立工事の埋立免許取り消し訴訟の判決が言い渡されました。判決の内容はなんと地元住民に対して原告適格を認めないという驚くべきものでした。地元に居住し、日々の生活の中で常に当該埋立予定地と関わりをもって暮らしている住民に原告適格が無いとはどういうことなのでしょうか。判決は、地元住民に原告適格がないとした上で、埋立事業そのものについての判断を放棄しました。

 環境問題を含む裁判では、無能な裁判官の見当違いの判決が横行しています。残念ながら、司法によって国家の横暴から自然環境を守ることは不可能です。現地での実力行使による反対闘争によって、行政に工事継続を断念させること以外に、現状では有効な手段はありません。これが悲しい現実です。

 原告は即日、福岡高裁への控訴を決定しました。裁判は更に長期化することになります。注視していきたいと思います。

No.262 (2007/03/24)CO2温暖化と核政策

§0 はじめに

 CO2地球温暖化仮説の蔓延で、明らかに原子力発電が勢いづいています。太陽光発電や風力発電は、その低効率性・不安定性が露呈することによって、石油代替エネルギーあるいはポスト石油火力発電として不適格なことが明らかになり、国家あるいはこれに追随する電力各社は、CO2温暖化防止の切り札は原子力発電だと言う主張を強めています。では、原子力は有効なのかと言えば、これは更に不適格なのですが・・・。

 本稿では、核政策の本質とはいかなるものなのかを確認しておきたいと考えます。

§1 原子力の平和利用とは何か

 人類史において、原子力より正確には核エネルギーの最初の実用的な利用とは、前大戦末期における米国マンハッタン計画における核兵器としての利用でした。戦後米国は、『平和のための核』の名の下に原子力の平和利用という名目で原子力発電を開始しました。しかし、その本質とは、平時において核兵器を安定して保有するための施設として原子炉を確保することなのです
 核兵器のために必要な放射性核物質を生産するために原子炉があり、原子炉を安定的に運転するためにはこれを冷却する必要があるのです。冷却水とはいっても極めて高温になる原子炉の廃熱をボイラーの熱源として用い、『副産物』として電気を供給するというのが原子力発電の本質なのです。ちょうど製鉄業における高炉の炉頂発電と同じなのです。
 問題は、製鉄業であれば主製品である鉄は民生市場で売りさばくことが可能ですが、放射性核物質の需用は軍需産業ないし国家に限られるため、極めて高コストの電力になることです。

 原子力発電を純粋に発電装置として考えてみます。電気事業連合会が認めるとおり、現状でも原子力はまったく経済的に成り立たず、使用済み核燃料の再処理は更に高くつくことを認めています。これは石油と鉱物資源の浪費を意味しています。
 更に大きな問題は使用済み核燃料を含む核廃物処理問題です。使用済み核燃料の放射能が人体に影響なくなるまでには、10〜100万年のオーダーの時間がかかります註)。この途方も無い長期間にわたって人間の生活環境から核廃物を安全に隔離することは、いかなる科学技術を用い、資源とエネルギーを惜しみなくつぎ込んだとしても不可能です。

註)使用済み核燃料に含まれるプルトニウム239の毒性は半減期(=24000年)が経過することで単純に半減するわけではない。原子炉内で生成されるプルトニウムよりも重い元素の崩壊により新たに生成される分があるため、10年後よりも10000年後の方が放射性毒性は2倍程度に増加する。研究によると、使用済み燃料の天然ウランに対する相対毒性は、800年過ぎにいったん極小値をとった後に再び増加し始め、700000年後に極大値になると言われている(室田武「新版原子力の経済学」pp.136-137)。

 原子力発電は、将来世代に対して利用可能なエネルギーを生み出さず、何の生産的な意味の無いこの核廃物の監視と、管理に失敗した時の放射能汚染の恐怖だけを宿命付けるのです。このような非人間的な原子力発電技術を利用するなど、単にこれが民生部門のエネルギー供給技術であれば、即刻棄却すべき愚かな技術なのです。

§2 原子力発電は核兵器生産技術の確保

 視点を変えてみます。現在原子力発電技術を保有する国家とは、例外なく核兵器保有国あるいは核兵器保有を目指している国であることは否定しがたい事実です。つまり、原子力発電とは核兵器生産技術を取得することを意味しているのです。
 日本だけが例外ということはありません。米国秘密文書で明らかになったように、1965年に、佐藤・ジョンソン会談で佐藤首相はジョンソン大統領に対して「私は、日本は核武装すべきだと思う。しかし、国民感情としてはしない、したがって、日本政府としても核兵器を所持しようとは思わないけれども、その代わりにアメリカの核の傘の保障が必要である」と、発言をします。日本の保守勢力は、原子力発電を開始する当初から、並行して将来的な核兵器保有を構想していたのです。
 事実東海村に導入された黒鉛炉は兵器に転用できる『兵器級(同位体純度96%以上)プルトニウム』を生産し、これは英国が購入してその後実際に核兵器生産に使用されました。その後もカナダから重水炉という、これも兵器級プルトニウム生産可能な原子炉を導入しようとしましたが、当時日米安保体制下における日本の核武装に対して否定的であった米国の圧力によって、米国製の軽水炉が発電用原子炉として導入されることになりました。
 しかし状況は変わっています。国会における社民党の福島いずほ氏の質問に対して文科省は兵器級プルトニウムを数十発分保有していることを明らかにしています。これは高速実験炉『常陽』と原型炉『もんじゅ』によって生産されたものです。既にIAEAも日本が核兵器を保有することを黙認する姿勢を示しています。これは、米国のアジア戦略として、日本の属国化が確固としたものになったという判断から、日本の核武装を容認する姿勢に変わったことを反映しています。
 このような国際情勢の変化によって、日本の核武装は現実の問題として浮上してきているのです。親米というよりも米傀儡政権である、小泉・安倍政権の登場で、その勢いは加速しつつあります。安倍政権は彼の大叔父である佐藤のなし得なかった夢を実現しようとしているのです。
 既に日本はH2ロケットという戦略核兵器運搬手段を実用化しています。後は保有する兵器級プルトニウムで核弾頭を製造するだけですぐに中国と並ぶ東アジアにおける核大国になることが可能なのです。これこそが米国の東アジア戦略の狙いなのです。

