No.083 (2003/06/30)3年間の総括と今後の展望

 6月で、このホームページは開設3年が経過しました。この間、主に環境問題の基本的な構造の検討と、二酸化炭素地球温暖化説に代表される、『通説としての環境問題』の現状分析を中心に扱ってきました。
 このホームページの狙いは、環境問題における個別の問題について、その打開策を探るものではなく、あくまでも環境問題という大きな問題の構造的な枠組みを明らかにするとともに、これを打開するための人間社会のシステム全体がどうあるべきかという方向性を明らかにしていくことに重点を置いています。環境問題の克服を構想するとき、最も重要な点は、種としての『ヒト』あるいは人間社会の持続可能性、つきつめると如何に生き延びるかという生存戦略を模索することだと思います。
 このホームページを開設した大きな動機のひとつは、主流の環境問題論議が個別事象の矮小化された問題を微視的に解決することに目を奪われ、個別事象が環境問題全体の中でどのような位置づけにあるのかという視点を全く欠いている事によって、誤った方向に向かっているのではないかという危機意識です。
 環境問題をめぐる論議は、いまだにこの危機的な状況を克服できずに、ますます混迷の度を深めているように見受けられます。それどころか、ここ数年は、誤った認識に基づく環境対策、例えば新エネルギーの導入などが政治的・社会的に定着し、これらの事業に法的な保障を与え、ポスト公共土木事業としての国家プロジェクトとして肥大化してきています。
 残念ながら、政策立案に携わる無能な官僚組織や政治には、当面何を言っても理解は得られる状況にはありません。それどころか、現実には研究者や技術者という、『いわゆる専門家』さえ、環境問題の全体像に対する認識が十分ではないのが実情です。
 しかしながら、この3年間、ホームページを通して幾人かの若い研究者の方の中に、こうした現状に対する疑問を持つ方が現れ始めており、まだ絶望する段階ではないと考えています。環境問題という、世代を超えた長期の問題に対処するためには、社会的なしがらみから自由な若い研究者や、これを輩出する土壌としての学校教育における科学教育・環境教育が今後ますます重要になってくるものだと思います。
 このホームページでは、これまで通り、環境問題に関する出来事を検証していくと同時に、今後環境教育に関する話題を、より積極的に扱って行きたいと考えています。このホームページにおける私の役割は、基本的には狂言回しだと考えています。ホームページの内容を充実していくために、このホームページの方向性に賛同くださる、学生・研究者・技術者を始め、多くの閲覧者の皆さんのご協力を、是非お願いいたします。

No.082 (2003/06/25)ガス器具メーカーの逆襲

 電力各社と家電メーカーによって、余剰夜間電力を使った電気温水器を初めとする、『オール電化ハウス』による二酸化炭素排出削減キャンペーンが行われてきました。
 これは、全く根拠のない虚偽宣伝であり、本来ならば誇大広告・虚偽広告として厳重指導あるいは法規制の対象になって当然の内容です。簡単に触れておきますと、熱源として電気を利用する場合、発電段階における大量の熱損失と、多段階のエネルギー変換による損失、遠隔地への送電による損失などによって、ガスを中心とする炭化水素燃料を直接熱源にする場合の数倍の炭化水素燃料の投入が必要になり、当然、この過程で排出される二酸化炭素量も数倍になるのです。
 原子力を中心とした出力変動に適さない過大な『ベース電力』の確保によって、ダブついている夜間電力のダンピング販売として導入された電気温水器が『クリーンでエコロジカル』などという電力・家電業界は厚顔無恥、もっと言えば詐欺師としか言いようがありません。
 これに対して、最近ガス器具メーカーのパロマが『CO2 100万トン削減キャンペーン』というものを始め、電力・家電業界に正面から対抗しはじめました。TVの宣伝では、確か『IHヒーターに比べて、木17本分のCO2削減効果』という様な言い方をしていたと思います。非常にあいまいな表現を使っていますが、明らかにパロマの主張には科学的な根拠があります。出来れば、もう少し条件を絞って科学的に正確な表現でIHヒーターとガス器具の比較をした方が、最近の消費者に対しては、より効果的なのではないかと考えます。
 パロマのホームページを少し覗いてみたのですが、最近の湯沸かし器の熱効率の高さは素晴らしいようです。通常の小型の瞬間湯沸かし器で83.5%、『潜熱回収型』という特殊な形式では何と98%の熱効率を実現しています。また、自己発電式のガスファンストーブというものも開発されているようです。
 熱源として考えた場合、明らかに、電熱器(IHヒーター)を使うよりも炭化水素燃料の燃焼熱を直接使ったほうが、環境問題を改善するための実質的な効果があリます。その意味でガス器具メーカーは、もっとそのアドバンテージを積極的に宣伝していくべきだと考えます。
 ただ、ガス器具メーカーの方に一点だけ注意していただきたいことがあります。あまりにも使用段階における燃料の熱効率を上げることや、利便性にだけ注目してしまうと、総合的な資源利用効率や熱効率がかえって低下することも考えられます。あくまでも、ガス器具の製造・メンテナンス・廃棄コストと、使用時の熱効率の双方に目を配った総合的な資源・エネルギー利用効率において製品の最適化を考えていただきたいと思います。

No.081 (2003/06/14)海洋温度差発電

 まず、イラク戦争のその後について一言だけ触れておきます。
 イラクへの米国の侵略戦争ないし戦後処理は、予想通り最悪のシナリオに沿って進んでいます。結局米国の思惑通り、『大義名分』であったはずの、大量破壊兵器の有無をうやむやにしたまま、侵略・占領が行われ、戦前はこの侵略行為を強行に批判してきたフランスやロシア、それに中国にしても、戦後の利権分配をにらんで米国との『関係修復』に動き始めています。国連もアメリカの暴挙に対する『制裁』を考えてはいないようです。米国は、その一方で無謀なパレスチナに対する合意を無視した空爆を続けるイスラエルの行為を黙認し続けています。
 国内では、先に民主党の国民に対する裏切り行為によって有事法案が成立し、今また、対米従属のイラク特措法が提出されました。小泉氏の党首討論における、言動『フセインが見つからないからといってフセインが居なかったのではないように、大量破壊兵器が見つからないからといって大量破壊兵器がなかったことにはならない』などという発言を聞くと、このような非論理的な男に日本一国の舵を取らせるなど、背筋が寒くなる思いです。小泉氏の、冷静な論理的な思考よりも感情に訴えるやり方は、かつてのナチスドイツや戦前の日本のファシストを彷彿とさせます。
 北朝鮮問題でも、最大の当事者である韓国の対話を重視する政策よりも、米国の力による北朝鮮屈服による問題解決を支持する小泉政権は、米国の傀儡との誹りを免れないものです。その中で、北朝鮮による拉致事件の被害者組織が、小泉・福田・安倍を中心とした日本の軍国主義化、対北朝鮮強硬論の正当化の政治手段として利用されている状況は、憂慮すべきことだと考えます。拉致問題の解決は、対話を重視した友好関係の中からしか得られないと考えます。

 さて、前置きが長くなりました。このところ大分県内ではあちこちで『本格的な』風力発電プラントの実施計画が持ち上がっています。この問題については、既に検討を行ってきましたので、(大分県民としては気になる問題ですが)ここではこれ以上触れないことにします。
 今回は、少し目新しい『新エネルギー技術』の話題について触れておきます。聞いたことがある方も多いと思いますが、『海洋温度差発電』を紹介したいと思います。
 海洋は、莫大な熱容量を持っていますから、その物理的な意味における熱エネルギー量はそれこそ莫大なものです。これを何とか有効に使いたいという誘惑に駆られる気持ちは理解できます。しかし、その熱は拡散した温度の低い熱であって、そこから運動エネルギーを取り出すことは簡単なことではありません。熱機関の効率から考えて、これは当然のことです。その帰結として、極めて大規模な施設が必要=総合的な資源利用効率が低くなるであろうことは容易に想像されます。
 今回実証プラントを稼動させた佐賀大学のシステムについては、佐賀大学海洋エネルギー研究センターのホームページに紹介されていますので、詳細はそちらをご覧いただきたいと思います。要するに、深海と海洋表層水との間の20℃程度の温度差を利用して、作動物質の気化と凝集を繰り返すことによってタービンを回して運動エネルギーを取り出す熱機関です。作動物質としてはアンモニアを用いているようです。
 今回稼動実験に成功した実証プラントの概要を、6月14日付大分合同新聞朝刊から紹介しておきます。

海の表層水と深層水の温度差を利用する海洋温度差発電(OTEC)で、佐賀大は13日までに、独自開発した実証プラントの稼動実験に成功した。定格出力の30キロワットを発電するために必要なエネルギーが安定的に得られた。同大は「実用化への大きな一歩だ」としている。
 佐賀大海洋エネルギーセンターの池上康之副センター長によると、実証プラントは、周辺施設を含め建設費約30億円。(後略)

 さて現在、非常に高価な太陽光発電の場合でも、個人住宅用の標準的な3kw.システムの販売価格は300万円程度です。30kw.のシステムを単純にその10倍と考えると、3000万円です。今回の海洋温度差発電の実証システムの発電コストは、高価な太陽光発電の更に100倍ということになります。これは石油資源とその他の鉱物資源のとんでもない浪費を招来することを示唆しています。
 新エネルギーの中でも、現状では海洋温度差発電は資源利用効率が最も低いシステムであることは明らかです。ほとんど唯一の長所は、その他の自然エネルギー発電システムに比べると、時間変動が小さいことです。しかし、だからと言って、これほど資源利用効率の低いシステムで炭化水素火力発電を代替することは、論理的には金輪際あり得ません。技術者の皆さん、もう少し大局的な視点からの問題の認識が必要ではないでしょうか?
 このホームページにも、このところ佐賀大からのアクセスが増えていますが、この問題、どうお考えなのか、是非ご意見をお聞かせください。

