No.1140 (2016/09/18)天皇制を政治的に利用することが目的
皇国史観と機関としての天皇と人間としての天皇

  安倍ファシスト政権や、日本会議は皇国史観に基づく天皇制の復権を目指しています。しかしながら、建前とは異なり、彼らが本当に望んでいるのは天皇家や天皇個人に対する尊崇ではなく、天皇という権威を借りて、自らの権威を拡大し、大衆を統治することのようです。

  ここで、皇国史観登場の歴史的な背景を考えてみます。
  武家政権が日本の主要な統治機構となった鎌倉時代以降、天皇家を中心とする公家は形式的なものであり、武家に対する権威付けに利用されていたに過ぎません。最後の武家政権であった徳川政権の打倒に於いて、倒幕勢力による革命を正当化するための大義名分として江戸時代末期に再び天皇家や公家が担ぎ出され、明治政府による国家体制において天皇は元首として復権しました。
  皇国史観とは、日本という国が天照大神に続く天皇家が万世一系の男系の天皇家ファミリーによって家族的に統治されてきたというものです。もちろん、歴史的な事実ではありません。皇国史観は明治政府の権威付け、元首として戴く天皇家の正当性を主張するために作られたフィクションです。

  明治時代において天皇の復権と同時に、国家による神道の再編が行われました。これを国家神道と呼ぶことにします。国家神道は民間信仰の氏神やアミニズムとしての世俗的な宗教としての神道ではなく、他の宗教から超越した存在であり、国家体制の中に組み込まれた組織を持ち、「臣民」を天皇の下で統合するための行動規範です。

  明治憲法における天皇の位置づけは天皇機関説で特徴づけられるものでした。それは日本という国家の統治権は国家に属するものであり、天皇は実際に統治を行うための各級の機関の最高位に位置して内閣などの助言を受けながら統治権を行使する機関であるというものです。 明治〜大正期には曲がりなりにも立憲君主制が機能していたと考えられます。

  ところが、大正デモクラシーを経て、次第に軍部が台頭し、日中戦争前夜1935年に、いわゆる『天皇機関説事件』が起こり、天皇を国家の一機関と言うのは不敬だとして、日本の統治権そのものが現人神=天皇に属するものだとし、天皇による国家統治機構を『国体』と呼びました。
  国家神道は西欧におけるキリスト教同様に、国家神道による日本民族の選民思想となり、天皇=神の名のもとに周辺諸国を開放し日本国家のもとに統一するという『八紘一宇』『大東亜共栄圏』というスローガンのもとに、周辺アジア諸国に対する侵略戦争を正当化する
ことになりました。

  No.1138で紹介した安倍ファシスト政権の閣僚たちが加入している日本会議などの皇国史観を奉じる国粋主義の運動体の取り戻したい『美しい日本』とは、現人神=天皇が国家の全権を掌握し、国家神道の権威が最高潮にあった1935年〜1945年の敗戦前の10年間の天皇制ファシズム=軍国主義日本です。 

  さて、明治日本以降に成立した近代日本の国家体制としての天皇、ないし天皇制とは何でしょうか?
  明治初期〜大正デモクラシーまでの天皇制は、立憲君主制の国家であったと思われます。まだ議会の機能が健全であったと考えられ、基本的には内閣と議会によって国の方針が決定され、天皇はこれを承認して発布していたものと考えられます。
  1935年の天皇機関説事件を経て、議会の機能が実質的に停止し、軍部と内閣によって政策が決定されるようになり、最終的には内閣≒軍部という軍国主義日本になりました。しかし、軍国主義日本においても形式的には国家の全権は天皇に存するとされ、天皇制ファシズムとも呼ばれましたが、実質的には軍部の意向で政策が決定され、天皇には拒否権は存在しなかったというのが実態であろうと考えられます。

  このように、明治以降の日本の天皇制に於いて、天皇は多くの場合、内閣あるいは軍部の決めた政策を追認して発布していたというのが実体です。不都合なことは天皇に上奏せずに内閣や軍部の独断で政策や作戦計画が実行されていたことが伝えられており、度々内閣や軍部の意向と天皇の意向が食い違うこともあったようです。
  もちろん、形式的に全権を掌握していた国家元首としての天皇に日中戦争や太平洋戦争の戦争責任があることは当然ですが、中日戦争や太平洋戦争を実質的に指揮していたのが軍部であるというのが現実でしょう。 

   戦後、占領軍のもとで日本国憲法が発布され、天皇は実権を剥奪され、象徴天皇になりました。しかし、明治以降、一貫して天皇は内閣や軍部による政策を追認している場合がほとんどです。逆に言えば、実質的に権力を掌握していた内閣や軍部が天皇を権威付けに利用していただけであり、天皇に与えられていた権能そのものは、極論すれば戦後の象徴としての天皇と大きく変わるところはないように思われます。

  安倍ファシスト内閣の思想的なバックボーンである日本会議の主張は、皇国史観に基づき、日中戦争や太平洋戦争は正義の自衛のための戦争であったと主張します。当然極東軍事裁判におけるA級戦犯は英霊であり、国家のために尽くしたものとして崇めています。また、日本は万世一系の天皇家の統治する美しい国であるべきであり、天皇を尊崇するとしています。
  その一方で、現実の外交政策として安倍ファシスト政権は、太平洋戦争で日本軍国主義を滅ぼした、最大の敵国であるはずの米国に擦り寄り、日本中で米軍の駐留を許し、あまつさえ米軍への軍事協力を日本の議会で議論する前に米国議会で約束するなど、正に売国的な行為を行っています。私には論理的に理解不能であり、ご都合主義としか言い様がないと考えます。

