No.693(2011/12/06)原子力損害賠償紛争審査会のふざけた指針

 本日、原子力損害賠償紛争審査会(以下“審査会”と略称)は賠償の指針を発表しました。この審査会は原子力損害の賠償に関する法律(以下“原賠法”と略称)第十八条に基づいて組織されます。


  第五章 原子力損害賠償紛争審査会

第十八条  文部科学省に、原子力損害の賠償に関して紛争が生じた場合における和解の仲介及び当該紛争の当事者による自主的な解決に資する一般的な指針の策定に係る事務を行わせるため、政令の定めるところにより、原子力損害賠償紛争審査会(以下この条において「審査会」という。)を置くことができる。
2  審査会は、次に掲げる事務を処理する。
一  原子力損害の賠償に関する紛争について和解の仲介を行うこと。
二  原子力損害の賠償に関する紛争について原子力損害の範囲の判定の指針その他の当該紛争の当事者による自主的な解決に資する一般的な指針を定めること。
三  前二号に掲げる事務を行うため必要な原子力損害の調査及び評価を行うこと。
3  前二項に定めるもののほか、審査会の組織及び運営並びに和解の仲介の申立及びその処理の手続に関し必要な事項は、政令で定める。


 つまり、原子力損害に対する紛争は審査会の指針に従って処理されることになります。おそらく東京電力は審査会の指針を賠償の上限として対応することになると予想されます。
 まずもって問題なのは、今回の東電の重過失によって発生した原子炉重大事故による被害の賠償を原賠法によって支払うことそのものが不当です。原賠法が想定しているのは電力会社の無過失責任による予期せぬ被害です。
 国や東電は今回の福島第一原発事故を原賠法で処理するために、事故の警察・検察による刑事捜査を封じ、東電の過失の有無を明確にさせないようにしています。また、先日公表された原子力事故調査中間報告でも東電は自らの対応に過失は無いと強弁しているのです。
 現状では国と東電は福島第一原発事故は予期できなかった自然災害であり、東電の対応は適切であり、過失は無いというシナリオでことを進めようとしているのです。それは言い換えれば、事故によって迷惑をこうむった被災者の救済を誠実に行うことよりも、如何に損害賠償を小額に抑えるかという経済性を優先した結果なのです。
 これによって司法は二本松ゴルフ場仮処分申請却下でも分かるように、国の意向を必要以上に慮って、原子力発電所事故に対する民法第709条による個別の損害賠償の請求はおそらく全てを却下するのではないかと考えられます。
 福島第一原発事故の損害賠償を原賠法によって窓口を一本化しておけば、原子力推進の文部科学省に設置されたお手盛りの審査会が、国の意向に沿った賠償指針を出し、東電はその指針に従って賠償を行うという形で賠償金額を労せずして低く抑えることが出来、しかも1200億円を越える部分は国庫が負担することになり、東電は安泰ということです。
 以下、今回公表された指針についての記事を紹介します。それにしても一人当たり8万円の損害賠償とは一体何なのでしょうか。ふざけるにもほどがあります。


毎日新聞 2011年12月6日 21時27分(最終更新 12月6日 21時56分)
原発賠償:1人8万円、子供・妊婦は40万円…原賠審指針

指針に基づく賠償対象となる自治体※青色が対象地域

◇避難指示区域外23市町村が対象

 文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(会長=能見善久・学習院大教授)は6日、東京電力福島第1原発事故後に政府が避難指示を出した区域以外の福島県内の被災者に対し、対象地域23市町村から避難した人(自主避難者)と自宅にとどまった人(滞在者)に一律8万円の賠償を認めるとする指針をまとめた。放射線の影響が大きいとされる子供(18歳以下)と妊婦は、年末までの精神的苦痛を考慮し、賠償額を40万円とした。来年1月以降の賠償は必要に応じてさらに検討する。

 賠償対象となる対象地域の人口は、県人口の4分の3に当たる約150万人。このうち妊婦と子供は約30万人で、賠償規模は約2160億円に上る。

 対象地域の選定は、放射線量のほか、原発からの距離、実際に避難した人の数などを参考に決めた。能見会長は「低放射線量でも長期間浴びるとそれなりに健康被害が生じる可能性があるという意味での不安がある地域」と説明した。一方、県南地域の白河市や、会津地域の会津若松市など26市町村は対象外となった。対象地域外からの3月15日時点の自主避難者は1164人。

 8万円という賠償金額については、3月15日〜4月22日に政府が屋内退避指示を出した、原発から20〜30キロ圏内の住民への賠償額を、8月にまとめた中間指針で「1人10万円」としたことを踏まえた。妊婦と子供の40万円は、過去の損害賠償請求の慰謝料に関する判例を参考に「20万〜50万円」の間で検討した。どの時点で妊婦だった人が対象かなど具体的な定義について文科省は「指針を基に東電が決める賠償基準の中で考慮される」としている。

 「警戒区域」「計画的避難区域」などに家があり、今回決めた対象地域内に避難した妊婦や子供については、滞在期間に応じた金額とすることにした。

 自主避難者と滞在者の賠償金額について指針は、引っ越しなど避難にかかった実費は賠償すべき損害になるとしながらも、避難しなかったことで感じた放射線被ばくへの恐怖や不安を考慮し「精神的損害と生活費の増加費用等を一括して一定額を算定する」として同額にした。実費を認めた場合、費用の計算や自主避難の開始時期を特定するのに時間がかかり、賠償の支払いが滞るのを避ける狙いもある。能見会長は会合後「恐らくもっと(費用が)かかっている方はおられ、不満があるのは当然と思うが、共通して賠償を認めても問題なさそうな金額として算定した」と説明した。【野田武】


 

No.692(2011/12/04)反省・学習しない東電をなぜ残す

 2011年12月2日に東電は、「福島原子力事故調査 中間報告書」を公開しました。会見で東電は結論的に今回の福島第一原子力発電所の重大事故において、東電の対応は適切であり、一切の過失は存在しないと述べました。何という厚顔無恥な連中なのでしょうか?
 これまで彼らは日本の原子力発電所は重大事故は起こさない、事故が起こったとしても多重防護機能によって環境中に放射性物質を大量に放出することは無いと主張してきました。今回の福島第一原発事故は彼らの主張がことごとく誤りであったことを事実によって証明したのであり、この事故自体が彼らの過失を如実に証明しているのです。
 例えば、1号機では緊急時の冷却系について所長は当然動いているものと考えていたのが実際には動いていなかったなど、明らかな操作ミスが存在することが分かっています。事故の詳細については東電の隠蔽によって未だに闇の中ですが、外部からの観察だけからも多くの失敗が推定されています。
 これだけの重大事故を起こしながら、未だ何の反省もせずに自身には過失は無いと強弁を続ける無責任な三流以下の企業である東京電力に対してなぜ我々の税金を投入してまで存続させる必要があるのか、ふざけた話です。
 また、日経新聞の電子版の記事「東電中間報告、自己弁護に終始 幹部証言公表せず/福島原発事故( 2011/12/2 22:05)」によると、事故調査検証委員会の矢川元基委員長(東大名誉教授)は「東京電力梶u福島原子力事故調査報告書(中間報告書)」に対する原子力安全・品質保証会議 事故調査検証委員会の意見」
の中で次のように述べたという。


東電が中間報告の評価を委ねた第三者委員会(委員長=矢川元基東大名誉教授)も、東電の事故後の対応について「誰が指揮、作業していようがほぼ同じ状況になっていたに違いない」「本当に頭が下がる思いである」などとの意見書を公表した。委員は2日の記者会見には同席しなかった。


 恥ずかしげもなく、呆れ果てたお手盛りコメントです。正に原子力村の面目躍如です。

 東電に任せていては事故の本質は金輪際明らかにならないことが明らかになりました。遅ればせですが、警察・検察による強制捜査によってあらゆる資料を押収した上で詳細を解明することを提案します。そして、国費を投入する前提として、何より福島第一原発事故処理をスムースに行うためにも、速やかに東電を解体し国家管理下におくことが必要だと考えます。

No.691(2011/12/03)NHKお馬鹿番組の記録N

●2011年12月1日(木)
●NHK総合 時論公論「転換期の自動車産業」
●報告 下境 博 解説委員

 

 相変わらず論評に自然科学的能力の必要な事柄についてのNHKの無能解説委員たちには呆れ果てる。彼らによると究極のエコカーは燃料電池車であり、電気自動車はそれに並ぶということのようです。このHPでは既に何度もこの問題に触れていますので敢えて触れませんが、情け無い。学習しないにもほどがあります。こんな虚偽報道を堂々とやっておきながら受信料をとる神経を疑います(笑)。

No.690(2011/11/20)12.3原発フォーラム・シンポジウム

 このホームページにもご協力いただいている国立沖縄高専の中本正一朗教授らの呼びかけで、来る12月3日に沖縄で掲題のシンポジウムが開かれます。沖縄県内の方は、是非ご参加ください。