No.080 (2003/05/25)『クリーンエネルギー』ということ

 温暖化脅威説の問題や『クリーンエネルギー』の問題について、なかなかこのホームページの意図が伝わらないようです。また今回もアンケートの書込みを紹介することから始めます。


エネルギー - 2003/05/23(Fri) 21:38:08
大学の授業で「実はクリーンエネルギーはクリーンではない」というようなことを学び、興味を持ったのでインターネットで調べたところ、このページにきました。
自然エネルギーはいい!とさけばれていますが、結局それを作るときに大量のコストがかかる、なんてこと言われませんもんね。


 まず、このアンケートの書込みの言う『クリーン』とは何を指しているのでしょうか?私の一方的な解釈かもしれませんが、ここで言うクリーンとは、『二酸化炭素を排出しない』ことの意味で使われているように思います。以下の議論はこの前提で話を進めます。
 さて、二酸化炭素を排出しないことがクリーンであるならば、論理的に、二酸化炭素を排出することは『クリーンではない』『ダーティー』ということになります。これはとんでもない大間違いです。
 地球の生態系における物質循環の基本は、§2-1-1で触れたとおり、独立栄養生物(主に植物)の光合成による炭水化物の合成および酸素供給と、従属栄養生物(主に動物)の呼吸による炭水化物の酸化による酸素の消費と光合成の原料となる二酸化炭素の供給です。この二つが組み合わされることによって、地球上に汚染を残さずに物質循環が継続してきたのです。
 二酸化炭素の排出は、物質循環を構成する重要なイベントであって、これが供給されなくなれば、生態系は衰弱することになります。地球史的に見ると、光合成生物が発生して以降、大気中二酸化炭素濃度は単調に減少しており、現在の地球大気の組成は、光合成生物にとって常に貧二酸化炭素状態です。むしろ大気中二酸化炭素濃度が多少上昇した方が、植物生態系は活性化することは疑いありません。植物生態系が活性化されると、当然これを消費する動物生態系も活性化され、結果として生態系全体の活動が活性化されることになります。現状の地球の大気組成の下では、二酸化炭素の多少の排出量の増加は、生態系全体にとって好ましいことであって、まして『ダーティー』などとは全く無縁です。
 なぜ、二酸化炭素を排出することが『クリーンではない』などという誤った認識が広がったのか?その元凶が『二酸化炭素地球温暖化脅威説』であることは明らかです。二酸化炭素地球温暖化脅威説については、§2-5で詳しく触れたのでここでは繰り返しません。結論だけ言えば、二酸化炭素地球温暖化脅威説は虚構であり、杞憂に過ぎません。その帰結として、二酸化炭素排出量削減という文脈における『クリーンエネルギー』などという議論そのものが不毛です。
 このHPで、自然エネルギーをはじめとする、いわゆる『クリーンエネルギー』供給システムを批判しているのは、「クリーンと言いながら、二酸化炭素を排出している」などと言う『つまらぬ』揚足取りの議論なのではありません。動力文明として石油文明下にある現在の工業生産システムの産物である、『クリーンエネルギー』供給システムが、石油を消費し、二酸化炭素を排出するのは自明のことであり、いまさら議論する必要もないことです(ただ巷ではこのことすら認識されていないようですが・・・)。
 問題は、この種のエネルギー供給システムの、石油燃料資源を含む資源利用効率があまりにも低く、極めて優れた『クリ−ン』な石油資源を浪費してしまうことなのです。これは同時に、工業生産システムの肥大化を意味しますから、大局的には工業起源の廃棄物の増大になり、生態系の物質循環に悪影響を及ぼす可能性が高くなるのです。現状において、生態系の物質循環に本質的な意味で最も影響の少ない、『クリーン』なエネルギー供給システムとは、石油および石油火力発電によるエネルギー供給システムであり、石油代替のエネルギー供給システムを考えるなど、全く不毛な論議であり、徒労に過ぎません。
 環境問題から考えて、明らかに『ダーティー』なエネルギー供給システムとして緊急に廃止すべきは、原子力発電を中心とする核エネルギーによるエネルギー供給システムです。

No.079 (2003/05/23)電気料金で賄われる核武装

 本題に入る前にいくつかの話題を紹介しておきます。

 まず、アンケートの書込みから。


二酸化炭素地球温暖化脅威説批判 - 2003/05/22(Thu) 11:00:06
興味深く読ませていただきました。
批判説とあったのでもっと他にたくさん地球温暖化の原因と思しきものが羅列されていたらいいかな、と思いました。データの量はすばらしかったです。
まだ専門分野の知識が足らず、私では十分に理解出来ない部分が多々ありました。
いずれまた出直したいと思っています。


 単純な読み違いでしょうが、HPに掲載したレポートは『脅威説批判』であって『批判説』ではありません。つまり、No.77でも触れましたが、このHPで温暖化を取り上げているのは、あくまでも温暖化脅威説の妥当性を検証することであって、温暖化脅威説に変わる気候変動モデルを提示することではありません。温暖化脅威説の妥当性を検証するに足る証拠が提示できれば、それで必要にして十分です。温暖化脅威説に変わる諸説を知りたいようでしたら、このHP以外のサイトをあたってみてください。

 続いて、相も変らぬ間抜けなNHKの科学報道のあり方について一言。昨日(5月22日)の朝のNHKのTVニュースで、アナウンサー氏によると、『気象庁の新しい気候予測によって、100年後には気温が2℃程度上がって、日本では月当たりの降雨量が100mm増えることがわかった』ということです。
 科学報道、特に実験研究や今回のような数値実験の場合、最も重要なのはどのような条件において、どのようなモデルを使って実験(あるいは数値計算)を行ったのかを明確に示すことです。実験や数値解析において得られた結果は、あくまでもその所与の条件下における、可能な解を示しているに過ぎず、現実とは全く別物なのです。NHKの諸君は、お役人同様、科学的なものの考え方が本当に理解できていないようです。NHKの科学報道の改善は、現段階では絶望的です。

 さて、本題です。前にもこのコーナーで触れたと思いますが、原子力発電の廃物処理や核燃料再処理などのコストが膨れ上がり、原発の経済神話は完全に崩壊しました。新聞報道によると、5月15日に発表された電気事業連合会(電事連)の報告によりますと、40年間の使用済み核燃料の国内再処理費用が約16兆円になるというものです。その内、約7兆円は電気料金に上乗せして徴収(電気料金の引き上げ)するようですが、残りの約9兆円については財源が未定とのことです。電事連としては、この約9兆円を電気事業へ新規参入する企業や国税からの拠出で賄いたいとしているようです。
 細かくは触れませんが、原子力発電を単に電力を供給する産業だと考えた場合、これはとんでもないことです。これまでの国や電力業界が言ってきた原発の経済性が事業者自身の口から全くの嘘であったことが明らかになったのです。実際には、再処理しても再処理燃料の使途さえ決まっていないし、第一再処理しない方が安上がりであるし、核廃物の保管安全性からも再処理しない方が望ましいのですから。これが通常の産業ならば、即刻原発からは撤退するという判断を下すのが当然のはずです。
 その当然の結果として、新聞報道によると、電力業界としては、(経済性を度外視した)国策として進められている核燃料サイクル事業に対して、国税の投入は当然という考えや、電力会社幹部の話として「問題をわい小化せず、サイクル政策の見直しを含めて検討すべきだ」との意見も表面化しているようです。これは電力業界の、今更身勝手な言い分ではありますが、問題の本質を示しているのではないでしょうか?
 日本の核開発という国策は、平和利用=原発という表の顔は持っていましたが、本来は当初から経済性など度外視した政策だったのです。いつでも核兵器を保有する能力を技術的に担保しておくことが最大の理由であることは明らかです。要するに、われわれ国民から徴収する電力料金が核兵器の開発の財源の一つになっているのです。更に国は核開発政策において、巨額な国税を投入してITERの国内誘致(『核開発に反対する物理研究者の会通信』39号参照)を進めようとしています。これは自前の核兵器開発の最終段階として、非常に重要な問題です。
 さて、ここ数年、アメリカ同時多発テロ事件以来、特に昨年当たりから国の政策は急激に実際の核兵器の保有への方向へ動き始めているようです。米国のイラク侵略を防衛の名の下に承認することによって、現日本国憲法下で、攻撃的核兵器の保有の可能性は広がり、更に有事立法の成立は、これまでタブーであった戦争行為を前提とした国内法整備の突破口になるものです(蛇足ですが、こうした日本国政府の急激な右傾化傾向を助長している民主党の行動は国賊に値すると考えます。)。
 日本政府の、実態を国民に隠したまま進められてきた核武装政策(『核開発に反対する物理研究者の会通信』40号参照)は、既に核兵器保有の寸前にまで達していると考えるべきでしょう。それが昨年の安倍・福田発言として現れたと思われます(『核開発に反対する物理研究者の会通信』41号参照)。もうこの段階にいたっては、戦後の全ての核政策の経緯や、現状を全て明らかにした上で、この問題について、現実問題としての日本の核武装を含む再武装と、日本の外交政策、憲法との整合性の問題を国民的に徹底的な議論を行うべきではないでしょうか?、なし崩し的な再軍備・核武装は許されないと考えます。

