No.465 (2010/03/30)温暖化対策の政府広報

 いよいよ本格的に温暖化対策についての国家的な洗脳が始まったようです。先日、電気料金の明細とともに経済産業省による「太陽光発電の余剰電力買取」に関する次のようなビラが投函されていました。

おそらくすべての電力会社を使っての全戸配布なのでしょう。
 その数日後、今度は新聞折込で見開き4頁の政府広報が配られました。

 その内容は、家電メーカー・建築業界・太陽光発電パネルメーカー・自動車メーカーの販促広告です。これを政府広報という形で税金を使って宣伝しているわけです。更にここに紹介されている『地球温暖化対策』を実現するために、貧困層にはかかわりの無い商品を富裕層に購入させるために大量の税金が投入されることになるのです。
 こうした政策は、確かに関連業界にとっては経済活動を活発にするためのカンフル剤として一時的な効果が期待できます。しかしその結果、不要不急の工業生産規模の拡大とエネルギー利用効率の低下が起こり、環境問題は更に深刻化し、投入された税金は関連メーカーに吸収されるだけです。

 Climategate事件だけに止まらず、地球温暖化仮説の自然科学的な信頼性が揺らぎ始めています。更に政府広報で述べられている温暖化対策は、たとえ人為的なCO2温暖化仮説が正しいとしても、科学・技術的に見るとその効果はほとんど無意味、それどころか更に状況を悪化させるものばかりです。
 拙速なカッコつきの温暖化対策を実施する以前に、こうした本質的な論議をすることこそ、今本当に行うべきことなのです。科学・技術的に何ら裏づけの無いこの様な愚かな政策に莫大な税金を投入することは国策詐欺の謗りをまぬかれないものです。

No.464 (2010/03/24)気象学会訴訟一審判決に対する私見

 前回、速報で気象学会訴訟の概要を報告しましたが、これに対する私の私見を述べておきたいと思います。

 この訴訟の目的は、勿論、気象学会誌編集委員会によって掲載が拒否された槌田−近藤論文の科学的な主張の当否を判断することではなく、気象学会が気象学の問題について開かれた自由闊達な議論を行うことを回復することを目的としたものです。

 私自身は裁判についてはまったくの素人ですし、どちらかといえば原告側に近い立場であることは否めませんが、それにしても今回の判決は素人目にも論理的に杜撰すぎるように思われてなりません。

 まずこの訴訟は自然科学の学会における学会組織とその会員の間に生じた問題であることを確認しておかなくてはなりません。気象学会定款第2章 目的及び事業 第4条において「この法人は、気象学の研究を盛んにし、その進歩をはかり、国内及び国外の関係学会と協力して、学術文化の発達に寄与することを目的」とする組織だと規定されています。それを実現するために、気象学にかかわる問題について、科学的レベルを維持しつつ自由闊達な議論を行う場を会員に提供することが気象学会の究極の目的だと考えられます。気象学会の規約はこの目的を実現するために定められたものと考えられます。

 こうした中で、査読制度の意味とは、議論の科学的レベルを維持するための最低限のチェックを行う制度です。当該論文が、過去に結論が確定しておらず(確定した過去の結論を覆すような新事実が確認された場合は例外とする)、かつ科学的・社会的に重要な問題であることを前提に、基礎データの信頼性の問題、数学的な取り扱いの誤りの有無など、科学論文としての最低の必要条件を確認することが求められる機能だと考えます(それ以上の、論文における個別の主張について判断を行うことは査読の範囲を逸脱するものです。)。

 私は今回の判決を論理的に破綻した支離滅裂な判決内容だと感じています。まず、論文内容の科学的な判断、あるいは被告気象学会の掲載拒否理由の科学的な判断について、裁判所はこれに一切介入しないという立場を終始一貫した判決であれば、それは原告にとっては誠に不本意ではありますが、それなりに論理的な一つの判断であろうと考えます。
 つまり、判決において、気象学会の規約に「機械的に」照らして、必要な査読を行い、これを受けて編集委員会が決定した結論であるから手続き的になんら問題は無く、気象学会の掲載拒否は正当な編集権の行使とみなす、という手続き論に限定した判決であれば裁判官の能力の限界として致し方ないと考えます。

 ところが今回の判決では、論文掲載拒否が正当な編集権の行使とみなすためには(手続きが正常に行われていることを前提に=必要条件)気象学会誌編集委員会の掲載拒否理由について、相応の科学的根拠を持つこと(=十分条件)が必要だとしています。ここで、判決は被告気象学会の論文掲載拒否理由の内容の判断に踏み込んでいるのです。

 そして本件に関しては、「…仮に当該掲載拒否の理由について,投稿者からみて科学的には異論が十分にあり得たとしても,拒否行為が相応の科学的根拠に基づく以上,不法行為は成立しない。」としています。
 この文章は、被告の掲載拒否理由にも原告の主張にも科学的・合理的な内容があると述べているものと理解します(明らかにいずれか一方が正しく他方が誤りなら議論の余地はありません)。

 裁判所は、
@科学的な議論の判断に踏み込み
A被告・原告双方の主張に合理性・科学性を認める
のであれば、被告主張はこの段階では論文掲載拒否の相応な科学的根拠とみなすことは出来ないと判断すべきです。被告主張が「論文掲載拒否の相応な科学的根拠」たり得るためには、被告の主張によって原告の主張が明確に否定可能な場合でなければなりません。
 被告主張、原告主張ともに科学的・合理的である場合に、いずれか一方の主張、今回は被告側主張のみを「裁判所の判断」で正しいと認定し、原告側主張を退けるというのはまったく非合理的な判断=論理的に破綻した支離滅裂な判断と考えます。あるいは被告側に立った偏向した判断であると考えます。

 裁判が論文掲載拒否理由の内容に踏み込んだのですから、判断に必要な範囲内で被告側主張と原告側主張のいずれが正しいかを科学的・合理的に判断する以外に合理的な判定は出来ないはずです。これについて原告側代理人の柳原氏が再三提案したように、特許を扱う裁判におけると同じように、必要最低限の範囲で科学審査を行うことが裁判所には必要だったと考えます。これを行わずに安易な判断を行った裁判所は怠慢の謗りを否定できないと考えます。

 仮に、科学審査会の場においても裁判所の判断が決定できないのであれば、それこそ気象学会の場で議論を尽くして結論を得るべきでしょう。すなわち、「被告・原告双方の主張が裁判所で判断不能なほど高度な科学的な内容を有しているのならば、被告は原告論文を採用すべき」と判断すべきです。

 以上が私の考えです。

 ただし、今回の問題はそんな高尚な(?笑)内容ではありません。被告が主張する「現象の短期的な傾向の分析によって長期的な傾向を論じている」という事実自体が槌田−近藤論文には存在しません(私たちは35年間に及ぶ観測データを散布図にまとめ、その回帰直線から現象を合理的に説明したにすぎません。そこに観測された現象の時間スケールの入る余地は無く、気温とCO2濃度変化率の二者関係を示したのです。)。つまり被告の拒否理由はありもしない理由をでっち上げたものであり、不当です。

 この様な単純な事実の確認すら怠った今回の東京地裁の判断は実質的に被告の立場に立った不当判決だと考えます。槌田氏は東京高裁に控訴する予定です。

No.463 (2010/03/20)気象学会訴訟一審判決文の公開

 去る3月18日に東京地方裁判所において、気象学会による気象学会員に対する権利侵害に関する訴訟(原告:槌田敦)に対する判決が言い渡されました。判決は原告の請求を棄却するというものです。この判決自体は予想したとおりでしたが、判決文は如何にも情けないものでした(詳細は本編の「気象学会訴訟一審判決文(2010/03/18)」をご覧ください)。

 この裁判の目的は二つでした。
 まず一つは、言うまでも無く侵害された権利の救済でしたが、これについては当初から(私自身は)それほど期待していませんでした。とは言え、請求を棄却した裁判所の判決は不当判決だと考えています。
 もう一つの目的は、日本気象学会が査読制度を悪用して、非科学的なこじつけの理由によって槌田−近藤論文の掲載を拒否したという事実を公文書に残すことでした。これについては概ね目的を果たせたと考えています。判決は請求棄却ではありましたが、この判断が誤っていることを公文書たる当の判決文を読むことで確認できるからです。つまり、判決文の請求棄却の判断が論理的に破綻していることを公文書として残すことに成功したと考えています。

 判決では、投稿論文の掲載の請求に対する諾否の判断における学会誌編集委員会の裁量権は無限の自由裁量権ではないことを認めています。掲載を拒否するという裁量権を行使するためには、相応の科学的で合理的な掲載拒否理由が必要だと認定しています。
 そこで問題となるのが、掲載拒否という裁量権の行使の正当性を担保する事実とは何か?ということになります。裁判所の判断の誤りは二点です。
 まず第一点は被告気象学会編集部の「短期的な現象の分析で長期的な現象を説明している」という誤った、あるいは故意に曲解した主張を、『高度の科学的専門知識をもつ査読者ないし編集委員会の判断である』という、非論理的な理由で正しい判断であるとしたことです。これは事実上の判断の放棄です。これでは、査読者や編集委員会の過誤があった場合、つまり例えば本件のように、専門家の判断であれば科学的に誤った掲載拒否理由による裁量権の行使は正当であると言っていることになります。これでは、学会誌編集委員会は事実上無限の自由裁量権を持っているということと同義です。
 第二点は、科学的な事実の解釈には多様性があるとしたことです。確かに自然科学的な観測結果について解釈が分かれる場合があることは当然です。しかしその場合は、いずれが正しいかが確定するまでは双方が正しいものとして同等に扱うべきものです。それ故、査読者ないし編集委員会の判断だけが一方的かつ絶対的に正しいとして、当該論文を排除することには科学的な正当性が存在しません(むしろ自然科学の発展からすれば自殺行為のように思えます。)。
 しかし今回の問題はそれ以前の問題です。今回問題とされた「短期的な現象の分析で長期的な現象を説明している」という被告の主張は、槌田−近藤論文にはもともと存在しないのですから、これは単なるでっち上げによる屁理屈にすぎません。