  しかし、天皇本人の思いは安倍ファシスト政権や日本会議の主張とは全く違うところにあるようです。
  昭和天皇裕仁氏は軍部の非道な行為には反対であったし、天皇を欺いて太平洋戦争を開戦に導いたA級戦犯東条英機の靖国神社への合祀を不快として、それ以後靖国神社への参拝を行っていません。
また平成天皇明仁氏は裕仁氏の思いを受け継ぎ、日中戦争や太平洋戦争という侵略戦争の犠牲者に対して謝罪の旅を続けています。
  明仁氏は聞き及ぶ限り誠実な平和主義者であり、安倍ファシスト政権や日本会議が主張するように軍隊を増強して再び戦争の出来る国になることを全く望んでいないようです。また、天皇とは明治憲法における全権を掌握する存在ではなく、日本国憲法の象徴天皇のほうがより伝統的な天皇のあり方に則したものだとも表明されているようです。

  安倍晋三や多くの国会議員たちや日本会議がA級戦犯を英霊とし、合祀している靖国神社へ詣でる姿勢は、天皇の御心に背く行動であり、不敬ではないでしょうか?あるいは平和憲法を改正して戦争を再び出来る国にしようという姿勢も不敬ではないでしょうか?日米軍事同盟の強化は不敬ではないのでしょうか?

  結局、安倍ファシスト政権や日本会議は、皇国史観と国家神道という自らの権力を強くする国家システムの復権を手に入れたいだけであり、天皇家や天皇を尊崇する気持ちなどないのではないかと考えざるを得ません。 

  明仁氏は、生前退位の意向を示しています。私は明仁氏個人は誠実な平和主義者であり、安倍晋三などとは比較にならない人格者だと思います。
  しかし、現憲法の象徴天皇であれ、結局明仁氏の意に沿わない戦争行為であろうと、国会と内閣によって決められた政策には意見を述べることさえ出来ずに、無条件で承認するしかないのです。天皇という肩書から開放されない限り、天皇は常に権力者にいいように利用され続けることになるのでしょう。
  同じ人間として政府の飼い殺し状態にある明仁氏や天皇家の人々に同情せざるを得ません。個人の平等を認める民主主義の国家であるならば、公民権や思想信条の自由さえない天皇という職業はできるだけ早く廃止すべきではないかと考えます。

 

No.1139 (2016/09/18)原子力発電システム葬送の処方箋
九電力会社の解体とすべての原子力関連施設の国家管理以外にない

  既にお伝えした通り、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉がほぼ決定的な状況になりました。これで事実上、核燃料サイクルの最低必要条件である高速増殖炉技術の完成が不可能になったことを意味します。したがって、日本の全ての原子力発電の存在意義が喪失したのです。

  冷静に考えるならば、可及的速やかに全ての原子炉を停止して、順次廃炉に取り掛かることが原子力発電にかかるトータルの社会的費用と将来世代への負担を最小化することになります。これは議論の余地はありません。現実的にはその判断をいつ行うか、という『政治課題』ですが、それはここでの議論ではありません。

  では、何も生み出さないどころか、将来的に放射能汚染の危険を避けるためには莫大な資本の投入が必要となる負の遺産である原子炉や放射性廃棄物処理を一体どのように日本社会が負担すべきなのかを提案したいと思います。

@原子炉、放射性核廃棄物の後処理には長大な年月が必要になります。現実的には後処理と言っても人間に出来ることは放射性廃棄物をできるだけ安定な形に加工することだけであり、後はひたすら生活環境から隔離して監視の下に保管し続けるしかありません。下図に示すように、ガラス固化体にした放射性廃棄物がウラン鉱石レベルまでに放射能が減衰するまでには、数万年という途方もない時間が必要なのです。

 もし管理に失敗したり、途中で管理を放棄すれば、それは将来世代が放射能汚染に苦しむことに直結します。

Aこの長期間の管理も含めて、廃炉や放射性廃棄物処理には途方もない資金が必要になります。その費用を一民間企業である九電力会社という民間企業ではとてもまかないきれませんし、九電力会社がいつまで存続するかもわかりません。原子力発電システムの処理に必要な社会的費用は、残念ながら国民全てで負担するしかありません。

B更に、放射性廃棄物の処理に携わる優秀な人材を長期的に安定して育成することが必要になります。

  以上を総合すれば、原子力発電に関連するすべての施設、放射性廃棄物は国家管理する以外にありません。そして費用負担は税金で賄う以外にはないと考えます。
  しかしその前に九電力会社には応分の責任を取らせなければなりません。彼らは、この莫大な後処理費用を隠したまま、これまで莫大な利益を貪ってきたのですから。電力自由化という社会状況を踏まえるならば、九電力会社は送電線網管理会社として存続させるとして、それ以外のすべての保有資産を売却させ、売却益を全て国庫に納めさせ、原子力発電後処理のための公的基金に積むことを強制することが必要だと考えます。

  さて、この高速増殖炉『もんじゅ』の廃炉によって、既存の軽水炉原子力発電の再稼働問題は前提が全く変わることになります。現在の再稼働問題で主要な問題になっている安全性の問題以前に、日本の原子力発電システムの存在意義の問題を、国政レベルで根本から問い直すことが必要になっています。この問題に対して国家レベルの方針を出すまで、停止中の原子力発電所の再稼働は中止することが当然だと考えます。

 

No.1138 (2016/09/17)戦前回帰の自民党憲法草案は何を目指す?
安倍ファシスト内閣の皇国史観に基づく国粋主義による憲法改正の正体

  このHPでは、第一次安倍内閣の登場当初からその戦前回帰のアナクロニズムによる『美しい日本を取り戻す』という誠に気味の悪いキーワードで前時代的な価値観に基づく「日本の戦後レジュームからの脱却」という政治姿勢に警鐘を鳴らしてきました。第一次安倍内閣による教育基本法の改正が最初の実質的な『成果』でした。

