No.1482(2023/08/13) 日米の年老いて時代錯誤のボケ政治家の害毒
米欧の植民地支配の末期症状としてのウクライナにおける米国ネオコンの悪あがき?

 米国のバイデンの老害については既に中国問題で取り上げました。わが日本でも若い時から失言を連発している麻生太郎が未だに自民党副総裁の地位にあり、害悪を垂れ流し続けています。このようなアニメおたくの愚か者をいまだにありがたがっている日本という国も危ういと思います。泥船米国とともに海の藻屑とならないか・・・。
 麻生は台湾を訪問して台中有事の折には日本も共に戦うなどという信じられない発言をしたようです。大分合同新聞2023年8月9日の記事を紹介します。

 これに対して中国は次のような評価を発表しています。

 米国の介入でただでさえ緊張が増している台湾を巡る状況に、敢えて火に油を注ぐような麻生の行動は愚かとしか言いようがありません。

 閑話休題、私の印象として、ウクライナ紛争に対する日本のマスコミ報道がトーンダウンしているように感じます。これまで日本の報道は正義の米欧NATOとウクライナ連合軍の勝利が間近であるような情報ばかりを垂れ流し続けていましたが、どうも実際の戦況はそううまくいっていないということの表れなのかもしれません。
 ウクライナ紛争に対する評価は既に何度も書いてきましたので、改めて付け加えることはありません。今回は久しぶりに大地舜氏の動画を紹介しておくことにします。

 

No.1481(2023/08/12) エネルギー問題・脱炭素社会について考えるD
再生可能エネルギー発電の特性について考える その4

 前回までの検討で、再生可能エネルギー発電は、発電装置や必須の蓄電システムなどの付帯装置システムがあまりにも巨大になるために、それを製造・維持するために投入される化石燃料のエネルギー量が、再生可能エネルギー発電装置の耐用期間中の総生涯発電量を火力発電で供給する場合よりも大きくなるために、火力発電を再生可能エネルギー発電システムで置き換えることによって化石燃料消費は増大し、CO2放出量も増加することが分かりました。

 火力発電では電力生産に投入した化石燃料に対する供給電力のエネルギー産出比は0.3〜0.4程度です。再生可能エネルギー発電の場合、投入した化石燃料に対する供給電力のエネルギー産出比は0.3〜0.4よりも低い値になります。
 工業化社会を維持するエネルギー供給システムの最低必要条件はエネルギーの拡大再生産が可能なこと、つまりエネルギー産出比が1.0を超えることです。化石燃料によるエネルギー供給システムの総合的なエネルギー産出比は1.0を大きく超えており、おそらく10.0よりも大きいと考えられます。化石燃料は極めて優秀なエネルギー資源であり、供給したエネルギーの一部を火力発電に投入することで熱量ベースのエネルギー供給量が多少減少しますが、使用価値の高い電力を生産することに意味があります。電力は化石燃料を消費することで製造される工業製品であり、二次エネルギーと呼ばれています。 

 現在、温暖化対策として脱炭素社会の実現を目指すとしています。しかしこれは自然科学的に実現不可能な目的です。現在の工業化社会は化石燃料というエネルギー産出比の極めて高い鉱物資源を利用することで成り立っています。化石燃料を一切使用せずに工業化社会を再生可能エネルギーだけで成立させる条件を考えることにします。

 脱炭素社会では、基本となる工業エネルギーは再生可能エネルギー発電によって供給される電力だけです。したがって脱炭素社会のエネルギー供給システムとは、再生可能エネルギー発電電力を用いる工業生産システムで再生可能エネルギー発電システムを拡大再生産可能であることが最低の条件です。
 現在の化石燃料によるエネルギー供給システムを前提とした再生可能エネルギー発電システムのエネルギー産出比はおそらく0.3未満だと考えられます。工業生産システムに投入するエネルギーを化石燃料からすべて電力に変更した場合、再生可能エネルギー発電システムのエネルギー産出比は0.3よりも多少改善されるかもしれませんが、1.0を超えることは不可能です。CO2放出量の削減よりも脱炭素化の方がはるかに技術的なハードルは高いのです。CO2放出量の削減すらできない再生可能エネルギー発電によって社会の脱炭素化を実現することは不可能です。
 例え、再生可能エネルギー発電によるエネルギー供給システムのエネルギー産出比が1.0を少し超えたくらいでは工業化社会を維持することはできません。なぜなら供給するエネルギーの大部分が再生可能エネルギー発電によるエネルギー供給システムの維持に費やされ、それ以外の目的に使用できる有効なエネルギーがほとんどないからです。

