No.431 (2009/10/26)常軌を逸した『NUMO』の謀略広告
〜NUMO『電気の廃棄物』問題を考えるキャンペーン〜

 既に皆さんご存知と思いますが、NUMO(原子力発電環境整備機構)が掲題の謀略宣伝活動を行っています。これは、人為的CO2地球温暖化対策に乗じて、電気事業者が原子力発電を推進するために、高レベル放射性廃棄物処理を国民に認めさせることを目的に行われているものだと考えられます。このキャンペーンのNUMOの要綱を別添資料に示しておきます。要綱の3『メッセージ』に示されている内容は、前回の新聞全面広告の1に示されたものです。
 キャンペーンの主な内容を別添資料に示しておきます。全国的には10月18日にフジテレビ系の全国ネットで放映されたもののようですが、当地では24日に 「仮想生活実験ドキュメント もしも」が放映されました。これは、利用できる電気が少なくなると生活が如何に不便になるかをお笑いタレントを使って実験したと言う体裁をとっています。結論的には今の便利な生活を続けるためには原子力発電が必要であり、これを続けるためには地層処分を受け入れよと国民に対して要求するものでした。
 NUMOはこの1時間15分間の番組を丸ごと買収して、自らの地層処分の必要性を繰り返しCMとして流したのです。CMの内容は、新聞全面広告1の内容を宣伝するものでした。核燃料の95%リサイクルなどと言う、夢物語が既に実現しているような印象を与え、これを維持するためにはNUMOの地層処分が不可欠であると言う流れです。

 

 地層処分については、客観的な印象を持たせるために、九州大学の「専門家」と称する研究者が登場しました。

 

 しかしこれも奇妙な内容でした。安定した地層はモノを閉じ込める性質がある(?!)とは一体どういうことでしょうか。全く意味不明です。また、地層処分の専門家とは本来地質学の研究者ではないでしょうか?このような不正確な情報提供の為にCMに登場することを承諾したこの研究者の自然科学者としての行動に非常に不信感を持ちました。
 25日には、BSフジで「アルピニスト」の野口健氏を登場させた番組があったようですが、受信環境がないために見てはいませんが、内容は推して知るべしでしょうか。野口氏も色々な場面で広告塔としていい様に利用されているようです。彼はヒマラヤなどでゴミ回収だけをしていれば良かったものを・・・。

 NUMOの広告宣伝活動の常軌を逸した異常性は枚挙にいとまがありません。金に飽かせた(その金は私たちの税金や電気料金です!)新聞紙面や公共電波の買収であり、更に、似非ジャーナリストをはじめとする報道する側の人間や『研究者』を買収した情報操作などなど・・・。


10月25日新聞全面広告2

 おそらく、先行するエコ詐欺で成功しているトヨタやパナソニックの状況を見て、CO2温暖化絡みであれば、国民大衆を騙すことはた易いと踏んで、一気に攻勢に出ようとしているのでしょう。

 原子力利用の本質的な問題点から目を背けさせ、地層処分を既定の事実として国民に刷り込もうとするこのキャンペーンに注意しなければなりません。

No.430 (2009/10/19)ふざけた『NUMO』の全面広告

 さて、No.427で、珍しくまともな原発報道をしたNHKの番組を紹介しました。これに比べて、民放は原子力関連の巨大広告費によって完全に買収されているようです。NUMO(原子力発電環境整備機構)も高レベル放射性廃棄物の地下埋設処分について、テレビで『好感をもてる俳優』を使って盛んにCMを流しています。


http://www.numo.or.jp/pr/tvcm/index.html

 一昨日には私の読んでいる地方紙に全面広告を出していました。大口の広告主に対しては新聞においても公正・中立な報道などは全く存在しないと言う訳です。

 短い文章なので、以下に全文を引用しておくことにします。


もう、目をそらす訳にはいかない現実があります。
私たちの家庭をささえる電気。いまや約3割は、原子力発電から。
家庭から「ゴミ」が出るように、原子力発電からも、「廃棄物」が出ます。
日本が原子力発電を使いはじめて、約40年。
今、この瞬間も、「放射性廃棄物」は増えつづけています。
家庭の「ゴミ」には、処分場がありますが、「電気の廃棄物」には、まだ処分場がありません。
フィンランドとスウェーデンでは、すでに決めています。
日本では、まだ、問題の存在さえ広く知られていません。

あなたはどう考えますか?「電気の廃棄物」問題
原子力発電は、使い終えた燃料の約95%がリサイクル可能です。このリサイクルの過程で「電気の廃棄物」(高レベル放射性廃棄物等)が発生します。これらの「電気の廃棄物」は、長期にわたり生活環境から隔離する必要があります。地下300mより深い安定した岩盤に埋設する地層処分は、現在考えうる最も安全な処分方法です。「電気の廃棄物」問題は、電気を使う一人ひとりの問題。みなさんに、考えて議論してほしい問題です。NUMO(ニューモ)はみなさまとともに、この問題を解決へと進めます。

「地層処分」で、解決に取り組む。NUMO原子力発電環境整備機構


 何とふざけた広告の内容でしょうか!?厚顔無恥を絵に描いたような無神経かつ傲慢な文章です。少し検討してみましょう。

@私たちの家庭をささえる電気。いまや約3割は、原子力発電から。
 確かに、発電電力量では3割程度は原子力発電によっています。しかし、これは私たち一般消費者が望んだわけではありません。これは核兵器を保有したいと言う中曽根康弘らの発案によって、当時の自民党保守政権が勝手に導入したものです。
 しかも、発電装置としての謳い文句である「安上がりで石油を節約できる」というのは全くの虚偽であったことが明らかになりました。また電力各社は地域独占の下でレートベース方式という特殊な価格設定を行う事ができるために、原子力発電のようなウドの大木=役立たずで固定資産が馬鹿でかい発電装置を持つことが利潤の増加に繋がるからこそ原子力発電を実施し、一般消費者から法外な電気料金をむしり取ってきたのです。

A今、この瞬間も、「放射性廃棄物」は増えつづけています。家庭の「ゴミ」には、処分場がありますが、「電気の廃棄物」には、まだ処分場がありません。日本では、まだ、問題の存在さえ広く知られていません。
 とぼけた事を言っては困ります。放射性廃棄物の処分場が無いことは当初から分かっており、このような欠陥発電システムは導入すべきではないことが原発反対運動の中で繰り返し主張されてきています。むしろこの問題を国民・一般消費者の目に触れないように隠蔽してきたのが国や電力会社をはじめとする関連企業だったのです。金がかかるから金を集めるために、一転して『この問題は国民全ての問題だからカネを出せ』と言うのがこの広告の目的です。あまりにも手前勝手な理論です。

B原子力発電は、使い終えた燃料の約95%がリサイクル可能です。
 これも、使い古されてきた虚偽情報ですね。通常の軽水炉用のウラン燃料は核分裂性のウラン235を3〜5%含み、その他の大部分が非核分裂性のウラン238で構成されています。

 ここで『95%がリサイクル可能』といっているのは、非核分裂性のウラン238を高速増殖炉に装填して、高速中性子を照射することによって核分裂性のプルトニウム239に核変換することを想定しているのです。ご承知のように、高速増殖炉は未だ安定運用するような技術が確立しておらず、現状では世界のどこにも存在しないのです。『もんじゅ』のナトリウム漏れ事故でも判る通り、極めて困難かつ危険な原子炉です。
 95%リサイクル可能と言うのは、高速増殖炉が安定運用可能な状況になった場合に、『高速増殖炉核燃料サイクル』と言うものが可能であればの話であって、現状では夢物語に過ぎません。このような希望的な『見込み』で原子力発電に足を踏み込んだ結果、高レベル放射性廃棄物処理のとてつもなく大きな問題が起こったのです。原子力利用に見込み発車は二度とやってはならない過ちなのです。
 現在行われている再処理ないし核燃料サイクルは軽水炉あるいは軽水炉でMOXを燃料として使用するプルサーマル方式の軽水炉を対象とした『軽水炉核燃料サイクル』であり、あくまでも軽水炉の使用済み核燃料から燃えカスの核分裂性のウラン235とプルトニウム239を取り出すだけで、高速増殖炉核燃料サイクルとは全く別物であり、95%のリサイクルなど到底出来ないのです。

C地下300mより深い安定した岩盤に埋設する地層処分は、現在考えうる最も安全な処分方法です。「電気の廃棄物」問題は、電気を使う一人ひとりの問題。みなさんに、考えて議論してほしい問題です。
 確かに、既に稼動している原子力発電所からは高レベル放射性廃棄物が大量に排出されており、更にこれから次々に古い原子炉は廃炉となり、解体が現実の問題になってきています。この危険な放射性廃棄物は何とかできるだけ安全に保管するしかないのは現実です。
 しかし、これを目に触れない地下300mに埋設するという方法は極めて危険です。複数の大陸プレートがぶつかり合うところにある弧状列島である日本という国の地層は極めて複雑かつ不安定です。しかも地下水も存在します。長期間にわたって危険な高レベル放射性廃棄物を保管するためにはあまり適した方法とは思えません。
 No.427で紹介したNHKの番組の中で、ドイツの地下処分場の問題が取り上げられていましたが、100%の安全性が保証できない限り、人の目に付きにくい地下埋設は避け、管理の目の届く場所で監視すべきであろうと考えます。

