No.415 (2009/06/30)NHKお馬鹿番組の記録03

2009年6月30日NHK総合『プロフェッショナル仕事の流儀 夢を語れ、不可能を越えろ 燃料電池車開発 』
主な登場人物:茂木健一郎×藤本幸人

 燃料電池車が実用レベルで普及するなどということは金輪際有り得ないことは、少し冷静に考えれば素人でも容易にわかることである。このコーナーで検討した内燃機関の自動車よりも石油利用効率の低い電気自動車であっても、燃料電池車に比較すれば遥かに石油利用効率は高い。新物好きの「文化人?」と視野狭窄を起こした無能な技術者の自己満足的対談であった。

No.414 (2009/06/28)現代社会科学の崩壊

 自然科学の危機的な状態には前回触れたが、社会科学は既に崩壊して全く機能していない。全く無意味な空虚な議論ばかりが、何か崇高な経文の様にありがたがられているだけの悲惨な状態になっていることを社会科学者は全く気付いていないようである。大馬鹿者である。

 なぜこのような悲惨な状況になってしまったのか?それは、社会科学が分析対象とする我々の社会の存在の物理的な基盤である自然環境やその中で行われる生産関係(ここには農林水産業だけでなく工業生産も含む)についての自然科学的な観察を放棄してしまっているからである。これらのいわゆる下部構造に対する自然科学的な分析を無視した上部構造の議論をしたところで正に机上の空論でしかない。
 人間社会と自然環境との関連で、最も重大且つ直近の最大の問題は、爆発的な人口増加と食糧生産の限界の問題である。現状のまま人口増加を制御できなければ、おそらく今世紀中には絶対的な食糧生産量の限界によって飢餓状態が常態化し、このままではおそらく食糧をめぐる世界戦争状態に突入することは避けられないであろう。
 能天気に人為的CO2温暖化対策と同時に環境技術で更なる経済成長を目指すだの、少子化対策だなどという全く見当違いの頓珍漢の議論をしている姿は全く滑稽、と言うよりは悲劇である。
 我々人間はいくら豊かになったところで動物であることを辞めることは出来ないのであるから、食糧生産の限界が人間社会の増殖の絶対的限界であることは当然である。強力な工業生産を保証している石油や石炭は有限の資源であるから出来る限り温存し、農林水産業を中核産業とした持続可能な社会システムを構想しなければならないのは自明のことである。
 現在の温暖な間氷期においても日本において扶養できる最大人口は3000万人台であろう。そう遠くない将来には次の氷河期が訪れることになるから、更に扶養可能な人口は少なくなると考えなくてはならない。
 勿論、何の対策をとらなくとも、例えば飢餓や食糧をめぐる世界戦争・・・、どのような形になるかは別にして結局は自然環境の扶養能力に見合うところまで人口は減少することになる。しかしそのような悲劇的な状況を回避するための人類の叡智こそ社会科学の目指すところではないのか?
 社会科学の使命とは、我々の目指す社会システムの将来像を明確に設定し(勿論自然科学的な分析に基づいた意味のあるものでなければならないが・・・)、そこに如何に社会的な犠牲を最小限にして軟着陸させるかという方向性を打ち出すことであろう。

 巷には『人為的CO2地球温暖化仮説の自然科学的な信憑性は今更検討する必要は無い、既にこれは政治課題なのだ』などと言う愚かな議論がある。地球の環境容量に対して、人間の社会システムが十分小さいのであれば、こうした自然科学的に誤った政治目標も許容することが出来るかもしれない。
 しかし現実には食糧生産の限界=人間社会システムの増殖の限界の到来が既に秒読み段階に入っているのである。このような状況下で現実の自然環境の物理的実体認識を見誤ることは即座に人間の社会システムの破綻へと直結することを認識しなければならない。

 歴史的に見て、気候変動による食糧生産の減少は例外なく世界規模の侵略戦争に直結する。社会科学が過去の歴史から学ばず、科学であることをこのまま放棄すれば、近い将来、飢餓の蔓延とともに再び世界戦争の時代に突入することは避けられない。そのような時代までは生きながらえたくないものいである・・・。

No.413 (2009/06/25)権力志向の現代自然科学の危機

 槌田による日本気象学会の提訴を機に、このところ自然科学の今日的な問題について考えている。どうも、産業革命を境にして自然科学のありようが大きく変質してきている様に思われる。とりわけ第二次世界大戦末期以降の自然科学の堕落は非常に危険なものを感じている。

 元来、自然科学、現在の分類では基礎科学の範疇に属する知的な探求とは、現世的な利益を度外視した、いわば人間の知的好奇心から自然の有様を知りたいという欲求によって駆動されていたように思える。
 産業革命を契機に、それまでに蓄積されていた自然科学的成果の中で、工業生産技術と結合することによって現世的な利益に結びつくモノが現れた。それが応用科学ないし工学の始まりである。そして、現世的な利益とは直接結びつかない本来の自然科学の流れを汲むのが基礎科学として残ることになった。

 工業化の進展によって、自然科学は現世的な利益に結びつくことが分かり、権力は自然科学を権力組織の中に体制化することになった。それが大学組織であり、国家による研究機関の創設である。
 自然科学の体制化の一つの画期となったのが近代戦争における兵器技術の開発であり、中でも第二次世界大戦末期の米国で行われた原子爆弾の開発計画、いわゆる『マンハッタン計画』への自然科学者の組織的な投入と国家予算の投入ではなかっただろうか?
 その特徴の一つはプロジェクト主義であり、あらかじめ解決すべき問題を設定した上で、これを期限内に達成することを要求することである。そしてもう一つはプロジェクト主義と表裏の関係にある成果主義である。これらは現在の国家による巨大プロジェクトにそのまま引継がれている。
 権力の設定する問題解決に資する自然科学分野には糸目をつけずに国家資金が集中的に投入される。研究者は研究資金欲しさに国家プロジェクトに群がることになる。その反対にプロジェクトに係わりの薄い研究分野は冷遇されることになる。
 その帰結として国家プロジェクトは巨大な利権構造を構成することになり、産官学による権力構造ないし支配構造に容易に転化することになる。自然科学が権力に奉仕し、大衆を支配するための道具として体制化されているのが現状であるように思える。
 日本においてこれを加速した一つの要因が国公立大学の独立行政法人化である。この制度によって、国家あるいは企業の利益につながる自然科学分野には潤沢な研究予算が配分されることになり、研究費を欲しい研究者は自ら進んで権力に擦り寄ることを選択しているようである。

 さて、今日的な国家的な最大のプロジェクトとは何であろうか?これは人為的CO2地球温暖化対策であることは疑う余地はない。日本は、米国や欧州連合と歩調を揃えて、温暖化対策技術によって世界市場における覇権を新興工業国から奪還することを目論んでいる。
 その最も基本的な前提が、現在の『温暖化による危機』が人為的に排出されたCO2による温室効果によってもたらされているという『人為的CO2地球温暖化脅威論』であることは論を俟たない。もしもこの大前提が覆るようなことがあれば、国家戦略が根底から覆ることになる。既に巨額の資金が動き、国内企業もこれを見越した設備投資を行っており、今更誤りであってはならないのである。
 今回の日本気象学会という、日本における気象問題の最高の学術的権力組織において、これが覆るような槌田の研究報告が出されることはどうしても避けたいのである。これは国家や企業の要請であるばかりでなく、人為的CO2温暖化研究に国家的な予算を受け取り、地球シミュレーターなどの導入によって巨大化した国家プロジェクトに関係する身内研究者の保身のためにも譲れないのである。
 そして日本物理学会における2009年度の科学セミナー「環境・エネルギー問題へ発信する基礎科学」もこれと同一線上にある問題である。日本物理学会としても巨額なCO2温暖化対策予算を指を加えて見ているわけには行かないというのが本音であろう。おそらく、熱物理学者の多くは新エネルギーが石油の節約・代替になるなどと考えてはいないであろうが、予算獲得のためであれば『嘘も方便』と考えているのであろう。

 応用科学・工学分野だけでなく、人為的CO2地球温暖化脅威説によって基礎科学分野の気象学や物理学までもが嘘を承知で大衆を騙して国家予算や企業研究費を獲得するために体制に迎合する堕落を見せているのである。

No.412 (2009/06/23)NHKお馬鹿番組の記録02

2009年6月20-21日NHK総合『NHK 環境特集番組 SAVE THE FUTURE 2009 』
主な登場人物:芸人多数(笑)

 ついにエンターテイメント・歌番組になりました。

No.411 (2009/06/19)日本物理学会は企業・国の下請け研究機関になった!?

 日本物理学会は2009年9月22、23日の両日にわたって『2009年度日本物理学会科学セミナー「環境・エネルギー問題へ発信する基礎科学」』を行う。
 この題名だけ見たとき、「やっと自然科学の見地から、現在の温暖化狂騒状態のエネルギー政策に対して、基礎科学の立場から批判的な検証を行うのだ」と早合点してしまった。しかし、内容を見て驚いた。
 曰く『・・・その根幹のアイディアの部分で物理学だけでなく,化学,生物,工学といった多様な分野から環境・エネルギー問題へ越境している研究者に展望と基礎科学に対する期待を語っていただきます。』だそうである。つまり現在の国の進める愚かなエネルギー政策に乗っかって、研究費をぶん取るネタを探そうと言うセミナーであるらしい。
 30年ほど前、日本物理学会において槌田敦を中心とする物理研究者によって日本の核融合政策に対して、熱物理学の立場からの検討が行われ、熱核融合においては、例えそれが実現できたとしても、熱核融合炉から取り出せる有効なエネルギー量は、それを得るために投入されるエネルギー量を上回ることはなく、無意味であることが示された(これは、その後の30年間の熱核融合の技術開発の歴史によってその正しさが証明されている。)。
 そこで行われた検討は、物理学によってエネルギー技術を評価する場合の基本的な視点を示す研究成果であり、その後槌田によってエントロピー論に基づく『資源物理学』として体系づけられたものである(詳細については、日本気象学会に対する損害賠償訴訟における槌田の陳述書を参照いただきたい。)。
 現在進められようとしているCO2温暖化対策としてのエネルギー供給技術(特に発電技術)あるいはその社会的システムは、かつての熱核融合同様に、その技術を実現するために投入するエネルギー量を回収することが出来ないことは明白であり、直ちに中止すべきものである。
 今回の日本物理学会のセミナーは、同学会の過去の研究成果を無視して、再び30年前の熱核融合推進に動こうとした日本物理学会の誤った対応とそれを克服した経験を踏みにじり、刹那的な研究予算の獲得に向かおうとしていることを示している。

 日本気象学会だけでなく、日本物理学会も企業や国家政策の下請け研究機関に成り下がろうとしているようである。

No.410 (2009/06/08)電気自動車はCO2を出さないか?