  そして、第二次、第三次安部政権では、彼らの目指す最終目標である憲法改正を現実の政治課題に掲げています。その前触れとして、戦後歴代政権が曲がりなりにも築いてきた平和主義を形骸化する集団的自衛権を含む安全保障関連法改正を強行しました。
  本来、国会議員を含む公務員には憲法遵守義務が規定されており、憲法に反する内容を持つ法改正は許されないことであり、本来ならば安全保障関連法の改正は無効であり、これを提案した安倍ファシスト内閣、そしてそれを支持した国会議員は辞職に値することです。しかしながら、日本には憲法裁判所は存在しないので、本来ならば直近の国政選挙において主権者である有権者が投票行動で安全保障関連法の改正に協力した議員を落選させなければならないのですが…。

  安全保障関連法の改正は、自民党の憲法政策ブレーンの一人であった慶応大学の憲法学者である小林節氏をもってしても憲法違反というほかない暴挙でした。安部政権の閣僚である麻生太郎が憲法改正についてナチスドイツのように圧倒的な国民支持を取り付けて形骸化すれば良いという発言をしましたが、正に現実もそのようになりました。まさに現在の安倍ファシスト政権下の日本はナチスドイツ成立前の状況と類似しているように思われます。

  参議院選挙の勝利で、自民党・安倍ファシスト政権は憲法改正の発議が可能な状況になっています。彼らが最初に狙っているのは、緊急事態条項を憲法に書き加えることです。緊急事態条項を含めて、自民党憲法草案を通底する考え方の基本は、主権者たる国民の権利を侵害しないように国家権力の横暴を制限するという立憲主義を転倒させ、憲法によって国家に奉仕するように国民に義務を課し、場合によっては国民の権利を公益のもとに制限することを規定することです。前出の憲法学者の小林氏に言わせれば、「自民党は立憲主義というものを理解しておらず、自民党憲法草案は憲法の体をなしていない」のです。安倍ファシスト政権・自民党による憲法草案は、国民主権の否定そのものです。

 この点について、小林節氏と樋口陽一氏の対談をまとめた集英社新書『「憲法改正」の真実』という本に簡潔にまとめられています。

  さて、安倍晋三や日本国憲法を目の敵にして憲法改正を目指す自民党議員たちの強烈な情念はどこから来るのでしょうか?彼らの共通の思想的なバックボーンは、日中戦争・太平洋戦争をアジア諸国の西欧による植民地からの開放と日本の国体を守るための自衛の戦争であって、正しい戦争であり、不幸にして欧米の圧倒的な武力によって負けたものの、反省するようなことはないというものです。戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)で有罪となったのは戦勝国の一方的な言い分であり、日本の行動に恥ずべきところはないと考えているのでしょう。彼らには、日本は理不尽な連合国によって攻撃され降伏させられたという被害者意識しかないのです。
  彼らは、日中戦争、太平洋戦争が日本軍国主義による侵略戦争であり、アジア諸国に対して非戦闘員に対する大虐殺を含む多大な犠牲を強いたことを反省するという、まっとうな歴史観を「自虐的歴史観」として攻撃し、日本の未来を担う子どもたちに教えるべきではないと考えているのです。

  安倍晋三が「美しい国を取り戻す」とよく言います。彼の言う美しい国とは何でしょうか?それは、皇国史観(日本は万世一系の男系の天皇によって統治されてきたという歴史観)に基づく国粋主義と、その精神的な管理制度であった国家神道を日本社会の行動原理・制度とする国家体制=太平洋戦争前夜から敗戦まで続いた軍国主義日本です。
  彼らは自虐史観を否定して、日中戦争や太平洋戦争で犯した日本軍の残虐行為はなかったようなふりをして、日中戦争や太平洋戦争は神国日本が西欧による植民地支配を排除した正義の戦争であり、自衛のための戦争=正しい戦争=美しいと強弁しているのです。
  したがって、敗戦前の国家体制は否定されるべきものではなかったが、不幸にも戦争に負けたために占領軍によって国体が解体され、憲法が押し付けられたのだから、戦後70年を経過してそのような占領軍によって強制された戦後レジームから脱却して、今こそ戦前の『美しい』国家体制を復活させよう、というのが安倍ファシスト内閣の主張なのでしょう。

  安部ファシスト政権の精神的・理論的なバックボーンにあるのが、皇国史観、国粋主義、国家神道の復権を目的とする運動体である『日本会議』などの国粋的な運動体の思想です。この非科学的・非論理的な選民意識をもつ宗教団体等が、いま日本という国の内閣の精神的なバックボーンになっていることは、誠に薄気味悪く、おぞましい、そして危険な状況だと考えます。日本会議については、日本の無能なマスコミはあまり取り上げていませんが、ぜひとも知っておくべきだと思います。山崎雅弘氏の「日本会議/戦前回帰への情念」(集英社新書)という本を紹介しておきます。

  この本の中に、第三次安倍改造内閣の閣僚の多くが日本会議や、その友好団体である神道政治連盟に所属していることが紹介されています。

  国民が知らない間に、日本の国政は敗戦以前の国家体制を肯定的に捉えて、そこに回帰することを目的にしている政治家によって牛耳られているのです。

  皮肉にも(笑)、安倍ファシスト政権・自民党の標榜する国家像=『国体』とは、西欧民主主義とは正反対の極にあるものであり、むしろ安倍ファシスト政権が敵視している北朝鮮の神格化された金ファミリーによる世襲政権に酷似しているようです。

 

No.1137 (2016/09/15)高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉の意味
日本型原子力発電システムの存在意義の喪失と核兵器開発

  エネルギー資源小国の長期エネルギー戦略としての日本型原子力発電システムは、高速増殖炉核燃料サイクルの安定運用が最低の必要条件でした。
  しかし、高速増殖炉の技術開発は困難を極め、安定運用には遠く及ばず、フランスのスーパーフェニックスの廃炉以後、世界で唯一延命していた日本原子力研究開発機構の「もんじゅ」でしたが、ほとんど稼働できないまま廃炉の可能性が高くなりました。新聞報道を紹介します。