 いずれにしてもこの問題は避けては通れない問題です。全ての原子力利用を即刻凍結した上で、できうる限り最善の策を確立した上で、全ての核関連施設を葬ることが、愚かな原子力利用を許してしまった私たちが未来の世代に対して出来る唯一の責任の取りかただと思います。

参考:核開発に反対する物理研究者の会通信第38号2001年9月
放射能は科学技術を超える劇毒/管理不可能な地下に捨てるな 名城大学槌田敦

 さて、このふざけたNUMOの全面広告の掲載された同じ紙面で、玄海原発のプルサーマル発電関連の記事が掲載されました。以下に紹介しておきましょう。

 

 

No.429 (2009/10/15)CO2排出係数

 前回このコーナーで紹介した『CO2排出係数』について少し説明しておくことにします。環境省による数値を示すと次の通りです。


http://www.env.go.jp/policy/chie-no-wa/download/0502/0502d-2.pdf

 電力に関してはMJ当たりの数値が示されていないので、これを算出しておきます。

1kWh=1000Wh=1000×(J/秒)×3600(秒)=3.6MJ
∴0.378kgCO2/kWh=0.378kgCO2/(3.6MJ)=0.105kgCO2/MJ

になります。電気の発熱量で考えれば(電気を熱として使用する場合には)、燃料の中で最もCO2排出量の大きな石炭よりも多くのCO2を発生すると言うことです。つまり、熱源として電気を利用すればするほどCO2排出量は増加するのです。
 次に、電気のCO2排出係数の元になったデータを調べてみます。


株式会社 PEAR カーボンオフセット・イニシアティブ のホームページより
http://www.pear-carbon-offset.org/common/emission.html

 説明によると、この数値は『これらの原単位データは、電気事業者がそれぞれ供給(小売り)した電気の発電に伴い排出されたCO2の量を、その電気事業者が供給(小売り)した電気の量(販売電力量)で割ることにより算出されたものです。』を示したものです。
 おそらく、電気のCO2排出係数0.378kgCO2/kWhとは、ここに示した電力会社毎の原単位データと各電力会社毎の電力供給量を元に加重平均して求めた値だと考えられます。

 説明にある通り、この数値は『発電のために電気事業者が消費した燃料から発生するCO2の量を計算することができます。』なので、発電設備の製造・建設・廃棄に伴って消費される石油や石炭などによるCO2発生量を考慮していませんので、本質的な意味における発電に関わるCO2排出量を反映していないと言う欠陥があります。
 火力発電では、燃料消費に対して発電設備の製造・建設・廃棄に伴って消費された石油や石炭などによるCO2発生量は相対的に非常に小さいのでそれほど大きな誤差は生じません。
 しかし、原子力発電や新エネルギーでは発電設備の製造・建設・廃棄に伴って消費された石油や石炭などによるCO2発生量はきわめて大きく、これを無視した場合には全く実態とはかけ離れた値になります。特に、総発電量の3割にも達する原子力発電の影響は極めて甚大です。

 このような発電におけるCO2排出量原単位の算出方法や、これに基づくCO2排出係数を用いた新エネルギーのCO2排出削減量は全く実態とかけ離れた結果をもたらすことは当然です。これらの数値を用いれば、見かけ上、電力供給分野からのCO2排出量が減ったように見えても、それを実現するための製造業や建設業、更に廃棄物処理業に関わるCO2排出量が爆発的に伸びるのであり、発電分野のCO2排出量を拡大して他の工業分野に付け替えるだけの数字のお遊びに過ぎません。

No.428 (2009/10/13)CO2排出削減量とは何か?

 このコーナーのNo.424において、この10年間、日本は新エネルギーを導入してきたにもかかわらず、CO2排出量は減るどころか大幅に増加したことを紹介しました。新エネルギーの導入によってCO2を削減すると言うことに大きな誤りがあるのではないでしょうか?国によれば新エネルギーはCO2を排出しないから新エネルギーを導入すればそれだけCO2排出量は減少すると言うロジックであるようですが、そもそもこの考え方が実態を全く反映していない誤ったものだと言うことです。
 そこで、国や行政の言う新エネルギー導入によるCO2排出削減量の具体的な推定方法を検討してみることにします。

 商用電力のCO2排出係数

 「地球温暖化対策の推進に関する法律施行令」において、商用電力のCO2排出係数が定められています。その値は0.378kg-CO2/kWhです。この値は、商用電力1kWh当たりの平均的なCO2排出量を求めたものだと考えられます。

つくば市の太陽光発電によるCO2排出削減量

 つくば市の4つの公共施設に設置されている太陽光発電施設の場合について検討してみます。
つくば市のホームページに公開されている資料によると、4つの公共施設に設置されている太陽光発電施設の平成20年度の総発電電力量は65,904.2kWhです。そのCO2排出削減量として24.7t-CO2=24,700kg-CO2が計上されています。この数値から、1kWh当たりのCO2排出削減量を求めると次の通りです。

24,700kg-CO2÷65,904.2kWh=0.375kg-CO2/ kWh≒0.378kg-CO2/ kWh

 つまり、つくば市の報告書に示されている太陽光発電によるCO2排出削減量とは、単純に発電電力量に商用電力のCO2排出係数をかけた値に過ぎないのです。この削減量と称している値には、太陽光発電装置を製造・建設・運用するために投入されたエネルギーは一切考慮されていないのです。

横浜市の風力発電によるCO2排出削減量

 風力発電について、横浜市のホームページに紹介されている「ハマウィング」(定格出力1,980kW、全高118m、上部工重量237t)の記事に紹介されているCO2排出削減量を検討することにします。
 ホームページでは、計画年間発電電力量を3,000,000kWh(設備利用率17.3%)として、CO2排出削減量を1,100t-CO2=1,100,000kg-CO2と算定しています。CO2排出係数を用いて計画年間発電電力量からCO2排出削減量を求めると次の通りです。

0.378kg-CO2/ kWh×3,000,000×kWh=1,134,000 kg-CO2≒1,100,000 kg-CO2

 ここでも、この巨大風車の製造・建設・運用に投入された膨大な量の投入エネルギーは一切考慮されていないのです。
 蛇足ですが、このハマウィングも他の既設風力発電のご多分に漏れず、実際の営業運転では計画発電電力量を達成できず、発電実績は公表されていないそうです。

CO2排出削減量の評価の驚くべき実態

 紹介した二つの例からわかるように、新エネルギー発電(発電用燃料として石油・石炭・炭化水素ガスを用いない発電方式)の導入によるCO2排出削減量として公表されている数値とは、単に新エネルギー発電による発電電力量と商用電力のCO2排出係数を掛けあわせることによって求めた値に過ぎないのです。しかし、こうして求めた値とは、同じ発電電力量を通常の電源構成比の電力供給システムで供給した場合のCO2排出量を計算しているだけです。
 ここでは太陽光発電と風力発電という全く質的に異なる発電方式の例を紹介しましたが、いずれの場合も評価の対象となっているのは発電電力量だけであり、発電方式の質的な違いが全く考慮されていません。これではとても実態を適切に評価しているとは言えません。
 新エネルギー発電では、発電用燃料として石油や石炭を使うことはありませんが、発電施設の製造・建設・運用には大量のエネルギー、つまり石油や石炭が消費されています。その量は採用する発電方式によって異なります。
 新エネルギー発電の発電方式別の実質的なCO2排出削減量を評価するためには、CO2排出係数を使って発電時の削減量を求めるだけでは不十分です。更に発電方式別に異なる発電施設の製造・建設・運用のために消費されるエネルギーによるCO2排出量を求めた上で、これを削減量と比較・相殺することによって実質的な削減量を評価しなければなりません。それによってはじめて異なる発電方式の優劣を判断することもできるのです。
 紹介した二つのケースに見られるような、発電施設の製造・建設・運用によるCO2排出量を無視した杜撰なCO2排出削減量の推定では、実質的なCO2排出量の増減を適切に評価することはできず、削減量を過大に評価する結果になることは明らかです。

 今回紹介した現行のCO2排出削減量の不合理な推定値は全く無意味ですが、CO2排出削減量を『出口側』で適切に評価することはかなり難しいことは事実です。実質的にCO2排出量を規制したいのであれば完全に量的な把握が可能な燃料用の石油や炭化水素燃料、石炭の輸入量と言う『入り口側』で規制することが最も確実な方法です。

No.427 (2009/10/12)NHK原発解体

 いつもは批判することが多いNHKの番組ですが(笑)、何を血迷ったのかNHKが原発の問題点を報告するドキュメンタリーを放映していました。内容的には当たり前のことを当たり前に報告しているだけですが、日本のテレビ番組としては原発の本質的な問題を正面から取り上げることはほとんどありませんので、その意味で画期的な番組と言えるかもしれません。再放送が13日深夜(14日未明)0:45〜1:43に放映されます。ご覧下さい。

No.426 (2009/10/11)詐欺師か愚か者か?CO2削減対策

 

副大臣室で増子輝彦経産省副大臣に要望書を渡し、内容を説明する加藤登紀子さん(09/10/07)

 「平久里(へぐり)嶺岡の風力発電を考える会」代表の加藤登紀子氏が呼びかけ人になって全国約80の団体・個人の参加した風力発電の導入政策の見直しを求める要望書が10月7日に経済産業省に手渡されたそうです。要望書の詳細につきましてはリンクサイト『巨大風車が日本を傷つけている』の関連記事をご覧下さい。
 要望書の内容は至極当然のものです。参加された方のお一人によりますと、会見では増子経済産業省副大臣が参加者からの発言を抑えつつ、民主党新政権のCO2排出量25%削減案について一方的にしゃべり続けたようです。
 これを報道した東京新聞の記事をネット版から次に紹介します。


