No397 (2009/03/30)
太陽光発電電力高値買取に反対する そのG
7.太陽光発電導入は最悪の経済対策
7-1 これまでの議論の総括
@工業生産
工業生産とは、基本エネルギー資源(石油・石炭)から得られるエネルギーを使って、原材料資源を加工して製品を作ることです。その結果、あらゆる工業製品価格には工業生産プロセスで投入されたエネルギー量に応じた費用が含まれています。極めて特殊な希少原材料を多用する工業製品を除けば、工業的に生産された製品価格が高い製品とは工業生産プロセスにおいてそれだけ多くのエネルギーが投入されていることを示唆しています。
A電力化によって社会的エネルギー利用効率が低下する

電気エネルギーは有用エネルギーを『変換』して利便性を高めることを目的に使用されています。利便性を高めるための迂回過程が付加される結果、エネルギー損失が生じるために総合的なエネルギー利用効率は低くなります。社会全体のエネルギー資源(石油・石炭)利用効率を高くし、エネルギー資源消費を抑制するためには、電気でなくては利用できない電子機器などを除けば、出来る限り電気を使用しないことが必要です。低温熱源としての電気の利用は極力排除することが必要です。『オール電化』によって、石油消費量は確実に増大します。
B太陽光発電の大規模導入は石油を浪費し工業生産規模を拡大する
太陽光発電パネルの主要原料であるシリコンはありふれた材料であるにもかかわらず、太陽光発電パネルあるいは太陽光発電電力価格が極めて高価であることから、太陽光発電パネルの製造プロセスでは非常に多くのエネルギー投入があることを示しています。同時に、石油火力発電を代替するためには工業生産規模が飛躍的に膨張することを示しています。
この連載での検討では、供給電力の質的問題を無視したとしても、石油消費量で2倍以上、工業製品価格で18倍以上になると推定しました。実際に太陽光発電システムを石油火力発電システムの一部代替として大規模導入するためには、低品質の太陽光発電電力を安定化させ出力調整するために更に蓄電池の付設や揚水発電所の建設が不可欠になるため、社会的な負担は更に増大します。また、太陽光発電設備増産のための生産設備の建設にも大きな社会的負担が伴います。
これらを総合して判断すれば、石油火力発電に替えて太陽光発電システムの大規模導入によって、同じ便益を得るための社会システム全体の石油利用効率は著しく低下し、したがって石油消費量は飛躍的に大きくなるのです。
7-2 太陽光発電電力高値買取の意味
これまで検討してきた結果から、石油火力発電システムの一部を太陽光発電によって代替することによって、電力供給部門向けの製造業の市場規模は少なくとも20倍以上に膨れ上がることになります。導入量を多くしていけば更に揚水発電所を数多く建設することが必要になり、公共土木事業が息を吹き返すことになるでしょう。
本来、工業生産に過度に依存した現在社会の環境問題を改善するためのはずの太陽光発電の組織的・大規模な導入によって現実には工業生産規模は爆発的に肥大化し、更に揚水発電所のダム建設によって里山の自然環境が直接的に破壊されることになるのです。太陽光発電の導入は環境破壊なのです。高価であるが故に、環境破壊的な発電方式であると言うのが太陽光発電システムの実態なのです。
『環境に良いが高価であるから普及しないので、公的資金の導入や消費者負担によって財政的な補助を行うことで太陽光発電を普及させる』と言う国家戦略そのものが根本的に間違っているのです。実際には企業技術者の多くは太陽光発電がなぜ高価であり、とても投入エネルギーを取り返すことは出来ないと承知しています。その意味でこれは太陽光発電メーカーによる国家あるいは世界規模の組織的な詐欺と言ってよいでしょう。あるいは、国の政策担当者は承知しているのかもしれませんが・・・。
太陽光発電の高値買取制度とは、電力会社をトンネルとしてこうした太陽光発電装置製造メーカーという詐欺集団に対して、受ける便益に対して極めて割高な電気料金を一般消費者からむしりとって横流しする制度なのです。
7-3 太陽光発電システムの大規模導入による経済の短期的影響と長期的影響
確かに、この太陽光発電電力高値買取制度によって短期的には製造業の市場規模が大きくなり、一時的に経済を活性化させることになります。しかし、太陽光発電を大規模に導入すればするほど、石油消費量は多くなるにもかかわらず供給される電力量は減少します。投入エネルギーに対する利用可能エネルギーの少なさという本質的な問題が顕在化し、社会の必要とするエネルギー供給を賄うための社会的な(環境的、財政的)負担があまりにも大きくなり、社会・経済構造がこれに耐えられずに破綻することになります。
いわゆる公共事業のような、経済的に成り立たない事業あるいは不必要な事業を行うことによって経済を活性化することが可能なのは、経済システムのどこかに極めて収益性の良い部門があり、有り余る財貨を投入することが可能な場合、あるいは、投入財貨以上の実質的な経済成長が生じる場合です。
太陽光発電のような非効率なシステムの大規模導入を強制することによって、工業に依存する社会の本質的な基盤であるエネルギー供給部門が肥大化するとともに非常に収益性が悪くなります。これを維持するためには提供する便益以上の資金投入が恒常的に必要となり、太陽光発電システムを維持するためのコスト負担がすべての工業生産過程に波及し、ついには社会的に耐えられなくなることは当然です。エネルギー価格の高騰に端を発して、工業製品の限りない高騰と収入の減少、貧困な生活の中の高電気料金負担に国民は耐えられないのは当然です。
また、国は今回の高値買取は太陽光発電が一人立ちするまでの過渡的な措置と言っていますが、技術的に見て将来的にも本質的に非効率な太陽光発電システムが一人立ちすることがあり得ないことは既に述べた通りです。
7-4 CO2地球温暖化と太陽光発電
世界のすべての国がCO2地球温暖化ないし太陽光発電の導入という共同幻想を持っている場合は良いのですが、あまり豊でない国にはこのような詐欺に付き合うような経済的な余裕はありません。そのような国では、経済的な石油・石炭によるエネルギー供給システムを使うことになります。そうなれば、日本や先進工業国の輸出産業はエネルギー価格の格差によって国際市場における競争力を失い壊滅的な打撃を受けることになります。
そうさせないために、日本を含む先進工業国グループは、なんとしてもこの共同幻想をすべての国に対して信じるように強制することが必要になります。その仕掛けがCO2地球温暖化仮説であり、京都議定書の意味するところです。特にこの戦略を成就させるためには是が非でも中国を中心とする新興工業国の参加が不可欠なのです。
8.結論
CO2地球温暖化を防ぐために電力供給部門からのCO2排出量削減すると同時に、経済を活性化させ工業生産による豊かさを両立させると言うバラ色の謳い文句で登場した太陽光発電をはじめとする新エネルギー技術でしたが、残念ながらそのような夢の技術は存在しないのです。過度の工業生産への依存を強めたことの結果によってもたらされた環境問題を更なる工業化で克服しようと言う最初の発想に誤りがあるのです。
少し考えてみてください。国や企業の言う環境に優しい技術による最新のハイテク機器をすべての人が使用すれば環境問題は解決するのでしょうか?世界中の人々がすべて『オール電化』のセキスイハイムやパナホームに住み、屋根には太陽光発電パネルを備え、家庭用燃料電池を設置して、車はプリウスかインサイトに乗ると石油消費量が減るのでしょうか?最新の省エネ製品が発売されたら次々に最高の省エネ製品に買い換えていけばよいのでしょうか?