 最近、防衛庁の情報関係の機関からのアクセスが多くなっています。匿名で結構ですから、この問題についての率直な意見をお聞かせいただければ幸いです。

No.078 (2003/05/19)豊予海峡ルート、そして川辺川ダム

 大分県では、長らく続いた平松独裁県政が終了した。この間、外向きにはアイディア知事、地方分権の旗手というような評価もあったようだが、彼の「治世」における横暴な政治手法と大規模な箱もの行政による大分県財政の悪化、それに伴う自然環境の悪化を見逃してはならないと考えています。
 さて、平松氏に替わった広瀬氏に評価を下すのはまだあまりにも時期が早すぎるでしょう。ただ、就任早々に、全国総合開発計画いわゆる『五全総』の新国土軸構想の一環である、豊予海峡ルートに対して、事実上断念するという『英断』を下したことは、評価すべきことだと考えています。
 ここで、豊予海峡ルートについて、豊予海峡ルート推進協議会事務局(大分県総合交通対策局)のホームページ『列島がKissする。いま、豊予海峡から。』(よくもまあ、こんな恥ずかしいタイトルをつけますね!)から引用しながら、少し説明しておきます。
 新国土軸構想とは、五全総『21世紀の国土のグランドデザイン』(目標年次 2010〜2015 年)の根幹を成す大規模な土建事業計画です。これまでの日本の国土が、東京〜中京〜阪神〜中国〜福岡といういわゆる太平洋ベルト地帯という「一つの軸」で構成されていたという前提(これも極めて乱暴な話ですが・・・)で、新たに同様な3つの軸を構築しようというものです。

 その中で、中九州〜四国〜紀伊半島を貫く新たな国土軸を太平洋新国土軸と呼んでいます。

 この太平洋新国土軸には、豊予海峡・紀淡海峡・伊勢湾という3つの海峡横断という大事業が含まれており、新たな3国土軸の中でも最も多額の費用を要し、それ故、土建業界にとっては最も『おいしい計画』です。
 豊予海峡ルートは、大分県佐賀関町(関崎)と愛媛県三崎町(佐多岬)を結ぶ計画であり、トンネル・橋梁による技術検討が行われてきました。

この太平洋新国土軸の実現の先頭に立って旗振りをしてきたのが、平松前大分県知事でした。
 さて、この五全総の新国土軸構想とは、突き詰めれば日本の国土を貫く高速交通網の整備であり、建前はともかく、その本質は土建業界に巨大なパイを与えることです。社会的な意味としては、国内の物流を更に活発にして、土建業界をはじめとする内需拡大によって更なる経済成長を実現するということでしょう。
 しかし、この計画は、冷静に考えればかなり無謀なものです。本四架橋や東京湾横断道路計画の教訓から、構造物建設による土建業界の一時的な経済効果を別にすれば、国や関連地方自治体に多大な財政的な負担を残すのみです。どう考えても、西日本国土軸に比肩しうるような経済圏を実現することはありえません。また、高速交通網の整備は、地方の活性化よりもストロー現象による更なる一極集中を進めることになるでしょう。
 さて、環境問題という視点から考えると、大規模土木工事自身が多大な環境破壊を引き起こすことは言うまでもありません。例えば、豊予海峡という良好な水産資源を有する海域において大規模な工事を行うことは生物資源を含む海洋生態系にどのような影響を与えるのか、諫早湾の例からも分かるように、予測することは極めて困難です。更に、大規模流通による物質循環の撹乱も見逃すことは出来ません。
 五全総自身が、工業生産規模の拡大による内需拡大による経済成長という、従来の経済政策の延長線上にあるものであり、根本的に見直す必要があると考えます。環境問題を生態系における物質循環の健全化という本質的な視点に基づいて考え、地域における生態系の物質循環を基にした持続可能な社会システムを構築するという方向で、グランドデザインを根本から立て直すことが必要です。
 さて、お隣の熊本県では、全国的にも知られている川辺川ダム建設計画において、福岡高裁が、「川辺川利水訴訟」控訴審判決で、原告農家側逆転勝訴の判断を示しました。これで、川辺川ダムの用水ダムとしての建設理由が事実上失われることになります。ただし、建設省は治水ダムとしての必要性が失われたわけではないとの見解のようです。
 豊予海峡ルート、川辺川ダムと理由はともかく、九州における巨大土木工事に対して、相次いで計画を見直さざるを得ない状況になりました。これを好機と捉え、建設省をはじめとする国・地方自治体は、もう一度これらの事業計画を環境問題に配慮しつつ冷静に検討しなおしていただきたいと、切に要望します。
 たかが怪我をした一頭のアザラシのために河川上流での河川工事を停止するほどの優しさをもつ建設省なのですから、まして多くの地域住民の意向を踏みにじるようなことはありますまいが・・・・・。

No.077 (2003/05/12)最近のアンケートから

 このコーナーのNo.069で、少しずつこのHPの内容についての理解が広がってきているのではないか、との楽観的な自己評価を行いましたが、そんなに単純ではないようです。
 このホームページでも、『現状分析』として、地球温暖化やエネルギーという話題を取り上げています。しかし、これらの話題が今日の環境問題の中心的な課題では、全くないのです。このHPでこれらの話題を取り上げているのは、今日のマスコミをはじめとする『主流』の環境問題論議が、環境問題を地球温暖化やエネルギーという『金になる問題』に矮小化している現状へのカウンターなのだということを、まず強調しておきたいと思います。

 以下、最近のアンケートへの書込みをいくつか紹介し、私のコメントを述べておきます。


地球温暖化 - 2003/05/11(Sun) 23:15:32
槌田先生の議論を面白く読みました。しかし、太陽活動が活発化して気温が上昇した結果、CO2やCH4が増えるのであれば温暖化が加速することになりませんか。地球史研究で、突然に温暖化が進んだことが実証されたという結果をアメリカの学者が発表していました。ですからCO2の抑制は必要だというのが私の考えです。


<コメント>
 槌田は、近年の気温の変動について、大気中の二酸化炭素濃度の変動が、気温変動に遅れて発現することなどから、大気中の二酸化炭素濃度の変動が近年観測されている気温変動の主要な原因ではありえないことを主張しています。また、温度変化の主要な原因の一つとして、入力としての太陽放射の地表への到達量の変化が重要な要素であることを主張しています。
 槌田は、二酸化炭素を含む温室効果ガスの保温効果(短波長の光については透明であり、長波長の光について不透明)については、物理的な事実であって、当然認めています。太陽放射量が増大することによって温室効果ガスがそれだけ多くの長波長の地球放射を捕捉することは当然のことです。
 ただし、§2-5でも触れていますが、地球放射の捕捉に有効に働く温室効果ガスのうちで主要な効果を持つのは水蒸気であり、二酸化炭素の影響はさほど大きくありませんし、温室効果に有効に働く二酸化炭素の大気中濃度は既に飽和状態に近いようです。また、二酸化炭素の温室効果が相対的に大きくなる、高緯度地域における気温上昇はむしろ生物環境にとって好ましいものだと考えられます。
 蛇足ですが、数℃の気温上昇で、南極大陸などの陸地に固定された氷河の融解で海面上昇が起こる心配は杞憂に過ぎません。南極の氷河は温暖化によって増大します。
 最後に、『地球史研究で、突然に温暖化が進んだことが実証されたという結果をアメリカの学者が発表していました。ですからCO2の抑制は必要だというのが私の考えです。』というのは、全くいただけません。
 まず、『突然に温暖化が進んだことが実証された』とありますが、一体どのくらいのタイムスパン・規模で、またどのような根拠で、一体何が実証されたのか、皆目わかりません。地球史的なレベルで見れば、東工大の丸山さんの言われるように、地球の環境気温は激しく変化を繰り返しているのです。地球史レベルの気温変動に、近年観測されているごく短期の気温変動を結びつけ、更にそれを主要な温室効果ガスでもない二酸化炭素に結び付けて議論するというのは、全体としてあまり科学的な整合性のない議論にならざるを得ないと考えます。


地球温暖化 - 2003/05/09(Fri) 14:03:52
22世紀には、平均気温が、2〜6度あがるそうです!
本当ですか?


<コメント>
 まず、ここに述べられている『平均気温が、2〜6度あがる』というのは、気候の長期予測シミュレーションの予測値でしょうか?この点につきましては、公開討論Aや§2-5の議論をまず読んでみていただきたいと思います。数値実験結果については、現段階では(将来的にも・・・)全く信頼できませんので、論外です。また、現在言われている地球温暖化は環境問題ではありません。
 お願いなのですが、原則として、質問につきましてはHPを通読した上で、それでも回答らしきものがどこにもない場合についてのみ、お願いします。また、論議の内容に関する意見、疑問に関しましては、出来るだけ詳細にご説明ください。長文になる場合は、メールをご利用ください。
 


エネルギー - 2003/05/05(Mon) 18:48:26
将来のエネルギーとは何なのでしょうか?どんなエネルギーが一番いいのか。難しい問題だと思います。


<コメント>
 このご意見は、環境問題において、エネルギー供給が主要な問題のひとつという認識からのものだと思います。エネルギー供給が環境問題であるのは、過剰供給をどうするかということであって、石油代替エネルギーシステムが必要だということではないことを確認しておきたいと思います。
 現状では、石油を中心とする炭化水素燃料が最良のエネルギー資源です。石油代替エネルギーの利用は石油資源の浪費の加速でしかありません。将来的には石油の産出量の減少に伴って、石炭が主要なエネルギー資源となるでしょう。エネルギー産出比から考えて、それ以外の選択肢はないでしょう。
 環境問題を考えるとき、如何に工業起源の物質やエネルギーに対する依存度を削減していくかが問題です。われわれ人間社会の物質循環を、地球生態系の物質循環に如何にスムースに結合するかという文脈で捉えるべきです。

 以前にもお断りしましたが、重要度が低い、あるいは明らかに誤った主張などに関しましては、HP管理者の判断で削除いたしますので、ご了承ください。

No.076 (2003/04/27)自然科学教育を考える 
〜演繹と帰納〜

 昨年末からこの3月にかけて行ってきた、『大分県エコエネルギー導入促進条例(素案)』をめぐる、大分県との意見交換の記録を公開してきた『公開討論B』の締めくくりとして、総括的な評価を『大分県エコエネルギー導入促進条例批判』としてまとめました。ご意見をお聞かせいただきたいと思います。特に、国ならびに地方自治体の環境問題を担当する方のご意見をお聞きしたいと思います。ご協力をお願いいたします。