  今更、ですが、半世紀以上も前に立案された戦後日本の長期エネルギー政策では、日本に資源のない石油エネルギーからの脱却を目指して、中期的には高速増殖炉核燃料サイクルによる原子力発電システムの運用、最終的には核融合炉の実現による半永久的な自前のエネルギー供給システムを構築するというを『見果てぬ夢』を目指していました。

  現実的には原子力発電の『燃料』であるウランについても日本は資源小国ですが、それがなぜ自前のエネルギーに繋がるのか?天然ウランの内で原子炉燃料として利用可能な核分裂性の235Uの割合は0.7%であり、99.3%を占める238Uは利用できないものです。
  日本はウラン燃料製造過程で廃棄される劣化ウランやウラン燃料を用いる原子炉の使用済み核燃料から得られる、いわば廃物である非核分裂性の238Uを高速増殖炉で核分裂性の239Puに変換して=自前で生産して繰り返し利用することで国産のエネルギー資源を得る事が出来ると考えたのでした。高速増殖炉核燃料サイクルが安定運用可能になれば、使用済み核燃料からはウラン燃料の数十倍のエネルギーが得られる有用な資産になるはずでした。
  日本でウラン核燃料のワンススルーの軽水炉で使用するだけでは、得られるエネルギー当たりの燃料コストが多少安いというだけで、石油燃料がウラン燃料に変わっただけで、ほとんど100%の輸入燃料であることには変わりありません。高速増殖炉核燃料サイクルが実現不可能になれば、使用済み核燃料は極めて危険で扱いづらい高レベル放射性廃棄物となり、その処分には莫大な追加資産の投入を必要とする超不良資産になってしまうのです。それまでを含めれば、燃料価格は石油燃料よりも遥かに高価になってしまいます。
  
悪あがきとして、軽水炉でMOX燃料を使用するという無理な運用が開始されていますが、既にこのコーナーで触れた通り、MOX燃料の価格はウラン燃料価格よりも遥かに高価であり、敢えてプルトニウムを軽水炉で使用することに経済的あるいはエネルギの効率化の意味はありません。

  つまり、日本における原子力発電は、高速増殖炉核燃料サイクルが破綻することによって、エネルギー供給技術としての存在意義は消失し、残るのは廃炉と放射性廃棄物の処理に対する莫大な費用負担だけです。廃炉と放射性廃棄物の処理費用を最小化するためには即刻原子力発電を停止して廃炉にとりかかる以外に合理的な選択肢はありません。

  高速増殖炉核燃料サイクルを断念するのであれば、使用済み核燃料再処理も必要なくなります。本来ならば、青森県六ケ所村で行われている再処理工場建設も当然中止すべきです。高速増殖炉核燃料サイクルを断念するにもかかわらず、使用済み核燃料再処理を継続するとなれば、その意味は極めて明確です。それは、核兵器用の軍事目的のプルトニウムを生産すること、それだけです。

 

No.1136 (2016/09/15)米軍B1爆撃機を朝鮮半島に派遣
北朝鮮を標的とする米韓軍事演習に参加する日本の無能な防衛外交政策

  前回書いた通り、日本の実効性のある対北朝鮮安全保障政策は、朝鮮戦争の当事者である米韓両国とは一線を画し、独自に北朝鮮との外交交渉によって不可侵条約ないし平和条約の締結に進むことだと述べました。
  折しも北朝鮮の核実験の時に訪朝していたアントニオ猪木氏に対して、北朝鮮高官は核戦略はあくまでも北朝鮮に対して理不尽な締め付けを行い軍事的脅迫を続けている米国に対して行われているものであって、日本に向けたものではないこと、先制使用はあり得ないと説明しました。この言葉はかなり信頼できると思います。
  この緊張した時期にアントニオ猪木氏という日本人の保守政治家を受け入れ、丁重に対応していることを考えれば、北朝鮮は日本を敵視するどころかむしろ関係改善を希望していると考えられます。繰り返しますが、北朝鮮と平和条約を締結する好機であろうと考えます。
  しかし、安倍ファシスト政権が米韓と歩調をともにして、軍事同盟化を強めれば北朝鮮としても対応せざるをえないところでしょう。

  米国は、事あるごとに北朝鮮を挑発することで休戦協定破棄の大義名分を得て、先制攻撃で北朝鮮を一気に崩壊させることを狙っているというのが本音であろうと考えます。日韓は米国の道具にされていることに気づくべきです。

  無能な安倍ファシスト政権の前時代的な武力を頼みとする外交防衛政策は、予想通り日米韓軍事同盟の強化で対応しようとしているようです。更に、日本独自の制裁強化を行っており、みすみす外交交渉の好機を自ら潰して日本国民を危険にさらしています。なんという愚かな対応でしょうか。このような対応を繰り返せば緊張が極限に達したとき、不幸な結果(=アジア人の血が流れること)をもたらすことが予測されます。
 

  

No.1135 (2016/09/10)北朝鮮の核・弾道ミサイル技術は実用段階に
面子と安保に縛られた日本の外交・安全保障政策は全く実効性がない

  既に報道でご承知の通り、昨日、北朝鮮が核弾頭の地下実験を実施して成功したようです。この実験に先立ち、三機の弾道ミサイルを日本海の同一海域に着弾させました。また、潜水艦発射型の弾道ミサイル(SLBM=submarine-launched ballistic missile)の発射実験にも成功しています。失敗を繰り返しながらも、北朝鮮の核弾道ミサイル技術は急速に実用レベルに近づいているようです。大分合同新聞の昨日夕刊の記事を紹介します。

