No.296 (2007/10/03)シリーズ・テロ特措法批判D

武力による日本の防衛は技術的に不可能

 これまでもこのコーナーで何度か触れましたが、私は絶対平和主義者です。よく理想論としてはそうかもしれないが「現実的には武力は必要だ」という批判をされることがあります。では、技術的に武力によって日本を防衛することが可能なのでしょうか?

 日本を戦略核兵器を有するような大国、例えば近い国ではロシア、中国そして米国に攻撃されるような場合、日本は国土を防衛するどころか、刺し違えることも不可能です。核弾頭を搭載した巡航ミサイルを数発受けただけで、ほぼ壊滅することになります。アフガニスタンやイラクに対して行われたような通常兵器による攻撃でも、狭小な国土、しかも都市機能が東京など都市部に過度に集中しているため、ごく短期間で制圧されるでしょう。

 核兵器を持たないより小さな国(現実的にはこれは非常に限られ、地理的・物理的に可能性があるのは北朝鮮と韓国だけでしょう。)からの攻撃に対してならば防衛可能でしょうか?
 日本は、アジア大陸の東の海上にある南北に細長い弧状列島です。国土面積に対して海岸線の総延長がきわめて長いのが特徴です。長大な海岸線を全て監視し、防衛線を張ることは至難の業です。もし本気で日本を攻めようとすれば、例えば漁船を偽装した小型高速船舶などを用いれば長大な海岸線の何処からでも上陸することが可能です。
 しかも、日本の海岸線のいたるところに60基の『動かぬ核弾頭』原子力発電所が稼動しています。夜間に少人数の部隊で上陸して、稼動中の原子力発電所の制御棟を破壊すれば核攻撃以上の効果を上げることが可能です。

 幾つかの場合を考えてみましたが、これ以外に一体どのような攻撃を想定して、どのような防衛策があるというのでしょうか?それとも防衛とは『先制攻撃』だけを考えているのでしょうか?
 いずれにしてもいくら軍備を増強したところで、日本を完全に防衛することは困難です。ならば全ての武力を放棄した上で、攻撃される可能性を最小限にすることが最も賢い安全保障と言えるのではないでしょうか?

日本が攻撃される理由

 既にシリーズの最初でも述べた通り、今日的な戦争の起こる可能性が高いのは、対象国の領土内に非常に有用な資源がある場合、あるいは戦略的・地理的に占有したい地域である場合、それと米国・西欧国家連合の世界戦略、特に現状ではNPT体制を脅かす国ということになります。

 まず、日本は第一の条件は全く当てはまりません。日本固有の有用資源とは、森林、水、農地、沿岸漁場などであり、封建時代ならばいざ知らず、今日わざわざ戦争という高価な手段を使って農地、しかも狭小な農地を奪い取ろうとする国はありません。

 次に第二の条件は現実の問題です。ここには二つの側面があります。
 将来的に米国に比肩しうる大国になる可能性があるのは、おそらく中国とロシアです。米国の世界戦略から、最も警戒しているのはこの2国であることは疑う余地がありません。米国にとって、中国とロシアを常に監視し、牽制するためには両大国の喉下に位置する日本という国は、絶好の位置にあり、何らかの形で占有しておきたいはずです。
 一方、中国やロシアにとって日本は、米国を監視するための基地としては太平洋を挟んだ反対の位置にあり、あまりにも米国本土と距離がありすぎるために、占有しても戦略的な価値は高くありません。
 つまり、中国やロシアが日本を攻撃する可能性とは、日本を攻撃するのではなく、日本にある米軍基地とその兵站を攻撃すること以外に理由はないのです。つまり、日米安保条約を破棄して日本の米軍基地をすべて撤去することによって、中国・ロシアとの間の緊張関係は解消できるのです。

 第三の条件は日本が平和憲法を遵守することによってあらゆる兵器を放棄すれば全く問題になりません。

 日本国民の中には大きな誤解があります。日米安保条約によって日本の平和が守られているというのは全く逆であり、安保条約の下に日本国内に米軍基地があることが、テロを含めて日本が武力攻撃を受ける可能性の最大の原因なのです。
 結局、日本が日本国憲法を遵守し、日米安保条約を破棄して国内の米軍基地を全て撤去し非武装・中立化を実現すること=絶対平和主義こそ最も現実的な日本の安全保障体制なのです。
 これを実現するための最大の障壁は、日米安保条約の一方の当事者である米国の抵抗です。確かに一時的には両国関係は多少悪化し、可能性としては経済制裁を受けることになるかもしれませんが、手続きに則って日米安保条約を破棄すれば、軍事侵攻を正当化させるような事態にはいたらないでしょう。中国・ロシアなど近隣諸国と良好な関係を構築すれば、米国の理不尽な要求に対して彼等が最大の防波堤となってくれることは間違いありません。
 また経済制裁にしても、日米安保条約の地位協定による米軍への出費や、自衛隊の正面装備に費やす国家支出の削減と比較すれば大きな問題にはなりません。

戦後処理、拉致問題・・・

 今日的な戦争ではなく、過去に引きずられた武力攻撃の可能性がもう一つあります。日本は明治以来、東アジアの中でいち早く近代的軍事国家となり、凶暴な西欧諸国の後を追って周辺諸国への侵略を行い、苛烈な植民地経営を行いました。
 第二次世界大戦までに周辺アジア諸国に対して行った侵略によって、物理的にも精神的にも大きな傷跡が残ったままです。
 ここ数年問題になっているのは北朝鮮による日本人拉致問題です。残念ながら、戦後の日本政府は未だに北朝鮮との間で戦後処理を行っていません。北朝鮮から見れば、前大戦、これに引き続く朝鮮戦争で日本に対する不信感があるのは当然であり、未だに『戦争状態』が継続しているのです。拉致問題はこうした2国間の関係の中で起こった事件です。
 この問題を含めて、日本政府は前大戦に対する誠実な反省と、国家賠償を含めた出来る限りの努力で近隣諸国との関係を改善し、戦後処理を完結させることが第一に行うべきことです。
 拉致問題の解決は、前大戦の処理を行った後に議論すべき問題です。拉致問題の解決を前大戦の戦後処理の条件に使う事、拉致問題の進展がないから戦後処理は行わないという姿勢は全く本末転倒です。戦後日本政府が北朝鮮との間で速やかに戦後処理を行い不可侵条約を締結していれば不幸な拉致問題は回避できたことです。見方を変えれば日本政府の外交の失敗が拉致問題の原因なのです。
 拉致被害者家族の方々の苦しみはよく理解できますが、拉致問題を解決させるためには、早急に北朝鮮との間で戦後処理を行い、2国間の信頼関係を回復することこそが前提になることを理解していただきたいと思います(拉致被害者の『一時帰国』の北朝鮮との約束を日本政府が公然と踏みにじった行為は、被害者の永住帰国を急ぐあまり、信頼関係を著しく傷つけました。)。
 付け加えておきますと、小泉・安倍政権が拉致問題に於いて北朝鮮に対して強硬姿勢をとったのは、拉致問題を早期に解決することではなく、拉致問題を利用して北朝鮮との2国間関係を緊張させることによって、憲法改正と日本の軍事国家化に利用しようとしたからに外なりません。断じて拉致問題をこんなことに利用させてはなりません。
 断片的な情報から、北朝鮮の国内の経済事情はかなり逼迫しているようです。これが臨界状態に至れば、もしかすると冒険主義的な軍部の暴発が起こる可能性も否定できません。日本政府の強硬な対応はこの危険性を助長するものであり、安全保障から言って日本国民を危機に曝す背任行為です。

自衛隊の武装解除と国際貢献

 自衛隊は軍隊としての正面装備・施設をすべて破棄し、森林・農地保全・災害救助・復旧を行う国土保全・災害救助隊に改組することが現実的です。これによって失業問題は回避できますし、彼等の技術も有効に利用できます。
 荒廃が進む森林・農地を再生し、医療スタッフは中山間地の巡回医療などにも貢献できるでしょう。自然災害に対する即応性も期待できます。
 また、海外における自然災害に対する救援活動に対する即応性、内容の充実も可能となるでしょう。ただしこの場合、無論のことですが、武力紛争地域以外の当事国の要請に対して出動するという点だけは明確にしておかなければなりません。
 武装解除した国土保全・災害救助隊による国際的な援助活動こそ、平和憲法を持つ日本の本当の意味での国際貢献だと考えます。
(続く)

No.295 (2007/10/01)シリーズ・テロ特措法批判C

違和感・・・

 ミャンマーで僧侶を中心としたデモを軍事政権が武力鎮圧し、日本人記者を含む9人の死亡が報告されています。この武力行使について、日本政府やマスコミは最大限の表現でミャンマー政権を非難しています。これは当然の報道姿勢だと思います。
 しかし、例えばアフガニスタンやイラクでは米軍やこれに協力している西欧・親米国家連合軍はテロリストの掃討という名目で、一つの作戦で数百人の人間の命を奪っているのです。誤って全く戦闘に関係のない民間人を誤爆によって数十人規模で殺害したことも報道されていますし、これに類することはいくらでも起きているのです。
 これに対する日本のマスコミの報道は事務的に米軍発表の作戦概要と死者数を報告するだけで、米国を中心とする侵略軍の行動の非人道性を非難することなどありません。私はこの日本の報道のダブル・スタンダードに対して言いようのない違和感を感じるのです。日本人の米国に対する妄信、洗脳による思考停止・・・。

テロ特措法は憲法違反

 この11月でテロ特措法(平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法)の期限が切れます。この法律は当初2年間の時限立法でしたが、延長を繰り返し、現在3度目の延長期間が切れようとしています。
 テロ特措法は、名称にあるとおり、9.11同時多発テロという個別事件を対象とする米国などの国家連合の大義のないアフガニスタンとイラクに対する侵略戦争(その経緯については前回までの記事を参照してください。)に自衛隊が参戦することを超法規的(=憲法違反)に定めた法律です。
 『国際連合決議等に基づく人道的措置』とは一体何なのでしょうか?アフガニスタン人民の民族自決権や生存権の保全は人道的措置の範疇に入らないというのでしょうか?
 武力行使に対する報復を認めるとすれば、一体それは歴史的に何処まで遡るのでしょうか?前世紀の2大戦にまで遡るだけでも、近年の全てのイスラム過激派のテロにはそれなりの合理的な意味づけが可能であり、全て免責されることになります。
 9.11に対する米国の対テロ戦争など、米国の全くご都合主義の理論にすぎず、対テロ戦争は正義のための戦争などとは非論理的な主張にすぎません。武力に対する武力報復を認めれば、金輪際世界が平和になることなど有り得ないと知るべきです。
 世界平和を希求するのであれば(これが正に日本国憲法の本質です)あらゆる武力行使を放棄すること、理論的にはそれ以外に方法は存在しないのです。
 
 日本国憲法では『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』としており、テロ特措法は直接的な交戦には参加しないとしていますが、日本の領土外において侵略軍の武力行使を維持するための重要な機能を担うものであり、全体として明らかに戦争行為の一部を構成しているのであり、憲法違反です。
 テロ特措法あるいはこれに代わる法案を否定するのにこれ以上の根拠など必要ありません。またどのような詭弁を弄しても、合憲であると解釈することは不可能です。
 仮に、大多数の国が日本に参戦を求めたとしたとしても、我々日本国民はその最も根源的な行動規範である日本国憲法の範囲で対応すべきです。つまり、日本としての国際貢献とは、いかなる理由があろうとも紛争に対しては決して武力介入はせず、武力以外の方法で問題解決を図るべく、当事国の対話による問題解決を訴えることです。