風力発電見直し要望へ 全国80の団体・個人 国に『健康被害』訴え
2009年10月6日 朝刊

 

低周波が原因とみられる健康被害を訴える声が各地で相次いでいる風力発電。写真は伊豆熱川ウインドファーム=静岡県東伊豆町で、本社ヘリ「わかづる」から

 風力発電の巨大な風車が低周波による健康被害や自然破壊をもたらすとして、全国約八十の団体・個人が近く、国に事業見直しを求める要望書を提出する。関係者が団結して国に働き掛けるのは異例。新エネルギーとして注目される風力発電だが、エネルギー開発のあり方について議論を呼びそうだ。

 千葉県南房総市周辺に計画中の風力発電施設に反対する「平久里(へぐり)嶺岡の風力発電を考える会」代表で、国連環境大使の歌手、加藤登紀子さんらが連携を呼び掛け、首都圏や静岡、愛知などの風力発電施設が建設された地区や計画地の住民・団体が賛同した。要望書では、巨大風車建設への国補助金の凍結、健康被害など問題のある既設風車の停止を求める。

 各団体は低周波での健康被害や、風車建設に伴う森林伐採による災害、景観の変容などを懸念。日本自然保護協会のまとめでは、全国約三十カ所で反対運動が起きている。

 独立行政法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO)の統計では三月末現在、全国に約千五百基の風力発電用風車がある。静岡県東伊豆町や愛知県豊橋市などの住民が、低周波が原因とみられる健康被害を訴え、環境省が現地調査を進めている。


 要望書をご覧いただければわかるとおり、この要望書では既設の風力発電施設によって、里山の環境破壊や周辺住民の健康被害が発生していることだけを問題にしているわけではありません。このHPでも繰り返し述べてきたように、その本質的機能である発電装置として制御不能な不安定電力しか供給できず、更には資源や石油を浪費する=CO2排出量がむしろ増加するものであって、新政権のCO2排出量削減政策と矛盾するという根源的な問題を提起しているのです。
 この問題について、経済産業省と言う環境政策による経済振興を目指す役所のトップである増子氏であれば、風力発電の存在を否定するような要望には聞く耳持たないのかもしれません。
 風力発電が使い物にならないということは、日本の優秀な官僚あるいは副大臣は当然理解しているはずです。それを知ったまま、国民向けにはクリーン発電だとかCO2排出量を削減すると言う虚偽の情報を巨大マスコミを総動員して国民に刷り込み、『合法的に』税金や高額の電気料金を騙し取ろうとしているのです。こうしてかき集めた資金は『環境にやさしい企業』に流れ込んで、彼らの利潤として吸い取られていくのです。このような詐欺師的な国政運営を許してはならないと考えます。
 もし、百歩譲って、本当に官僚や副大臣が風力発電は環境に優しくCO2排出量削減に役立つなどということを信じているとすると、この国の政策は小学生以下の愚か者によって決定されているということです。これもまたとんでもない話です・・・。

 そしてこれを報道するマスメディアの問題です。東京新聞の記事を見ると、要望書の内容を風力発電に対する環境問題や健康被害という側面からの問題に矮小化していることに気付きます。要望書の中で重要な内容である風力発電の構造的な問題や、発電装置として全く機能していないことについての言及が全くないのはどうしたことでしょうか?
 ここから見えてくることは、マスコミの諸君も風力発電が役に立たないことはおそらく十分承知の上で、企業や国の風力発電導入促進の方針に従って、都合の悪い情報については触れないという報道の自主規制を行っていると考えるしかないでしょう。

 日本という国は一見物質的に豊かで自由な国のように思えるかもしれません。しかし、現実には終戦以前の大本営発表と変わらない虚偽報道、制限された情報によって国民は飼いならされ、かつての旧財閥のエピゴーネンである巨大企業の利益の為に総動員されているというのが現実です。
 気付かないうちに日本はファシズム国家に逆戻りし、自然科学をめぐる状況はヨーロッパ中世の暗黒時代以上の抑圧の時代に突入しているのです。

追記:
 リンクサイト『巨大風車が日本を傷つけている』の12日の記事によりますと、東京新聞の10月8日において風力発電の問題点についても触れているようです。
http://no-windfarm.asablo.jp/blog/2009/10/12/4628940

(2009.10.12)

No.425 (2009/09/24)エコ自動車技術の検討

 さて、これまで主に電力供給分野の技術的な問題に触れてきました。電力供給分野と並んで大きなCO2排出量削減分野と考えられているのが自動車です。既にエコカー減税や購入補助金などによって自動車業界には財政的に大きな梃入れが実施されています。

 既に発電技術でも述べた通り、エコカーとしてハイブリッド車、電気自動車、燃料電池車についても、その価格によってCO2排出量の概略を推定することが出来ます。価格的には次の関係があります。

燃料電池車≫電気自動車>ハイブリッド車>内燃機関自動車(ガソリン、ディーゼル)

従って、概ねCO2排出量は、燃料電池車≫電気自動車>ハイブリッド車>ガソリン・ディーゼル車と続きます。
 燃料電池車に関しましては技術的な評価などするまでもなく、最も環境負荷の大きな最悪の自動車であることは、その価格が1億円単位であることからも推測できます。このような車を『究極のエコカー』等と言うとぼけた評価をする藤本幸人という技術屋は完全な視野狭窄を起こしています。同社の創業者である本田宗一郎氏であれば彼らをどう評するでしょうか?少し話が脱線しました。
 電気自動車に関しましてはHP管理者からNo.410電気自動車はCO2を出さないか?で既に検討したとおりです。

 自動車技術のうち、微妙なのがハイブリッド車の位置です。エネルギー変換過程から見れば、内燃機関から取り出した運動エネルギーをそのまま車の駆動力として用いるのがこれまでのガソリン車やディーゼル車であり、運動エネルギーで発電機を回して、一旦蓄電池に蓄え、更に蓄電池からの電気エネルギーをモーターに入力して運動エネルギーに戻して駆動力として使うのがハイブリッド車です。
 通常、エネルギーの変換過程が多段階になるほどエネルギー損失が大きく、総合的な石油利用効率が悪くなります。単純に考えれば、ハイブリッド車の石油消費量の方が通常のガソリン車やディーゼル車より多くなるはずです。
 しかし、内燃機関は負荷変動によって燃費が大きく変動します。特に速度変化が大きく始動・停止を繰り返す市街地走行では燃費が著しく悪化します。
 これに対してハイブリッド車では一定の負荷で発電機を回すために、負荷変動によるエネルギー損失が小さいために、蓄電池への蓄電と蓄電池からの電気をモーターを介して運動エネルギーに戻すという多段階の変換による損失が増え、ハイブリッド・システムと大型蓄電池重量が増えるというデメリットがあっても、総合的な燃費でガソリン車やディーゼル車を上回るのであろうと考えられます。
 では、総合的なCO2排出量を削減するためには無条件にハイブリッド車を利用すべきなのでしょうか?確かに、走行時の燃費に関してはハイブリッド車のほうが多少優れているようです。しかし、ハイブリッド車は同クラスのガソリン車やディーゼル車よりも高価です。これはハイブリッド車という装置が製造段階でそれだけ多くの資源と石油消費を必要とすることを示しています。また、ハイブリッド車では大きな蓄電装置の定期的な交換が必要となりますから、同じ車を長く乗り続ければ、ガソリン車やディーゼル車のほうが全ライフサイクルにおけるCO2排出量は小さくなるかもしれません。
 ハイブリッド車の走行の実際の性能やメンテナンスの実態についてのデータを持ち合わせていないので、私にはこれ以上の詳細な判断はつきません(もし詳細なデータをお持ちの方がいらっしゃいましたらお聞かせいただきたいと思います。)。ただ、仮に全ライフサイクルを通してハイブリッド車の方がガソリン車やディーゼル車よりも総合的にCO2排出量が少ないとしても、それ程極端に大きな差があるとは考えられません。

 以上整理しますと、エコカーのうち、燃料電池車と電気自動車は明らかに石油浪費的=CO2排出量を増大させるので利用すべきではありません。ハイブリッド車については、当面判断を保留しておきますが、無理にガソリン車やディーゼル車をハイブリッド車に切り替えるほどのことは無いように思います。

No.424 (2009/09/23)CO21990年比25%削減公約・・・

 鳩山政権は国際会議においてCO2排出量を1990年比で25%削減することを「公約?」しました。これについて、日本の無能な報道機関は、「会議参加各国からは好意的に受け止められたが、実行に対して産業界からの反発が予想される」とのコメントが主流のようです。
 冷静に考えてみてください。京都議定書の削減目標である2012年までに1990年比で6%削減という数値に対して、この間、我国では目標を達成するために、補助金を投入しつつ風力発電や太陽光発電やバイオマスの利用などを導入し、省エネ家電やハイブリッド車も販売されてきました。その結果、めでたくも(!)期待を裏切ってCO2排出量は、逆に1990年比で10%程度の増加を果たしているのです。

 これをどのように評価するのか?重大な問題です。単に、新エネルギーやエコ技術の導入以上に経済成長したからだと言ってしまってよいのでしょうか?この間CO2排出量削減の努力をしてきたのに、10%も増えたCO2排出量が、どうして今後10年で対1990年比で25%(実質的には現在よりも35%以上!!)も減らせる可能性があると言うのでしょうか?