 さて、報道によりますと近く三菱自動車と富士重工から電気自動車が発売されるとのこと。日産も追随するようです。

 いわく「電気自動車は走行時にCO2を出さない究極のエコ自動車」という触れ込みです。これは、このHPにおける原子力発電、太陽光発電、風力発電についての考察で既に考えてきたように、全くのまやかしです(笑)。

 もう一つの「売り」は、燃料費が廉いことだと言います。
 燃料費が廉い=石油消費量が少ない、ということには全く結びつきません。たとえば、2009年3月現在で、東電扱いの発電用重油の取引価格は31円/L程度です。これに対し自動車用のガソリン価格は120円/L程度、発電用重油の約4倍の価格です。燃料費の比較でCO2発生量を推定することは出来ないようです。

 石油火力発電の電気への変換効率を35%、送電ロス、電気自動車(蓄電池)への蓄電ロス、電気からモーター回転力への変換ロスなどを考慮すると、電気自動車で有効に動力として使える運動エネルギー量は、火力発電所で投入された石油の燃焼熱量の20〜30%と考えるのが妥当でしょう。
 一方、ガソリンエンジン車のガソリン燃焼熱量に対する有効な運動エネルギー量は、運転者の技量にも大きく左右されますが、やはり20%台程度と考えられています。
 つまり、動力を得るために消費される炭化水素燃料の量はさほど大きな違いはないのです。むしろ火力発電用重油の方がガソリンに比較して化学組成から見て単位熱量あたりに発生するCO2量は多少大きくなります。
 ここまでのまとめとして、走行によるCO2発生量には電気自動車とガソリン自動車では特に優劣が付けられるほどの差はないと結論されます。

 さて、問題になるのは自動車製造に投入されるエネルギー量と、自動車耐用年数になります。仮に耐用年数が同程度とすれば、車体価格の比較によってエネルギーコストの比較が出来ます。今回三菱から発売される電気自動車はコンパクトカーサイズであろうと思います。ガソリン自動車ではこの種の車種の新車の車体価格は100万円程度、これに対して三菱の電気自動車は450万円程度です。もう詳細な検討は必要ないでしょう。電気自動車のほうが総合的に見ると圧倒的に多量の石油消費によって成り立っているのです。
 更に、蓄電池寿命を電気自動車寿命と考えれば、圧倒的に電気自動車の耐用年数のほうが短くなります。あるいは、自動車の耐用年数を経過するために蓄電池を1回更新するとすれば、車両価格は600〜700万円程度に跳ね上がってしまうでしょう。

 冷静に考えれば、ガソリンエンジンに出来ることをわざわざ電気によって実現しようという迂回過程をとれば、エネルギー利用効率が低下することなど当たり前のことなのです。

No.409 (2009/06/07)国民を危険に曝す麻生の外交感覚

 麻生の愚かさ加減は既に国民周知の事実である。この大馬鹿者は一日も早く退陣して欲しいものだ。

 東京都議選の応援に駆けつけたこの大馬鹿者の外交感覚は度し難い。もとより北朝鮮の核開発を外交カードとする危険な外交姿勢が誤りであることは論をまたない。しかし、この危険な国に隣接する我々日本の外交姿勢は彼らの挑発的な外交政策に同調して東アジア地域の緊張を高めるものであってはならない。多少の譲歩をしてでも緊張緩和の方向を模索し、結果として国民の安寧を確保するという実を取ることこそ責任ある外交のあるべき方向だと考える。
 民放のテレビニュースでは、麻生の肉声で『北朝鮮と戦うくらいの気持ちは必要』とまくし立てていたが、NHKのテレビニュースではこの部分は放送コードに触れたのか、あるいは麻生を守るためにか見事に消しさられていた。
 麻生という男は、単なる単細胞の直情径行の大馬鹿者なのか、あるいは東アジア地域の緊張を敢えて高めて、日本の再軍国主義化の正当化を考えた行動なのか判断しがたいが、時代錯誤の外交感覚の大馬鹿者ということだけは間違いないようである。

No.408 (2009/05/31)気象学会提訴を巡る議論、あれこれ

 既に本編の方にも公開していますが、当HPも無関係ではない、気象学会における温暖化をめぐる議論において、気象学会の常軌を逸した対応について、槌田敦氏が東京地裁に提訴しました。訴訟の経緯については本編の「日本気象学会」を科学論争を封殺した行為で提訴(2009/5/27)を参考にしていただきたいと思います。

 この訴訟について、賛否両論というか、大部分は否定的なコメントがネット上にもかなり掲載されています。しかし、残念ながらそのほとんどは今回の問題の事実関係、あるいは重要性についての認識で的外れなものであることは大変残念です。
 まあ新聞報道において「精神的苦痛」という被害に対する損害賠償という表現が使われていることから、情緒的な問題であるかの印象を持った、低レベルの批判もありますが、これは論外ですが・・・。たとえば「街の灯」という掲示板の意見は次のようなものです。


■メカゾイド: この人懐かしいわぁ、つか研究者が法廷闘争とかやめてくれw来週の資料室はこの話題で持ちきりだw この人もと理化学研究所研究員でエントロピー学会の天皇。いいんだよ自分のシンパしかいない学会でそういうことやってりゃ。(09年05月29日 00時15分29秒)
■BIE: 言論の自由があるなら批判するのも自由。批判されるのが嫌なら飲み屋で姉ちゃんにでも語っていればよろしい(09年05月29日 00時16分13秒)
■106: 論文掲載拒否されて訴えられてたら学会運営できないのでは・・・・(09年05月29日 00時28分53秒)
■ししちゃん: おかげで論文をろくに読んだことのない僕も見せてもらいました。センセーショナルな部分はいい気持ちはしなかったけれど通説だと指摘された他の研究者が明確な反論ができないのなら学術的と言えるのでは。(09年05月29日 00時39分48秒)
■suna: でも、気温が上がればそれだけ生物が活性化するわけだからその分二酸化炭素の排出量もふえるんじゃね?とかいわれるとたしかにそうかもなぁとかも思うわけで(09年05月29日 00時48分58秒)
■br3: 掲載拒否っていう共同通信の書き方が微妙なんだと思います。多分、査読が通らなかっただけじゃないかと思います。
本当に自信があるならば、他の学会で発表すればいいだけのこと。
ただ、学会発表を、内容を理由に断るのは結構珍しい気がします。(09年05月29日 00時58分48秒)
■げま: 査読されず突っ返されたのだったら勝てるかもしれないけど・・・見えない何かと戦い始めている印象(09年05月29日 12時17分09秒)
■zzz: 売名行為? まあ僕も釣られて読んでしまいましたが;(09年05月29日 12時23分26秒


 かなり事実誤認もはなはだしい方もいます。メカゾイド氏はかなり古い(?)方のようです。このHPでも触れたと思いますが、私も槌田さんも元はエントロピー学会員でしたが、その非科学性、特に温暖化問題についての非科学性に同意できずに、もうずいぶん前にエントロピー学会を脱退しています。
 さて、主要な批判は、学術論文の学会誌への掲載判断は学会側の編集権であり、掲載を拒否されたから訴えるのはおかしいと言うものです。
 たとえば、BIE氏の「言論の自由があるなら批判するのも自由。批判されるのが嫌なら飲み屋で姉ちゃんにでも語っていればよろしい」ですが、これはむしろ気象学会でKeelingのグラフに対して人為的CO2温暖化仮説を擁護する立場から、おそらく気象学会の意向を受けて批評を行った河宮未知夫(海洋研究開発機構)による気象学会誌「天気」の記事のほうに当てはまることです。河宮の報告で論理的・科学的に納得できた者はほとんどいないのではないかと考えます。槌田による最初の「天気」への論文は正にこの河宮の主張に反論する内容だったのです。この論文も「天気」に掲載されることはありませんでした。
 次に、106氏の「論文掲載拒否されて訴えられてたら学会運営できないのでは・・・・」ですが、学術論文においては、基本的な事実の誤認やデータ捏造、あるいは明確な論理矛盾がなければすべての論文を掲載した上で、内容についての議論は公開された学会誌上でなされるべきものだと考えます。
 次に、br3氏の「掲載拒否っていう共同通信の書き方が微妙なんだと思います。多分、査読が通らなかっただけじゃないかと思います。本当に自信があるならば、他の学会で発表すればいいだけのこと。ただ、学会発表を、内容を理由に断るのは結構珍しい気がします。」についてですが、「査読が通らなかっただけ」の内容が問題です。合理的な理由が存在するのならばそれは致し方ないかもしれませんが、今回の直接の掲載拒否理由には合理性はなく、単なる無能(なふりをしている)査読者の事実誤認でしかありません。この点は訴状をご覧下さい。
 また、私たちの主張は物理学会にも提出しています。物理学会誌では既に槌田の論文が一度掲載されていますが、この時も2年にわたる執拗な査読を受けた上でやっと掲載にこぎつけたものです。裏返せば、2年間もの精査を受けた上で、なおかつ科学的な論文として認められて学会誌に掲載されたということです。しかし、その後槌田の論文は物理学会誌でも掲載拒否されるようになりました。その後、昨年末に物理学会は温暖化問題について槌田氏に改めて物理学会誌への寄稿を依頼し、これに応じて槌田氏が提出した論文は、これまた物理学会誌編集者から合理的な説明にもならない難癖をつけられて、現在も中に浮いた状態になっています。
 今回の気象学会提訴の問題は、気象学会のみならず物理学会にも見られる特定の科学論争をめぐる異常な状態を告発する意味合いもあるのです。尚、学術講演会の発表を拒否するなど、通常では考えられない暴挙としか言いようがありません。
 最後に、zzz氏の「売名行為? まあ僕も釣られて読んでしまいましたが;」ですが、私は、自然科学者としてその良心を貫き、自然科学界ではほとんど孤立無援でありながら、国家・権力に対しても全くひるまずに戦い続ける槌田氏の姿勢に真の科学者の姿を見るものであり、畏敬の念を抱くものです。何ゆえ「売名行為」などと言う評価になるのか、残念です。