テロ特措法の前提は崩壊した

 既に前回までの報告で述べたとおり、『テロとの戦い』という名目で開始されたアフガニスタン・イラク侵略戦争は、9.11米国同時多発テロを『口実』に始められた米国と西欧を中心とする同盟国による、中東の石油権益を掌握するために始められた侵略戦争です。アフガニスタンに対するテロ報復攻撃とイラクへの侵略戦争を分けて議論する場合もあるようですが、これは無意味な形式論です。

 以下、アフガニスタン・イラクへの軍事行動が一方的な侵略戦争である理由を挙げておきます。

@9.11米国同時多発テロの経過は、米国の発表通りだとしても、反米イスラム過激派組織アルカイダという非国家組織による『犯罪』行為であって、軍事行動の対象ではなく刑法犯罪として警察によって対応すべき問題です。
 この場合、アルカイダの指導者がアフガニスタンに潜伏していたとしても、米国のとるべき道は外交ルートを通じてアフガニスタンに対して犯罪者の引渡しを要請することが限界です。アフガニスタンが犯罪者引渡しを拒否したからといって、米国とアフガニスタンの間に犯罪者引渡しの条約でもない限り、アフガニスタンに落ち度はないはずです。

 例えば極端な例ですが、日本国内において外国人が殺人を犯した後に本国に逃げた場合、日本はその国に対して外交ルートを通して犯人の引渡しを要求することになります。今回の米国のアフガニスタンへの武力行使を容認するということは、その国が犯人の引渡しに応じなかった場合に、自衛隊がその国に対して武力攻撃を行うことと同じです。
 米国は全く非論理的な理由でアフガニスタン侵略を開始し、しかもアフガニスタンに対して懲罰的な限定的な軍事行動を行ったのではなく、全面戦争を仕掛け、アフガニスタンという主権国家内の反政府勢力である北部同盟に軍事援助を行う事によって(正にこれはテロ支援といってよいでしょう。)、タリバン政権を破壊するとともに、米国傀儡であるカルザイ政権をでっち上げました。

A米国のイラクへの侵攻の理由は、フセイン政権が大量破壊兵器を保有するテロ支援国家であるというものでした。米軍や同盟国軍は躍起になって大量破壊兵器の痕跡を探しましたが、ついに見つけることは出来ませんでした。また、アルカイダとイラクのサダム・フセインには支援関係もありませんでした。
 この問題は、米国の最も強固な同盟国である英国においてさえ問題視されました。米国盲従の小泉政権は、イラクが大量破壊兵器を有するテロ支援国家であるという理由を再三国会で繰り返し、テロ特措法の制定の根拠としました。イラクに大量破壊兵器が存在しなかった時点で小泉の主張する論拠は崩れ去ったのであり、小泉はこの問題について事実報告をするとともに誤りを認め、テロ特措法制定段階で日本独自による調査を放棄して米国盲従路線をとったことについて謝罪すると同時に、テロ特措法を失効させるべきでした。しかし小泉は無責任にもこの問題について、ついに説明することなく退陣してしまったのです。

国連中心主義の限界

 日本の国内世論には、米国とその同盟国の軍隊の侵略戦争に加担することは問題だが、国際連合の承認を受けた軍事行動であれば、『国際貢献』の名の下に日本の軍事行動は許されるとすべきだというものがあります。
 既に前回までの議論で示したように、国際連合の安全保障理事会を実質的に支配している常任理事国とは、米国を中心とする第二次世界大戦の戦勝国という、強盗集団です。第二次世界大戦後の局地紛争に於いても彼等が関与していない紛争などほとんど存在しないというのが実情です。
 既に報告したとおり、日本の民主党が国連決議のない米軍の軍事行動を支援するテロ特措法は認められないと主張しているため、支援の継続を望む米国と日本政府のゴリ押しで国連安全保障理事会は『日本自衛隊の後方支援活動を国際社会への貢献として評価する(2007.9.19)』内容を盛り込んだお手盛り決議を行うなど、全く信頼できないのが実情です。
 紛争当事者が主導する国際連合が平和を維持できないのは当然のことです。また、安全保障理事会の常任理事国は世界の兵器産業の中心であることも忘れてはなりません。
 少なくとも、現在の国際連合の安全保障理事会の枠組みでは、本質的な平和(各国の独自性を認めつつ互いに敬意をもった国際関係として)を維持することは出来ません。もし仮に平和と見えたとしたら、それは米国の世界帝国が完成することと同義です。
 現状では非常に考えにくいことですが、安全保障理事会から拒否権を持つ特権的常任理事国制度を廃止すれば公正と平和が実現できるでしょうか(確かに現状よりはましでしょうが・・・)?その場合は、経済援助(=買収)による多数派工作が横行することになるでしょうから、残念ながらやはり米国・西欧国家が安全保障の枠組みを支配し続ける状況は本質的には変わらないでしょう。
 国連中心主義に対して絶対的正義や平和を期待するのは幻想です。日本が本当に世界平和に貢献することを目指すのであれば、いかなる場合においても自らは武力行使を行わず、他国に対しても武力行使を行わないように訴え続ける他に選択肢は存在しません。政府や民主党の言うカッコつきの『国際貢献』などという意味不明の目的のために武力行使を容認することは出来ません。

民主党に対する不信

 臨時国会の最大の問題はテロ特措法の延長ないし代替法案の提出になります。民主党の小沢氏は国連決議を受けていない米軍の軍事活動を支援する現在のテロ特措法は認められないとしています。現在の局面では小沢氏にこの主張を貫徹することをひとまず期待したいと思います。
 しかしながら民主党には、前の代表の前原など米国民主党妄信の愚か者を含め、憲法9条改正論者が多く、本質的には日本を戦争の出来る国に変えようとしています。小沢氏は『国際貢献』、具体的には国際連合の制御下にある平和維持活動における軍事活動を想定して、まず憲法を改訂することが必要だとしています。
 確かに、小沢氏の主張するように、自民党がこれまで行ってきた現行憲法の条文を変えずに、解釈を変えるという姑息な方法による憲法のなし崩し的な空洞化に反対する姿勢は合理的な主張です。
 しかし、小沢氏もまた日米安全保障条約を維持すること、国際連合の正義を前提に、一定の条件を満たせば日本が国際紛争に対して武力行使をすることが可能な国にしようとしているのです。
 前節で述べたとおり、たとえ国際連合の管理下であったとしても、絶対的な公平・正義を実現することは不可能であり、国際紛争を解決する手段として武力の使用を肯定することで世界平和は実現不可能です。
(続く)

No.294 (2007/09/29)シリーズ・テロ特措法批判B

アフガニスタンを巡る状況

 さて、それでは今回の9.11にいたる背景を見ておくことにします。

 近代において、アフガニスタンは英国に侵略を受け、三次にわたる戦争を経て英国から独立を勝ち取り、王政をしきました。独立後は旧ソ連との関係が強まります。1973年に王政が崩壊し、共和制がとられました。
 1978年には社会主義革命が起こり、社会主義政党を支援するという名目で旧ソ連がアフガニスタンに侵攻し、1979年に社会主義政権が成立しました。
 その後、1989年に旧ソ連軍がアフガニスタンから撤退すると、内戦状態になりました。このとき、イスラム反政府ゲリラの中核をなした組織ムジャーヒディーン(後の北部同盟)は、アフガニスタン国内だけでなくイスラム諸国からの義勇兵も多く含まれていました。その中には後のアルカイダの指導者となるサウジアラビア出身のウサマ・ビンラディンも含まれていました。
 当時は冷戦状態にあり、旧ソ連と対立していた米国は、旧ソ連の影響下にあったアフガニスタンの社会主義政権の転覆を目論み、ムジャーヒディーンに対してCIAを通して軍事援助を行いました。その結果、社会主義政権は崩壊し、内戦状態が続きますが、イスラム神学生を中心とするイスラム原理主義勢力タリバンが勢力を伸ばし、ほぼアフガニスタン全土を掌握してイスラム原理主義の政権が樹立されました。しかし、アフガニスタン北部には反タリバン勢力である北部同盟が残っていました。

 ウサマ・ビンラディンは当初、反社会主義(=反ソ連)を目指すイスラム反政府ゲリラとしてアフガニスタンに赴きます。この時点では同じ目的を持つ米国CIAの援助を受けていました。その後、イスラム過激派に感化され反米テロ組織アルカイダの指導者(パトロン?)になったと言いますが、その変化の経過は良く分かりません。
 また、ビンラディンの一族はサウジアラビアの大財閥であり、米国のブッシュ親子(大統領)と経済的に非常に深い結びつきがあります。

9.11米国同時多発テロ、その後

 そして御存知のように、2001年9月11日に米国において、アルカイダによると見られる同時多発テロが起きました。
 米国は、このテロを起こしたのは反米イスラム過激派テロ組織であるアルカイダであると早期に断定し、アフガニスタンのタリバン政権に対して、ビンラディンらアルカイダの引渡しを要求しました。しかし、タリバン政権が9.11に直接関与していたわけではなく、ビンラディンの9.11への関与もどのようなものであったのか、明白ではありませんでした。タリバン政府は米国へのビンラディンらの引渡しを拒否しました。
 米国を中心とした西欧を中心とした国家連合は、米国の主導の下、タリバン政権がアルカイダの引渡しに応じなかったことを理由に、アフガニスタンをテロ支援国家としてアルカイダと同一視して『防衛』の名の下に侵略戦争を開始するとともに、かねてから関係の深い北部同盟に軍事支援を行い、タリバン政権を崩壊させました。
 米国は、タリバン政権の後釜に、米国石油資本と強いつながりのあるカルザイを後押して北部同盟を主体とする傀儡政権を樹立させ現在に至ります。
 その後の経過は御存知のように、米国は更にこの期に乗じて、中東の石油を掌握することを目論み、イラクを大量破壊兵器を保有するテロ支援国家と断定した上で軍事侵略を開始しました。
 米国の思惑は外れ、アフガニスタン、イラク両国の治安は一向に改善せず、状況は泥沼状態に向かいつつあります。

米国の思惑と西欧・親米国家連合の対応

 本来、9.11の当事者ではないアフガニスタンに対するアルカイダ引渡しの要求は、米国のアフガニスタンに対する協力要請であり、これを拒否したからといって米国がアフガニスタンに軍事侵攻するというのはあまりにも乱暴な対応です。許されるとすれば、経済制裁が妥当なところです。
 米国の思惑は、かねてから中東地域の石油利権を掌握しようという野望の妨げになっているイスラム原理主義国家の一つであるアフガニスタンのタリバン政権を米国の傀儡政権にして、これを足がかりにイラクそしてイランを屈服させる、大義名分が欲しかったのです。
 9.11同時多発テロは、第一次世界大戦におけるサラエボ事件、あるいは日中戦争における盧溝橋事件と同様、米国の中東への軍事侵攻にとって実に都合の良い大義名分を与えたのです(こうした経緯を見ると、ブッシュとビンラディン、CIAとビンラディンの関係を考えたとき、9.11同時多発テロ自体、盧溝橋事件同様、米国CIAの自作自演の可能性も全く否定することは出来ません。)。

 当初、西欧・親米国家連合、それにロシア(旧ソ連の親ロシア国家を含む)には、紛争地域を抱えた国も少なくなく、米国の反テロを支持することは反体制運動に対してテロリストのレッテルを貼る事によって、武力鎮圧の大義名分がたちやすくなるという思惑もあり、多くの国が米国を支持しました。
 また、米国のアフガニスタンやイラク侵略への軍事協力は、米国・西欧国家への忠誠を確認するための『踏み絵』として機能しました。例えば、EUに加盟し世界市場に参入したいトルコは、イスラム国家ですが軍隊を参戦させました。
 そして我国は、不幸にも小泉という米国盲従、好戦的政権であったこととも重なり、憲法改正のための布石とすべく、米国との集団自衛権行使・自衛隊海外派兵の実績をつむために、いち早く米国全面支持を打ち出し、『国際貢献』の名の下にテロ特措法という明らかに現憲法違反の時限法を強引に成立させ、アフガニスタン・イラク侵略戦争に『参戦』しているのです。
(続く)