12月3日 原発フォーラム・シンポジウム in 沖縄 告知映像
小出裕章氏講演会情報

 

No.689(2011/11/17)放射性セシウム汚染と子どもの被ばく

 私自身、放射線による生物の受ける影響、健康被害については書籍やネット情報以上の知識はありませんので、このHPのスタンスとしては被曝放射線量に対する安全論争には直接かかわるつもりもありません。その代わりに、出来るだけ信頼できそうなデータを紹介することにしています。
 今回は『科学』に掲載された掲題のレポートを紹介します。

科学 Jul. 2011 Vol.81 No.7
放射性セシウム汚染と子どもの被ばく
崎山比早子
元放射線医学総合研究所主任研究官,医学博士

No.688(2011/11/15)二本松市ゴルフ場の仮処分申請に対する東京地裁の破廉恥な判断

 まず最初に断っておきますが、私は環境問題という立場からは日本にゴルフ場を作ることには反対です。しかしながら、二本松市のゴルフ場が東電の福島第一原発事故によって敷地を放射能で汚染され営業停止を余儀なくされた事実に対して、東電に対してゴルフ場の敷地の原状回復=放射性物質の除染と経済的な被害に対する賠償請求を申請することは、極めて妥当だと考えます。
 既にこのHPでは繰り返し述べていますが、東電の原発事故に対して政府ばかりでなく司法機関もまったく国民を愚弄する対応をとり続けています。正に法治国家の崩壊の危険性を感ずる由々しき事態になっています。
 まず、この仮処分申請に対する東京地裁の判断を報道した記事を紹介します。


福島ゴルフ場の仮処分申請却下=「営業可能」と賠償認めず―東京地裁
(時事通信 11月14日(月)20時7分配信)

 東京電力福島第1原発事故でゴルフコースが放射性物質に汚染され、営業できなくなったとして、福島県二本松市のゴルフ場「サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部岩代コース」の運営会社など2社が、東電に放射性物質の除去と損害賠償の仮払いを求めた仮処分申請について、東京地裁(福島政幸裁判長)は14日までに、申し立てを却下する決定をした。2社は同日、東京高裁に即時抗告した。
 決定で福島裁判長は、ゴルフ場の土壌や芝が原発事故で汚染されたことは認めたが、「除染方法や廃棄物処理の在り方が確立していない」として、東電に除去を命じることはできないとした。
 さらに、ゴルフ場の地上1メートル地点の放射線量が、文部科学省が子供の屋外活動を制限するよう通知した毎時3.8マイクロシーベルを下回ることから、「営業に支障はない」と判断し、賠償請求も退けた。 


 この裁判所の判断は正に詭弁としか言いようの無い驚くべきものです。
 まず、事実関係として東電の過失による原子力発電所の事故によって当該ゴルフ場の敷地が、通常の日本の生活環境である1mSv/年を超える環境放射線レベルに汚染されたことは客観的な事実であり、裁判所も認めています。これに対して汚染原因を作った東電に対して原状回復を求めることは当然の権利であり、「除染方法や廃棄物処理の在り方」が技術的に確立しているかどうかは問題ではありません。それは除染を行う加害者である東電ないし政府の責任において検討すべき事柄です。裁判所がこのような技術的な問題を斟酌するなど不合理です。これではどんな大きな被害を受けたとしてもその原状回復手段が確立していないならば、どのような汚染も国民は甘受し、泣き寝入りしなければならないことになります。
 次に、文部科学省が子供の屋外活動を制限するよう通知した毎時3.8マイクロシーベルを下回る(本来ならこのような高レベルの放射性物質汚染地域で子供に野外活動を許すことこそ殺人行為です!)からゴルフ場の使用に差し支えないとは、一体何を考えているのでしょうか。3.8μSv/時間=33mSv/年という高い数値は、日本の法体系では放射線管理区域を設けて、一般人の立ち入りを禁じるレベルですNo680日本の放射線関連法規のまとめ参照。)。当該ゴルフ場では2〜3μSv/時間が計測されているといいますから、優に放射線管理区域に設定すべきレベルを大きく上回っています。本来ならば、このような地域に人が立ち入ることすら法律違反なのです。このような地域に娯楽のためのゴルフをしに行こうなどと考える人は存在しません。その意味で、ゴルフ場は放射能汚染によって営業を行うことが出来なくなったわけですから、営業停止期間中の損害賠償を要求することは正当な権利です。緊急時の高レベルの放射性物質汚染地域に対する超法規的に定められた暫定的な実効線量限度に比較してゴルフ場の使用に支障は無いなどというのは、司法判断としてはとんでもない誤りです。無能裁判官(東京地裁福島政幸)よ、恥を知れ!

追記:2011/11/28

 ブログ「原発はいますぐ廃止せよ」に公開されていた新聞記事を転載しておきます。

 東京電力の答弁書の主張には驚愕しました。一旦環境に放出してしまえば、放射性物質は東京電力の所有物ではなく、放射性物質が付着した物を所有する者の物であると!従って、東京電力には除染を行う責任は無いと!
 現在、産業廃棄物等については発生者責任が広く認められています。産業廃棄物等に対するPPP(Polluter-Pays Principle)=汚染者負担原則はOECDが製品価格の世界市場における公正を求めて、OECD加盟各国政府は基本的に製造者=汚染者に財政補助をせず、汚染防止の社会的費用を正当に製品価格に内部化する=汚染者が費用を負担することを求めたものです。
 東京電力の答弁書の理論は社会的な常識からかけ離れ、PPPに逆行する時代錯誤の驚くべき認識です。

No.687(2011/11/12)TPPの環境論的考察

 TPPについて、世間ではもっぱら経済問題としての考察が中心になっています。勿論日本の長期的な経済戦略として見ただけでも、TPPへの参加は大いに問題があると考えます。
 しかし、より本質的な問題はTPPに代表される環境条件を無視して行われるエネルギー多消費型の工業生産を共通尺度とする世界市場に、地域の自然環境と生態系の物質循環の中で営まれる全く異質の農林水産業を全面的に取り込み農林水産品を単なる市場経済における商品の一つと見なすことによって、大規模・広域の貿易体制を全ての産業分野に普遍化することによって地球環境が大規模に破壊されることです。
 既にこの問題はこのHPの普遍的なテーマとして繰り返し取り上げています。基本的な問題提起は2-1 環境問題総論や3.問題克服の処方箋3-1 総論をご覧いただきたいと思います。
 ここでは産業革命以降一貫して行われてきた欧米の暴力的な市場開放政策の歴史的な意味についてまとめたNo.297(2007/10/12)「シリーズ・テロ特措法批判E番外編/環境問題を解決するために」を以下に再録しておきます。


No.297 (2007/10/12)
シリーズ・テロ特措法批判E番外編
環境問題を解決するために

 案の定、自民党・福田政権の支持率の回復と、世論調査のテロ特措法への支持の漸増傾向を受けてか、小沢・民主党の主張が微妙に揺らぎ始めているようです。まあ予想通りの行動ですが、残念ではあります・・・。

米国・西欧諸国による侵略が残したもの

 最後に少し違った角度から西欧諸国・米国の世界侵略が与えた影響を考察して、このシリーズを終わることにします。

 既に触れたように、大航海時代から始まる西欧諸国の世界侵略の歴史とは、近代科学の成立とキリスト教的西欧合理主義を背景とした富の蓄積と生産活動の工業化、そして資本主義的市場経済の世界化の歴史だと考えられます。言い換えると、今日の人間社会の抱える最大の問題の一つである環境問題の普遍化の歴史です。
 ここでは、西欧の世界侵略の歴史の評価ではなく、その結果として世界に広がった様々な影響と環境問題の関係について問題を提起しておきたいと思います。

資本主義経済

 資本主義、ないしこれを構成する金融システムは、西欧の産業革命という技術革新による加工製品の大量生産の開始とともに経済システムとして確立したと言ってよいでしょう。
 資本主義的な経済システムとは、本質的には、ある経済活動に投下した資本が利潤を生むことによって投下資本以上に増殖することを前提として成り立っています。つまり、資本主義的な経済システムを維持するためには、経済=産業規模は常に拡大すること、多少インフレ傾向を示すことが必要なのです。
 産業≒工業生産の無限の拡大再生産によって成り立つ資本主義経済とは、本質的に「無限連鎖講」いわゆるネズミ講と同じ構造を持っているのです。それ故、最終的には破綻することは明らかです。
 ではどういう形で破綻するのか?『最もうまくいった場合』は、工業に利用する資源の枯渇によって工業生産が縮小局面に至ることによる破綻です。
 しかし実際にはそうはならないでしょう。既に前世紀から問題になっている環境問題と総称されている工業生産に伴う物エントロピーの蓄積による自然環境の汚染、過度の自然環境に対する収奪的な利用による生態系の生産と消費のバランスの不安定化=物質循環の破壊によって、工業用資源の枯渇以前に、生物としての人間の生存環境の悪化によって破綻する可能性が最も高いでしょう(あるいは愚かにも戦争によって破綻する可能性も低くありませんが・・・。)。
 工業生産による経済規模の拡大再生産を前提として成り立つ資本主義経済は、必然的に環境問題の発生を引き起こす経済システムです。環境問題を本質的に解決するためには、工業生産の安定化、さらには縮小が必要であり、その実現のためには、おそらく、資本主義経済システムに替わる経済システムへ移行することが必要でしょう。