 常々、なぜ自然エネルギー発電などという、極めて低効率で不安定な発電システムを導入することによって、環境問題が改善され、二酸化炭素排出量が削減できるなどと言う、馬鹿なことが信じられているのか、不思議でなりません。かつての原子力発電推進においてもそうでしたが、「エコエネルギー」と言うエネルギー供給技術において、最も基本的な技術評価であるエネルギーコスト分析さえも行わずに、妄信的にその導入を進めようとする、国や地方自治体の役人諸氏の無能さは、悲しむべきことです。その反面、私は彼らが本当にそこまで無能なのかどうか、測りかねているのもまた事実です。
 先日、槌田さんと話をする機会がありました。その折、この点について伺ったのですが、槌田さんは、彼らは本当に理解能力がないのだと判断されているようでした。彼らは、環境問題という、自然科学的な問題においても、「社会的な権威」をその判断の最大の拠所にしているようです。つまり、学会や世論において多くの人が主張する主流の理論こそが、科学的にも正しいのだと言う判断を行っている、と言うことでしょう。少数派の意見を論理的に検討することなど、全く眼中にないのです。
 お役人と言うのは、どちらかと言えば現在の学校教育における『受験秀才』が比較的多数を占める集団でしょう。彼らの無能さの起源は、学校教育における自然科学教育の問題に帰着するのではないでしょうか?
 自然科学とは、実際の自然現象の観察を通して得られた事実を統合して、論理的な整合性のある仮説を立て、その仮説をあらゆる場合について検証し、疑って疑って、それでも確からしいときに初めて、その仮説は確立された理論になります。自然科学とは極論すれば「疑うこと」であり、その手法は帰納的な過程です。
 ところが、学校教育における自然科学教育は、既に確立された自然科学的な理論をつまみ食いして、絶対の真理としての理論や定理を元に、奇問・難問を解く技巧の習得に重点が置かれています。学校教育、特に義務教育における自然科学教育で最も重要な、科学的な問題の捉え方、帰納的な思考過程が全く教えられていないのが現状ではないでしょうか?
 環境問題において、IPCCと言う世界的な権威組織や学会主流の、二酸化炭素地球温暖化説や、自然エネルギー発電や燃料電池の導入によって二酸化炭素排出量が削減できるという主張を、真理であると信じることを前提に環境政策が検討されているのです。その結果、国や地方自治体の役人諸氏は、環境問題の科学的な背景について完全に思考停止状態になっています。
 環境問題という、まだ若く、現象の観察すら十分に行われていない分野の問題を、権威によって正当化して信じると言うのは、科学とは無縁の対応です。また、二酸化炭素地球温暖化という、極めて不完全な仮説を元に、演繹的に大規模な数値シュミレーションを行ったところで、無意味だと考えるのが、科学的な判断だと考えます。

 学校教育における自然科学教育を根本から見直す必要性があるのではないでしょうか?また、学校教育におけるコンピュータの導入においても、コンピュータは所詮計算機に過ぎないこと、その適用の限界について含めた教育に留意することが必要だと考えます。学校現場の教員の方のご意見を是非お寄せください。

No.075 (2003/04/04)地方自治体の環境問題担当者の皆様へ
〜『大分県エコエネルギー導入促進条例』批判

 この間、私にとっての、もう一つの大きな出来事は、大分県議会において、かねてからこのHPで取り上げてきた、『大分県エコエネルギー導入促進条例(素案)』が晴れて可決成立し、4月から施行されたことです。この件に関しては、公開討論において、提言3に対する大分県の回答を公開しましたので、参照してください。
 大分県の対応については、いずれ公開討論で詳細に検討を行いますが、大分県の行政官の無能さ、あるいは県民を愚弄する対応は想像以上のものであり、このような木端役人を税金で飼っておくなど、まったく税金の使途として不適切なものだと考えます。ま、悪口雑言はこの程度にしておきます。

 滋賀県を始め、大分県と同種の条例の制定を目指す地方自治体は今後ますます増えてくるものと思います。そうした自治体の担当官の方の参考になることを期待して、この条例の問題点を簡単にまとめておきます。
 大分県の条例を含めて、現在「エコエネルギー」の導入を行おうとする論理構造は、
@地球温暖化は地球環境に致命的な悪影響を及ぼす。
A温暖化の原因は化石燃料の燃焼に伴う人為的な二酸化炭素排出である。
B二酸化炭素を排出しない「エコエネルギー」の導入が必要である。
の3点に尽きます。
 まず@Aについて、根本的な問題点は、現在、常識として定着している『二酸化炭素地球温暖化』ですが、近年観測されている温暖化傾向が、人為的に大気中に排出される二酸化炭素の増加による大気中濃度の上昇が原因である可能性は低いということです。更に、仮に人為的に大気中に排出される二酸化炭素の増加による温室効果の増大による気温上昇が起こったとしても、地球環境に致命的な混乱が起こることはなく、むしろ生態系は豊かになる可能性のほうが高く、あわてて対策が必要な問題ではないのです。むしろ現在言われているような、拙速な対症療法では環境問題が本質的に悪化する可能性が高いのです。この点についての詳細は、§2-5の第一部をご覧いただきたいと思います。
 前提となる@Aが、ほとんどその根拠がないのですから、Bのエコエネルギーの導入など、本来ならこの段階で棄却されるべきことですが、もう少しエコエネルギー導入促進条例の分析を続けることにします。この条例の前提となる、地球温暖化の理論構造は一旦棚上げするとして、少なくともこの条例は、『エネルギー(主に電力)供給システムから排出される二酸化炭素排出量の削減を実現する』ために実効性のある施策を示すものでなければならないはずです。この点については異論はないでしょう。公開討論に掲載している大分県に対する提言3はこの点に絞った問題提起を行ったものです。
 提言3、あるいは§2-5の第二部で示したように、大分県の条例にも挙げられている自然エネルギー発電システムや燃料電池は、システムの総合的な効率があまりにも低く、その結果として鉱物資源を浪費するばかりでなく、同一の電力を得るために投入される石油の量でさえ、火力発電を上回ってしまうものであり、その帰結として電力一単位当たりに排出される二酸化炭素量は増加することになります。これは条例の目標とまったく逆の結果をもたらすものであり、税金の使途として極めて不適切だと言わざるを得ません。
 特に行政官の方々に注意していただきたいことは、発電システムの稼動時における操業段階において二酸化炭素を排出しないということと、そのシステムを導入することによって総合的なエネルギー供給システムからの二酸化炭素排出量が削減できるということは同義ではないという点です。その発電システムを成立させている全ての工業過程、発電システムの全ライフサイクルを通じた資源・石油投入量と廃物の全ての流れを検討することが必要です。
 しかしこのようなエネルギー供給システムの技術的な検討は、大分県の井上啓次郎氏が言われるように『技術的なご提言については、日本をはじめ世界中で調査・研究がなされていますので、その動向を注視していきます。』などと言う高尚なものではないのです。井上さんは、温暖化や気候現象という極めて複雑な巨大システムの問題の理論的な解明の困難さと、たかが一エネルギー供給技術のエネルギーコスト分析を同列に論じるという愚を犯してしまっています。エネルギーコスト分析は、お役人の最も得意とする『積み上げ』によって、投入された資源やエネルギーの総量を算出すればよいだけのことです。こんな単純なことをしようともしない井上氏をはじめとする大分県の対応は、職務怠慢であり、県民の税金を預かるものとして許されないものと考えます。

 さて、『大分県エコエネルギー導入促進条例』と同種の条例の導入を考えていらっしゃる地方自治体の行政官の皆さん、どうかこの大分県の愚かな前例を戒めとして、本当になにが重要なのかを冷静な科学的な判断によって検討していただきたいと切に願うものです。合掌。