No.293 (2007/09/27)シリーズ・テロ特措法批判A

西欧近代化の歴史は世界侵略の歴史

 もう少し近代から現代に至る、世界体制の世界史的な流れを見ておくことにします。

 日本の世界史教育では、どうも西欧ないし米国的な視点からの世界観で物事を解釈しているようです。現代の世界体制に続く近代の歴史は、大航海時代から始まる西欧の世界侵略の歴史と言ってよいでしょう。15世紀末期から、西欧諸国は科学技術の進歩を背景に、土地や資源そして市場を求めてアフリカ・アジア・アメリカ大陸・オセアニアへ争って侵略を開始しました。それは正に血塗られた略奪と虐殺の歴史です(例えば、本多勝一著『マゼランが来た』朝日文庫参照)。
 そのアジアへの進出の過程で、我国でもポルトガルによる鉄砲の伝来に始まる西欧との直接的な関係が始まります。日本は、地理的に西欧諸国から見て『極東』に位置しており、物理的に遠距離であったことと、徳川政権の鎖国政策によって、ペリー来航に見られる軍事的圧力は受けたものの、幸い徳川政権崩壊まで、直接的な領土侵略をまぬかれました。
 18世紀に産業革命を経て、まずイギリスが重工業化を成し遂げ世界侵略の先頭に立つことになりました。これに続いて西欧諸国、ロシア帝国による世界侵略が始まります。徳川政権末期には、アヘン戦争を経て清国が植民地化され、我国における植民地化に対する危機感は切迫したものでした。
 徳川政権崩壊の後を引継いだ明治政権は、天皇を頂点とする絶対主義的な戦時国家体制を作ることになります。徳川政権下で蓄積した職能集団を背景として、西欧文明を取り入れ、急速な工業化を成し遂げ、東アジアにおいていち早く近代的軍事国家化を完成させました。
 当時の西欧諸国による世界侵略という時代背景を考えるとき、明治政府が近代的軍事国家化を選択したことはある意味止むを得ない世界史的な必然であったのかもしれません。その後、日本は西欧諸国同様、近隣諸国への侵略を開始することになりました。

 その後の2度の世界大戦は、西欧諸国・米国・ソ連それに日本を加えた帝国主義国家による、実に利己的な植民地を巻き込んだ領土の奪い合いでした。その後、植民地の独立や東西冷戦を経て、ソ連・東欧社会主義圏の崩壊によって、現在の世界体制が形作られました。

国際連合という強盗団による警察組織

 第二次世界大戦の敗戦国となった日本は極東軍事裁判で戦争犯罪を裁かれ、幸いにして近隣諸国への侵略行為を不完全とは言え、反省する機会を得て、現在の平和憲法を制定することになりました。
 しかし本質的な罪とは、大航海時代から継続している西欧諸国の世界侵略に始まる、民族の自決権と領土を蹂躙し、多くの人々を死に追いやったことであり、この巨大犯罪は、戦勝国になったからといって免責されるべき犯罪ではないのです。
 しかし、現実には残念ながら戦勝国はその罪を全く裁かれることなく、第二次世界大戦後の局地戦の多くも、相変わらず米国や西欧、旧ソ連〜ロシアなどの経済的・戦略的な思惑によって引き起こされています。
 第二次世界大戦後に設立された国際連合の最も重要な安全保障理事会を実質的に牛耳っている常任理事国とは戦争犯罪を免責された戦勝国です。現在の世界体制とは、大航海時代以来、強奪と殺人を繰り返してきた強盗殺人犯に警察権を委ねた状態なのです。これでは、世界から武力衝突が無くなることを期待することは非常に難しいと言わねばなりません。
 特に中近東イスラム文化圏は豊富な石油資源を有しているため、米国や西欧諸国にとって、今でも何とか手に入れたい地域であることに変わりはなく、彼ら強盗国家は何らかの口実を見つけることさえできれば、今回のイラク同様、常にこの地域に対する武力による侵略を虎視眈々と狙っているのです。

 確かに第二次世界大戦後、表面上は米国西欧国家による直接的な武力行使による暴力的な世界侵略は影を潜めているように見えますが、彼らによる世界の支配体制のあり方は、戦前と本質的に何ら変わっていないのです。武力衝突が影を潜めているのは、むしろ米国西欧国家にとって都合の良い世界体制が既に武力を使う必要がないほどに確立しつつあることを示していると考えるべきなのです。

侵略戦争とは経済行為の一形態

 さて、西欧諸国が世界侵略を開始した背景とは、突き詰めると自国の産業を振興し、富を蓄積するために必要な資源を略奪することと、商品を売りさばくための市場を拡大することに他なりません。大航海時代に端を発する武力による植民地の略奪競争は第二次世界大戦まで続いたわけですが、あくまでも武力行使は手段であって目的ではなかったのです。むしろ戦争という武力行使は非常に高くつく手段ですから、出来ればあまり積極的には使いたくない手段です。

 ただ少し付け加えておきますと、現在の工業化された戦争における兵器はそれ自体が収益性の高い商品になっていますので、米国西欧国家の兵器産業は世界が完全に平和になることよりも、米国西欧国家にとって都合の良い現在の世界体制に直接関係ない局地戦争はむしろ歓迎しているのです。彼等の兵器産業が武器輸出をしていることが局地戦がなくならない主要な原因の一つであることは否定しがたい事実です。

 話を元に戻します。米国西欧国家による占領や植民地経営によって、占領地域では長年積上げられてきた地域の自然環境や精神的風土に根ざした行動規範や文化が破壊され、しだいに西欧合理主義ないし資本主義的市場経済が定着することになりました。
 第二次世界大戦後、植民地が独立しても、占領以前の伝統的な民族国家が出来たのではなく、旧宗主国である西欧国家の文化・社会・経済システムが大きな影響を与えることになりました。その結果、かつての多くの被占領地域は西欧国家の直接的統治が終了した後も、統治者が西欧国家から旧宗主国の傀儡である地域の有力者に入れ替わっただけで資本主義的世界市場に統合されることになりました。
 こうして第二次世界大戦後、米国・西欧国家は武力を使うことなく資源を自由に獲得し、工業生産物を売りさばく市場を手にすることが出来たのです。

中東に対する米国・西欧国家の身勝手な介入

 では中東はどうなのでしょうか?石油資源を持つこの地域は、米国・西欧諸国にとって、何とか手に入れたい、あるいは掌握したい地域です。2度の世界大戦においてもこの地域は英国や仏国、ロシアなどによって蹂躙されることになりました。
 イランは第二次世界大戦後、米・英の謀略によって傀儡パーレヴィによる王政がしかれました。しかし腐敗した王政に対するイスラム民主革命で王制は崩壊しました。成立したイスラム原理主義国家は、米国西欧国家にとって、経済的な懐柔では意のままにすることの出来ない実に厄介な国と認識されています。おそらく、イラクの次に米国西欧国家連合が侵略をする可能性が最も高い地域であろうと思われます。
 米国西欧国家連合は国際連合を舞台にイランの核武装を口実にイラン侵攻を画策するのでしょうが、歴史的に見れば凶暴な米国西欧国家連合のやり口に対抗すべくイランが核を含めた軍事力強化を行うのは理にかなった行動であり理解できます。国際連合は、イランの核武装を問題にするのならば、既に核を保有し、核兵器の使用をも辞さないという米国西欧国家連合の核をも問題にしなければ公正だとはいえません。
 一方、イラクは英国による統治政策によってクウェートとは切り離されて二つの国として独立しました。英国はイラクに傀儡の王政をしきますが、軍事クーデターによって王制は崩壊し、共和制を経て、サダム・フセインの軍事的な独裁国家になりました。かつて米国は隣国イランのイスラム原理主義国家を牽制するため、フセインに対して莫大な軍事援助を行っています。イラクはその後湾岸戦争で米国西欧国家との関係が悪化し、ついに9.11を口実にした全面的な侵略戦争によってフセイン政権は崩壊し、今また米国西欧国家の傀儡政権が作られようとしています。

 このように、第二次世界大戦後も、凶暴で身勝手な米国・西欧国家は、決して世界の平和のためや、正義のための戦争を行っているのではなく、相変わらず自らの経済的な利益を判断基準として行動しているのです。
(続く)

No.292 (2007/09/21)シリーズ・テロ特措法批判@

はじめに

 このコーナーでは、戦争や防衛問題について折に触れて言及しています。社会の持続可能性あるいは環境問題を考えるとき、その物理的な基盤、つまり国土を安定した状態で維持することが必要条件だと考えます。平和の無い地域に安定した自然環境は存在しませんし、災害に対して脆弱な土地にも安定した自然環境は存在しません。自然環境の安定あるいは持続可能な社会について考えるとき、主要な政治課題となるのが『防衛・防災』だと考えています。

 小泉・安倍と続いた米国盲従の日本の国家戦略は、日本を戦争あるいは武力攻撃の標的に巻き込む、非常に危うい状況に導きつつあります。当面する重大な問題であるテロ特措法の延長を批判する立場から、不定期のシリーズとしてこの問題を考えることにします。


 今日的戦争の発生の構造

 大航海時代から今日まで、西欧あるいは米国という、小泉や安倍の言う『国際社会』を牛耳っている国々は、時代によってその現われ方に多少の違いはあるものの、自らの極めて利己的な利益のための世界体制を築き、それを堅持しようとしています。
 2度にわたる前世紀の世界大戦は、戦勝国と敗戦国の多少の入れ替わりはあるものの、結局西欧と米国を中核とする国家連合の都合の良い世界の支配体制を武力によって築く行為でした。

 第2次世界大戦後も相変わらず米国を中心とする武力による世界体制の維持が続きましたが、冷戦あるいはベトナム戦争を経験した米国は、『費用対効果』から考えて直接的な武力行使による世界体制の維持が必ずしも有効でないことに気付きました。
 現在では、旧ソ連・東欧諸国、そして中国もまた資本主義経済体制による世界市場に組み込まれるに至り、多くの場合、戦争という極めて経済的に高価な手法よりも、経済援助の方が圧倒的に『安上がり』で『効果的』な統治方法になりました。しかも、経済援助は多くの場合好意的に受取られ、第三世界の中に米国・西欧先進国に対する羨望を生み、容易に先進国グループの傀儡政権が成立することになりました。
 旧ソ連・東欧の社会主義体制が崩壊して、事実上、米国・西欧先進国グループの行動規範に対抗する行動規範を持つ国とは、現在ではイスラム文化圏(この中にも既に先進国グループに屈服した国もありますが・・・)と独裁国家に限られています。これらの国は、当面経済援助だけでは先進国グループに対して全面的に屈服させることが難しいため、先進国グループはこの種の国家に対する対応として武力という手段を放棄していないのです。

 ただし、先進国グループと言えども闇雲に武力を行使することはありません。間借りなりにも、第2次世界大戦後に設立された国際連合という、戦争を管理する組織があるため、武力行使にも一定のルールが作られています。しかし、最も重要な安全保障理事会の常任理事国は前大戦の戦勝国の国家連合が牛耳っています。米国は意に沿わぬ決定については拒否権を発動する一方、どうしても武力行使を行うべきだと判断すれば、国際連合の決定など無くても武力行使に踏み切るのは、アフガニスタンやイラクに対する今回の侵攻を見れば明らかです(しかも米国がルール違反をしても国際連合にはこれを罰する力は無いのです!国際連合を中立な組織にするためには、安全保障理事会における特権的常任理事国制度を全廃することであって、日本が常任理事国に入ることではありません。日本が常任理事国入りを目指しているのは米国的な特権を手にしたいからにほかなりません。)。