 二酸化炭素地球温暖化仮説の科学的な妥当性はさておき、『産業活動から排出される二酸化炭素を削減する』という目標に対して、日本を含めて先進工業国は、工業的な技術によって温暖化防止対策をすることによって経済成長することが出来ると主張しています。
 彼等の主張する非科学的な対策、例えば自然エネルギー発電や原子力発電の利用を増やし、社会システムを電力化するという対策は、確かにその非効率性によって産業規模の拡大をもたらしますが、それは本質的な環境問題を悪化させることになります。勿論、二酸化炭素排出量も増加します。
 『温暖化防止対策』ないし環境問題対策として、こうした対策は無意味ですが、民衆を騙して、更なる経済成長を続け、資本主義体制を維持するには有効な方法です。

自由主義経済と世界市場

 自由主義経済とは、社会主義的な計画経済の対立概念であり、『市場原理』によって需要・供給・価格が決定されるとし、経済的な生産・消費活動に対して出来るだけ政策的な介入をしないという経済のあり方です。
 しかし、自由主義経済とはある商品の生産に対して強者(すぐれた商品を低価格で生産できる者)に対しては非常に好都合ですが、弱者に対してはその存在すら許さない非常に苛烈な経済システムです。『最良のモノは、良いモノを駆逐する』のです。

 このような自由主義経済の物流の範囲を全世界にまで広げたものが世界市場と考えられます。世界市場では、工業製品価格が市場価格の主要な決定要因になります。工業製品に比較して原材料資源は相対的に低価格です。また、工業製品に比較して農産品や木材などは低価格で取引されます。自由主義経済・世界市場の形成は、先進工業国にとって圧倒的に有利な市場になります。
 先進工業国は、世界市場で原材料資源あるいは農産品・木材などしか販売するもののない発展途上国から原材料資源・農産品などを安く買うことが出来ます。自由主義経済による世界市場とは、先進工業国が世界中から原材料資源を安く調達して、加工した工業製品を世界中で売りさばく『自由』を保証する経済システムです。

自由主義経済・世界市場による地域経済の破壊

 資本主義自由経済、あるいは商品経済のあまり普及していなかった地域、現在の発展途上国にこうした経済システムが浸透して、世界市場に組み込まれることによって大きな影響を受けました。
 まず、世界市場に組み込まれる以前には、こうした国々は自給自足的な生活様式が中心であり、部分的に物々交換が行われていたでしょう。
 こうした国では当然ですが、世界市場で販売すべき工業製品はありませんから、販売するものは工業用原材料資源と農林水産物になります。こうした商品は、当初買い手である先進工業国の言い値で買い叩かれていたと考えられます。その後次第に資源ごとの世界市場による取引によって標準的な価格が形成されたと考えられます。
 しかし、原材料輸出国間の価格競争から、原材料資源価格は工業製品に対して相対的に低く抑えられ、先進工業国にとって有利な価格を形成しています。また、原材料輸出国の労賃は安く、労働環境は必然的に劣悪なものになります。

 次に、世界市場に組み込まれた発展途上国の国内経済も資本主義的な貨幣経済が支配することになります。例えば農作物は自ら消費するだけでなく商品となり、物々交換ではなく貨幣を仲介とした商品経済へ移行することになります。
 発展途上国も世界市場で得た資金によって自らも買い手となり、世界市場から物資を購入することになります。世界市場から国内産よりも安くて高品質の食料を購入する輸入業者が現われたとします。これを国内で販売することによって大きな利益を手にします。しかし同時に国内の『自給的』農家は農産物を作っても売ることが出来なくなります。国内経済は貨幣経済に移行しているため、現金収入を得られない自給的農家は困窮し、ついには離農して都市のスラムの住人へと没落していくことになります。
 また、資本を蓄積した発展途上国の『資本家』の中には没落した自給的農家の土地を買い集め、輸出用の農作物を大規模に栽培するものも現われます。発展途上国では、輸出用の作物、例えば広大なコーヒー園があるのに国民の多くが飢餓状態にあるという、異常な状況が生まれています。外貨を稼ぐことを急ぐあまり、収奪的な生物資源の利用によって(森林の乱伐や農地の酷使)国土を疲弊させている国も少なくありません。 
 更に農業を徹底的に破壊する要因の一つが、食糧支援という無料の食物供給です。確かに自然災害などによる一時的に飢餓状態にある状況に対して緊急避難的に食糧を援助することは否定しません。しかし、前述のように経済の構造的な問題として自給的農家が成り立たない状況で、都市のスラム化、失業と貧困の蔓延、そして飢餓状態が慢性的な国に対して、経済構造を放置したまま食糧支援を行えば、更に国内産の農産物は売れなくなり、没落する農家の増大につながります。

工業生産による世界経済の膨張

 世界市場が破壊するのは発展途上国の地域経済だけではありません。先進工業国においても相対的に競争力の低い産業分野は生き残ることが出来ません。日本では、ここ半世紀ほどの間の農林漁業の衰退が顕著です。日本は自然環境に恵まれ、例えば農産品の品質はきわめて高いのですが、安い労賃の海外で生産された農産品を石油を使って輸入するよりも高価なため、価格競争に敗れて衰退の道をたどっています。

 さて、先進工業国の主要産業である工業製品の製造もまた、資本主義・自由主義経済の世界市場の中で熾烈な開発競争を続けなくてはなりません。資本主義の前提=経済規模の拡大再生産と、自由主義経済の世界市場の中で生き残るためには、常に売れる新製品を市場に投入し続けなくてはなりません。
 資本主義経済では、社会的な必要性があるから工業製品を作るのではありません。資本主義経済を維持するためにより多くのものを売ることが必要なのです。あるいは他の先進工業国や工業化されつつある発展途上国との競争に負けないために生産を続けるのです。それ故、社会的に見て適切な工業生産量のレベルを調整する能力は無く、ひたすら膨張を続けることになります。この無原則的な膨張圧力が、正に大航海時代以降の世界侵略の本質的な原動力になったのです。そして、環境問題の本質的な原因です。

世界市場と物質循環

 世界市場における、物質の大量・広域移動は人間社会を含む生態系の物質循環を著しく傷つけ、人間社会の持続可能性あるいは環境の悪化の原因です。特に、農林水産物の広域・大量移動は、生態系の物質循環を著しく不安定にします。
 大量の農産物を輸出する国では、地表環境から大量の有機物が失われることになります。そのままではすぐに地力が疲弊するため、化学肥料の多投に頼ったり、あるいは森林を破壊して新しい農地を切り開いたりすることになりますが、やがて回復不能な不毛な沙漠になってしまいます。
 一方、大量の農産物を輸入する国では、自然環境の分解機能を越えた有機物の流入で、環境の富栄養化が進み、水環境の悪化などとして現われることになります。

世界市場と資源利用効率

 世界市場は世界規模であらゆる物資が移動することになります。物資の移動には石油が消費されることになります。
 例えば、食料について地産地消、究極的には自給自足、それも自然農法による自給自足であれば、食糧生産において石油の消費はありません。
 農産物に限らず、多少品質が落ちても、小さな経済圏で生活必需品を賄うほうが石油や原材料資源を含む資源の消費を減らし、総合的な資源利用効率は高くなります。

地域内の物質循環の回復

 環境問題とは、既にこのHPで説明してきたように、工業生産の過度の肥大化による物質による環境の汚染と、大気水循環および物質循環、特に生態系の物質循環の破壊です。
 これまで見てきたように、環境問題とは正に資本主義の下の自由主義経済と世界市場の普遍化、流行の言葉で言えばグローバリゼーションの物理的な発現に他なりません。環境問題を本質的に解決し、持続可能な人間社会を実現するためには、工業生産を必要最小限まで縮小するとともに、地域の生態系の物質循環を回復することが必要です。
 社会・経済システムとして考えた場合、最終的には資本主義経済を解体することが必要ですが、当面すぐにこれを実現することは不可能です。
 資本主義経済体制下で、まず世界市場に制限を加えることが必要です。国家にとって最も重要であリ、生態系の物質循環に直結する産業である農水産物=食糧は、基本的に自国内で賄うことを前提に産業構造を再構築することが必要です。そのためには、各国は自国内の農水産業を保護するために、輸入農水産物に対して高率の保護関税を課税する権利を得なくてはなりません。
 WTOという組織は自由主義経済の下の世界市場を無制限に拡大し、地域経済・生態系の物質循環を破壊する先進工業国の国家利益を代表する組織です。環境問題を解決するためには、WTOの主張する自由主義的世界市場の制限こそ必要です。
 世界市場からの離脱は、世界市場から得られる豊かさや便利さを失うことを意味します。しかし、本当に環境問題の解決を目指し、持続可能な安定した社会を構築することを目指すのならば、世界市場から離脱して、地域の物質循環に見合った豊かさに満足する自己完結的国家を目指す覚悟をしなければなりません。