 石油の産出しない日本の製造業は世界有数の省エネルギー技術によって世界市場での経済競争力を維持してきました。生産規模を縮小しない限り、製造業におけるエネルギー消費をこれ以上削減することは非常に困難な状況です。そこに、エネルギー(石油)利用効率の低い風力発電や太陽光発電などを無理に導入することによって、エネルギー供給分野の石油利用効率を低下させ、同時にこの不要な風力発電装置や太陽光発電装置の製造に余分の石油消費が発生したことによって、CO2排出量が増加したのではないでしょうか?
 「そんなはずはない」と言うのは結構です。しかし、それならばこの間の風力発電や太陽光発電などの導入によって、実質的にどれだけのCO2排出量が削減されたのか、それなのにどうしてCO2排出量が10%も増えたのかを、定量的に評価して国民に対して明らかにする責任があるでしょう。それが新政権が新たな削減目標の下で国民に経済的な負担を強いるための最低の責務です。
 何度も繰り返していますが、CO2排出量25%減ということについては私は100%この政策を支持します。しかし、その手段として、これまで通り、何の科学・技術的な裏付けも無く、効果の定量的な評価さえせずに風力発電や太陽光発電を闇雲に導入し続けるというのは絶対に許されないことであり、断固反対します。

追記:
 ここ数回のこのコーナーの民主党ないし新政権のCO2排出量の1990年比25%削減という政策に対して支持するという私の記述に対して、あるHP読者の方から、「このHPはCO2地球温暖化仮説を肯定しているのか?」というご質問を頂きました。
 このHPをずっとご覧になっていらっしゃる方なら既にご存知だと思いますが、このHPは人為的CO2地球温暖化仮説を否定しています。地球温暖化対策としてのCO2排出量削減は全く無意味であり、この文脈においてCO2排出量を減らす必要性はありません。
 一方、工業生産とは石油を消費して生産を行う過程であり、石油消費量は工業生産規模の指標です。現在における環境問題(水循環や生態系における物質循環の破壊と、汚染物質の蓄積)の原因は工業生産が過度に肥大化したことであり、この問題の解決には工業生産規模を縮小すること=石油消費量を削減することです。
 私がCO2排出量削減政策に賛同するのは、あくまでも工業生産規模を縮小させると言う文脈においてであることをご理解いただきたいと思います。

(2009.09.24)

No.423 (2009/09/19)電中研「ライフサイクルCO2排出量」の怪

 さて、このHPで使用しているエネルギー技術の評価について、「あまりにも公式発表のデータと違う」ではないかというご指摘をよく受けます。例えば、公式には既存の火力発電よりもCO2排出量を削減する効果があると言われている太陽光発電や原子力発電について、このHPではむしろCO2排出量が増大するとしていることなどです。
 この種の技術的な評価は、私が知る限りでは室田武氏の「新版 原子力の経済学」(1981年、日本評論社)に発表されたものが日本では最初ではないかと思います。その中で、公式発表の発電技術の石油消費量の積上げによる推定値は多くの「積み残し」があり、現実とはあまりにもかけ離れていることが指摘されています。例えば、室田氏は独自の太陽光発電装置製造についての調査から、単位発電電力量あたり石油火力に比較して少なくとも3倍程度の石炭・石油を消費すると報告しています(前掲書p.154)。
 工業製品の積上げによる石油消費量の評価は技術的にかなり困難があります。このHPでは、工業製品原価に対するエネルギー投入に対するコストの割合が石油消費量の実態に近い値を示すと考えて推定しています。工業製品である発電装置製造・運用(燃料石油を除く)についてはその総コストの20%がエネルギー・コスト=石油投入量と仮定しています。この値については既に実績のある火力発電について試算した結果、概ね妥当なものであると考えています。
 この手法を用いて、太陽光発電の原価から石油消費量を推定した具体例が前回の推定値である石油火力発電の2.6倍という値ですが、室田の報告と比較しても概ね妥当な数値です。
 勿論、発電装置は個別の特性がありますから、実際には多少増減はあるでしょうが、それほどデリケートな推定を必要としていませんので、この程度の推定で十分だと考えています。例えば、太陽光発電装置や原子力発電については、むしろ火力発電よりも原価に占めるエネルギー・コストは大きいでしょうから、20%で固定しておけば太陽光発電装置や原子力発電については、多少有利な推定が得られます。

 さて、この種の石油消費量=CO2排出量についての権威ある公式の報告として電力中央研究所の報告があります。その結果を次の図に示します。

 

電中研ニュース No.338 「ライフサイクルのCO2排出量を電源別に求める」
http://criepi.denken.or.jp/jp/pub/news/pdf/den338.pdf

 この結果を見ると、既存の火力発電に比較して原子力発電や新エネルギー発電のCO2排出量が著しく低いことが示されています。この図に示された値が、多くの新エネルギー発電がCO2排出量削減に役立つ根拠とされているようです。
 しかしこの図表に示された値は実に奇妙です。
 この図には、燃料と設備建設・運用の内訳が記されています。設備建設・運用に消費されるエネルギー量≒CO2排出量は、概ね発電電力量1kWh当たりの設備規模≒設備建設費用を反映すると考えられます。この図の値が正しいとすれば、石油火力(38)>風力(29)>原子力(22)ということになります。これはあまりにも実態とかけ離れた数値です。

 まず、風力発電について考えてみましょう。風力発電は、電力の直接的な「原料」は自然風の持つ運動エネルギーですから自由材であり、コストはゼロです。つまり、風力発電設備建設・運用にかかる費用が総コストに等しくなります。もしこの図の数値が正しいとすれば、風力発電による電力の発電原価は石油火力発電に比較して圧倒的に安くなるはずです。
 しかし、現実には燃料石油の費用を含めた石油火力発電電力の原価8円/kWhに対して風力発電電力の原価は20〜30円/kWhという非常に高価なものになっているのです。これは、風力発電装置建設・運用に占める投入エネルギーがとてつもなく小さくない限り有り得ないことです。試算してみましょう。石油火力発電については前回同様に考えると、発電原価に対する設備建設・運用(燃料費は含まない)に関わる石油消費量の経済コストは、

8円/kWh×(0.4×0.2)=0.64円/kWh

 これが図の石油火力発電の設備建設・運用にかかわるCO2排出量「38」に対応します。
 これに対して、風力発電電力原価を25円/kWhとして、風力発電設備建設・運用にしめるエネルギー・コストの割合をAとすると、次の等式が成り立ちます。

25円/kWh×A=0.64円/kWh×(29/38)=0.49円/kWh ∴A=0.49円/kWh÷25円/kWh=0.02=2%

 つまり、風力発電設備建設・運用の総費用に対するエネルギー・コストの比率は、石油火力発電の場合の20%に比較して1/10の2%だということになります。これは同じ工業製品である限りとても現実的にはありえない数値です。

 それでもまだ「そんなはずはない」と言う方もいるかもしれません。もう一つ例を示すことにしましょう。このコーナーの連載で検討した風力発電について考えることにします。対象とする風力発電施設は鳥取県放牧場風力発電所の定格出力1000kWの風力発電装置です。この例では、ブレードの長さは29.8m・総重量は4.5t、ナセル(発電機部分)総重量は42.2t、タワー総重量は112.7tです。この施設の設備利用率を20%、実効発電能力を200kWとします。

 この発電装置の上部工の総重量は42.2+112.7≒155トンです。これに見合う火力発電装置として、200kWディーゼル発電機を考えます。発電機の総重量は3.9トンです。

 ここでは、耐用年数をいずれも20年として考えることにします。風力発電装置のブレードを除いた部分はほとんど鉄(鋼、鋳鉄)で出来ています。また、ディーゼル発電機も同様です。この場合、設備規模の概要は鉄の重量比で表せますから、ディーゼル発電機と風力発電装置の設備建設・運用に関わるエネルギー・コストの比率は次式で推定できます。

3.9:155≒1:40

 つまり、単位発電電力量当たりの風力発電装置の設備建設・運用のエネルギー・コスト≒石油消費量はディーゼル発電機の40倍程度になるということです。ここではディ−ゼル発電機単体を火力発電装置の代わりに使いましたが、実際の石油火力発電所は外燃機関(蒸気機関)であり、同じ出力でも装置は大きくなり、また発電機建屋や制御システムが付随することになりますから、単純にこのままスケールアップすることは出来ません。このHPの検討では、単位発電電力量当たり風力発電装置規模は概ね石油火力発電の8倍程度と推定しています。
 いずれにしてもここから言えることは、風力発電の設備建設・運用に関わるCO2排出量≒エネルギー・コストは少なくとも石油火力発電に比べて圧倒的に大きくなるということであって、電中研の報告にあるようにCO2排出量に換算して、石油火力38に対して風力発電29という数値はとても実態を表したものではないのです。

 冷静に考えてみてください。もしこの電中研報告が正しいのであれば、風力発電は全く財政補助など無くても電力会社は自主的に導入を進めることになるはずです。そうなっていないということは、ここの数値は全く実体を表していないということなのです。