 こうした世界体制下において、戦争ないし武力衝突が起こる可能性が最も高いのは、先進国グループと、これに対して服従しない国家体制を持つ国との間ということになります。しかしただそれだけでは先進国グループと言えども高価な戦費を拠出してまで積極的に侵略を行うようなことはしません。
 これに加えて更に二つの要素が決定的に重要です。まず一つは、先進国グループの繁栄にとって有用な『奪うべき』資源がその国の領土内にあること、あるいは世界戦略から地理的にその国の領土を占有したい場合です。そしてもう一つは、先進国グループの中で、その中核をなす核兵器保有国による武力による世界体制の枠組みを脅かす可能性を持つ、具体的にはNPT体制を無視して核兵器保有を目指しているかどうかです。

 いくつかの事例

 まず、9.11以降、米国を中心とする国家連合のアフガニスタンとイラクへの侵攻です。確かに9.11の米国本土におけるイスラム過激派アルカイダの武力行使は米国国民に衝撃を与えたのは事実ですが、これは米国ないし親米国家連合にとってはイスラム圏に侵攻する格好の大義名分を与えることになりました。
 米国ないし先進国国家連合にとって中東の石油権益はのどから手が出るほどに欲しいものですが、そこにはイスラム原理主義国家やイスラム独裁国家があり、経済的な懐柔では意のままにすることが出来ない状況でした。いくら石油権益が欲しくても、それを正面の大義名分として独立国家に軍事侵攻することはさすがに出来ませんでした。
 そこに『イスラムのテロ』が発生したことによって、驚くべきことに『防衛のための戦争』としてアフガニスタンやイラクに対して侵略を開始したのです。しかし、イラクには当初言われていた大量破壊兵器(核兵器、毒ガス兵器など)は無く、ましてアルカイダとの直接的な関係など無かったことは既に事実として明らかになっています。
 米国FRB前議長グリーンスパンが回顧録の中で述べている通り、このイラク侵略戦争の本質は米国が石油権益を掌握するための戦争なのです。
 今回の9.11以降の親米国家連合による武力侵攻は、御存知の通り国連決議の下で行われたものではなく、しかも開戦の前提となった大量破壊兵器の保有やアルカイダとの関係が事実無根であったことは事実として明らかになったのですから、本来なら国際連合は即時停戦を命ずると同時に、親米国家連合の行った侵略戦争を罰することが必要です。
 しかし、国際連合の安全保障理事会は、こともあろうにこの罰すべき侵略者である米国・先進国国家連合に対する日本自衛隊の後方支援活動を国際社会への貢献として評価するなどという馬鹿げた決議を行いました(2007.9.19)。フランスでは親米強硬派のサルコジが権力を掌握したため(NATOへも全面的に復帰する意向のようです。)、この大義のない決議に反対したのは僅かにロシア(棄権)と中国(議決後不満表明)だけであったことが、安全保障理事会が親米先進国連合に牛耳られていることを如実に示しています(これは、麻生や中川が外務省に働きかけて無理やりでっち上げた、米・欧理事によるお手盛りの決議です。ロシアが主張するとおり、日本という特定の国の内政問題に梃入れするために国連決議を利用するなど、国連の堕落は止め処ないようです。)。

 さて、これに対して実際に明らかにNPT体制を破っている国にインドとパキスタン(イスラエルもそうか?)がありますが、これに対する対応は全く違っています。その条件の違いは、まずこれらの国々は基本的に米国主導の世界体制に正面から反対しておらず、経済的な懐柔で容易に米国あるいは西欧先進国グループに従うこと、そしてもう一つは軍事侵攻してまで手に入れるべき資源がその領土内に存在しないことです。結局NPT体制は方便にすぎず、先進国グループの権益保護だけが目的なのです。

 同じ条件でも、社会主義的独裁国家である北朝鮮に対する対応はより高圧的です。軍事侵攻の前段階として、経済制裁までは実際に行っています。
 米国は、中国ないしロシアという資本主義的世界市場体制の新参者、あるいは外様である両国を、完全に掌握することが出来ないことを承知しています。米国は、中国とロシアのアジアにおける喉下に位置する韓国ないし日本に巨大な米軍基地を保持して、常にこの2大国に対する牽制をしておくべきだと考えています。そのような東アジアにおいて韓国に隣接する北朝鮮が反米姿勢をとり続け、核武装を目論むことは許せないというのが本音です。
 しかし、当面この中国・ロシア2大国と経済的には良好な関係を堅持するほうが米国にとって利益が大きいこと、またそのお膝元に位置する北朝鮮に軍事侵攻することは両大国との関係を悪化させること、そして何より、そのような危険を冒してまで手に入れたい資源が北朝鮮の領土内に存在しないこと、あるいは既に東アジアには韓国と日本という軍事基地があり、敢えて北朝鮮を占有する意味は大きくないことが、同じテロ支援国家というレッテルを貼ったイラクと北朝鮮に対する対応の決定的な違いとして現われているのです。

テロとは何か?

 現在、米国主導で『テロとの戦い』が叫ばれています。テロとは一体何でしょうか?明確な定義はないようですが、要するに米国を頂点とする、資本主義的自由経済=世界市場体制と、これを成立させている米国・西欧国家連合による軍事的枠組みに対する非国家組織による武力を含む実力による抵抗運動をテロと呼んでいるのです。
 つまり、武力という手段を用いる主体が国家ないし国家の正規軍の場合は『戦争』であり、反米国・西欧国家連合の立場をとる非国家組織の場合には『テロ』と呼んでいるに過ぎないのです。
 例えば、反米国家内における反体制組織=親米国・西欧国家連合の非国家組織の武力を用いた反体制運動に対して、米国・西欧国家連合はテロという言葉を使わず、『民主化運動』などと呼ぶのです。

 結論的には、米国の主導するテロとの戦いとは、米国・西欧国家連合の都合の良い世界体制に対する武力を含む抵抗運動を封じ込めるための、実に手前勝手な戦争を『防衛』の名の下に合理化するための方便にすぎないのです。
 米国の言う『テロとの戦い』を日本政府が説明するように、平和や自由に対する武力的な攻撃一般などと額面通りに信ずるナイーブで能天気なのは日本国民以外にはほとんど存在しないのではないでしょうか?
(続く)

No.291 (2007/09/12)振子はどう振れるか?

 ペテン師安倍がやっと退陣することになりました。遅きに失した対応です。所信表明演説の直後に政権を放り出す、無責任なお坊ちゃまぶりにはあきれ果ててしまいます。

 さて、問題は後釜に誰が座るのか、です。小泉・安倍と続いた戦後最も米国盲従・好戦的な内閣の路線を引き継ぐのか、国粋的な好戦勢力が台頭するのか、あるいはハト派的保守内閣が成立するのか・・・。

 麻生をはじめとする安倍シンパを残すような首のすげ替えでは何も変わらないのです。はたして振子はどう振れるのか?

No.290 (2007/09/12)国際社会?テロ?

 ペテン師安倍は、自ら米国の傀儡であることを、またしても露呈しました。国会における議論を前に、米国に対してテロ特措法という違憲法を根拠にしている自衛隊の米軍支援を継続することを半ばブッシュに公約しました。全く国民を省みず、米国のタイコモチよろしくひたすらブッシュの顔色だけを気にしているのです。

 安倍は、『国際社会』による『テロ』との戦いを離脱することは許されない、と言います。安倍の言う『国際社会』とは、米国の力(武力)による凶暴な世界戦略及び、これに追随することによってそのおこぼれに与ろうとする卑しい国家の連合体にすぎません。
 『テロ』とは米国の凶暴な武力による弾圧に対して、米国傀儡政権に代わる非国家組織によって行われる武力による抵抗です。米国の国家・正規軍による武力弾圧は許されても、非国家組織による武力による抵抗は許されないなどというのは、米国のご都合主義にすぎません。
 だからテロが許されるとは言いません。既に繰り返し述べてきたように私は絶対平和主義を標榜していますので、テロの暴力にも反対します。しかしそれ以上に米国の国家としての武力弾圧=国家テロこそ最も憎むべき行為だと考えます。
 第二次世界大戦後、正規の(これも変な話ですが・・・)軍事行動のみならず、謀略や反体制勢力に対する梃入れなどを含めて、最も悪辣なテロ支援国家とは米国自身です。一説によるとアルカイダ自体、その成立に米国CIAが深く関わっていたとも言われます。

 しかし、イラクに対する米国の侵攻は安倍の言うテロとの戦いとも全くかかわりの無いものです。その本質は、油田地帯に位置するイラクという米国の意に従わぬ国家に『大量破壊兵器』を保有する凶暴な『テロ支援国家』という濡れ衣を着せて、国家体制の破壊と米国傀儡政権の樹立を行おうとする一方的な侵略戦争なのです(この際、イラクのフセイン政権が暴力的な独裁政権であったか否かは問題ではありません。これはすぐれて内政的な問題であり、他国が武力的に介入すべき問題ではありません。)。
 米国はこの侵略戦争を『防衛のため』と称しているのです!国家は『防衛』という言葉をどう拡大解釈するのか、憲法改正を目指す安倍自民党の本質を私たちは厳しく問わなければなりません。

 我国の自衛隊は、米国による『根も葉もない濡れ衣』を信じて作られたテロ特措法によって、米国の侵略戦争に加担しているというのが実体です。イラクには大量破壊兵器は無く、アルカイダへの国家的な支援関係も無く、テロ特措法の前提は既に崩れ去っています。本来ならば、時限立法の期限以前に廃止すべき法律なのです。

 我国は、平和憲法の精神に立ち戻り、直ちに米国のイラク侵略戦争から撤収すべきです。暴力的な米国を孤立させることこそ、日本の真の国際貢献だと考えます。

No.289 (2007/09/06)地球の危機を救うお金の使い方

 9月3日にTBSで『MUFG(三菱UFJフィナンシャル・グループ)スペシャル 未来の子どもたちへ 地球の危機を救うお金の使い方 』なる番組が放送されました。これは、例えばトヨタが提供する『素晴らしい宇宙船地球号』という番組と同種の番組です。
 MUFGやトヨタという、現在の資本主義社会の中で儲けまくっている金融資本あるいはメーカーが、その資本力を背景に、儲けの一部の涙金でエクスキューズのための事業をしていることを宣伝し、作られた二酸化炭素温暖化の脅威を更に自らの企業活動の駆動力に転化するという、正にウルトラEの企業戦略です。

 TBSのHPから番組紹介の記事を以下に紹介します。

世界の危機を救う重要なキーワードは“お金”
温暖化、異常気象、水不足や海面上昇…と、今もなお、刻々と進んでゆく環境破壊。
また、改善に向かっているとはいえ、未だ地球上には10億人近い人々が、1日1ドル以下の生活を強いられているという貧困問題。
我々が住んでいる地球には、つい目を背けてしまいがちな問題がたくさんある。
実は、地球が抱えているこれらの問題、これを決するための重要なキーワードが、“お金”なのだ。

あなたのお財布の中には“可能性”が眠っている
「自分が地球のために出来ることなんて、あるわけないよ…。」
そう思ったそこのアナタ! いま持っているお財布を開けてみよう!
今回、この番組『未来の子供たちのために 地球の危機を救うお金の使い方』では、あなたのその財布の中にあるお金が持っている、凄いパワーをお見せする!!
地球の問題は、私たち自身の問題。「もう手遅れ」だなんてあきらめるのはまだ早い!
あなたのお財布の中には、地球の危機を救い、多くの子どもたちの未来を切り開く“可能性”が眠っているのだから…。