 問題はそれだけではありません。現在の化石燃料の消費によって成り立っている工業製品の生産プロセスが、果たしてすべて電力によってうまく肩代わりできるか、全ての工業生産プロセスの脱炭素化が可能なのかどうかの技術的保証もありません。
 例えば製鉄です。製鉄ないし製銑工程では、鉄鉱石という酸化鉄と石炭を焼結して炭素純度を高めたコークスを炉の中で高温で反応させ、鉄鉱石に含まれる酸素とコークスを反応させて酸化鉄を還元する過程です。コークスは酸素と反応して二酸化炭素となります。
 この鉄鉱石の還元剤としてコークスに代わって一体何を利用するのでしょうか?水素ですか?その水素はどうやって作るのでしょうか?水の電気分解によって製造するのですか?水素の製造には莫大な電気の消費が必要になります。これによって電力のエネルギー産出比は更に大幅に低下することになります。
 また、建設資材として不可欠なセメント製造では生産過程からのCO2放出が避けられませんが、セメントに代わる有用な建設資材が実現できるのでしょうか?

 工業化社会とは、化石燃料という極めてエネルギー産出比の高いエネルギー資源の使用によって成り立つ特殊な社会システムであり、これを化石燃料の使用をせずに維持することは技術的に不可能なのです。 

(続く)

No.1480(2023/08/10) エネルギー問題・脱炭素社会について考えるC
再生可能エネルギー発電の特性について考える その3

 前回示した内容を踏まえて、もう一度一次エネルギー消費量の推移について考えることにします。

 上図に緑色で示した一次エネルギーとしての再生可能エネルギーの値とは何を示しているのでしょうか?実際には、再生可能エネルギー、具体的には太陽光や風力は時々刻々激しく変動しているため、再生可能エネルギー発電システムで捕捉した自然エネルギーの量をリアルタイムで計測して積算することなど不可能です。

 統計上に一次エネルギーとして計上されている再生可能エネルギーとは、再生可能エネルギー発電によって供給された電力量を基に、仮にこれを火力発電で発電した場合にはどの程度の化石燃料が必要かという値を計算した「仮想の数値」なのです。これを算定するために一次エネルギー換算係数という値が定められています。

現在は、火力発電電力1kWhを供給するために投入されたエネルギーを9.76MJとして、

一次エネルギー換算係数=9.76MJ/kWh

という値が採用されています(図に示すようにこの値は近く改定されるようです。)。これはエネルギー産出比に変換すると、

エネルギー産出比≒1/一次エネルギー換算係数=1kWh/9.76MJ=3.6MJ/9.76MJ=0.37

です。

 一次エネルギー消費の推移に計上されている数値は、再生可能エネルギー発電によって供給された名目の発電量を仮に化石燃料で発電した場合に必要とされる化石燃料の燃焼エネルギーを示しているのです。
 そこで、世間では、再生可能エネルギー発電を導入することで、一次エネルギー消費量の推移に示す緑色の部分に対応する化石燃料消費が削減できるという、誠に愚かで非科学的な主張が信じられているのです。

 一体どこがおかしいのでしょうか?
 前回検証したように、再生可能エネルギー発電では電力の原料として自然エネルギーを利用しますが、その発電装置やその付帯装置が巨大になるため、再生可能エネルギー発電システムを構築するために莫大な工業的エネルギー=化石燃料が消費されています。一例として太陽光発電の電力生産過程の模式図を示します。

 太陽光発電の太陽放射に対する電力への変換効率は16%程度なので、1kWh=3.6MJを発電するためには22.5MJ程度が必要です。前出の一次エネルギー変換係数の値とは全く異なりますが、この際これは置いておきます。
 一方、巨大な太陽光発電装置を製造するためには太陽光発電の生涯発電量1kWh当たり10.41MJ程度が消費されています。これは、一次エネルギー換算係数9.76MJよりも多少大きな値ですが、ほぼ同程度ということにしておきます。
 つまり、太陽光発電による発電では、原料となる太陽放射22.5MJに加えて化石燃料10.41MJを消費して電力1kWhを供給しているのです。

