No.1298(2020/01/22) ダボス会議におけるグレタ嬢の発言を検証する
人為的CO2地球温暖化に対する非科学的な環境保護運動のドグマ

 繰り返しますが、私は個人的にはグレタ嬢に恨みはなく、むしろ悪い大人たちに利用されている哀れな人だと思います。しかしながら、グレタ嬢の言葉として世界中に発信されている内容については徹底的に糾弾していかなければならないと考えています。決してグレタ嬢に対する個人的な攻撃ではないことを確認しておきます。

 さて、現在スイスで開催されている世界経済フォーラムの年次総会、通称ダボス会議におけるグレタ嬢の発言を例に、人為的CO2地球温暖化に対する環境保護運動の非科学的な主張について検証しておくことにします。

 まず、新聞に掲載された報道を示しておきます。

 以下、記事に紹介されているグレタ嬢の発言の内赤線を付した部分について検討していきます。

 まず、グレタ嬢はCO2放出量が削減できていないことを批判しています。
 前回の記事で示した通り、確かに1994年に気候変動に関する枠組条約発効した後も世界のCO2排出量は急速に増加しています。これは、前回も述べた通り、工業化社会を支える主要なエネルギーが石炭と炭化水素燃料=化石燃料であることから、工業生産による経済成長が続く限りCO2排出量が減ることはありません。
 この間、欧米や日本などの先発の工業国の経済成長は緩やかになってはいますが、それでも拡大傾向が続いています。更に、近年は後発のアジア大洋州の工業化の勢いが顕著であり、その結果近年のCO2排出量の増加傾向は強くなっています。
 一方、欧米や日本では大金をつぎ込んで温暖化対策を行っており、グレタ嬢が言うように「何もしていない」わけではありません。しかし実質的にCO2排出量が減っていないので「CO2排出量削減は成し遂げられていない」のは事実です。
 前回も述べたように、温暖化対策に莫大な資金を投入して「工業的手法」、具体的には低効率の自然エネルギー発電を導入しても、CO2排出量は減らない点に注目すべきなのです。これは、資源とエネルギーの消費が拡大した一方で化石燃料消費も減らないことを示しているのです。つまり、グレタ嬢が推進しようとする温暖化対策をいくら進めても、意に反してCO2排出量は減ることはないのだということを冷静に受け入れるべきでしょう。
 現在の温暖化対策=温暖化対策に供する工業製品の増産に大金をつぎ込めば、再生可能エネルギー発電装置などの化石燃料利用効率の低さから工業生産規模が拡大し、したがって工業分野における化石燃料消費が爆発的に大きくなるのは必定です。

 上表は太陽光発電パネルの製造量のランキングです。6位までは全て中国製です。また、下図は国別のシェアです。つまり大多数の太陽光発電パネルは、石炭火力発電などによる安価な電力供給が可能な中国をはじめとする日本以外の東アジア諸国によって製造されているのです。

 要するに、再生可能エネルギー発電装置は莫大なCO2排出によって作られているのですから、CO2排出が減らせるわけはないのです。再生可能エネルギー発電によって供給される電力だけを用いることで、再生可能エネルギー発電装置システム(発電装置のみならず、送電線網建設や蓄電装置などを含む)が拡大再生産可能でなければ、CO2排出量を削減することなど虚像にすぎないのです。非科学的な環境保護運動家たちには、残念ながら、この点が全く理解できていないようです。

 次にグレタ嬢は、「科学を重視」することを述べています。この点はまったく同感です。ただし、グレタ嬢はIPCCに集うペテン師気象学者たちの主張が科学であり、真摯に自然科学に取り組む科学者による人為的CO2地球温暖化説の誤りを指摘する意見に対して聞く耳を持たず、排斥しているのですから、一体どちらが科学を軽視しているのでしょうか?(笑)。自らの傲慢さに気付くべきでしょう。

 グレタ嬢は彼女たちのいうところの人為的CO2地球温暖化を「私たちの家は『依然として』燃えている」と詩的に表現して、人類始まって以来の災厄であることを強調しているようですが、これも自然科学的に見てまったくの誤りです。