 彼等の考え方は極めて明白です。愚かな気象学者や先進国国家連合が捏造した二酸化炭素地球温暖化の脅威に対して、イメージ的に『環境に優しい』という施策を推進することによって、更なる企業成長の駆動力にしようとしているのです。
 これは正に法螺吹きゴアの主張であり、番組にも紹介された米国俳優デカプリオの主張そのままです。彼等は金に飽かせて、環境に優しい設備を備えた豪邸に暮らし、環境に優しいハイブリッドカーという高価な商品を購入して見せるのです。

 既に先進国は工業的な物資が氾濫しており、スクラップ・アンド・ビルドの速度を速めると同時に途上国の製品との差異化のために最新技術による新規事業分野を開拓することが必要となっています。
 例えば日本では、スクラップ・アンド・ビルドの速度を速めるためにIT産業では、携帯端末に矢継ぎ早に新機能を付加した製品を投入し続け若年利用者の欲望を煽り、また地上波デジタル放送によるアナログ受信装置の一気のスクラップ化をたくらんでいます。
 更に自動車業界では「環境に配慮した」高価格車の所有への動機付けとして二酸化炭素温暖化の脅威を煽り、税制面でも優遇することにより、乗用車のスクラップ化を早めようとしています。
 また、似非環境技術によるエネルギー技術を中心とする新規産業分野の開発にも二酸化炭素地球温暖化による脅威を最大限に利用していることは、トヨタ・松下・電力各社をはじめとする巨大企業のテレビCMを見れば一目瞭然です。

 番組では、アマゾンの乱開発やバングラデシュの貧困問題を取り上げました。正にこれこそ凶暴な先進国国家連合が築き、守り続けようとする彼等にとって有利な世界市場・資本主義経済のシワ寄せを受けた姿です。
 問題の根底にあるこの凶暴な世界体制を、更に強化することしか考えていない金融資本や巨大企業は、カムフラージュのために儲けの一部で宣伝効果の高い『偽善事業』を行っているに過ぎません。

 事の本質を見誤ってはなりません。凶暴な先進国国家連合の集金・強奪した泡銭で環境問題や国家間の経済格差による途上国の貧困の悲劇は決して改善されることはありません。偽善事業は先進国への羨望を生み、途上国の住民は更に強固に世界市場に組み込まれ、同時に途上国の富裕階層に先進国国家連合の精神的傀儡を作り出す効果しかありません。途上国に対する二酸化炭素排出量削減要求やグリーン開発メカニズムは、途上国の自発的な自立を抑制し、先進国国家連合への依存を固定化するために機能することが目的であることは、最早明らかです。
 我々日本人を含む先進国国家連合の住民は、この金融資本や巨大企業の世界戦略の一翼を担わされていることに気付かなければならないと考えます。

No.288 (2007/08/22)ドブに捨てられる1兆円

 厳しい残暑が続いています。天気予報の気温のデータを見ていると、当地(大分県)よりも沖縄県のほうがはるかに過ごし易いようです。確かに今年の夏は太平洋高気圧が安定しており、晴天日が圧倒的に多く、したがって地表に届く太陽放射が多く、降雨と地表水の蒸発による冷却効果が小さいことが連日の猛暑の主要な原因の一つです。地表面をアスファルトやコンクリートで塗り固めた都市部の地表面は、カラカラに乾燥して更に激しい暑さであろう事は想像できます。
 ただ今年のマスコミの猛暑報道はこれまでの『二酸化炭素温暖化』一辺倒のコメントは影を潜め、赤道付近の貿易風が強まった結果によるラニーニャ現象の影響という説明が目立つように思います。これは一体何を意味するのか???

 さて、前回の内容とも多少関連がありますが・・・。政府は来年の洞爺湖サミットを意識してか、目玉政策として、今後10年間で1兆円を投入して二酸化炭素排出量削減技術の開発を行うということです。この税金の投入は地震予知よろしく失敗に終わることは既に明らかです。この事業の中心課題として以下の3点が報道されています。

@製鉄業における高炉の還元剤をコークスから水素へ転換する。
A太陽光発電の変換効率を現行の3倍〜4倍にする。
B輸出用小型原子炉の開発。

 @については、一体水素をどうやって作るつもりでしょうか?高炉からの二酸化炭素排出が減ったところで、高炉に投入する水素製造プラントの稼動による二酸化炭素排出増加を考えれば、はたして総合的に二酸化炭素排出量を削減できる可能性は・・・?
 Bは、要するに日本の原子炉メーカーの途上国向けの販促技術を開発する補助金であり、二酸化炭素排出量削減とは何の関係も無い技術です。

 Aに関しましてはこれは全く絶望的な目標です。これを検討する前に、HP閲覧者の方(お仕事は電気関係の技術者です。)から頂いたメールの内容を紹介します。メールによりますと、現行の太陽光発電装置の主要部材であるシリコンウエハーの製造に投入される電力量を回収するためには、晴天日が続いたとしても25年間の運転が必要になりますが、25年という期間は太陽光発電装置の耐用年数を超えており、回収は不可能との事です。
 実際には太陽光発電装置はシリコンウエハーだけで構成されているわけではなく、付帯装置が必要なわけで、太陽光発電装置を製造するために投入された全エネルギーを回収することは、更に絶望的に不可能だということです。太陽光発電に期待していらっしゃる環境保護団体の諸君、あるいは無能な行政担当者諸君、この現実を直視していただきたいと思います。

 さて、まず現行の太陽光発電装置の性能を見ておくことにします。太陽光発電装置の性能は、標準試験条件(日射強度1000W/m2、太陽電池温度25℃=298K)の発電能力で表します。太陽光発電装置のエネルギー収支は形式的に以下のように表されます。

w = q1(1.0 − r) − q2

ここに
w :発電能力(W/m2
q1:日射強度(=1000W/m2
q2:廃熱(W/m2
r :太陽光発電パネルの表面反射率(=0.1)

 さて、廃熱q2の主要部分は太陽光発電パネルからの赤外線放射になります。赤外線放射強度は、太陽光発電パネルの温度が分かればステファン・ボルツマンの黒体輻射の公式から近似値が求められます。q2の近似値を求めると次の通りです。

q2 = 5.67×10-8×2984 = 447 W/m2

 以上から理想的には、太陽光発電装置の発電能力は次式で与えられます。

w = 1000(1.0−0.1) − 447 = 453 W/m2

 実際には、現在の太陽光発電による太陽放射の電気への変換効率は20%程度、つまり w = 200 W/m2 程度です。実際には太陽光発電パネルからの赤外線放射以外にもシステム全体の損失があるためにこの程度の発電能力になるのです。理想的な発電能力に対する実効発電能力の比率を効率η=200/453=0.442としておきます。

 太陽光発電装置を屋外環境で運用する場合、夏至の南中時の太陽放射(全天放射)強度q1は1000W/m2程度、太陽光発電装置の表面温度は60℃=333K程度です。廃熱は

q2 = 5.67×10-8×3334 = 697W/m2

 効率を一定とした場合、この時の実効発電能力は、

w = {1000(1.0−0.1) − 697}×0.442 = 90W/m2

になります。
 実際の太陽光発電装置の屋外の発電実績からは、真夏の南中時の変換効率は10%程度、発電能力にして1000×0.1=100W/m2程度ですから、概ね妥当な推定値と考えられます。

 太陽光発電装置の改良とは、システム全体の損失を出来る限り小さくし、効率η<1.0を出来るだけ大きくすることです。既に現状でη=0.442程度であり、システムの損失を全くなくすことが出来たとしても、最大1/η=2.26倍までしか効率を上げることは出来ないのです。現実的にはほとんど変換効率は限界に達しており、色素増感などという小手先の技術で大幅な改善は考えられないのです。

 ここで行った大雑把な検討だけでも、今回の1兆円はほとんど金をドブに捨てるようなものであることがお分かりであろうと思います。政策を立案する政府の無能はほとんど犯罪です。更にこの金にたかる研究者集団は正にペテン師集団です。最も不幸なのはこうした無意味な政策について、科学的判断能力が欠如した玄関ネタ情報を垂れ流すしか能の無いマスコミ報道の無能です。

No.287 (2007/08/21)地震・原発・温暖化

 地震予知が本格的に開始されて、半世紀がたとうとしています。私が学生だった30年ほど前には、既に東海沖の大地震の可能性が取り沙汰され始めていました。私の知人の中にも地震予知に携わった者もいます。
 地震に関する研究はそれなりに進み、定性的にはその発現の機構はほとんど解明されていると言ってよいでしょう。しかし、この間に発生した阪神・淡路大震災を含めて、激甚な被害をもたらした大地震でさえ未だかつて事前に予知されたことはありませんでした。
 実際の地震に関するデータとは、時間的にも空間的にも離散的なデータであり、私たちは本来地震という現象の発現に対して確率的な認識しか出来ないと考えられます。しかも、地震という現象のタイムスケールは人間の一生に対して長く、一生のうちで大地震によって直接被災する確立は非常に小さいと考えられます。
 私たち実生活者個人、あるいは現在の社会システム全体にしろ、地震予知に求めるものは極めて時間的にも空間的にも限定された、ほとんどピンポイントの地震予知情報です。これは当然のことであり、「今後10年間にこの地域で震度○以上の地震が50%の確率で起こる可能性がある」という類の情報はほとんど無意味と言ってよいでしょう(註)

(註)確かに日本は地震の多い国です。地震がいつ何処で起こるかは確定できないのですから、その対応は出来るだけ地震が発生したときのリスクを低減する国土利用計画を進めることです。具体的には過度の人口密集地を作らず、人口、社会機能を分散することで対応すべきでしょう。
 実際には大都市圏への一極集中が続き、都市はますます巨大化・高層化が進んでいます。このような状況で地震予知など全く御笑い種です。

 しかし、前述のように本質的に地震という現象の発現は確率論的にしか予測できない現象なのです。地震の専門家であればこのような基本的なことは先刻承知のはずなのですが、彼等はこの点については口を閉ざし続け、「観測体制の充実」「研究費の増額」によって予知は可能なのだと言い続け、税金を掠め取ってきたのです。
 最近は「緊急地震情報」に関するCMがNHKから頻繁に流されています。結局50年間にもわたる「研究の成果」は地震の予知は出来ないので、地震が発生した時点で縦波(P波)の到達を観測した上で、横波(S波)の到達を知らせることになったのです。最近の理科教育は良く知りませんが、縦波と横波の伝播速度の違いについては私達の中学生の頃には教えられていた事柄です。何を今更・・・というのが素直な感想です。こんな結果を得るために50年の歳月が無駄に費やされたのです。

 こうした事象は何も地震予知に限ったことではありません。原子力発電然り、また気候予測シミュレーション、温暖化対策技術開発然りです。

 原子力発電では、当初から核廃物処理が大きな問題であることは分かっていましたが、将来的に放射能を無力化する技術の実用化が可能だとして見切り発車しているのです。放射能を無力化することなど不可能なことはほとんど自明のことであったのですが・・・。そして電力会社は「緊急地震情報」よろしく放射性廃棄物の地下300mの埋設処分「NUMO」のCMを行っているのです。

 100年後の局地気象を「予測」することは、地震予知以上に困難なことです。全地球的な気象現象は地震以上に小さな擾乱の影響を受けやすく、処理すべきデータも莫大な量になり、第一気象現象の発現機構さえまだ良くはわかっていない状況では、現状の気候予測はコンピューターゲームに過ぎず、その予測精度(?)は占い以下ですし、将来的にも実用になる可能性はありません。気候予測も地震予知と同じ道を歩むことになることは避けられません。