環境問題を超克するために・・・

 西欧諸国による大航海時代に始まる世界侵略の歴史と、それによるキリスト教的人間中心主義(=自己中心主義)を背景とする西欧合理主義、資本主義的自由経済の世界化の過程は歴史的な必然であったかもしれません。
 しかし、例えばアニミズム的な自然に対する畏れを持つ思想風土の下に近代科学を利用していれば、現在とは違う形の環境と共存する社会が出来たのかもしれない、と思うことがあります。

 現実の世界は、今のところ資本主義的自由主義経済の支配する環境破壊的な世界体制が主流となっています。しかし、これまで見てきたようにこの体制を普遍化することでは本質的に環境問題を解決することは不可能であり、その意味で失敗といってよいと考えます。
 米国・先進工業国グループは、今なお工業生産を主要産業とする資本主義体制の維持を目指しています。米国とそれに同調するグループが、『テロとの戦い』を大義名分にアフガニスタン、イラクへ大義のない軍事侵攻をして、その実、中東地域の石油権益を掌握しようとしている状況がこれを如実に示しています。この体質は大航海時代以降の侵略戦争の体質をそのまま引継いでいるのです。

 環境問題を超克するためには、独立国家あるいは民族の経済・社会・文化的な措置も含めた自決権を尊重する新たな国際関係を確立することが必要だと考えます。


 

No.686(2011/11/11)日本は大統領制の国?野田TPP参加表明

 あまり多くを語るつもりは無いのですが、いつからこの国の総理大臣は国会の意思を無視して国際公約を行う権利が付与されたのでしょうか??大統領制ならともかく、国会の意思を無視することは議院内閣制の崩壊でしょう。この国は松下政経塾によって無法国家に成り下がったように思います。

No.685(2011/11/10)さよなら原発!福岡1万人集会

 現在全国各地で原発廃止を求める集会が行われています。九州福岡では掲題の集会が11月13日に行われます。

●会場 福岡市舞鶴公園(福岡市中央区1)
●開場 午前10:00
●デモ行進 14:00〜

 詳細は、集会の公式ホームページをご覧ください。

 この集会に、我が(笑)「再生可能エネルギー特措法に反対する会」も参加し、会場でビラの配布を行う予定です。何せ、正式会員は私と不知火書房の米本氏の2名という弱小な組織です。もしよろしければ、当日のビラ配布にご協力いただければ幸いです。(連絡先:電話 092-781-6962/FAX 092-791-7161:不知火書房内)


No.684(2011/11/05)エネルギー浪費社会/反省しない日本

 今年も早くも年末が近づきました。3月11日に東北地方太平洋沖地震、そして東電福島第一原発における史上最悪の原子力発電所事故を経験して早くも8ヶ月が経とうとしています。
 福島の事故以降、日本社会のエネルギー消費に対する意識が変わった、などという評価をする愚かな評論家もいるようですが、本当でしょうか?

 事故後も政財界は震災や原発事故を踏み台にして、例えば復興特区などで更なるエネルギー多消費型の工業生産による経済規模の拡大によって世界市場における主導権を握り続けることを至上命題にしています。その象徴的な表れが日本という風土に根ざす産業である農林水産業を破壊するTPPへの参加を強力に推し進めようとする政財界主流の行動です。
 国民といえば、スマートフォンに代表される携帯情報端末にとりこまれ、情報通信産業にいいように食物にされています。巷では、アップルの故スティーブ・ジョブズを天才と称揚し、伝記がベストセラーのようです。確かに情報通信機器は便利な装置ではありますが、私はスティーブ・ジョブズに代表される安易な情報通信技術の無原則的な大衆化がこの世界を悪くしている一つの元凶だと考えています。ネット・ゲームを行うために回線速度を上げるために情報通信ネットワークというハードウェアに対してどれだけ無駄な資源投資が行われているのか、冷静に考えるべきです。
 また、退廃的な方向へ定向進化し始め、急激で野放図な拡大を示す情報通信システムに対して法的な規制を行うべき国家が、むしろソフトウェアを成長産業分野としてアニメやゲーム産業を国家的に後押しをするなど狂っているとしか言いようがありません。この欲望に満ちた「麻薬的」な産業分野には限りが無いだけに、歯止めがかからなくなる危険があることを認識しなくてはなりません。全く実体的な生産性の無いゲーム機器を製造する情報産業分野は、あくまでも実体としての人間生活の基盤のうえに寄生する付属物に過ぎませんから、この分野への産業の特化は実体社会を崩壊に導く危険性をはらんでいます。
 更に、まさかとは思ったのですが今年の年末も各地で「恒例」のイルミネーションの点灯が始まりつつあります。今朝のニュース番組で北九州市の100万個の電飾「小倉イルミネーション2011」の話題が放映されていました。九州電力は冬の節電を要請しているようですが、そのような中でもこのような無駄は許されるようです。

 ・・・こうした状況を見る限り、福島の原発事故を経験した後であっても、この国も国民も本気でエネルギー多消費型の工業生産による刹那的な繁栄を反省するつもりは無いようです。

No.683(2011/11/02)廃炉は可能なのか?福島第一原発再臨界

 10月28日に内閣府原子力委員会の中長期措置検討専門部会は東京電力福島第1原発の廃炉完了には30年以上かかるという報告書を公表しました。報告書では、事故を起こした原子炉から核燃料を全て回収するという通常の廃炉を前提として計画されているようです。報告書では、(1)原子炉建屋内の除染(2)格納容器の損傷部分の特定・修復(3)格納容器内を水で満たす「冠水(水棺)」(4)溶融燃料の取り出しの4段階で進めるとしています。
 しかしながら、燃料が溶融しているかどうかも定かではありませんが、核燃料と圧力容器や格納容器の損傷などによって一体どのような状態にあるのか全く分からない状態です。報告書では4段階の計画が示されていますが、ほとんど実効性が無いものです。
 いずれにしても、内閣府でさえ30年以上の期間と技術開発からの困難な作業と言っている廃炉作業の費用を、前回紹介した『原子力発電所の 事故リスクコスト試算 - 原子力委員会』の中で引用されている「東京電力に関する経営・財務調査委員会報告書 (平成23年10月3日公表)」では1〜4号機を合わせて9,643億円と見積もっているわけですが、その神経が理解できません。

 本日の報道によると、福島第一原発2号機において希ガスの放射性物質であるキセノン133とキセノン135が検出されました。キセノン133、135は核分裂反応によって生成され、その半減期はそれぞれ5.25日、9.14時間であり、ごく最近あるいは現在も核分裂反応が起こっていることを示しています。
 現状では核燃料の状態を直接確認することは全く不可能ですから、場合によっては今後大規模な核分裂反応に移行する可能性も否定できない状況です。このような状況下で原子炉建屋を除染して格納容器の損傷部分を補修することが出来るような状態になると考えるのはあまりに非現実的です。
 また、最近は原子炉周辺についての報道が極端に減っていますが、未だに原子炉建屋から土壌への放射性物質に高度に汚染された冷却水の漏洩に対する根本的な処置は何ら行われておらず、地下水から海洋への放射性物質の流出が続いていると考えられます。政府や東電が言うように原子炉は循環冷却によってクローズしたシステムとして安定した状態にあるなどというのは現実とはかけ離れた認識です。
 
 このような認識では、今後また原子炉への対応を誤り、危機的な状態に陥る可能性が否定できません。通常の廃炉にはこだわらず、徒に原子炉から核燃料を回収することに固執せず、現地でこのまま原子炉に放射性物質を封じ込め、最終処分する方向に出来るだけ早く計画変更することを望みます。

続報:今回のキセノンの133,135の検出は、どうやら不安定な超ウラン元素の自発核分裂であったようです。使用済み核燃料に含まれる超ウラン元素の自発核分裂は常時起こっているということであり、これを部分的再臨界の可能性と早とちりした東電の一人相撲だったというわけです。日常的に原子炉を運転している東電の技術者であれば当然知っているはずの現象であったはずですが、図らずも彼らの非常識がまた一つ明らかになったようです。(2011.12.6追記)

No.682(2011/10/26)原発事故処理費を確率論で論じる愚

 福島第一原発事故を受けて、事故処理費用を含めた原子力発電コストの試算が行われたという報道から紹介します。

 