 こうした軍事的背景があるからこそ、発電装置として極めて低劣なシステムである原子力発電は国家政策として維持されているのです。

§3 CO2地球温暖化仮説による核拡散

 そこでCO2地球温暖化仮説の役割です。核廃物処理にほお被りすることによって、石油節約的であるという触れ込みで、今原子力発電が息を吹き返しつつあります。重工・重電メーカーは原子力発電という軍事技術で大もうけをたくらみ、京都議定書のクリーン開発メカニズムなどという愚かな制度によって、大金で原子力発電を売りつけた上にCO2排出権を手に入れるというぼろ儲けを画策しています。その象徴的な出来事が東芝によるウェスチングハウスという米国原子炉メーカーの買収という先行投資です。
 この愚かな政策を推し進めることによって、原子炉購入国への核拡散は避けられません。早晩原子炉購入国は日本同様に核兵器保有への道に踏み出すことは火を見るよりも明らかです。なぜなら、米国を中心とする暴力による支配体制が続く限り、核兵器保有は外交交渉カードとして極めて有効だからです。
 つまり、京都議定書という浅墓な温暖化対策によって、世界核戦争の潜在的な危険性が増すだけでなく、たとえ戦争状態にならなくとも、世界中に核廃物による汚染を拡大することを意味しているのです。事実かどうかも定かではないCO2地球温暖化仮説の言うわずか数℃の気温上昇などという脅威とも呼べない脅威を煽って、その対策で世界中を核汚染の恐怖にさらすことになるのだという事を銘記しておかなくてはなりません。

 このような国際情勢の下で、日本政府はCO2削減という隠れ蓑の下でおおぴらに核開発を行い、もんじゅの運転再開でいよいよ核兵器開発の最終段階にさしかかろうとしているのです。

§4 憂鬱な問題

 最後に避けて通ることの出来ない問題について触れておきます。日本の核武装の問題やこれ以上の核拡散の問題は可能性はかなり低いのですが、まだ避けることが出来るかもしれません。
 しかし、既に日本国内には40基以上の原子力発電所が稼動しており、早晩廃炉になっていきます。稼動している原子力発電だけに限っても核廃物の量は膨大なものになります。使用済核燃料という高レベル核廃物処理は目前に迫った問題です。これは我々日本国民が愚かな原子力発電を国家と電力会社に許した原罪として、この時代に生きる国民全体の問題として、背負わなくてはならないのです
 これまでの原子力発電所の事故隠しや、財政的に逼迫した自治体の弱みに付け込んで廃棄物処分場を押し付けてきた様ないい加減な対応は許されません。
 現在に生きる我々全体の責任として、速やかに原子力発電から撤退すると同時に、核廃物による将来世代の負担を出きる限り軽減するための最善の策を講じなければなりません。迷惑施設だからといって、これを押し付けあうなどという無責任な対応は許されません。何処でどのように管理することが、一番将来世代に対してのリスクを軽減することが出来るのかを徹底的に検討した上で、処理方法を決定しなければなりません。

§5 終わりに

 このレポートは、HPの閲覧者の方から寄せられた疑問に対する考えをまとめたものです。このHPでは「プルサーマル、もう一つの意味」というレポートによって、日本の核武装におけるプルサーマル発電の位置づけについてまとめました。
 しかし状況は更に動き、もんじゅの再稼動、再処理工場の運転開始が秒読み段階にはいってきています。時間つなぎの中継ぎとして登場したプルサーマル発電は、もんじゅが稼動すれば実質的な必要性はなくなりますが、再処理工場の稼動はあくまでも発電という商用利用であるというカムフラージュのために、当面稼動する方向で進むでしょう。
 しかし、再処理工場ともんじゅ再稼動の本来の目的は、高速増殖炉による高品質の兵器級プルトニウム製造であり、核武装であることを押さえておくことが必要です。

 なお、より詳細な議論は、近々発行される岩波書店の月刊誌『世界』に掲載予定の槌田敦氏の論文をご覧いただきたいと思います。

No.261 (2007/03/24)大入島訴訟26日に判決

 このHPでも取り上げてきています、大分県佐伯市の大入島の埋立工事についての地元石間地区の住民による、埋立免許取り消しを求める訴訟の判決が26日に大分地方裁判所で言い渡されます。この訴訟の経緯の詳細につきましては、大入島埋立現地リポートで報告しておりますので、ご覧下さい。
 過去の例から、司法の無能から、この種の訴訟が勝訴する可能性は極めて低い厳しい状況ですが、判決内容を見守りたいと思います。

 

 

No.260 (2007/03/23)似非科学者の利権集団としての『気象学会』の行動様式

 昨日、物理学会のシンポジウムを終えた槌田敦氏と『有明海・諫早湾干拓リポート』の古川編集長、不知火書房の米本氏同席で話し合いを持ちました。温暖化やオゾン・ホール、そして日本の核開発について有益な情報交換が出来ました。
 温暖化問題につきましては、物理学会の環境物理の有志の方々の中で、すでに検討が進められつつあります。近々その基本スタンスを示す論文をこのHPでも紹介したいと考えております。

 さて、温暖化の問題については、すでにこのHPでも一部公開しておりますが、現在気象学会学会誌『天気』2005年6月号の河宮レポートに対する反論として、槌田敦氏の論文『反論・CO2濃度と気温の因果関係』が投稿されています。この論文の取り扱いについて、気象学会は明確な科学的な説明も行わないまま、不当に掲載を拒否しております。
 一旦は気象学会に加入していないことを承知の上で投稿を認めておきながら、論文が投稿されると暗に槌田氏が気象学会員でないことを理由に不当に学会誌への投稿を拒否するという態度をとるようになりました。
 槌田氏は、査読意見に対する説明を加えた上で、第2稿を提出していますが、査読意見に対する説明に対する気象学会としての意思表示すら行わず、第2稿に対しては一切のコメントを行わぬまま掲載を拒否し続けています。
 外部からの批判を封殺した気象学会のあり方は、気象学会という利権集団・談合組織の科学とは無縁の閉鎖性を示すものと考えます。