No.074 (2003/04/03)イラク侵略戦争と日本の核武装

 私事ですが、3月に引越しをしたために、久しぶりのHPの更新です。この間、いくつかの大きな動きがありました。

 一つは、ご存知のとおり、米国とこれに追随する英国・日本という野蛮な勢力による、謂れのない理由による無謀なイラクへの侵略戦争が開始されたことです。この侵略戦争は、日本にとっては対岸の火事ではなく、まさに当事者としての戦争責任が生じることは明らかです。小泉氏は、米国を支持するが日本は一切戦闘行為は行わないから、憲法上問題ないなどと馬鹿げたことを述べておりますが、まず第一に国際紛争の解決手段として武力行使を否定している日本国憲法の下で、いかなる理由があろうと先制攻撃を容認すること自体が憲法に抵触する行為です。更に、米・英軍によるイラク現体制転覆を前提とした戦後処理に日本が積極的にかかわろうとすること自体、米・英軍の占領政策に加担することであり、一連の軍事行動の範囲内の行動であり、占領政策における重要な役割を担うことになります。
 今回の侵略戦争は、40ヶ国以上が支持しているとは言っていますが、要するに占領後の石油利権の分配と、米国による経済協力というアメと、武力による脅迫という鞭によって得られたものに過ぎません。米国はこの侵略戦争の理由を『テロ組織およびテロ支援国家の脅威を排除するための防衛的な先制攻撃』と言っていますが、これは表向きの理由に過ぎません。今回の侵略戦争は、国家として米国を支持している中東アラブ諸国内においても、民衆の反米(およびこれを支持する国家、たとえば日本も含む)感情を更に大きくするものであって、テロの潜在的な脅威は増大することはあっても、これを抑止する力になることはあり得ません。小泉氏の行動は日本国民をテロの危険に曝すものであり、国益に反するものです。
 更に、米・英軍は圧倒的な軍事力・経済力による大量の『大量破壊兵器』を用いてイラク攻撃を行っています。これはまったくの論理矛盾です。前大戦以降、米国ほど大量破壊兵器を用いて戦闘において多くの人々を殺傷した国は他にありません。制裁を受けるべきは米国自身です。しかも、中東における戦争では、今回も含めてクラスター爆弾や劣化ウラン弾という極めて非人道的な兵器を躊躇なく使用するなど、その残忍さは許されざるものです。また、今回はまだ使用されていないようですが、実践で手軽に使用できる小型の戦術核兵器の開発を積極的に進めるなど、米国の暴走を止めることこそが、国際情勢の安定のために最優先で取り組むべき課題だと考えます。
 米国は、アジア・中東地域における戦闘では、ベトナム戦における枯葉剤、そして中東地域における劣化ウラン弾等、遺伝子レベルで長期間、人間を含めた生態系を破壊し続ける兵器を実戦で躊躇なく使用しています。また、実戦で使用したかどうかは定かではありませんが、BC兵器(生物・化学兵器)を保有し、最もその研究が進んでいるのも米国であることは疑う余地はありません。ABC兵器を中心とした大量破壊兵器を質・量的に圧倒的に保有している米国が、国際情勢の安定において最も大きな潜在的な脅威だと考えます。米国の武装解除を視野に入れていない国際的な安定とは、米国による世界の独裁を意味するものです。国連が、今回の国連決議を経ない侵略戦争を放置し、事実上これを追認することになれば、米国による独裁に確実に近づく結果になるでしょう。
 小泉氏ならびに現日本政府は、米国の『自衛の名の下に行われる先制攻撃』を容認し、これを理解できるものだとして支持しています。この解釈を日本国憲法の解釈に援用すれば、その帰結は、『日本の自衛のためには、先制攻撃は許される』ことになります。すでに歴代自民党政権の憲法解釈では、自衛のためならば日本の核武装は可能であるとしています。以前、このコーナーで自衛のための核武装はナンセンスだと批判しておきましたが、これは訂正しなければならないかもしれません。彼らの言う自衛とは、予防的な先制攻撃までも含んでいるのですから!つまり、今回の米国の自衛の名の下に行われた予防的な先制攻撃を支持する日本政府の主張は、自動的に我国の先制攻撃用の戦略核兵器の保有が現憲法下で可能であると言うことの謂いに他ならないのです。
 この無謀なイラク侵略戦争の開戦と時を同じくして、日本の宇宙開発はスパイ衛星の打上という『軍事利用』目的へと大きな転換点を迎えました。この技術は、いつ国産の戦略核兵器の製造へつながるのか、非常に微妙な段階に足を踏み入れたと言ってよいでしょう。更に、後半国会において、有事立法の会期内成立を最優先課題とする小泉・自民党政権の目論みは極めてきな臭いものです。今回のスパイ衛星打上げに対する北朝鮮の批判は決して見当はずれなものでなく、まさに小泉・自民党政権の野望を的確に理解しているものと言えるでしょう。むしろ批判されるべきは、こうした小泉自民党政権の危険な行動について、正面からこの問題を取り上げない日本の報道機関の無能さだと考えます。

No.073 (2003/02/22)エコ・エネルギー二題

 最近、燃料電池や太陽電池・風力発電などの、大分県が言うところの「エコエネルギー」関連の話題を扱うことが多いためか、トヨタ、本田、三菱、日立、松下、シャープなど自動車や電機メーカーのネットワークからのアクセスが目立ちます。企業側からのご意見を聞かせていただきたいと存じます。
 さて、十分な内容とはいえませんが、§2のこれまでの関連する議論を総括する意味でまとめた『二酸化炭素地球温暖化脅威説批判』を一応完結させました。第二部の環境技術の評価については、なにぶん公開されている資料が限られているため、断片的な資料からの推測が含まれていることをご了承ください。
 しかし、裏を返しますと、公開されている資料が限られているという状況は、この種の環境技術において、最も本質的な問題であるはずのエネルギー・コスト分析や、資源の利用効率に関する議論があまり行われていないことの査証であり、そのことが現状の環境技術開発における致命的な欠陥を示していると考えます。
 推測を含んではいますが、ここで述べている環境技術に対する評価の視点、あるいは個別技術における定性的な問題については、それほど大きな誤りはないものと考えています。もし、前掲の企業の方で、より具体的な数値をお持ちの方がいましたら、是非ご提供いただきたいと存じます。あるいは、このような検討をまだ行っていないようでしたら、是非とも研究テーマにお取り上げください。きっと有意義な結論が得られるものと思います。

 さて、公開討論B『「大分県エコエネルギー導入促進条例(素案)」を考える』に、二度目の提言に対する大分県水資源・土地対策課からの返信を公開しました。残念ながら、指摘した問題点についての検討は一切述べずに、またしても条例の建前論の繰り返しに終始しております。提言で指摘しているような視点からの検討が、素案をまとめる段階で一切なされなかったようです。本来ならば、指摘された点についての科学的・客観的な評価を行ったうえで、改めて条例案を見直すべきところですが、どうやらこのまま議会に提出され、無能な議員諸氏を煙に巻いて成立させてしまうようです。提言に添付した資料すら読まずに、回答を書くなど、まったく誠実さのかけらも見られない対応ぶりには、唖然としてしまいます。条例成立後は、住民監査請求あるいは行政訴訟で問題点を明らかにしていくしかないようです・・・。

No.072 (2003/02/21)国際社会・日米安保・憲法

 小泉内閣は、イラク問題において米国追随の姿勢を鮮明にしました。小泉氏はこれまで繰り返し『国際社会の協調』を言ってきました。米国とそれに追随する英国などの少数の国以外の大多数の国において、イラク攻撃を積極的に肯定する国はありません。NATOあるいはEU内部での意見対立にしても、正義や同義の問題での対立というよりも、自国の対米関係を有利にするかどうかという、きわめて利己的な理由からの判断が目立ちます。更に、国連の姿勢も自らの判断というよりも、超大国アメリカを説得できるか否かという、問題の本質での判断とはいえないものです。
 現在の中東や東アジアにおける国際的な緊張関係の原因は、前大戦以来、米国がとってきた力(武力)と経済力による世界戦略(侵略)が根本的な原因です。ブッシュ政権における悪の枢軸発言以来鮮明になってきた、イラクや北朝鮮などに対して核の先制攻撃も辞さぬという、きわめて暴力的な米国の世界戦略を放棄させることこそが、まず最初にすべきことです。国際テロの問題は、国際社会一般の問題ではなく、あくまで米国やこれを模倣・追随する力の政策で世界を牛耳ろうとする国に対しての暴力的な抵抗活動です。
 そもそもNPT(核拡散防止条約)という、核保有国の軍事的な絶対優位を堅持するための条約という、まことに不平等な条約の問題の解決なしには、イラクや北朝鮮、あるいはインド、パキスタンの核武装の問題を解決する方法はないと考えます。特に、社会主義体制の崩壊によって、ほとんど唯一の超大国となった米国に、国連をも無視できるフリー・ハンドを与えることは、大きな禍根を残すことになると考えます。
 このような無謀な米国の力の政策をよしとして黙認する小泉政権もまた暴力的だと言わざるを得ず、今後テロを含めた武力攻撃に対する危険が増大することは避けられません。最悪の状況として北朝鮮問題が軍事行動による解決に踏み出せば、極東における最大の軍事同盟国である日本が攻撃の対象になることは日を見るよりも明らかです。
 わが国は、憲法において国際紛争を解決する手段として武力行使を否定しています。このような我国が米国のイラク攻撃を容認することなどまったく整合性のないことです。小泉政権の対応は、『国際社会』の大勢を無視して日米軍事同盟を我国憲法以上に重視するという、暴力的・売国的な行為だと考えます。小泉政権は、あらゆる機会を捉えて米国の挑発的軍事行動を阻止し、戦争状態にならないような外交努力をすることこそ、今必要な行動です。

No.071 (2003/02/04)原子力・エコエネルギー・燃料電池
無責任行政の系譜

 先日、何を間違ったか、環境省からご意見募集のメールが届きました。まず、その内容を転載しておきます。


突然のメールで失礼いたします。
環境省**物・*****対策部企画課の**と申します。
HPで循環型社会の構築のお話をいただいているのを拝見しメールの方をお送りした次第です。
現在環境省では循環型社会形成推進基本計画(案)について、1月27日(月)第15回中央環境審議会循環型社会計画部会において委員の皆さまにご審議いただき、現在環境省HPにおいて広く国民の皆様からのご意見を募集(パブリックコメント)致しております。
つきましては近藤様の貴重なご意見を賜りたくご連絡を差し上げた次第です。
宜しくご検討下さいますようお願い申し上げます。
http://www.env.go.jp/press/press.php3?serial=3891

計画(案)もPDFでダウンロード可能です。


 まず、『HPで循環型社会の構築のお話をいただいているのを拝見しメールの方をお送りした次第です。』というところでなんとなく違和感を感じましたが、とりあえず基本計画(案).を読んでみたのですが、とても私の意見が何らかの形で反映されることは無いと考え、謹んで辞退させていただきました。ただ、(これが私の勘違いでしたが)メールを送ってくださった担当の方は、真面目に環境問題を考えていらっしゃるのであろうと思い、個人的に意見を書き添えました。以下全文を引用しておきます。


環境省**物・*****対策部企画課
                ** 様

 ご丁寧なメールをいただき、ありがとうございます。

 さて、『パブリックコメント』(蛇足ながら、お役人は何かとカタカナを使われますが、日本語を使えるものは日本語を使用すべきと思いますし、そう努力すべきだと考えます。)の件ですが、昨今の国の環境問題への認識を考えれば、私の主張など金輪際反映されることは無いと考えておりますので、謹んでご辞退申し上げます。