 この訴訟につきましては、今後とも最大限の情報を提供していきたいと思います。

No.407 (2009/05/18)MOXが来た

 今朝、静岡県の御前崎港にフランスで再処理された軽水炉用のMOX(ウラン・プルトニウム混合酸化物[Mixed OXide])燃料が到着した。これは国内電力会社3社の軽水炉においてプルサーマル方式(プルトニウムをサーマルリアクター=軽水炉で利用する方式)の発電に使用されることになる。

No.406 (2009/05/15)地熱発電、お前もか?

 さてさて困ったもので、次から次に愚かな「似非環境対策」が発表されます。どれもこれも一昔前に用済みになり、ガラクタになってホコリを被っていた経済政策を倉庫から引っ張り出してレッテルだけを「エコ○○」に張り替えたようなものばかりです。かつての土建屋主導の内需拡大と利権構造が、温暖化対策にすりかえられただけです。あ、そうか、だから「エコ替え」なんですね(笑)。
 「エコポイント」なんていうのは笑えます。これは我々が子供の頃のグリコのオマケよろしく、浪費を煽るための政策です。ついに国は税金を使ってエコ関連企業という詐欺集団の販促のお手伝いをはじめたようです。要するに環境を食い物にしていかに儲けるかというだけの政策です。うまく行けば製造業は息を吹き返し、関連省庁には大きな利権が生まれ、何より環境破壊が大いに進むことでしょう。

 最近、新手の新エネルギー発電がマスコミに登場してきました。そう、地熱発電です。しかし、これも実際には古い技術で、数十年前から行われている発電方式です。こんなに以前から行われているのに、未だ供給電力量の1%にも達していないことを冷静に判断すれば、あまり効率的な発電方式ではないと言うことは疑いの余地がないでしょう。
 ところが、昨今のエコ替えブームで(笑)、風力・太陽光そして原子力同様、いくら高くたって発電段階でCO2さえ出さなければどんな発電方式だってOKという愚かな風潮をマスコミ・報道機関の愚か者たちが作ってしまったおかげで、また悪賢い連中がこれに乗っかって一儲けたくらんで経済産業省や環境省あたりを抱き込んで復権を目指していると言うところでしょう。

 地熱発電の最近の状況を危惧した方からメールを頂きました。その方への返信を以下に紹介しておきます。


○○ 様

■はじめまして、HP管理人の近藤です。

■メールを拝見いたしました。お問い合わせの地熱利用につきまして、今のところ意識的に情報収集しておりませんので、○○さんのご質問に的確に答えるだけのデータが手元にないことを、まずご承知いただきたいと存じます。

■従って、あくまでも一般論としての私の考えを簡単に述べさせていただきます。ご承知の通り、日本は火山国であり(実は、私は別府市在住ですので、温泉という形で地熱の恩恵にあずかっています)、地熱については比較的利用しやすい環境にあると考えられます。しかし、現実には地熱を工業的に利用する技術、例えば地熱発電はほとんど利用されていないのが実情です。これは、おそらく地熱を利用するための設備や施設建設のコストがかなり高い、言い換えれば設備や施設建設に投入されるエネルギーや資源が大きすぎて元が取れないことを反映していると考えるのが科学的な判断だと思います。

■また、地熱発電で考えうる問題点は、どのように対策をとったとしても熱水を掘り出すことによって、熱水が環境中に漏れ出すことを100%防ぐことができない点です。熱水の中には有害な重金属成分も含まれるでしょうから、これによる地下水汚染や地熱発電所周辺の環境汚染が心配されるところです。

■このような点を考慮すれば、はたして地熱を大規模に利用することが良いことかどうかと言う視点から徹底的な検討が必要だと思いますが、日本の非科学的で無能なマスコミや報道機関はそのような検討能力はありませんから、またしても原子力や風力・太陽光発電同様に、国や企業に騙されることになるのは必定でしょう。

■以上のような理由から、私は地熱の利用は従来どうり温泉地で「地上に湧き出したお湯を使わせていただく」というのが基本的な利用法ではないかと考えています。

■十分なお答えではありませんが、以上が私の地熱利用に対する現時点の判断です。取り急ぎお返事まで。

近藤邦明 拝


 

No.405 (2009/05/05)NHKお馬鹿番組の記録01

 相変わらずNHKの犯罪的な非科学的温暖化番組が続いています。NHKの愚行の備忘録として、記録していこうと考えています。これは単なる個人的な備忘録なので、特に内容はありませんので読み飛ばしてください。

2009年5月4日NHK総合『地球LIVE』
主な登場人物:毛利衛(元JAXA、日本科学未来館館長)、若田光一(JAXA)、山崎直子(JAXA)+芸人数名

 まあ何とも一面的な放送内容か!あきれ果てる。世のためなどといって国民の血税で宇宙船ごっこに現を抜かす連中ですから・・・。

No.404 (2009/04/24)人為的CO2温暖化仮説は誤り

 ここ数年間、このHPでは主に人為的CO2地球温暖化仮説について検討してきました。その結果、いくつかの重要な新しい知見を得ると同時に、結果として人為的CO2地球温暖化仮説は自然科学的に見て全くの誤りであることが明らかになりました。

 既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、サブサイト『CO2地球温暖化脅威説を考える』のインデックスを全面的に変更しました。これまでばらばらになっていたレポートを系統的に整理しなおして、このHPの主張の理論的な流れがわかりやすくなることを狙ったものです。掲載しているレポートに変わりはないのですが、少しは見通しが良くなったのではないかと思います。

 地球の気候系は中本氏が言うように輻輳した様々な現象の総体として構成されていますから、その変動機構をすべて明らかにすることは簡単なことではありません。このHPにおける検討は、あくまでも『主に人為的に排出されたCO2による付加的な温室効果によって地球の平均気温が上昇している』という主張が妥当なものであるかどうかを検討したものです。その結果明らかになった重要な点は以下の2つです。

@産業革命以降の大気中CO2濃度上昇の主因は人為的に排出されたCO2量の増加とは無関係である。
A大気中のCO2の存在量の時間変化率は気温の一次関数として説明できる。

 つまり、人為的CO2による地球の温暖化という仮説は誤りだということが判ったのです。これは温暖化防止のためのCO2排出量削減という現在の世界の環境対策が全く無意味であることを示しているのです。

 例えCO2地球温暖化仮説が正しいとしても、人為的なCO2排出量を減らしたからといって大気中のCO2濃度を削減することは出来ないのですから、CO2排出量削減による温暖化対策は全く無意味であり、水泡に帰すことが確定したのです。私たちはCO2排出量削減という無駄な努力を辞め、実体世界の環境問題についてこそ取り組むべきなのです。CO2排出量を削減するためという大義名分で原子力発電所や風力発電や太陽光発電を増設するなどという愚かな選択は一刻も早く放棄すべきです。

No.403 (2009/04/22)『エコ』詐欺と公正取引委員会

 近頃、世間を騒がせている『おれおれ』詐欺や、インターネットを駆使した新手の詐欺が横行しているようです。しかし私自身は最も悪辣な詐欺とは、今も昔も権力を持つものが合法的・組織的に大衆を騙して金を掠め取っていく詐欺だと考えています。

 さて、一昨日(20日)、日立の子会社「日立アプライアンス」の製造したエコ大賞を受賞した冷蔵庫が、実際には殆どリサイクル部品を使用しておらず、製造段階でのCO2排出削減量を偽っていたということで公正取引委員会は景品表示法違反(優良誤認)で排除命令を出したそうです。
 このての話しにはうんざりしています。昨年はこのコーナーでもとり上げた再生紙に関する偽装が取り沙汰されました。そこでも書いたとおり、要するに現在は国の環境・経済対策予算をいかにぶん取るかが企業利益に直結するため、何でもかんでも『エコ』と冠する商品を作り出し、『エコ』を売りにすることが最大の宣伝なのです。テレビのCMを見てください、『エコ』だとか『減税対象』だとかいう言葉を臆面もなく宣伝文句にする厚顔無恥の輩がいかに多いことか!
 私は個人的には、むしろ今回なぜ日立『だけ』が狙い撃ちにされたのかという点に興味があります。よほど国に対する対応がまずかったのか、担当機関への付け届けが少なかったのか(笑)・・・。
 『エコ』宣伝をしている殆どすべての商品の宣伝内容は自然科学的・技術的には虚偽宣伝ですから、公取委に科学的な判断能力があり、厳密に対応すれば日本国内の主要メーカー全てが排除命令を受けなければなりません。まあ、公取委にはそんな能力は無いでしょうから、そうなると一体何が判断基準になったのか?興味津々ですが、これはこの辺りにしておきましょう。