 今回の訴訟は当初から、被告気象学会誌編集委員会の「短期的な現象の分析で長期的な現象を説明している」という掲載拒否理由が不当であるとして提訴したにもかかわらず、訴訟を担当した東京地裁の裁判官はついにその判断を一切放棄した上で判決を下すという怠慢を犯したのです。本来ならばこの掲載拒否理由についての合理性の当否についてこそ十分な審理を尽すべきだったのですが、終始被告側の裁量権の範囲という形式的な議論にのみ時間が割かれたことを遺憾に思います。まあ、これが裁判官の能力的な限界なのでしょう。

No.462 (2010/03/13)気象学会訴訟判決とClimategate

 来週3月18日に気象学会に対する損害賠償訴訟(原告:槌田敦)に対する判決が言い渡されます。

 この訴訟は、気象学会という「気象学の研究を盛んにし、その進歩をはか」ることを目的とする組織の会員の学術講演会における発表と学会誌への論文発表を行うという中心的な権利に対する侵害行為を争点としています。
 気象学会の主張は、学術講演会や論文発表の許諾の判断は、専ら気象学会(学会誌では学会誌編集部、学術講演会では実行委員会)の無限の自由裁量によって決定するものであり、講演拒否や論文掲載拒否に権利侵害の違法性は無いというものです。
 この気象学会の主張は、学会組織という研究者の自由な意見交換や研究の発展に資するという目的にてらして、異常なものだと考えます。もしこの気象学会の主張が許容されるならば、学術講演や論文発表は気象学会を牛耳ろうとする一部のボスの思惑、もっと有態に言えば私的な目的のために特定の主張に集約されたり、あるいは特定の主張だけを排除することが可能になるからです。
 今回の訴訟では、学術講演会での講演の申し込みに対する諾否は、大会事務局のまったくの自由裁量で決定することが出来るとしています。これは気象学会執行部の横暴であり、権利の濫用だと考えます。
 気象学会誌「天気」投稿論文の掲載拒否の理由は、査読者の判断によるとされています。学会組織の機関誌に掲載される論文について、その学術的な質を担保するために査読制度を導入している学会が一般的であろうと考えます。しかし、査読者に正当な判断能力が無い場合、あるいは故意に歪曲した判断を下す場合、あるいはこれを受けた編集部が査読意見を曲解した恣意的な判断を下す場合が避けられません。
 学会組織における学術講演会への講演申請に対する諾否の判断、あるいは学術論文の掲載の諾否の判断においては、学会執行部の自由裁量の範囲を制限すると同時に、客観的かつ合理的な判断基準を明示することが必要です。その上で否認の場合には、否認理由を明確に通知した上で、その判断理由に過誤があり合理性が無い場合には、当事者の異議申し立て等を受け付ける救済措置を講ずることが必要だと考えます。

 さて、昨年11月に発覚したいわゆるクライメイトゲート(Climategate)事件で流出した電子メールのやり取りの中に、人為的CO2地球温暖化仮説に異議を唱える研究者の論文発表を組織的に妨害するために、査読制度を悪用した論文の締め出しが行われていた状況を示すものが含まれていたと聞きます。
 この事件にはIPCCに大きな影響力を持っている欧米の大学や研究機関が多数含まれていることがわかっています。おそらくこうした状況は欧米だけにとどまらず、日本の気象に関連する多くの学会組織でも同じような状況が起こっていると考えるべきでしょう。

 今回の気象学会の槌田―近藤論文の掲載拒否理由(「短期的な現象の分析によって長期的な現象を解釈している」という拒否理由。詳しくは訴状をご覧ください。)は、論理的にまったく誤った主張であり、気象学会誌編集部の一方的な過誤に基づいています。過誤による論文掲載拒否という判断が正当だというのであれば、一体何のための査読制度なのでしょうか?過誤に基づく裁量権の行使には合理性は無く、論文掲載拒否の判断は会員の権利の侵害に相当するものだと考えます。

 この裁判に対して、どのような判決が下されるのかは予想がつきません。しかし、気象学会員の皆さん、「気象学の研究を盛んにし、その進歩をはか」るという当初の気象学会の目的を実現するためには、判決の法的判断の如何にかかわらず、学会内における自由闊達な研究交流を可能にするための組織・制度改革が是非とも必要であろうと考えます。


No.461 (2010/03/08)Climategate事件と日本の報道

 昨年11月、COP15を前に、IPCCに対して絶大な影響力を持つイギリスのEast Anglia大学・気象研究所(CRU)所長であり、地球温暖化問題の“世界的権威”であるPhilip Jones教授の電子メールがリークされるという、いわゆるClimategate事件が起こり、西欧諸国では温暖化問題に対する自然科学的な信頼を根底から揺るがす大問題となっています。
 リークされた膨大な電子メールによると、彼らは人為的CO2地球温暖化の脅威を煽るために組織的なデータの改竄や事実の歪曲を行うだけでなく、彼らの主張に異議を唱える研究者に対して、査読制度を悪用して論文の握りつぶしを行い、出版社に圧力をかけるなどして、異論が世論に広まることを妨害してきたことが明らかになりました。
 まさに日本における気象学会の編集委員会や東大IR3Sによる温暖化懐疑論や否定論に対する不当な対応と同じことが世界的な規模で行われていることが明らかになったのです。
 IPCCの地球温暖化問題についての自然科学的スキャンダルは今年になっても収まるどころか更に拡大しています。彼らの主張の中に自然科学的には何の裏づけも無い事実の歪曲や誤りが含まれている事例が次々に発覚してきています。おそらくこの様な状況では今年のCOP16はほとんど会議の意味を成さないものになるのではないでしょうか。
 更に、IPCCパチャウリ議長の排出権取引にまつわる疑惑など、泥沼の様相を呈してきています。日本においても原子力発電業界の利益を代弁する元東大総長小宮山氏が東大IR3Sを使って「地球温暖化懐疑論批判」という謀略冊子を手土産に三菱総研理事長に就任し、そして政府戦略会議へと食い込んでいます。

 世界的な規模で人為的CO2地球温暖化仮説をめぐる自然科学的な信憑性が根源的なところで揺らいでいるにもかかわらず、日本国内ではClimategate事件についての報道はほとんど無く、ことの重大性がまったく見向きもされていないのです。日本のマスコミ・報道機関は今日も能天気に住宅版のエコポイント制度のニュースを流しています。このギャップは一体何なのでしょうか?!日本のマスコミ・報道機関の無能ぶりは、極限にまで来ているようです。

 先週末、米国のある国家研究機関の日本人研究員であるH.M.氏から、アメリカ海洋大気圏局(NOAA)における気温観測データの改竄についての情報をお知らせいただきました。本編に「科学史上最悪のスキャンダル」として公開しましたので、ご覧いただきたいと思います。

Climategate事件と日本の報道機関の無能 (2010/03/08)
「化学」Vol.65.No.3(2010) Climategate事件 東大生研 渡辺正.(2010/03/09)
「現代化学」2010年1月 ホッケースティック曲線の何が間違いなのか 横浜国大 伊藤公紀.(2010/03/09)

No.460 (2010/02/19)東大訴訟第一回口頭弁論について

 東大IR3S『地球温暖化懐疑論批判』に対する槌田敦氏の名誉毀損訴訟の第一回口頭弁論が来週2月23日10:00から東京地方裁判所第411法廷で行われます。
 この訴訟では、原告槌田敦氏は代理人を立てずに槌田氏自身が法廷に立つことになります。

 これに先立ち、被告東大からの答弁書が提出されましたので、公開しました。内容につきましては槌田氏の訴状と比較しながらご覧いただきたいと思います。

 答弁書の中で奇妙なのが、『当事者』についての記述です。東大IR3S『地球温暖化懐疑論批判』の著者の一人である、「東京大学 山本政一郎」氏の身分が、当時東京大学の職員であったことを否認している点です。これは、職歴詐称ということなのでしょうか?一体何のためにこの様な記述をしたのでしょうか?このあたりは口頭弁論によって明らかになるでしょう。

 東大IR3S『地球温暖化懐疑論批判』という自然科学的に見るときわめて低劣な内容の冊子を、なぜ敢えて東大IR3Sという権威組織の名前の下で発行しなければならなかったのか、その社会的・政治的な背景を明らかにすることがこの訴訟の歴史的な意義であろうと考えています。もし条件が許すならば、多くの皆さんの傍聴をお願いいたします。

裁判傍聴案内
東京地方裁判所

追記:
 ネット上で山本政一郎を検索したところ、それらしい肩書きが見つかりました。
http://www.jstage.jst.go.jp/article/jinstmet/74/1/74_61/_article/-char/ja/


日本金属学会誌
Vol. 74 (2010) , No. 1 pp.61-63
[PDF (175K)] [引用文献]

遠藤小太郎ほか論文「極地の氷の融解と海面水位変動に見る環境情報の伝達問題」の中の誤解について
明日香 壽川1), 山本 政一郎2), 朝山 慎一郎3)
1) 東北大学東北アジア研究センター
2) 独立行政法人産業技術総合研究所地質情報研究部門
3) 株式会社時事通信社


なぜ産総研という立派な肩書きがありながら、勘違いで間違うはずの無い東京大学という肩書きにしたのか、ここには何らかの明確な意図があることは明らかでしょう。今のところ、ネット版の「地球温暖化懐疑論批判」においてもまだ訂正されずに誤ったままの肩書きが残されているようです。(2010/02/26)

「地球温暖化懐疑論批判」発行の経緯と経歴詐称の意味 (2010/03/15)New!