 ただし、**さんの誠意は信じたいと思いますので、個人的に意見を少し述べたいと思います。

 まず、私のホームページをどこまでご検討いただいたのか存じませんが、数回、環境省のネットワークからのアクセスがあったのは確認しております。正確に読んでいただければ、あなた方の考えているような意味での「循環型社会の構築の話」など全く考えておりません。まずこの点からして、認識が全く違うと思っております。
 二酸化炭素地球温暖化問題ならびにエコ・エネルギー政策、工業的なリサイクルならびにゼロ・エミッション(やたら官製語はカタカナだらけですね)などほとんど無意味な議論です。
 まず現段階ではあなた方は、環境問題の本質とは何かを科学的に検証する作業を徹底して行わなければ、政策提案など行える認識レベルには到底到達していないと考えます。(あるいは、嘘と知りつつ国民を欺こうとしていらっしゃるのかもしれませんが)いずれにしても環境問題対策として議論に堪えるような政策ではないようです。
「循環型社会形成推進基本計画(案)」につきましても一応目を通しましたが、個別論議以前の問題でコメントのしようがありません。
 本日の国会審議でも、小泉氏は「二酸化炭素を出さない原子力」などと無責任な発言を繰り返して恥じないのですから、手のつけようが無いではないですか?
 貴省直轄の事業と思われる、風力発電ー水素製造プラントの国立環境研究所の実験研究など、とんでもない税金の無駄遣いでしょう?
 環境問題とは、これまでの政策論議と異なり、第一義的には自然科学の対象となるべき問題であって、科学的な裏づけの無い論議は無意味です。まずこの点を確認することから政策論議を根本からやり直すべきと考えます。
 折角ですので、風力発電ー水素製造プラントの国立環境研究所の実験研究の意義についてご説明いただきたいと存じます。


 このメールに対して、実に丁寧な返事を頂きましたので、以下に全文を紹介します。


 お返事ありがとうございます。随分役人という人種がなにか近藤様とは違った異人種であるような記述を頂き少々驚いておりますが、パブリックコメント(おっと、ご意見募集でした)ではなく役人としてではなく個人的に当方ももし近藤様がお許しいただけるのであれば御議論させていただきたくメールの方を差し上げました。
 ニュースソースとして国立環境研究所のHP等の参照もなく風力発電−水素製造プラントは税金のムダという御議論は如何なものかと思いますがエネルギーの変換過程が多ければ多いほどロスが大きくなりエネルギー効率が悪くなるというお話をいただいているならば一般論としては当然そのようなお話と理解いたしております。
 理論的な面は学会等で否定されれば宜しい話しであり、この事業を環境省が試験的にどこかの港湾で実行するという話しも寡聞にして特段承知しておりません。

 ここからは自然科学のお話をさせて下さい。
 現実の世界は科学的検証が十分に行われる前に京都議定書等の枠組みが決まり刻々と情勢が変化しています。科学的検証のなにが不足しているとお考えでなにがどのぐらい分かるまでは研究に専念すべきとお考えなのでしょうか?近藤様の御議論を理解する限りでは、人口の削減と産業革命前の自給自足の生活がよいという結論に達するのではないのでしょうか?
 まさに環境問題への対策をせず、地球の環境容量を超えた消費を続けていけばどこかで食料問題か人口問題が契機となって人口爆縮がおきて、生き残った少数の人によって近藤様の御主張される世界が達せられるのではないでしょうか???
 近藤様のお考えになる持続可能な社会の姿というのはどのような姿なのでしょうか?あくまでも環境省の(そのような組織の見解というものが存在するのかは分かりませんが)見解ではなく私が考える見解ということであれば、現在の人口+αの人間が地球の(or地域の)環境容量の範囲内で、すなわち1人当たり環境容量として利用可能な範囲内で日々の生活を送る社会ということではないかと考えております。
 その際にはまさに科学的知見を持った分析を行い、それに基づき、制度の変革、価値観の転換、技術の革新を図っていくことが現在生存している我々の役割であり、国というのはそのうち(自分も含めた)国民の皆さんのご意見を伺い、主に制度の変革を担当するものと考えております。
 その環境容量を考える第1歩として今回の物質フロー目標はサイエンスとしての初歩の初歩の計測という第1歩であると考えております。
文章が冗長かつ散文となりましたことお許し下さい。


 はっきり言って、唖然とする内容でした。このHPを、一体どのような読み方をするとこのように読めるのか、あるいは私の文章がまずいのか、いずれにしても**氏にはこのHPの主張は何一つ伝わっていなかったようです。**氏が勝手に解釈して、勝手に答えている部分をどのようにお考えになるかは、閲覧者各位に任せたいと思います。
 ただ、役人と言う『特異な』『学習しない』『無責任な』『懲りない』人種の系譜は綿々と続いているようです。これは検討する必要があると考えます。
 まずその前に、私の名誉のためにちょっと言わせていただきますと、『風力発電〜水素製造』プラントの実験は、既にこのコーナーでも触れました大分合同新聞、あるいは以下に示すホームページでも報告されていることであり、国立環境研究所、環境省のHPに無いから「寡聞にして特段承知しておりません」ではないでしょう!国民全てが環境省や国立環境研究所のHPを見るわけではないのです。誤りがあるなら、これらのメディアを告訴でもしなさい!


ホームページ『エコロジーシンフォニー』2003/01/27週刊トピックス2より

環境省、海上風力発電で燃料電池用水素生産の実証試験
 
 環境省は来年度、次世代のクリーンエネルギーとして期待される燃料電池用の水素を、海上の風力発電施設を使った電気分解で量産する技術の実証試験に着手する。地球温暖化の原因とされるCO2を一切出さない水素量産技術で、同省では「確実にCO2を削減できる新技術を確立したい」としている。

 政府は地球温暖化防止対策のため、燃料電池車を2010年には5万台普及させ、燃料電池による発電量を210万kWとする目標を掲げている。
 燃料となる水素を量産する手法としては現在、石油やメタンから取り出す技術が有力視されているが、製造時にCO2を発生させる難点がある。水を電気分解して水素と酸素をつくり出す手法は最も環境影響が少ないが、その際に使う電気を、CO2を発生させずに入手する方法を模索してきた。
 その結果、電力源として一定風速が確保しやすい海上での風力発電に着目。実証試験を国立環境研究所に委託することになった。

 遠浅の海での風力発電は、すでにデンマークやオランダで稼働している。遠浅の海岸が多い北欧に比べて、日本近海は急に深くなる海岸が多いため、実証試験では、海上空港などに応用されている浮体式の海洋構造物などの活用も検討する。

 海上の風力発電に適した地域を選定すると共に、風車で作った電気で海水を酸素と水素に電気分解し、できた水素を陸上に輸送する技術の効率性などを調べる。コスト面では割高になると予想されるが、同省では「確実にCO2を削減できる新技術としてアピールしたい」としている。


 さて本題です。私は、現在の環境政策、あるいは科学的な背景をもつ法案や政策において、科学的な検討が非常に杜撰である事が大きな問題だと考えます。
 例えば、原子力発電は、当初から賢明な多くの科学者は、その危険性の問題、廃棄物処理の問題、エネルギーコストの問題などを検討して、原子力発電に反対していました。結局杜撰なまま、御用学者と業界に乗せられて見切り発車した結果が、今日、抜き差しならない状況になったのは当然の帰結です。
 あるいは、太陽熱発電では今回の『風力発電〜水素製造』プラントの実験同様、1981年から雨の少ない香川県の仁尾町において実証プラントによる実験が行われ、惨憺たる結果を残して、今では(NEDOにとっては幸いに!)ほとんど忘れ去られています。太陽光発電を推進しようとする現在に、この経験は全く生かされていません。
 そして今度は燃料電池車であり、『風力発電〜水素製造』プラントです。これまでのエネルギー政策における苦い経験を全く省みず、杜撰極まりない科学的な検討のまま、またしても見切り発車しようとしています。
 これらの事例の失敗の原因は、国が自らの責任において徹底的な自然科学的な検討お行わなかったことです。これに対する**氏の意見は、「なるほど、これまでばかな事をやってきた役人とはこういうものか!」と納得させられるものでした。『学習しない』『無責任な』『懲りない』人種の系譜は確実に引き継がれているようです。**氏いわく、
理論的な面は学会等で否定されれば宜しい話しであり、云々
科学的検証のなにが不足しているとお考えでなにがどのぐらい分かるまでは研究に専念すべきとお考えなのでしょうか?
この無責任さ、鈍感さが今日の無意味な環境政策の背景にある構造的な問題だと考えます。こうしておけば、失敗しても誰も責任を取らず、結果を検証することも無く、また同じことが繰り返されるのです。
 環境問題に関する政策・法案は、環境問題に対する自然科学的に正確な認識の上に立案されなければなりません。政策の実現や法に基づく事業には税金の支出を伴うわけですから、支出に対する効果を科学的に把握しておくことは法案・政策を提案し、あるいは実行する行政としては最低の義務であるはずです。国家予算の使途として考えると、環境政策において政策に科学的な裏づけがないということは、費用対効果を考えるとき、効果が不明と言うことであり、そのような施策に税金を支出することは国民に対する背任行為です。国の役人ならばもう少しまともな考えなのかとも思い、期待したのですが、大分県のお役人とそれほど大差ないことがわかりました。絶句!

No.070 (2003/02/03)草刈り機と環境問題

 前回に続いて、アンケートの書込みを紹介したいと思います。


石油文明の次は何か - 2003/01/30(Thu) 09:57:11
コメント一覧を見ると、表層的なレベルの低いものが過半数を占めていると思われます。環境問題を理解するのにはどうやら一般大衆では及びもつかないような知性が要求されるようです。そもそも、民主政治で環境問題を解決するのは、可能なのでしょうか?