 このての『エコ』を売り物にした詐欺(=『エコ』詐欺と名付けましょう!)は殆ど野放し状態というのが実態です。それどころか、太陽光発電システムの大規模導入は既存の火力発電システムよりもCO2排出量を削減するという全く科学的に見て根も葉もない『虚偽』に対して国家がお墨付きを与え、その上、太陽光発電電力を強制的に高値で電力会社に買い取らせ、その経費負担を価格転嫁して何の恩恵も受けない消費者大衆から掠め取ろうという制度が作られようとしています。正にこれが国家による合法的な『エコ』詐欺だと言ってよいでしょう。
 被害額が大きいという『おれおれ』詐欺の被害額とて、高々数億円〜数十億円程度ですが、太陽光発電に対する高値買取によるマーケット規模の拡大は10兆円規模というのですから、比べ物にならない大規模な詐欺なのです。

 団塊世代の皆さん、太陽光発電のトップメーカーであるシャープさんの宣伝で、あなた方の世代のアイドルであり、クリーンで進歩的なイメージの吉永某がにっこり笑っているからといって騙されてはいけませんよ!ご用心、ご用心・・・。

 

参考:
 東芝は太陽光発電部門においてシャープと業務提携することになるようです。これによって、東芝は原子力発電部門と同時に太陽光発電部門でも国内のトップメーカーに躍り出ることになります。環境NPOの皆さん、反原発運動の皆さん、これをどうお考えですか?私は原子力発電にも太陽光発電にも反対することが論理的に一貫した行動原理だと考えています。

No.402 (2009/04/21)地球という輻輳多様系をどう見るか

 本HPに掲載していた沖縄高専の中本氏が琉球大学で行った講演を元にまとめたレポート「地球の温暖化という現象」が、一部加筆・訂正して沖縄高専紀要第3号に掲載されました。このHPのレポートも紀要に掲載された最新版に変更しましたので、ご覧下さい。

 さて、この「地球の温暖化という現象」というレポートでは、地球上で起こっている自然現象をどのように理解すべきかについて基本的な姿勢が述べられています。
 地球という系は、スケール的にミクロからマクロに至る様々な階層があるばかりでなく、非生命的な物質と生命体が混在し相互に関連しながら、非定常に変化し続けている輻輳した構造を持っています。こうした自然界の有様を統一的に描き出すような理論や手段を我々は持ち合わせていないのです。
 このような輻輳多様系で起こる自然現象を、分析的な実験室的環境で単純化された条件下で成り立つ一面的な理論を元に、これを敷衍して理解しようとする『演繹的』な思考方法では理解し得ないことを自覚しておくことが必要でしょう。
 輻輳多様系を理解するためには、まず個別の物理現象についての理論からは離れて、我々が輻輳多様系から得ることの出来る観測データを系統的に集め、得られたデータから何らかの法則性を見出す『帰納的』な思考法によらなければならないことを主張しています。

 人為的CO2地球温暖化仮説は、気体の放射過程という非生命的物質と電磁波との関係だけで地球の気候系を説明しようとする極めて幼稚で粗雑な演繹的・機械論的な自然観に基づいて生まれた仮説にすぎないことが再確認できると思います。是非、御一読を。

No.401 (2009/04/16)気温の長期変動は短期変動の結果

 さて、標準的なCO2地球温暖化仮説では、世界平均気温偏差の『長期的』な上昇傾向を示す経年変化について、短周期の気温の変動と長期的な上昇傾向は別の原因であると解釈してきました。短期的な例えばエルニーニョ程度の短周期の気温変動は自然変動であって、より長期の上昇傾向は人為的なCO2排出量の増加による温室効果の増大によるとしてきました。

 これに対して、槌田氏やこのHPでは長期的な上昇傾向とは短期的な気温変動に対する地球の気候系の反応の遅れによる影響の重なり、あるいは積分的な効果であると考えてきました。地球の気候系には例えば陸・海の熱容量の違いや海水の長周期の循環運動などによって、温度変化の応答速度にかなり大きな幅があると考えられます。その結果、短周期の気温変動という外力に対する地球の気候系の応答が継続し、重なり合うことによって長期的な気温の変動として表れると考えています。

 この問題について、今年の物理学会春季大会において国立沖縄高専の中本氏は地球の気候系が第1次の自己回帰過程(マルコフ過程)に従うという気象学の成果に基づき、長期傾向を取り除いた短周期の気温変動成分だけを用いて長期的な上昇傾向が生じることを示しました。
 つまり、世界平均気温偏差の『長期的』な上昇傾向を示す経年変化の長期的な上昇傾向と短周期の自然変動は無関係ではなく、短周期の気温の自然変動の結果として長期的な気温の上昇傾向が現れることを示したのです。

 物理学会の講演概要を本編『地球大気の平均気温上昇は数年スケールの擾乱と独立ではない』に公開しましたのでご覧頂きたいと思います。

No.400 (2009/04/09)使い捨てが環境対策??

 日本の無能な行政の環境・経済対策にはあきれ果ててしまいます。ここでは環境がらみの財政措置について限定して検討することにします。

 環境対策としての財政措置の中心は、似非エコ商品という高額商品に対する購買意欲を刺激して、経済を活性化させるというものです。具体的には、自動車・家電製品の購入などに対する減税あるいは補助と新エネルギーへの投資です。

 まず第一の問題は、こうした似非エコ商品という高額商品の購入の可能性のある階層とは比較的裕福な階層であり、また似非エコ商品とは不要不急の商品なのです。つまり、ある程度富裕な階層の不要不急の趣味的な商品=無駄な工業生産物の購入に対して手厚い国家補助を行うというものです。
 本来経済システムの犠牲となって生活困窮に直面している国民は全くこうした財政政策の対象外となります。国は、財政出動によって経済を活性化することは回りまわってあらゆる国民のためになると言いますがそのようなことはありません。
 高度成長期とは異なり、既に国内消費=内需の飛躍的な拡大はありませんから、財政出動によって投入した資金以上の実質的な経済成長を期待することは不可能な時代なのです。投入した資金は一過的な消費によって収束してしまうのです。更なる経済的な飛躍を目指すためには世界市場の中で覇権を取り戻すしかないのですから、景気がよくなれば大企業は再び海外への投資を増やすことになるのは明白です。国内産業の空洞化は更にひどいものになることは避けられないでしょう。
 次に、国家の財政出動による事業は、民間では成り立たないが将来的な国の基盤を整備するために必要な事業であればそれなりの合理性はあります。ところが、例えば新エネルギー、具体的には風力発電や太陽光発電は既に検討してきたとおり、それ自身が極めてエネルギー・資源利用効率の低い低品質電力供給システムですから、将来的にエネルギー供給システム自らの首を絞める不良資産になることは明白なのです。このような不良資産を増やすために国費を投入するなど国民に対する背任行為以外の何物でもありません。

 少し冷静に見てください。現在国家が行おうとしている政策は高度経済成長期における『消費は美徳』あるいは『使い捨て』奨励の経済政策と全く同じ構造を持っているのです。まだ使えるモノを持っているのにそれは早めに『使い捨て』もっと良いものに買い換えましょう、もっと高いものを買いましょうという政策です。何のことはない、高度経済成長期のエピゴーネンなのです。その動機付けが『もっと豊かな暮らしを!』から『環境に優しい暮らしを!』にすりかえられただけなのです。しかし本当の目的は『もっと企業を肥え太らすために!』であることは高度経済成長期も現在も同じなのです。
 これは内需拡大による経済成長が可能であった発展途上にあった日本の1960年代における工業生産による資本主義の黎明期にはそれなりの経済合理性を持っていました。しかし同時に、引き続く時代が公害の激化・普遍化の時代になったことを思い出さなければなりません。工業生産の肥大化は環境を悪化させることは必然的・普遍的な結果なのです。

 このような相も変らぬ工業生産による経済膨張政策が『環境対策』だというのですから全くお笑いです。いくら頭の悪いマスコミ・報道機関の諸君も、もうそろそろ気付いてもいい頃のような気がしますが・・・。しかし、資本主義経済体制の内部にガッチリ組み込まれた企業であり、購読者からの購読料よりもスポンサー企業からの収入の方が多いマスコミや報道機関の諸君では、金輪際このような本質的な報道は出来ないのでしょうね。結局私たちのようなアウトローが情報を発信する以外に手はないようです。

No.399 (2009/04/04)衛星?ミサイル??馬鹿騒ぎ・・・

 一体誰が言いはじめたのでしょうか、今回の北朝鮮の衛星打ち上げロケット実験を行ったら打ち落とすなどと・・・。まあ頭の悪い保守系の国防族のお馬鹿議員なのでしょうが・・・。はっきり言って防衛省の制服組はさぞ慌てたことだと思います。

 まず、北朝鮮は衛星打ち上げとして事前に通告し危険水域まで設定しているのですから、建前上北朝鮮に瑕疵はないでしょう。にもかかわらず、日本政府・マスコミのお馬鹿さんたちは弾道ミサイルだと決め付けて報道しています。最悪ミサイル打ち上げ実験であればその段階で非難すべきことです。
 また、日本のマスコミが言っているように確かに衛星打ち上げロケットの技術は即座に弾道ミサイル技術に転用することが可能です。日本のH-2ロケット技術が軍事転用されない保証などないのです。既に日本はH-2で事実上のスパイ衛星を打ち上げていますから、既に軍事技術として機能し始めていることを冷静に受け止めなくてはならないでしょう。マスコミの諸君はそういう視点で原子力開発や宇宙開発の問題をしっかり見ているのですか?