 人類の直系の祖先である旧人類の登場が50万年程前だと言われています。50万年前には既に現在の氷河期に入っていました。つまり地球史的には5回目の氷河期であり(上図の右端)、地球史において寒冷な時期です。
 現在の氷河期以前の地球には遥かに高温の時期があり、その時代においても地球上は生命に溢れていたのが分かっています。決して、地表の生態系が「燃えつくしていた」わけではありません。

 もう少し詳しく見たのが上図です。約100万年程前から、ミランコビッチサイクルに伴うほぼ10万年の周期の氷期−間氷期サイクルが現れ始めました。現在は間氷期にあり、幸い比較的暖かい時期にあります。この現在まで1万年間程度続いている間氷期を地質年代的には完新世と呼んでいます。

 グリーンランドのアイスコア分析から完新世の気温変動を復元したのが上図です。完新世に限っても現在は低温な時期にあることが分かります。
 歴史的には、6000年ほど前の完新世温暖期は温暖で農耕文明が多数興り、日本でも縄文文化の最盛期を迎えました。ミノア温暖期には地中海文明が栄え、ローマ温暖期は言わずと知れたローマによる世界帝国が興り、中世温暖期には平安貴族たちが我が世の春を謳歌しました。
 このように自然科学的、歴史的に見れば、グレタ嬢の詩的な表現は科学を無視した暴言なのです。

 グレタ嬢は、「化石燃料依存からの抜本的な脱却」を主張していますが、一体どのような処方箋を持っているのか、是非具体的に示してほしいものです。

 

No.1297(2020/01/19) エネルギー分野のCO2削減技術の有効性を考える
再生可能エネルギー発電の導入で人為的なCO2放出量は減ったのか?

 1992年にリオデジャネイロで気候変動に関する国際連合枠組条約が採択され、1994年に発効して既に四半世紀が経過しています。
 この間、1997年12月の第3回締約国会議COP3京都会議において京都議定書が採択され、2008年から2012年の温暖化ガス(≒CO2)削減の第一次の実施期間が設けられました。更に2015年12月のCOP21パリ会議において2020年以降の温暖化ガス削減を取り決めたパリ協定が結ばれました。

 これを受けて、世界各国でそれなりに『温暖化対策』=『CO2削減対策』がとられているのだそうです(笑)。その中心的な対策が、電力供給システムの非化石燃料化、いわゆる再生可能エネルギー発電の導入です。具体的には太陽光発電と風力発電を中心とする自然エネルギー発電です。しかし、この方針は全くCO2放出量削減の実効性はありません。

 まず、世界の最終エネルギー消費における電力の割合はそれほど大きくなく、その電力の一部を火力発電から再生可能エネルギー発電にしたところで、効果は限定的です。

 次に、再生可能エネルギー発電は、原子力発電同様、発電過程においては化石燃料を使いませんが、発電装置システムは高度な工業製品であり、その製造段階で大量の化石燃料が消費されています。しかも、同じ出力の火力発電システムに比較して再生可能エネルギー発電システムが必要とする装置システムの規模は少なくとも10倍以上になるため、装置製造過程、メンテナンス、耐用年数を過ぎた後の廃棄などに投入される化石燃料の量は飛躍的に大きくなります。
 結果的に、同量の化石燃料を火力発電システムと再生可能エネルギー発電システムに投入した場合、再生可能エネルギー発電の生涯供給電力量が火力発電のそれを上回る可能性は極めて低いと考えられます。要するに、火力発電を再生可能エネルギー発電に変えたところで、化石燃料消費は削減できないということです。
 ただこの点は、明確な数値が出されていないため、確定的なことは言えません。しかし、再生可能エネルギー発電を導入する正当性を主張するのであれば、本来ならば最初にこうした数値を明らかにしてからにすべきであり、敢えてこれに触れないことが何より、再生可能エネルギー発電の化石燃料利用効率が低いことを暗示していると考えます。
 少なくとも、再生可能エネルギー発電システムの導入で、無条件にCO2放出量が削減できる保証は、今のところどこにもないということです。

 これ以上定性的な技術評価をしても仕方ありませんので、具体的な統計数値から、CO2削減対策が機能しているのかどうかを見ておくことにします。

 まず、直接的なデータである、世界のCO2排出量の経年変化を示します。図から明らかなように、気候変動に関する枠組条約が1994年に発効した後も、上昇を続けています。例外的に減少しているのは、2008年に発生したリーマンショックの影響による世界的な経済の縮小が起こった時期だけです。このように、短期的なCO2排出量の変動≒一次エネルギー消費量は経済規模の変動に同期しているのです。