 再生可能エネルギー発電の導入によって削減されるCO2放出量の議論において何がおかしいのか、もうお判りでしょう。この議論では、再生可能エネルギー発電システムを導入するために増加する装置システムの製造などに投入される化石燃料の増大を全く考慮していないのです。

 思考実験です。仮に再生可能エネルギー発電を全て無くしてしまうとどうなるか?一次エネルギー消費の内の緑色の部分がなくなります。しかしそれだけではありません。10.41MJ≒9.76MJと考えれば、化石燃料部分から更に緑色と同じだけの消費が減少するのです。
 逆に、再生可能エネルギーによる発電量を全て火力発電で代替するとどうなるのか?一次エネルギー消費から緑色の部分が無くなります。再生可能エネルギー発電のために消費されていた化石燃料を火力発電に回せば、再生可能エネルギー発電で発電していたのと同等あるいはそれ以上の電力を得ることが出来るので、化石燃料消費量は変化しない、あるいはむしろ減少することになるのです。

 今日の結論です。再生可能エネルギー発電の導入量を増やすほど、化石燃料消費量が増加する、したがってCO2放出量が増加するのです。

 今回の検討では、太陽光発電を例に、電力供給システムとして必要な蓄電システムや高規格送電線網などの付帯設備については含めていません。これら付帯設備を含めると、再生可能エネルギー発電システムで火力発電を置き換えることによって、化石燃料消費は爆発的に増大することになります。

(続く)

No.1479(2023/08/08) エネルギー問題・脱炭素社会について考えるB
再生可能エネルギー発電の特性について考える その2

 前回示したように、再生可能エネルギー発電の電力価格は非常に高額になります。それでも非科学的な環境保護運動は「善意から」多少電力価格が高くなっても環境や未来のためには高い料金を支払ってでも再生可能エネルギー発電によって脱炭素化を果たすべきであると主張します。これは科学的な考察を怠った誠に愚かな主張です。

 工業化社会とは、工業的なエネルギーを消費して製品を製造することによって成り立つシステムです。大雑把に言えば、工業製品の原価とは材料資源費用とその加工のための生産設備費の製造費用、生産設備を駆動するエネルギー費用、および人件費によって構成されます。
 材料資源の供給には工業的手段が用いられますからエネルギーが消費され、生産設備自体が工業製品なのでその製造にエネルギーが消費されます。したがって、工業製品の原価には必ずその製造のために消費されたエネルギー費用が一定割合で含まれています。
 化石燃料を基本エネルギーとする工業生産では、工業製品の種類によって製品価格に占めるエネルギー費用は変化しますが、大まかに見積もって工業製品原価の10%〜30%程度と考えて差し支えないでしょう。

 再生可能エネルギー発電では、供給する電力の原料として化石燃料を消費しません。しかし、再生可能エネルギー発電施設、ないしその付帯設備(蓄電システムや高規格送電線網の建設など)を含む再生可能エネルギー電力供給システムの巨大なシステムを構築するためには莫大な工業製品が必要であり、その製造に莫大なエネルギー=化石燃料が消費されています。
 一般に、単価の高い工業的エネルギーほど単位供給エネルギー量当たりに投入される化石燃料が多いと考えられます。

 工業化社会を成立させることのできるエネルギーの必須条件は、エネルギー資源が拡大再生産可能なことです。つまり、工業製品である工業的エネルギー1単位を投入することで工業的エネルギーを1単位よりも多く産出することです。投入エネルギーに対する産出エネルギーの比率をエネルギー産出比と呼びます。つまり、工業化社会を成立させ得るエネルギーの必須条件は、

エネルギー産出比>1.0

です。

 化石燃料を用いる火力発電では、その発電施設建設・運用に消費する化石燃料と発電用の化石燃料の合計の消費エネルギーに対する、供給する電力のエネルギーの比率=エネルギー産出比は0.3〜0.4程度です。つまり、火力発電過程に投入する化石燃料の持つ熱量を1.0とした場合、供給できる電気エネルギーは30%〜40%に目減りするのです。それでも電気エネルギーの持つ利便性を得るために、発電には意味があります。
 また、化石燃料自体のエネルギー産出比は10.0以上の高い値です。化石燃料1単位を化石燃料の生産に投入することで10単位以上の化石燃料を得ることが出来ます。化石燃料の再生産に投入する1単位を除いた9単位を化石燃料を用いた火力発電に投じることで9×(30%〜40%)=2.7単位〜3.6単位の電力を得ることが出来ます。
 したがって、化石燃料生産に投入する化石燃料1単位に対するエネルギー産出比は、