 今日の発射はなかったようですが、早くも防衛体制のほころびが露呈しました。自衛隊制服組の皆さんは地上への落下物がないことを祈っていることだと思います。イージス艦の艦載ミサイルやPAC3を発射した上で打ち漏らしでもしたら大変なことになりますから・・・。

 国とマスコミの馬鹿騒ぎ・空騒ぎを見ていると本当に情けない国だと思います。

No.398 (2009/03/31)太陽光発電電力高値買取に反対する 番外編

 

 この連載を始めて以降、予想どおりネット上のあちこちで自然エネルギー愛好家の方による感情的な反発が見られるようです。ただ、いずれも正面からデータを示した反論と言うものは皆無のようです。勿論批判的な視点で結構ですから、実際のデータと比較して自分の頭で考え、検討していただければ幸いです。

 いわゆる専門家や企業技術者は、その技術によって収益を上げ、生計を立てている人たちなので、残念ながら彼らの『科学レポート』を鵜呑みにすることは出来ません。彼らの主張に対しては、自ら検証してみるという作業が不可欠です。彼らカッコつきの『専門家』集団は、素人相手に平気に嘘を言って自らの既得権益を守るためのデッチ上げを行うことを銘記しておいた方が良いでしょう。

 既に本編で検証したように、太陽光発電の有効受光面積当たりの発電効率の改善は、おそらく現状で殆ど限界に近づいていると考えられます。いずれにしても屋外環境における天候条件や太陽光発電装置からの赤外線放射による発電効率の低下が避けられないので、顕著な改善はあり得ません。色素増感などという小手先の技術ではどうしようもないのです。

 そのような中で、批判の中心は結晶シリコンやアモルファスの利用による製造プロセスの改善による投入エネルギーの削減によって太陽光発電は実質的な電力生産を行うという反論のようです。これは極めて近視眼的な判断です。

 例えば、単結晶シリコンを使用する太陽光発電では、厚さは300μm程度でしたが、薄膜多結晶シリコンを使用するタイプでは厚さは1/100程度にすることが出来ると言われています。それではこの技術革新によって、太陽光発電パネルの価格が1/100になったのでしょうか?現実には顕著な価格低下にはなっていないようです。これは、厚さを薄くするためにその他の太陽光発電パネル製造工程でエネルギー投入が増加したことを示していると考えられます。トータルではそれほど顕著な投入エネルギーの削減効果がないことを示しているのです。

 また、従来の単結晶タイプに比べて薄膜多結晶シリコンやアモルファスタイプでは太陽光の放射強度に対する電気への変換効率が低く、また光化学的な安定性が低いため耐候性が低く、発電能力の経年劣化が顕著で耐用年数の短縮が起こります。この連載中にアモルファスタイプの太陽光発電を設置している方から発電実績データをご提供いただきましたが、発電能力の経年劣化はかなり顕著なように見受けられました。

 更に、本編で述べた通り、太陽光発電をはじめとする自然エネルギー発電による電力供給の本質的な問題は、制御不能な不規則変動をする低品質の電力であることなのです。これを調整するための太陽光発電電力供給システムを構成する『太陽光発電装置以外のシステム』が極めて巨大なシステムとなり、極論すれば太陽光発電装置のエネルギー・コストがゼロになっても、既存の石油火力発電に対抗出来ないのです。


 さて、これまでは国の新エネルギー政策を額面どおりに受けて議論してきましたが、実際には新エネルギーの導入によって石油消費を顕著に削減することなど本気では考えていないのです。確かに新エネルギーを本気で導入した場合の経済的・環境的破壊が起こることがないという意味では幸いではありますが、これは国民に対する背任行為であり別の意味で許されない行為です。これに踊らされている環境NPOをはじめとする新エネルギー導入推進論者諸君はこのことをよく考えてみてください。
 例えば連載中に次のようなメールをいただきました。


件名 途中アホらしくなって見てません(爆)

貴方たち暇ですね!!
こんな反論してどうなるんですか!?
一つのことを取り上げて、グチグチグチグチ!
もっと大きなところ(グローバル的に)で見ることはできないのですか!?
地球のサイクルより早い危機の訪れ! =  温暖化。資源の枯渇。違う意味での経済不況。
これらを解決する為、一生懸命考えた上での政策でしょう!!
今、官民力を合わせて乗り切る事が大事!!そして、貴方方にもいらっしゃるお子さんやお孫さん達が不安の無い生活をおくる為には、必要不可欠なのです!
ならば、多少の痛みは買ってでもするべき!
売電買取価格の2倍はイカン崎だとか、電気代のコストが高いだの屁理屈言っとらんと協力しんさい!!
それじゃあ何んですか!?この他に世界中の人たちが共感、協力出来る方法があるんですか!?
ある訳ナイ!ですね。
貴方方がやってる事は野党と一緒!ガス屋と一緒ですよね!
日本国民として恥ずかしいから、このプログ消して解散しなさい!!


 この方の理論は支離滅裂ではありますが、少なくとも本気で国の言う新エネルギー政策によって環境問題が改善されることを信じて、このHPの主張に対して義憤に燃えて批判されていることは良く分かります。しかし、国や企業技術者はそんなことは本気で考えてはいないのです。

 

 まず、上図で分かる通り、現状の総発電電力量に占める『地熱及び新エネルギー』の割合は1%程度です。

 

 更に新エネルギーの内訳を見てみると、2005年実績で見ると太陽光発電は新エネルギーの中に占める割合は数10分の1に過ぎません。たとえ現状を10倍、20倍にしたところで総発電電力量に占める割合は1%程度に過ぎないのです。これでは何の役にも立ちません。

 つまり、今回の太陽光発電電力の高値買取とは、太陽光発電の導入によって石油消費量を削減するという『名目』で消費者大衆から金を騙し取って、その金を太陽光発電装置製造メーカー及びその関連企業で食い物にすることを国家が仲介すること『だけ』が目的の、とんでもない制度なのです。

 太陽光発電について導入を考えている皆さん、あるいは導入促進を目指している環境NPOの皆さんに、今回示したような視点から、今一度自分自身の頭で論理的に考えることをお願いしたいと思います。


 連載『太陽光発電電力の高値買取に反対する』をまとめて再構成したレポート『太陽光発電電力高値買取に反対する』を本編に公開しましたので、ご覧いただければ幸いです。

(2009/04/14追記)

No.397 (2009/03/30)太陽光発電電力高値買取に反対する そのG

 

7.太陽光発電導入は最悪の経済対策

7-1 これまでの議論の総括

@工業生産

 工業生産とは、基本エネルギー資源(石油・石炭)から得られるエネルギーを使って、原材料資源を加工して製品を作ることです。その結果、あらゆる工業製品価格には工業生産プロセスで投入されたエネルギー量に応じた費用が含まれています。極めて特殊な希少原材料を多用する工業製品を除けば、工業的に生産された製品価格が高い製品とは工業生産プロセスにおいてそれだけ多くのエネルギーが投入されていることを示唆しています。

A電力化によって社会的エネルギー利用効率が低下する

 

 電気エネルギーは有用エネルギーを『変換』して利便性を高めることを目的に使用されています。利便性を高めるための迂回過程が付加される結果、エネルギー損失が生じるために総合的なエネルギー利用効率は低くなります。社会全体のエネルギー資源(石油・石炭)利用効率を高くし、エネルギー資源消費を抑制するためには、電気でなくては利用できない電子機器などを除けば、出来る限り電気を使用しないことが必要です。低温熱源としての電気の利用は極力排除することが必要です。『オール電化』によって、石油消費量は確実に増大します。

B太陽光発電の大規模導入は石油を浪費し工業生産規模を拡大する

 太陽光発電パネルの主要原料であるシリコンはありふれた材料であるにもかかわらず、太陽光発電パネルあるいは太陽光発電電力価格が極めて高価であることから、太陽光発電パネルの製造プロセスでは非常に多くのエネルギー投入があることを示しています。同時に、石油火力発電を代替するためには工業生産規模が飛躍的に膨張することを示しています。
 この連載での検討では、供給電力の質的問題を無視したとしても、石油消費量で2倍以上、工業製品価格で18倍以上になると推定しました。実際に太陽光発電システムを石油火力発電システムの一部代替として大規模導入するためには、低品質の太陽光発電電力を安定化させ出力調整するために更に蓄電池の付設や揚水発電所の建設が不可欠になるため、社会的な負担は更に増大します。また、太陽光発電設備増産のための生産設備の建設にも大きな社会的負担が伴います。
 これらを総合して判断すれば、石油火力発電に替えて太陽光発電システムの大規模導入によって、同じ便益を得るための社会システム全体の石油利用効率は著しく低下し、したがって石油消費量は飛躍的に大きくなるのです。

7-2 太陽光発電電力高値買取の意味

 これまで検討してきた結果から、石油火力発電システムの一部を太陽光発電によって代替することによって、電力供給部門向けの製造業の市場規模は少なくとも20倍以上に膨れ上がることになります。導入量を多くしていけば更に揚水発電所を数多く建設することが必要になり、公共土木事業が息を吹き返すことになるでしょう。
 本来、工業生産に過度に依存した現在社会の環境問題を改善するためのはずの太陽光発電の組織的・大規模な導入によって現実には工業生産規模は爆発的に肥大化し、更に揚水発電所のダム建設によって里山の自然環境が直接的に破壊されることになるのです。太陽光発電の導入は環境破壊なのです。高価であるが故に、環境破壊的な発電方式であると言うのが太陽光発電システムの実態なのです。

 『環境に良いが高価であるから普及しないので、公的資金の導入や消費者負担によって財政的な補助を行うことで太陽光発電を普及させる』と言う国家戦略そのものが根本的に間違っているのです。実際には企業技術者の多くは太陽光発電がなぜ高価であり、とても投入エネルギーを取り返すことは出来ないと承知しています。その意味でこれは太陽光発電メーカーによる国家あるいは世界規模の組織的な詐欺と言ってよいでしょう。あるいは、国の政策担当者は承知しているのかもしれませんが・・・。
 太陽光発電の高値買取制度とは、電力会社をトンネルとしてこうした太陽光発電装置製造メーカーという詐欺集団に対して、受ける便益に対して極めて割高な電気料金を一般消費者からむしりとって横流しする制度なのです。