 次に、原子力発電について少しだけ触れることにします。電中研の報告では、原子力発電についても単位発電電力量当たりの設備建設・運用に関わるCO2排出量≒エネルギー・コストは石油火力発電よりも小さいとしています。これまた常識的には全く考えられないことです。石油火力発電や原子力発電は、いずれも水(蒸気)を動作物質とした外燃機関です。蒸気タービンによって発電機を回すことは全く同じです。
 異なるのは石油火力発電では湯沸しの熱源が石油の燃焼熱であり、原子力発電ではウランの核分裂反応に伴うエネルギーだという点です。石油の燃焼装置とウランの核分裂反応炉=原子炉を比較すれば、核物質の危険性に対する安全対策も含めて、原子炉の方が圧倒的に設備に投入する資材は大きくなるのは当然です。しかも、原子力発電では放射性物質の環境への流出は原則としてあってはならないことですから、熱交換器や冷却系についても石油火力発電とは桁違いに高い安全性が求められます。
 これらを考えれば、発電所設備建設・運用に関わるCO2放出量において、原子力発電の方が石油火力発電より小さいなどということはあり得ません。室田の前掲書の報告では、東京電力の昭和57年3月、58年3月、59年3月のデータによると、火力発電による発電電力量が57.6%、レートベースに占める割合が31.5%であるのに対して、原子力発電による発電電力量が25.5%、レートベースに占める割合が57.5%になっていることからもこれは事実が証明しています。
 更に、石油火力発電では燃料石油からのCO2排出を含めていますが、原子力発電ではそれに見合うウラン燃料の製造に投入される石油消費を含めなければなりません。更に、核燃料サイクルは破綻し、核廃物処理方法は未定であり・・・、考えうるだけでも莫大な積算の積み残しがあります。もしこれらが全て原子力発電の設備建設・運用に含まれているというのならば、電中研の報告は更に信頼性は低いとしか言いようがありません。一体ここに示された数値は何を表しているのでしょうか?

 

 原子力発電とは、単に原子力発電所があれば運用できるわけではありません。ウラン鉱の精錬工場から濃縮工場、ウラン燃料への加工工場、更には再処理工場や核廃物処理施設など、原子力発電に関わる全ての施設が原子力発電を動かすためだけの専用施設なのです。つまりこれらの施設に関わる全てのエネルギー・コストを積算して初めて本当の意味の原子力発電に関わるエネルギー投入量≒CO2排出量が決まるのです。どのように考えても、原子力発電が石油火力発電よりも石油節約的であるということは有り得ないのです。
 原子力発電に関わるこうした全システムは巨大なものになります。その結果、原子力発電を導入している国において、何らかの形で国家的な採算性を抜きにした財政投入無しに、完全なる民間企業だけで原子力発電に関わる全システムを運用している国は存在しません。それだけ原子力は高価で、即ち石油消費量の大きな発電方式なのです。


 更に、石油火力発電は制御しやすく需要の変動に対して運転操作だけで比較的うまく追随出来るため、特別な出力調整装置を併設する必要がありません。

 

 これに対して、風力発電や太陽光発電という自然エネルギーを用いた発電装置は発電出力の時間変動が激しいだけでなく、出力を制御することが出来ません。激しい出力変動を平滑化し、更には需要に対応させるためには巨大な平滑化・出力制御システムを併設することが不可避ですから、これらの発電装置のCO2排出量を評価する場合には平滑化・出力制御システムの設備建設・運用コストまでを含めて評価しなければなりません。
 逆に原子力発電は、一定出力の運転は出来ても、需要に追随させるような小まめな出力調整は出来ません。そのために、夜間「余剰電力の捨て場」として揚水発電所を必要とし、あるいは夜間電力のダンピング販売で、石油利用効率の極めて低い電気温水器を大量に販売して、社会全体の石油利用効率を著しく悪化させているのです。
 本当の意味での各発電方式のライフサイクルCO2排出量を算定するためには、ここに示したように発電装置単体ではなく、その発電装置に必要な全ての設備・運用に関わるCO2排出量を含めて評価しなければ意味はないのです。


 ここでは、電力中央研究所のライフサイクルCO2排出量についての報告を検討してきましたが、どのような精緻な検討をしたのか分かりませんが、ここに示された数値は全く実態とかけ離れたもので、現実社会のCO2排出量の推定にはとても使い物にならないことだけは間違いありません。彼らは一体どうしてこのような報告を行ったのか、そしてこのとんでもない数値を検討することも無く信じ込む無能な技術者ばかりのこの国は誠に情けない状況としか言いようがありません。

No.422 (2009/09/18)新政権の温暖化対策の検討

 民主党を中心とする連立政権が成立しました。各大臣の初めての記者会見を聞き、確かにこれまでの官僚組織の上に乗っかって胡坐をかいてきた保守政権に比較して、政府と官僚組織の間に緊張関係が形成されることになる可能性を感じました。まずは、旧政権よりは政治形態としてよりマシになることを期待したいところです。民主党はじめ、連立与党は、旧政権同様の官僚との馴れ合い政治をすれば、即命取りになることを承知しているでしょうから、当面ある程度の「改革」が進むことは疑いないでしょう。
 しかし、問題は政治形態がまともになったからといってそれが即座に正しい政策には結びつかないことは十分認識しておかなくてはなりません。

 さて、新政権の政策課題の大きな柱の一つにCO2地球温暖化対策があります。新政権は旧政権以上にこの問題に熱心であり、今後巨額の財政支出=補助金の支出を考えています。早くも民間企業の間では、予想される補助金を目当てに、如何にこれを争奪するかが話題になっています。当地でも、大分大学の教授を会長とする組織が、新政権の補助金政策の中核となるであろう太陽光発電に的を絞ったワーキング・グループを設立したようです(新聞記事参照)。

 この新政権のCO2地球温暖化対策は最も明白に誤った政策です。なぜか?既に太陽光発電がCO2排出量削減には全く役に立たないことはこのHPで検討してきたとおりです。ここではより一般的に石油消費量を削減するというエネルギー技術開発に巨額の予算を投じることが論理的に矛盾した政策であることを示すことにします。

 現在の工業化された全ての工業ないし製品製造プロセスを根幹のところで支えているのは、石油による優れたエネルギー供給システムであることは論を俟ちません(「石炭や原子力があるではないか」という反論がすぐに聞こえてきそうですが、現在ではその石炭の生産や原子力発電も石油の投入によって成立している石油によるエネルギー供給システムの一部なのです。)。
 既に述べたように、現在の工業生産システムでは、全ての工業ないし製品製造システムは石油によるエネルギー消費を伴うのです。工業生産規模の拡大とは石油消費量の増大を意味するのです。開発を行おうとする技術がエネルギー生産以外の目的の場合には、その技術の目的を単に達成すればよいのですから、ある意味でそれを実現するために投入されたエネルギー=石油消費量は問題になりません。
 ところがエネルギー供給技術はエネルギーを投入してエネルギーを供給するという特殊な技術なのです。ここでは投入エネルギー量と供給エネルギー量によって絶対的な評価が可能であり、その評価を抜きにした技術開発は全く無意味なのです。

 現在新政権が考えているのは、主に既存の火力発電を代替発電システムで置き換えることです。それ故、代替発電システムの最低の要件は既存の火力発電に比較して石油消費量の節約が可能であるということです。
 さて、温暖化対策として新たに10兆円単位といわれる資金をエネルギー供給分野に投入するとはどういうことでしょうか?現在考えられている火力発電のその他の代替発電システムへの転換とは、供給電力量を増加させるのではなく、「代替」することが目的です。代替するために巨額の財政的負担が増加するということは、即ち、代替発電システムは火力発電に比較して圧倒的に発電コストが大きくなることを意味しているのです。
 勿論、代替発電システムと火力発電は質的に異なりますから、単純な比較は出来ませんが、まず確実に言えることは、既存の火力発電に比べて代替発電システムは単位発電電力量あたりに必要とする施設規模が工業生産額ベースで比較すると飛躍的に大きくなるということです。言い換えれば、代替発電システムは施設建設に投入される石油消費量が火力発電に比較して圧倒的に大きくなるということです。

 代替発電システムによって火力発電を置き換える合理性が存在するのは、代替発電システムを建設して運用するために必要な石油消費量が、火力発電所を建設して運用(ここには燃料としての石油消費量を含める)するために必要な石油消費量よりも小さくなることです。
 ここでは、新政権の想定する中核技術である太陽光発電を例に考えることにします。既存の石油火力発電の電力原価は8円/kWh、太陽光発電の電力原価は66〜73円/kWh(資源エネルギー庁、2001年)です。ここでは70円/kWhを用います。
 石油火力発電では、発電コストの約60%が石油燃料費、残りの40%の内の20%、つまり発電コストの8%が施設建設や運用に必要な石油消費の対価とします。火力発電の発電原価に占める石油の経済コストは次の通りです。

8円/kWh×0.68≒5.4円/kWh

 同様に、太陽光発電の発電コストは、全て太陽光発電装置の製造と運用にかかる費用なので、その20%が石油の経済コストです。

70円/kWh×0.2=14円/kWh

 つまり、太陽光発電は単位発電電力量当たり、石油火力発電に比較して14/5.4≒2.6倍の石油を消費するのです。しかも太陽光発電の導入に当たっては、不安定な発電能力を補うために更に各戸別の蓄電装置の設置や、揚水発電施設の建設が不可避ですから、発電コストは更に跳ね上がることになりますから、石油消費量は更に大幅に大きくなるのです。
 単純に考えれば、石油火力発電を代替することに合理性のある代替発電システムの発電コストの上限の目安は次の通りです。