火力発電電力のエネルギー産出比=(2.7〜3.6)>1.0

なので、工業化社会を成立させることが可能です。

 実際には発電に投入されるのは(電力化率)40%程度であり、残りの60%はそのまま燃料として最終消費されます。下図は、火力発電単独のエネルギー産出比を0.35とした場合の化石燃料によるエネルギー供給システムの模式図です。

 再生可能エネルギー発電、例えば大規模太陽光発電が経済的に成り立つための電力販売価格は40円/kWh程度です。利益を10%として電力原価は36円/kWh程度です。これを発電設備の建設・維持費用とし、20%を投入された化石燃料費とします。つまり、供給電力1kWh当たりに投入された化石燃料費用は36×20%=7.2円/kWhになります。

 上図は天然ガス・原油の世界市場の価格変動です。最近の価格を8ドル/百万Btuと仮定します。1ドルを110円、1Btu=1,054J、1kWh=3.6MJとすると、化石燃料1kWhの価格は以下の通りです。

8ドル/百万Btu=880円/(1,000,000×1,054J)=880円/1,054MJ
       =880円/(1,054/3.6)kWh=3円/kWh

 したがって、太陽光発電では、投入した化石燃料に対するエネルギー産出比は、

3÷7.2=0.417

になります。実際に太陽光発電を運用するためには更に巨大な蓄電設備、全国土を網羅する高規格の送電線網、バックアップ用発電設備の維持管理など、莫大な施設が必要になります。これらを考慮すると、太陽光発電による電力供給システムの投入化石燃料に対するエネルギー産出比が火力発電のエネルギー産出比0.35を上回ることは不可能です。
 つまり、現在の工業生産システムの下で、火力発電を太陽光発電システムで置き換えることによって化石燃料消費量は増加することになります。

 日本ではすでに太陽光発電には見切りをつけ、洋上風力発電を再生可能エネルギー発電の主力にしようとしています。しかし、風力発電は太陽光以上に変動が激しく、また厳しい自然環境の影響を受ける発電方式です。しかも洋上という常に潮風に吹かれ、台風という短期的に極めて厳しい負荷のかかる環境下では劣化が激しく、発電コストは著しく上昇することになるため、おそらく大規模太陽光発電よりもエネルギー産出比が低くなると推測されます。

 ここまでの結論です。火力発電を再生可能エネルギー発電に置き換えることによって化石燃料消費は増加するのです。

(続く)

No.1478(2023/08/06) エネルギー問題・脱炭素社会について考えるA
再生可能エネルギー発電の特性について考える その1

 始めに、8月3日の新聞記事を紹介しておきます。

 記事では、ガソリン価格が高騰していることに対して、政府補助金政策の延長の是非について触れています。

 これを少し異なる視点から見ることにします。石油の世界市場価格は、ウクライナ紛争の影響だけでなく、主要産油国の生産調整によって高い水準で推移しています。しかし、石油を含めた化石燃料消費は一貫して増加傾向を示しています(2008年のリーマンショック後、2020年のCOVID19の世界的流行の影響で世界経済が停滞していた時期を除く)。

 つまり、多少の化石燃料価格の上昇があっても人間社会にとって化石燃料は本質的に重要なエネルギー資源であり、化石燃料に対する需要は根強いことを示しています。
 一方、日本を含めた米欧先進国は温暖化対策として化石燃料を非化石燃料に置き換えようと主張しています。しかし化石燃料消費量の動向を見ると化石燃料に対する需要は強く、再生可能エネルギーによる置き換えは一向に成功していないことが分かります。
 日本の報道は、世界は脱炭素化が進み、日本だけが遅れているように錯覚するような偏った情報を流しています。しかし現実には、世界の大部分において化石燃料が主要な燃料であり、その消費量は年々増加しているのです。2050年にCO2放出量を半減するなど全く画餅にすぎないことを上図は示しています。
 その一つの理由は、安価な化石燃料に対して、再生可能エネルギーの利用には比較にならない莫大なコストが必要であり、それを負担できるような経済的余裕があるのは米欧・先進国に限られるからです。
 しかし、本質的な理由は、再生可能エネルギー発電に有効なエネルギーを供給する能力がなく、化石燃料を代替して工業生産を担う能力がないからに外なりません。それは経済的に見ると再生可能エネルギーの利用が高コストであることに反映されています。