7-3 太陽光発電システムの大規模導入による経済の短期的影響と長期的影響

 確かに、この太陽光発電電力高値買取制度によって短期的には製造業の市場規模が大きくなり、一時的に経済を活性化させることになります。しかし、太陽光発電を大規模に導入すればするほど、石油消費量は多くなるにもかかわらず供給される電力量は減少します。投入エネルギーに対する利用可能エネルギーの少なさという本質的な問題が顕在化し、社会の必要とするエネルギー供給を賄うための社会的な(環境的、財政的)負担があまりにも大きくなり、社会・経済構造がこれに耐えられずに破綻することになります。

 いわゆる公共事業のような、経済的に成り立たない事業あるいは不必要な事業を行うことによって経済を活性化することが可能なのは、経済システムのどこかに極めて収益性の良い部門があり、有り余る財貨を投入することが可能な場合、あるいは、投入財貨以上の実質的な経済成長が生じる場合です。
 太陽光発電のような非効率なシステムの大規模導入を強制することによって、工業に依存する社会の本質的な基盤であるエネルギー供給部門が肥大化するとともに非常に収益性が悪くなります。これを維持するためには提供する便益以上の資金投入が恒常的に必要となり、太陽光発電システムを維持するためのコスト負担がすべての工業生産過程に波及し、ついには社会的に耐えられなくなることは当然です。エネルギー価格の高騰に端を発して、工業製品の限りない高騰と収入の減少、貧困な生活の中の高電気料金負担に国民は耐えられないのは当然です。
 また、国は今回の高値買取は太陽光発電が一人立ちするまでの過渡的な措置と言っていますが、技術的に見て将来的にも本質的に非効率な太陽光発電システムが一人立ちすることがあり得ないことは既に述べた通りです。

7-4 CO2地球温暖化と太陽光発電

 世界のすべての国がCO2地球温暖化ないし太陽光発電の導入という共同幻想を持っている場合は良いのですが、あまり豊でない国にはこのような詐欺に付き合うような経済的な余裕はありません。そのような国では、経済的な石油・石炭によるエネルギー供給システムを使うことになります。そうなれば、日本や先進工業国の輸出産業はエネルギー価格の格差によって国際市場における競争力を失い壊滅的な打撃を受けることになります。
 そうさせないために、日本を含む先進工業国グループは、なんとしてもこの共同幻想をすべての国に対して信じるように強制することが必要になります。その仕掛けがCO2地球温暖化仮説であり、京都議定書の意味するところです。特にこの戦略を成就させるためには是が非でも中国を中心とする新興工業国の参加が不可欠なのです。

8.結論

 CO2地球温暖化を防ぐために電力供給部門からのCO2排出量削減すると同時に、経済を活性化させ工業生産による豊かさを両立させると言うバラ色の謳い文句で登場した太陽光発電をはじめとする新エネルギー技術でしたが、残念ながらそのような夢の技術は存在しないのです。過度の工業生産への依存を強めたことの結果によってもたらされた環境問題を更なる工業化で克服しようと言う最初の発想に誤りがあるのです。
 少し考えてみてください。国や企業の言う環境に優しい技術による最新のハイテク機器をすべての人が使用すれば環境問題は解決するのでしょうか?世界中の人々がすべて『オール電化』のセキスイハイムやパナホームに住み、屋根には太陽光発電パネルを備え、家庭用燃料電池を設置して、車はプリウスかインサイトに乗ると石油消費量が減るのでしょうか?最新の省エネ製品が発売されたら次々に最高の省エネ製品に買い換えていけばよいのでしょうか?

 

 問題の本質は、既に私たちを含めた『工業国の住民』の生活が工業生産に過度に依存していることであり、この問題を本質的に改善するためには工業生産に対する依存度を減らしていく以外に選択肢はないのです。

No.396 (2009/03/25)太陽光発電電力高値買取に反対する そのF

 

6.太陽光発電の大規模導入による環境負荷の増大

6-1 太陽光発電電力の原価

 前回の検討で、太陽光発電の発電能力がどのようなものかある程度明らかになったと思います。まず、太陽光発電装置を実際に運用した場合の供給電力の原価を考えることにします。
 太陽光発電について、国の公式な評価による発電原価を次の表に示します。

 

 これによりますと、住宅用の小規模太陽光発電装置では66円/kWh、非住宅用の大規模太陽光発電装置では73円/kWh程度とされています。
 この数値を検証しておくことにします。前回紹介したとおり、日本国内の太陽光発電の平均的な実績として100kWh/(年・m2)を仮定し、住宅用3kWシステムの有効受光面積を30m2、耐用年数を17年、設置費用を250万円として試算することにします。
 耐用期間内の総発電量は、

100kWh/(年・m2)×30m2×17年=51,000kWh

発電に関わる費用は設置費用だけだとした場合、発電原価は次の通りです。

2,500,000円÷51,000kWh=49円/kWh

 このHPの閲覧者の方からいただいた情報では、受光面積は26m2程度と言うことですので、これを使って修正すると、57円/kWh程度と言うことになります。公式の評価66円/kWhは多少高目のようですが、まずまず妥当な評価のようです。ここでは、平均値をとって(66+49)/2=57.5円/kWhとして検討を進めることにします。

6-2 肥大化する工業生産システム

 石油火力発電電力の発電原価は8円/kWh程度です。

 まず、電力原価の単純な比較で考えると、石油火力発電に比較して太陽光発電の電力原価は57.5円/kWh÷8円/kWh≒7.2倍にもなります。この7倍以上に膨れ上がる電力原価の社会的負担の増加は、一体誰が負担することになるのでしょうか?この電力供給源の変化によって、消費者の受ける便益は変化しないにもかかわらず、その負担は環境税による大衆課税にしろ電力料金の値上げにしろ、結局は消費者自身が負担することになるのです。

 石油火力発電と太陽光発電の原価構成には大きな違いがあります。石油火力発電の電力原価には、タービンを回すための燃料費と発電所建設の費用と運転費用が含まれています。燃料費は原価の60%程度、それ以外の40%は発電所建設とその運転費用です。
 燃料費以外の経費を発電施設建設及び、メンテナンス用の工業製品費用とすれば、火力発電所を運用するために必要な工業製品の費用と考えることが出来ます。これは、8円/kWh×0.4=3.2円/kWhになります。
 一方、太陽光発電では、発電のためのエネルギー源は太陽光なので、発電原価はすべて太陽光発電装置と言う工業製品の費用です。ここでは、57.5円/kWhです。
 つまり、太陽光発電では、単位発電電力当たり経済価値で石油火力発電の57.5円/kWh÷3.2円/kWh≒18倍の工業製品を必要としていることになります。
 勿論、石油火力発電所と太陽光発電装置では工業製品の質に違いはありますが、工業製品価格で20倍近くの開きがあることは、石油火力発電を太陽光発電で置き換えることによって社会システム全体におけるエネルギー供給分野の工業生産規模を飛躍的に大きくする必要があることを示唆しています。

 ここでの検討では、太陽光発電装置だけについて検討しましたが、太陽光発電システムを電力供給システムとして組織的に導入する場合には、更に個別太陽光発電装置用の蓄電池と揚水発電所の建設も加算することによって、初めて社会的な負担が求められるのです。こうした出力調整用の付加的な設備も非常に大きく、これを加えた太陽光発電システムの組織的な導入によって、工業生産規模は更に大きくなるのです。揚水発電所の乱開発は里山の直接的な環境破壊にもつながる大きな問題を孕んでいます。

6-3 太陽光発電は石油浪費発電

 太陽光発電のエネルギー・コストについての先駆的な研究として室田武によって次のように報告されています。


 ・・・(前略)太陽電池による太陽光発電のような技術について、設備の製造・維持に要する貨幣コストの概略は知られているから、そのデータを頼りにしてエネルギー・コストを推定してみると、いちおう妥当と思われる耐用年数の仮定の下で、電力産出一単位当たりの石炭・石油エネルギー投入量は、太陽光発電の方が火力発電より、少なくとも三倍程度高い。
(室田武著『新版 原子力の経済学』日本評論社、1981.8)


 前節で、火力発電の原価構成について、燃料費は原価の60%程度、それ以外の40%は発電所建設とその運転費用だとしました。石油火力発電の燃料費を含めたエネルギー・コストを算定します。石油火力発電所は工業的生産手段によって作られているので、燃料以外の経済コスト40%の内には石油火力発電所と言う工業製品を作るためのエネルギー・コストを含んでいます。その割合を20%だと仮定すると、燃料費を含めた総エネルギー・コストは次のように求められます。

8円/kWh×0.6+8円/kWh×0.4×0.2=5.44円/kWh

 これに対して、太陽光発電装置製造費用の20%を同じくエネルギー・コストだとすると、以下の通りです。

 57.5/kWh×0.2=11.5円/kWh

 つまり、単位発電電力量当たり、太陽光発電は石油火力発電に対して11.5円/kWh÷5.44円/kWh=2.1倍の石油を消費しているのです。

 太陽光発電パネルの主要材料であるシリコン結晶を製造する過程は莫大な電力を消費するため、エネルギー・コストの割合20%はもう少し大きめの値を設定しても良いかもしれません。この数値は室田の検討した当時からの太陽光発電装置製造プロセスの改善があるとして妥当な数値だと考えます。

 以上を要約すると、石油火力発電における燃料を含めた石油消費の合計費用(エネルギー・コスト)を1単位とすると、石油火力発電を発電量の等しい太陽光発電装置で置き換えることは、石油火力発電所で消費される石油1単位を削減して、その替わりに太陽光発電装置製造工場で石油2.1単位を投入して、石油火力発電所の18倍の工業製品価格の太陽光発電装置を製造することなのです。つまり太陽光発電装置を導入することによって、石油消費量(=CO2排出量)は2.1倍になり、工業生産規模は18倍になるのです。

 次に、参考のために現在導入が検討されている個人住宅用蓄電装置を併設した場合のエネルギー・コストを算定しておきます。少し甘い条件ですが、蓄電池の耐用年数は太陽光発電装置と同じ17年とします。この場合の太陽光発電電力の原価とエネルギー・コストは次の通りです。