問題の本質は、既に私たちを含めた『工業国の住民』の生活が工業生産に過度に依存していることであり、この問題を本質的に改善するためには工業生産に対する依存度を減らしていく以外に選択肢はないのです。
No396 (2009/03/25)
太陽光発電電力高値買取に反対する そのF
6.太陽光発電の大規模導入による環境負荷の増大
6-1 太陽光発電電力の原価
前回の検討で、太陽光発電の発電能力がどのようなものかある程度明らかになったと思います。まず、太陽光発電装置を実際に運用した場合の供給電力の原価を考えることにします。
太陽光発電について、国の公式な評価による発電原価を次の表に示します。
これによりますと、住宅用の小規模太陽光発電装置では66円/kWh、非住宅用の大規模太陽光発電装置では73円/kWh程度とされています。
この数値を検証しておくことにします。前回紹介したとおり、日本国内の太陽光発電の平均的な実績として100kWh/(年・m2)を仮定し、住宅用3kWシステムの有効受光面積を30m2、耐用年数を17年、設置費用を250万円として試算することにします。
耐用期間内の総発電量は、
100kWh/(年・m2)×30m2×17年=51,000kWh
発電に関わる費用は設置費用だけだとした場合、発電原価は次の通りです。
2,500,000円÷51,000kWh=49円/kWh
このHPの閲覧者の方からいただいた情報では、受光面積は26m2程度と言うことですので、これを使って修正すると、57円/kWh程度と言うことになります。公式の評価66円/kWhは多少高目のようですが、まずまず妥当な評価のようです。ここでは、平均値をとって(66+49)/2=57.5円/kWhとして検討を進めることにします。
6-2 肥大化する工業生産システム
石油火力発電電力の発電原価は8円/kWh程度です。
まず、電力原価の単純な比較で考えると、石油火力発電に比較して太陽光発電の電力原価は57.5円/kWh÷8円/kWh≒7.2倍にもなります。この7倍以上に膨れ上がる電力原価の社会的負担の増加は、一体誰が負担することになるのでしょうか?この電力供給源の変化によって、消費者の受ける便益は変化しないにもかかわらず、その負担は環境税による大衆課税にしろ電力料金の値上げにしろ、結局は消費者自身が負担することになるのです。
石油火力発電と太陽光発電の原価構成には大きな違いがあります。石油火力発電の電力原価には、タービンを回すための燃料費と発電所建設の費用と運転費用が含まれています。燃料費は原価の60%程度、それ以外の40%は発電所建設とその運転費用です。
燃料費以外の経費を発電施設建設及び、メンテナンス用の工業製品費用とすれば、火力発電所を運用するために必要な工業製品の費用と考えることが出来ます。これは、8円/kWh×0.4=3.2円/kWhになります。
一方、太陽光発電では、発電のためのエネルギー源は太陽光なので、発電原価はすべて太陽光発電装置と言う工業製品の費用です。ここでは、57.5円/kWhです。
つまり、太陽光発電では、単位発電電力当たり経済価値で石油火力発電の57.5円/kWh÷3.2円/kWh≒18倍の工業製品を必要としていることになります。
勿論、石油火力発電所と太陽光発電装置では工業製品の質に違いはありますが、工業製品価格で20倍近くの開きがあることは、石油火力発電を太陽光発電で置き換えることによって社会システム全体におけるエネルギー供給分野の工業生産規模を飛躍的に大きくする必要があることを示唆しています。
ここでの検討では、太陽光発電装置だけについて検討しましたが、太陽光発電システムを電力供給システムとして組織的に導入する場合には、更に個別太陽光発電装置用の蓄電池と揚水発電所の建設も加算することによって、初めて社会的な負担が求められるのです。こうした出力調整用の付加的な設備も非常に大きく、これを加えた太陽光発電システムの組織的な導入によって、工業生産規模は更に大きくなるのです。揚水発電所の乱開発は里山の直接的な環境破壊にもつながる大きな問題を孕んでいます。
6-3 太陽光発電は石油浪費発電
太陽光発電のエネルギー・コストについての先駆的な研究として室田武によって次のように報告されています。
・・・(前略)太陽電池による太陽光発電のような技術について、設備の製造・維持に要する貨幣コストの概略は知られているから、そのデータを頼りにしてエネルギー・コストを推定してみると、いちおう妥当と思われる耐用年数の仮定の下で、電力産出一単位当たりの石炭・石油エネルギー投入量は、太陽光発電の方が火力発電より、少なくとも三倍程度高い。
(室田武著『新版 原子力の経済学』日本評論社、1981.8)
前節で、火力発電の原価構成について、燃料費は原価の60%程度、それ以外の40%は発電所建設とその運転費用だとしました。石油火力発電の燃料費を含めたエネルギー・コストを算定します。石油火力発電所は工業的生産手段によって作られているので、燃料以外の経済コスト40%の内には石油火力発電所と言う工業製品を作るためのエネルギー・コストを含んでいます。その割合を20%だと仮定すると、燃料費を含めた総エネルギー・コストは次のように求められます。
8円/kWh×0.6+8円/kWh×0.4×0.2=5.44円/kWh
これに対して、太陽光発電装置製造費用の20%を同じくエネルギー・コストだとすると、以下の通りです。
57.5/kWh×0.2=11.5円/kWh
つまり、単位発電電力量当たり、太陽光発電は石油火力発電に対して11.5円/kWh÷5.44円/kWh=2.1倍の石油を消費しているのです。
太陽光発電パネルの主要材料であるシリコン結晶を製造する過程は莫大な電力を消費するため、エネルギー・コストの割合20%はもう少し大きめの値を設定しても良いかもしれません。この数値は室田の検討した当時からの太陽光発電装置製造プロセスの改善があるとして妥当な数値だと考えます。
以上を要約すると、石油火力発電における燃料を含めた石油消費の合計費用(エネルギー・コスト)を1単位とすると、石油火力発電を発電量の等しい太陽光発電装置で置き換えることは、石油火力発電所で消費される石油1単位を削減して、その替わりに太陽光発電装置製造工場で石油2.1単位を投入して、石油火力発電所の18倍の工業製品価格の太陽光発電装置を製造することなのです。つまり太陽光発電装置を導入することによって、石油消費量(=CO2排出量)は2.1倍になり、工業生産規模は18倍になるのです。
次に、参考のために現在導入が検討されている個人住宅用蓄電装置を併設した場合のエネルギー・コストを算定しておきます。少し甘い条件ですが、蓄電池の耐用年数は太陽光発電装置と同じ17年とします。この場合の太陽光発電電力の原価とエネルギー・コストは次の通りです。
(2,500,000円+1,500,000円)÷51,000kWh=78円/kWh
∴78円/kWh×0.2=15.6円/kWh
この場合、単位発電電力量当たり、太陽光発電は石油火力発電に対して15.6円/kWh÷5.44円/kWh=2.9倍の石油を消費していることになります。
太陽光発電や風力発電に対して、『コストは高いが石油消費量を削減できる』と考える発想は、現在の工業生産過程の仕組みに対する科学的・技術的な検討を怠った宗教的な信仰に過ぎないのです。高価な工業製品、ここでは太陽光発電電力は高度な工業製品であり、その製造設備である太陽光発電装置はエネルギーを大量に消費する工業生産過程の産物なのです。『高価な工業製品は大量のエネルギー消費によって成り立つ』と言うのが工業製品の本質的・普遍的な特性なのです。
No395 (2009/03/23)
太陽光発電電力高値買取に反対する そのE
5.太陽光発電能力の検討
既に前回示したとおり、太陽光発電を電力供給の一端を担わせるような組織的な導入を考える場合には、太陽光発電装置単独の発電能力とは、太陽光発電による電力供給システムの一部を構成する技術に過ぎず、あくまでもバックアップシステムや供給電力の調整装置を含めた社会的なシステム全てを考慮して判断しなければなりません。