 この報道は、原子力委員会による次のレポートの内容について報道したものです。

原子力発電所の 事故リスクコスト試算 - 原子力委員会

 まず第一に、福島第一原発事故の処理費用3兆8878億円という数字の算定が出鱈目です。試算では事故処理費用は大部分が賠償費用になっていますが、関東〜東北の広大な範囲に広がる放射性物質汚染地帯の除染を含めた原状回復のための費用や、今後数十年以上にわたって発症が懸念される住民の晩発的な健康被害に対する健康診断や治療費等々、全く考慮されていないようです。原子力資料情報室の試算でも僅か48兆円とされていますが妥当な値かどうか・・・。
 現実的にはいくら多額の金を投入しても、環境を原発事故以前の状態に100%戻すことは不可能です。その意味で事故処理費用は、どこまで誠実に被害を補償し、原状復帰作業を行うかという都合によっていくらでも変化する可能性があります。少なくとも東電は放射性物質を広域に放出したことが原因となって起こっている全ての事象にたいする対応、具体的には除染作業、放射線測定に係る全ての費用、健康診断・放射線障害治療にかかる費用等々を民法709条に従って全額支払わなければなりません。
 まず行うべきは、この事故によってどれだけの影響が及んでいるのかを徹底的に洗い出すことであり、その復旧作業を如何に行うかという技術的検討であり、妥当あるいは可能な範囲で事故処理を行う場合に対して最終的にその費用を算出することです。現状では、事故処理方法は技術的に全く目処が立っていない状況であり、このような段階で費用を算定することなど不可能です。原子力委員会の試算は費用算定の段階で既に全くお話にもなりません。

 次に発生確率の根拠の問題です。IAEAの原発操業時間10万年に一度の過酷事故の発生という確率は、全く机上の空論にすぎず、このような値で試算する意味はありません。
 500年に一度という確率は次のように算定されています。まず、日本の原子力発電所が運転を開始して以降の各原子炉(既に廃炉になったものも含む)毎についての稼働時間を合計して総稼動時間を算定します。具体的に総稼働時間は1494年です。これを1494稼動年と表すことにします。
 その中で、今回福島第一原子力発電所において3基の原子炉が過酷事故を起こしました。よってその発生確率は

3炉÷1494稼動年≒0.002(炉/稼動年)=1/500(炉/稼動年)

つまり、500稼動年について1炉が事故を起こすというのです。

註)原子炉過酷事故の発生確率について
 今回試算された原子炉過酷事故の発生確率1/500(炉/稼動年)の意味は、日本の原子力発電所の原子炉という母集団の各原子炉の稼働時間の合計500年に1炉が過酷事故を起こすことを意味します。仮に、日本に50炉あり、平均稼働率60%で稼動した場合、1年間の稼働時間は

1×60%(稼動年/炉・年)×50炉=30(稼動年/年)

なので、日本では500稼動年÷30(稼動年/年)≒16.7年に1回の過酷事故が発生することを意味します。これは、過酷事故の平均的な発生確率としてはあまりにも高すぎるように思います。

 この確率にはまったく意味が無いと考えます。統計が意味を持つのは、母集団を形成する各要素の個性が例えば正規分布するような場合です。原子力発電所のように個別設計のシステムで、建設年次が異なり、立地条件が異なり、炉形もメーカーも異なり、周辺設備も異なり・・・、炉毎の個性があまりにも異質な原子炉の集団をまとめて一つの母集団とすることには問題が多すぎます。
 また、稀にしか起こらない事象について母集団の数をできるだけ多くしてやれば、発生確率は限りなく小さくすることが出来ます。
 厳密に考えれば、事故を起こした福島第一原発の3基の原子炉もそれぞれユニークな原子炉ですから、例えば1号機については、1970年に稼動開始し、平均稼働率を60%とすれば、総稼働時間は(2011年−1970年)×60%≒24.6稼動年です。故に、結果論として福島第一原発1号機の過酷事故の発生確率は概ね25稼動年に一度だったと言う外ありません。

 原子炉の個性を捨象して形式的に確率論を用いて原子炉一般の平均的な過酷事故の発生確率や、単位電力販売量あたりの事故処理費用の期待値を求めたところで現実には何の意味もありません。また、確率論的な現象把握が私達の日常生活において意味を持つのは、私たちが日常的にかなり頻繁に経験する事柄についてだけです。稀にしか起こらない事象に対する確率論的な現象把握は、生身の人間にとってはほとんど意味がありません。原子炉の過酷事故の発生確率は500年に一度だとか10万年に一度だと言ったところで、生きている人間にとって一度事故に遭遇すれば、それが全てなのです。

 原発の過酷事故に対する十分な対応を行うために原子力発電所を操業しようとする事業者は、原発の過酷事故が発生した場合に、必要な事故処理費用を支払うための資金を準備した上でなければ原子炉を操業してはならないとすべきです。おそらくある程度まともな事故処理を行えば、その資金は1炉当たり100兆円のオーダーかそれ以上になると考えられます。「そんな資金は準備できない、非現実的だ!」というならば、それは原子力発電というあまりにも事故リスクの高い発電システムを商業用発電システムとして採用することそのものが「非現実的」であることを示しているのです。

No.681(2011/10/19)NHKお馬鹿番組の記録M

 NHKのいわゆる報道番組ではなく、主婦層を対象とした情報番組による洗脳も大きな問題です。主婦層への洗脳は子供たちへの影響も無視できません。かつてこのコーナーで『ためしてガッテン』について取り上げました。
 今回はNHKの朝の情報番組である『あさイチ』という番組です。これについては中部大学の武田邦彦氏が論評されていましたので、転載しておきます。


NHKの報道(2011年10月17日あさイチ)

 映像は人の心や判断を決めるのにとても強い力があります。特に、特定の思想で国民を洗脳するときには映像は大変な武器になるので、歴史的にも多くの重要な場面で政治に利用されてきました。日本ではNHKがもっとも歴史も深く強力な映像を提供していますが、NHKはもともと1920年代に誕生したもので、戦後、今の形になっています。

 NHKの設立の目的はまだ日本が貧困で、情報が極端に少なかったので、全国津々浦々に電波を届けるということでした。もちろん、地上波テレビ、BS、CS、ネット、携帯電話、iPhoneなどができた今日、NHKがその設立の目的を失ったのは明らかですが、一度できた組織は簡単には無くなりません。

 でも、NHKが「良い番組」を提供してくれれば良いのですが、本来の目的を失った組織が「良い番組」を提供するというのは至難の業で、NHKの番組には理解できないある特徴があります。それは「放送の素人のような内容の番組を作る」ということです。その典型的なものの一つが2011年10月17日の朝に放送された「あさイチ」という番組でした。

 番組の内容は福島と福島以外のいくつかのご家庭を選び、そこで1週間にわたって食べた食材のベクレル(汚染度)を測定して放送するというもので、放送の結論としては、1)福島の家庭がもっとも食材の汚染がすくなかった、2)気にすると被曝して気にしないと被曝しない、というものでした。

・・・・・・・・・

 この番組は、1)学校で平均値と個別の値の関係を勉強しなかった人、2)因果関係を考えることを知らない人が制作し、3)映像のもつ力を理解していない(もしくは悪意のある)人が指導した、ということになるでしょう。

 たとえば、3年A組の平均身長が160センチ、3年B組が165センチとします。でも、A組でも背の高い人は180センチあり、B組でも背の低い人は150センチの人もいます。だから、A組から一人だけ、B組から一人だけを選んで写真を示し、「B組は背が低い」と言ったのとおなじなのが今回のNHKの「あさイチ」です。

 福島から一つ、放射線の無いところから一つの例を出して、結論を出すなど言いようの無いほどひどい番組でした。

 映像で断面を切り取ることは印象を深くするのに大切ですが、それを示すときには合わせて統計的なデータを示す必要があります。あまりにひどい番組であることはNHKも知っているので、大学の先生を出して「私が先にやりたかった」と言わせるところなど、とても作為的です。このような手法をとれば、集団の一つを選んでなんとでも言えます。

福島の家庭には汚染されていないものを、遠く離れたところのものは福島のものを食べさせたのか、あるいは九州の原発から放射性物質が漏れていると言いたかったのかと考えられます。

 次に、「因果関係」を当たらなければなりません。つまり、「汚染された畑からとった野菜がなぜ汚染されていないか?」ということです。すでに学問的には「移行率」、つまりどのぐらい汚染されていたらそれが植物にどのぐらい移るかという研究があるのですから、「汚染されている畑でとれた野菜が汚染されず、汚染されていない土地のものが汚染されている」ということはあり得ません。もし、放送があったように福島の野菜から放射性物質が検出されず、汚染されていない地域から検出されたなら、慎重に調べなければなりませんので放送できないはずです。

 また、映像というものを扱うときには、平均値と個別の値、因果関係などを正確に調べ、さらに映像を見る人に間違った印象を与えないように万全の注意をしなければなりません。これは放送法で3条で、{三  報道は事実をまげないですること}と厳しく定められているからです。私もNHKに出たことがあるのですが、放送の前後にかなり厳しく事実関係を調べ、論理の整合性をあたります。もちろん、この番組もしているでしょうから、意図的であることが判ります。

 さらに、「気にしていると被曝する」と指定ましたが、このようなことを放送するのはきわめて悪質です。たとえば、台風報道、インフルエンザ報道など危険が迫ってくる場合、「注意すること」が被害を減らすことにつながるからです。これからNHKは台風報道にさいして、「注意しない方が安全です」と言わなければなりません。