 気候変動に関する枠組条約発効後には、先進工業国を中心に様々な温暖化対策が行われたといいますが、経済的な原因以外でCO2排出量が減少したことはないことが分かります。

 

 下図に、世界の一次エネルギー消費の動向(石油換算)を示します。当然ですが世界の経済規模の拡大=工業生産量の増加に伴い、気候変動に関する枠組条約発効後も、一次エネルギー消費量は一貫して増加傾向を示しています。唯一の例外はリーマンショックに伴う経済の後退した時期だけです。
 上図と下図を比較すれば明らかなように、工業化社会を支えている主要なエネルギーが石炭及び炭化水素燃料なので当然ですが、CO2排出量は一次エネルギー消費量とほとんど同じ傾向を示します。
 付言しておきますと、一次エネルギーの内、原子力と再生可能エネルギーについては、果たして一次エネルギーに加えるべきなのか、大きな疑問があります。
 原子力発電であれば、ウラン鉱石を採掘し、これを長大な精練・濃縮などの加工工程を経て初めて原子炉用の核燃料となります。核燃料は『エネルギー集約的な工業製品』です。また、自然エネルギーは自由財であり、それ自体には価値がありません。自然エネルギー発電の本質は巨大な工業製品である発電装置です。
 したがって、核燃料加工や発電装置の製造・建設、装置の運用や廃棄物処理において莫大な化石燃料が投入されており、それを差し引いた純電力生産がプラスになるかどうか、きわめて怪しいのです。
 以上の特性から、原子力や自然エネルギーは二次エネルギーに分類すべきです。私見としては、実質的な一次エネルギー消費量から原子力と再生可能エネルギーを差し引いた方が実態に近いのではないかと考えています。

 いずれにしても、ここまでの資料で分かることは、現在の一次エネルギー消費量の大半を占めているのは石炭及び炭化水素燃料=化石燃料であり、その消費量は増加傾向を示しており、工業を基盤とする経済成長路線を維持する限り、これをゼロにすることなど、荒唐無稽な目標としか言いようがないということです。
 また、欧米・日本では再生可能エネルギー発電を国費を投入し、あるいは消費者から負担金を徴収して拡大させようと無理をしていますが、実質的な効果はほとんど上がっていないことが分かります。
 しかも現段階で既に電力料金の高騰、国家予算措置の破綻が顕在化しつつあり、再生可能エネルギー発電の導入計画の見直しが行われているのが現状です。つまり、巨額の資金を投入しても再生可能エネルギーの化石燃料利用効率の低さという決定的な技術的問題が解決できないことが明らかになったということです。CO2排出量削減対策として再生可能エネルギー発電の導入は実効性がないということを認識すべきであろうと考えます。

 上図は、一次エネルギー消費量の地域別の内訳を示しています。OECDのシェアは低下傾向を示していますが、絶対量は増加傾向を示しています。アジア大洋州の増加は著しく、化石燃料消費量を低下させることはほとんど不可能と考えるべきです。

 では日本の状況はどうなのでしょうか?下図の日本のCO2排出量の変動グラフをもって、『日本の再生可能エネルギー導入によるCO2排出量の削減は成功している!』などという能天気なことを言っている方がいるようです(笑)。
 その主張が正しい場合の前提は工業生産規模が変化していない、社会のエネルギー総消費量が変化していないことが必要です。図から明らかなように、2008年から2010年にかけて日本においてもリーマンショックの影響による経済不況の影響がCO2排出量の低下に貢献しているのです。
 したがって、2014年以降のCO2排出量の低下も経済の後退がく影響していると考えるのが妥当です。

 また、上図は近年の変動傾向を際立たせるためにスケールを細工しているので全体像がつかみにくくなっています。この図の縦軸を圧縮して、全体像が分かるようにしたのが下のグラフです。

 こうしてみると、リ−マンショックによる一時的な景気後退、2014年以降の景気後退もそれほど極端なものではなく、この四半世紀のCO2放出量は1200百万トン前後で推移しているということです。