このことを理解した上で、太陽光発電装置そのものの性能あるいは将来的な展望について少し検討しておくことにします。
5-1 太陽光発電の『定格』、あるいは最大発電能力
通常、定格という言葉は、定められた使用条件下において発揮される機能というほどの意味で用いられます。逆に言えば、使用条件を適切に設定した場合に保証される能力といっても良いでしょう。
ところが、太陽光発電や風力発電など、自然エネルギーを利用するシステムでは、利用するわれわれの側で自然エネルギーを制御できませんから、本来的な意味で定格を定めることは困難です。
このような不安定なシステムの性能を相対的に比較する尺度としてワットピーク(watt peak、Wpと略記)というものが利用されています。これは、仮想の標準的な使用条件を定め、その条件下による性能を示すものです。
太陽光発電の標準条件は、放射強度1,000W/m2、太陽光発電パネル温度25℃、エアマス1.5と定められています(エアマスとは大気厚の尺度で、赤道上海抜0メートルの南中時の値をAM1.0とした場合の相対的な値。)。
太陽光発電の放射エネルギーに対する電気への変換効率は標準条件下で20%程度、つまりWp=200W/m
2程度です。
現在、最も普及していると考えられる住宅用の3kW太陽光発電装置について考えてみることにします。太陽光発電装置の種類(単結晶シリコン、多結晶シリコン、アモルファス等)によって能力の違いがありますが、平均的にみてその有効受光面積は30m
2程度とします。この場合、メーカーが保証する『定格』発電能力は、実際の使用環境における最適条件下で3kW程度の出力が得られると解釈出来ます。
実際の日本における最適な条件とは南中高度の高い夏場の快晴日の正午前後の条件になります。夏の快晴日の地表面における全天日射強度の実測値を次の図に示しておきます。

この実測値から、夏場の南中時の日射強度は概ね1,000W/m2であり、標準条件の放射強度とほぼ対応しています。日本の緯度における大気圏外の夏場の太陽放射強度は1,300W/m2程度ですが、大気の存在による影響で地表面では1,000W/m2程度に減衰しています(1,000/1,300=0.77=77%程度。)。前回紹介した、太陽光発電装置の発電量の実測値を再掲しておきます。
実際の発電量を見ると、メーカーの言う定格出力に対して60〜80%程度の値を示しているようです。ここでは多少甘い条件ですが、使用環境における夏場の南中時=1,000W/m2に対して、定格出力の発電が可能だと仮定しておきます。この条件で、太陽光発電パネルの単位面積当たりの最大発電能力を算定することにします。家庭用3kW太陽光発電パネルの有効受光面積を30m2とすると以下の通りです。
3kW/30m2=0.1kW/m2=100W/m2
つまり、地表面における全天日射強度1,000W/m2に対して、実際の使用環境における最大発電能力はその10%の100W/m2程度と言うことになります。これは、Wp=200W/m2の半分程度の発電効率です。
5-2 太陽光発電の平均的な実効発電効率
前節では、太陽光発電装置の最大発電能力について見てきました。しかし、実際の屋外における使用環境では天候や気温の影響を受けるため、太陽光発電装置の最大発電能力はそれほど重要ではありません。最も重要なのは日本と言う場所における実際の屋外環境で運用された発電実績を検討することなのです。
日本における太陽光発電の平均的な発電実績は100kWh/(年・m2)=0.274kWh/(日・m2)程度と言われています。このHPに寄せられた個別データからもこれは妥当な値だと思われます(もし詳細なデータをお持ちの方がいればデータの提供をお願いいたします。)。
今、平均的な一日の太陽放射量を春・秋分日で代表させるものとします。春・秋分日の南中時の大気圏外における太陽放射強度は1,100W/m2程度なので、この場合の地表面における全天日射強度をs=1,100×0.77=847W/m2と仮定します。日の出から日没までの時間をD=12時間として、その間の分布をサイン曲線で表現できるものとします。
春・秋分日の地表面の単位面積あたりの受ける放射量は、時間軸とサイン曲線で囲まれた部分の面積になるので、次のように求められます。
847W/m2×2×12(h/日)÷π=6,471Wh/(日・m2)=6.471kWh/(日・m2)
以上から、太陽光発電装置の全天日射強度に対する平均実効発電効率は、
0.274kWh/(日・m2)÷6.471kWh/(日・m2)=0.042=4.2%
になります。
太陽光発電装置の発電能力が放射強度に比例すると仮定すると、発電効率は一定になるはずです。ところが、5-1で示した通り最大発電能力については発電効率は10%程度なのに対して、年間の平均的な実効発電効率は4.2%にまで低下します。日射強度以外に発電能力は影響されないと仮定すると、この平均実効発電効率の低下の原因は天候による日射量の低下の影響だと考えられます。つまり、太陽光発電装置の発電効率を技術的にいかに高めたとしても、天候による58%の低下は避けられないことを示しているのです。
5-3 太陽光発電効率の限界
太陽光発電をCO2温暖化対策の中心的な技術の一つとする国やNEDOは、太陽光発電効率の改善のための技術開発を行い、発電効率40%を目指すとしています。ここで言う発電効率は、勿論屋外環境における実際の運用における実効発電効率ではなく、標準条件下のワットピークであることに注意してください。
5-1節において示した通り、現在の太陽光発電パネルのワットピークはWp=200W/m2程度、発電効率では20%程度です。ところが、屋外環境における全天日射1,000W/m2に対する実際の最高発電能力は100W/m2程度、発電効率は10%程度であることを紹介しました。これは、実際の個人住宅用の太陽光発電パネルが性能的に低いものを利用しているからではありません。
ワットピークを定義する標準条件は、放射強度1,000W/m2、太陽光発電パネル温度25℃、エアマス1.5でした。しかし、実際の屋外環境の運用では、真夏の晴天日の南中時には太陽光発電パネルの温度は60℃以上になります。このワットピークの条件温度25℃と実際の太陽光発電パネル温度60℃の違いが大きな意味を持つのです。
まず熱学的に見て、ワットピークの理論的な上限を求めることにします。物体は、その表面温度によって放射線を放射しています。物体からの放射線強度を黒体放射で近似できると仮定すると、絶対温度Tの物体表面からの放射強度σはステファン・ボルツマンの法則から以下のように求めることが出来ます。
σ=5.67×10-8×T4 W/m2 (5.67×10-8W/m2・K4:ボルツマン定数)
太陽光発電パネルの表面温度を標準条件である25℃=(25+273)K=298Kの場合の表面からの赤外線放射強度は次のように求めることが出来ます。
σ=5.67×10-8×2984 W/m2=447W/m2
つまり、標準条件下で1,000W/m2の放射を受ける表面温度25℃の太陽光発電パネルは、その表面から447W/m2の赤外線を放射していることになります。つまり、エネルギー保存則から、どのような技術開発を行ったとしても、受取る太陽放射強度1,000W/m2の内、電気に変換できるのは(Wp)max=(1,000−447)=553W/m2未満になります。つまり、標準条件下における発電効率の理論的な上限は55.3%になります。国やNEDOの目標とする40%の発電効率を実現することはかなり難しい目標であろうと考えられます。
次に、実際の屋外環境における最大発電能力を考えることにします。屋外環境において真夏の南中時の全天日射強度を1,000W/m2、太陽光発電パネルの表面温度を60℃(=333K)、太陽光発電パネル表面における反射や塵による散乱を10%程度とします。この場合の発電量の理論的な上限値は次の式で求めることが出来ます。
1,000×(1.0−0.1)−5.67×10-8×3334=900−697=203W/m2 (発電効率20.3%)
同様に表面温度が65℃の場合には次のようになります。