(2,500,000円+1,500,000円)÷51,000kWh=78円/kWh
∴78円/kWh×0.2=15.6円/kWh

この場合、単位発電電力量当たり、太陽光発電は石油火力発電に対して15.6円/kWh÷5.44円/kWh=2.9倍の石油を消費していることになります。

 太陽光発電や風力発電に対して、『コストは高いが石油消費量を削減できる』と考える発想は、現在の工業生産過程の仕組みに対する科学的・技術的な検討を怠った宗教的な信仰に過ぎないのです。高価な工業製品、ここでは太陽光発電電力は高度な工業製品であり、その製造設備である太陽光発電装置はエネルギーを大量に消費する工業生産過程の産物なのです。『高価な工業製品は大量のエネルギー消費によって成り立つ』と言うのが工業製品の本質的・普遍的な特性なのです。

No.395 (2009/03/23)太陽光発電電力高値買取に反対する そのE

 

5.太陽光発電能力の検討

 既に前回示したとおり、太陽光発電を電力供給の一端を担わせるような組織的な導入を考える場合には、太陽光発電装置単独の発電能力とは、太陽光発電による電力供給システムの一部を構成する技術に過ぎず、あくまでもバックアップシステムや供給電力の調整装置を含めた社会的なシステム全てを考慮して判断しなければなりません。

 このことを理解した上で、太陽光発電装置そのものの性能あるいは将来的な展望について少し検討しておくことにします。

5-1 太陽光発電の『定格』、あるいは最大発電能力

 通常、定格という言葉は、定められた使用条件下において発揮される機能というほどの意味で用いられます。逆に言えば、使用条件を適切に設定した場合に保証される能力といっても良いでしょう。
 ところが、太陽光発電や風力発電など、自然エネルギーを利用するシステムでは、利用するわれわれの側で自然エネルギーを制御できませんから、本来的な意味で定格を定めることは困難です。

 このような不安定なシステムの性能を相対的に比較する尺度としてワットピーク(watt peak、Wpと略記)というものが利用されています。これは、仮想の標準的な使用条件を定め、その条件下による性能を示すものです。太陽光発電の標準条件は、放射強度1,000W/m2、太陽光発電パネル温度25℃、エアマス1.5と定められています(エアマスとは大気厚の尺度で、赤道上海抜0メートルの南中時の値をAM1.0とした場合の相対的な値。)。
 太陽光発電の放射エネルギーに対する電気への変換効率は標準条件下で20%程度、つまりWp=200W/m2程度です。

 現在、最も普及していると考えられる住宅用の3kW太陽光発電装置について考えてみることにします。太陽光発電装置の種類(単結晶シリコン、多結晶シリコン、アモルファス等)によって能力の違いがありますが、平均的にみてその有効受光面積は30m2程度とします。この場合、メーカーが保証する『定格』発電能力は、実際の使用環境における最適条件下で3kW程度の出力が得られると解釈出来ます。

 実際の日本における最適な条件とは南中高度の高い夏場の快晴日の正午前後の条件になります。夏の快晴日の地表面における全天日射強度の実測値を次の図に示しておきます。

 

 この実測値から、夏場の南中時の日射強度は概ね1,000W/m2であり、標準条件の放射強度とほぼ対応しています。日本の緯度における大気圏外の夏場の太陽放射強度は1,300W/m2程度ですが、大気の存在による影響で地表面では1,000W/m2程度に減衰しています(1,000/1,300=0.77=77%程度。)。前回紹介した、太陽光発電装置の発電量の実測値を再掲しておきます。

 

 実際の発電量を見ると、メーカーの言う定格出力に対して60〜80%程度の値を示しているようです。ここでは多少甘い条件ですが、使用環境における夏場の南中時=1,000W/m2に対して、定格出力の発電が可能だと仮定しておきます。この条件で、太陽光発電パネルの単位面積当たりの最大発電能力を算定することにします。家庭用3kW太陽光発電パネルの有効受光面積を30m2とすると以下の通りです。

3kW/30m2=0.1kW/m2=100W/m2

つまり、地表面における全天日射強度1,000W/m2に対して、実際の使用環境における最大発電能力はその10%の100W/m2程度と言うことになります。これは、Wp=200W/m2の半分程度の発電効率です。

5-2 太陽光発電の平均的な実効発電効率

 前節では、太陽光発電装置の最大発電能力について見てきました。しかし、実際の屋外における使用環境では天候や気温の影響を受けるため、太陽光発電装置の最大発電能力はそれほど重要ではありません。最も重要なのは日本と言う場所における実際の屋外環境で運用された発電実績を検討することなのです。

 日本における太陽光発電の平均的な発電実績は100kWh/(年・m2)=0.274kWh/(日・m2)程度と言われています。このHPに寄せられた個別データからもこれは妥当な値だと思われます(もし詳細なデータをお持ちの方がいればデータの提供をお願いいたします。)。
 今、平均的な一日の太陽放射量を春・秋分日で代表させるものとします。春・秋分日の南中時の大気圏外における太陽放射強度は1,100W/m2程度なので、この場合の地表面における全天日射強度をs=1,100×0.77=847W/m2と仮定します。日の出から日没までの時間をD=12時間として、その間の分布をサイン曲線で表現できるものとします。

 

春・秋分日の地表面の単位面積あたりの受ける放射量は、時間軸とサイン曲線で囲まれた部分の面積になるので、次のように求められます。

847W/m2×2×12(h/日)÷π=6,471Wh/(日・m2)=6.471kWh/(日・m2

 以上から、太陽光発電装置の全天日射強度に対する平均実効発電効率は、

0.274kWh/(日・m2)÷6.471kWh/(日・m2)=0.042=4.2%
になります。
 太陽光発電装置の発電能力が放射強度に比例すると仮定すると、発電効率は一定になるはずです。ところが、5-1で示した通り最大発電能力については発電効率は10%程度なのに対して、年間の平均的な実効発電効率は4.2%にまで低下します。日射強度以外に発電能力は影響されないと仮定すると、この平均実効発電効率の低下の原因は天候による日射量の低下の影響だと考えられます。つまり、太陽光発電装置の発電効率を技術的にいかに高めたとしても、天候による58%の低下は避けられないことを示しているのです

5-3 太陽光発電効率の限界

 太陽光発電をCO2温暖化対策の中心的な技術の一つとする国やNEDOは、太陽光発電効率の改善のための技術開発を行い、発電効率40%を目指すとしています。ここで言う発電効率は、勿論屋外環境における実際の運用における実効発電効率ではなく、標準条件下のワットピークであることに注意してください。

 5-1節において示した通り、現在の太陽光発電パネルのワットピークはWp=200W/m2程度、発電効率では20%程度です。ところが、屋外環境における全天日射1,000W/m2に対する実際の最高発電能力は100W/m2程度、発電効率は10%程度であることを紹介しました。これは、実際の個人住宅用の太陽光発電パネルが性能的に低いものを利用しているからではありません。

 ワットピークを定義する標準条件は、放射強度1,000W/m2、太陽光発電パネル温度25℃、エアマス1.5でした。しかし、実際の屋外環境の運用では、真夏の晴天日の南中時には太陽光発電パネルの温度は60℃以上になります。このワットピークの条件温度25℃と実際の太陽光発電パネル温度60℃の違いが大きな意味を持つのです。

 まず熱学的に見て、ワットピークの理論的な上限を求めることにします。物体は、その表面温度によって放射線を放射しています。物体からの放射線強度を黒体放射で近似できると仮定すると、絶対温度Tの物体表面からの放射強度σはステファン・ボルツマンの法則から以下のように求めることが出来ます。

σ=5.67×10-8×T4 W/m2 (5.67×10-8W/m2・K4:ボルツマン定数)

 太陽光発電パネルの表面温度を標準条件である25℃=(25+273)K=298Kの場合の表面からの赤外線放射強度は次のように求めることが出来ます。

σ=5.67×10-8×2984 W/m2=447W/m2

 つまり、標準条件下で1,000W/m2の放射を受ける表面温度25℃の太陽光発電パネルは、その表面から447W/m2の赤外線を放射していることになります。つまり、エネルギー保存則から、どのような技術開発を行ったとしても、受取る太陽放射強度1,000W/m2の内、電気に変換できるのは(Wpmax=(1,000−447)=553W/m2未満になります。つまり、標準条件下における発電効率の理論的な上限は55.3%になります。国やNEDOの目標とする40%の発電効率を実現することはかなり難しい目標であろうと考えられます。

 次に、実際の屋外環境における最大発電能力を考えることにします。屋外環境において真夏の南中時の全天日射強度を1,000W/m2、太陽光発電パネルの表面温度を60℃(=333K)、太陽光発電パネル表面における反射や塵による散乱を10%程度とします。この場合の発電量の理論的な上限値は次の式で求めることが出来ます。

1,000×(1.0−0.1)−5.67×10-8×3334=900−697=203W/m2 (発電効率20.3%)

同様に表面温度が65℃の場合には次のようになります。

1,000×(1.0−0.1)−5.67×10-8×3384=900−740=160W/m2 (発電効率16%)

 5-1節で示した通り、屋外環境における運用において太陽光発電パネルの最大変換効率は既に10%程度に到達しています。今後どのように技術改良が行われたとしても、現在の太陽光発電能力が2倍になることはあり得ないのです。むしろ、発電効率は既に限界に近づいていると考えるのが妥当ではないでしょうか。
 国やNEDOの標準条件下における発電効率の目標値40%が実現できたとしても、屋外環境における実効発電効率が現在の2倍になることはないのです。


 以上に示した通り、5-2節で示した気象条件による発電効率の低下58%、あるいは太陽光発電パネル表面温度による赤外線放射については、太陽光発電パネルの技術的な変換効率の改善とは無関係なのです。今後、太陽光発電パネルにどのような技術革新があったとしても、実効発電効率が飛躍的に改善されることはないのです。