No.286 (2007/08/13)演繹主義の陥穽

 このところ、『熱』とか『力』と言う、普段何気なく使っている言葉について考える機会を得ました。日常的にあまり深く考えずに使っていた言葉です。
 この日常言語である熱や力と言うものを科学の言葉ではどのように定義しているのか?ここでは『力』について少し考えてみようと思います。

 日常生活の中で五感を通して感じる力にはどんなものがあるでしょうか?物を押したり持ち上げたりする力、風呂に入ったときに感じる水圧、疲れたときに感じる重力(笑)、磁石の力などなど・・・。このような力は、実体のある力と言ってよいだろうと思います(物理学的にはかなりいい加減な表現になりますが、筆者の能力的な限界ですので、御容赦ください。)。これらの実体力は視点(座標系)を変えても常に存在する、保存量と呼ばれるものです。

 さて、御存知のニュートンは、物体の運動とその物体に作用する力を関連付けてニュートンの運動法則を定式化しました。結論的には『F=mα』という式で表現されます。Fは物体に作用している力であり、mは物体の質量、αは物体の加速度(速さの時間に対する変化率)です。つまり、運動している物体の速さを変化させる何かを『力』と定義したわけです。
 ニュートンの運動法則を使う場合あまり意識していませんが、ニュートンの運動法則が成り立つためには大変重要な前提があります。ニュートンの言う物体の運動とは、絶対静止座標系で表した物体の運動なのです。絶対静止座標系とは、その中心に位置する観測者から見て、力の作用していない物体は静止しているか、あるいは等速直線運動している様に見える座標系のことです。
 絶対静止座標系に対して等速直線運動をしている座標系を慣性座標系と呼びます。絶対静止座標系で表した加速度と慣性座標系で表した加速度は一致するので、より正確にはニュートンの運動法則は、絶対静止座標系か慣性座標系で観察される物体の運動に対して成り立つのです。
 逆に言うと、絶対静止座標系か慣性座標系以外の座標系における物体の運動に対してはニュートンの運動法則は成り立たないのです。

 さて、私達の住む世界は地球ですが、地球は地軸の周りに約1日に1回の自転運動を行い、約1年に1回太陽の周りを巡る公転運動をしています。更に太陽系自体も宇宙空間の中を運動しています。私たちは、自転し、公転する地球に固定された座標系で物体の運動を観察しているのです。ですから、厳密には地球上で成立する物体の運動方程式は宇宙空間のどこかに絶対静止座標系の存在を仮定した慣性座標系上で成立するニュートンの運動法則と全く同じではないのです。あるいは地球に固定された座標系から観察した物体の運動の変化は実体力(だけ)では表せないのです(註)

(註)有名な仮想力(慣性力)にコリオリの力があります。物騒な例で恐縮ですが、これは長距離砲弾の弾道の軌跡程度の規模になると明らかに影響が出てくるようです。最近の逸話としましては、フォークランド紛争のときに英国から派遣された軍艦の艦砲射撃において、砲弾が標的から外れるという現象がおきたと言います。これは、通常北半球で軍事行動することを前提とした英国海軍の艦砲は、北半球におけるコリオリ力を想定して調整されていたのですが、これをそのまま南半球のフォークランド諸島に派遣したために北半球とは逆方向にコリオリ力が作用する事で起こったのです。
 さて、大気中に発射された砲弾に作用している実体力とは何でしょうか?重力と、大気から受ける表面力(摩擦抵抗、風など)と言うことになります。ところが、こうして弾道計算して発射された(長距離)砲弾は、標的をそれてしまいます。あたかも重力とは別に水平方向に弾道を曲げる力が作用しているように・・・。
 この現象が起こるのは、私たちが乗っている地球に固定された座標系が慣性座標系ではなく、地軸の周りに回転する座標系だからです。発射された砲弾が着弾するまでに地表のほうが移動するために、地表に固定された観測者からは、あたかも砲弾のほうが力を受けて曲がったように『見える』のです。
 回転している地球に固定された座標系を便宜上慣性座標系とみなして実体力だけを作用させた弾道計算によって発射された砲弾は標的をそれてしまいます。これでは実用的に利用できません。この現象を回避するためにはどうすればよいでしょうか?座標の回転による見かけの弾道の曲がりを表現するために、弾道を曲げるような力が作用しているとして弾道計算を行うのです。実際の砲弾には作用していませんが、回転する座標系を慣性座標系とみなして砲弾の運動を模倣するために付加的に加えられるこの仮想の力をコリオリ力と呼びます。
 この弾道計算では全く実用上問題ないように見えます。ところが実際の砲弾にはコリオリ力という実体力は作用していないのです。砲弾のように、質点ないし剛体と見なせるような物体の運動に対しては大きな問題になりませんが、体積をもち、変形する物体の運動では決定的な違いになる可能性があるのです。

 気候シミュレーションは、地表に固定された座標系を慣性座標系と見なすことにより、海水や大気の運動をニュートンの運動法則に基づくNavier-Stokes(ナビエストークス)の方程式を用いて数値計算しています。地球の流体(粒子)は力を受けることによって容易に変形するだけでなく、有限の表面積を持つ球状の地球が自転するために、この自転運動はそれぞれの流体粒子の運動にたいして絶対静止座標系や慣性座標系とは異なる影響を与えます(有限の表面積を持つ地球の大規模な流体運動に対して、地球の自転効果による擬似慣性力を含むニュートンの運動方程式を北半球の右手座標系(または南半球の左手座標系)で演繹的に適用することは何を意味するのか ・・・、詳細な議論は、連載『気候シミュレーションとは何か』で御報告します。)。

 『F=mαが力なのだ』という表現で全ての力を説明できるのだと言う、一見科学的に厳密に見える定義は、その一番重要な前提条件を見落とした(あるいは故意に無視した)結果、適用範囲を逸脱した行過ぎた演繹主義の陥穽に陥っているのです。

No.285 (2007/08/07)続・ペテン師安倍に一言

 昨日は広島において平和祈念式が開催されました。広島市長ならびに小学生の言葉は、基本的に賛同できるものでした。
 しかし、この式典に参加した安倍の言葉には驚きと共に怒りを覚えます。戦後最も好戦的内閣の一つであり、憲法9条の改悪を中心とする、戦争国家への道を拓くことを内閣の主要な課題と位置づける安倍は、「憲法と非核三原則を遵守し、被爆者を再び作らない」と言ったのです。
 彼の内閣の政策とこの発言には一体どういう整合性があるというのでしょうか?彼の内閣の政策を変えないのであれば式典での彼の発言は全くの嘘っぱちであり、式典での発言が本当ならば、これまでの彼の内閣の政策を180度転換することを意味し、ある意味彼の支持者への裏切り行為でしょう。
 まあ、後者である可能性はほとんど無いでしょうが、いずれにしても安倍がご都合主義のペテン師であることだけは動かしがたい事実です。このようなペテン師で不誠実な風見鶏野郎に日本の国政を付託する状況は一日でも早く解消したいものです。

No.284 (2007/08/02)ペテン師安倍に一言

 このところ、団塊の世代には馴染みの深い二人の著名人が鬼籍に入りました。一人は作家小田実であり、もう一人は作詞家阿久悠です。いずれも1970年台に活動を始めた人物です。私が違和感を覚えたのは、マスコミ報道による扱いです。私は小田実のシンパではないし、全面的に彼の行動を支持するものではありませんが、少なくとも社会的な意味において小田実のほうがより重要な人生であったと考えます。
 民法の芸能番組やワイドショー、週刊誌で阿久悠が取り上げられるのは致し方ないとして、『天下のNHK』のニュースや新聞メディアでの扱いを見ても明らかに阿久悠に割かれた時間・紙面のほうがはるかに多いように感じます(実は、NHKニュースで小田実の死亡を伝えた報道を見ていません。)。これが現在の日本の思想状況の一端を示していると考えるのは穿ち過ぎでしょうか?

 閑話休題、今週行われた参議院選挙結果は予想通り民主党の一人勝ちになってしまいました。諸手を上げてよかったと言うことが出来ないのは前回触れたとおりです。
 この選挙結果から言える事は、小泉退陣後に選挙を経ずに成立した安倍政権の施策に対して、投票した有権者の多くが反対であると言う意思表示をしたことです。この選挙において、安倍は自ら政権選択の選挙であると言明し、安倍を取るか小沢を取るかが争点と言っていました。これはある意味正しいと言ってよいでしょう。
 選挙結果を受けてまず最初に行うべきことは、衆議院を解散して改めて安倍の政権構想を民意に問うこと以外にありません。
 『選挙には負けたが、構造改革は間違いない路線なのでこれを推し進める』などと言うのは非論理です。投票した有権者は正に安倍の言う構造改革路線に反対しているのです。これでは表立った暴力的な手段は使わないにしろ、民意を無視して遂行される独裁政権の政権運営と変わるところが無いではないですか!

 いつになるかはまだ流動的ですが、次の衆議院選挙では言行不一致のペテン師安倍政権に鉄槌を下さなくてはなりません。

No.283 (2007/07/26)参院選、温暖化・憲法・・・

 参議院選挙が迫ってきました。日本おいて政治についての世論調査を行うと、勿論調査内容そのものに大きな問題があると思いますが、まず間違いなく政治についての関心事項の第一に挙がるのは『景気対策』あるいは『経済政策』になるようです。
 これは本来非常におかしなことだと思います。確かに、日本の保守党、特に小泉・安倍政権では露骨な資本優遇、弱者切捨ての経済政策によって、繁栄の中の生活困窮者の増大という相反する現象が起こっています。経済状況の改善を願う気持ちは理解できます。
 しかし、この現象の本質は富の配分機構、更に言えば現在の日本の経済・社会システムの問題であって、『景気が悪い』からもっと経済成長することによって解消される問題ではありません。日本の政府や企業は更に経済規模を大きくすることでこれを解消できるかのような幻想を植え付けようとしていますが、経済規模=パイを大きくして、庶民の得るおこぼれを少し大きくするなどと言う欺瞞的な政策では、更に貧富の格差を増大させることにしかなりません。
 既に日本の人口一人当たりの工業的生産を基盤とした経済規模、産業規模は必要以上に大きくなっています。正にこれこそが環境問題の本質的な原因です。問題は、産業規模を縮小しつつ、富の分配の社会的公平を実現するにはどうすべきかと言うことです。
 資本主義自由経済の下では、資本とは、非合法でない限り(あるいは見つからなければ非合法であっても)、徹底的に労働者や消費者から搾取して財貨をむさぼる化け物なのです。こうした国における国家政策とは、本来資本の暴走を抑制し、資本が収奪的に溜め込んだ財貨を政策的に弱者個人に再配分する社会制度や経済システムを具現化することなのです。空前の企業利益をむさぼる大資本に対しては手厚い減税措置を用意する一方、個人所得に対する課税を増大させる現在の安倍保守政権は正に亡国の政府です。

 私の極めて個人的な見解ですが、現時点で国家の社会・経済システムにおける緊急の課題とは、温暖化対策というおろかな環境対策と、もう一つは日本を米国の世界戦略(ここには軍事だけでなく経済政策も含む)に追随する米国傀儡の戦争国家にしようとする憲法問題だと考えています。この二つの問題は日本の国のあり方の根幹をなす問題であり、当然経済的問題にも大きく影響することになります。
 残念ながら、温暖化対策については、『科学的』を標榜する共産党や社民党を含み、全ての既成政党が同じ方向を向いており、環境翼賛国会の様相を呈しており、現時点では政策判断の材料にならないことは非常に憂慮すべき問題です。
 残るは憲法問題に対する姿勢です。私は環境問題という側面も含み、絶対平和主義こそ日本にとって最も現実的な安全保障の枠組みだと考えています。
 この点から見て、現政権、つまり自民党と公明党は議論の余地無く選択すべき政党ではありません。では民主党はどうか?民主党は本質的には改憲をめざす、即ち国際貢献という幻の下に日本の軍事国家化を容認するおろかな政党であり、米国の民主党にあこがれる政党です。勿論日米軍事同盟を彼等は肯定しますし、米国の残虐な世界戦略も本質的に肯定しているのです。経済政策でも、更なる経済成長を無条件に肯定します。彼等のおろかな環境政策などお話になりません。
 残るは、共産党、社民党、そして9条ネットという事になります。彼等の温暖化対策・環境政策は全くどうにもなりませんが、次善の選択肢としてはこのいずれかに投票するしかないと言うのが私の現在の立場です。さて、どうしたものか・・・。