1,000×(1.0−0.1)−5.67×10-8×3384=900−740=160W/m2 (発電効率16%)
5-1節で示した通り、屋外環境における運用において太陽光発電パネルの最大変換効率は既に10%程度に到達しています。今後どのように技術改良が行われたとしても、現在の太陽光発電能力が2倍になることはあり得ないのです。むしろ、発電効率は既に限界に近づいていると考えるのが妥当ではないでしょうか。
国やNEDOの標準条件下における発電効率の目標値40%が実現できたとしても、屋外環境における実効発電効率が現在の2倍になることはないのです。
以上に示した通り、5-2節で示した気象条件による発電効率の低下58%、あるいは太陽光発電パネル表面温度による赤外線放射については、太陽光発電パネルの技術的な変換効率の改善とは無関係なのです。今後、太陽光発電パネルにどのような技術革新があったとしても、実効発電効率が飛躍的に改善されることはないのです。
No394 (2009/03/22)
太陽光発電電力高値買取に反対する そのD
4.太陽光発電の基本的な問題点
4-1 ソフト・エネルギー・パスと自然エネルギーの大規模利用
前回触れたように、太陽光や風力の利用は、脱原発あるいは過度の工業化による環境問題の激化に対するアンチテーゼとして生まれました。この動きは、精神的にはヒッピー・ムーヴメントの『自然への回帰』の思想的な潮流の影響を少なからず受けているように思われます。そのためか、その後の環境保護運動の中には理念だけが先行するなかば宗教化した運動も多く見受けられるようです。
エモリー・B・ロビンズのソフト・エネルギー・パスの基本理念は脱工業化の方向性を正しく示しているように思います(ただし、最近の彼がどのような行動をしているかは疑問ですが・・・。)。それは以下のように特徴付けられるでしょう。
@自然エネルギーの小規模利用
Aエネルギーを使用する場所で分散的に自然エネルギーを利用
B誰にでもわかるエネルギー利用技術
この
ソフト・エネルギー・パスと呼ばれるエネルギー利用形態の導入の前提は、既存のハード・エネルギー・パス、つまり石油や原子力などの強力なエネルギーの集中・大規模利用に支えられている肥大化した工業生産システムに過度に依存している社会システムを脱却して、地域に根付いた分散型で自給的な農林水産業に基盤を置く社会システムへの移行です。
なぜならば、自然エネルギーとはその特性としてどこにでもある普遍的なエネルギーですが、それ故エネルギー密度が低く、従来の石油エネルギーなどに比較すると同量のエネルギーを得るためには莫大なエネルギーの捕捉装置が必要になり、結果として工業生産規模を更に肥大化させることになるからです。
例えば、前の連載『新エネルギーは環境破壊 そのE』で示したように、電力の質に対する評価は考慮せずに、単に絶対的な発電能力だけに着目しても、総重量4t程度の200kWディーゼル発電機相当のエネルギーを得るためには、風力発電では高さ100mにも達する、上部構造だけで総重量160tにもなる巨大風車が必要であり、太陽光発電では115m四方の太陽光発電パネルが必要になるのです。
つまり、自然エネルギーをただ導入すれば問題が解決されるわけではなく、むしろ第一に重要なことは過度に肥大化した工業生産に依存した社会システムを脱却して分散的で自給的な社会システムに移行することなのです。
ソフト・エネルギー・パスないし自然エネルギーの利用というものは石油や原子力というハード・エネルギー・パスを量的に単純に代替するものではないのです。単純に置き換えを行おうとすれば、自然エネルギーのエネルギー密度の低さから現在以上に巨大な規模のエネルギー捕捉・供給施設が必要となり、その結果として工業生産規模の拡大をもたらし、社会的システムやその基盤になる生態系に対する負荷を増加させ環境問題は更に悪化することになるのです。
現在のCO2地球温暖化対策として導入されようとしている太陽光発電や風力発電装置は、工業生産に基づく物質的豊かさを維持しつつ、エネルギー供給システムだけを変えようとするものです。その結果、太陽光発電や風力発電に求められる機能は、大規模化、集中化であり、これはロビンズの定義からはむしろハード・エネルギー・パスに属する技術なのです。
また、100mの高さにも達する巨大風車の製造・建設や、国土面積の数%〜数10%にも及ぶ広大な太陽光発電パネルの製造は、ハード・エネルギー・パスに支えられた巨大な工業生産力がない限り実現することは不可能なのです。
ソフト・エネルギー・パスとは、ただ単に我々の利用するエネルギー源を石油やウランから太陽光や風力に変えるだけでなく、その捕捉装置の製造を巨大工業に依存しない誰にでもわかる手工業的な製造方法で実現することが必要なのです。ソフト・エネルギー・パスとは、産業革命以前の伝統的な粉挽き風車や揚水水車あるいはパッシブ・ソーラーなどの技術の延長線上にあり、巨大工業生産システムを必要としないものなのです。
現在の
環境NPOや国家によって計画されている大規模な自然エネルギー利用における『自然エネルギーの利用なのだから無条件に環境問題を克服し、石油依存度を減らすことになる』という発想は観念的なものであり、それによって基本的な問題点についての科学的・技術的な検討を放棄してしまったことに問題の根源があるのです。
4-2 太陽光『発電』の本質的問題
太陽光は、最も根源的な『自然エネルギー』だと考えられます。太陽光は地球大気を暖める熱源であり、気象現象を引き起こす根源的なエネルギーです。大気の運動である風も太陽光によって温められた大気の対流運動と地球の自転運動によって生じています。また、大気運動によってもたらされる降水の位置エネルギーも本をただせば太陽光によってもたらされると考えられます。
現在、新エネルギー政策によって導入されようとしている自然エネルギーの利用法は電力供給技術としての利用です。ここに一つの致命的な欠陥があるのです。
電気エネルギーとは本質的に発電と同時に消費されるという特性があります。つまり、供給すべき発電量は電力需要に即応しなければならないのです。
上図に示すように、短期的には電力需要は1日周期で変化しています。更に、電力需要は気象条件の変化でも変化します。更に、産業活動や生活パターンによって1週間周期でも変化しています。
更に、電力需要は季節変化によって1年周期でも大きく変動します。
電力供給システムでは、常に電力需要を監視し、電力消費量から直近の未来の電力需要の変動を予測して電力供給量を完全に制御しているのです。供給電力と電力需要に大きな乖離が生ずると、電圧変動や周波数変動などによる供給電力の品質低下が起こり重大な影響を生じることになります。
これに対して、地表面に到達する太陽放射強度を含めて、自然エネルギーの強度は非定常で不規則に変動します。


上の図は、太陽光発電の出力変動の例を示しています。左図は晴天日でも雲によって太陽が翳ると放射強度は急激に低下することを示しています。風力発電ほどではありませんが太陽光発電出力も短時間で激しく変動します。また、右図に示すように、天候によって出力は大きく変動します。更に、太陽光発電は夜間に発電することは出来ません。
重要なことは、こうした太陽光発電出力は、予測不能で制御することが出来ないことです。太陽光発電技術について、太陽放射強度に対する電気への変換効率という視点からの議論はありますが、こうした不規則で制御不能な出力変動の問題があまりにも軽視されています。この非定常で制御不能な不規則変動をするという太陽光発電出力の問題は技術の本質的・致命的な欠陥なのです。
特に環境NPO諸君の発想は極めて非科学的かつ無責任です。風力発電に対しても同じことが言えるのですが、彼らの発想は『自然エネルギー=環境に優しいのだから無条件に良い技術』という非科学的な発想に基づき、どのように経済コストがかかっても導入することは正しいのであって、供給電力の不安定性については既存電力供給システムの巨大電力供給ネットワークに系統連係することで、電力会社が解決すべきだという主張を行っています。
