No.968 (2014/12/17)エコというバラマキを許す愚かな国民性

 衆議院選は予想通り、自民党の圧勝となりました。安倍晋三は“アベノミクス選挙”と言い、経済政策の審判を仰ぐと言っていましたが、選挙が終わるやいなや、集団的自衛権の法制化と憲法改正にも積極的に取り組むと表明しました。分かりきっていたことですが、この二枚舌野郎には何の信義もないようです。まあ、今更言ってもしょうがないのはわかっていますが、この大馬鹿者を支持する大馬鹿者の日本国民を嗤うしかありません。

 さて、アベノミクスの景気浮揚策の要点は、市場にジャブジャブに金を乱発して円安誘導して輸出企業を肥え太らせ、業績の良くなる大企業・輸出企業関連の株価を膨らませて投資家を儲けさせること、そして税金をバラ撒くことだけです。

 かつての公共土木事業型の税金バラマキには批判的な国民たちですが、“温暖化対策”、“エコ”などという接頭辞がつくと、とたんに大歓迎という馬鹿さ加減には呆れ果てます。エコ対策車に対する減税、ひどいのは燃料電池車に対する1台200万円というバカバカしい補助金・・・。要するにエコ対策という名目で大企業に税金をばら撒いているだけです。
 基本的に公的財政補助を必要とする技術とは高価で劣悪な技術であり、社会的コストをふくらませるだけです。太陽光発電全量買取制度の破綻を見れば説明の必要もないでしょう。
 今度は落ち込んでいる新築住宅建設のテコ入れのためにエコポイント制度を復活するとか。このようなバラマキによる経済対策を続ける限り、日本の国家財政を破綻から救うことはほとんど絶望的です。

No.967 (2014/12/04)NHK・御用報道機関による争点隠しを憂う

 衆議院選の公示以降のNHKをはじめとする報道機関の選挙報道には、毎回あきれ果てています。

 まず、基本的なスタンスとして、報道機関が第一になすべきことは、各政党の政策を政権与党と野党の区別なく、できるかぎり正確に視聴者に知らせていくことです。ところが、日本の選挙報道では政権与党の政策についての報道が圧倒的に多くなっています。
 更に、日本の選挙報道は政策内容の報道が極めて少なく、逆に、「この選挙区ではどの勢力が優勢で誰が通りそうだ」という類の選挙情勢の分析に力が注がれ、この選挙情勢分析が有権者を白けさせ、あるいは誘導しており、結果として投票率の低下につながっています。
 この種の報道の最たるものが選挙の開票速報です。実にバカバカしいことです。日本は即日開票のシステムができていますから、遅くとも選挙日の翌日の午前中には選挙結果は明らかになるのですから開票速報など無意味です。如何に他社よりも早く当確を出すかに血道を上げて、多くの記者を投入して出口調査をして、開票開始と同時に当確を出すなど、まったくバカバカしい。

 今回の選挙では、NHKを始めとする大手の報道機関は「争点なき選挙」を演出して、少ない争点の中心は2年間続けてきた自民党の経済政策である“アベノミクス”の評価であると矮小化して見せています。これは与党自民党の意向を受けた誘導ではないかと思えてなりません。
 冗談ではありません。今ほど日本という国のこれからの方向性を決める極めて重大な課題のある選挙はかつてないかもしれません。戦後続けてきた平和国家日本の在り方を180度方向転換する集団的自衛権の行使を可能にさせるかどうか、大変な岐路に立っています。
 更に、長らく続いてきた原子力発電につて、福島原発事故を受けて原子力には絶対安全がないことが明らかになった今、原子力を再び稼働させるかどうかは重要なエネルギー政策の判断です。