  一連の北朝鮮の核弾道ミサイル技術開発の実験のたびに、我が無能な日本政府は『国連決議違反は明らか』であり『許容できない蛮行であり、断固批判する』として『さらなる制裁措置を課す』とお決まりのお題目を唱えるばかりで、なんの実効性もありません。

  この間、北朝鮮は日米韓の非難、あるいは国連決議に対して、自衛のための軍事技術開発であり、正当な権利という主張をしており、いくら批判を繰り返したところで北朝鮮の核弾道ミサイル開発を止めることが出来ないことは分かりきっています。確かに、朝鮮戦争は休戦中にあるだけで戦争状態にあるわけですから、戦争当事者である北朝鮮に対して軍事技術の開発をするなと言ったところで、『はい、そうですか』と聞くわけはないのは当然です。
  事実、一方の当事者である米国は核兵器を含む武器開発・研究を進めているわけで、北朝鮮だけに文句をいうのは不公平極まりないでしょう。

  また、核兵器開発の中止に応じない北朝鮮に対して経済制裁を繰り返していますが、これとてほとんど効果がないのが実情です。

  さて、国家の安全保障政策において、為政者は国民の安寧を図るために可能なかぎりあらゆる方策を行使すべきです。国民の安全を確保するためであれば、他国の主権や権益を害するのでなければ、自国の面子であろうと大義であろうと構うものではないと考えます。

  客観的な日本の置かれている状況を冷静に判断すれば、採るべき道は明らかだと考えます。

@北朝鮮の核兵器技術は、近い将来日本本土を直接攻撃できるレベルに達する。
A北朝鮮は他国による核兵器開発停止の要請を受け付けない。
B日米韓軍事同盟を頼みにしても、北朝鮮が日本に対して核攻撃を行った場合にミサイル迎撃システムなどによってこれを無力化することは技術的に不可能。
C韓国あるいは米国とは異なり、日本は朝鮮戦争の当事者ではない。

  したがって、日本の安全を確保するためには、韓国や米国と行動をともにする必要はなく、批判や制裁を行うのではなく、独自の北朝鮮外交によって不可侵条約ないし平和条約の締結を目指して交渉を積極的にすすめること、それこそ拉致問題を解決する意味でも唯一の方策だと考えます。
  むしろ、米国と韓国に対しては、米韓軍事演習などによる北朝鮮に対する挑発行動を中止するよう要請するとともに、北朝鮮との平和条約締結のための交渉に応じるよう説得すべきだと考えます。

  安倍ファシスト政権は強がった姿勢で断固北朝鮮を非難すると息巻いていますが、そんなことで日本の安全を守れる保証はないどころか、北朝鮮を挑発することは日本を危険に晒すことになります。安全保障とは国土と国民を外力から守ることであって、危険を増大させることではありません。安全保障条約というものは国土と国民の安全を確保することを目的とするものであって、日米安保によって日本の国土と国民を危険にさらすのでは本末転倒です。そんな日米安保条約など百害あって一利なしであり、可及的速やかに廃止すべきです。

  米韓の挑発に乗って、北朝鮮が休戦協定を破棄して戦争状態に戻れば、集団的自衛権の「血の同盟」である日本の米軍基地は攻撃の対象になることは必然的です。そんなことは断じて避けなくてはなりません。

  可能性として日本を北朝鮮の攻撃から守るもう一つの方法は、日米韓軍事同盟の圧倒的な先制攻撃で北朝鮮の反撃能力を徹底的に叩くことです。しかし、これでは日米韓の行動こそならず者の所業ではないですか?

 

No.1134 (2016/09/08)三反園鹿児島県知事の見通しのない原発政策
脱原発を実現するには国政レベルの長期的な戦略が不可欠

 

 三反園氏は、脱原発を政策の一つに掲げて、脱原発の市民運動の支持を取り込む形で鹿児島県知事に当選しました。

  このHPはもちろん原子力発電には反対であり、出来ることならば即時停止することが望ましいことを再三述べてきましたが、現在の脱原発運動には懐疑的であることも述べてきました。

  脱原発に実効性を持たせるためには、国政レベルで脱原発を政策化して法的な裏付けを確立しないかぎり実現は不可能です。現行の原子力ないし電力関連の法体系では、法に則った正規の手続きで既に運用されてきた原子力発電を電力会社の意に反して強制的に停止を命令する権限は立地県の知事には付与されていません。
  仮に、三反園氏が市民団体に対して川内原発の廃炉を約束していたとすれば、それは虚偽の公約であった、ということです。また、市民団体がそれを信じたとすればあまりにも脳天気としか言いようがありません。

  原発運転停止に対して地方自治体や住民に法的な根拠が無い上で、原発の運転停止・脱原発を実現しようとするならば、圧倒的な住民の支持を背景とする実力行使を含む超法規的な手段に訴えることを視野に入れた覚悟が必要です。三反園氏や脱原発市民運動にそれだけの覚悟があったのか、たいへん疑問です。
  しかし、仮に覚悟があったとしても、沖縄の辺野古や北部ヘリパット建設の状況を見れば、県知事が反対運動を支援しても国家権力によって排除される可能性が高く、容易ではないというのが現実です。
  今回の三反園県知事による九電に対する川内原発運転停止の申し入れで彼は一体何をしようとしているのでしょうか?たとえ九電が一旦停止を受け入れて自主的に安全点検をしたとすれば、その後は再稼働を容認する以外に対応はないのではないでしょうか?
  司法に訴えて運転停止が出来るとでも思っているのでしょうか?現在の電力企業を優遇した原子力関連の法体系の下では司法には限界があります。あるいは司法に原発の科学的な安全性の判断を委ねるなど、あってはならないことだと考えます。また、憲法の生存権に対する判断を求めるためには、原発の運転期間中の事故発生の危険性を立証することが必要でしょうが、それは不可能です。