図らずも彼らの主張は、こうした太陽光発電や風力発電は小規模・分散型で、消費地で適切に自然エネルギーを利用するソフト・エネルギー・パスとは似ても似つかない、大規模で巨大な既存のエネルギー供給ネットワークの中で成立するハード・エネルギー・パスを構成する技術なのだということを環境NPO諸君は自ら告白しているのです。
完全に電力需要に即応する運転が必要な大変デリケートな電力供給において、太陽光発電のような制御不能で発電量の予測の出来ない発電装置を大規模に電力供給システムに直接導入することは技術的に不可能です。
これまでの小規模な趣味的な利用の個人住宅用の太陽光発電、総発電量の1%未満の殆ど無視できるほどの規模であれば、電力供給システム全体から見ればほとんどノイズ程度と見なすことが出来るため、供給電力の品質に致命的な影響を与えてはいません。
しかし、CO2温暖化対策という国家事業としてこのような制御不能な不規則変動を示す太陽光発電システムを数%〜数10%などという規模で導入することになれば、重大な影響が発生することは明らかです。
このような状況から、太陽光発電の大規模導入に当たって、短期的な太陽光発電電力の時間変動の『平滑化』のために、個人住宅への3kW出力の太陽光発電システムの導入と同時に蓄電池の設置が検討されています。その費用は太陽光発電システムの導入費用230万円程度に対して、150万円程度としています。これには大きな問題があります。
まず、個別住宅用の蓄電装置程度の蓄電池容量ではあくまでも太陽光発電出力の短期間変動の『平滑化』する程度が限界であり、出力を制御できないのは同じなのです。既に述べた通り、電力需要は短い方から1日周期の変動、1週間周期の変動、1年周期の変動があり、巨大な蓄電容量がない限り本質的な出力制御など不可能なのです。
更に、蓄電池寿命はそれ程長くなく、太陽光発電パネル〜蓄電池システムの耐用年数は更に短くなるのです。仮に太陽光発電パネル耐用期間中に蓄電池を1回更新するとすれば、蓄電池に対する費用は2倍の300万円になるのです。

太陽光発電システムを電力需要の数10%にまで増やした上で安定運用するためには個人住宅における蓄電装置の設置以外に、原子力発電同様に揚水発電所を併設して長期的な電力需要変動に対処することが不可欠になります。更に、それでも需要に対する欠損は穴埋めできないでしょうから、バックアップ用に調整能力の高い火力発電所を残しておくことが必要になります。しかし、バックアップ用の火力発電所は遊休期間が長くなり稼働率が低くなるため、発電効率は著しく低いものになります。
太陽光発電のような制御不能で不規則変動するシステムを、電力供給のような需要に即応するように完全な出力制御が必要なエネルギー供給システムに加えるためには、発電装置以外の出力調整用の設備が膨大なものになります。太陽光発電を導入するために必要な調整システムの導入費用と、既存火力発電システムの稼働率低下に伴う発電効率の低下による損失を加えることによって初めて、太陽光発電システム導入の社会的な費用の総額が決まり、太陽光発電システムの『実効』発電効率が評価できるのです。
No393 (2009/03/19)
太陽光発電電力高値買取に反対する そのC
今回は、原子力発電と自然エネルギー発電をめぐる社会情勢の変化の歴史を概観しておくことにします。
3.原子力発電と自然エネルギー
3-1 脱原子力発電の潮流
日本では、1960年に池田内閣の下で所得倍増計画が開始され、60年代はなりふり構わぬ経済成長路線がとられました。それはまた必然的な結果として産業公害の拡大の時代でした。
米国では一足速く1960年代には工業化された農業の問題が顕在化しつつありました。生物学者・作家のレイチェル・カーソンの『沈黙の春』は、生態系の農薬汚染についての警鐘を鳴らす啓蒙書として広く知られるようになりました。1970年代に入ると、日本においても公害問題から更に視野が広がり、工業化社会における普遍的な環境問題へと問題意識は深化を見せることになります。
1970年にローマクラブが組織され、1972年に『成長の限界』というレポートがまとめられ、第二次世界大戦後の工業国の中で野放図に行われてきた工業生産の拡大による物質的な繁栄を目指す路線に対して見直しを行う必要があることが指摘されました。
その直後、第4次中東戦争を期に中東石油供給量の減少と価格高騰といういわゆる『オイル・ショック』が発生し、石油が有限の資源であることが生活実感を持って認識されるようになりました。
物理学者エモリー・B・ロビンズは、従来の石油や原子力などの集中的で強力なエネルギー利用の形態を『ハード・エネルギー・パス』と呼び、その対立概念として、
分散的、小規模で誰にでも理解できる更新性の自然エネルギーの利用を『ソフト・エネルギー・パス』と呼び、その普及を提唱しました(1976年)。おそらく、現在日本においてソフト・エネルギーとして風力発電や太陽光発電の普及に傾倒している環境NPO関係者の多くが彼の著書に何らかの影響を受けているのではないかと思われます。
更に、1979年には米国のスリーマイル島の原子力発電所であわや炉心溶融から核爆発になったかもしれないという重大な事故が発生しました。更に、1986年には旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所でも爆発を伴う重大事故が起こり、深刻な人的被害と環境汚染が現実のものとなりました。
第二次世界大戦後から1970年代中期にかけて、地球の平均気温は長期的な低下傾向を見せ、1970年代には北極海の海氷面積が小氷期に匹敵するほどに拡大していました。この時代は、現在とは全く逆に地球寒冷化が気象現象の重大問題とされて議論されていました。物理学者カール・セーガンは1983年のレポートで『核の冬』の可能性を指摘しました。
このような社会状況が重層的に起きた結果、1980年代以降は『核』あるいは『原子力』利用に対して否定的な世論が世界的な規模で形成され、米国では原子炉の新設は激減し、西欧では脱原子力発電の運動が広がりを見せ始めることになります。
3-2 自然エネルギー『発電』の台頭と原子力発電の復権
脱原子力発電の流れは自然エネルギー『発電』の導入へと向かうことになります。日本においても反原発運動を行っていた市民団体の多くが太陽光発電や風力発電の導入へと動きました。これに連動するように革新政党の愚かな政策立案者もこぞって自然エネルギー発電の導入を環境政策の中核に置くことになり、現在に至っています。
一方1988年のNASAのハンセンが米国上院の議会報告で人為的CO
2の増加による地球温暖化の脅威を訴え、CO
2地球温暖化が一躍世界的な政治課題に躍り出ることになります。これ以降、人為的CO
2の排出量削減は国際政治の駆け引きの中心的な課題となり、各国政府は京都議定書によるCO
2削減目標を達成すべく動き始めます。
その結果、日本では政府・自民党までが自然エネルギー発電を中心とする『新エネルギー』導入を支持することになり、
日本の国会は『人為的CO2地球温暖化の阻止と新エネルギーの導入』という問題に対して、正に環境翼賛国会の様相を呈しています。
しかし、ここで奇妙な現象が起きることになります。そもそも環境保護に関心のあった市民団体や反原発運動を行う市民団体から環境NPOに展開していったグループは、脱原子力発電を目指し、その代替として太陽光発電や風力発電の導入に雪崩れ込んでいったのです。
ところが、
人為的CO2地球温暖化仮説による『温暖化防止のためのCO2排出量削減キャンペーン』によって、新エネルギーの導入が国家的な政策になると同時に、原子力発電が復権することになるのです。
一説には、ハンセン自身がCO
2地球温暖化の脅威を煽ることで原子力発電支持グループの復権のために一役買ったのではないかという話しもありますが、この話しの真偽はあずかり知りませんが、結果として確かに原子力発電所建設は新たな世界的ブームになる様相を呈しているのは否定しがたい事実です。西欧でも一旦放棄した原子力発電を再びエネルギー政策の中核に復権させる動きが起こっています。
一旦はスリーマイルやチェルノブイリ原発事故を受け、その環境破壊の凄まじさから脱原発を目指したはずの環境保護運動が当初の目的意識を失う中で、皮肉にも今度はCO