No.394 (2009/03/22)太陽光発電電力高値買取に反対する そのD

 

4.太陽光発電の基本的な問題点

4-1 ソフト・エネルギー・パスと自然エネルギーの大規模利用

 前回触れたように、太陽光や風力の利用は、脱原発あるいは過度の工業化による環境問題の激化に対するアンチテーゼとして生まれました。この動きは、精神的にはヒッピー・ムーヴメントの『自然への回帰』の思想的な潮流の影響を少なからず受けているように思われます。そのためか、その後の環境保護運動の中には理念だけが先行するなかば宗教化した運動も多く見受けられるようです。

 エモリー・B・ロビンズのソフト・エネルギー・パスの基本理念は脱工業化の方向性を正しく示しているように思います(ただし、最近の彼がどのような行動をしているかは疑問ですが・・・。)。それは以下のように特徴付けられるでしょう。

@自然エネルギーの小規模利用
Aエネルギーを使用する場所で分散的に自然エネルギーを利用
B誰にでもわかるエネルギー利用技術

 このソフト・エネルギー・パスと呼ばれるエネルギー利用形態の導入の前提は、既存のハード・エネルギー・パス、つまり石油や原子力などの強力なエネルギーの集中・大規模利用に支えられている肥大化した工業生産システムに過度に依存している社会システムを脱却して、地域に根付いた分散型で自給的な農林水産業に基盤を置く社会システムへの移行です。
 なぜならば、自然エネルギーとはその特性としてどこにでもある普遍的なエネルギーですが、それ故エネルギー密度が低く、従来の石油エネルギーなどに比較すると同量のエネルギーを得るためには莫大なエネルギーの捕捉装置が必要になり、結果として工業生産規模を更に肥大化させることになるからです。
 例えば、前の連載『新エネルギーは環境破壊 そのE』で示したように、電力の質に対する評価は考慮せずに、単に絶対的な発電能力だけに着目しても、総重量4t程度の200kWディーゼル発電機相当のエネルギーを得るためには、風力発電では高さ100mにも達する、上部構造だけで総重量160tにもなる巨大風車が必要であり、太陽光発電では115m四方の太陽光発電パネルが必要になるのです。
 つまり、自然エネルギーをただ導入すれば問題が解決されるわけではなく、むしろ第一に重要なことは過度に肥大化した工業生産に依存した社会システムを脱却して分散的で自給的な社会システムに移行することなのです。
 ソフト・エネルギー・パスないし自然エネルギーの利用というものは石油や原子力というハード・エネルギー・パスを量的に単純に代替するものではないのです。単純に置き換えを行おうとすれば、自然エネルギーのエネルギー密度の低さから現在以上に巨大な規模のエネルギー捕捉・供給施設が必要となり、その結果として工業生産規模の拡大をもたらし、社会的システムやその基盤になる生態系に対する負荷を増加させ環境問題は更に悪化することになるのです。

 現在のCO2地球温暖化対策として導入されようとしている太陽光発電や風力発電装置は、工業生産に基づく物質的豊かさを維持しつつ、エネルギー供給システムだけを変えようとするものです。その結果、太陽光発電や風力発電に求められる機能は、大規模化、集中化であり、これはロビンズの定義からはむしろハード・エネルギー・パスに属する技術なのです。
 また、100mの高さにも達する巨大風車の製造・建設や、国土面積の数%〜数10%にも及ぶ広大な太陽光発電パネルの製造は、ハード・エネルギー・パスに支えられた巨大な工業生産力がない限り実現することは不可能なのです。
 ソフト・エネルギー・パスとは、ただ単に我々の利用するエネルギー源を石油やウランから太陽光や風力に変えるだけでなく、その捕捉装置の製造を巨大工業に依存しない誰にでもわかる手工業的な製造方法で実現することが必要なのです。ソフト・エネルギー・パスとは、産業革命以前の伝統的な粉挽き風車や揚水水車あるいはパッシブ・ソーラーなどの技術の延長線上にあり、巨大工業生産システムを必要としないものなのです。

 現在の環境NPOや国家によって計画されている大規模な自然エネルギー利用における『自然エネルギーの利用なのだから無条件に環境問題を克服し、石油依存度を減らすことになる』という発想は観念的なものであり、それによって基本的な問題点についての科学的・技術的な検討を放棄してしまったことに問題の根源があるのです。

4-2 太陽光『発電』の本質的問題

 太陽光は、最も根源的な『自然エネルギー』だと考えられます。太陽光は地球大気を暖める熱源であり、気象現象を引き起こす根源的なエネルギーです。大気の運動である風も太陽光によって温められた大気の対流運動と地球の自転運動によって生じています。また、大気運動によってもたらされる降水の位置エネルギーも本をただせば太陽光によってもたらされると考えられます。

 現在、新エネルギー政策によって導入されようとしている自然エネルギーの利用法は電力供給技術としての利用です。ここに一つの致命的な欠陥があるのです。
 電気エネルギーとは本質的に発電と同時に消費されるという特性があります。つまり、供給すべき発電量は電力需要に即応しなければならないのです。

 上図に示すように、短期的には電力需要は1日周期で変化しています。更に、電力需要は気象条件の変化でも変化します。更に、産業活動や生活パターンによって1週間周期でも変化しています。

 更に、電力需要は季節変化によって1年周期でも大きく変動します。

 電力供給システムでは、常に電力需要を監視し、電力消費量から直近の未来の電力需要の変動を予測して電力供給量を完全に制御しているのです。供給電力と電力需要に大きな乖離が生ずると、電圧変動や周波数変動などによる供給電力の品質低下が起こり重大な影響を生じることになります。

 これに対して、地表面に到達する太陽放射強度を含めて、自然エネルギーの強度は非定常で不規則に変動します。

 

 上の図は、太陽光発電の出力変動の例を示しています。左図は晴天日でも雲によって太陽が翳ると放射強度は急激に低下することを示しています。風力発電ほどではありませんが太陽光発電出力も短時間で激しく変動します。また、右図に示すように、天候によって出力は大きく変動します。更に、太陽光発電は夜間に発電することは出来ません。
 重要なことは、こうした太陽光発電出力は、予測不能で制御することが出来ないことです。太陽光発電技術について、太陽放射強度に対する電気への変換効率という視点からの議論はありますが、こうした不規則で制御不能な出力変動の問題があまりにも軽視されています。この非定常で制御不能な不規則変動をするという太陽光発電出力の問題は技術の本質的・致命的な欠陥なのです。
 特に環境NPO諸君の発想は極めて非科学的かつ無責任です。風力発電に対しても同じことが言えるのですが、彼らの発想は『自然エネルギー=環境に優しいのだから無条件に良い技術』という非科学的な発想に基づき、どのように経済コストがかかっても導入することは正しいのであって、供給電力の不安定性については既存電力供給システムの巨大電力供給ネットワークに系統連係することで、電力会社が解決すべきだという主張を行っています。
 図らずも彼らの主張は、こうした太陽光発電や風力発電は小規模・分散型で、消費地で適切に自然エネルギーを利用するソフト・エネルギー・パスとは似ても似つかない、大規模で巨大な既存のエネルギー供給ネットワークの中で成立するハード・エネルギー・パスを構成する技術なのだということを環境NPO諸君は自ら告白しているのです。

 完全に電力需要に即応する運転が必要な大変デリケートな電力供給において、太陽光発電のような制御不能で発電量の予測の出来ない発電装置を大規模に電力供給システムに直接導入することは技術的に不可能です。
 これまでの小規模な趣味的な利用の個人住宅用の太陽光発電、総発電量の1%未満の殆ど無視できるほどの規模であれば、電力供給システム全体から見ればほとんどノイズ程度と見なすことが出来るため、供給電力の品質に致命的な影響を与えてはいません。
 しかし、CO2温暖化対策という国家事業としてこのような制御不能な不規則変動を示す太陽光発電システムを数%〜数10%などという規模で導入することになれば、重大な影響が発生することは明らかです。
 このような状況から、太陽光発電の大規模導入に当たって、短期的な太陽光発電電力の時間変動の『平滑化』のために、個人住宅への3kW出力の太陽光発電システムの導入と同時に蓄電池の設置が検討されています。その費用は太陽光発電システムの導入費用230万円程度に対して、150万円程度としています。これには大きな問題があります。
 まず、個別住宅用の蓄電装置程度の蓄電池容量ではあくまでも太陽光発電出力の短期間変動の『平滑化』する程度が限界であり、出力を制御できないのは同じなのです。既に述べた通り、電力需要は短い方から1日周期の変動、1週間周期の変動、1年周期の変動があり、巨大な蓄電容量がない限り本質的な出力制御など不可能なのです。
 更に、蓄電池寿命はそれ程長くなく、太陽光発電パネル〜蓄電池システムの耐用年数は更に短くなるのです。仮に太陽光発電パネル耐用期間中に蓄電池を1回更新するとすれば、蓄電池に対する費用は2倍の300万円になるのです。

 太陽光発電システムを電力需要の数10%にまで増やした上で安定運用するためには個人住宅における蓄電装置の設置以外に、原子力発電同様に揚水発電所を併設して長期的な電力需要変動に対処することが不可欠になります。更に、それでも需要に対する欠損は穴埋めできないでしょうから、バックアップ用に調整能力の高い火力発電所を残しておくことが必要になります。しかし、バックアップ用の火力発電所は遊休期間が長くなり稼働率が低くなるため、発電効率は著しく低いものになります。

 太陽光発電のような制御不能で不規則変動するシステムを、電力供給のような需要に即応するように完全な出力制御が必要なエネルギー供給システムに加えるためには、発電装置以外の出力調整用の設備が膨大なものになります。太陽光発電を導入するために必要な調整システムの導入費用と、既存火力発電システムの稼働率低下に伴う発電効率の低下による損失を加えることによって初めて、太陽光発電システム導入の社会的な費用の総額が決まり、太陽光発電システムの『実効』発電効率が評価できるのです。

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