No.282 (2007/07/23)原子力発電の脆弱性と経済性

 これまで、このHPではあまりこの種の問題には触れてきませんでした。それは、まず日本における原子力発電の存在の意味は、もともと核武装のための技術を担保するための『軍需技術』の偽装に過ぎないこと、それ故民生技術としての電力供給技術としての安全性云々の前に、もっと議論すべきことがあるという認識からです。また、原子力の安全性についてはこのHPであえて取り上げなくても多くの情報が既に存在することも理由の一つです。
 既に、このHPでは、二酸化炭素地球温暖化脅威説批判§8.石油代替エネルギー技術の技術評価、石油代替エネルギー供給技術の有効性の検討 2-2 原子力発電あるいはプルサーマル、もう一つの意味などで原子力発電について触れてきました。ここでは少し違った角度から原子力発電の問題について考えてみようと思います。

原子力発電システムの脆弱性

 原子力発電は、蒸気タービンによって熱エネルギーを運動エネルギーに変換して発電機を回すことによって発電を行います。蒸気タービン以降の構造は石油火力発電と本質的に同じです。原子力発電の特殊性とは、原子炉内で起こる核分裂反応の際に発生する熱を蒸気発生器の熱源として利用するという点です。
 原子力発電の根源的な欠陥とは、核分裂反応の制御の難しさと、核分裂反応という生命体にとって有害な放射線を放射する現象を利用する点です。

 原子力を取り扱うシステムは、放射能の生命体に対する危険性のため、基本的に通常操業においては、できる限り人間による直接的な関与を行わないように設計されることになります。
 しかしながら、保守・点検・整備作業を完全に自動化することは不可能です。通常操業に於いてもこれらの作業は作業員が行うことになります。こうした作業を行う労働者に対しては、『許容される放射線被曝量』が定められています。つまり、この種の作業は放射線被曝を前提として、日常的に労働者の命を削って遂行されているのです。
 原子炉に近い放射線密度の高い区域での労働では、1日許容放射線量は数分間で被曝してしまうことも珍しくないと言います。建前としては、1日の許容放射線被曝量を越えた段階でその労働者の1日の仕事は終わるのです。つまり、原子力施設における保守・点検・整備作業の賃金とは、作業員の放射線被曝量を買っている、もっと言えば労働者の命の対価とも言えるものなのです。
 しかしその実態は、ゼネコンに就職し原子炉関係に配属された私の後輩によると、放射線量を計測するアラームを入れておくと、ほんの数分でアラームが鳴り出し作業にならないのでアラームは切っておくことが多いそうです。おそらく、下請けの末端労働者の作業環境はもっと悪い状況にあることは間違いないでしょう。
 こうした賃金は高いかもしれませんが、劣悪な労働環境に長年勤める労働者はそれほど多いとは考えられません。つまり、原子力施設の末端の現場労働者には『熟練工はほとんど存在しない』と考えるべきです。それ故、原子力関連施設で事故が起こる場合、労働者の判断ミスは必然的に起こりうると考えるべきです。しかしそれは原子力発電システムの構造的な問題なのであって、直接的に事故に関わった作業員個人の問題に帰するべきではないのです。

 更に、今回の柏崎の例を見ても明らかなように、事故というものは基本的にどのような形で発生するかは予測不能です。事故対応のマニュアルを如何に整備しても、役に立つ保証はどこにもないのです。事故が発生した場合の現場における緊急の対処は、現実的には対症療法的な対応しかないのです。火災が発生すれば消火作業を行い、漏水があれば漏水を止めるなどなど・・・。マニュアルや訓練によって、総合的に見て正しい判断を即座に下すことが可能だというのは幻想です。また、正しい判断であったとしてもそれによって事故が致命的な結果に至らないという保証はないのです。
 今回の事故は今のところ致命的な事故、例えば熱暴走や炉心溶融に幸い至らなかったようですが(ただし炉心が傷ついている可能性は否定できないようです。)、かつての大事故、例えばスリーマイルやチェルノブイリのような事故では、秒単位で変化する原子炉の反応状況に対して、適切な処置を下すことなど、ほとんど不可能と考えるべきです。また、事故処理作業では通常作業と比べ物にならない放射線被曝を受けることは避けられません。

 労働者の放射線被曝を前提とする非人間的な労働や、『些細な人的な判断ミスも許さない限界的なシステム』であること自体が原子力発電システムの本質的で致命的な脆弱性であり、欠陥なのです。

 今回の中越沖地震の柏崎原発の被害状況から浮かび上がった問題は、これも古くからいわれてきた問題ですが、日本のようなプレートの境界面に位置する島嶼は、必然的に地震災害から逃れることは出来ないということです。柏崎の場合、安全審査段階の調査不足があったことは事実でしょうが、長期的に見れば日本のいたるところが地震に見舞われる可能性を否定できません。
 原子炉本体の建屋は比較的高い地震力で設計されているかもしれませんが、付帯設備の耐震強度はかなり低いようです。原子力発電システムは、原子炉と周辺施設がパイプあるいは制御系のラインでつながっています。個々の施設が崩壊しなくても、これをつなぐパイプや制御系ラインの結節点は構造的な弱点になります。
 柏崎は言うに及ばず、日本の原子力発電所の多くは、臨海部の比較的人口密度の小さい地域の埋立地に立地しています。これは原発立地点で大きな地震が起こった場合、かなりの確度で地盤の液状化の発生が予想されます。液状化が起こった場合、上戴荷重が大きければ(例えば原子炉建屋)沈み、軽ければ(例えば制御棟)浮き上がることによって相対的な変位量に差が生じ、結節点での破断の可能性が高いと考えられます。今回の変圧器火災もこのケースだと考えられます。
 更に、原子炉建屋のようにそれ自身は強固であって形状を保持しても、内容物も同様に加振され、固有振動数の違いや振動モードの違いによって、内部損傷などが起きる可能性は否定できません。今回の地震においてドラム缶につめられた放射性廃棄物貯蔵プールの荷崩れやプールの水が溢れ出したのもこのケースに当たります。
 まだはっきりは分かっていませんが、放射性ヨウ素漏れから、あるいは炉心が損傷を受けている可能性も否定できません。また、熱効率を重視した冷却系の細管に損傷がある可能性は高いでしょう。

 原子力発電システムのような巨大システムにおいては、どんな些細な故障であっても、それを原因にシステム全体が致命的な破局に至る可能性は否定できず、絶対安全な原発など作ることは不可能です。

原子力発電の経済合理性

 今回の地震から、原子力発電システム全体の構造的な脆弱性が明らかになりました。これを克服するためには、更なるシステム全体の耐震安全性の強化が浮上することになります。しかし、これは原子力発電による電力のエネルギー産出比が更に低くなることが前提となります。既にこのHPで何度も触れてきたことですが、原子力発電に対する安全性の要求が高まれば高まるほど、原子力発電のエネルギー(=石油)利用効率は低下するのです。しかし、いくら資源を惜しみなく投入して強固なシステムを作ったとしても、絶対安全という保証は有り得ません。現在でさえ全く石油火力と比較してエネルギー産出比の高くない原子力発電の経済合理性は全く成り立たなくなるのです。
 かといって安全性を無視し致命的な事故が発生した場合の社会的な損失を考えれば、更に大きな犠牲を覚悟しなければならないのです。

 問題解決の方法は最早誰の目にも明らかなはずです。一刻も早く日本国中の原子力発電を廃棄する以外に、民生用の原子力利用における選択肢は存在しないのです。

原子力利用の真の目的

 おそらく、国は安全性の強化によって原子力発電を継続し続ける方針を出すでしょう。原子力政策とは、平常操業時でも末端労働者に被曝の犠牲を強い、一度大事故になればその影響は計り知れない人的物的被害が高い確度で予想されるにもかかわらず、決してやめようとしません。このような犠牲を前提とする社会システムの存在を民生用のシステムとして運用し続けることは、許されないことだと考えます。
 起こるかどうかわからないのに二酸化炭素地球温暖化に対しては早急に対応を行う国が、石油火力よりもはるかにエネルギー利用効率が低く、しかも事故の可能性が格段に高い原子力発電システムを保持し続けると言うのは論理矛盾です。
 こうした国の政策の背後にある真の目的は、核の軍事利用以外に合理的な説明は不可能です。折りしも小泉・安倍政権は憲法9条を改悪し、軍事力の保持を明確化し、現政府の外務大臣麻生や防衛大臣小池は核武装容認論者であることは周知の事実です。
 日本の軍国化・核武装は更に問題を悪化させます。原子力発電所あるいは再処理施設はプルトニウムという軍事物資を扱う準軍事施設になるのです。これは原子力関連施設が軍事的攻撃の標的となることを意味しています。近い将来、全ての原子力発電所に軍隊が常駐するようになる可能性が高いと考えられます。更に、日常生活の中に軍事物資が移動する社会は、必然的に超管理社会になる可能性が高いと考えられます。

 原子力発電を全廃し、憲法9条を堅持し、日米軍事同盟から脱却して不戦国家であることを名実共に明らかにすることこそ、日本における最大の安全保障であることを理解していただきたいと切に願います。

No.281 (2007/07/18)Newton、岩波「科学」に見る温暖化論

 6月の環境月間以降、世の中の温暖化熱は異状である。TVではNHK・民法を問わずやたら温暖化の脅威を煽るCMが流れる。NHKの「あすのエコではまにあわない」なんていうのは、極めつけであろう。
 仕事の買出しで家電量販店大手のベスト電器に行くと、大音量の館内放送で『ベスト電器は温暖化防止の国民運動に参加しています!』とやっている。

 

『国民運動』などと言うと、戦前の国防婦人会を連想して、背筋がゾクゾクしてしまう。二酸化炭素地球温暖化ファシズムもいよいよ本格化してきていることを感じる。
 その一方で、家電量販店を始め、重工・電機・自動車メーカーなど日本の主要産業において、温暖化ファシズムはまたとないマーケット拡大の追い風なのだと実感する。

 出版業界でも温暖化は流行である。この6,7月に相次いで温暖化を特集した科学雑誌が発売された。一つは科学系のビジュアル雑誌『Newton』であり、もう一つは比較的お堅い、良識的リベラル層に支持される岩波書店発行の『科学』である。いずれも50ページをこす大特集記事である。

 