  具体的なプランもなく、脱原発を公約にしたとすれば、あまりにも無責任極まりないでしょう。エクスキューズのために、取り敢えず九電に原発運転停止を申し入れ、格好をつけた上でダメでした、しかし脱原発市民運動のもう一つの柱である再生可能エネルギー導入はやりますというのが関の山なのかもしれません。そんなものであったとしたら、三反園鹿児島県のエネルギー政策は百害あって一利なしだという他ありません。

 

No.1133 (2016/09/06)東京五輪の馬鹿騒ぎの陰で福島原発の今は?
鳴り物入りで導入した汚染水問題解決の切り札=凍土壁の破綻

  リオオリンピックを巡ってはブラジルの政情不安、イスラムテロの危険性、ドーピング問題と様々な問題がありました。私自身は、競技スポーツを見ることは決して嫌いではない、むしろバカバカしいバラエティー番組に比べれば遥かに良質な娯楽番組だと思います。
  しかし、ピンぼけの日本のマスコミが垂れ流すお涙頂戴の裏話・美談など糞食らえだと思いますし、オリンピック競技が清廉潔白な選手によって行われる公平な競争だ等という幻想は持ちあわせていません。
  例えばドーピング問題など私にとってはどうでもよいことです。所詮規制にかかるかかからないかのイタチごっこの騙し合いです。競技の公平性とは何でしょうか?ドーピングにかぎらず、経済的な豊かさによって選手の訓練環境にも大幅な格差があることは明らかです。あるいは日本のようにメダル獲得に高額の報奨金をぶら下げるのも精神的なドーピング(笑)かもしれません。
  スポーツなどというものは所詮金持ちの道楽、あるいは有り余った金に寄生することによって成り立つものですから、単純な話として、スポーツにどれだけの金・人・物をつぎ込むことが出来るかで勝負の大半が決まってしまいます。

  日本人はアマチュアスポーツに幻想を持ちすぎです。PTA問題でも触れましたが、中学校、高等学校の部活動からして、カネまみれの状況にあることはご承知の通りです。一握りのスポーツエリートを育成するために莫大な金が半ば強制的に徴収されてつぎ込まれています。カネまみれで選手は莫大な成功報酬が得られ、企業はそれを商品化して金儲けにつなげるというのが実態です。

  オリンピックを選手個人の公平な競技の場としたいのならば、全ての競技をIOCという興行屋の元でプロスポーツ化して、IOCは誘致国やメディアから興行収入や放映権料を得てIOCが直接選手個人を雇って給与を支払う形式にして、国家による介入を排除するのが最も現実的です。

  リオオリンピックを終え、来る東京オリンピックに向けて莫大な税金を箱物や選手強化に充てるというのは、金でメダルを買っているだけの話です。冗談じゃありません。日本には東北地方太平洋沖地震被災地、とりわけ福島第一原発事故の処理作業や熊本地震災害復興は言うに及ばず、教育問題、高齢化問題など金のかかる問題が山積しているのですから、本来東京オリンピックなどというものを誘致するような愚かなまねはすべきではないと考えています。

  能なし安倍は、東京オリンピック招致について、東北地方太平洋沖地震、福島第一原発事故からの日本の復興を世界に示すことを目的に上げましたが、肝心の福島を中心とする被災地の復興は遅れっぱなしで、むしろこれを置き去りにしたまま東京オリンピックばかりが自己増殖しているのが現実です。
  能なし安倍は、福島第一原発事故の後処理は完全に制御されていると大見得を切りましたが、実態はかけ離れています。

  破損してメルトダウンした原子炉に対して未だに垂れ流しの水冷の冷却システムを使用し続けているために、汚染水は止めどなく増加しています。原子炉建屋への地下水流入を遮断して放射能汚染水の増加を劇的に減らすと鳴り物入りで導入された凍土壁による工法はついに完全に破綻が明らかになってきました。
  このHPでは、原発事故発生直後から、実績のある鋼管矢板セルなどを用いる遮水壁の建設に言及してきました。凍土壁については長期間の信頼性が全く未知数であり信頼性にかけることを当初から述べてきましたが、予想通り、最悪の結果になりつつあるようです。日刊ゲンダイの記事を紹介します。


2016年7月28日

  7月19日に開かれた原子力規制委員会の有識者会合で、東京電力が福島第1原発の汚染水対策の決め手となるはずだった「凍土壁」建設が失敗に終わったことを認めた。本来なら各紙1面トップで報じるべき重大ニュースだが、ほとんどが無視もしくは小さな扱いで、実は私も見落としていて、民進党の馬淵澄夫の25日付メルマガで知って慌てて調べ直したほどだ。

 これがなぜ重大ニュースかというと、安倍晋三首相は13年9月に全世界に向かって「フクシマはアンダー・コントロール。東京の安全は私が保証する」と見えを切って五輪招致に成功した。これはもちろん大嘘で、山側から敷地内に1日400トンも流れ込む地下水の一部が原子炉建屋内に浸入して堆積した核燃料に触れるので、汚染水が増え続ける。

 必死で汲み上げて林立するタンクにためようとしても間に合わず、一部は海に吐き出される。そうこうするうちにタンクからまた汚染水が漏れ始めるという、どうにもならないアウト・オブ・コントロール状態だった。

 それで、経産省が東電と鹿島に345億円の国費を投じてつくらせようとしたのが「凍土壁」で、建屋の周囲に1メートルおきに長さ30メートルのパイプ1568本を打ち込んで、その中で冷却液を循環させて地中の土を凍結させて壁にしようという構想だった。

 しかしこの工法は、トンネル工事などで一時的に地下水を止めるために使われるもので、これほど大規模な、しかも廃炉までの何十年もの年月に耐えうる恒久的な施設としてはふさわしくないというのが多くの専門家の意見で、私は14年1月に出した小出裕章さんとの共著「アウト・オブ・コントロール」(花伝社)でこれを強く批判していた。馬淵もこの問題を何度も国会質問で取り上げて、別のやり方への転換を主張してきた。