 この国の無能な報道機関の選挙報道は、戦前同様、日本を体制の思うままに誘導する亡国の報道だと考えます。

No.966 (2014/12/02)冬将軍の強風で風レンズ風車発電装置が破損

 九大の応力研が開発している風レンズ風車を用いた風力発電装置が、今季一番の寒気の流れ込みによる強風で破損したと報道されました。九大応力研とは学生時代に土木構造の耐風安定性の研究に関わっていたためまんざら関係がないでもありません。風力発電に噛むことは、独立行政法人化した大学では研究費稼ぎのために仕方ないかもしれませんが、愚かなことをやっているなと前々から思っています。
 このホームページでは風レンズ風車について何度か書いていますが、オモチャとしては面白いかもしれませんが(笑)、実用上は使いものにならないのは当然だと考えています。売り物の“風レンズ”と呼んでいる集風装置が構造的なネックになって、とても大型化することが出来ないことはわかりきっています。今回破損した風車は、勿論オモチャレベルの大きさでしたが、これでも壊れてしまいました。ネット上では構造上ネックになる風レンズの耐風性について九大応力権のレポート(集風構造体付き風車の耐風性能について)が公開されていますが、あまり役には立っていないようです(笑)。もう止めたほうが良いのではないでしょうか?!

参考記事
No.641 (2011/08/05) 九大:洋上風力発電実証実験
No.723 (2012/02/17) 常識の欠如したお人好しの国民 年金・エネルギー問題/無知は犯罪
エネルギー供給技術の有効性の検討
(2012/10/22)21頁

最後に読売電子版の記事を掲載しておきます。


風レンズ風車の羽根落下し車直撃 強風で破損?

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    破損した風車(福岡市提供)

 福岡市は1日、同市東区の「みなと100年公園」に設置している風レンズ風車(高さ約13メートル)の羽根などが破損して落下し、破片の一部が近くの駐車場の車にあたったと発表した。けが人はなかった。市は強風が影響した可能性もあるとみて原因を調べている。

 風レンズ風車は繊維強化プラスチック(FRP)製で、風を集める「風レンズ」(直径3・4メートル)を併設し、弱い風でも発電できる特長を持つ。市が2009年から同公園などに設置した。

 市によると、同日午後3時半頃、近くの駐車場で会社員男性が車に乗ろうとしたところ、羽根などが落下してきたという。運転席側の窓ガラスなどが破損した。3枚の羽根(1枚約7キロ)が全て落下し、レンズの一部も壊れていた。市は市内にある風レンズ風車全5基の運転を停止した。


 

No.965 (2014/12/02)安倍晋三・言語不明瞭意味不明な和製ヒトラー

 衆議院選挙告示の前日である昨日、日本記者クラブ主催の党首討論会が開催されました。NHKでライブ中継があったのですが…。

 細かい内容は今更検討する気も起こりませんが、安倍晋三について感想を少し。国会答弁でもそうですが、彼は相手の質問趣旨を無視してどうでもよいことを不明瞭な早口でペラペラペラペラ意味不明・不要な修飾語を多用して、結局何の論理的な説明もなく、「私のやっている道が正しくこれ以外に道はない」と締めくくるのみです。バカバカしい。彼の顔を見ているとだんだんヒトラーに見えてきます(笑)。

 高校生の娘と夕食をとりながら見ていたニュース番組で安倍晋三の討論会での発言が放映されていたのですが、娘曰く「この道以外にない、なんて恐ろしいことを言う」と感想を述べていました。彼女は安倍のファッショ的な体質を感じ取ったようです。

追記:2014/12/02

 安倍は第一声で「日本が世界の中心で輝くこと」を主張していました。彼の思想は八紘一宇・大東亜共栄圏という第二次世界大戦を正当化した思想とまったく同じです。時代錯誤のアナクロニズムです。日本の自然環境に則した身の丈にあった慎ましくても豊かな社会を目指すことが、今日本に求められていると考えます。