No.459 (2010/02/18)天気投稿論文英語版の公開について

 既に報告したとおり、気象学会に対する槌田敦氏の損害賠償訴訟の判決が、来る3月18日に東京地方裁判所で言い渡されます。まだどのような判決になるのか予断は出来ない状況ですが、これに先立って来週2月23日の東京大学に対する名誉毀損訴訟の第一回口頭弁論に合わせて、東京地方裁判所におきまして槌田氏の記者会見が行われる予定です。さらに、翌24日には外国記者クラブにおいて気象学会誌投稿論文の英語版を海外メディア向けに公開する予定です。
 これに先立ちまして、海外メディア向けの気象学会誌投稿論文の英語版を本HPで公開いたします。

Increased CO2 Concentration in the Atmosphere is a Natural Phenomenon
I. Higher Temperature is the Real Cause (Kuniaki Kondo*, Atsushi Tsuchida**)New!

No.458 (2010/02/06)「電気自動車」異聞?!そのC 
〜原子力発電増設の露払い〜

 トヨタさんはだいぶ苦戦しているようです。

 さて、このHPでは「太陽光発電電力高値買取に反対する」の中でも述べましたが、電力会社は風力発電や太陽光発電が現在の電力供給システムを構造的に変革することが不可能なことは十分わかっていると述べました。これを彼ら自身のことばで語った記事が朝日新聞(2010.01.13)に掲載されましたので、まず紹介しておきましょう。

 この記事に示された風力発電や太陽光発電に対する評価は、ほとんど私の考えと同じです。さすが電力供給のプロです(笑)。政権党の政策担当者や環境省の無能役人はこうしたプロの声に真摯に向き合うべきでしょう。
 この記事では直接言及はありませんが、電力業界が最も推進したいのは、風力や太陽光ではなく原子力発電の増設であることは明らかでしょう。昨年10・11月に行われたNUMOの核廃棄物地層処分の大キャンペーンがその一端を示しています。
 さて、原子力発電を更に増設するときの問題のひとつとなるのが余剰深夜電力の増大です。原子力発電は欠陥発電技術ですから、こまめな出力調整が出来ません。その結果昼夜を問わず一定の出力で発電し続けるしかありません。夜間余剰電力の発生は揚水発電所の増設など膨大なコストが発生するため、何とか夜間電力の新たな需要を開拓しなければなりません。



出典:東京電力「環境学習ブック 資源・エネルギー」

 この図はよく見ると実は大変奇妙です。この図は本来「発電方式別の電力供給割合の1日の変化」を示しているはずですが、灰色で示した「揚水用動力」だけが電力供給ではなく電力需要を示しています。本来この部分は「LPG・LNG・その他ガス」、「石油火力」、「一般水力(貯水池式・調整地式)」のカーブが描かれるべきです。あえてここに「揚水用動力」という電力需要を描きこむことによって、これを見た人にあたかも原子力による供給電力がすべて有効に利用されているような錯覚を持たせるねらいがあることは明らかです
 もちろん、電力供給ネットワークに供給された電力がどの発電方式による電力であるのかは区別できません。しかし、発電量を容易に調整できる原子力発電以外の発電方式であれば、わざわざ高コストの揚水発電を行う必然性はまったく無いのです。つまり、ここに示された揚水用動力=夜間余剰電力の実体とは原子力発電による電力なのです。


 そこでまず考えられたのが夜間電力を利用する電気温水器の普及でした。しかしこれではそれほど大きな需要増加は見込めず、そろそろ頭打ちといったところでしょう。
 この状況を打破するのが、これまで電気の利用には不向きと考えられてきた小型移動手段=自動車の電力化です。自動車の利用は圧倒的に昼間の方が多いですから、夜間に充電することになります。まさにこれは原子力発電とベストマッチなのです。
 自動車の電力化によって、最終エネルギー利用形態の石油から電気へのシフトが起こりますから、電力需要が飛躍的に増大するだけでなく、原子力発電の夜間余剰電力の問題も同時に解決されるのです。

 この様に、人為的CO2地球温暖化の虚構に基づく温暖化対策として、「走行時にCO2を排出しない」という近視眼的な理由から、これまでエネルギー利用効率があまりにも低いために利用されなかった電気自動車が一躍次世代自動車の本命に祭り上げられ、これによって原子力発電増設の花道が用意されようとしているのです。

註)もちろん原子力発電は電力会社や国が言うのとはまったく異なり、単位発電電力量あたりで考えると石油火力発電以上に石油を浪費する発電システムであるばかりでなく、究極の環境汚染物質である核廃棄物を大量に生み出す欠陥発電システムであることは、すでに繰り返し述べてきたとおりです。

No.457 (2010/02/03)「電気自動車」異聞?!そのB

 この数回、電気自動車、それにハイブリッド車を話題にしてきました。中でも、これらの車種で採用されている電磁制動装置、いわゆる「回生ブレーキ」の話題に触れましたが、折りしもトヨタの新型プリウスに搭載された回生ブレーキの不具合の話題が報道されました。備忘録として記録しておきます。
 ハイブリッド車の回生ブレーキは、制動力によって発電してこれを車載バッテリーに充電するわけですが、バッテリーの充電能力に限界があるために、高速時の急激な制動では発電した電力を全て有効に充電することが出来ません。その結果、本来の目的である制動力を十分得られないことになるため、通常の油圧ブレーキを併用することが必要になります。回生ブレーキによる制動時の電力回収は、緩慢な減速時の方が効率が高いのです。
 回生ブレーキは発電ブレーキとは異なり、回収したエネルギーを充電することを前提とする形式の電磁ブレーキであるために、回収した電気エネルギーを速やかにバッテリーに充電できなければ「回生失効」の状態となり、制動力を得ることが出来ません。
 この様な理由で、自動車の制動システムを回生ブレーキ単独で担うことは出来ず、通常の油圧ブレーキとの併用が必要になります。制動時の運動エネルギー損失を回生ブレーキによって高い効率で電気的に回収するという目的と、本来の制動力を得る目的を両立させるためには、かなり微妙な調整が必要なのだと考えられます。
 ただしその後の報道によると、今回のトヨタ車の問題は、回生ブレーキと油圧ブレーキの調整の問題ではなく、ABS(Antilock Brake System)の制御プログラムの問題、つまり油圧ブレーキの制御の問題のようであり、回生ブレーキは直接関係無いようです。回生ブレーキは構造上回転軸とは非接触ですから、ロックすることは考えられません。

註)発電ブレーキと回生ブレーキ

 発電ブレーキの発想は、車軸の運動エネルギーを発電機によって電気エネルギーとして吸収し、発生した電気エネルギーを抵抗器で熱に変換して大気への放熱で処分するものです。つまり、大気へ放熱された熱エネルギーの分だけ運動エネルギーが減少し、制動という目的を達するのです。
 発電ブレーキの特徴は、機械的な油圧ブレーキとは異なり、車軸と制動装置が非接触であることです。機械的な油圧ブレーキだけでは、たとえば長い下り坂を制動しながら下る場合、接触面は激しく磨耗し、その結果摩擦熱で異常に加熱し、場合によっては焼け付を起こすことになります。
 そこで油圧ブレーキの補助ブレーキとして非接触式の発電ブレーキによって制動力の一部を負担することで、油圧ブレーキへの過大な負担を軽減するのです。
 回生ブレーキは、せっかく発電機で回収した運動エネルギーを放熱してしまうのがもったいないので、抵抗器の変わりに車載バッテリーに接続して充電しようというものです。
 発電ブレーキでは抵抗器の発熱量、回生ブレーキではバッテリーの充電能率によって処分できる運動エネルギー量が制限されます。もし必要とする制動力=処分すべき運動エネルギー量に対して抵抗器の発熱量やバッテリーの充電能率が十分ではないと必要な制動力が得られません。後者の場合が回生失効です。

(続く)

No.456 (2010/01/26)「電気自動車」異聞?!そのA

 前回は「蒟蒻問答」のような、多少冗長なメールのやり取りにお付き合いさせまして、申し訳ありませんでした。今回は要点を整理しておきます。
 まず、私がHNさんのメールに長々と付き合った背景に少し触れておきますと、彼の申し出によって彼の肩書きは削除したのですが、彼がとある主要電力会社の社員であり、エネルギービジネス関連の仕事をしていらっしゃるという、世間的にはエネルギーとりわけ電気のプロという点に非常に興味がそそられたからです。意見交換を通して、このHPの主張を鍛える(笑)ことが出来ると考えたからでした。しかし、残念ながらこの目論見はもろくもやぶれ、途中からはエネルギーの専門家が如何に愚かであるかを確認することになりましたが・・・(それ以前に、日本語で論理的な会話が成立しないことに驚きました。私の日本語はそんなに分かりにくいのでしょうか・・・笑)。