 凍土壁は6月にほぼ完成したが、汚染水がなかなか減らず、規制委は「壁になりきらず、隙間だらけで地下水が通り抜けているのでは」と疑問を突きつけた。慌てた東電は「凍土が形成されていないかもしれない箇所にセメントを流し込む」などの弥縫策をとったが、やはりダメで、19日の会合でついに「完全遮蔽は無理」と告白した。つまり、安倍の大嘘を後付けのにわか工事で隠蔽しようとした政府・東電のもくろみは失敗したということである。

 これが国際的に知れ渡れば、リオのジカ熱どころではない、選手の参加取りやめが相次ぐに決まっている。東京五輪は返上するしかないのではないか。


  また、東北地方を襲った台風による大雨によって、凍土壁の一部が溶けたことが報道されました。朝日新聞DIGITAL版から紹介します。


福島第一、地下水が急上昇 大雨続き凍土壁2カ所溶ける

富田洸平

2016年9月2日01時38分

 東京電力福島第一原発で、汚染水対策で設置が進む凍土壁で遮蔽(しゃへい)された下流のエリアの地下水位が、台風10号による降雨の影響以上に上昇していたことが1日、わかった。東電は、凍っていた凍土壁の2カ所が、度重なる大雨で溶けたと明らかにした。こうした穴を抜け、原子炉建屋側の地下水が下流に流れ込んだとみられる。

 東電によると、凍土壁の下流の護岸の地下水位は、台風10号が通過した先月30日に一時、地表の下28センチまで上昇した。台風10号の通過前は35センチ下だったといい、7センチほど上昇した。台風10号による付近の降水量は1日で55ミリ。それだけなら5・5センチの上昇ですむはずだが、ポンプで740トンの地下水をくみ上げたにもかかわらず、降水量を超える水位の上昇があった。

 東電によると、先月17日に接近した台風7号の大雨以降、凍土壁の2カ所で0度以下だった温度が0度以上に上昇した。度重なる大雨で大量の水が流れ込んだことで溶けたとみられる。東電は薬剤を流し込み、再凍結を促す工事をする。


 

No.1132 (2016/08/29)人為的地球温暖化ファシズムの構造
無知・蒙昧・思考停止と『善意』によって作られるファシズム

  さて、当地別府市を含めて九州、そして西日本の今年の夏は猛暑が続いています。昨日来の寒気の流入で、久方ぶりに一日中エアコンを付けること無く過ごしましたが、9月初めにはまた残暑がぶり返すということです。もういい加減に勘弁して欲しいところです(笑)。

  猛暑になるとCO2放出による人為的な原因による温暖化が増々進んでいるなどと、進歩的を装う軽薄で無知な『知識人もどき』どもが訳知り顔でマスメディアに登場します。なんとも知的レベルの低い国です。
  今年の西日本の夏の暑さの直接的な原因は極めて単純です。梅雨明け以降の降水量が異常に少ないこと、これに尽きます。また、これは都市が異常に暑い理由とも共通するものです。既にこのホームページに以前からお越しの読者諸氏には『耳にタコ』(笑)の話ですが、簡単に触れておきましょう。

  地球の表面温度は、黒体に対するステファン・ボルツマンの式を使って近似することが出来ます。
I=σT4  ここに、Iは地表面の放射(W/m2)、Tは地表面温度(絶対温度K)、そしてσはステファン・ボルツマン定数(=5.67×10-8Wm-2T-4)です。
  普段の夏の昼間の最高気温を31℃(=304K)程度だとします。この時、地表面温度≒気温だとすると地表面放射の強さは、

(5.67×10-8)×3044≒484W/m2

  おそらく、日本の平均的な環境では地表面が受け取った放射エネルギーの内、20W/m2程度が大気への熱伝導で、120W/m2程度が地表水の蒸発潜熱で、合計で140W/m2程度が放熱されています。夏場であればその1.5倍程度、210W/m2程度でしょうか。そうすると、夏場の地表面の受け取っている放射エネルギーは、484+210=694W/m2程度ということになります。
 さて、雨が少なく地表面が乾燥すると、地表面からの蒸発量が少なくなります。仮に蒸発潜熱の放出による冷却効果が普段の夏の半分の90W/m2になった場合の地表面温度(≒気温)は、

484+90=σT4  から  T≒317K=44℃

になります。沙漠のように、植生が乏しくカラカラの大地であれば表面温度は軽く50℃を超えることになります。また、日本でも都会のように地表面を不透水舗装で覆い、降水を速やかに排除してしまう所では、地表面の環境は沙漠に近くなるため耐え難い暑さになるのは当然です。
  しかし、沙漠ならば大気まで乾燥しているために夜間は放射冷却現象で急速に涼しくなりますが、日本ではそうは行きません。夏場には周囲の海から湿った大気が流れこむため湿度は高く、夜になっても放射冷却が起こらず、熱帯夜になってしまいます。

  日本における近年の市街化地域の夏場の異常な高温化は地表面環境の乾燥化と過度の人口密集によるエネルギーの局所的な大量使用が原因であって、地球の全般的な気温の上昇傾向や、まして人為的に放出されたCO2による温室効果など全く関わりのない現象です。

  さて、近頃郊外を車で走ると、少し見ぬ間にそこかしこの休耕田や果樹園、雑木林などが太陽電池パネルで覆われているのを見て唖然とします。政府や企業の口車に乗せられた哀れな人達が、温暖化対策のためと信じて(?)太陽電池パネルを設置しているのです。
  しかし実体はどうか?既に紹介したように、生きた植生を剥ぎとって太陽電池パネルを設置するということは、地表面に発熱体を並べるのと同じことになります。太陽電池パネルの表面からは蒸発による潜熱の放出はゼロと考えられます。その結果、夏場の真昼の太陽電池パネルの表面温度は60〜70℃にもなります。仮に65℃=338Kとした場合、その発熱量

(5.67×10-8)×3384≒740W/m2

  広大な太陽電池パネルの上を流れてきた風は熱風となることは容易に想像ができます。いま日本中で太陽電池パネルの設置による高温化の被害が多発しています。熱中症によって生命までが脅かされ、訴訟も起こっています。
  なんという馬鹿げた話でしょうか、CO2温暖化などという虚像に対する対策として導入した太陽電池パネルによって、事もあろうに高温化によって生命が脅かされる事態が起きているのです。私達は今起きている現実の問題を、科学的・論理的に検証しなおさなければならないのではないでしょうか?