No.964 (2014/11/30)盗人猛々しい原子炉廃炉費用の電力料金上乗せ

 福島第一原発関係の情報が極端に少なくなっています。断片的に報道される内容を見るたびに、放射性物質の封じ込めの失敗ばかりで、暗澹たる気持ちになります。この福島の事故処理の現場を冷静に見れば、原発に一度事故が起こればこの国には放射性物質の封じ込めの技術的ノウハウが全くないことを示していることを明白に示しています。このような状態で事故対応を含めて原発の再稼働に問題ないなどという判断が出るはずもないのですが、この国の政府も、そして国民も大馬鹿者としか言いようがありません。

 さて、鳴り物入りで導入した地下水の凍結工法による放射性物質汚染水の封じ込めは不十分な凍結で失敗し、その補完のためのコンクリートの注入もまた失敗してしまいました。大分合同新聞11月22日付の新聞記事を染めしておきます。

 さて、今日の本題です。原発の再稼働の最大の理由は、経済性の優れた原発を稼働させることだとされています。しかしこれは嘘っぱちです。原発の経済性とは、原発稼働にともなって生じる核廃棄物や廃炉処理費などの、当然電力会社が負担すべき費用を外部不経済として国民に負担させることによっています。これらの費用を内部化し、あるいは事故処理のために引当金を内部化すればとんでもなく高コストの発電方式であることは検討の余地はありません。いまだに原発が経済的だと言っているということは、電力会社は次に事故を起こしたとしてもその処理費用を準備していないことを自白しているようなものです。ふざけた話です。

 11月30日大分合同新聞朝刊の記事を示しておきます。

 実にふざけた話です。電力の小売自由化と言いながら、原子炉を持つ電力会社のためにその処理費用をまったく関わりのない発電事業者にまで負担させるなどまったく筋の通らない話しです。これでは、発電事業者間の自由競争の公正性がまったく成り立たず、経済的に高コスト体質の原発を優遇する管理市場です。自由市場ではありません。

 更にこのような議論が出てくるということは建前とは裏腹に、原子力発電は関係のない電力事業者にまで負担を求めなければ価格競争力のない高コストの発電システムであるということを明白に示しています。こんな危険で高コストの発電装置の再稼働など、何の経済合理性もないことを理解すべきです。

 蛇足ですが記事では「脱原発を志向して再生可能エネルギー専門の小売会社と契約する消費者からは反発も予想され、…」と書いていますが、これを書いた記者は大馬鹿者のようです。現在の再生可能エネルギー特措法は正にこの記事にある原発と同じように、再生可能エネルギー発電のコストを関わりのない電力消費者に転嫁しているのであって、まったく同じ構造であり、これもまた小売電力の自由競争を著しく阻害する要因であることをまったく理解していないようです。情けない。

No.963 (2014/11/13)公安警察による思想弾圧/機動隊が京大学生寮に乱入

  異様な光景が映し出されました。今日、京大の熊野寮に警視庁公安および機動隊の120人余が「乱入」した映像です。

 この乱入の名目は、11月2日に東京・銀座で行われたデモ行進に際して、警戒していた警察官との間に小競り合いがあり、公務執行妨害で京大生等3名が逮捕された事件の捜査の一環としての家宅捜索だそうです。逮捕された3名は中核派の学生であり、その内2名が京大熊野寮に居住しているということです。
 しかし、これは公務執行妨害の捜査とはいえないでしょう。公務執行妨害を口実に公安警察による思想弾圧のデモンストレーションを行ったというのが本当のところではないでしょうか。秘密保護法、盗聴法、そして共謀罪の導入…。米国との軍事同盟化、集団的自衛権に関する法整備をひかえて、ますます息苦しい世の中になることを予感させる出来事です。
 この警察の行動について、京都大学はどのような態度をとっているのか、今のところ報道されていません。もしこの暴挙を容認するようでは、大学の自殺行為であろうと思います。