 以上、この放送はまったくひどい放送で、なんの参考にもなりません。NHKが故意に子供に被曝をさせようとしているとしか解釈のしようがありません。またネットなどに出ている説明ではカリウムの放射線を小数点8桁ぐらいだすなど、専門家が測定した結果ではないことを示しています。これでNHKに受信料を払えといっても無理というものです。
(平成23年10月18日)

武田邦彦


 

No.680(2011/10/18)日本の放射線関連法規のまとめ

 東電福島第一原発の事故以降、日本政府は暫定措置として次々とこれまでの国内法における放射線に対する規制値を緩和している。まず、日本の既存の法律において国民を人工放射線被曝から守るための主なものを整理しておく。


@放射線管理区域

 人工放射線を取り扱う作業所などにおいて、特に放射線レベルの高い場所を放射線管理区域とし、一般公衆の立ち入りを禁止している。また、管理区域内で18歳未満の就労を禁止している。放射線管理区域の設置基準は法律ごとに多少表現は異なるが、概ね次のような条件である。

●放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律による管理区域
放射線を放出する同位元素の数量等を定める件(平成十二年科学技術庁告示第五号)
最終改正 平成二十一年十月九日 文部科学省告示第百六十九号 第四条

1.外部放射線に係る線量については、実効線量が3月あたり1.3mSv
2.空気中の放射性物質の濃度については、3月についての平均濃度が空気中濃度限度の1/10
3.放射性物質によって汚染される物の表面の放射性物質の密度については、表面汚染密度(α線を放出するもの:4Bq/cm2、α線を放出しないもの:40Bq/cm2)の10分の1
4.外部放射線による外部被ばくと空気中の放射性物質の吸入による内部被ばくが複合するおそれのある場合は、線量と放射能濃度のそれぞれの基準値に対する比の和が1

●関連するその他の法律
医療法令:医療法及び同施行規則第30条の16
労働安全衛生法令:労働安全衛生法、電離放射線障害防止規則
人事院規則:人事院規則10-5により定められている。

A放射線業務従事者の被ばく限度

●労働安全衛生法による放射線業務従事者の被ばく限度
(電離放射線傷害防止規則)
第四条
事業者は、管理区域内において放射線業務に従事する労働者(以下「放射線業務従事者」という。) の受ける実効線量が五年間につき100mSvを超えず、かつ、一年間につき50mSvを超えないようにしなければならない。
2 事業者は、前項の規定にかかわらず、女性の放射線業務従事者(妊娠する可能性がないと診断されたもの及び第六条に規定するものを除く。)の受ける実効線量については、三月間につき5mSvを超えないようにしなければならない。

B一般公衆の人工放射線に対する年間被曝限度

 一般公衆が受ける人工放射線量としては、国際放射線防護委員会(ICRP)が2007年に勧告を出しており、平常時は1mSv/年以下、緊急時は20〜100mSv/年、緊急事故後の復旧時は年間1〜20mSv/年としている。
 日本の法令では、人工放射線については通常の生活をする一般公衆の生活とはほとんど関わりがないため被曝線量の限度は、放射線業務従事者に対する線量限度を定めている。ICRPの勧告を受けて一般公衆については放射性物質を扱う事業所の敷地境界での放射線レベルの上限値を与えており、これが一般公衆の被曝線量限度と解することができる。原子炉等規制法では敷地境界において1mSv/年を上限値としている


 以上、放射線による健康被害を防止するために定められた主な法令を示した。以上から、日本の放射線に対する法体系のアウトラインは次のようなものだと考えられる。
@通常の生活を送る一般国民の居住環境における人工放射線に対する年間の被曝線量の上限は1mSv/年。
A人工放射線を扱う事業所等において、特に放射線量の高い場所を放射線管理区域とし、18歳未満の労働者の就業を禁止し、一般公衆の立ち入りを禁止する。放射線管理区域の設置基準は5.2mSv/年、α線を含まない場合4Bq/cm2=40kBq/m2等である。
B放射線管理区域などで日常的に放射線業務に携わる労働者(成年男子)の被曝線量限度は100mSv/5年(20mSv/年)であり、1年間の被曝線量は50mSvを超えないものとする。女性の放射線業務従事者については、三月間につき5mSv=20mSv/年を超えないものとする。

 以上の関係を模式図に示すと次の通りである。

 この状態が東電福島第一原発事故以降、一変した。原子炉から大量の放射性物質が環境に放出され、関東〜東北一円が汚染された(環境の線量レベルが1mSv/年を超えた)。原発事故後の模式図を次に示す。

 福島第一原発事故によって原子力発電所の敷地境界外にまで1mSv/年を超える地域が広範に広がっている現状は、原子炉等規制法について違法状態である。国は当初5mSv/年以上の地域について除染すると発表したが、これは日本の放射線に対する法体系から見て、全く何の根拠もないものであった。放射線の線量レベルが通常の一般公衆の受ける年間線量である1mSv/年を超える地域については、技術的な問題は置くとして、除染によって1mSv/年以下にすることによって初めて原子炉等規制法の違法状態が解消され、一般公衆が居住する環境になる。

 現状では地表環境の放射能汚染は激しく、年間積算線量が5mSv/年を越える地域も関東〜東北地方にまで広がっている。『放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律』等に定められた放射線管理区域の設置基準では“1.外部放射線に係る線量については、実効線量が3月あたり1.3mSv”とされており、これを年間実効線量に換算すると5.2mSv/年であるから、概ね5mSv/年を超える地域は放射線管理区域として指定しなければならない。つまり放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律に従えば、このような地域には一般公衆は立ち入り禁止であり、特に18歳未満であれば就労することも許されないのである。しかも原発事故による汚染地域は通常の放射線管理区域とは異なり、放射性物質が広範囲に拡散した汚染された状態にあり、通常の管理区域以上に危険な状態にある。日本の法体系から見て、そのような地域に乳幼児を含む一般公衆を居住させるなどあってはならないことである。

 国は、原則的には通常の日本の法体系に基づいて国民の安全と健康を保証するための対策を行う義務がある。その上で、どうしても対処しきれない状況においては次善の策として緊急時の暫定的な処置をとることもやむをえないかもしれない。
 現状では、国は事故による放射性物質による追加線量が20mSv/年を超えることが予想される地域についてのみ住民を避難させている。つまり、汚染地域の一般公衆に対する人工放射線に対する線量限度を1mSv/年から20mSv/年に『緩和』したのである。これはICRPの『緊急事故後の復旧時は年間1〜20ミリシーベルト』を一般公衆が受ける線量限度とするという勧告の『上限値』を根拠としていると考えられる。
 しかしこれは妥当な判断であろうか?日本の法体系では20mSv/年以下とは放射線を取り扱う業務に携わる労働者の受忍限度であり、厳格に放射性物質を管理した状態で適切な放射線防御をを行うことが前提になっている数値であり、一般公衆が無防備な状態で24時間居住して生活すべき環境ではない。
 既に原発事故によって大量の放射性物質が環境に放出されてから7ヶ月以上が経過し、事故当初に大量に放出された半減期の短いヨウ素131等による極めて高い放射線は減衰し、現在の環境放射線の主要核種はセシウム137など比較的半減期の長いものであり、短期間に自然に減衰することはない。
 また、福島市内の除染実験で次第に明らかになってきたように未舗装の学校校庭などでは表土の除去によって一定の効果があるものの、舗装された市街地の洗浄による除染効果は限定的である。
 更に、山地の多い日本の地形から山林を覆う放射性物質は降雨によって次第に人口密度の高い低地・平野部へ濃縮されながら集積される可能性が高く、今後はむしろ環境放射線レベルが上昇する可能性が高い。
 原子力発電所事故で、一般公衆の居住地域に広範囲に放射性物質を撒き散らすような深刻な事故は福島第一原発事故以外には旧ソ連のチェルノブイリ原発事故しか存在しない。チェルノブイリでは事故後25年が経過したが、未だに汚染地域は広範囲にわたって放棄されたままである。【チェルノブイリ事故における汚染地域の定義は1Ci/km2(1平方キロメートル当たり1キュリー)=37kBq/m2(1平方メートル当たり37キロベクレル)である。これはちょうど日本の放射線管理区域の設置基準である40Bq/cm2×1/10=40kBq/m2に相当する。】
 こうしたチェルノブイリ原発事故の現実を見るとき、ICRP勧告は原子力発電を推進する組織の定めた空論にすぎないように思える。

 まず最も優先的に除染すべきなのは、1mSv/年〜5mSv/年未満の地域であり、住民は可能な限り対象地域から避難した上で止むを得ない人については居住しながら、可及的速やかに除染作業の徹底によって1mSv/年未満となるようにすべきである。
 人工放射線による追加放射線量で5mSv/年、あるいは放射能レベル40kBq/m2を越える地域については、国内法との整合性から、暫定的な放射線管理区域を設定して、一般公衆を立ち入り禁止にしたうえで『可能な範囲』で除染を行うことにすべきである。
 除染によって居住環境を回復できない高汚染地域には徒に手を加えることをせず、福島第一原発を中心として恒久的に一般公衆の立ち入りを禁止した上で、放射能に汚染された瓦礫や土壌の処分地とすることが現実的である。