 槌田氏は、気象学会に加入した上で、気象学会員として再度論文を投稿する予定です。
 

No.259 (2007/03/07)温暖化現象シンポジウム

 物理学会の春期大会が3月19〜21日の三日間鹿児島大学で開催されます。槌田敦氏の論文が物理学会誌に掲載された後の最初の大会になります。20日の午後には領域13(環境物理)のシンポジウムとして『温暖化現象をめぐる諸説に関する物理学的な立場からの検討』がRH会場(共通教育棟4号館)で開催されます。槌田敦氏他2名のパネラーによるパネルディスカッションも予定されております。プログラムは以下の通りです。

20日 RH会場 20pRH 13:30〜16:30

領域13シンポジウム
主題:温暖化現象をめぐる諸説に関する物理学的な立場からの検討

1 はじめに
「科学と人間」研究庵 勝木渥

2 判断しかねる立場から
酪農学園大 矢吹哲夫

3 大気の温度構造と1960年代真鍋論文の正しい理解の仕方
神戸大発達科学部 蛯名邦禎

4 CO2温暖化説は間違っている
高千穂大学 槌田敦

休憩 (14:55〜15:10)

5 パネル討論(3名の講演者をパネリストとして)
 矢吹哲夫、蛯名邦禎、槌田敦

 聴講は自由ですが、物理学会に問い合わせたところ、以下の回答が来ました。

聴講のための資格は特にありません。
会期中に現地総合受付で、参加登録(登録料7,000円)をして
いただければ、どなたでも聴講可能です。

 もし経済的に許す方は、ぜひ参加してください。

No.258 (2007/02/18)出る釘は・・・

 この所、気の滅入るような作業でバタバタしています。

 まず初めは、当HPのアンケートを舞台に、アンケートのコメント書込みについてのお願いを無視した、度重なる個人的な主張の書込みが続きました。メールでこの種の書込みの中止を求めたにもかかわらず、コメントの書込みが続きました。その結果、御存知の様に、アンケートはコメント書込みを中止した運用を行っています。
 続いて、個人的に時々書込みをさせていただいているある掲示板で、自称『中立論者』と名乗るCO2地球温暖化真理教の盲信的な信者の若者の、批判のための批判、罵詈雑言の書込みが続きました。どうも彼の主要な標的の一つが当HPならびに私自身であることがわかりました。
 そして、この若者から直接私に対して、HPの内容を変更することを求める脅迫メールが送られてきました。・・・やっと一段落したと思っていたのですが、今朝また37歳という分別盛りの大人の方から、以前の若者と同様にHPの内容変更を要求する脅迫メールが送られてきました。
 私は、インターネットの匿名性に疑問を持っています。匿名性を盾にして卑劣な誹謗・中傷が横行し、脅迫文に象徴される卑劣な行為が後を絶ちません。インターネットの社会全体への浸透によって、社会全体の倫理性が崩壊してゆく危険を感じます。

 インターネット社会の問題はさておき、今回の一連の出来事を通して感じることは、SF法螺ー映画『不都合な真実』やIPCC第4次報告によって、CO2地球温暖化の脅威が煽られている反面、CO2地球温暖化仮説に対する信憑性が揺らぎ始めていることに対して、CO2地球温暖化脅威説を信奉する人の中に、苛立ちや焦燥感が募っているのであろうと推測します。
 その中で、当HPが彼らの欲求不満のはけ口として、標的の一つに選ばれているということなのだろうと思います。『出る釘は打たれる』ということでしょう。今後ますますこの種の圧力は強くなるのでしょうが、それをはげみに、このHPを運営して行こうと思います。

No.257 (2007/02/10)科学として認知されたCO2温暖化説否定論

 2年間の時間をかけて、槌田敦氏(高千穂大学)のCO2地球温暖化説否定論の立場からの論文が、日本物理学会の査読を経た論文として日本物理学会誌に掲載されました(日本物理学会誌 Vol.62, No.2, 2007『CO2を削減すれば温暖化を防げるのか』)。
 これだけの時間を要したのは、日本物理学会の査読者の不見識によるところが非常に大きく影響しています。2年間に及ぶ執拗な査読を行っても、槌田論文を科学論文として論理的に掲載拒否を続けることができないと日本物理学会が最終的に判断した結果が今回の論文掲載の意味です。つまり、日本物理学会は、CO2地球温暖化説否定論に自然科学的な合理性があることを認めたのです。
 これで少なくとも日本物理学会に於いては、地球温暖化問題について、標準的なCO2地球温暖化説とこれに対する否定論が同じ土俵で対等の立場で検討されることになるのです。これはまだ第一歩に過ぎませんが、しかし画期的な一歩だと考えます。
 標準的なCO2地球温暖化説を支持する物理学者からの反論が予測されますが、議論を重ねることによって事実は明らかになると確信しています。このホームページでは物理学会における議論の推移をフォローしていきたいと考えます。

No.256 (2007/02/07)似非科学者からの国民への緊急メッセージ

 環境省のホ−ムページに『気候の安定化に向けて直ちに行動を!− 科学者からの国民への緊急メッセージ −平成19 年2月2日』という文章が公開されています。これは、IPCC第4次報告を受けて、「温暖化の原因が人為的に大気に付加された二酸化炭素による温室効果が原因である可能性が更に高まった」ので、科学者としてこれを国民に直接訴えるという形をとっています。
 まず注目すべきはこのメッセージに名を連ねたそうそうたる『研究者』連の顔ぶれです。まさにCO2温暖化研究利権に群がる研究者が勢揃いということでしょう。
 国家権力によるヤラセの可能性は極めて高いですが、仮にも専門家と自認する彼らが、『不都合な真実』の法螺吹きゴアと同レベルの煽動的な檄文を書くとは、情けない限りです。反面、科学的な知見に関しては、科学者の呼びかけにしては極めて情緒的な表現が多く、まことに歯切れの悪いものです。CO2温暖化の科学的な認識に関わる部分を以下に抜粋しておきます。