No.962 (2014/11/07)栃木県塩谷町の指定廃棄物に対する正しい意見

 このHPでは、環境中に放出された放射性廃棄物の処理は、出来るだけ拡散しないように、集中管理することが原則だと言ってきました。福島第一原発事故で放出された放射性物質に汚染された廃棄物は基本的に福島県内の高濃度に汚染された地域に集積し、福島第一原発の敷地周辺で最終処分すべきだとも述べてきました。

 昨日、栃木県の塩谷町の町長さんが私と同様の意見を公式に表明されたことを知りました。この勇気ある行動に敬意を表します。情緒的な同情が科学的な判断よりも優先されてしまう現在の日本社会では、こうした正論を述べることはバッシングを覚悟しなくてはならない異常な状況であり、なかなか言えないと思うのですが、塩谷町町長の英断には頭が下がります。

 NHKの報道を紹介しておきます。


指定廃棄物 「福島県内で処理すべき」 11月6日 19時26分

放射性物質を含む「指定廃棄物」の最終処分場の建設を巡り、栃木県内の候補地となっている塩谷町は指定廃棄物を福島県内でまとめて処理すべきだという提案をまとめました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴って発生した1キログラム当たり8000ベクレルを超える放射性物質を含む「指定廃棄物」について、国は関東と東北の合わせて5つの県に最終処分場を建設する方針で、栃木県内では塩谷町の国有地が候補地になっています。塩谷町では、近くの水源が汚染されるなどとして反対運動が起きていて、今回、町は指定廃棄物を各県で処理するという国の方針を見直し、福島県内でまとめて処理すべきだという提案をまとめました。この中では指定廃棄物を福島第一原発周辺の「帰還困難区域」にまとめて中間貯蔵を行い、最終的には原発の敷地内で最終処分を行うよう求めています。
塩谷町は5日までに見形和久町長が県内すべての市と町を訪れて提案文を配り、理解を求めたということです。
見形町長はNHKの取材に対し、「ただ反対するのではなく、私たちの考えを示して理解してもらい、新しい局面を迎えたい。福島県には十分な補償を行い、指定廃棄物は拡散させずに処分するべきだ。環境省には基本方針を見直してほしい」と述べました。
国は、今月9日に宇都宮市で会合を開き、県内すべての自治体の長に対して、候補地選定の基準などについて改めて説明することにしています。


 

No.961 (2014/11/04)“IPCC=裸の王様”をいつまで生かしておくのか?

 未だに“気候変動に関する政府間パネル=IPCC”という組織が解体されずに存在すること自体がバカバカしい限りです。正に裸の王様です。このバカ殿によって、民衆の財産が収奪され浪費されている現状は、悲劇以外の何物でもありません。
 第一に、人為的な生産活動に起因する二酸化炭素排出による温暖化という現象自体が存在していません。これはまともな自然科学者ならだれでもわかっていることです、ただし気象と環境の研究者は除いてですが・・・(笑)。
 第二に、現在IPCCを主導している欧米諸国、日本政府の行っている温暖化対策≒CO2排出量削減政策は、非科学的であり、全くCO2排出量削減には結びつかない馬鹿げた対策です。

 実に無能な新聞屋をはじめとする報道機関のカボチャ頭諸君は、ハロウィンかぼちゃ同様(笑)、頭のなかがスッカラカンのようで、研究費欲しさに温暖化の脅威を煽る気象や環境の似非科学者や、通常の市場では売れるはずのない高額商品を売りつける環境ビジネスのお先棒を担いで、温暖化の脅威を煽るばかりで、まともな検証すら行っていません。
 そういえば、昨日は日本の大手新聞社の中で最も温暖化の脅威を煽り、再生可能エネルギー導入に熱心な=最もカボチャ頭の朝日新聞からのアクセスが有りましたが、少しは反省しているのかね?!(笑)。

 まずは昨日の大分合同新聞の記事を2つ紹介しておきます。

 