 さて、HNさんはこのコーナーNo.410「電気自動車はCO2を出さないか?」に対して意義を申し立てられました。ここにおける私の主張を要約しておきますと、石油火力発電の発電効率を投入燃焼エネルギーの35%程度と考えれば、これを電気自動車に充電して電動機を回すことによって動力を得る電気自動車の熱効率は、石油火力発電所において投入された熱エネルギーのせいぜい20〜30%、つまり20%台であろうと、ごく常識的に推定しました。これに対して、ガソリンエンジンの通常の自動車の動力として有効に利用できるのは燃料燃焼熱に対して20%台といわれているので、大差ないという主張です。
 これに対してHNさんは、電気自動車の熱効率とガソリンエンジン車の熱効率が同等であったとしても、電気自動車(やハイブリッド車)は、制動時に発電すること(これは通常「回生ブレーキ」と呼ばれるようです)でエネルギーを発生するので、総合的な効率=燃費で2倍程度の値を達成するという主張です。
 これを実現するためには、HNさんがメールの中でおっしゃるように、
 制動時の電力回収は無視できるというお考えと解釈させていただきます。私的には、次の観点から無視できないと考えております。たとえば、ガソリン車の燃費が12km/?だとして、それをハイブリッド化すると、20km/?を超えるのはご承知のとおりだと思いますが、これは制動時の電力回収により、燃費を倍にできることを示しているのだと思います。(重い電池を搭載しているにもかかわらず)
であるとか、
 ○電気自動車は減速時にエネルギーを回収できるので、その効率を80%と仮定すると、最初の電力が繰り返し利用できるため、理屈的には、1の電気が0.2〜0.3になり、減速時に回収されるため、
   1の電気が、0.25*0.8+0.25*0.8*0.25*0.8+---になります。
   (だから、ハイブリッド車の燃費がノーマル車の2倍超になるのです。定速走行時除く。)
で分かるように、制動時に新たにエネルギーを発生させない限りありえないことです。つまり、HNさんの主張は、回生ブレーキを使うことで、電気自動車の駆動に有効に使われるエネルギーは、電動機の出力を1だとすれば1以上になるので、電気自動車の総合的な効率はガソリンエンジン自動車を上回ると主張されました。
 これに対して、私はいくら回生ブレーキで制動でのエネルギー損失を回収したとしても、もともとの電動機の出力を超えることは出来ないという熱学の基本であるエネルギー保存則とエントロピー増大則に基づきモデルを示して説明しました。
 私の考えは、回生ブレーキなど、瑣末な技術であり、例えれば落穂拾いのような技術であり、せいぜい、回生ブレーキを使わないシステムの熱効率を20%とすれば、これが22%程度に改善される程度だと考えています。つまり大勢には大きく影響しないと考えています。特に、ご承知のように電気自動車は重いので、パワー・ウェイト・レシオが悪いので、自動車の走行距離に対する燃費で考えれば、回生ブレーキの効果など取るに足らないと考えます。
 これに対して、HNさんは最後まで理解できなかったようです。例えば、
>  とにかく私が言いたいのは、電気自動車は減速時にブレーキで摩擦損失するのではなく、発電
> するので、効率がよいでしょうということでしたが、その効果の存在はご認識いただいておられ
> るようなので、ご質問についてはこれで終わらせていただきたいと思います。ありがとうござい
> ました。(減速時の発電効果の大きさの認識の違いが意見の差と、理解できました。)
と言っているわけですが、この「発電効果の大きさの認識の違い」が決定的に重要なのです。私はこの発電による効果を考慮しても、電動機の出力以上にはなり得ないことを熱学に基づいて説明したわけですが、彼は、電動機出力以上になると固く信じている(笑)のです(さもなくば2倍などという値はありえないでしょう?笑)。これは、単に量の問題ではなく、熱学、特にエネルギー保存則とエントロピー増大則を認めるか否かという決定的な違いがあることを彼は理解できなかったのです。
 この点を明確に示すために、再三彼に対して、あなたが考えている制動時のエネルギー回収のモデルを説明してくれるように要請しましたが、最後までお答えいただけませんでした。

 以上がメールのやり取りの要約です。

 最後に、回生ブレーキの効果ですが、その総合的な省燃費効果は10%程度(10・15モード走行の燃費)といわれています。また、近年のガソリンエンジン車はご承知の通り、電動装置やライトに始まり、電子機器を数多く搭載しています。もちろんガソリンエンジン車にも発電機があり、これをガソリンエンジンで駆動しています。つまり、ガソリンエンジン車においても回生ブレーキは利用可能であり、通常走行時の発電機によるエンジンに対する負荷を小さくし、制動時に回生ブレーキを利用することで燃費を向上させることが出来るのです。つまり回生ブレーキの有無が電気自動車とガソリンエンジン車の本質的な違いではないのです。

 結論です。電気自動車とガソリンエンジン車は、走行の燃料消費において大差は無く、車体価格の高さ(ガソリンエンジン車の4倍以上)から、総合的にはガソリンエンジン車のほうがはるかに石油利用効率は高いので、電気自動車は使用すべきではないのです。

註)熱効率から言えば、ディーゼルエンジン車のほうがガソリンエンジン車よりもさらに優れています。ハイブリッド車に対する評価はNo.425を参照してください。

(続く)

No.455 (2010/01/25)「電気自動車」異聞?!

 先週末以来、このコーナーのNo.410「電気自動車はCO2を出さないか?」について、読者の方からメールをいただき、これについて意見交換を行ってきました。
 まずは、コメントなしですべてのやり取りを以下に示しておきます。なお、黄色の着色部分はいただいたメール、ないしその一部引用部分を示しています。


これには、「電気自動車はガソリン車に比べ、CO2発生量について優劣がつけられるほどの差はない。これを踏まえれば、走行距離が短く、コストが高い電気自動車にそれほど魅力はない。」的な表現がされております。このCO2発生量について優劣がつけられない説明として、両者のエネルギー効率がほぼ等しいことが記載されており、その考え方として「発進時、加速時、定速走行時のエネルギー効率がほぼ等しいことのみ」を根拠にされているように感じました。であれば、電気自動車の最大の長所でありますブレーキ(エンジンブレーキ相当含む)による発電についての考え方が抜けていることになり、自動車のエネルギー効率を低くする減速時のロスが電気自動車とハイブリッドではないガソリン車と大きく異なることが考慮されていないことになります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
        HN 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


HN 様

■はじめまして、HP管理人の近藤です。

■このたびは拙HPの記事に対してご意見を賜り、ありがとうございます。簡単にコメントさせていただきます。

■結論的に言いますとHNさんはまったく私の意図を勘違いされています。私は『これを踏まえれば、走行距離が短く、コストが高い電気自動車にそれほど魅力はない。』ではなく、『明らかに無駄だ』と言っているのです。

■多少具体的にコメントいたします。私が『石油火力発電の電気への変換効率を35%、送電ロス、電気自動車(蓄電池)への蓄電ロス、電気からモーター回転力への変換ロスなどを考慮すると、電気自動車で有効に動力として使える運動エネルギー量は、火力発電所で投入された石油の燃焼熱量の20〜30%と考えるのが妥当でしょう。』と言う趣旨は、電気自動車における電動機の出力ということで捉えております。

■制動時の電力の回収を行ったとしても、釈迦に説法でしょうが、エネルギー保存則とエントロピー増大側から考えて、電動機の出力を100%とすれば、有効に利用できるのは100%未満、すなわち『火力発電所で投入された石油の燃焼熱量の20〜30%』未満でしかないことは当然です。

■さらに車体価格から考えて、電気自動車は明らかに内燃機関の通常の自動車以上の資源とエネルギーの塊ですから、総合的に考えれば明らかに電気自動車は資源と石油の浪費です。つまり総合的には電気自動車のほうがより多くのCO2を発生するのです。

■私のコメントは以上です。なお、HNさんのメールには特に公開拒否の記述がありませんので、HPにも公開しようと思いますので、ご了承ください。

近藤邦明 拝


近藤邦明様

 コメントありがとうございます。
 次の点で、納得できません。

■制動時の電力の回収を行ったとしても、釈迦に説法でしょうが、エネルギー保存則
> とエントロピー増大側から考えて、電動機の出力を100%とすれば、有効に利用でき
> るのは100%未満、すなわち『火力発電所で投入された石油の燃焼熱量の20〜30%』
> 未満でしかないことは当然です。

 制動時の電力回収は無視できるというお考えと解釈させていただきます。私的には、次の観点から無視できないと考えております。たとえば、ガソリン車の燃費が12km/?だとして、それをハイブリッド化すると、20km/?を超えるのはご承知のとおりだと思いますが、これは制動時の電力回収により、燃費を倍にできることを示しているのだと思います。(重い電池を搭載しているにもかかわらず)
 なお、私は電気自動車関係の業務をしているわけではなく、本件に詳しいわけではありませんが、個人的理解の範疇でさえも、疑問に思いましたので、メールをさせていただいた次第です。「明らかに無駄」と断言されるほどの根拠をお示しされているようには理解できません。

 また、仮にエネルギー効率が同じの場合、電気は半分近くが原子力発電によるものであり、CO2排出量は電気のほうが少ないです。

                                  HN


HN 様

■返信を受け取りました。

■HNさんの主張は、はっきり言いまして意味不明です。私は

『制動時の電力の回収を行ったとしても、釈迦に説法でしょうが、エネルギー保存則とエントロピー増大側から考えて、電動機の出力を100%とすれば、有効に利用できるのは100%未満、すなわち『火力発電所で投入された石油の燃焼熱量の20〜30%』未満でしかないことは当然です。』

と述べているのですよ。制動時の電力の回収が無視できるなどとは申しておりません。冷静にお読みください。いくら回収したところで、有効に利用できるのは電動機からの出力を超えないという熱力学的に当然のことを申しているだけです。これが誤りであると言うのでしたら電気自動車は永久機関を実現したことになります。

■更に、原子力発電について言えば、表向きにあなた方の公表しているCO2排出量はまったく現実を無視したものであり、どのように考えても石油火力発電以上に石油を浪費する発電システムです。この件に関しましては、立場上絶対HNさんはお認めになれない註)でしょうからおそらく水掛け論になりますので、コメントは不要です。私の主張の一端は拙レポート『太陽光発電高値買取に反対する』
http://env01.cool.ne.jp/ss02/ss022/takanekaitori.pdf
に記載しておりますので参考まで。電中研報告Y99009は現実を無視した怪文書にすぎません。電力の供給源が原子力発電になれば更に電気自動車のCO2排出量は大きくなります。まったく使い物になりません。

註)HNさんは、ある電力会社の社員で、エネルギービジネス関連の仕事をしていらっしゃいます。エネルギーのプロ集団のはずなのですが・・・。

たとえば、ガソリン車の燃費が12km/?だ
> として、それをハイブリッド化すると、20km/?を超えるのはご承知のとおりだと思いま
> すが、これは制動時の電力回収により、燃費を倍にできることを示しているのだと思い
> ます。
■間違いです。これは主にハイブリッド車におけるエンジンが、エンジンが最大効率を発揮するあたりで運転され、出力変動が小さいことに起因していると考えるべきです。