 環境問題は、「はじめに」でも触れていますように、これまでの政策論議とは異なり、第一義的には自然科学的な論議の対象だと考えています。環境問題を語るとき、政策立案者は出来る限り科学的に正確な情報を収集・提示することが必要だと考えます。また同時に、私たち有権者もそれを理解する努力を行い、その上で政策を判断することが必要です。
 残念ながら、現状では国は環境政策における科学的な背景の説明を怠っていますし、マスコミはただ国の政策を追従するのみで、自ら環境問題の本質を探る努力を放棄しており、不正確で科学的に信頼しがたい情報が氾濫している状況です。また、教育現場における環境教育にしても然りです。
 私は、環境問題の自然科学的背景は、必ずしも「一般大衆では及びもつかないような知性が要求される」ものではないと思います。むしろ、国・マスメディアから垂流されている無意味な情報によって問題の本質が見えにくくなっていることが一番の問題だと考えています。
 環境問題を巡るマスメディアの状況は、戦前・戦中の大本営発表に近いものになってしまっていますが、まだ言論統制までは行われていませんから、その気になりさえすれば合法的に情報を収集することは可能ですし、例えばこのホームページも官憲によって閉鎖されることはありません。かなり状況的には厳しいものがありますが、地道に主張を続けていくべきだと考えています。
 民主主義の問題ですが、もしかすると英邁な君主によるトップダウン型の方が、問題解決は早いかもしれませんが、それには危険が伴います。やはり、時間はかかっても民主主義の枠組みの中で有権者の意識を変え、政策を変えていく方法を、私は選びたいと思います。


石油文明の次は何か - 2003/02/03(Mon) 14:57:31
草刈り機が不調で振動が激しすぎて、心身共に負担が大きすぎるので、手に鎌をもって1日草刈り(草と言っても堅くて大きいカヤですが)をしました。しかし、広大なカヤのはらっぱで、1日といえども過酷な作業を続けるには何か強い動機が必要だと思いましたので、こう考えました。手で刈る=ガソリンエンジンを必要としない=ガソリン(石油)を欲しがらない=アメリカなどの戦争を無効にする=平和運動。反戦デモ行進には参加しなくても、平和運動に参加できる!ただし、デモ行進に365日参加していては食っていけないのと同じように、鎌だけで草刈りをしていては農業はなりたたないのですが。


 諸般の事情で、私は現在自営業ですが、数年前まで、知人と一緒に平飼いの養鶏を行っていました。出来る限り素性の良い飼料を使い、雑草を草刈り機で刈ってこれを緑餌として与え、出来る限り鶏を戸外で運動させていました。鶏舎の消毒にも気を使い、木酢液を利用していました。また、自給用の稲は、合鴨除草、完全無農薬、肥料は切り藁と鶏糞だけで育てていました。合鴨を使う前は雑草は全て手作業で除草していました。確かに、現在のように生鮮野菜までが世界市場から格安のものが流入する時代では、自然に根ざした理想の農業を全うすることはすごく難しいものだと、実感しています。
 本質的には、生鮮野菜や主要な食料は世界市場の取引対象から除かなければ問題は解決しないと思います(「3-3現在砂漠化の原因は自由貿易」参照)。現在の日本のように、農業生産が工業製品輸出のための人質として犠牲になっている状況下では、まず重要なことは現在の農地を何とかして守り、食える農業にして後継者を確保することではないかと考えています。
 そのために草刈り機をはじめとする必要な農機具を動かす石油を使うことは全く問題ない、いや農業に必要な石油が最も必然性の高い使途だと考えます。ただし、土に根ざした自然の物質循環に則った農業を目指すことが必要でしょう。具体的には農薬・除草剤・化学肥料の多投は避けること、あるいは市場価格をあまりに優先した過剰なエネルギー消費を伴う施設園芸などは慎まなければならないと思います。
 環境問題を解決するための今日的な課題は、肥大化した工業生産を縮小すると同時に、これまでの工業生産によって傷ついた農業・林業・水産業を含む地域に根ざした生態系の物質循環を(ある場面では石油を使いながら)回復していくことだと考えます。ストイックに「石油を使うことは悪だ」などと考えることは無いと思います。石油はエネルギー資源としては最も優れたきれいな燃料です(地球温暖化など、心配する必要はありません!)。ただし、限りある資源であることを前提に、必要最小限の使用にとどめ、うまく付き合っていくことが重要だと考えます。

 お名前がわからないのですが「草刈り機の君」、もし良かったらまたメールを下さい!

No.069 (2003/01/27)ちょっとうれしいこと・・・

 最近、このホームページを開いていて、初めてうれしい手ごたえがありました。昨年末から年頭にかけて、多分冬休みの課題だったのだろうと思いますが、何人かの中・高校生の閲覧者からメールをいただき、意見交換をすることが出来ました。若い方の中に、環境問題を真剣に考え、先入観にとらわれずに自分の頭で考えようという姿勢があることを知り、大変心強く思いました。
 更に、つい最近のアンケートの書き込みにも、うれしい反応がありました。


環境問題総論 - 2003/01/21(Tue) 20:58:12
大学で環境技術について勉強していますが,炭酸ガス削減技術やリサイクル技術なども炭酸ガスが温暖化の原因である,リサイクルはよいことであるという前提が常にありました。その必要性についての議論の無さを痛感しました.


 私もかつて、工学を志したものとして、このような工学生がいることを知り、うれしくなってしまいました。反面、現在の大学工学部における環境技術研究の方向性が、環境問題の本質的な議論に対しては、思考停止状態にあり、二酸化炭素地球温暖化説が自明のこととして、そこからの議論しか行われていない現状には、非常に危機感を覚えます。


地球温暖化 - 2003/01/25(Sat) 11:35:33
今まで、私は温暖化問題の一番の要因は二酸化炭素だと信じきっていました。テレビや中学校の教科書などでも、温暖化の原因は二酸化炭素の大量放出だといわれています。しかし、それをただ自分の知識として頭にいれるのではなく、本当の原因をさぐることが大切なのだと思いました。


 自然科学とは、結果を信じるものではなく、その背景を理解することこそ重要なのだと思います。環境問題を自然科学の対象として理解することが必要だと考えます。教育現場における環境教育では、現状では残念ながら十分な科学的な検討が行われていないことが心配です。果たして中学校の教科書でどのような形で『温暖化の原因は二酸化炭素の大量放出だ』と紹介されているのかを直接知らないのですが、少なくともこれは一つの仮説に過ぎないのだという点は明確にしておかなければならないと思います。現場の教師の方のご意見をぜひお聞かせいただきたいと存じます。
 このホームページが、少しでも二酸化炭素地球温暖化脅威説をはじめとする、冷静さを欠いた現在の環境問題論議のカウンターとして役立つことが確認できたことは、HP管理者として、非常にうれしいことです。
 アンケートの書き込みについてのお願いですが、少なくとも本文を閲覧された上で、なるべくその内容についての具体的な内容にしていただきたいと思います。内容とは異なるご自分の主張を述べたい方は、メールをご利用ください。不適切な内容と判断したものは削除いたしますので、ご了承ください。

 さて、新年からはじめた連載『二酸化炭素地球温暖化脅威説批判』の第一部となる、二酸化炭素地球温暖化脅威説についての理論的な問題点についての検討部分が、一応完結しました。これまでのこのホームページにおける検討結果の総括のつもりでまとめたものですが、能力的な限界から誤認や誤謬があるかもしれません。ご指摘やご意見を頂ければ幸いです。
 大分県に対して提出した2回目の提言については、今のところ回答がありません。大分県のネットワークから何度かアクセスがありますので、近いうちには回答が届くものと期待しておりますが・・・。回答が届き次第ホームページで公開する予定です。

No.068 (2003/01/14)拝啓、環境省・国立環境研究所さま・・・

 今年は、まず官公庁の環境対策についての検討が当面のテーマになりそうです。公開討論B「大分県エコエネルギー導入促進条例(素案)」を考えるについて、官公庁の技官、職員の方のご意見をぜひお寄せいただきたいと存じます。京都新聞によりますと「2010年にCO2など15%削減 滋賀県が温暖化防止計画の策定」と言うことで、大分県と同種の取り組みが進められようとしているようです。このホームページにも滋賀県のネットワークからのアクセスがありますので、よろしかったらご意見をお聞かせいただきたいと存じます。
 さて、1月13日付大分合同新聞朝刊に「燃料電池の普及めざし 海水から水素製造 風力で電気分解」という記事が掲載されました。新聞に掲載されたイメージ図を示しておきます。

 これを見ると、海上に巨大なフロートを建設して(構造的にはフロートでは、浮体の安定性の問題でかなりきついでしょうが・・・)その上に風力発電装置を作り、同時にそこで海水を電気分解して水素を製造するプラントを作るというイメージのようです。
 このシステムは、今更研究機関が行わなくても既存の技術を組み合わせれば実現可能なことは明らかです。そういう意味で研究の対象ではありません。もしこれが優れたエネルギー供給システムであるならばエネルギー関連企業体が既に行っているでしょう。実現されていないのは失礼ながら冷静に考えるとあまりにも非効率的で、あまりにも馬鹿げているからです。
 まず風力発電自体の効率があまりにも低く、高い電力になること、しかもこれを海洋上に建設することになれば、下部構造の建設だけでも巨額の費用の追加が必要になり、陸上の風力発電施設よりもエネルギー効率が下がるのは目に見えています。更に塩分を含んだ風にさらされる苛酷な環境を考えれば耐用年数もかなり短いものになり、ランニングコストも更に必要になります。その上発電した電気で海水を電気分解して水素を得て、これを高圧で液化することを考えると、エネルギーロスは膨大なものになることは誰が考えてもわかることでしょう?
 環境省、国立環境研究所の皆さん、あなた方は本当にまじめに考えるつもりがあるのですか?あなた方が使っているのは貴重な税金だということを意識して仕事をしているのですか?私には高価なおもちゃとしての存在価値しか認められないのですが、どうでしょうか?国立環境研究所のどなたか、この『研究』の意義をご説明いただけませんか?