5.4円/kWh÷0.2=27円/kWh

 発電装置「単体」で考えれば、これを満たす可能性があるのは風力発電だけです。しかし、風力発電による発電電力の時間変動は太陽光発電以上に激しく、これを電力供給システムに組み込むためには太陽光発電以上に供給電力の安定化設備に投入する石油量が増加することは明らかです。つまり、石油火力発電を代替することに科学・技術的に合理性のある発電システムは存在しないのです。

 少し考えればわかるこのような単純な問題がなぜ理解できないのでしょうか?これは、専門分野の工学研究者や企業技術者は、自らの専門分野の技術開発に近視眼的に向き合っているために、視野狭窄を起こし総合的な判断が出来ないためです。確かに太陽光発電は発電段階では石油を一切必要としませんが、太陽光発電装置を製造するプロセスで大量の石油が消費されていることに思いが及ばないのです。
 現在の工学や技術はあまりにも細分化されており、自らの専門分野以外については全く素人、あるいはそれ以下の知識しかないのが現状です。その結果、積上げによって技術体系の全体像を的確に把握することができない状況になっているのです。


 さて、話を戻しましょう。結論として、国家財政からの「巨額」の補助金の投入によって実現される火力発電の代替発電システムの導入は論理的に成り立たず、装置製造メーカーが一時的に経済的に潤うだけで、石油消費を増大させ必ず失敗に終わることになります。
 その結果として、電力料金が上昇し庶民生活は電力料金支出が増加し困窮を極めるだけでなく、更にあらゆる工業製品価格が上昇し国内経済全体が停滞することになります。既に新日鉄が主張しているように、多くのメーカーはエネルギー価格の低い国外へと生産拠点を移すことは避けられませんから、国内製造業は空洞化し、失業者の増大につながるでしょう。
 現行のまま、新技術の科学・技術的で定量的な石油消費量削減効果の評価もせずに、巨額の補助金を投入すれば、メーカーはより高価な技術を開発して、より多くの補助金を得て儲けを出すことに熱中することは必定です。繰り返しになりますが、エネルギー供給技術という特殊な工業技術においては、高価であるが石油を節約できるということは論理的に成り立たないのです。
 新政権の石油消費量を1990年比で25%削減するという「革新的」な政策(勿論実現可能であれば大賛成です)を本気で実効的なものにするために、まず行うべきことは技術開発や装置設置のための補助金による助成ではなく、単純に燃料用石油輸入量を段階的に1990年比で25%減らすことを法制化することなのです。極論すればそれ以外に政府はこの問題に介入すべきではないのです。そうすることによって初めてメーカーは本当の意味で石油利用効率の良い生産システムに移行せざるを得なくなるのです。

 旧政権に限らず、新政権においても企業・経済活動に対する直接的な補助金は工業生産システムの無駄を助長することになるのです。CO2排出量を削減する=石油消費を削減する目的の為に、工業生産規模を10兆円単位で拡大するという今回の温暖化対策は論理的に破綻しており、必ず失敗に終わることを避けられません。

No.421 (2009/09/03)炭素循環IPCC2007

 人為的CO2地球温暖化仮説の最も本質的な前提の一つが、産業革命以降に観測されている大気中CO2濃度の上昇の原因が、石炭・石油などの化石燃料の燃焼による付加的なCO2の排出だという「人為的CO2蓄積仮説」です。果たしてそんなことがあり得るのでしょうか?

 次に示す図は、気象庁のホームページに掲載されているIPCC(2007)に基づいた炭素循環の概略を示したものです。
http://www.data.kishou.go.jp/kaiyou/db/co2/knowledge/carbon_cycle.html


 

炭素循環の模式図(1990年代)

IPCC(2007)をもとに作成。各数値は炭素重量に換算したもので、貯蔵量(箱の中の数値、億トン)あるいは交換量(矢印に添えられた数値、億トン/年)をあらわしている。黒は自然の循環で収支がゼロであり、赤は人間活動により大気中へ放出された炭素の循環をあらわしている。


 図を元に少し整理してみましょう。

陸域のCO2放出量=1,196+16=1,212億トン/年=121.2Gt/年=qin1
陸域のCO2吸収量=1,200+26+2=1,228億トン/年=122.8Gt/年=qout1
海域のCO2放出量=706+200=906億トン/年=90.6Gt/年=qin2
海域のCO2吸収量=700+222=922億トン/年=92.2Gt/年=qout2
化石燃料燃焼によるCO2放出量=64億トン/年=6.4Gt/年=qin3

 以上をまとめると、大気へのCO2流入量は、

qin=qin1+qin2qin3=218.2Gt/年

同じく、大気からのCO2流出量は、

qout=qout1+qout2=215Gt/年

大気中のCO2増加量は、

qin−qout=3.2Gt/年=0.5×qin3

つまり、「量的」には化石燃料燃焼によるCO2放出量の半量程度が増えていることになります。しかし、現象的には化石燃料燃焼によるCO2の半量が大気中に蓄積しているのではありません。

 一般的に、単位時間当たり流入qinと流出qoutのある貯留槽があり、貯留槽内では流入した物質が一様に混合・拡散しているとします。貯留槽に存在する物質量をQとします。貯留槽内の物質量が定常状態にあるとした場合、次の関係が成り立ちます。

qin=qout=Q・r

r(仮に吸収率と呼ぶことにします。)は貯留槽に存在する物質量の内で、単位時間当たりにどの程度の割合が流出するかを示します。貯留槽内に存在する物質量Qを単位時間当たりの流出量qoutで割ることによって、平均滞留時間Tを次式によって求めることが出来ます。

Q/qout=1/r=T

 では、大気中のCO2量について考えることにします。この場合、貯留槽とは対流圏という空間であり、そこには大気が満たされています。ここに流入・流出するCO2を考えることになります。大気中に存在するCO2の炭素重量Qは冒頭の図から、

Q=5,970+1,650=7,620億トン=762Gt

 年間のCO2流入量qin=218.2Gt/年とCO2流出量qout=215Gt/年はほとんど均衡していますので、ここでは話しを単純にするためにqin≒qout=215Gt/年として定常状態にあると考えることにします。
 現象的に考えてみましょう。大気中CO2濃度を385ppm(=1,000,000分の385)だとすると、大気中ではCO2はCO2自身の体積の1,000,000÷385=2597倍の体積を持つ大気の中に拡散していることになります。実際に地球上のCO2濃度観測点の数値を見ると、マウナロアであっても南極であってもほとんど同じ濃度で、しかも同じような変動傾向を示していることから、大気中に放出されたCO2は対流圏大気の活発な水平・垂直方向の運動によって、急速に混合・拡散が進み、大気中に一様に広がっていると考えられます。
 つまり、大気をサンプリングすれば、その中に含まれるCO2の放出源ごとの混合比率は、年間放出量qinに対する各放出源ごとの放出量との比率によって近似的に推定することが出来ます。ですから、大気中に含まれる385ppmのCO2の内で、化石燃料燃焼によるものは次のように推定できます。

385ppm×6.4Gt/年÷215Gt/年=11.5ppm

 同様に考えると、年間の大気中CO2増加量3.2Gt/年の内、化石燃料燃焼による影響は次のように推定できます。

3.2Gt/年×6.4Gt/年÷218.2Gt/年=0.094Gt/年

 これは何を意味するのでしょうか?現在、地球温暖化対策として化石燃料燃焼によるCO2放出量を減らそうと躍起になっていますが、例え化石燃料を一切燃やさなかったとしても、大気中CO2濃度は現在の385ppmから11.5ppm程度しか減らないことを示しているのです。産業革命当時から現在までの大気中CO2濃度増加である約100ppmの大部分は自然環境の変動によるものなのです。

 ここで、大気中CO2濃度が定常状態にあるとして、吸収率rと平均滞留時間Tの近似的な推定値を求めると次の通りです。

r=qout/Q=215(Gt/年)/762Gt=0.282(1/年)、T=1/r=3.54年

 簡単な推計をしてみましょう。大気中に放出されたCO2の残留率は(1−r)=0.718です。今年大気中に放出されたCO2の3.54年後、10年後、20年後の残留量を計算してみることにします。

3.54年後 : 0.7183.54=0.31=31%
10年後  : 0.71810=0.036=3.6%
20年後  : 0.71820=0.0013=0.13%

つまり、10年も経てば大気中のCO2はほとんど入れ替わってしまうのです。現在の地球大気に含まれるCO2の増加が、200年も前の産業革命以来こつこつと積み重ねて蓄積してきた化石燃料由来のCO2だなどと言うのは杞憂に過ぎないのです。
 仮に、CO2地球温暖化仮説が正しいとしても、その主要な原因は自然環境の変動自身によるものであって、人為的な化石燃料の燃焼の影響などまったく取るに足らないのです。


 政権が交代したことを機に、これまで霞ヶ関技術官僚や業界の意向を代弁する御用学者によって「創りあげられた」人為的CO2地球温暖化脅威論を徹底的に見直していただきたいものですが・・・。しかし、人為的CO2地球温暖化脅威論に前自民党政権以上に洗脳された民主党や社民党では、科学的な判断を期待するのは無理なのでしょう。今後、似非再生可能エネルギー発電による高価な電力の全量高値買取りと、価格転嫁による庶民生活の圧迫など、温暖化対策という無意味な政策によって庶民生活は更に困窮を極めることになり、エコ製品で大企業は刹那的に私腹を肥やすことになるのです。