近藤邦明 拝


近藤様

 では、ガソリン車の効率はいくらののですか。それを示さないで議論しても無意味です。
 そのことを理解いただくために、コメントさせていただいたのですが、---
 ガソリン車の効率を示さないで、議論されている近藤さんが、私の主張が「意味不明」と
されるのは当然のことです。

                                    HN


HN 様


>  では、ガソリン車の効率はいくらののですか。それを示さないで議論しても無意味です。
>  そのことを理解いただくために、コメントさせていただいたのですが、---
>  ガソリン車の効率を示さないで、議論されている近藤さんが、私の主張が「意味不明」と
> されるのは当然のことです。
>
>                                     HN
■これは妙なことをおっしゃる。私はあなたが電気自動車についての話題をご質問なので、それにコメントしただけで、私から何か議論を吹っかけたのではありませんよ。あなたのコメントを私は特に求めていません。あなたのご意見にコメントしているだけです。

■また、ガソリン車の効率についてはあなたの問題としているNo.410に記載している通りです。

■それと私が「意味不明」と述べたのは、私は制動時の電力回収が出来ないなどとは一切言っていないのに、あなたがこれを勝手にあなたの解釈で「無視できる」と言ったかのように誤解されている点が意味不明と言ったまでです。

■もう少し論理的な筋道立てた議論をしてください。何かほかにまだご質問があれば、問題を項目立てて整理してください。

近藤邦明 拝


近藤様

 何度もお付き合いいただき、ありがとうございます。

「石油火力発電の電気への変換効率を35%、送電ロス、電気自動車(蓄電池)への蓄電ロス、電気からモーター回転力への変換ロスなどを考慮すると、電気自動車で有効に動力として使える運動エネルギー量は、火力発電所で投入された石油の燃焼熱量の20〜30%と考えるのが妥当でしょう。
 一方、ガソリンエンジン車のガソリン燃焼熱量に対する有効な運動エネルギー量は、運転者の技量にも大きく左右されますが、やはり20%台程度と考えられています。つまり、動力を得るために消費される炭化水素燃料の量はさほど大きな違いはないのです。」

についてですが、

 ○仮に、ガソリン車の効率が20%、発電時のロスも含めた電気自動車の効率が20%〜30%と仮定して、(調べたわけではないので、仮にです。また、これはプラスの加速時の効率とします。)
 ○電気自動車は減速時にエネルギーを回収できるので、その効率を80%と仮定すると、最初の電力が繰り返し利用できるため、理屈的には、1の電気が0.2〜0.3になり、減速時に回収されるため、
   1の電気が、0.25*0.8+0.25*0.8*0.25*0.8+---になります。
   (だから、ハイブリッド車の燃費がノーマル車の2倍超になるのです。定速走行時除く。)
 ○よって、電気自動車は、ガソリン車よりもエネルギー総合効率が高いので、「冷静に考えれば、ガソリンエンジンに出来ることをわざわざ電気によって実現しようという迂回過程をとれば、エネルギー利用効率が低下することなど当たり前のことなのです。」という点が、理解しがたいです。確かに、エネルギー変換する回数が多いと効率が落ちるのですが、それ以上にロスを回収できることができれば、一概に言えないと思います。
 ○よって、当然、ガソリン車と比べてだと思いますが、『明らかに無駄だ』と言い切る根拠をお教えいただければ幸いです。

                                                  HN


HN 様

> 「石油火力発電の電気への変換効率を35%、送電ロス、電気自動車(蓄電池)への
蓄電ロス、電気からモーター回転力への変換ロスなどを考慮すると、
> 電気自動車で有効に動力として使える運動エネルギー量は、火力発電所で投入され
た石油の燃焼熱量の20〜30%と考えるのが妥当でしょう。
>  一方、ガソリンエンジン車のガソリン燃焼熱量に対する有効な運動エネルギー量
は、運転者の技量にも大きく左右されますが、やはり20%台程度
> と考えられています。つまり、動力を得るために消費される炭化水素燃料の量はさ
ほど大きな違いはないのです。」
>
> についてですが、
>
>  ○仮に、ガソリン車の効率が20%、発電時のロスも含めた電気自動車の効率が20%〜30%と仮定して、
>   (調べたわけではないので、仮にです。また、これはプラスの加速時の効率とします。)
■つまらないことですが、加速時はもう少し効率は落ちるかもしれませんね。自動車の動力は定速運転時には、主にタイヤと路面の転がり摩擦抵抗に対して仕事をしています。私がこれを書いたときの考えは、加速・減速・定速すべての平均的な値としての話です。

>  ○電気自動車は減速時にエネルギーを回収できるので、その効率を80%と仮定すると、最初の
>   電力が繰り返し利用できるため、理屈的には、1の電気が0.2〜0.3になり、減速時に回収される
>   ため、
>    1の電気が、0.25*0.8+0.25*0.8*0.25*0.8+---になります。
>    (だから、ハイブリッド車の燃費がノーマル車の2倍超になるのです。定速走行時除く。)

■HNさんは根本的に熱学を理解していないことが分かりました。電力を繰り返し使うことは出来ません。同じ電力を、もし繰り返し使えるのであれば、それは永久機関であり、エネルギー問題はなくなります(笑)。

■ただHNさんの「1の電気が、0.25*0.8+0.25*0.8*0.25*0.8+---になります。」が何を言っているのかさっぱり分かりませんので、もう少し説明してください。1と級数和の関係は何なのでしょうか?級数和は何を意味するのですか?

■それはさておき、この級数の和を回収できる電力量と考えているとすると、とりあえずこの級数和は初項0.2公比0.2の等比級数の和ですから極限をとると(=無限回制動を繰り返すと)、その値は0.2/(1−0.2)=0.25です。しかし、熱学的にはここであなたの考え方が誤りであることに気付かなければなりません。この級数和では、減速回数が増えるほど有効に利用できるエネルギーが増加することになります。これは熱学以前の常識的な感覚として不自然でしょう?(笑)

■HNさんのモデルが不明なので、私の方から勝手に説明します(笑)。まず、電気自動車の電動機の出力として得られるエネルギーは、火力発電に投入された熱エネルギーの25%としましょう。これが電動機からの出力=1と等しいとします。

■電気自動車が減速走行と同時に制動発電するとします。このとき、電動機の出力1は@減速する電気自動車の路面との転がり摩擦抵抗に対してなす仕事(=電動機からの出力のうち走行に有効に利用されるエネルギー)と、A制動発電機に対してなす仕事と、B環境へのエネルギー散逸、の和に等しくなります。つまり、エネルギー保存則から@+A+B=1です。例えば、@=0.70、A=0.25、B=0.05とします。

■@とBは減速走行中に消費されます。制動発電の効率を0.8とすれば、回収できる電力量は
A'=0.25×0.8=0.2

■以上をまとめると、電動機からの出力1の内、有効利用できるのは
@+A'=0.9<1.0
になります。制動発電機へのエネルギー分配が大きくなるほど、有効利用できるエネルギーは小さくなります。例えば、@=0.25、A=0.70とすれば、
@+A'=0.25+0.70×0.8=0.81<0.9
つまり急ブレーキは非常に効率を落とすことになります。

■上の記号を使うと、通常走行時では、@+B=1です。例えば、環境への散逸を制動時と同じB=0.05と仮定すれば(本当は制動時よりも小さくなると考えられますが)@=0.95となり、電動機出力の内、有効に利用されるエネルギー量は制動時の0.9よりも高い効率になるのです。これはきわめて当たり前の結果です。制動はエネルギーのロスなのです。ただ制動発電で電力として一部を回収すれば「ロスが減らせる」だけです。ちなみに制動発電を行わなければ、減速走行時に有効に利用できるのは0.70です。

■つまり、ここに示した例では、電気自動車の火力発電に投入した熱エネルギーに対する効率は、
通常走行中:0.95×25%=23.75%
減速走行中:0.90×25%=22.5%
ということです。いくら制動発電を行おうとも、決して効率は25%を超えることはないと、私は申しているのです。これがエネルギー保存則とエントロピー増大則の主張するところです。

近藤邦明 拝


近藤 様

 論理が不完全なメールに対し、丁寧にご解説いただきありがとうございます。
 
 とにかく私が言いたいのは、電気自動車は減速時にブレーキで摩擦損失するのではなく、発電するので、効率がよいでしょうということでしたが、その効果の存在はご認識いただいておられるようなので、ご質問についてはこれで終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。(減速時の発電効果の大きさの認識の違いが意見の差と、理解できました。)

 ただ、平坦な道路を一定速度で走行する場合はその効果がないのは理解しておりますが、ハイブリッド車(電気自動車ではありませんが、減速時充電効果としては同じ)に長距離乗ってみてその燃費の良さを実感し、減速時の充電効果を確認したものですから、頭から電気自動車を無駄と言われる自信のほどをご確認させていただくべく、メールさせていただいた次第です。

 お手数おかけいたしました。

                                     HN 拝


HN 様

■残念ながら、あなたはあなたの理論の誤りが理解できなかったようです。これは希望ですが、エネルギーの問題を理解するためには熱学の問題、その中心的な法則である、エネルギー保存則とエントロピー増大則は決定的に重要なので、ぜひとも学習されることを期待します。

>  とにかく私が言いたいのは、電気自動車は減速時にブレーキで摩擦損失するのではなく、発電
> するので、効率がよいでしょうということでしたが、その効果の存在はご認識いただいておられ
> るようなので、ご質問についてはこれで終わらせていただきたいと思います。ありがとうござい
> ました。(減速時の発電効果の大きさの認識の違いが意見の差と、理解できました。)
■この記述から、あなたは「理解できました」ではなく、まったく理解できなかったことが分かりました。