No.067 (2003/01/09)今年の目標・・・

 またしても先延ばしになり、多少時期を逸した感がありますが、今年のこのホームページの目標を述べておこうと思います。・・・結局、昨年の冒頭に述べた内容と同じです。『HP管理者からNo.029』から引用しておきますと「現実の人間の社会システムのどこに環境問題の原因があるのか、どうすれば環境問題を克服してゆけるのかを考えていきたいと思います。」といこうとに尽きるようです。言い換えると、残念ながら昨年はこの目標についてあまり達成出来なかったということです。その原因を総括しておきます。
 大きな理由は、現在、行政・マスコミなどから流されている、必ずしも科学的とはいえない環境問題の認識が、未だに払拭できないことで、環境問題に対する冷静で科学的な検討が行える条件が整っていないことです。例えばその代表的な例は、「人為的な二酸化炭素の増加による地球温暖化脅威説」です。
 私に理解できないのは、なぜか多くの人たちが、具体的な事例や、その背景の理論的な裏づけもなしに地球が温暖化することが生態系にとって脅威的な環境変化になると『信じ』ていることです。また、温暖化の主要な原因が大気中の二酸化炭素濃度の上昇によるのかどうかも、非常に疑わしいところです。更に、大気中の二酸化炭素濃度の上昇の主要な原因が人為的に排出された二酸化炭素によるものかどうかも極めて不確かです。
 しかし、実際には技術者も含めて多くの人が『温暖化脅威説』を信じており、かつてのオウム真理教を彷彿とさせる、マス・ヒステリー状態です(いや、もしかすると優秀な技術者諸氏は信じていないが、儲けの種なので黙っているのかもしれませんが・・・。)。その違いはオウム真理教が異端の少数の宗教集団であったのに対して、『温暖化脅威説』信者が国民の大多数に及んでいることだけの違いのように思います。むしろ状況は深刻です。理論的な背景のない妄信を覆す作業は、それだけに非常に難しいことだと痛感しています。
 気象予報士のはれほれさんに紹介いただいたサイトで、高校生の環境問題についてのアンケート調査の結果を見ると、地球温暖化が最大の問題だと言う生徒が断然多いのを知り、今更ながら問題の根深さに考えさせられてしまいます。この状況は、学校教育における環境問題が自然科学として考えられていないことを予想させます。将来的なことを考えると、教育現場における環境教育のあり方も非常に重要なテーマなのだと思います。
 更に、行政の環境問題に取り組む姿勢は最も重大な問題のひとつです。行政は宗教団体ではないのですから、税の執行においては徹底的に現実的な対応が求められます。例えば国は、現在の燃料電池車は氷点下の環境では走れない欠陥自動車とも知らずに、月額80〜120万円というべらぼうなリース料を支払って(もちろん税金です!)公用車に採用し、同様に大分県では、温暖化脅威説の検討も行わないまま、費用対効果の技術的評価も行わずに『エコエネルギー導入促進条例』なる条例を作って、風力発電や太陽光発電の導入を促進しようなどと言う愚行を、これまた血税を投入して行おうとしています。これは国民あるいは県民に対する背任行為です。
 まだまだこの種の問題への対応は十分ではないようですから、今年もこれらの問題を一つずつ検討していく作業にかなりの時間を割かれることになりそうです。冒頭に示した目標は今年も目標に終わるかもしれませんが、これに次の3点を加えておきたいと思います。
1)人為的な二酸化炭素増加による温暖化脅威説の検討
2)学校教育現場における環境教育の現状の検討
3)国・地方自治体の環境政策の検討
 2)のテーマにつきましては、教育現場で実際に環境教育を行っている教職員の皆様に是非ご協力いただきたいと思います。3)につきましては、当面公開討論『「大分県エコエネルギー導入促進条例(素案)」を考える』を通して検討を進めたいと思います。国・地方自治体の職員の方の当事者としてのご意見をお聞かせ願いたいと存じます。

 最後になりましたが、今年もご協力をよろしくお願いいたします!

No.066 (2003/01/05)原子力・H2・核武装・・・

 昨年末以来の積み残しの更新作業が一段落しましたので、遅ればせながら、今年の目標を・・・。

 と、その前に、1月4日大分合同新聞朝刊の一面に「『日本の本音は核配備歓迎』〜ニクソン大統領が発言/71年沖縄問題で英首相に〜【ロンドン3日共同】」と言う見出しの記事が載りました。内容は1971年当時のニクソン米大統領とヒース英首相との会談議事録が公開されたものです。記事を少し引用します。

前略)〜首相(=佐藤栄作氏)自ら表明した非核三原則についても、駐日米大使との会談で「ナンセンス」と発言したことが判明、こうした姿勢が「本音では核歓迎」とするニクソン大統領の認識につながったとみられる。
(中略)〜ニクソン大統領は「日本は核保有を封じられているが、ベトナムでの米国の敗北をみて早晩、その意欲を持っても無理はない。米国がアジアにとどまり、核による保護が残ることを再保障することが重要だ」と述べ、米国が核の傘を提供して日本の核保有を防ぐべきだとの考えを表明した。
 同席したキッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は、気象衛星打ち上げロケット技術に日本が必要以上の関心を示したことを例に挙げ、日本が核保有国になりえる足場を徐々に築いていると指摘。(後略)

 このホームページでは、日本の経済的に成り立たない原子力発電や自前の衛星打ち上げロケットの開発に対する執着の背景には、日本の保守政党や自衛隊制服組の(戦略)核兵器の保有に対する執着があると述べてきました。今回の英公文書の内容はこれを裏付けるものと考えてよいでしょう。
 しかも現状は、一昨年の米国テロ事件以降、極めて米国寄りの好戦的な姿勢を露骨に示している自民党・小泉政権であり、また、米国は日本の核武装に対する態度を緩和しようとしており、非常に危険です。有事立法の法制化も次期国会には再上程され、いよいよ平和憲法も完全に空洞化してしまいそうです。
 能天気な日本のマスコミは、北朝鮮の原子力発電やロケット開発は核兵器開発につながり危険だとは騒ぐものの、日本のH2ロケットや経済的な合理性のない原子力発電について何も言わないというのは一体どうしたことでしょう?彼らはまた戦前の轍を踏むことになりそうです。
 現在の世界情勢は、米国が一人で軍事的緊張を高めているのは明らかです。例えば、イラクに対する無謀な米国の軍事戦略を英国と伴に積極的に支持して、米国の軍事侵攻後の体制にまで言及する日本は、米国と行動を共にするからこそ軍事的な危険が増すのは自明のことです。あるいは保守政党・自衛隊制服組はあえて米国に加担することで日本を軍事的に危うい状態にして、これを利用して再軍備・核武装を加速させようとしているのかもしれません。新年早々、誠にキナ臭い状況です。

No.065 (2003/01/04)『大分県エコエネルギー導入促進条例(素案)』を考える その2

 昨年末に大分県に対して掲題の件に対する『提言』を行いましたが、これについての大分県からの回答が12月26日付で送られてきました。その内容全文を以下に示します。

(大分県エコエネルギー導入促進条例の制定について)

 本条例を制定する理由としては、エネルギーの安定供給確保の問題と化石燃料の消費などによって排出される温室効果ガスによる地球温暖化問題があり、環境負荷の少ない新(エコ)エネルギーの導入促進をすすめることで、エネルギー需給の向上を図り、持続可能な循環型社会の構築に貢献することがあげられます。
 エネルギー問題と地球環境問題を解決するためには、国をはじめ、県、市町村、民間企業そして国民一人ひとりがこの問題を考え、意識を変える必要があると考えています。
 国は、「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法」等の新エネルギー導入方針を示しており、これらに基づいて県段階で新(エコ)エネルギー導入の基本方針を示し、普及啓発をすすめるために本条例を制定することとしています。
 ご提言については、現在、日本をはじめ世界中で調査・研究がなされており、その情報収集等に努めていきます。

企画文化部  水資源・土地対策局長  井上啓次郎

 回答の内容は、条例(素案)の内容を繰り返すだけで、残念ながら提言で示した問いかけ(No.064参照)に対する回答とは程遠いものです。意図的に問いかけに対する回答を避けたのかどうか、今のところ判断は保留しておきますが、受け取った回答の範囲についてコメントしておきます。
 まず、環境問題、とりわけこの条例(素案)の対象となっている『人為的な二酸化炭素の排出による地球温暖化が人間社会にとっての脅威である』かどうかという最も基本的な検討がまったくなされていないことが伺えます。この点については、回答の末尾において「ご提言については、現在、日本をはじめ世界中で調査・研究がなされており、その情報収集等に努めていきます。」として触れられているだけです。現実の条例を策定しようとする者が、その前提となる事柄についてこれから『情報収集に努める』など、本末転倒の議論です。この基本的な問題の検討がなくては、この条例(素案)そのものの合理的な裏づけが一切ないということになります。このような状況で、県民や事業者に対して何らかの責務を負わせるなど、到底受け入れるわけにはいきません。
 以下のエコエネルギーについての議論は、前述の前提が明らかにされない限り、議論する必要もないことですが、仮に、『人為的な二酸化炭素の排出による地球温暖化が人間社会にとっての脅威である』と仮定しても、条例(素案)で言うところのエコエネルギーが『環境負荷の少ない新(エコ)エネルギー』であるかどうかの検討は、改めて個別かつ厳密に検討しなければならない問題です。条例(素案)では、太陽光発電や風力発電が既存のエネルギー供給システムよりも環境負荷が少ないことを自明のこととしていますが、まったくその根拠についての検討がなされていないのは無責任極まりないとしか言いようがありません。

 このホームページをご覧になった、官公庁の皆さんのご意見をお聞かせいただきたいと考えます。なお、この問題は非常に重要な問題なので、今後新たに公開討論の場に移して検討を継続していく予定です。

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