 現在の関東〜東北にかけての放射能汚染状況を再掲しておく。放射線管理区域として設定すべき5mSv/年あるいは40kBq/m2を超える地域の広大さに、今更ながら愕然とする。最後に確認しておきたいのは、No.676『福島第一原発事故と原賠法』で示したとおり、この放射性物質による環境汚染は自然災害ではなく、東京電力福島第一原子力発電所という事業所の過失による事故であり、その責任は100%東京電力の責任であり、除染など一切の原状復帰費用の負担は東京電力が支払うべきものであり、公金の投入には何ら法的な根拠は存在しないのである。

 

上図は福島第一原発事故から1年間の積算線量の分布図。一番外側のコンターが5mSv/年

上図は地上1mの空間線量率の分布。5mSv/年=0.57μSv/hrに対応する。

上図はセシウム137,134の地表沈着量。40kBq/m2以上は放射線管理区域に相当。

No.679(2011/10/15)愚かな太陽光発電導入はいつまで続く

 また、地方自治体による愚かな再生可能エネルギー発電の導入事例を紹介しておきます。これは、はれほれ氏のブログで紹介されていたものです。神戸新聞の記事を紹介しておきます。


神戸新聞ニュース
整備34億円、年間節約3500万円 兵庫県の太陽光発電

 

 兵庫県が本庁舎や県立高校など92施設に順次設置してきた太陽光発電をめぐり、整備に総額約34億円を投じたものの、年間に節約できる電気料金は全体で3500万円程度にとどまっていることが14日、分かった。整備費用に対する効果が低いと批判する声もあるが、県は「普及啓発や今夏の節電などで一定の効果はあった」としている。
 同日開かれた県議会決算特別委員会で、石井健一郎議員(民主党・県民連合)の質問に県が明らかにした。
 県は1993年度以降、本庁舎や高校など県立施設に太陽光発電パネルの整備を開始。2010年度末時点で92施設に整備を終え、国の補助金を合わせて約34億6千万円(うち県負担は約19億6千万円)を費やした。
 本庁舎では設置が難しい場所だったため約5億円を要したほか、西播磨総合庁舎(上郡町光都)には、自治体庁舎では全国最大規模とされる年間発電量50万キロワットのパネルを約2億7千万円で整備した。
 92施設の年間総発電量は、本庁舎の4カ月分の使用量に相当する310万キロワット。大部分は庁舎内などで消費し、電気料金に換算すると3500万円程度になったという。
 多額の費用を投じながら顕著な効果が出ていないとの指摘に対し、県は「太陽光発電の導入初期の普及啓発や学校での環境学習、設備の技術開発に貢献できた」と説明。地球温暖化ガスの排出削減や今夏の電力不足に伴う節電にも効果があったとする。
 県は本年度、東日本大震災の影響を受けた緊急の省エネ対策として、約5億6千万円の予算で、さらに県立学校や警察署計40カ所で導入を進めている。(井関 徹)

(2011/10/15 07:17)


 兵庫県の導入概要をまとめておきます。

●太陽光発電パネル設置施設 92施設
●総工費 3,460,000,000円(34.6億円)
●総発電量 3,100,000kWh/年
●発電による電力節約 35,000,000円/年

 さて、単純に考えると、投入資金を発電電力によって回収するために必要な時間は次の通りです。

3,460,000,000円÷35,000,000円/年≒99年

 太陽光発電の耐用年数を20年程度と考える、全く投入資金を回収できないことになります。
 仮に、太陽光発電パネルの設置費用を平均1,000,000円/kW程度と仮定すると、兵庫県が導入した太陽光発電の設備容量=ピーク時(南中時)発電能力は次の通りです。

3,460,000,000円÷1,000,000円/kW=3,460kW

 平均的な太陽高度(春分・秋分日)の快晴の1日の発電量は日照時間を12時間、その間の放射強度の変化をサイン曲線で近似すると次の通りです。

3,460kW×2×12(h/日)÷π≒26,432kWh/日

これに対して新聞報道による発電実績は次の通りです。

3,100,000kWh/年≒8,493kWh/日

以上から、設備利用率は次の通りです。

8,493kWh/日÷26,432kWh/日≒0.32=32%

 おそらく日本の晴天率は50%程度だと考えられますので、これは少し低い設備利用率です。実際には太陽光発電パネル設置単価が100万円/kWよりもう少し高いのかもしれません。実際の発電設備容量は3,460kWよりも小さいものと思われます。
 次に、電力単価を推定しておきます。ここでは太陽光発電パネルの耐用年数を20年間として総発電量を求めると次の通りです。

3,100,000kWh/年×20年=62,000,000kWh

発電単価は次の通りです。

3,460,000,000円÷62,000,000kWh≒56円/kWh

これは、日本における太陽光発電の実績から、妥当な値だと考えられます。つまり、兵庫県の太陽光発電システムがとりわけ発電効率が低いわけではなく、太陽光発電の能力がこの程度であるということです。つまり、太陽光発電に投資した資金を売電収入で回収することは全く不可能ということです。地方自治体の皆さんは血税をこのように愚かな施設に投入しないようにしてください。再生可能エネルギー特措法で太陽光発電の買電価格を45円/kWhとしても、投入資金を回収することはかなり難しいことを銘記しておくべきでしょう。

No.678(2011/10/14)速報 小中高用の放射線副読本

 本日、文部科学省から小学校、中学校、高等学校用の放射線に関する副読本が公開されました。平均的なものとして、中学校の副読本の教師用解説書を以下に紹介します。

「知ることから始めよう 放射線のいろいろ」1/3
「知ることから始めよう 放射線のいろいろ」2/3
「知ることから始めよう 放射線のいろいろ」3/3

その他は下記の文科省のホームページで公開されています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/detail/1311072.htm
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/1311072/index.html

 原子力の利用を旧科学技術庁時代から引き継いで推進してきている文部科学省ですから、予想通り福島第一原発事故によって環境に放出された放射線による危険性を殊更軽微なものとして児童・生徒諸君に周知徹底することが第一の目標であることが読み取れます。特に教師用の解説書は露骨に国の立場を擁護する記述になっています。

No.677(2011/10/14)福島米の杜撰な放射能安全宣言

 福島県内の48市町村で新米に対する放射能検査の結果、全てのサンプルで食物の暫定基準値である500Bq/kgを下回ったとして、『安全宣言』を発表し、出荷の許可が出されました。
 しかし、何とも杜撰な検査と言わねばなりません。まず、この間の放射能の測定結果から、局所的に放射能レベルの高いホットスポットは小さな規模で点在していると考えるべきでしょう。抜き取りのサンプル数が絶対的に少なすぎると考えられます。
 次に、食品に対する暫定基準値である500Bq/kgという数値自体に様々な評価があり、政府はこれが安全の目安としてはいますが、果たして安全が保証されるのかどうか、科学的・疫学的な根拠は極めて薄弱です。国がこれを目安とすることは構いませんが、消費者には選択の自由が保障されるべきでしょう。
 もし放射能検査によって『風評被害』をなくそうと本当に考えているのならば、検査をもう少し緻密に行い、全ての情報を開示すべきです。
 具体的には消費者が購入する単位である袋毎に放射能の測定を行い、たとえ国の定めた暫定基準値である500Bq/kg未満であったとしても測定値を明示すべきでしょう。それによって消費者は初めて自己判断で納得した上で米を購入することが出来、風評被害が払拭されることになります。
 ともすると検査費用の増加を口実に全量検査は出来ないとしているようですが、これは検査を必要とする原因を作った東京電力に費用請求すればよいのです。そんなことを心配する必要はないのです。

 今のようないい加減な抜き取り検査、しかも測定値を公表しないようでは消費者の福島米に対する疑心暗鬼は払拭されるどころか増すばかりです。また、安全宣言が出たからと、米飯給食に福島米を使用して児童に食べることを実質的に強要することが、果たして正しい選択なのでしょうか?


No.676(2011/10/12)福島第一原発事故と原賠法

 福島第一原発の深刻事故が発生して早くも7ヶ月が経過した。先月から被災者住民に対する原子力損害賠償法による賠償金請求の受付が開始された。しかし、ここには大きな問題が存在する。No674『犯罪者東京電力の罪状』で紹介した槌田敦氏の『東電の未必の故意と過失、致死傷罪、過失死傷罪、故意と過失賠償責任』に福島第一原子力発電所事故における東京電力の罪状の詳細が示されているが、ここでは槌田氏の主張のアウトラインを簡単に説明することにする。

 まず、『原子力損害の賠償に関する法律』とは一体何のために制定された法律であろうか?