2排出を削減する温暖化防止・環境問題解決のための原子力発電の導入という形で見事に復権を果たしたのです。ただし、
実際には原子力発電の導入によってCO2排出量は増大することは前回述べた通りです。
No392 (2009/03/18)
太陽光発電電力高値買取に反対する そのB
2.日本の原子力エネルギー戦略
2-1 核武装と原子力エネルギー戦略
戦後の日本のエネルギー戦略は、まず主要エネルギー資源の石炭から石油への移行でした。この過程で国内で調達できるエネルギー資源である石炭を封印し、炭鉱は文字通りスクラップされ、殆ど100%海外依存のエネルギー資源である石油依存を強めていきました。
一方、エネルギーの長期戦略として原子力利用が開始されました。原子力発電の実用化と核燃料サイクルの確立を経て、高速増殖炉・核融合炉の実用化を目指すというものです。しかし、
日本における原子力導入の発端は、日本の核武装に執着している中曽根康弘によるものであり、当初から経済性を度外視した軍事目的として始まったものです。
これは日本に限ったことではありませんが、
原子力を利用するためには膨大な社会的・経済的・物理的システムを必要とするため、国家の介入なしには実施することは困難です。これは別の視点から見れば、原子力発電システムとは膨大な資源とエネルギーの投入がなければ維持できないことを示唆しているのです。
本来の額面どおりのエネルギー政策であるのならば、税金を投入する国家事業として、その石油利用効率や資源利用効率について徹底的に費用対効果を検討すべきものです。しかし、当初から準軍事機密に属する原子力発電の実態は国家の厚い壁の中にあり、未だに詳細は明かされていないのです。
一方、原子力発電装置を納入するメーカーにとっては、原子力発電市場という特殊な閉鎖された市場は、軍需産業同様にきわめて利益率の高い市場となっています。人為的CO
2地球温暖化による恐怖宣伝による原子力市場の拡大を狙って、東芝がウエスチングハウスを買い取ったのは象徴的な出来事でした。
このように、日本の原子力利用とは長期的なエネルギー政策というのは表向きの看板に過ぎません。そのためエネルギー政策としては全く穴だらけです。
まず、殆ど100%海外依存の石油エネルギー体制から脱して自前のエネルギーを得るという目的は、高速増殖炉の安定的運用と核燃料サイクル技術の確立が前提の希望的なものでした。しかし、核燃料サイクルの中核をなす使用済み核燃料の再処理は、再処理によって得られるプルトニウム燃料から得られる価値よりも再処理に投入する経費の方が大きくなり、全く成立しない技術だということが明らかになりました。つまり、ウラン燃料はワンスルーで使い捨てにすることが最も効率的なのです。
核燃料サイクルが技術的に不可能あるいは無意味であれば、ウラン鉱石は殆ど輸入に頼るしかありませんから、エネルギーの海外依存から脱するという目的は達成不可能なのです。まして、核融合など全く実現の可能性はないのです。
次に、石油代替エネルギーとして原子力にポスト石油として基本エネルギー資源となることを期待した時期がありましたが、これも全く不可能です。原子力利用は本質的に定地用の熱源としての利用しかありませんから、蒸気タービンの熱源として利用する発電以外に利用法はないのです。
更に、
原子力発電は極めてエネルギー産出比が小さく(詳細については後述)石油に支えられた工業生産システムが存在しない限り、原子力発電から得られる電気エネルギーだけではおそらく原子力発電システムを単純再生産することすらおぼつかず、利用可能な余剰電力を得ることなど考えられないのです。
もし原子力発電に可能性があるとしたら、石油利用の発電方式として、
同量の石油を火力発電と原子力発電に投入した場合において、原子力発電の方がより多くの電気を得ることが出来る場合、石油節約的な発電方式としての存在価値が生じることになります。しかし、後述する通りこれも現実的にはありえないのです。
以下、発電システムとしての原子力利用について検討することにします。
2-2 原子力発電はCO2排出量削減に有効か?
原子力発電の運用実態を示す系統的なデータを部外者が入手することは殆ど不可能なため、原子力発電の実績に関する論文は当事者が恣意的なデータ処理をしたものしか存在しません。その結果、論文相互の科学的な整合性を欠いたものが見受けられますが、部外者には検証することが不可能です。ここでは、経済的な情報から原子力発電の性能の実態について推定を試みることにします。
資源エネルギー庁などの国家機関によれば、原子力発電の発電原価は5.9円/kWhであるとか、高くても10円/kWh以下であるとされてきましたが、これは全く実態とはかけ離れたものです。原子炉設置における
公文書である『設置許可申請書』に記載された値を見ると、発電原価の申請値はkWh当たり10円台なかばから20円程度になっています。これは原子炉設置者自身の申請値です。まず、このデータから原子力発電は経済的であるという『原子力神話』の一つは完全に崩壊しました。
この申請書の発電原価は原子力発電の石油利用効率を判断するにはまだ不完全なデータです。ここに示された発電原価は原子力発電所における発電コストだけを算定したものに過ぎないからです。
例えば、原子力に対して2003年5月15日に発表された電気事業連合会(電事連)の報告によりますと、40年間の使用済み核燃料の国内再処理費用が約16兆円になるというものです。その内、約7兆円は電気料金に上乗せして徴収(電気料金の引き上げ)するようですが、残りの約9兆円については財源が未定とのことです。電事連としては、この約9兆円を電気事業へ新規参入する企業や国税からの拠出で賄いたいとしているようです。
つまり、原子炉設置許可申請書に記載された発電原価には少なくとも使用済み核燃料の再処理費用や高濃度核廃棄物処分の費用は含まれていないのです。
原子力発電を行うために必要な施設はこの他にも数多く存在し、莫大な国費が投入されています。
原子力発電システムの本当の意味での社会的コスト、即ち本当のエネルギー産出比を算出するためには、ウラン鉱の精錬から原子力施設・高濃度核廃物などの処分までを含めた全ライフサイクルに関わるすべての施設に関するコストを積算しなければならないのです。

原子力発電を運用するには、上図に示すウラン精錬工場から下流の過程で必要なすべての施設の建設・運用・廃棄までに投入されるコストを算入してはじめて原子力発電の社会的コストが求められるのです。
これらの詳細なデータは『国家機密』なので現状では確認することが困難です。あくまでもこれは想像の域を出ないものですが、原子炉設置許可申請書に記載された原子力発電所単独の発電単価の少なくとも数倍の経費がかかると考えてもそれ程誤りではないと考えます。ここでは控え目に見て、原子力発電の発電原価を50円/kWhと仮定しておくことにします。
原子力発電システムからの最終製品である電力の原価の中には製造過程におけるエネルギー・コストが含まれています。原子力発電電力の原価に含まれるエネルギー・コストの割合を20%と仮定すると、50円/kWh×0.2=10円/kWhになります。
これに対して、石油火力発電の燃料費を含めたエネルギー・コストは重油価格を20円/Lと仮定した場合には5.44円/kWh(発電の熱効率を0.4、火力発電のエネルギー産出比を0.35と仮定した場合の値。)程度です。つまり、原子力発電は石油火力発電に対して発電電力量1kWh当たり約2倍の石油を消費しているのです(CO2排出量も2倍)。 石油火力発電のエネルギー産出比は0.35程度なので、
(原子力発電のエネルギー産出比)=0.35×(5.44/10)=0.19≪1.0
つまり、原子力発電は基本エネルギー資源の必要条件を満たしておらず、石油代替エネルギーにはなりえません。それどころか、発電技術としてみても石油利用効率は石油火力発電以下であり、石油を浪費する発電システムなのです。