2) 人為的な影響は明らか
 第3次評価報告書以降、人間の活動が気候に与える影響についての理解が一層深まった。20 世紀半ば以降に観測された地球温暖化は、人為起源の温室効果ガスの増加によってもたらされた可能性がかなり高い。この50 年の世界的な気候変化が、自然の変動だけで引き起こされた可能性は極めて低い。

 まあ、何とも・・・。それもそのはずで、No.254CO2地球温暖化はなかったで触れたとおり、二酸化炭素濃度の上昇による温暖化を示す実証的なデータは何一つ存在しないのです。唯一の『科学的』よりどころは「CO2による温室効果は物理現象であり、CO2増加による温暖化は物理学の基本法則を基に予測されている。」というお粗末なのです。

 このメッセージに名を連ねた『研究者』諸君は、少なくとも自然科学者ではありえないと考えます。あるいは金のためなら魂を売ってもなんら恥を感じない守銭奴ということでしょうか?彼らにぴったりの呼称があります。敬意を込めて彼らを似非科学者と呼びましょう。

:追記
 環境省の役人諸君は、科学者30人を集めて墓穴を掘るような温暖化否定論に対する科学論争を行うよりも、このような非科学的なメッセージを出す方が有効だと考えたのでしょう。また、これに加担した『研究者』諸君も、温暖化の原因は人為的な二酸化炭素濃度の上昇による『可能性が高い』という慎重な言い回しで断定しません。よく取れば科学者の良心(嗤)ということでしょうが、実態は責任回避の保身なのでしょう。なんと無責任で姑息な連中でしょうか!

No.255 (2007/02/02)温暖化対策が飢えを拡大する

 二酸化炭素地球温暖化仮説という『虚像』が『実際に生きている人間』を苦しめ始めました。先進工業国という経済的に豊かな国の自己中心的な二酸化炭素地球温暖化対策がいよいよ大きな被害となり始めました。石油依存を減らしてバイオマス燃料を導入することで二酸化炭素排出量を減らすなどという、何の科学的な裏づけのない愚かな温暖化対策で、世界市場における穀物価格が上昇しています。
 自国で食料用穀物の自給の出来ない貧しい国はいうに及ばず、世界市場に穀物を輸出することで外貨を獲得しようとする国においても、より高く売れる燃料用として穀物を販売することによって自国の国民の食料となるべき穀物が減少・高騰することになります。
 先進工業国の二酸化炭素地球温暖化対策に投じられる金によって貧しい国の飢えが拡大するのです。二酸化炭素地球温暖化仮説を支持する科学者は確信犯的殺人者にほかなりません。

No.254 (2007/01/31)CO2地球温暖化はなかった。

 さて、HP管理者からでもすでに断片的に槌田敦氏の気象学会誌「天気」投稿論文および、その査読経過について紹介してきました。槌田氏よりすべての資料の公開の許可が出ましたので、「反論・CO2濃度と気温の因果関係」としてHPに公開しました。

 すでにレポート「CO2地球温暖化仮説は科学ではない」において、CO2地球温暖化仮説を「実証」するデータなど存在せず、わずかに『近年の大気中CO2濃度の上昇と気温上昇が同期している』ことだけがよりどころだと述べてきました。また、『一般論としてCO2が温室効果ガスであるという「事実」とCO2地球温暖化仮説を故意に同一視して議論を意図的に混乱させているのであり、いずれにしても自然科学の問題を議論する態度として不適切です。』とも指摘しておきました。
 この点について、二酸化炭素地球温暖化仮説を信奉する熱烈な信者の皆さんには思いもしないことであり、何の根拠も示されないまま、お叱りを受けてきました。
 それも無理からぬことです。まさか自然科学の『専門家』がこぞってオーム真理教まがいのデタラメ学説で国家政策を策定するなど、それこそ埒外の所行ですから・・・。また御自分がオーム信者と同様に非論理に洗脳されていたなどということは、御自分の誇りが許さないのでしょう。
 しかし、少し冷静に考えれば二酸化炭素地球温暖化仮説を主張する専門家がこれまで納得できるような事実関係を一つでも示したことがあるのか?と自問しさえすれば惑わされることはなかったのではないかとも思います。知らぬ間に権威主義におかされ、科学を多数決で決めようとしていたのではないでしょうか。

 さて、前置きはこのくらいにして、槌田論文を巡る気象学会という日本の第一級の専門家集団による査読の過程において極めて重大な事実が、『文章』として明らかになりました。関連する部分をそのまま引用しておきます。

@ 「しかし、CO2による温暖化を支持する事実は存在しない」と述べているが、CO2による温室効果は物理現象であり、CO2増加による温暖化は物理学の基本法則を基に予測されている。もしこの予測を否定するならば、これまでの物理学を改めるに相当な根拠を示すべきである。もちろんフィードバック効果等について十分な理解が得られていないことや、計算機能力が限られていること等のために、現状では量的予測などに不確実があることは多くの研究者が認めているところである。

A しかし、かつて「化石燃料消費によって大気に加えられたCO2 のおよそ半分に相当する量が大気に残留する」と言われたことはあるが、陸上生物からの放出があることが認められて以来、炭素循環を研究する上で重要な情報とならないので、少なくとも専門家は現在このような数字を用いることはしない。

 つまり、気象学会が二酸化炭素地球温暖化仮説を支持する理由とは、『CO2による温室効果は物理現象』もっと正確に言えば、二酸化炭素は特定周波数の遠赤外線を吸収する性質がある、という1点に尽きるのです。まさにこれまでこのHPで指摘していたことを自らの口で語ってくれたのです。
 ですから彼らは、実証的な証拠がないことを糊塗するために、必死になって巨大コンピューターを使った数値実験で美しい絵を見せることが必要であり、躍起になっているのです。現在流布している二酸化炭素地球温暖化仮説はまさに巨大コンピューターの仮想空間における『テレビゲーム』であり、妄想に過ぎないのです。
 さらに今回の査読意見によって、人為的に排出された二酸化炭素の半量程度が選択的に大気中に残留するとしていた大気中二酸化炭素濃度の上昇の解釈を気象学会は放棄していたことが明らかになったのです。これは極めて重大な事実です。(人為的)二酸化炭素地球温暖化仮説の根幹に関わる問題であるばかりでなく、IPCC、京都議定書の二酸化炭素排出量削減ないしその目標値は彼らが放棄した『かつて』の理論に基づいて策定されたものなのです。彼らは『現在の』彼らの『信じる』二酸化炭素濃度の上昇の機構を公に発表するとともに、謝罪した上で政策の見直しを国に対して具申することが社会的な責務です。