■最後に、前回の質問にもお答えください。再掲しておきます。
> > ■ただHNさんの「1の電気が、0.25*0.8+0.25*0.8*0.25*0.8+---になります。」
> > が何を言っているのかさっぱり分かりませんので、もう少し説明してください。1と
> > 級数和の関係は何なのでしょうか?級数和は何を意味するのですか?
> >
■以上です。

近藤邦明 拝


近藤様

 エントロピー等の熱力学の話は理解しているつもりです。
 表現が不十分であったでしょうが、減速時にエネルギーを回収するのだということを申し上げたくて---

・加速で使ったエネルギーをブレーキにて捨てるぐらいなら、エネルギーを生み出すでしょうということです。なにも、永久機関があるなんて思っていません。

・近藤さんも、ハイブリッド車とガソリン車の燃費実績の違いを理解されたらと思います。理論は完璧だと思っていても、理論は実績の裏付けるための1つの道具ではなく、把握している現象を説明するための手段でしかないのであり、実績を説明できなければ、その理論はもはや理論ではなくなるのですから。
  (燃費カタログ値は信用されないのでしょうが、明らかにハイブリッド車が上です。)I

 ありがとうございました。

                                           HN


HN 様

■メールを拝見いたしました。

■まったく奇妙な内容です。あなたは電気自動車について質問されたのです。私は首尾一貫して電気自動車についてコメントしております。

■ハイブリッド車につきましては、No.425にも書いたとおり、またメールのやり取りでも一部触れましたが、燃費で限ればガソリン車を凌駕していることに何の異議も唱えておりませんし、その理由はガソリンエンジンを効率よくまわしており、出力変動が少ないことを述べたとおりです。ガソリン車はエンジン出力をそのまま駆動力として使うために走行速度変動がエンジンの運転に直結するために出力変動が大きく、ここで大きくロスするのです。いずれにしても、今問題としているのは電気自動車であるという本質を摩り替えてはいけません。

■最後まであなたのモデルがご説明いただけなかったことが残念です。

近藤邦明 拝


近藤様

 ですから、電気自動車とガソリン車の加速時のエネルギー効率が同程度としても、減速時(厳密には、出力0以下)にエネルギーを回収できる電気自動車は、その分、エネルギー効率がよいでしょうということです。
 この減速時のエネルギー回収は、ハイブリッド車も電気自動車も基本的に同じなのですから。「ハイブリッド車についてガソリンエンジンを効率よくまわしており--」と理解されているのにもかかわらず、同じ原理の電気自動車をハイブリッド車にたとえるなと言われている意味が理解できません。
(ハイブリッド車も電気自動車も制動時等にエネルギー回収できるのが特徴ではないのでしょうか。)

 それを申し上げたかっただけですので、部分的な理屈については、そのための表現であり、厳密性等は追求した表現ではありませんので、あしからず。

 ただ、電気自動車のほうが、ガソリン車よりも運転時のエネルギー効率が高いことを認めた上で、その電気自動車の利用率が小さい場合についてのみ、電池製造のエネルギー等を加味して---ということから、その場合の総合的なエネルギー効率に疑問がおありということでしたら、理解致しますが、---

                                 HN


HN 様

■残念ながら、水掛け論になりそうなので、今回で本件に関するメール交換は最後といたします。

■最後に一点だけあなたの誤りを指摘しておきます。制動時に発電を行うのはハイブリッド車や電気自動車の専売特許(笑)ではありません。通常のガソリンエンジン車やディーゼルエンジン車においても制動時の発電によって電気エネルギーを回収することは可能であり、実際に行われています。

■繰り返しになりますが、どのような動力装置(内燃機関、電動モーター、その他)においても、動力装置からの出力を他のエネルギーの供給なしに100%を超えて利用することは不可能です。これが熱学の本質です。

■愉快な意見交換をありがとうございました。

近藤邦明 拝


 さて、いかがでしょうか?すでにこのHPの読者諸賢には説明の必要も無いと思いますが、HNさんはついに最後まで、電気自動車やハイブリッド車における制動時の発電を「無から有を生み出す」と主張され(例えば「減速時(厳密には、出力0以下)にエネルギーを回収できる」という表現)、これが熱学を無視した主張であることが理解できなかったようです。
 今回の意見交換を通して、エネルギー技術あるいはその基礎にある熱現象について、私の予想以上にまったく理解されていないということを認識させられました。これではエネルギー政策がどんなに杜撰であったとしても、それが実行されてしまうのも尤もなことです。

追記

 これを公開した後、更にHNさんからメールが届きましたので、その後のやり取りをそのまま掲載します。


近藤さま

 HPに掲載されましたが、所属を削除いただけませんでしょうか。
 よろしくお願い致します。

                                  HN


了解いたしました。早急に対処いたします。

近藤邦明 拝


近藤様

 対処ありがとうございます。

 また、最後に次のコメントがありますが、

 さて、いかがでしょうか?すでにこのHPの読者諸賢には説明の必要も無いと思いますが、NHさんはついに最後まで、電気自動車やハイブリッド車における制動時の発電を「無から有を生み出す」と主張され(例えば「減速時(厳密には、出力0以下)にエネルギーを回収できる」という表現)、これが熱学を無視した主張であることが理解できなかったようです。
 今回の意見交換を通して、エネルギー技術あるいはその基礎にある熱現象について、私の予想以上にまったく理解されていないということを認識させられました。これではエネルギー政策がどんなに杜撰であったとしても、それが実行されてしまうのも尤もなことです。

 無から有を生み出すと言っておりません。減速時には、加速時に生み出した運動エネルギーを小さくするためにブレーキを踏むくらいなら、ブレーキのかわりに発電できるでしょ、すなわち、捨てるものをできるだけ減らせば、減らした分はエネルギー回収できるでしょと言っているのです。回収した分だけ、エネルギー効率がいいといっているだけです。 そんなことも理解できないのでしょうか。

 上記にような片手落ちのコメントを載せられるのであれば、氏名の掲載は了承しかねません。
 どうぞ、よろしくお願い致します。

                                            HN


HN 様

■メールを拝見いたしました。

> 近藤様
>
>  対処ありがとうございます。
>
>  また、最後に次のコメントがありますが、
>
>  さて、いかがでしょうか?すでにこのHPの読者諸賢には説明の必要も無いと思いますが、HNさんはついに最後まで、電気自動車やハイブリッド車における制動時の発電を「無から有を生み出す」と主張され(例えば「減速時(厳密には、出力0以下)にエネルギーを回収できる」という表現)、これが熱学を無視した主張であることが理解できなかったようです。
>  今回の意見交換を通して、エネルギー技術あるいはその基礎にある熱現象について、私の予想以上にまったく理解されていないということを認識させられました。これではエネルギー政策がどんなに杜撰であったとしても、それが実行されてしまうのも尤もなことです。
>
>  無から有を生み出すと言っておりません。減速時には、加速時に生み出した運動エネルギーを小さくするためにブレーキを踏むくらいなら、ブレーキのかわりに発電できるでしょ、すなわち、捨てるものをできるだけ減らせば、減らした分はエネルギー回収できるでしょと言っているのです。回収した分だけ、エネルギー効率がいいといっているだけです。 そんなことも理解できないのでしょうか。
■制動発電すれば自動車の駆動に有効に使われなかったエネルギーの一部を回収できることは百も承知の上で、モデル計算までしてご説明いたしました。あなたのメールの表現ですと、例えば「たとえば、ガソリン車の燃費が12km/?だとして、それをハイブリッド化すると、20km/?を超えるのはご承知のとおりだと思いますが、これは制動時の電力回収により、燃費を倍にできることを示しているのだと思います。」など無から有を生み出していると考えていらっしゃるとしか考えられません。制動時のエネルギーの回収が燃費が倍になる主要な原因というお考えは、あまりにも無理なお話です。

■このあたりをもう少し具体的にあなたの誤りを指摘して差し上げたいと思い、あなたのモデルをご説明くださいと再三申し上げました。結局最後までご説明いただけませんでした。意見交換の途中で示された級数和が回収可能なエネルギーと考えれば、明らかに誤っています。

■以上、あなたのメールから何とかあなたの主張を読み取り総括したものです。

>  上記にような片手落ちのコメントを載せられるのであれば、氏名の掲載は了承しかねません。
>  どうぞ、よろしくお願い致します。
■了解しました。HNと表記しましょう。ただ、あなたの主張につきましては100%そのまま公開しており、片手落ちと言われる謂れはないものと考えます。

近藤邦明 拝


 というわけで、氏名・所属などは非公開としました。最後のメールの
>  無から有を生み出すと言っておりません。減速時には、加速時に生み出した運動エネルギーを小さくするためにブレーキを踏むくらいなら、ブレーキのかわりに発電できるでしょ、すなわち、捨てるものをできるだけ減らせば、減らした分はエネルギー回収できるでしょと言っているのです。回収した分だけ、エネルギー効率がいいといっているだけです。 そんなことも理解できないのでしょうか。
を見ると、少しはHNさんも理解が進んだのかもしれません・・・???。私が当初から言っているのは、たとえ100%回収しても、それは電動機出力100%未満ですという一点だけです。こんなことがどうして分からないのか、私にはとても不思議です(笑)。

追記A

 また、更にメールをいただきましたので(笑)、以下掲載します。


近藤様

 ご配慮恐縮です。

  燃費が倍になる主要因が制動時の発電でなければ、ガソリン車とハイブリッド車の燃費の差の主要因は何とお考えでしょうか。それとも燃費の差はたいしてないとおっしゃりたいのですか。

  私は、表現に矛盾があったかどうかよりも、制動時の発電分は総合的なエネルギー効率を向上させるので、ガソリン車よりも(制動時に発電する)電気自動車のほうが、総合的なエネルギー効率が高いことを申しあげたかっただけです。
  