 1960年代、産業活動が拡大することによって、事業所を通常操業していた場合においても公害によって周辺住民に対して被害を及ぼす事態が発生するようになり、事業所の操業において明らかに故意や過失が存在しない場合においても被災者を救済することが社会的に求められるようになり、事業所の無過失責任が認定されるようになった。
 これに対して、事業所が被害が予想できるにもかかわらずある行為を行い、またそれに対する安全対策を怠り、あるいは操業において明らかな過失によって事故を起こして周辺住民に被害を及ぼした場合、これは第一義的に業務上過失致死傷罪に当たる刑法犯罪である。民事的には故意や過失による事故によって被害が生じる場合には殊更に原子力発電所を特別扱いする必要は無く、【民法第709条】『 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。』の条文にしたがって加害者において100%損害賠償を行い、加えて慰謝料を支払うことになる。
 では改めて『原子力損害の賠償に関する法律』とは何であろうか?原子力損害賠償法は原子力発電という特殊性によって生じる無過失責任による損害を賠償するための法律である。原子力損害賠償法の目的と定義を以下に引用しておく。


(目的)
第一条  この法律は、原子炉の運転等により原子力損害が生じた場合における損害賠償に関する基本的制度を定め、もつて被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発達に資することを目的とする。

(定義)
第二条  この法律において「原子炉の運転等」とは、次の各号に掲げるもの及びこれらに付随してする核燃料物質又は核燃料物質によつて汚染された物(原子核分裂生成物を含む。第五号において同じ。)の運搬、貯蔵又は廃棄であつて、政令で定めるものをいう。
一  原子炉の運転
二  加工
三  再処理
四  核燃料物質の使用
四の二  使用済燃料の貯蔵
五  核燃料物質又は核燃料物質によつて汚染された物(次項及び次条第二項において「核燃料物質等」という。)の廃棄


 第一条(目的)で示されているように、この法律の対象となるのは『原子炉の運転等』であり、故意・過失による事故は対象ではない。例えば、原子力発電所を通常運転した場合に放出される基準値以下の低濃度の放射性物質によって、周辺住民に予期せぬ健康被害が生じた場合などがこれに当たると考えられる。

 さて、今回の東京電力福島第一原子力発電所の深刻事故は原子炉の通常運転中に起きたわけではない。直接の原因とされているのは巨大地震と津波による発電設備の損傷である。しかしながら、東京電力はあらゆる自然現象に対して原子力発電所は深刻事故には至らないとしてきたのである。
 福島第一原子力発電所において、地震と津波によって受けた主に電源系の損傷に対する安全装置は全く機能せず、電源喪失によって原子炉監視システムも機能せず、原子炉運転の失敗も重なり、結果的には相次いで圧力容器、格納容器、原子炉建屋等を大規模に破損する爆発事故へと拡大した。ここに、東京電力の安全対策の不備(【刑法第211条】業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた)、運転失敗という過失が存在する(【刑法第204条】【刑法第205条】傷害および傷害致死罪)。
 更に、東京電力は原子力発電所において深刻事故が起こった場合、周辺環境に激甚な災害をもたらすことを十分認識していた(例えば「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」1959年)のであり、それを承知で原子力発電事業を行ってきた東京電力には未必の故意を認定できる。激甚な被害の発生する危険性を十分認識した上で、深刻事故の発生を前提とした放射線に対する監視体制、避難施設の準備を含む安全対策や適切な避難指示等の対策を全く行ってこなかったことは明らかな過失である【刑法第211条】。

 福島第一原発事故の詳細については東京電力と国の隠蔽によって全てが明らかになっているわけではない。しかし、少なくとも現在公表されている事実からだけでも地震・津波による電源喪失事故が、東京電力の未必の故意ないし過失によって原子炉圧力容器・格納容器・建屋等を破壊し、放射性廃棄物を広範囲に飛散させる深刻事故に発展した可能性が極めて高い。刑事事件としての捜査を行うこともなく、いきなり原子力損害賠償法を適用して賠償に対して国庫から資金を投入して東電を救済することは許されない。
 以上から第一になすべきことは、福島第一原発の深刻事故は東京電力による過失による刑事事件である可能性が極めて高いのであるから、まず刑事事件として検察による徹底的な事実関係の解明によって東京電力の未必の故意ないし過失を確定しなければならない。
 福島第一原発事故という原子力発電の深刻事故の原因が東京電力の故意あるいは過失による可能性が極めて高いのであるから、この事故による被災者住民に対する賠償は原子力損害賠償法ではなく、【民法第709条】によって行うべきである。そしてその前提として、刑事事件としての捜査を行い立件して刑を確定することが必要である。
 更に、福島第一原発事故による放射性物質の広域飛散による環境汚染に対する原状復帰処置=例えば除染は100%東京電力の責任において実施されなければならない。同じく、被災者住民に対する健康診断費用は全て東京電力の負担で行わなければならない。現在、こうした費用は地方自治体や国の費用負担によって行われているが、これは東京電力が負担しなければならないものであり、公的資金を投入する法的な根拠は存在しない。
 現在は人道的な観点から超法規的に公的資金を投入しているのであって、投入した公的資金は東電に支払いを求めればよいだけであり、3次補正で更に予算化する必要など全くない。同時に国は直ちに東京電力に対して除染作業等の現状復帰措置を行うことを命令すべきである。
 原発事故被災者に対する民法による賠償額の確定は、場合によっては訴訟になる可能性もあり時間を要するので、国は東電に対して緊急避難的に被災者に対する当面の生活資金の仮払いを命ずるべきである。

 東京電力が日本の法律に従って福島第一原発事故の処理を行った場合、原状復帰作業や損害賠償に必要な資金はおそらく十兆円のオーダーあるいはそれ以上になる可能性があり、東電が負担することは事実上不可能である。したがって、No.664『原発事故から半年・・・事故処理への国費投入の合理性』で述べた通り、東京電力を国家管理として、第一に東電のあらゆる資産を売却して資金を捻出し、不足分については国民の了承を受けた上で国庫から補填するという対応を行うべきである。

No.675(2011/10/10)福島第一原発作業員の悲惨な現状/
日本の報道機関の無能

 No.673「福島第一原発で3人目の犠牲者」で、福島原発の事故収拾の作業に従事する労働者が亡くなった事件を報告しました。その中で『もしこの数値が正しい数値だとすれば、・・・』と但し書きをしておきました。それは、これまでの東電の体質から、深刻事故発生後においても事実についての隠蔽体質が全く変わっていないからです。
 日本のマスコミ・報道機関は原発事故に関してもっぱら玄関ネタを垂れ流すばかりで、本気で取材して報道する意思が全くない無能・無気力集団です。原発事故直後から、有効な情報はマイナーな報道機関や海外からしか得られない、悲惨な状況が続いています。福島第一原発の現場作業員の劣悪な作業環境と、労働者の命と人権を無視した雇用契約について、ドイツのZDF(Zweites Deutsches Fernsehen=第二ドイツテレビ/公共放送)の報道番組の映像が公開されています。

ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」

 番組で紹介されているように、予想通り、原発事故収束作業に従事する末端の、おそらく孫請け、ひ孫請けの労働者にはまともな安全教育もなされず、また事故現場の汚染状況すら伝えられず、線量系の針が振り切れるような苛酷な放射線環境下で働かされているようです。
 しかも、マスコミ・報道機関に対しては一切の情報を漏らさないことを誓約させられているのです。更にその中でも危険手当を得るような場合には、健康被害に対して文句を言わないことを認めさせられているのです。
 東電は、自らの作業所における事故の収束に従事する末端作業員について、下請けの会社との契約関係であり、感知していないという姿勢が露骨です。このようなことが許されて良いのでしょうか?政府や労働基準監督署は、このような報道があるにもかかわらず見て見ぬ振りで、このまま現場作業員を見殺しにするつもりなのでしょう。なんというおぞましい国なのでしょうか。

No.674(2011/10/09)犯罪者東京電力の罪状

 このHPでは、最早国や東電任せでは、福島第一原発の深刻事故についての真相解明と被災者救済は不可能だと述べてきました。この状況を打開する残された唯一の方法は、正規の手続きに則って東電を刑事告訴することと、同時に被災者の受けた被害に対する原状回復ないし損害賠償を求める民事訴訟を起こす以外にないと考えます。 このHPでは、最早国や東電任せでは、福島第一原発の深刻事故についての真相解明と被災者救済は不可能だと述べてきました。この状況を打開する残された唯一の方法は、正規の手続きに則って東電を刑事告訴することと、同時に被災者の受けた被害に対する原状回復ないし損害賠償を求める民事訴訟を起こす以外にないと考えます。
 福島第一原発事故以降、この深刻事故について限られた情報からの分析を続けてきている当HPのアドバイザーでもある槌田敦氏から、東電告訴のための詳細な罪状を整理した文章が届きましたので、紹介します。今後東北・関東各地において東電に対する告訴を行うことを提案したいと思います。

これは事故を超えて犯罪だ
東電の未必の故意と過失、致死傷罪、過失死傷罪、故意と過失賠償責任
槌田敦 (2011.10.3)

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