 統計上、一次エネルギーに占める再生可能エネルギーの比率は上昇していますが、本来ならばそれに従って減少するはずの化石燃料消費は減少するどころか、相変わらず上昇傾向を示しています。米欧先進国が再生可能エネルギーの導入を促進して、発電分野や自動車分野における非化石燃料化を実現したとしてもこの傾向が変わることはありません。以下、その自然科学的な理由を考えることにします。

 現在、再生可能エネルギーと目されている本質的な技術は、太陽光発電と風力発電という自然エネルギーを利用した発電技術です。その他の水素製造やメタネーション技術は派生的な技術であって、本質的ではありません。
 自然エネルギーは環境中に不偏的に存在する自由財です。したがって、自然エネルギー自体には価格がなく、同時に経済的な価値はありません。しかし、自然エネルギー発電電力はきわめて高価なエネルギーになっています。その理由は、

@エネルギー密度が小さい
A制御不能な不規則変動を伴う

からです。この自然エネルギーを工業的に制御されたエネルギーとして使用するためには、例外なく化石燃料を使用するのに比較して単位供給エネルギー当たりに必要な施設規模がとてつもなく大きくなります。
 具体的には、まず、密度の薄いエネルギーを捕捉する装置そのものが巨大になることです。
 次に、自然エネルギーは大きく変動するため、発電装置の設備利用率が極めて低くなります。例えば陸上風力発電の設備利用率は15%程度であり、定格2MW出力の風力発電では、平均実効出力は300kWにとどまります。
 さらに、エネルギーを工業的に利用するためには、電力需要に対して完全に制御された安定したエネルギー供給が必要です。そのため、付帯設備として巨大な蓄電システムが必須です。
 また、気象条件によって、地域の電力需要と発電量に大きな格差が生まれると電力供給システムの機能が維持できなくなり大停電が発生します(ブラックアウト)。これを極力避けるためには国土全体をカバーする高規格の送電線網を構築することが必要になります。
 それでも電力の安定供給を維持できない場合に備えて、バックアップ用の発電設備、たとえば火力発電を維持しておくことも必要です。

 こうした理由から、自然エネルギー発電システムで化石燃料によるエネルギー供給システムを代替するためには途方もなく巨大な設備が必要になります。その結果、自然エネルギー発電電力の価格は高額になるのです。

(続く)

No.1477(2023/08/05) エネルギー問題・脱炭素社会について考える@
原子力発電・再生可能エネルギー発電の本質的な問題点を考えることが必要

 福島第一原発事故の発生の教訓から国民的な合意となった脱原発の意思、そして日本政府の方針となったはずの原子力発電からの段階的な撤退を、 岸田政権は180度翻して、『原子力発電を脱炭素社会の実現のために最大限利用する』方針を打ち出しました。

 これに対して色々な反応があります。

 まず、原発の危険性に鑑み、原子力発電は廃止すべきであり、再稼働・新設は許されないという従来の主張です。
 しかし、福島第一原発事故の直後には一旦は国民の多数が支持した脱原発でしたが、熱しやすく冷めやすい非科学的な日本国民は、人為的CO2地球温暖化対策としての「脱炭素社会」の実現が叫ばれるようになると、「発電時にCO2を放出しない」原子力発電の価値を再評価する人々が増加し始め、『安全性が担保されるならば原発を容認する』として、脱原発勢力の一部が脱落することになりました。
 岸田自民党・保守党政権は、脱炭素社会実現を口実に、国民的な合意であり政策であったはずの段階的な脱原発の方針を、一切の国民的議論を行わないまま、原子力発電の再稼働・新設を積極的に推進する方向に方針転換しました。その一つの理由は、2050年にCO2排出量を半減させるためには、再生可能エネルギー発電の有効性は極めて低いと判断したからです。
 これに対して、コアな反原発運動の人々は、脱炭素社会の実現のためであろうと、「危険な原発を再稼働・新設することには反対」であり、脱炭素社会実現のためには、再生可能エネルギー発電の導入促進こそ必要と主張します。反原発運動が再生可能エネルギー導入促進運動に変容しつつあるように見えます。