                                   HN


HN 様

■私は何度も同じことを言うつもりはありません。すでに何度もお答えしております。相手の文章はしっかり読むようにしましょうね。

■相手のメールを読まずに自分の主張だけを一方的にメールするなど、非常に無礼だと考えます。意見交換は打ち切りといたします。以後のメールは受付拒否することにします。

近藤邦明 拝


 前言は撤回します。これはまったくお話になりません。やはり何も進歩は無かったようです。やれやれ。

(続く)

No.454 (2010/01/15)「地球温暖化懐疑論批判」をめぐって見えてきたもの・・・そのA

 人為的CO2地球温暖化仮説に対する懐疑論あるいは否定論をヒステリックに批判する方の少なくない部分が、善意の人たちであり、環境保護に関心の高い人たちであることに触れました。
 「温暖化が人為的なCO2の排出であろうがなかろうが、たいした問題ではない。それよりもCO2を排出しないこと、つまり石油の節約は良いことなので推進すべきである。それに棹差す人為的CO2地球温暖化仮説に疑問を持ったり否定する輩は環境保護の敵である」という方もいます。また、感情的に、「あなた方は企業の回し者ではないのか」という表現によく出会います。少し冷静になって論理的に考えてください。これはお門違いの八つ当たりにすぎないことが分かるはずです。

 まず第一の問題です。現在温暖化対策として行おうとしている政策は、たとえ人為的CO2地球温暖化仮説が誤りだとしても、環境問題対策として正しいのだから進めるべきであるという主張です。これは実に奇妙な論理であり、本質的に誤りです。
 人為的CO2地球温暖化仮説が誤りであっても温暖化対策として進めようとしている政策にその他の理由で合理性があるのであれば、その他の理由に基づいて政策を進めればよいだけの話です。人為的CO2地球温暖化仮説が否定されたからといって、その妨げになることは論理的にあり得ません。
 それ以前の問題として、現在IR3S『地球温暖化懐疑論批判』をめぐる議論は、政府の政策論議をしているわけではなく、あくまでも自然科学の問題としての論理性を問題としているのであり(※勿論、この冊子をまとめた東大・IR3Sに懐疑論や否定論を抹殺して温暖化対策の露払いをするという『政治的』意図があることは、ほとんど明白ですが・・・。小宮山前東大総長[三菱総合研究所理事長]が、その後国家戦略室政策参与に内定したことがすべてを物語っているように思えます。)、このような俗な問題に摩り替えてしまうのはお門違いです。仮に温暖化対策として進められようとしている対策が環境対策として正しかったとしても、それは人為的CO2地球温暖化説が正しいこととはまったく無関係です。

 さて、ここで本題から少し離れますが、現在進められようとしている『温暖化対策』について簡単にコメントしておきます。このHPではすでに、『太陽光発電電力高値買取に反対する』やこのコーナーでも再三取り上げてきたエコカーにしても、温暖化対策として考えられている対策は、現在のエネルギー供給システムより低効率であり、むしろ石油・石炭というエネルギー資源だけではなく、すべての有用地下資源の利用効率を低めることになることを指摘してきました。少なくとも、エネルギー供給分野をこれらのシステムに置き換えることによって、関連する重電・重工分野の工業生産規模は現在の数十倍に膨れ上がり、石油・石炭消費も増加することになるのです。つまり、現在進められている温暖化対策にはCO2排出量を削減することなど不可能なのです。
 有態に言えば、現在の日本を含めた先進各国の温暖化対策とは、CO2削減効果があるという虚言によって世間知らずで思考停止状態にある国民・大衆あるいは発展途上国の国民を騙して、高価な工業製品を売りつける詐欺商法なのです。これを世界的な規模で市場拡大させるための制度的装置がCOPなのです。『温暖化対策』というのは偽りの看板にすぎず、本質は新手の『経済成長政策』にすぎないのです。このような政策に『環境対策』としての合理性などまったく存在しないことを理解しておかなければなりません。

 さて、第二の問題です。まことしやかに、懐疑論や否定論は金のためにやっているとおっしゃる方がいます。残念ながら、私は環境問題にかかわり始めてから、企業からにらまれることはあっても資金援助をいただくことはまったくありませんでした。例えば、かつても、そして現在も九電にはかなりにらまれているものと自覚しています(笑)。
 冗談はさておき、コメントに述べた状況からもお分かりの通り、現在の日本や先進各国の企業にとって望ましいのは、懐疑論や否定論ではなく、「人為的CO2地球温暖化仮説」の方なのです。
 最も直接の利害関係者こそ、人為的CO2地球温暖化仮説を支持する研究者集団です。彼らは、研究テーマに「人為的CO2地球温暖化」という修飾語を加えることによって、国民の血税から研究費という名目で法外な利益を掠め取っています。中でも、気象学会に連なる研究者は最大の受益者でしょう。
 次に恩恵をこうむるのは電力事業者です。CO2排出削減対策として、原発を大増設して、高い電気料金を国民に押し付けようとしています。太陽光発電や風力発電などというものは所詮広告塔であることを彼らは熟知していますし、たとえ無駄であっても太陽光発電や風力発電の経費は電気料金によって回収できるのですから、彼らには何の痛みもありません。そして電気事業者に原子炉などを売り込む重電・重工メーカーも同様です。
 勘違いが多いのが石油供給業者や鉄鋼業のようです。本当に温暖化対策で石油消費が激減するのならば、確かに石油供給業者には痛手かもしれません。しかし実際には温暖化対策で工業生産規模は爆発的に拡大することになり、石油需要は増大することはあっても減少することはありません。
 鉄鋼業については、現在の高炉方式の製鉄では石炭を大量に使うから温暖化対策では不利だと思われがちです。しかし、重電・重工業の爆発的な生産規模の拡大は鉄鋼需要をも爆発的に大きくする起爆剤なのです。鉄鋼メーカーが立ち行かなくなるような過大な要求がされることはありません。鉄鋼メーカーが廃業すれば重電・重工メーカーは製品製造が出来ず、温暖化対策自体が崩壊してしまいますから、国がそのような政策を出すことはありえないのです。
 そのほか、太陽光発電メーカー、自動車メーカー、家電メーカーなどの主要工業すべてが、CO2温暖化対策特需で通常では考えられない高価格商品を売りつけることで恩恵をこうむることになります。

 冷静に考えれば、人為的CO2地球温暖化仮説を支持する研究者に対して国や企業がパトロンになることはあっても(例えば東大IR3Sの『地球温暖化懐疑論批判』という冊子が国家予算で作られたことに端的に現れています)、懐疑論や否定論のパトロンになることなど論理的にありえないことは自明です。懐疑論・否定論バスターズ(これもまことに不謹慎なネーミングですが、彼らの軽薄さを象徴してはいますが・・・)の中心的な人物であり、アル・ゴア同様に省エネ家電やエコカーの宣伝に熱心な江守君が企業の講演会にたびたび登場していることからも、お分かりかと思います。

 願わくは、環境保護運動に携わる善意の方々が、人為的CO2地球温暖化仮説に対して、思考停止状態から脱して、もう一度原点に戻って冷静に自らの頭で考えられることを切望します。

No.453 (2010/01/12)「地球温暖化懐疑論批判」をめぐって見えてきたもの・・・

 東大IR3S「地球温暖化懐疑論批判」という謀略冊子に対するネット上の議論がにぎやかです。

 この冊子の内容については、既に昨年連載した「『地球温暖化懐疑論批判』の誤謬」でも触れたとおり、あまりにも幼稚な内容であることを紹介しました。この冊子について、冷静に、書かれている内容を熟読された方の間では、科学的な水準が低いことが認識されているようです。書かれている内容の間の自己矛盾がはなはだしく、全体として論理的に崩壊している支離滅裂な内容です。
 しかし、残念ながら内容を論理的に把握しながら読んでいる方はきわめて少数派であることも事実です。せっかく読むのならば、読み飛ばすのではなく、「なぜ」という疑問を持ちながら「理解」しなければもったいない話です。冊子をまとめた明日香さんたちの誤った理解や不正確な引用(故意に曲解している節もありますが・・・笑)もありますので、出来れば批判の対象となった原著を読むのが一番良いのですが、冊子を読むだけでもいくらでも彼らの論理的な混乱に気付くはずです。

 どうも、「インターネット文化」に毒されてしまった、特に若い年代の人たちは、科学的で論理的に物事を考える訓練ができていないようです。手っ取り早い、単純なレッテル貼りと1問1答式のハウツー的な思考しか出来ないようです。彼らの思考パターンはきわめて単純です。
■懐疑論→非科学的→悪者→否定
■学会主流派→権威→科学的→正しい
 『地球温暖化懐疑論批判』という冊子は、東大をはじめとする大学の研究者らによって書かれたものであり、科学的で正しい。これに異を唱える懐疑論や否定論は誤りである。
というのが、世間知らずの多少論理的思考力の欠如した人たちの平均的な認識のようです。

 実に奇妙なのは、『人為的なCO2の排出を原因とする地球温暖化』という科学的な議論を行っているはずなのに、冊子の評価において、そこに書かれている内容を科学的に吟味した上でこれに賛同しているコメントがネット上にはほとんど存在しません。懐疑論者や否定論者の主張は学会組織という権威によって承認されていないから、非科学的なのだという論理がすべてなのです。
 また、これは当事者でなければなかなか分かりづらいことなのかもしれませんが、いわゆる学会などの権威組織が学問の場として正常に機能しているという幻想がその根底にあるようです。明日香さんや江守君などがよく発言されていることですが、懐疑論や否定論は査読を受けた学術論文として存在しないから間違いなのだという主張です。またもっと卑屈な表現ですが、海外では懐疑論や否定論はないだとか、懐疑論や否定論の存在する日本は特殊であるなどという発言も目にします。冊子の中でも繰り返し登場しています。
 しかし、その実態はどうなのか?このHPで紹介してきている気象学会における議論の封殺(査読者の誤った思い込み、あるいは故意の曲解による論文掲載拒否や学会発表の拒否)や、前回紹介したように物理学会の槌田論文の単独掲載の拒否などに見られるように、残念ながら日本の学会組織、そしておそらく海外の学会組織においても利権団体と化した学会のボスによって、科学の自由な論争を行うことは非常に困難な状況になっているのが実態です。図らずも、昨年末のCOP15直前に発覚した『クライメートゲート事件』でも分かるとおり、これは世界的あるいは普遍的な傾向なのです。
 残念ながら、洋の東西を問わず、自然科学の学会における査読制度は正常に機能しておらず、利権団体としての学会組織の意に沿わぬ研究成果を握りつぶすように機能しているというのが実態なのです。