 さて、気象学会はこの上さらに恥の上塗りをするのは止め、槌田論文を学会誌に掲載すると同時に、温暖化問題を自然科学の問題として真摯に受け止め、研究されんことを祈ります。

No.253 (2007/01/23)100万・・・

 このHPの扉のアクセス・カウンターが今日で100万を突破します。まあ、連続アクセスをカウントしないようになってはいますが、カウンターの精度はそれほど高くありませんので、100万突破すること自体にそれほど意味はありませんし、これといって感慨もありません。とは言え、一つの区切りとして総括しておきたいと考えます。

 開設は2000年の6月でした。そもそものきっかけはある週刊誌の企画として環境問題の特集を計画していたことによります。企画の主要な目的は槌田敦氏の創始した資源物理学から環境問題を俯瞰的に見る視点を紹介するとともに、自然エネルギーの工業的利用(太陽光発電や風力発電など)や工業的リサイクルの無意味さを示すことでした。
 この企画の内容は、それまでのこの週刊誌の環境問題の特集記事の内容とは大きく視点の異なるものでした。企画をつめようとしていた土壇場で、この週刊誌の中枢に近い組織から強い圧力がかかり、企画は頓挫することになりました。
 この経験から、環境問題に対する科学的で自由な論争を行うためには既存メディアに頼ることは不可能だと考え、このHPを開設することにしました。開設当初は1日50アクセスもあれば上出来でした。初めの1年間のアクセスの総数は6000程度ではなかったかと思います。
 当時、ネット上で二酸化炭素地球温暖化仮説、自然エネルギーや工業的リサイクルを批判する立場をとるホームページはほとんど存在しませんでした。ネット上で最初に出会った仲間が当時「はれほれワールド」というHPを運営していらしたはれほれ氏でした(現在「はれほれワールド」は閉鎖されましたが、一味リンクを運営していらっしゃいます。)。はれほれ氏は既に二酸化炭素地球温暖化仮説に懐疑的な立場からHPを運営されていました。はれほれ氏の掲示板で意見交換を通して少しづつ仲間も増え、このHPの内容も充実したものになりました。その後、「はれほれワールド」の閉鎖を受けて、掲示板の仲間のお一人であった蝦夷縞ふく朗氏によって「はれほれ掲示板」の趣旨を引き継ぐ掲示板が現在も運営されています。
 槌田氏の紹介で、不知火書房から「有明海異変」を著していらした古川氏と知り合い、当HPのサブ・サイトとして古川編集長の「有明海・諫早湾干拓リポート」が加わることによって、環境破壊の現場からの報告が飛躍的に強化されました。その後も猫田白重氏の「思えばバカな企画だった」とも連携することになりました。
 現在は、1日あたり1500〜2000アクセス程度となりました。開設当初は考えられないようなアクセス数です。そのおかげか、ネット上でも二酸化炭素地球温暖化仮説を初めとする標準的な環境問題論議について疑問を投げかけるサイトも少しづつ増えてきたように感じます。しかし、現在でもこのHPの主張は圧倒的な少数派であることは変わりません。まだまだこのHPを閉鎖するわけには行かないようです。

 本来このHPは地球環境の大気・水循環と物質循環を阻害する問題としての環境問題を明らかにし、これを解決するための道筋を模索することを目的に運営しています。CO2地球温暖化など虚像に過ぎず、環境問題とは全くかかわりの無い出来事なのですが、日本における環境問題論議は非科学的なCO2地球温暖化脅威説一色に染まってしまっています。しかもCO2地球温暖化対策として提案されている工業技術はほとんど例外なく本質的な環境問題を悪化させる新たな火種になるものなのです。
 そんなわけで、ここ数年はこのHPの主題はCO2地球温暖化脅威説を否定することに集中せざるを得ない状況になっており、本質的な環境問題の検討がおろそかになっていることは忸怩たる思いです。
 この2月には槌田敦氏の粘り強い努力によって、ようやく2年がかりで査読の壁を破って物理学会誌に本邦初となるCO2温暖化仮説を否定する立場からの科学論文が掲載されることになります。また、気候予測の数値実験がまったく無意味であることも現在連載中の沖縄高専の中本教授のレポートで明らかになるでしょう。出来るだけ早く本質的な環境問題に対する議論を再開できるようにするためにも、今しばらくはCO2地球温暖化仮説について集中的に取り組むことにしたいと思います。
 
 最後になりましたが、今後ともよろしくお付き合い下さい。

HP管理者 近藤邦明 拝

No.252 (2007/01/22)気温変動河宮モデルの検討

 さて、槌田敦氏によって気象学会に提出された論文において、査読者氏が主要な論文掲載拒否の理由としてあげているCO2地球温暖化仮説を支持する側からのKeelingの示した二酸化炭素濃度と平均気温の変動のグラフ(下図)の解釈について検討しておきたいと思います。

 これは、Keelingの大気中CO2濃度の連続観測データから長期的傾向を取り除いた大気中のCO2濃度と平均気温の変動の関係を示した図として有名です。
 このグラフの解釈について、気象学会誌上において「気温変動の原因であるはずの大気中CO2濃度の変動が、気温変動の後に起こっているのはなぜなのか?」という極めて素朴な疑問が出されました。これに対して河宮は「Keelingのグラフは長期傾向を取り除いており、エルニーニョ・スケールの短期的な大気中CO2濃度変動と気温変動の関係を示したものであり、100年スケールのCO2地球温暖化説とは関係の無いグラフである」と主張しました。これを仮に「河宮モデル」と呼ぶことにします。