No.420 (2009/08/27)大気中CO2濃度変化率散布図の解釈

0.はじめに

 さて、CO2地球温暖化仮説に対する気象学会の対応を明らかにするために開始された槌田敦氏を原告とする裁判が開始され、これに関する情報をHP上に公開して以降、インターネット上の色々な場所(?)で賛否の論争が行われているようです。
 私自身が参加した意見交換においても、様々な疑問が提示されました。今回は、問題の気象学会への投稿論文『大気中CO2濃度増は自然現象であった T.その原因は気温高である』の結論部分に掲載している『大気中CO2濃度変化率と気温』の観測データを整理した散布図と、そこに記された回帰直線をどう解釈するかについて説明を加えておくことにします。

1.結論の整理

 まず、論文の概要を整理しておきます。

 私たちは一連の考察から、大気中のCO2濃度の時間変化率(ppm/年)の経年変化が、世界月平均気温偏差(℃)と極めてよく同期することを発見しました。

 この二つの曲線で表される時系列データを、世界月平均気温偏差を横軸、大気中CO2濃度変化率を縦軸とする散布図に整理したものが、問題の散布図です。

 

2.大気中CO2濃度を表す関数

 ここで、大気中のCO2濃度を表す関数Fを形式的に次のように表すことにします。

F=F(T,X1,X2,X3,・・・・)

ここに、
T:世界月平均気温偏差(℃)
X1,X2,X3,・・・・ :大気中CO2濃度に影響を与える環境条件を表す変数
更に、T,X1,X2,X3,・・・・という変数は、時間tの関数です。

 大気中CO2濃度を表す関数Fの時間変化率dF/dtは、単位時間に大気に供給されるCO2量qinと大気から地表環境へ吸収されるCO2量qoutの差に比例します。比例定数をCとすれば、次のように表すことが出来ます。

dF/dt=C(qin−qout

 大気中CO2濃度の時間変化率は、関数Fの時間微分なので形式的に次のように書き表すことが出来ます。

dF/dt=∂F/∂T・∂T/∂t+∂F/∂X1・∂X1/∂t+∂F/∂X2・∂X2/∂t+∂F/∂X3・∂X3/∂t・・・

3.散布図と回帰直線は何を表すか?

 私たちが自然現象についての観測する場合、極めて複雑な地球環境システムからのごく限られた時空的に離散的な情報を得ることしか出来ません。今、私たちが対象としている観測データは大気中のCO2濃度と世界月平均気温偏差という二つの物理量です。

 大気中CO2濃度は前述の通り、世界月平均気温偏差Tだけではなく、地表環境の様々な条件(X1,X2,X3,・・・・)によって変化すると考えられます。ここでは、単純化するために世界月平均気温偏差Tとそれ以外の地表条件を単一の変数Xによって表せるものとして議論を進めることにします。つまり、

dF/dt=∂F/∂T・∂T/∂t+∂F/∂X・∂X/∂t

 次の模式図は、世界月平均気温偏差Tと地表環境条件Xによって定まる大気中CO2濃度の時間変化率dF/dtを表す曲面を示しています。解曲面とX軸に直交する平面(例えば平面ABba)の交線は直線(例えば直線ab)になるとしておきます。勿論、一般的には交線も曲線とすべきですが、観測対象期間の世界月平均気温偏差Tの変動幅が十分に小さければ、交線を直線で近似することが出来ます(実際には、我々の分析対象期間中のTの変動幅は0.7℃程度です。地球上で観測される気温の範囲は概ね-90℃〜50℃程度、変動幅では140℃程度ですから、これに比較して0.7℃の変動幅は十分小さいと考えます。)。

 

 さて、私たちの得た散布図とは、時刻tにおける世界月平均気温偏差Tと地表環境条件Xで表されるX-T平面上の点P(T,X;t)に対応するdF/dtの解曲面上の点p(T,X;t)をX軸に直行する平面上に投影した点の集まりです。
 点PはX-T平面上の任意の位置を取ることが出来ますが、現実には地表面環境の条件は短期間にはそれ程大きく変動することはないでしょう。私たちの分析対象期間である34年間の平均的な環境条件をX=X0の直線で表すことが出来るとすれば、点Pは直線X=X0の周辺で主にT軸の方向に移動することになると考えられます。
 仮に、分析対象期間の点Pの軌跡が直線X=X0上だけを移動するならば、世界月平均気温偏差と大気中CO2濃度変化率を表す曲線は完全に同期し(両曲線が完全に相似形になる)、散布図は直線ab上の点の集まりになります。しかし実際にはこの期間においても地表環境の条件Xは多少変動しているので、散布図の点は直線ab近傍に分布することになると考えられます。

 例えば、世界月平均気温偏差と大気中CO2濃度変化率の経年変化のグラフにおいて、ピナツボ山の噴火という環境条件の激変のあった時期を含む1989〜1993年の観測データは、環境条件を表す変数Xの変動が大きいために二つの曲線間に大きな開きが生じ、散布図上では回帰直線からの隔たりが大きくなっていると考えられます。

 実際には世界月平均気温偏差以外の環境条件を表す数量X1,X2,X3,・・・を今のところ特定して定量的に数値化して観測できていません。そこで、私たちは観測データの中で気温以外の環境条件が大きく変化したと考えられるピナツボ山噴火前後の時期などのデータ(散布図において点で示すデータ)を除外して回帰直線を求めることにしました。つまり、回帰直線を求めた元になるデータでは平均的な環境条件X0からの偏差が小さく、∂T/∂t≫∂X/∂tであり、近似的に∂X/∂t≒0 とすることが出来ます。よってこの直線が表す意味は、

dF/dt≒∂F/∂T・∂T/∂t=dF(T,X=X0)/dt=2.39T+1.47

であり、分析対象期間の平均的な環境条件X=X0に対する大気中CO2濃度の時間変化率の世界月平均気温偏差に対する特性の一次近似を示したものなのです。

4.結論

 以上の考察から、私たちの得た回帰直線を次のように解釈できると考えます。

『この第6図(散布図)において、第一次近似として実曲線の部分だけを用いて回帰直線を作ると、大気中CO2濃度変化率がゼロppm/年となるのは気温偏差がマイナス0.6℃程度のときである。このことから、1971年から30年の世界平均気温は大気と陸海の間でCO2の移動が実質的にない温度よりも0.6℃程度高温であり、この図の範囲での結論として大気中CO2濃度が毎年上昇していることが示される。』

追記:
 一部、加筆・修正の上、本編にPDF版を公開いたしました。 
世界月平均気温偏差-大気中CO2濃度変化率の散布図の解釈 近藤邦明(2009/08/29)

No.419 (2009/08/25)核傘下の核兵器廃絶運動の怪
〜自民党の憲法違反の外交・防衛政策〜

 さて、昨日(8月24日)から急に朝晩がすがすがしく感じられる様になりました。今期初めて秋の大気が大分県にもやってきたようです。青空の透明度が夏空とは全く違い、空に浮かぶ雲の種類も全く違ったものになりました。このまま本格的な秋が到来するとは思えませんが、この劇的な季節の移り変わりには感動を覚えます。


 さて、今年も広島・長崎の原爆の日から敗戦記念日にかけて、平和集会が行われ、一億総懺悔のTV番組が放映されていました。しかし、残念ながら現実的な力になっていない様に思います。
 例えば、核兵器の問題について、高校生が署名を集めて国連へ届けたというような美談がニュース番組で放映されました。これはほとんど年中行事であり、国際的には勿論、国内的にも何の実質的な影響力もありません。なぜか?
 相変わらず『日本は実戦における唯一の核被曝国』などというお決まりの文句の下に、いわば被害者意識の上に進められる日本の核兵器廃絶運動ですが、この認識自体が国際的に信頼されていないのではないでしょうか?核兵器廃絶を呼びかける一方において、日本は世界最大の核兵器保有国である米国と『軍事同盟』(この言葉が臆面もなく使われる様になったことにも戦慄を覚えますが・・・)関係にあり、核の傘の中にあるのです。
 このような国が他国に対して、核兵器廃絶を呼びかけても、とても信頼される訳はないのです。とりわけ、米国の核攻撃の現実的な標的となったことのある国々、例えばイランやイラク、北朝鮮の人々にとって、核傘下にある日本が核兵器廃絶を呼びかけるなどと言う欺瞞を信じれるはずはないのです。それは正に当然のことです。
 それどころか、本編に公開した『灰色の国の事務局長』等にも報告されている通り、日本国内には即核兵器に利用可能な純度99%以上の超兵器級プルトニウムを36kg以上保有しており、また宇宙開発事業の下に開発された国産ロケットH2によって既に弾道ミサイル技術も完成しているのです。
 このような状況下で、米国はインド同様に日本の核武装を容認する姿勢を見せ始めており、自民党の6割(7割?)以上の国会議員は日本核武装容認論者なのです。このような国の核兵器廃絶の呼びかけが世界的に尊敬されて支持されることなど金輪際あり得ないでしょう。
 米国のオバマ氏は核兵器削減を呼びかけましたが、彼の個人的な見解はともかく当面米国の核戦略が一方的かつ急速に削減されることは考えにくいと思われますが、日本の外務省や防衛省は、米国の早急な核兵器削減に対して反対の立場を示しているとも聞きます。沖縄高専の中本さんの報告を以下に転載しておきます。