以上の検討より、原子力発電は火力発電に対して経済的な優位性は存在しないだけでなく、石油を浪費していることがわかりました。『電力供給システム』として考える限り原子力発電システムの存在に何の合理性も存在しないのです。原子力発電の存在を許している唯一の合理的な理由は国の軍事政策による核関連技術の維持だけなのです。
2-3 電中研報告の検討
これに対して、公式な組織から公開されたレポートでは全く異なる結果を与えています。色々と引用されている権威あるレポートとして電中研報告を見ておくことにします。電中研報告(Y99009)『ライフサイクルCO2排出量による発電技術の評価』からのグラフです。これは、発電量1kWh当たりの二酸化炭素排出量ですから、この比率は投入石油量と同じになるはずです。
この結果を見ると、石油火力発電のCO2排出量が742g/kWhなのに対して、原子力発電は28g/kWhになっています。このグラフに対してWikipedia『原子力発電』の項目において次のように論評しています。
1kWhあたりの二酸化炭素排出量
温室効果の原因となる二酸化炭素の排出量が少ないことは、原子力発電の利点の一つとされている。電力中央研究所が平成12年に発表した試算によれば、原子力をはじめとする各種発電方式について、発電所の建設から廃止までの発電量と二酸化炭素排出量を考慮した、1kWhあたりの二酸化炭素排出量は以下の通り。
原子力 22グラム
水力 11グラム
LNG火力 608グラム
石油火力 742グラム
石炭火力 975グラム
原子力発電では核分裂反応に起因する二酸化炭素の排出は全くないが、発電所の建設・運用・廃止や燃料の生産・輸送、廃棄物の処分等に起因する二酸化炭素の排出も上記の試算には含まれているため、若干の排出が見られる。この点は水力発電も同様である。
おそらく、22グラムは28グラムの誤りであろうと思われます。石油火力の数値は概ね妥当な値です。まず、石油火力発電について簡単に検証しておきます。
発電用重油の主成分をオクタデカンC
18H
38(分子量254、比重0.9)だと仮定します。CO
2の分子量は44より、発生するCO
2のモル数は、742/44=16.7mol/kWhです。C
18H
38が1mol完全燃焼した場合、発生するCO
2は18molです。CO
2が16.7mol発生するために必要なC
18H
38のモル数は、16.7/18=0.93molです。C
18H
38(重油)0.93molの重さは、0.93×254=236gです。重油の比重は0.9なので、単位発電量当たりに投入される石油の量は、236/0.9=262ml/kWh=0.262L/kWhになります。前述の通り、重油価格20円/Lとすると、1kWh当たりの石油エネルギー・コストは5.24円/kWhとなり、比較的実態に近い値といえそうです。
次に原子力発電について同様に算定してみます。発生するCO
2のモル数は、28/44=0.64mol/kWhです。CO
2が0.64mol発生するために必要なC
18H
38のモル数は、0.64/18=0.036molです。C
18H
38(重油)0.036molの重さは、0.036×254=9.1gです。重油の比重は0.9なので、単位発電量当たりに投入される石油の量は、9.1/0.9=10.1ml/kWh=0.010L/kWhになります。重油価格20円/Lとすると、1kWh当たりの石油エネルギー・コストは0.2円/kWhとなります。
まず、国の公式な原子力発電電力の原価である5.9円/kWhとした場合、電中研報告の値による原価に対するエネルギー・コストの割合は0.2÷5.9=0.03=3%になります。
次に、原子炉設置許可申請書のデータから原価を20円/kWhとした場合は、0.2÷20=0.01=1%になります。
最後に、ここでの原子力発電電力の発電原価の控え目な推定値である50円/kWhとした場合は、0.2÷50=0.004=0.4%になります。
前回示した、総務省
『総費用に占めるエネルギー費用の推移』からみて、少なくとも
現在の工業生産システムの中でもエネルギー消費が大きく高度な生産システムである原子力発電で作られた製品である電力の価格に占めるエネルギー・コストが10%以下というのは到底考えられない非現実的な値です。
電中研報告(Y99009)の原子力発電におけるライフサイクルCO
2排出量は、NEDOによる風力発電のEPTが1年間程度という虚言と同レベルのかなり恣意的なデータ操作によって生み出された値だと思われます。
またこれに対するWikipedia氏の論評『原子力発電では核分裂反応に起因する二酸化炭素の排出は全くないが、発電所の建設・運用・廃止や燃料の生産・輸送、廃棄物の処分等に起因する二酸化炭素の排出も上記の試算には含まれているため、若干の排出が見られる。』は、工業生産の構造に対する無知をさらけ出しています。
このように、原子力発電にはCO
2排出量を削減するような能力は無く、また電力需要に対する調整能力も低く(というよりも核暴走の危険があって出力調整になじまない)、経済的にも非常に高価であり、エネルギー供給システムとして存続する意義は全く認められないのです。
国や原子力を推進しようという人たちは、それでも電力供給の数割を担っており、削減は困難などと言いますがそのようなことはありません。

一次エネルギーで見れば、原子力は全体の1割程度に過ぎず、その気になりさえすればいつでも削減可能なのです。原子力発電及びその関連システムを早急にスクラップすれば、一次エネルギー需要は相当削減することが可能であり、京都議定書の達成目標はそれだけで達成できる可能性さえあるのです。
No391 (2009/03/17)
太陽光発電電力高値買取に反対する そのA
今回は、エネルギー問題を議論する上で基本的な事項や言葉を定義しておくことにします。
1.エネルギー問題における基本事項
1-1 主要エネルギーの変遷
文明の生産力は利用できる動力に大きく依存します。
私たちの文明は、有史以来、長らく薪や炭に代表される更新性の生物資源(=今風に言えばバイオマス)と家畜の利用によって成り立っていました。その後、風車や水車の発明で自然エネルギーが利用されるようになりました。大きな転機となったのが石炭燃焼による外燃機関である蒸気機関の登場であり、これが産業革命を成立させた本質的な技術です(蒸気機関は燃料の燃焼によって得られる熱エネルギーを動作物質=水蒸気を介して運動エネルギーとして取り出す装置です。)。産業革命以降の枯渇性のエネルギー資源に依存した動力文明の下で行われる加工製品の生産を工業生産と呼ぶことにします。
石炭使用によって文明の利用できる動力あるいはエネルギーは飛躍的に大きくなりました。しかし、石炭という有限の枯渇性資源に依存するという本質的な工業文明の限界の問題が生じることになりました。
外燃機関は燃料の燃焼装置と動作物質(蒸気機関では水あるいは水蒸気)の循環装置が別に存在するため、装置が比較的大規模になるため、定地用の動力あるいは比較的大きな運搬手段、船舶や蒸気機関車として利用されることになりました。
動力装置の技術的な大きな飛躍が石油の利用による内燃機関の登場です。ガソリンエンジンやディーゼルエンジンに代表される内燃機関の特徴は、燃料を燃焼させる容器内の燃焼ガスそのものを動作物質として運動エネルギーを取り出すため、燃焼装置と動作物質の循環装置を分離していた外燃機関に比較して小型・軽量化が可能だったことです。ただし、1サイクル毎に燃焼ガスとともに熱を廃棄してしまうため、熱効率はそれほど良好ではありません。
内燃機関による動力装置の小型・軽量化は、小型の移動手段である自動車の普及に決定的な影響を与えました。また、内燃機関の普遍的な普及は、燃料資源として石炭から石油へのシフトを急速に推し進めることになりました。
日本では第二次世界大戦敗戦後、1950年代から急速に石炭から石油への依存度を高め、1960年代には国内炭鉱をスクラップ化する動きが強まり、炭鉱における労働争議が頻発しました。しかし、1970年代には日本国内の炭鉱はほぼ壊滅状態になったと考えられます。
1-2 基本エネルギー資源とエネルギー産出比
私たちの生きる現在の基本的な燃料資源は、依然として石油を中心とする炭化水素燃料資源(以下、石油と総称する)と石炭資源です。