 私は、原発を巡る国民世論の混乱は、原発を推進する側も反対する側も、問題の本質を科学的に検証することを怠っているためだと考えます。この状況は原発問題に限らず、日本の市民運動、就中環境保護運動の歴史的な欠陥・弱点であると考えています。

 私は反原発運動の本質的な欠陥は、既に述べたとおり、原発という技術に対して科学的な分析を怠っていることに尽きると考えています。同時に、反原発運動の推進する再生可能エネルギー導入促進という過ちもまた、科学の不在による思い込みの産物だと考えています。

 私の立場は明快です。人為的CO2地球温暖化の脅威は実在しない虚像なので、「温暖化対策」としての脱炭素社会の構築は全く無意味であり、この文脈において化石燃料の使用を削減する必要性は存在しない、ということに尽きます。
 こう言ってしまうと元も子もありませんので(笑)、本連載では、エネルギー問題についての認識や、原発や再生可能エネルギー発電のエネルギー供給技術として、あるいは脱炭素技術として無意味であることを示すことにします。

 最初に、反原発運動に対する私の個人的所感を述べておきます。

 私は、原発については絶対的に反対です。しかし、私の主張の本質は反原発運動が言う運用上の危険性によるものではありません。
 勿論、反原発運動が主張するように、原発の運用には燃料として取り扱う放射性物質に起因する危険性が伴うのは事実であり、それ自体が大きな問題です。人間の運営するシステムに絶対的な安全性の保障などありえず、必ず放射性物質の漏洩に伴う被害は起こります。また蛇足ですが、海岸線に無数の原子力発電所を建設していながら、米国に協力して日本を戦争する国にするなど、ほとんど狂気の沙汰としか思えません。

 しかし、人間社会は、工業的な技術に対して積極的な利用価値があれば、多少のリスクを負ってでもその技術を利用することを容認します。予防接種や薬物使用について、死亡を含む副反応リスクがあっても全面的な禁止は行いません。あるいは自動車の使用は日本国内に限っても年間数千人の死亡者を生んでいますが、自動車の使用を全面禁止することはありません。
 このように、本来の目的に対する技術の有効性に価値を認めれば、技術に付随するリスクがあっても使用を禁止することには直結しません。

 これは原発についても言えることです。人間社会が原発に求める効果=エネルギー供給システムとして有用であり、あるいはCO2を放出しないのであれば、原発の使用を付随する放射能汚染リスクを根拠に絶対的に差し止めることは困難です。これは、そこで暮らす国民がリスクを冒しても原発からの便益を優先するか、あるいは放射能汚染のない環境を重視するのかという相対的な評価・判断でしかないからです。

 現在の反原発運動は、原発の運用に付随する放射能による危険性を根拠に、再稼働反対・新設反対を主張して、主に法廷闘争に力を傾注しているようです。しかし、許容できるリスクは立場によって変化し、一意的に決めることはできません。結局、政権与党ないし経済的な影響力の大きな勢力の意向によって決定されることになります。しかし、これを一概に非合理であり、不当であるとは言い難いと考えます。

 こうした不毛な論争は、原子力発電、あるいは再生可能エネルギー発電などの技術に対する自然科学的な評価を怠っているから生じていると考えます。
 脱炭素社会の実現が必要という認識は、近年の高温化傾向は人為的に放出したCO2による付加的な温室効果によって生じていることを前提として提案されたものですが、自然科学的にはそのような事実は確認されていません。米欧先進国大資本から莫大な資金援助を受けた一部の声の大きな気象学者のコンピューターゲームの結果を盲信しているだけです。
 さらに、原子力発電や再生可能エネルギー発電は「発電時にCO2を放出しない」ので、人為的なCO2放出量を削減できると科学的な評価もまともに行わずに無条件に信じ込んでいます。

 原発や再生可能エネルギーに対して、原発は放射能による危険リスクがあるから反対であり、再生可能エネルギー発電は環境に与える影響は大きいがクリーンなイメージがあるから賛成であるという、技術本来の目的とは異なる付随的な特性に対する評価によって判断することは、本質的ではありません。各技術に対する評価は、第一義的には、達成しようとする目的に対する有効性から判断すべきなのです。

 この連載では人為的CO2地球温暖化脅威論の正誤判断は一旦棚上げし、脱炭素技術について科学的な評価を示すことにします。

(続く)

No.1476(2023/07/19) 過去12万年間で地球平均気温が最も高い??!
テレ朝「羽鳥慎一モーニングショー」という自然科学的に出鱈目な番組

 昨日のテレビ朝日の朝の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」の中で暑さについての話題が取り上げられていた。