 

気象庁ホームページ「世界の年平均気温」より

 実際に観測されている気温変動をT(t)、その内長期変動(河宮らによればCO2地球温暖化による)成分をTL(t)、エルニーニョ・スケールの短期変動をTS(t)と書き表すと河宮のモデルは次のように表すことが出来ます(tは時間)。
T(t)=TL(t)+TS(t)
 河宮モデルの主張は、KeelingのグラフはTS(t)を表していると言う主張です。

 さて、標準的なCO2地球温暖化仮説では、人為的に大気に付け加えられたCO2による温室効果に正の放射強制力があるとしていますから、比例定数をA(例えば上図の赤い実線の勾配)とすると形式的にTL(t)=A・t と書き表すことが出来るでしょう。これに対して、エルニーニョ・スケールの気温変動は、気温変動の振幅をB、時間スケールの特性値をC、大気中CO2濃度の変動に対する位相の遅れDとおけば形式的にTS(t)=B・sin(Ct−D)と表現しておきます。以上の表現で河宮モデルを書き表すと次のようになります。
T(t)=A・t+B・sin(Ct−D)
 河宮モデルの主張では、Keelingのグラフは上式の第2項を示していることになります。

 これに対して、本HP所収のレポート「大気中二酸化炭素濃度と海面水温・気温の関係(2006/02/21) 」において、観測データを基に前年同月からの一年間の平均気温偏差増分を求めました(下図)。

 これは気温偏差の変動の時間微分の近似値を示していると考えられます。河宮モデルの時間微分を求めると以下の通りです。
dT/dt =A+B・C・cos(Ct−D)
 第1項は定数、第2項は2π/Cという周期性を持つ関数になります。dT/dtは、Aを振幅の中心とし、その周辺で2π/Cという周期を持つ関数として表現されることになります。
 上図の「世界平均気温偏差年増分」のカーブを見ると、振幅の中心はほぼ0であることがわかります。つまり、
A≒0
なのです。河宮モデルが正しいと仮定した場合、彼らの言うところの長期傾向は存在しないのです。つまり、大気中CO2濃度と平均気温偏差の関係とはエルニーニョ・スケールの自然変動がすべてであり、長期傾向と見えた変動傾向はエルニーニョ・スケールの気温変動の集積であり、河宮モデルで言うところの人為的に大気に付け加えられたCO2の増加の影響=長期傾向は存在しないと考えられるのです。

 以上をまとめると、大気中CO2濃度の変動は平均気温偏差の変動の結果として、平均気温偏差の変動に対して半年から1年程度遅れて現れる、と言うことになるのです。更に付け加えるならば、年率1.5ppm程度の大気中CO2濃度の上昇(この際、人為的な影響であるか否かは関係ない)は平均気温偏差の変動とは独立の事象と考えられるのです。

 以上の検討から、人為的に大気に付加されたCO2による温室効果による気温上昇と「自然変動」を単純に重ねあわせることよって気温変動を解釈しようとする河宮モデルないしCO2地球温暖化仮説は観測事実から否定されました。これに対して、沖縄高専の中本教授は気温変動を三角関数で表現しようするならば、次のようなモデルが考えられるとしています。


・・・ では、我々はどうしたら良いのか?どうしてもエルニーニョスケールの変化をサイン関数で表現したかったら、この時は
  A(t)・sin( B(t)・t + C(t) ), 但しA(t),B(t),C(t)はそれぞれ確率過程 ・・・(2)
としなければなりません。なぜ確率過程としなければならないか?それはエルニーニョスケールの変動を現在のところ我々は正確に予言できないからです。

 エルニーニョスケールの変動を(2)のように表現した時、長期間(たとえば100年間)の気温の変化は
  D(t)=Σ[A(t)・sin( B(t)・t + C(t) )]                   ・・・(3)
上の足し算Σをする時間間隔は産業革命から現在までの100年間です。なぜなら、大気という流体粒子にため込まれた熱量(または分子の運動エネルギー)は流体の移流運動(数学の言葉では非線形項)によって異なるスケールの運動がまぜこぜにされるからです。

 したがって過去100年間のあいだに、大気温度の時系列は
  D(t)+A(t)・sin( B(t)・t + C(t) )=Σ[A(t)・sin( B(t)・t + C(t) )]+A(t)・sin( B(t)・t + C(t) )・・・(5)
とかかれます。最初の項をLと書いて、これを長期の変動とよび、2番目の項をSと書き、これをエルニーニョスケールの変動とここでは呼ぶことにします。

 さてLは正弦関数の和ですから、長期の変動はゆっくりです。しかし、ゆっくりした変動だからエルニーニョスケールの変動Sとは全く別物ではないのです。


 

No.251 (2007/01/21)民放におけるCO2温暖化論議

 既にこのHPでは、NHKのCO2温暖化仮説に対する極めて偏向した非科学的な報道内容を批判してきました。これは他の民放とは違い、視聴者の利用料金によって運営されていると言う特殊事情があるために特に問題にしてきたことは御承知の通りです。
 このことは、CO2温暖化仮説に対する民放の報道内容のほうが優れていると言うことではありません。むしろ産業界の意向ないし利益を代表する民放であれば、産業界による極めて偏向した報道内容になっていることは不可避なことです。
 「不都合な真実」というSFホラー(法螺?)映画に対するTBS放送の入れ込みぶりは多少常軌を逸しているように見えます。私は直接見ていませんが、TBSの報道番組「NEWS23」の中で特集を組んで扱ったようです。今朝たまたま見ていた同じくTBSの「サンデーモーニング」の中でも無批判に報道されていました。無知な司会者に日本の良識を体現しているとでも言うような顔の「識者」諸君が深刻な表情でこの映画の意味することを語っていました。