 記事はいずれも共同通信の配信記事のようです。共同通信もカボチャ頭ばかりのようです。

 さて、今更説明し直すこともバカバカしいのですが、人為的なCO2による地球の温暖化など存在しないことを簡単に説明しておきましょう。まずは、IPCC2007による炭素循環図を示しておきましょう。

 この図をまとめておきますと、地球大気に放出される年間のCO2放出量qinは炭素重量で218.2Gt/y、同じく大気から地表面環境が吸収するCO2吸収量qoutは215.0Gt/yです。

 大気中に存在するCO2量Qは762.0Gtです。前述の通り、地球の表面環境は年間qout=215.0Gt/yだけCO2を吸収しますから、CO2の平均滞留時間tは

t=762.0/215.0=3.544年=1/r

rは地表面環境のCO2についての年間吸収率です。つまり、大気中のCO2は急速に入れ替わっており、蓄積し続けるということはないのです。現在大気中に存在しているCO2の経年残留率は経過年数をTとすれば次式の指数関数で表すことが出来ます。

CO2残留率=exp(-rT)

Tを平均滞留時間tの3倍(=10.632年)とすると、残留率は

exp(-3rt)=exp(-3)=0.05=5%

つまり、現在大気中に存在するCO2は10年もすれば95%程度入れ替わってしまうということです。

 次に、大気に放出されるCO2の内、人間の産業活動によって放出されているのは、わずかに6.4Gt/y、率にして3%程度に過ぎません。従って、現在の大気中CO2濃度を390ppmとすると、人為起源のCO2による影響は

390ppm×3%=11.7ppm

に過ぎないのです。これは何を意味しているのか?たとえ、人類が人為的に放出するCO2をゼロにした所で、大気中CO2濃度を12ppmも下げることが出来ないということです。

 これは、現在の人為的CO2地球温暖化の標準的な説明とはずいぶん違うではないかと思う方もいるでしょう。それほど現在流布している温暖化の説明はバカバカしいということです。
 このバカバカしい説明について、日本の最高学府の頂点に君臨する(笑)、東京大学名で発行された書籍「地球温暖化懐疑論批判」(2009年、東京大学IR3S/TIGS叢書No.1)から少し引用しておきます。



 ちなみに、(近藤2006)はこのホームページの記事です(笑)。

 この文章を書いた人物は(おそらく東北大学の某氏でしょう…)一体何を言っているのか、私には意味不明です。自然現象を預金のアナロジーで語ることに何の意味があるのか、なぞらえることが悪いとまでは言いませんが、なぜそのような自然現象が起こるのかを全く説明していません。このような書籍が東大の名で発刊されているとは、日本の恥です。
 さて、ここでは、産業革命以降に人為的に放出されたCO2の炭素重量が350Gtという莫大な量になり、その半分程度が蓄積して産業革命以降の大気中CO2濃度の上昇を引き起こしたという主張です。IPCC2007の炭素循環図で言えば、大気中に存在するCO2の増加量165.0Gtの全てが人為的な影響ということです。バカバカしい限りです。

 この主張を簡単に否定しておきましょう。
 第一に、産業革命以降の同じ期間に、自然現象として大気中に放出されたCO2量は、おそらく40000Gt程度(=200Gt/y×200y)になります。人為的な放出量など1%にも満たない量であり、ほとんど無視できます。

 第二に、既に説明した通り、大気中に存在するCO2は急速に入れ替わっており、人為的に放出されたCO2だけが選択的に大気中に蓄積するなどということは起こり得ません。

 単純な話です。満足すべき基本的な条件は、大気中にCO2が一旦放出されてしまえば、その放出源の如何、放出時期の如何にかかわらず、大気中に存在する全てのCO2は同様の振る舞いをする、ということです。これは熱物理学者の槌田さんや私の主張する循環モデルであろうが、蓄積モデルであろうが外すことの出来ない大前提です
 この条件を満足する蓄積モデルを考えてみます。彼らの主張は、産業革命以降に大気中に放出されたCO2の一部が蓄積したことによって大気中のCO2濃度が上昇したというものです。大気中に放出されたCO2の合計は、前出の値を用いると