基本的な燃料資源=エネルギー資源の必要条件とはなんでしょうか?簡単に言えば『そのエネルギー資源を利用可能に加工するために投入したエネルギー量に比較して、結果として得られる利用可能なエネルギー量の方が大きいこと』です。ここで、エネルギー産出比を以下の様に定義します。
(エネルギー産出比)=(利用可能エネルギー量)/(投入エネルギー量)
つまり、基本エネルギー資源の必要条件は(エネルギー産出比)>1.0と書き表すことが出来ます。しかし、これだけでは現在の巨大な生産力を持つ文明を担うのに十分な条件とは言えません。なぜなら、(エネルギー産出比)≒1.0だとすると、殆どエネルギーの単純再生産であり、得られたエネルギーをすべてエネルギーを生産するために消費してしまい、他の工業生産に振り向ける余剰のエネルギーが生み出せないことになるからです。
詳細なデータはありませんが、おそらく(石炭や石油のエネルギー産出比)>10.0≫1.0程度であろうと考えられます。もし仮に、『石油代替エネルギー』資源と言うものが存在するのならば、少なくともエネルギー産出比は10のオーダーを確保できなければ、現在の産業構造は維持できないのです。
1-3 迂回過程と電気エネルギー
基本エネルギー資源の変化とは別に、エネルギーの最終的な形態の変化も起こりました。電気エネルギーとは、基本的なエネルギー資源によって得られた有用エネルギーを利便性を高めるために形態を変化させたものです。電気は使用段階で照明、動力、電子機器の駆動など様々な利用が可能です。
『発電』という言葉に対して大きな誤解があるようです。発電とは電気エネルギーを生産するのではなく、何らかの別のエネルギー資源から得られる有用エネルギーを電気に変換しているのです。
物理化学的な変化の過程において、効率は常に1.0よりも小さくなります。それは、私たちの住む分子を最小単位として、その巨大な集合としての物質から構成された熱学的な世界では、エントロピー増大の法則に従って、変化のために投入されたエネルギーや物質の一部は必ず環境中に散逸するためです。
発電という変化の過程を考えてみましょう。石油火力発電の概略は次の通りです。
燃焼熱↑→熱機関↑→力学的エネルギー↑→発電機↑→電気
※『↑』は環境への熱エネルギーの散逸を示す。『→』は有効なエネルギーの流れを示す。
標準的な石油火力発電では、石油の燃焼エネルギーという投入エネルギー量に対して、最終的な生産物である電気エネルギー量の熱量ベースの比率は0.35〜0.40程度だと考えられます。これは、石油火力発電の各段階における変換効率の積として表されます。
水を加熱して湯を沸かすという目的のために、石油の燃焼熱を石油ボイラーで直接利用する場合と、石油火力発電によって得た電気を使って電気給湯器で利用する場合について考えます。同じ目的、ここでは湯を沸かすという目的を遂行するために石油ボイラーと電気給湯器を利用する二つの手段があるわけです。
一般に同一目的の実現のための手段が複数ある場合、より複雑な過程を『迂回過程』と呼びその過程の複雑さの程度を『迂回度』と呼ぶことにします。着目する全過程に含まれる各素過程の効率は常に1.0より小さく、総合的な効率は各素過程の効率の積で表されるので、迂回度が大きいほど総合的な効率は指数関数的に小さくなります。
湯沸しの場合、石油ボイラーの効率を0.9だとすれば、投入された石油の燃焼エネルギーの90%が湯を沸かすための熱として利用できます。これに対して電気給湯器では最大でも、石油火力発電所において投入した石油の燃焼エネルギーの35〜40%以下しか湯を沸かすための熱として利用できないのです。
つまり、一般的に電気エネルギーでなくても実現できる目的に対して、迂回過程を経た電気エネルギーを使うことは社会全体のエネルギー利用効率を低下させることになるのです。オール電化あるいはエネルギー供給における電力化は社会全体のエネルギー利用効率を著しく低下させるのです。
1-4 工業的生産と価格
工業的な生産とは、エネルギー資源を使って製品を加工製造することです。
嗜好品や好みやブランド名によって製品価格が大きく異なる工業製品、あるいは未公開の新技術によってアドバンテージを持つような特殊な工業製品を別にすれば、工業製品の経済価値とは、製品の原材料価格と加工・製造過程で投入されたエネルギー量を反映していると考えられます。原材料価格は資源の希少性、物理・化学的な特性と同時に、原材料を得るために投入されたエネルギー量を反映しています。
つまり、工業製品の経済価値を決定する普遍的な要素の一つが原材料の収集から加工・製造過程で投入されたエネルギー資源量なのです。
各業種によって、製品の経済価値に含まれる投入エネルギー量の対価=エネルギー・コストの割合には標準的な値が存在しています。
現在の工業生産の最も普遍的な基本エネルギー資源は石油です。工業生産におけるエネルギー・コストは石油換算の経済価値あるいは熱量ベースの石油消費量として評価するのが妥当であろうと考えます。

以上でエネルギー問題の議論において最低必要な事項の説明を終わります。次回から具体的な検討に入ることにします。
No390 (2009/03/16)
太陽光発電電力高値買取に反対する その@
0.はじめに
このHPでは、新エネルギー政策に対して一貫して反対の態度を表明しています。これに対して、国・企業・マスコミの合作の虚構に基づいた新エネルギー導入推進のキャンペーンによって一般国民、善意の市民、『環境NPO』の多くが感化され、盲目的に支持しているのは非常に危うい状態です。
まず最初に提起しておきたいことは、
エネルギー政策とは、科学に裏打ちされた技術の問題であり論理的な考察の対象とすべき問題であり、感情や信念はこの際すべて排除した上で議論することが必要だと言うことです(この際、科学的認識レベルの低いNHKを始めとする日本のマスコミ情報は一旦捨象することが必要です。)。
さて、洞爺湖サミット後、米政権の交代に伴う新環境・経済政策である『グリーン・ニューディール』政策に対して、『世界市場における環境技術の覇権争い』に乗り遅れまいとして、我国政府も新エネルギー等の国家的な導入に本格的に取り組み始めています。その中心となる政策が原子力発電と太陽光発電の普及・拡大の国家的な推進だということが明らかになってきました。
この政策は、国家・マスコミによって国民向けには『今日最大の環境問題である人為的CO2地球温暖化を解決して、環境を良好な状態で次世代に引継ぐため』とアナウンスされ、善良な市民や『環境NPO』の多くはこれを科学的・技術的に検討することなく額面どおりに受け取り、盲目的に支持しています。
しかし、原子力発電や太陽光発電を導入することによって人為起源のCO2排出量が削減できる可能性はなく、むしろ石油消費は増え、本質的な環境問題の原因である工業生産規模は爆発的に大きくならざるを得ず、これに伴って鉱物資源の消費量も爆発的に大きくなり、工業による環境汚染は激化することが避けられないのです。
多くの国民は、環境問題対策だからという理解の下に、国の推し進める新エネルギー政策の実現に必要な社会的な費用負担の増加(環境税や太陽光発電高値買取に伴う電力料金の増加)を受け入れようとしています。
しかし、実際には新エネルギー政策の実施は人為的CO2排出量を増やし、工業生産規模を爆発的に大きなものにし、環境問題を本質的により一層悪化させるものなのです。
新エネルギー政策の本質的な意味とは、ポスト大型公共事業としての公的・準公的資金の投入による重工・重電メーカーを中心とする企業に対する新たな国内市場の創出により、経済規模を拡大すると同時に環境技術によって世界市場の覇権を確立すること、そしてこうして形作られる経済システムに巣食う新たな利権構造を構築することなのです。
この連載では、太陽光発電電力の高値買取制度を中心に、日本のエネルギー政策の問題点を示すことにします。出来得れば、このHPに対して批判的な意見をお持ちの善意の市民の皆さん、『環境NPO』の皆さんにこそご覧頂きたいと考えています。どうか最後までお付き合いいただきたいと衷心よりお願いいたします。