 さて、何ゆえ民放の報道番組においてもCO2温暖化問題をこれほどまでに大きく取り上げるのか、我々は冷静に考えなければなりません。極めて単純な話ですが、スポンサーである日本の主要な産業界にとって、CO2地球温暖化説を肯定し、社会認識として定着させることが自らの経済活動にとって有効であると判断していることを示しているのです。
 例えば、自動車のトップメーカーであるトヨタや家電大手の松下電器、東芝、電力各社などのテレビコマーシャルを見れば、CO2温暖化の脅威を最大限販促に活用していることが良く解ります。CO2地球温暖化仮説ないしこれを基に締結された京都議定書、更に国内法ないし経済政策は、これらの巨大企業にとって付加価値の高い=利益性の高い新たな巨大市場を創設したのです。
 CO2を削減し温暖化問題解決に寄与すると銘打っておけば(科学的には全くの虚偽宣伝ですが、公正取引委員会にはそれを理解できるような者はいません。)、多少高価な商品であっても、無知な良識的な都市住民は喜んで購入するのです。また、厳しい環境基準を整備させれば、新興工業国の工業製品の排除にも有効です。

 CO2地球温暖化仮説を世界的に定着させることによって先進工業国にとって先細りであった世界市場規模は一気に拡大することになり、原発をはじめとする極めて環境破壊的なエネルギー技術を中心とする工業製品の消費は確実に拡大することになります。CO2地球温暖化脅威説という「虚構」を定着させることによって、結果として本質的な環境問題の原因である工業生産の更なる拡大が起こり、本質的な環境問題はますます深刻な状況に向かうことになるのです。

 民放のCO2温暖化に関する報道は、こうした産業界の利益代表としての宣伝部隊として機能しているのです。情緒的環境保護団体の諸君、少しは冷静かつ理論的に物事を判断するようにしていただきたいと思います。

No.250 (2007/01/18)気象学会 人為的CO2増加説を放棄?!

 二酸化炭素地球温暖化脅威説を構成する重要な仮説の一つが『工業化社会の成立以降に石炭ないし石油の燃焼によって人為的に大気中に放出されたCO2の半量程度が大気中に残留する』というものです。IPCCないしこれを踏襲した京都議定書のCO2削減目標も基本的にこの仮説を基に策定されたものです。昨年2月の環境経済・政策学会の討論会における東北大の明日香の報告もこれを踏襲したもので、現在の大気中には350Gt-Cの人為起源のCO2が蓄積していると主張していました。

 現在、槌田敦氏によって気象学会誌に二酸化炭素温暖化仮説に反対する立場からの論文が提出されています。現在、学会誌の編集委員会の非科学的な査読によって掲載の許可は出ていません。その査読の過程で非常に興味深い重大なコメントがありましたので紹介しておきます。

 槌田論文では、大気中に人為的に排出されたCO2の一定部分が選択的に蓄積されることは考えられないとして、当HP所収のレポート『CO2地球温暖化説は科学ではない』§4 大気中CO2濃度上昇化石燃料燃焼原因仮説の検討でも紹介したモデルを提案しています。
 これに対して気象学会誌の査読者氏は『しかし、かつて「化石燃料消費によって大気に加えられたCO2のおよそ半分に相当する量が大気に残留する」と言われたことはあるが、陸上生物からの放出があることが認められて以来、炭素循環を研究する上で重要な情報とならないので、少なくとも専門家は現在このような数字を用いることはしない。』としています。

 化石燃料消費によるCO2放出量の半量程度が蓄積するのでなければ、現在は一体どのような解釈をしているのでしょうか?また、かつての解釈を基に策定された京都議定書は一体どうするのでしょうか?人為的CO2温暖化仮説の大前提が覆れば、これまでのCO2温暖化仮説は瓦解してしまうのではないでしょうか?

 査読者氏のコメントが事実であるならば、気象学会ないし気象学の「専門家」はその社会的な責務として、「人為的CO2排出の一定部分が大気中に蓄積されている」とした誤った理解を公の場で訂正し、かつての解釈によって策定された京都議定書ないしこれを受けたCO2排出削減政策の根本的な見直しを政府に対して具申すべきであろうと考えます

No.249 (2007/01/16)CO2温暖化否定論 環境省の反論は『幻』
環境省最終見解

 昨日、槌田氏は環境省地球環境局研究調査室長補佐名倉良雄氏と主査平野礼朗氏に面会し、掲題の件についての事情を直接確認しました。

 名倉氏は、「読売記者が誰から取材したのかは人事異動があったので確認できない(!)。記事の通りだとすれば行き過ぎだと思う。30人集めてということも、否定論に反論することも無い。環境省からの情報が結果として否定論に反論することになるかもしれないが、国が参加しているIPCCを説明することが目的である。」と回答したそうです。

 読売の記者も転勤になり、環境省の担当も異動・・・。異動したとわかっているなら誰なのかお分かりでしょう(笑)。いずれにしてもこのまま信じろといわれても・・・。ただ、この件に関しましてはこれ以上の回答は得られないと思います。

 憶測になりますが、考えられるシナリオは二つです。
 まず第一は、読売の記事は記事にした時点において真実であり、研究者を集めて反論を行うはずであったが、何らかの予期しない状況変化で反論を行うことが出来なくなった場合。もっとはっきり言えば科学的に否定論を覆すことが出来ないことに環境省の役人が気付いた場合です。

 第二は、読売に取りあえずデマ情報を流して、記事にすることだけが目的であった場合です。もしこれが目的であれば、環境省には相当の策士=悪がいるようです。
 もし第二の場合が真実であるならば、見事に成功したと言ってよいでしょう。御存知の様に、頼まれもしないのにネット上では地球温暖化真理教の信者の皆さんが、読売の記事を更に増幅して情報を煽りましたから。実際に反論したかどうかなど、読売を含めて全マスコミは知らん振りを決め込んでいますし、このHP(と友好HP)以外では話題にもなりませんから(笑)。世間の人々には、「温暖化否定論なんていい加減なものなんだな」というイメージだけが刷り込まれるという仕組みです。

 希望的な観測ですが、第一の場合が事実であって欲しいと願います。もしそうであるならば、環境省の無能役人諸君も、さすがに御用学者連の金ほしさの出鱈目研究成果に少しは警戒して自ら検討する契機を得たでしょうから・・・。無理ですかね。