350Gt+40000Gt=40350Gt

大気中CO2の増加量は165.0Gtですから、蓄積率Rは

R=165.0/40350=0.00409

従って、人為的に放出したCO2の内で大気中に蓄積されているCO2量は次のようになります。

350R=1.43Gt

 このように、放出源による特別扱いをしない“まともな蓄積モデル(笑)”で計算すると、大気中に存在する人為起源のCO2量は、私達の主張する循環モデルの値22.7Gt(=6.4Gt/y×3.544y)よりもはるかに少なくなってしまうのです(ただし、この蓄積モデルでも産業革命以前に大気中に存在していたCO2と、それ以降に地表面環境から放出されたCO2を区別しています。大気中に存在する全てのCO2が同じ振る舞いをするという条件を満足するのは、循環モデルしかありません。)。

 人為的CO2地球温暖化の標準的なCO2濃度モデルは以下の3つの自然科学的にはあり得ない仮定の産物です。

@自然起源のCO2は放出されたその年に全て地表面環境に吸収されてしまい、大気中のCO2濃度に影響を及ぼさない。
A人為起源のCO2は、その量の如何にかかわらず、放出されたその年に半分は地表面環境に吸収され、半分が大気中に蓄積する。
B人為起源のCO2の内、放出された年度に地表面環境に吸収されなかったものは、その後も地表面環境に吸収されることはなく、大気中に蓄積され続ける。

 つまり、人為的CO2地球温暖化の標準的な蓄積モデルは、大気中にあるCO2について、その放出源によって異なる振る舞いをすること、また、放出された時期によって異なる振る舞いをすることを前提に組み立てられた、ご都合主義の噴飯物の、子供だましの(大多数の大人も騙されているようですが…)戯言にすぎないということです。

 つまり、大気中のCO2濃度を人為的に制御することなど不可能なのです。仮に、“大気中CO2濃度の増加による温暖化”というものが実在しているとしても、現在行っている温暖化対策など無意味だということです。こんなことがどうして新聞屋や報道機関のカボチャ頭には理解できないのか、不思議でなりません。


参考:循環モデル

微分方程式

dQ/dT=qin−qout=qin−Qr

初期値をQ0とした場合の解

Q(T)=qin/r+(Q0−qin/r)exp(−rT)


 さて、IPCCでは1997年の京都議定書に従って、締約国はCO2排出削減に努力してきた“はず”です。その中で、西欧各国は日本に比較して随分と温暖化対策が進んでいると新聞屋や報道機関が宣伝していますが、果たして実体はどうなのでしょうか?

 上図に示す世界各地域の一次エネルギー消費の動向を見る限り、欧州・北米のエネルギー消費はさほど顕著な削減効果は出ていません。更にこの期間、OECDの世界シェアは一貫して減少傾向を示しており、その減ったシェアの多くをアジア大洋州が担うようになっています。工業生産規模の減少を考えると、京都議定書以降、欧州・北米のエネルギー利用効率の向上はほとんど無いのではないでしょうか?

 上図は同じ期間のエネルギー源別の一次エネルギー消費の動向です。お分かりのように現在でも石炭と石油・天然ガスが80%以上を占めており、消費量は単調に増加しており、しかも上昇率は大きくなっています。
 その一方で、鳴り物入りで騒がれている新エネルギー≒再生可能エネルギーの比率はわずかに1%です。

 蛇足ですが、上の2つのグラフで2008〜2009年に一次エネルギー消費量が減っているのは、リーマン・ショックで世界的に景気が悪くなり、工業生産が減少した結果です。エネルギー消費を減らすためには経済規模を縮小することが特効薬だということです(笑)。温暖化対策など、何の役にも立っていません。

 京都議定書以来、15年経過した時点で、欧州を中心にCO2排出削減対策が進んでいるような報道があふれていますが、実質的には欧州でもほとんどCO2排出量は減少しておらず、世界規模で見ればCO2排出量はますます増え続けているというのが実態であることを直視しなければならないでしょう。新聞屋や報道機関は殊更日本の温暖化対策の遅れを悲観する自虐的な扇動記事ばかり書いていますが、一体何を見ているのでしょうか?