 学会組織に対する幻想を背景として、槌田氏の気象学会や東大IR3Sに対する訴訟に対する批判的なコメントもネット上に散見されます。「学会における査読など、科学論争において否定されたが故に訴訟に訴えた、科学論争を法廷に持ち込むなど間違っている」というのが主な内容です。

 例えば、『はてなブックマーク > 東大IR3S『地球温暖化懐疑論批判』名誉毀損訴訟』に対する反応は次のようなものです。


# fnorder fnorder トンデモ, これはひどい 「オリジナルの研究成果がない」って、そりゃ既存の議論で十分反駁できるからだよね。リビジョニズムと同じ 2010/01/15CommentsAdd Star

# pc_nagomu pc_nagomu *気象学・気候学, environment っていうか、IR3Sはこれ出す前に温暖化の基礎知識をまとめたモノを出すべきだったかも。CO2犯人説支持でも、CO2が(対流圏を温暖化、)成層圏以上を寒冷化している理由を説明出来る人ってそんなにいないみたいだし。 2010/01/06CommentsAdd Staronkimo

# atsunov atsunov トンデモ 顔真っ赤だな/こういうやり方をする輩がマトモだった試しがあるのだろうか… 2010/01/06CommentsAdd Star

# Mochimasa Mochimasa 地球温暖化, ニセ科学 名誉毀損訴訟で勝ち取れるのは毀損された名誉だけで、自説の正しさじゃありませんよ。 2010/01/06CommentsAdd Star

# Nathea Nathea トンデモ, 温暖化 内容に反論できないからって名誉棄損で訴えるとは…。自分で言ってるように、批判されたら「オリジナルの『研究成果』」か何かを出して相手を黙らせるのが科学者ってもんじゃないの? 2010/01/06CommentsAdd Star

# t-sat t-sat 科学, 社会, 裁判 微妙にタグ付けに困った。 2010/01/05CommentsAdd Star

# salmo salmo 倒しても敵が湧く, 地球温暖化 もはや自書を売るためのネタ作りにしか見えない。 2010/01/05CommentsAdd Star

# VodkaDrive VodkaDrive 地球温暖化, 裁判, トンデモ 図らずも、「学問の土俵で勝負出来ないのはどちらか」が明らかになってしまった。訴え方が悪徳商法と良く似ているのは笑っていいのだろうか。 2010/01/05CommentsAdd Starserrataatsunov

# T-3don T-3don 幸せになればいいのに, 裁判 退行言論。どちらの行為が”反対意見を封殺”か、子供でもわかる。 2010/01/05CommentsAdd Star

# steam_heart steam_heart また「上の組織を訴訟対象とする」のねえ。何か訴訟マニュアルでもあるんかいな。 2010/01/05CommentsAdd Stark-takahashiatsunov

※『地球温暖化懐疑論批判』の内容は、研究者でなくとも、高校の理系の生徒程度の思考能力があればいくらでもおかしな点に気付く程度の稚拙な内容です。ある意味、自然科学の研究者が署名入りでこのような印刷物を残すことは、研究者生命と引き換えの『危ない橋』なのです(そのためか、文章を書いた人物が特定できるのは明日香氏の文章だけです。)。そこで東大あるいはその上の本当の黒幕は手を汚さずに、いつでも取替えのきく若い『鉄砲玉』として明日香氏や江守君を起用したこのような謀略冊子を作ったものと考えています。(註:近藤)

# kairusyu kairusyu すげー。なんというか、すげー。 2010/01/05CommentsAdd Star

# ruletheworld ruletheworld トンデモ, 陰謀論, 温暖化否定工作, 温ま系, バカの天然記念物 2010/01/05CommentsAdd Star

# h-hirai h-hirai science, society, discourse 環境ホルモン濫訴事件のときみたいに野次馬としては楽しめそう 2010/01/05CommentsAdd Star

# sea_side sea_side !page, 環境 (´・ω・`)にょろーん 2010/01/05CommentsAdd Star

# qad qad えーっと、これはいったいなに。 2010/01/05CommentsAdd Star

# k-takahashi k-takahashi ネタ 『権力によって自然科学の論争における反対意見を封殺した上で、誹謗・中傷によって研究者の人格攻撃を行い、社会的に葬り去るという異常な事態を看過することは出来ない』 うんうん、そうだよねえ。 2010/01/05CommentsAdd Starryankigz

# machida77 machida77 温暖化 環境ホルモン濫訴事件を思い出す。学問上の議論ですませればいいのになぜ名誉棄損の問題に持っていくのか。 2010/01/05CommentsAdd StarYou-mek-takahashiVodkaDriveryankigzserratasteam_heartMochimasaatsunov

# parallel-world parallel-world 社会, 科学, 訴訟 どうして批判されただけで誹謗中傷で言論封殺だと思い込むのか。そして、どうして訴訟を用いて本当に言論封殺しようとするのか。 2010/01/05CommentsAdd Starh-hiraiosankuma

# blackshadow blackshadow 400 science, 455環境問題, 450地球科学, 320裁判 「あらあらうふふ」以外にコメントのしようが無い。 2010/01/05CommentsAdd Starenemyoffreedom

# gakusi gakusi *社会, *科学 なんで訴訟になるのかよく分かってない。論文じゃ説得できないってこと? これだけみると相手にされなくて騒ぐ市井の研究者と変わらなく見えてしまいますが、大丈夫でしょうか。 2010/01/05CommentsAdd Star

# mokkei1978 mokkei1978 地球温暖化 懐疑論の人たちが東大を名誉毀損で提訴。万が一裁判官に認められたとして、それで嬉しいんすかねえ。研究者として。 2010/01/05このブックマークはtwitterから投稿されましたCommentsAdd StardlitkarpaVodkaDriveserrataatsunov

# zundel zundel 地球温暖化, 槌田敦, 裁判, 科学, 東京大学, 明日香壽川 http://env01.cool.ne.jp/global_warming/ir3s_index.htm 2010/01/05CommentsAdd Star


 この様にネット上の反応を見ると、人為的CO2地球温暖化仮説に対して懐疑的であったり、否定的な意見に対するレッテル貼りを鵜呑みにして、内容の吟味すらせずにお気楽な(笑)批判的意見が大勢のようです。体制や権力に対して盲目的な信頼を持ち、自ら考えることを放棄した思慮の浅い善意の若者たちは体制にとって、とても御しやすい人種なのだと思います。『地球温暖化懐疑論批判』という本の彼らを扇動するという目論見は奏功しているようです。

 しかし現実には、前述の通り、残念ながら日本の学会組織は正常に機能していないのが実情です。

 査読とは、提出された論文において明らかな事実誤認、データの捏造、解析手法の誤りなどの基本的で明白な誤りをチェックするものであり、その論文の仮説や導かれた主張の妥当性の評価は、公開した上で当該学会における公開の議論にゆだねるべきものです。さもなければ新事実による革新的な仮説や発見は、金輪際日の目を見ることはなくなってしまうのではないでしょうか?願わくは、槌田氏の現在の気象学会組織の異常な実情を憂い、訴訟に訴えざるを得ない状況について、訴状をお読みいただきたいと思います。
 また、この訴訟は科学論争を法廷で行うことではなく、あくまでも気象学会における学会員の権利侵害に対する訴えであり、気象学会誌への論文掲載と大会への参加を認めることを求めるものです。また、東大IR3Sに対する訴訟は謂れのない誹謗・中傷による名誉毀損に対して、謝罪および名誉回復措置を求める訴えです。

 さて、ネット上には人為的CO2地球温暖化仮説に対する懐疑論や否定論に対してヒステリックにこれを排斥するコメントを述べられる方が数多く存在します。その中に、善意から非常に熱心に環境保護活動に携わっていると思われる方が多いことに戦慄します。中には、懐疑論や否定論に対してこれを法的に取り締まることが出来ないのか、という極端な意見まで存在します。
 いつの時代でも、盲目的な(科学的あるいは論理的な判断を排除した)善意の運動、あるいは宗教的な信念に基づく運動はたやすく権力によって利用され、ファシズムに転化する危険性をはらんでいます。まさに現在は環境ファシズムの時代に突入しようとしているようです。

(続く)

No.452 (2010/01/11)寒中お見舞い申し上げます

 槌田敦著『「地球生態学」で暮らそう』ほたる出版、2009年10月

 新しい年を迎えました。昨年は、心ならずも、またしても人為的CO2地球温暖化仮説をめぐる問題に明け暮れて一年がたってしまいました。いつになればこの愚かな虚像から開放されて、本来の環境問題を考えられるのか、今のところまだ目処がつきません。
 新春の明るい話題(笑)としては、ひとつの懸案であった槌田敦氏の物理学会誌への投稿論文の掲載号が決まったという知らせです。掲載は物理学会誌の4月号になる予定です。
 物理学会誌に投稿された槌田論文は本質的に気象学会誌「天気」投稿論文と同じ内容であり、大気中CO2濃度に関する「槌田の等比級数モデル」と、槌田−近藤による「CO2濃度変化率が気温の一次関数として変化する」という事実を報告するものです。
 この論文は一昨年の年末に投稿され、査読は昨年の早い段階に通過していたのですが、物理学会誌編集部の、槌田論文を単独掲載することは避け、産総研の阿部氏の反対論文との同時掲載を条件とするという、誠に理解に苦しむ編集方針によって1年間以上も

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