以下は米国の「憂慮する科学者同盟」が日本の民衆に訴えたビデオです。

ピースデポがyoutubeにアップしました。

もちろん日本語字幕つき。

http://www.youtube.com/watch?v=itFI87hixy0

転送・転載お願いします。

みなさん一人おひとりがさまざまなところに働きかけてください。

メディアにお知り合いのある方、記者さんたちに伝えてください。

インタビューの内容の要約は以下のとおりです。
「米国は外交政策の基本として『核態勢見直し(NPR)』に入っており、重要な局面を迎えている。米国は9月から10月に新しい核政策を決定しようとしているが、米政府部内、国務総省、国防総省、国家安全保障会議のメンバー、特にアジア専門家の間に、オバマ氏の構想に反対の人たちがいる。その理由は、日本政府の『懸念』で、日本の外務省、防衛省など安保外交政策を担当する官僚が、『米政府は核政策を転換しないように』と訴えている。人類史上初めて核兵器の攻撃を受けた国の政府が核政策の転換に反対するのは皮肉であり、悲劇だ。日本国民はオバマ氏の核廃絶ビジョンを支持する声をあげて欲しい」


 このような状況下における日本の核兵器廃絶運動の向かうべき主要な方向は、海外に対する呼びかけではなく、第一義的に重要な目標は日本自身の日米軍事同盟の解消であり、内部にある核兵器保有の準備行動に対する反対であり、保守党ばかりでなく民主党にも存在する憲法9条改訂による日本の軍事国家化の動きを止めることでなければならないと考えます。

 さて、自民党の選挙向けのTVコマーシャルでは、北朝鮮の脅威、テロの脅威、海賊の脅威を利用して国民を挑発して、再軍国主義化を進めようとする『憲法違反の選挙公約』が平然と流されています。ここでは繰り返しませんが、既にこのコーナーにおいて述べてきた通り、日本の外交防衛戦略として、一切の軍隊を放棄する絶対平和主義こそ最も現実的な選択肢だと考えます。

 このところ、米国や韓国による対北朝鮮柔軟路線の外交によって、北朝鮮情勢は好転の兆しが見えます。日本のつまらぬ建前と面子にこだわる対北朝鮮強硬外交姿勢が失敗し続けていること、またしても日本だけが話し合いの場から取り残され、ひいては日本国民に不利益をもたらすことに、いい加減に学ばなくてはなりません。外交の目的は、あらゆる手段を講じて自国民の安寧を図ることであり、つまらぬ面子にこだわって国民を危険に曝すなど、最も愚かな選択肢です。


追記: 沖縄高専の中本さんからの追加情報を以下に紹介しておきます。


同じ 趣旨でもうひとつ
http://www.youtube.com/watch?v=Dek90712D2E&feature=related

ついでに日本の物理学者朝永振一郎の伝統を引き継ぐ物理学者らから成る七人委員会のホームページ
http://worldpeace7.jp/modules/pico/index.php?content_id=28
には、
『核兵器廃絶実現への日本の具体的行動を呼びかけるアピール アピール WP7 No.98J 』
があります。


 

No.418 (2009/08/20)麻生・保守党の時代錯誤の経済政策

 前回は野党の環境政策のお粗末さに触れた。しかし、自民・公明という政権党の環境政策は更にお粗末である。公明党出身の環境大臣は経済成長を続けながら2050年にCO2排出量を80%削減するなどという途方もない環境省の無能官僚の描いた画餅を疑いもせずに披露した。これは自らの無能を曝け出したものである。

 さて、総選挙が公示されたが、実質的に選挙は終盤に向かいつつある。この中で麻生の街頭演説を聞いていて暗澹たる思いがする。曰く、自らの補助金ばら撒き経済政策は成功して危機を脱しつつある、自民党のマニフェストには経済膨張政策が明記されているが、民主党のマニフェストにはそれがない云々・・・。
 何と情けないことか。経済が見かけ上、上向きつつあるのは、国費のばら撒きと消費の前倒し以外の何物でもないことは論を俟たない。一体いつまでこのばら撒きに国の財政が耐えられるのか?ばら撒きが終われば消費は更に冷え込むことになるであろう。勿論、経済が縮小することは環境問題解決の上で誠に好ましいことであり、歓迎すべきものであるが、麻生・保守党の経済的な目論見とは全く相反するものであろう。彼の政権公約は程なく破綻することになるであろう。
 麻生は、街頭演説で自らの経済政策によって経済のパイを更に大きくすることによって財政再建すると言う、旧態依然とした使い古された経済政策をまたしても持ち出している。
 既に日本国内には工業生産物が溢れかえっている。外見的にはこの国に貧困があるということは見えにくい。結局これまでの経済膨張政策=パイの巨大化によって巷に工業製品は溢れかえるが、富は巨大金融資本や企業に集中するのみで、ついに貧困を克服できないことが明らかになった。問題は富の大きさではなく配分の問題なのである。現状で幾らパイを大きくしたところで、この問題を解消することは出来ないのは過去の歴史が事実によって示している。膨れ上がった張りぼてのパイは、いつしか限界点に達し、またしても大恐慌によって清算させられることになるのである。
 では視点を変えて環境面から考えてみよう。今日の工業化による地表の生物環境が悪化したことが環境問題の本質である。更に経済成長を維持し、経済のパイを肥大化させながら同時に環境問題を改善する方法などないのである。そろそろ歴史に対して、そして科学に対して真摯に向き合うことが必要なのではないか。

 環境・経済政策について保守政党も野党も無能である。残念ながらこの争点において両者に優劣をつけることは無理である。そうなれば、これまでの失政あるいは腐敗した利権構造を多少は排除できる可能性のある野党に投票するしかないようである。

No.417 (2009/07/30)お粗末な野党の環境政策

 さて、ようやく総選挙が行われることになった。長らく続いた自民・公明による愚かな国政運営に終止符が打たれることは、企業-官僚-保守政権の腐れ切った関係を一旦断ち切ると言う意味で、まずは歓迎すべきことである。
 しかしながら手放しで喜ぶことは出来ない。政権掌握を目前にした民主党は、早くも現実的な政策と言う名目で軌道修正を始めたようだ。安全保障問題における民主党の軌道修正は、早くも野党間の連携に齟齬をきたし始めているようだ。元々民主党は安保容認の改憲を目指す政党であることを考えれば、これは至極当然の成り行きである。過大な期待を持つのは止めたほうが良い。
 さて、総選挙を前に各党は「マニフェスト」を公開している。脱線するが、マニフェストなどと言う意味不明の外来語を不用意に使うこの国の政党やマスコミの感覚には呆れさせられる。政権公約あるいは政策綱領のほうがよほど理解しやすい表現だと思うのは私のひねくれた感想なのだろうか・・・。
 今回の選挙では安全保障・社会保障と同時に環境政策が中心的な争点の一つである。その背景にあるのは人為的CO2地球温暖化対策と言う名目の下に提起された人為的CO2排出量削減対策であることは言うまでも無い。人為的CO2地球温暖化仮説は自然科学的に見て誤りであり、虚像に過ぎない。しかし、この問題を直接に政治論争にすることは無理であろう。しかし、これに対する現実社会の対応は当然議論しなければならない問題である。
 例え人為的CO2地球温暖化仮説が誤りであっても、人間社会が限られた有限な資源である石油をはじめとする炭化水素燃料や石炭消費を削減することは正しい選択である。では、果たして今言われているような似非環境政策を推進することによって人為的CO2排出量が削減されることがあるだろうか?新聞報道によると、民主党は2020年までに日本の人為的CO2排出量を25%削減すると言う。

 

 確かにこれは極めて大胆な政策目標であり、実現出来れば素晴らしいことである。しかしその実現のために風力発電や太陽光発電に代表される新エネルギーを大規模に導入して、省エネ家電やエコ・カーを売りまくると言うのでは実現の可能性は全く無い。
 風力発電について見れば、既に導入された既存の風力発電はまともに稼動しているとはとても言い難く、単に税金の無駄遣いとそれによる里山の環境破壊、また一説には超低周波ノイズによる健康被害も報告されている。例えば当HPのリンクサイトである「日本に巨大風車はいらない」の最新記事である『やはり使い物にならない風力発電 ― 2009/07/26 11:27』などを見れば明らかであろう。また、風力発電をめぐる不明瞭な補助金政策については、敦賀市議である今大地はるみ氏のブログを見れば明らかであろう。
 民主党に限らず、脱原発を標榜し無批判に巨大風力発電を導入しようと言う社民党、あるいは共産党もまた然りである。彼らは、CO2排出量削減対策として巨額の国費を投入しようとしている。これは言い換えれば似非環境分野と言う新たな工業システムを巨額な国費の投入によって現在の工業生産システムに付加することを意味していることが理解できないようである。工業生産システムの肥大化とは石油や石炭消費の増大を意味するものであって、CO2排出量削減とは相容れないことを理解すべきである。既にこのHPで検討してきたように、石油を中心とする現在のエネルギー供給システムを自然エネルギーによって代替しようとすれば、エネルギー分野の工業生産規模は少なくとも数十倍に膨れ上がるのである。
 彼らが本気で自民・公明保守政権との決別を覚悟しているのであれば、官僚と御用学者によって作り上げられた、新エネルギーの導入によるCO2排出量削減と言うシナリオについても科学・技術的に徹底的に再検討すべきである。

No.416 (2009/07/03)NHKお馬鹿番組の記録04

2009年7月2日NHK総合『大人ドリル 地球温暖化 』
主な登場人物:NHK解説委員 藤原正信、室山哲也、嶋津八生

 NHK解説委員と称する人たちの自然科学的な認識能力の低さが良くわかる『好番組』。

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