 IPCCの報告では、2050年に2010年比で40〜70%のCO2排出量の削減、今世紀末に排出量ゼロとするシナリオを挙げているといいますが、この現実を直視すれば不可能であることは火を見るよりも明らかです。更に、工業生産の理論から不可能なのです。

 工業生産とは、何らかのエネルギー資源の消費に支えられた動力装置を基礎にした工業生産システムに原材料資源を投入することによって工業製品を生産する過程です。工業生産システムを維持しつつ、化石燃料消費をゼロにするためにの必要条件は、再生可能エネルギー供給システムを再生可能エネルギーによるエネルギー供給だけで再生産した上で、他の工業生産分野の消費エネルギーを賄うことです。これは不可能です。風力発電装置の供給電力だけで風力発電装置を再生産できるとお思いですか?(笑)。

 自然エネルギー発電装置の中で風力発電装置について考えてみます。風力発電装置によって供給される電力の原料は自然風です。従って電力の原料としては化石燃料は不必要です。しかし、風力発電装置の製造には莫大なエネルギー投入と鉱物資源が必要です。
 例えば、2MW陸上風力発電システムの総重量は200〜300t程度です。設備利用率は15%程度ですから、実質的な発電能力は0.3MW=300kW程度です。
 身近な単位である馬力に変換すると0.3MW=408PS(仏馬力≒735.5W)です。F1レーシングカーであれば700〜800馬力程度で、重量は700kg程度ですから、いかに風力発電装置が鉱物資源浪費的な動力装置であるかが分かります。
 また、同程度の発電能力の火力発電装置の重量は10t程度でしょうか。

 つまり、風力発電装置は発電において化石燃料は不要ですが、発電装置を製造するために火力発電装置に対して20〜30倍程度の鉱物資源を消費し、同時に20〜30倍程度のエネルギー投入を必要とするのです。
 更に、風力発電の不安定なクズ電力を利用するためにはバックアップ用の安定した発電システムや蓄電装置が必要であり、これを維持するための鉱物資源やエネルギー資源消費も莫大な量になります。
 従って、従来の化石燃料によるエネルギー供給システムを再生可能エネルギー発電装置システムで代替することによって、エネルギー供給装置システムのハードウェア規模は現状の数10倍〜100倍程度になり、従ってエネルギー供給システム関連の工業生産規模も数10倍〜100倍程度にまで爆発的に拡大することになります。これを運用するためには更にエネルギー供給を増やさなければなりません。

 結果として、化石燃料によるエネルギー供給システムを再生可能エネルギーで代替することによって、発電装置そのものの化石燃料消費が減ったとしても、その関連施設運営や再生可能エネルギーを利用するための装置を製造する工業生産分野の化石燃料消費が飛躍的に大きくなることから、全体としての化石燃料消費が削減される可能性は殆ど無く、むしろ増加する可能性が高いのです。加えてレアメタル、レアアースを含めた鉱物資源消費量は爆発的に大きくなるのです。

  冷静に考えれば、優れた化石燃料によるエネルギー供給システムを、低効率の自然エネルギーによる供給システムに変更すれば、エネルギー資源の利用効率が低下すると同時に、莫大な鉱物資源消費の増大、従って、エネルギーが高コストになるのは当然なのです。
 ではなぜ先進国グループはCO2温暖化を正しいとして再生可能エネルギーの導入に熱心なのでしょうか?実に単純です。通常の市場では売れないような高額商品を政府のお墨付きで売りさばくことが出来る、儲かるからです。


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