No.248 (2007/01/14)CO2温暖化否定論 環境省の反論は『幻』
読売新聞の回答

 掲題の件について、槌田敦氏に対して読売新聞の担当記者(当時)からの回答がFAXで送られてきました。以下に全文を掲載します。


槌田 敦 様

 「温暖化否定論に待った」の記事で、お問い合わせいただいた点について、ご回答します。

 この記事は、環境省の正式発表に基づくものではありませんが、しかるべき人間に取材したうえで、環境省の動きとして報道したものです。取材先の名前などは、申し上げられません。

 この件では、これ以上、ご返答できませんので、ご了解下さい。

 また、この記事の掲載時には、私は東京本社科学部に所属しておりましたが、現在は、***支局に勤務しております。
読売新聞***支局記者 ***


 つまり、読売の記事は、環境省の”しかるべき人間”が読売の記者に対して個別に情報をリークして、読売を使って記事を書かせたものであると言うことです。

No.247 (2007/01/07)不思議の国・・・

 安倍政権が成立して以降、小泉政権より以上に加速しながら戦前回帰が進んでいるように感じます。まずは昨年末の教育基本法の改悪、そして年が変わって防衛庁の防衛省昇格・・・。
 年頭の安倍の発言にも唖然としました。参議院選挙において憲法改正を争点に位置づけるというのです。これは実質的には憲法第9条の不戦条項の改悪が主要な目的であることは、この間の安倍政権の一連の政策からも明らかです。いよいよ本丸を、という意気込みなのでしょう。彼の祖父岸信介あるいは佐藤栄作のなし得なかった戦前回帰の『美しい国日本』の建設に意欲を燃やしているようです。
 そして、伊勢神宮参拝後の安倍のコメント『・・・皇室の弥栄(いやさか)を祈念した・・・』にいたっては、呆れ果ててしまいました。確か戦後日本の主権者は国民一人一人であり、国民の付託を受けた日本の内閣総理大臣が慮るべきは、国民の安寧であるはずですが・・・。
 このような言動に全く鈍感な、国家とマスコミによって洗脳され平和ボケした大多数の国民は何の行動も起こしません。マスコミ・報道機関は個人レベルの猟奇的犯罪について執拗に情報を流し続けることによって衆目を集め、社会的な重要問題についての報道は玄関ネタを吟味することなく垂れ流すのみです(その結果、環境省発表『温暖化否定論に反論』の読売の様に無様な姿をさらすことになります。)。

 どうも本質的に現在のこの日本という不思議の国には論理性というものが通用しないようです。

 国際紛争の解決手段として武力を放棄している日本が、イラクに米侵略軍を補完するために『自衛隊』を派兵することがなぜ許されるのか?「世界の平和に貢献するため」にどうして戦力を合法的に保有し、平和憲法を放棄することが必要なのか?米国の核戦略に同意し、加担している日本がどうして北朝鮮の核保有を非難できるのか?かつての植民地政策で朝鮮人民に犯した犯罪行為に頬かむりして、拉致問題を一方的に非難できるのか?等など・・・。

 自然科学においてもそうです。

 二酸化炭素温暖化仮説は、マスコミによるともはや『定説』となっており、大多数の国民がこれを『信じて』います。しかし、果たしてどれほどの人が二酸化炭素温暖化仮説の主張を具体的に知った上で支持しているのでしょうか?自然科学の仮説を支持するためには、その内容を知ることが大前提です。わからなければわかるまで執拗に説明を求めることが必要です。また二酸化炭素温暖化仮説を主張する側・立証しようという者は、その責任において提出されたすべての疑問に対して実証的に説明する責任を負うのです。
 残念ながら私が知る限り、二酸化炭素温暖化仮説を主張する研究者の側から、実証的な自然科学的な立証がされたことは未だかつて一度も無いのです。そんな眉唾の仮説など誰も相手にしないというのが『自然科学的』には冷静な対応なのです。

 槌田敦氏やこのHPの主張を『温暖化懐疑論』とか『温暖化否定論』などとマスコミは呼んでいますが、これは全く非論理的な呼び名です。私たちは、自然科学の一仮説として提出された二酸化炭素温暖化仮説の内容に対して、観測事実や過去の歴史的事実と比べて、矛盾していると思われる点を提示して、これに対する説明を求めることによって、二酸化炭素温暖化仮説を検証しているに過ぎないのです。
 私たちの提出した疑問に対して二酸化炭素温暖化仮説に立脚して論理的かつ実証的に答えることが出来なければ、二酸化炭素温暖化仮説は棄却される、ただそれだけのことなのです。

 自然科学的な検証作業を拒否する二酸化炭素温暖化仮説を主張する研究者やこれに同調する人々は、二酸化炭素温暖化仮説が自然科学の対象となる仮説ではなく、政治スローガンであると主張しているのです。その結果、二酸化炭素温暖化仮説を検証する作業に対して『温暖化懐疑論』あるいは『温暖化否定論』というラベルを貼り、『政治的』に抹殺しようとしているのです。

 本当に二酸化炭素温暖化仮説について知ろうと思うならば、これを支持する研究者に対してその自然科学的・実証的説明を求めることこそが筋なのです。
 妄信的に二酸化炭素温暖化仮説を支持する人からよく『仮説が間違っているのならば、ではどうしてなのか?』を説明しろと言われます。これは全く非論理的な意見であり、お門違いも甚だしいことなのです。私たちはあくまでも二酸化炭素温暖化仮説の妥当性を検証しているのであって、これに変わる仮説を主張しているのではないのです。『どうしてなのか』を示せないからということで、逆に二酸化炭素温暖化仮説の正当性が立証されることは無いのです。内容以前に、こうした自然科学に対する議論の進め方の基本を無視することで、温暖化仮説をめぐる議論は混乱しているのです(というよりも故意に混乱させている人たちがいるのです。)。

 昨年一年間、私自身は二酸化炭素温暖化仮説の検証に終始しましたが、実証的にはほぼ二酸化炭素温暖化仮説は棄却できたと考えています。残る数値実験の問題についても沖縄高専の中本教授の御協力で今年中には決着がつくのではないかと考えています。今しばらく二酸化炭素地球温暖化脅威説を否定することに集中しようと考えております。

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