 Newtonの特集記事は、監修が国立環境研究所参与の西岡修三である。協力者として三村信男(茨城大学広域水圏環境科学教育センター教授)、沖大幹(東大生研教授)、林陽生(筑波大学生命環境科学研究科教授)、阿部理(名古屋大学大学院環境学研究科助教授)という面々である。つまり国立環境研究所という国家組織の二酸化炭素地球温暖化仮説支持の立場からの一方的な温暖化観を紹介する特集である。
 注目すべきはPART2『地球温暖化の原因は何か?』だけと言ってよい。PART1は、データの信頼性はともかく、観測データの紹介が主であり、特にコメントはない。PART3、4は何の科学的な裏づけのない予想に過ぎないので評価に値しない。
 さて、PART2であるが、冒頭の『気温は「太陽放射」と「反射率」、そして「温室効果」で決まる』が彼等の考え方と限界を明瞭に示している。彼等は地球の大気温度を決める機構を単純な放射過程として理解し、説明しようとしていることがわかる。
 その結果、気候システムにおいて気温に影響を与える因子として三つを挙げるのである。すなわち『これらのメカニズムをふまえれば,地球温暖化の原因として疑われるのは次の三つです。一つは「太陽放射が強まった可能性」,次に「反射率が低くなった可能性」,そして「温室効果が強まった可能性」です。』と主張する。
 『大気温度はどのように決まるか』で述べた通り、地球の下層大気の温度構造は水を中心とする大気循環と大気の重力的な安定性とによって大枠が規定される。
 かつて真鍋が行った放射平衡モデルによる大気温度構造のシミュレーションは、現実にはありえないような大気温度の鉛直分布を示したため、計算によって求めた温度減率が非現実的な値になると、何の計算も行わずにいきなり実際の大気における経験的に知られている温度減率で置き換えるという、いわゆる『パラメーター調整』を行ったのである。これを放射対流平衡モデルなどと称している。
 要するに放射平衡モデルでは大気温度分布は現実とはかけ離れたものになるため、大気の重力的な安定に基づく大気の対流によって決まる現実の温度分布(温度減率)をカンニングしたのである。
 PART2の冒頭の主張は放射過程によって気温が決まると言う主張であり、それに関連する因子として太陽放射強度、反射率、温室効果を挙げているのである。これは、まったく現実を無視しているだけでなく、愚かにも過去の失敗に何も学んでいないようである。

 PART2では、その後色々なデータを並べるが、相変わらず最終的には気候シミュレーションによる計算を根拠として、人間活動による二酸化炭素濃度の増大が気温上昇の原因である可能性が高いと結論する。

 Newtonの特集は取り立てて目新しい情報も無く、内容の乏しいものであった。一方的な情報源からの記事ではあったが、大気中の水蒸気濃度を1〜3ppm(本来ならばおそらく1〜3%)としたのは御愛嬌(善意に解釈して捏造ではあるまい)として、それほど悪質な特集ではなかった。

 岩波書店の「科学」における地球温暖化特集は、このHPでは既におなじみの顔ぶれを含めて、やはり二酸化炭素温暖化仮説を支持する研究者を集めた特集となっている。Newtonとの違いは、こちらは各研究者の記名記事が掲載されている点である。

 著者の顔ぶれは、本木昌秀(東大気候システム研究センター)、江守正多(国立環境研究所)、住明正(東大サスティナビリティ学連携研究機構)、藤井理行(国立極地研究所)、羽角博康(東大気候システム研究センター)、原沢英夫(国立環境研究所)、河宮未知生(海洋研究開発機構)、松野太郎(海洋研究開発機構)、明日香壽川(東北大学東北アジア研究センター)、そして神保哲生(ジャーナリスト)である。

 全体としては、特集の名が示すとおり、IPCC第4次報告を下敷きにした、気候解釈や気候シミュレーションについての動向の紹介となっている。この特集の中で、特徴的であったのが、松野太郎のレポートと明日香壽川×神保哲生による対談である。この二つの記事は、温暖化に対する二酸化炭素地球温暖化仮説支持グループの基本的な立場とその心象風景を明確に表している。
 この二つの記事に共通するのは、彼等が「懐疑論」と呼ぶ二酸化炭素温暖化仮説に対する科学的な問題点の指摘に対する苛立ちとその排斥である。

 まず松野太郎のレポートを見てみることにする。松野太郎は何の具体的な検証を示さず
「私が見た範囲では,議論に基本的な知識の不足や誤りがあったり,科学的立論の筋道に乗っていなかったりするものばかりで,通常の学問論争の対象となしえない.」
と言う。私が知る限り、彼等は二酸化炭素温暖化仮説について提出された疑問に対して正面から議論したことがない。これは彼の単なる感情的な意見であり、現実とは異なる。
 また松野は二酸化炭素温暖化仮説の正当性を次のように述べる。
「いうまでもなく温室効果は,地球をはじめ金星・火星など惑星大気の温度構造を説明するもので,二酸化炭素・水蒸気を主とした気体分子の物理に基礎を置く揺るぎない理論である.」
と言う。二酸化炭素や水蒸気が特定波長の赤外線を吸収することは物理学的な事実であるが、それと地球温暖化とを直接的に結び付けるなど無理である。これでは明日香壽川やNHKの「ためしてガッテン」と同レベルの主張である。「気候の専門家」である松野の主張とも思えない。
 また、彼は
「このような荒っぽい議論ではなく,放射・対流平衡理論に立ち,分子の赤外吸収のデータを丁寧に扱って地球大気の温度構造を定量的にみごとに説明し(Manabe&Strickler,1964),・・・」
と真鍋のシミュレーションを称揚するが、この点については既に述べた通りであり、大気温度構造を放射過程として考えることには無理があったのである。
 更に彼は
「まず,温室効果ガスの濃度は,直接の観測によって精度よく測られている.それらが大気中にあった場合,赤外線の流出を妨げ地球を暖める効果,つまり温室効果をもたらすが,その大きさは,分子の赤外分光データと放射伝達方程式によって間違いなく求めることができる.」
と言う。前半は観測技術の問題であり、後半は彼等のシミュレーションが正しいとした場合の仮定の議論であり、同列に述べるのはまったく筋違いである。

 結局松野の主張は、あくまでも論拠を気候シミュレーションが正しいと言う仮定を前提としており、何ら実証的な確認が出来ていないことを告白しているのである。

 明日香壽川と神保哲生の対談は更に低劣な内容である。ここではまったく科学的な検証を抜きにした、二酸化炭素温暖化仮説に対する問題点の指摘=彼等が「懐疑論」と呼ぶ主張に対する二人の予断と思い込みによるレッテルはりと誹謗中傷が繰り返されている。
 明日香の主張に一貫して流れているのは「コンセンサス主義」である。彼の公開しているネット上のレポートや環境経済・政策学会の報告でもそうであるが、ここでも彼の持論が展開される。
『コンセンサスは科学ではないかもしれませんが,コンセンサスは科学の「結果」であることは確かです.少なくとも,「コンセンサスは科学じゃないから」という理由で温暖化対策を先延ばしするのは,まったく無責任な態度だと思います.』
と言う。コンセンサスは科学ではないと言う理由で二酸化炭素温暖化仮説を否定するものなど存在しないのであり、彼の主張は話のすりかえである。
 蛇足であるが、日本の学会組織においては、二酸化炭素地球温暖化仮説に対する科学的な批判レポートはよほど粘り強い対応をしない限り握りつぶされるのが実情である。例えば槌田による二酸化炭素温暖化仮説に対する科学的批判論文はエントロピー学会、物理学会、そして今また気象学会でも正当な理由が示されぬまま握りつぶされようとしている。今年2月に物理学会誌にようやく掲載された槌田の論文は、掲載までに2年もの時間を要したのである。
 また明日香は、
『・・・論争好きだけど専門外の大先生が,海外にも日本にもいます。・・・残念ながら「批判的・大局的・相対的に世界を見ている自分」や過去の成功体験に酔っているところがあると思われます.』
と揶揄する。これはまさに予断による下司の勘ぐりである。
 これに対して神保は、
『ただ,私が少々違和感を禁じ得ないのは,懐疑派というのは,主流派の主張にケチをつけているだけであって,匹敵する対案を提示しているわけではありません.にもかかわらず,ケチをつけて,それがメディアに紹介されると,論争が五分五分の互角になっているかのような印象を与えてしまう面があることです.』
と言う。彼は科学論争の意味をまったく理解していない。二酸化炭素地球温暖化仮説の科学的信憑性を議論しているのであって、二酸化炭素地球温暖化仮説に変わる気候の変動機構を議論しているのではないのである。
 更に神保は、
『つまり,ラウド・マイノリティ(声の大きな少数派)を前面に押し出すインターネットの特性が,記者の不勉強と相まって,本来の中身の正当性や有効性に関係なく,懐疑論があたかも説得力のある正当な主張であるかのような扱いをメディアにさせてしまっている面があるのではないでしょうか.』
と言う。
 神保と言う人物は報道する立場にいながら、暗に「懐疑論」がメディアに紹介されることを排斥しようと考えているようである。記者の不勉強は彼自身に向けられる言葉であろう。彼は、
『懐疑論信奉者のほとんどが,そもそも懐疑論を理解する以前の問題として,地球温暖化のメカニズムすらきちんと理解できていないのに,なぜか懐疑論には簡単に乗っかれてしまっているような気がします.』
と言う。彼は理解しているのか?
 これを受けて明日香は言う。
『懐疑論が魅力的なのは,まず「お上や大学の先生の言うことの多くはうそ」「多数派が正しいとは限らない」と反射的に思ってしまう,ある意味では健全な市民感覚のようなものを刺激するのだと思います.もちろん,「少数派の方がかっこいい」と思っているところもあると思います.』『懐疑派の人たちは,何となく宣伝がうまいのも事実です.』『単純に話がうまかったんだと思います.』
などなど。

 対談は私自身あるいはこのHPに対する個人的な攻撃(これも事実を歪曲しているが・・・)も含めて更に続くが、まさに反吐が出そうな下劣な内容なので、紹介はここまでとする。

 明日香壽川の発言内容については、既に個人的に彼の処世術を直接知っている私にとっては意外性はない。この対談では新たに神保哲生と言う人物もまたジャーナリストに値しないと言うことがわかったのが収穫である。
 しかし、最大の問題は、比較的良識的でリベラルな出版社と考えていた岩波書店ないし「科学」編集部が、現在科学的な議論が進行中の問題である二酸化炭素地球温暖化仮説について、一方的な情報だけを採用しただけに止まらず、明日香や神保のような非常に情緒的で非科学的な論者を使って、誹謗中傷によって二酸化炭素温暖化仮説に対する批判的な意見をメディアから排斥しようと言う論調に同調したことである。「科学」は自ら自殺行為に加担したのである。科学編集部の諸君はそのことを銘記しておかなければならない

 蛇足であるが、明日香と神保の対談記事はあまりにも低俗な内容であるため、逆効果であったようである。

追記:
 対談の中で、明日香・神保は、二酸化炭素地球温暖化説に疑問を呈する者に対して、資本の既得権益死守の片棒を担いでいる、あるいはネット世論は保守的あるいは右翼的勢力に近いという印象を匂わせ、自然科学的な問題点の検討以前にレッテルはりによって『懐疑論』を切り捨てようとしている。
 その反面、明日香・神保の両氏とも、アル・ゴアの擁護には熱心である(クライトンは嫌いな様である。)。果たしてゴアの個人的な生活様式と彼の主張はまったく関係ないなどと言うことが出来るだろうか?明日香・神保の立場は米国民主党的リベラル派の代表なのだと主張しているようである。ゴアのほとんど捏造とも言えそうな恐怖宣伝を擁護する彼等に科学性を期待することは出来そうもない。
 大資本は既に二酸化炭素地球温暖化仮説を最大の収益の源とする体勢を整えている。原子力・自然エネルギー発電の普及は重工・重電メーカーにとってはまたとない追い風である。また高価なエコカー市場は先進工業国グループの自動車産業にとっては巻き返しのチャンスである。弱電分野然り。
 明日香の
『時代は確実に変化しており,新しいビジネスモデルも出てきています.リスクをチャンスに変えることができるかは,トップ・マネジメントの判断次第だとも思います.』
という発言はこうした大資本の戦略と『不思議な』呼応を示しているように感じる。

(2007/07/19)

MENU

Design by Megapx  Template by s-hoshino.com
Copyright (C) 2013 環境問題を考える All Rights Reserved.