日本気象学会第一裁判

 さて、5月27日の提訴の報道を受けて、この問題についてネット上でも論評を見ることが出来る。大部分は、新聞報道の表題、たとえば『論文掲載拒否で精神的苦痛と提訴 日本気象学会に元大学教授 ... 』を見て、この訴訟が個人の情緒的な問題だという見当違いな判断に基づく的外れなものが大部分である。

この訴訟の本質は、自然科学的真理を希求することを目的とする学会組織に参加している会員が、その最も根源的な権利であるはずの自然科学的な主張を行う機会を学会組織の一部幹部によって奪われたことについて、この処置の是非を問うものである。
 具体的には二つの事象から構成されている。一つは、気象学会の標準的な人為的CO2地球温暖化仮説と対立する内容を持つ槌田、近藤の連名の論文『大気中CO2濃度増は自然現象T』が、気象学会誌『天気』編集委員会によって合理的な説明のないまま掲載拒否された事件である。もう一つは、槌田による2009年5月の気象学会の春季大会の一般講演の申込みを大会事務局が拒否した事件である。

 ネット上で散見される主張を概括すると、次のようになる。
@気象学会の大会への一般講演の申込みに対する拒否は合理性が無い、あるいは通常このような事例は考えられない。
A気象学会誌への学術論文の掲載については、内容の検討(査読制度)によって掲載の諾否を判断するのは学会誌編集部の編集権に属する権限であり、掲載の拒否という処置は不当とは言えない。

 @については、ほぼ共通認識のようなのでここで検討することはしない。しかし大会事務局が、一般的に見ても異常と批判される可能性の高い、一般講演の申込み拒否という暴挙をあえて選択した背景には、槌田の講演内容が気象学会一部幹部にとって好ましくない内容であり、しかもその内容には科学性があり一般の学会員にこれが波及する可能性が高く、これを恐れた結果の判断であると考えるのが合理的であろう。
 取るに足らない内容で自然科学的な合理性がなければ、一般講演を許しても誰も見向きもしないであろうから、大会事務局は今回のような批判を受ける可能性の高い講演拒否などという異常な対応を敢えて選択する必要性は無い。

 さて、では学会誌への学術論文の掲載について検討することにする。学会組織とは、共通する研究分野の研究者が集まり、その研究成果を共有し、議論することによって当該研究分野の真理の探究に資することを第一義的な目的に組織された団体である。その中で中心的な事業の一つが、学会誌において学術論文の掲載によって当該研究分野における新しい研究成果を公開し、学会員の中で情報を共有することであろう。そのため、学会員の権利として学術講演会(大会)に参加すること(定款8条2)と同時に、学術論文を学会誌に寄稿する事が明記されているのである(定款8条3)。具体的には、日本気象学会の学会員は、日本気象学会誌『天気』への論文寄稿の権利を有するのである。
 ただし、定款には特に明文は無いが、学会誌への論文掲載においては、学会誌の学術的な価値を確保するために査読制度をとっている場合がほとんどのようである。
 査読制度の具体的な判断基準は二つである。
 まず第一は、自然科学的な論文の信頼性を担保するために、使用されたデータについて恣意的な操作や捏造が無いこと、データ処理、分析手法などに誤りが無いこと、論旨・論理展開に矛盾がないことを確認する作業である。
 次に、第一の条件をクリアーしたとしても、物理的に学会誌のスペースには限界がある。第二の判断基準は、論文テーマの重要性(科学的、社会的)あるいは緊急性による優先順位の判断である。

 さて、では今回の槌田論文について考えてみることにする。まず槌田論文のテーマは、今日の日本、そして世界の環境・経済政策の中心的な課題となっている地球温暖化対策、そしてその根幹となる自然科学的なバックボーンとなっている『人為的CO2地球温暖化仮説』について、観測事実に基づいてその科学的な信憑性を問うものである。これは極めて緊急性を要する自然科学的・社会的に重要なテーマであることは論を俟たない。よって、前述の査読における第二の判断基準からは、極めて優先順位の高い論文ということになる。これには異論は無いであろう。

 では問題となるのは、槌田論文のデータの信憑性や分析手法が掲載拒否の理由となったのであろうか?
 まず、データの信憑性についてであるが、今回利用したデータは、大気中のCO2の連続精密観測データとして信憑性の高いC.D.Keelingによる南極における観測データと、日本の気象庁による全球の平均気温データである。これらのデータはネット上にも公開されているものであり、いつでも検証可能である。恣意的な操作やデータの捏造が無いことは、査読過程においても全く議論の対象となっていないことからも明らかである。
 次にデータの分析手法についてである。今回用いた手法は大気中CO2濃度について、その時間変化率を求め、これを気温と比較し、気温とCO2の時間変化率の関数関係の第一次近似としての線形関係を求めたものである。この手法についても査読段階において特に問題視された経緯は無い。

 では一体何が問題となったのであろうか?
 標準的な人為的CO2地球温暖化仮説では、まず第一の『仮定』として、大気中のCO2濃度は、産業革命以降において長期的には人為的に排出されたCO2の蓄積によって上昇しており、短期的な自然変動と長期的な上昇傾向はまったく別の変動機構に支配されているとする。そして、近年観測されている気温の上昇傾向は、大気中に蓄積された人為起源のCO2の長期的な影響による大気の温室効果の増大によってもたらされているとしている。
 槌田論文では、この標準的な人為的CO2地球温暖化仮説の『仮定』そのものについて、人為的な影響と自然変動とに分離して考えるという従来の恣意的な取扱いそのものに対して異議を提起しているのである。それ故、分析手法としてC.D.Keelingが行ったように観測データから長期的な傾向を除くという恣意的な操作は行わずに、一貫して観測データそのものを分析しているのである。それ故、槌田論文の得た結果とは、気温と大気中CO2濃度の関係を包括的に示したものである。
 この論文の査読、そして最終的な掲載拒否理由となったのは『数年規模のデータから引き出せる因果関係を、長期的な規模のデータの因果関係と同じであるとするが、それには説得力ある論拠が示されていない』というものである。槌田論文においては一貫して長期的傾向と短期的変動を分離するなどと言う操作は行っていないのであり、この拒否理由は編集者の誤読あるいは故意の歪曲である。
 あるいは、槌田論文が日本気象学会の標準的な人為的CO2地球温暖化仮説に用いられている分析手法(気温とCO2濃度に対して長期的な傾向と短期的な変動を分離して取り扱うこと)に準拠しない論文だと言うことを理由に掲載を拒否しているのである。

 結論として、今回の槌田論文の掲載拒否の理由は、槌田論文が日本気象学会の標準的な人為的CO2地球温暖化仮説と異なる結論を示していること以外に無く、これは査読制度による論文の検証の範囲を逸脱した編集権の濫用以外の何物でもないと考える。

(2009/06/06)

HP管理者 近藤邦明

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