 その中で「現在はこの12万年間で地球の平均気温が最も高い」というフレーズが繰り返し語られていました。これを真に受けた視聴者は大変なことだと思ったことでしょう。

 しかしこの情報には科学的な根拠が全くありません。この情報が正しいためには、いくつかの条件が必要です。

 まず、正確な地球の平均気温が一意的に定義可能であることです。しかし、現実には現在の科学技術をもってしても、ある瞬間の地球の平均気温を一意的に確定することは不可能です。ご存じのように、世界中の各種の気象機関の発表する地球の平均気温の変動は無数に存在しています。面的な広がりを持つ地球表面付近の温度≒気温を、離散的な観測地点の標本を基に算定するには、用いるデータや統計処理の仕方によって大きく変動するからです。ことに、IPCCの基礎データとして用いられているデータには地域的・環境的偏りが大きく、信頼性は低いと考えられます。

 次に、この12万年間について、現在と同等の観測点数の連続的な観測記録がなければなりません。当然のことですが、現代的な気象観測情報が世界的に共有できるようになったのは、恐らく第二次世界大戦以後であり、それ以前の系統的なデータなど存在しません。先進国の都市部に関しても、気象観測データが完備しているのはここ100年間程度にすぎません。

 したがって、仮に、現在の地球の平均気温が同等の観測データの下での統計値として最高温であるとしても、確実に言えることは、高々この100年間程度の期間で最高というだけのことです。

 テレ朝の羽鳥の言う「過去12万年間」とは、いわゆるミランコビッチサイクルの直近の氷期−間氷期サイクルの中で最高と言いたいのであろうと思います。

 

 上図は南極氷床コアの分析から求めたミランコビッチサイクルに伴う気温(青)、CO2(緑)、塵(赤)の変動傾向を示しています。図の左端が現在です。過去12万年間とは前の間氷期の高温期が終わった後を指しています。その後氷期になり、気温は10℃ほど低下し、約1.2万年前頃に氷期が終わり、現在に続く間氷期、地質年代的には完新世に入りました。

 下図はGISP2によるグリーンランド氷床の分析から得られた完新世の地球の気温の変動傾向を示しています。7000−8000年ほど前に完新世最高温期が現れ、3000年ほど前に地中海文明の栄えたミノア温暖期、2000年ほど前にローマ温暖期、1000年ほど前に中世温暖期が現れています。
 その後14世紀ころから19世紀にかけて完新世で最も寒冷な時期である小氷期(Little Ice Age)が現れ、その後現在まで気温の回復傾向が進み、ミノア温暖期以降1000年周期で表れている気温極大期を迎えているのが現在です。 

 GISP2(米国Greenland Ice Sheet Program 2)によって氷床から切り出された標本から推定された気温変動を見ると、3000年ほど前のミノア温暖期以降は約1000年の周期で明確な気温極大期を示しながら、気温の低下傾向が顕著になっています。気温極大期の気温は1000年あたり0.8℃程度低下している。現在はミノア温暖期以降3回目の気温極大期に当たり、中世温暖期よりも低温であることが分かります。
 完新世に入り、間氷期が1万年を超えていることから、過去のミランコビッチサイクルに伴う気温変動から類推すると、地球の気温は長期的には今後低温化する可能性が高い。 

 ここで示した地球の気温の変動傾向は、南極氷床やグリーンランド氷床に閉じ込められている過去の地球大気の分析から推定されたものです。したがって、時間に対する解像度は低く、実際の気温の変動傾向は短期的にはここに現れた以上に大きな振幅で変動しています。高々「今年は暑い」程度の期間の変動を語るだけのデータは全く存在していないのです。

 したがって、例えばGISP2の気温変動傾向から見て、現在は最近1万年余続いている完新世の中においてもそれほど高温ではないというのが客観的かつ自然科学的な評価だと考えます。

 「現在はこの12万年間で地球の平均気温が最も高い」などという出鱈目な科学的な根拠のない、温暖化の脅威を煽る情報によって、疑うことを知らない一般大衆はますます馬鹿になってしまうのです。
 蛇足ですが、この状況はウクライナ紛争をめぐる米欧の嘘を含む偏った報道に先導・扇動されたロシア悪者・脅威論のバカ騒ぎと酷似しています。


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