  さて、夏のはじめに「高校生のための地球温暖化論」というレポートを公開しました。その後も繰り返しJAMSTECのネットワークからのアクセスが続いていますが、未だに公開したレポートに対する誤りの指摘はありません。私の主張が自然科学的に正しいと確信しました(笑)。
  おそらくこのレポートをまともに読んでくれた高校生や読者諸氏は、あまりにも単純で当たり前な主張なので驚いているのではないかと推察します。誰が考えても人為的に放出されたCO2が大気中CO2濃度上昇の主因ではないことは単純明快です。
  しかし、日本人、そして世界中の大多数の人々はこんな当たり前なことについて、自ら考えることを放棄して、戦前や戦中と同じようにお上のやること、大本営発表を信じて人為的に放出されたCO2によって高温化していることを前提として、世の中が動いているのです。そして、思考停止した、あるいは無知・蒙昧な大衆の善意が人為的地球温暖化ファシズム体制を強固にしているのです。

  例えば、大東亜戦争、太平洋戦争まで続いた軍国主義日本の誤りは時の政治家や軍部が間違っていた、悪かったのだという歴史観は誤りとは言いませんが、そのような総括ではいずれまた同じ過ちを犯すことになります。ヒットラーのナチス・ドイツにしろ、日本の軍国主義にしろ、これを構造的に支えていたのは思考停止状態に陥り、あるいは無知蒙昧な善意の大衆が喜々として従っていたからにほかならないのです。彼らは、善意で軍部の従順な下僕となり、戦争に反対していた人々を自ら排除していったのです。これこそが最大の原因であり、罪なのだと考えます。

  今また、エコファシズムや安倍好戦内閣による軍事国家化に際して、日本人の大多数が思考停止状態に陥り、自ら検証すること無く善意で活動している状況には戦慄を感じます。

No.1131 (2016/08/19)大衆芸能の体制化という堕落の構造
安倍ファシスト政権の応援団と化した吉本興業?!

  参議院選挙において、新たに有権者となった若者が最も体制・自民党保守政権を支持したという。これは私の予測通りの結果でした。教科書検定制度という実質的には政権に長らく居座ってきた保守政党による国定教科書によって小・中・高校の12年間をかけてじっくり洗脳してきたお陰です。18歳選挙制を脳天気に支持した野党はお人好しという他ありません。

  さて、そればかりではありません。若者や大衆が夢中になっているマスコミに露出度の高いアイドルや芸人たちの多くが安倍ファシスト・保守政党を支持する発言をしています。とりわけ関西系のお笑い芸人にはその傾向が強いように感じています。NHKは勿論、大資本をスポンサーに持つ民放においても、反体制的、反資本の立場の発言をするような芸人は干されてしまうのです。

  本来、大衆芸能とはサブカルチャーであり、反体制的な性格を有していました。大衆の体制に対する反発の雰囲気を体現して笑いに昇華することで大衆の支持を得ていたのであろうと考えます。1970年代まではアンダーグラウンド=アングラ文化は大衆と直接結びついて一定の支持を集めていました。
  しかし情報通信網の発達、インターネット社会によってこの状況は大きく変わってしまいました。サブカルチャーがインターネットを介して表のカルチャーとなり、商品化されてしまったのです。その結果、サブカルチャーはマスコミに紹介され、マスメディアを介して金を儲けるための新たな手段に昇華したのです。
  芸人と大衆の間にはメディアが介在することになり、メディア、資本、体制によって監視され、反体制的な勢力は淘汰され、毒にも薬にもならない馬鹿笑いだけが残ってしまったのでしょう。

  この問題について、久しぶりに天木直人さんのメルマガを転載しておきます。


□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】
□■ 天木直人のメールマガジン2016年8月18日第634号

  いまや電通の下請けのような吉本興業を証明する日経の記事

 8月15日の日経新聞の小さな囲み記事に私の目がとまった。
 その記事は、建設業で活躍する女性を増やすため、国土交通省が吉本
興業と組んでイメージアップに乗り出す、という記事だ。
 お笑い芸人を使ってメディアを席巻する吉本興業は、ついに政府広報
の担い手になったということだ。
 政府広報の担い手の最大大手は電通であることを誰もが知っている。
 そして政府広報の行き着く先は国策に関する情報操作だ。
 最大の国策は安全保障政策である。
 私は関西(京都)人だから知っている。
 関西のおわらい芸人の多くはやたらに右翼的な言動を繰り返している。
 安倍政権の安保政策に同調するような発言ばかりだ。
 この日経新聞の記事は、国交省をお得意先にした建設業の宣伝にしか過ぎない。
 しかし、政府にお得意先として使ってもらうようになれば、行き着く先は電通のごとく、政権と一体の情報操作を担がされる事は必至だ。
 これを要するに、この日経の記事は、吉本興業がミニ電通になる、いやすでになっている、ということを示している。
 吉本興業のメディアにおける露出度が高くなればなるほど、お笑い番組の拡充と共に、この国は右翼化していくのだ。
 この私の吉本興業に対する評価は、単なる思い込みから、この日経新聞の記事で、確信的になったということである(了)

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編集・発行:天木直人

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