 上図は日本の一次エネルギー消費量の経年変化です。この図からは2014年からの低下傾向が読み取れます。つまり、日本は2014年から工業生産規模が低下し社会全体のエネルギー消費量が低下していることが分かります。
 つまり、日本のCO2排出量の変動も経済規模に同期しているのであって、再生可能エネルギー導入量の増加でCO2排出量が減ったという主張にはまったく根拠がないということです。
 付言すると、日本の再生可能エネルギーの中核である太陽光発電パネルの多くはエネルギー費用の安い海外生産品ですから、輸入された太陽光発電パネル製造に投入された化石燃料は日本の一次エネルギー統計には計上されていません。同様にCO2排出量にも計上されていないことを確認しておきたいと思います。

 参考のために、上図に主要国の2005年平均を100とした鉱工業生産指数を示します。日本の変動は、CO2排出量の変動とよく同期しているように見えます。

 以上、間接的な資料から、「果たして再生可能エネルギー導入によってCO2排出量が削減されているのか?」ということを見てきましたが、明確に実効性があると主張するに足る統計資料はないということのようです。
 今年からパリ協定の実施年に入りますが、公的資金の投入や国民に費用負担を求めるというならば、最低の条件として、再生可能エネルギー導入の科学的な妥当性を示すことが責務であろうと考えます。闇雲に再生可能エネルギー導入を進めるのではなく、本気で技術的な妥当性を検討することこそ今求められているのです。

 

No.1296(2020/01/17) エネルギー技術、地震予知、人為的CO2温暖化
繰り返される自然科学者、技術者による国家予算の詐取と問題の隠蔽

 早いもので、1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震、通称『阪神・淡路大震災』から四半世紀が経過しました。このところ阪神・淡路大震災に関する報道が目につきます。学生時代を大阪で過ごした私には多少思い入れのある出来事でした。昨日のNHKの朝のニュース番組に、土木工学を専攻していた同じ研究室の一年後輩の神戸市役所で働いていた知人が震災当時の回想を語っていました。

 さて、「人為的に放出されたCO2による大気の付加的な温室効果によって地球の気温が異常に上昇する」という『人為的CO2地球温暖化説』が、世界的に圧倒的多数の人々によって信じられています。むしろ、私を含めて、これを疑う者こそ異端者であるとして、社会的に抹殺されているのが現状です。
 一般的には人為的CO2地球温暖化説は自然科学的に誤りであるはずがないと言う前提で物事が進んでいます。この種の自然科学的な問題は、その道の専門研究者の発言を信じるしかないと言う、大多数の人々の諦めないし思考停止状態によって、『カッコつきの専門家集団』によって恣(ほしいまま)にされることが間々起こります。
 近現代の自然科学や技術は、特に国家予算を必要とするような金のかかる大きなプロジェクトほど、経済的な打算によって支配されることになります。「自然科学者や技術者は嘘はつかない』というのは「善良な庶民」=愚か者の儚い思い込みに過ぎません。

 例えば、戦後まもなく開始された日本の原子力エネルギー技術開発は好例の一つです。日本の原子力開発は、資源小国日本を自前のエネルギー生産国にすることを目標として始められました。そのためには、最低の技術開発目標として核燃料サイクル技術の確立と高速増殖炉の安定運用が必要でした。究極的には熱核融合炉の安定運用を目指すというものでした。
 しかし技術開発は遅れに遅れ、結局実用に供されているのは、不完全な軽水炉原子力発電という、日本が原子力発電に着手した当時から既に存在した技術から一歩も出ぬままに、終焉を迎えようとしています。
 この間、研究者・技術者たちは「もう少し金と時間があれば核燃料サイクルも高速増殖炉も実現可能だ」と言い続け、莫大な国家予算を食い物にしてきました。
 これに対して、誠実な科学者、例えば理化学研究所の研究員であった熱物理学の槌田敦氏らは、遅くとも1970年代には、原子力発電が何ら有用なエネルギーを生産できていないこと、熱核融合炉が無意味であることを繰り返し主張していました。
 しかし、現実には高速増殖炉もんじゅの破綻、核燃料サイクルはいまだまともに稼働せず、高速増殖炉核燃料サイクルは放棄され、軽水炉でMOX燃料を燃やすという定格外の運転で誤魔化しながら、福島第一原発事故という悲劇を経験し、その処理もまともにできず、放射性廃物を垂れ流すことになりました。
 能天気な日本国民も、さすがに福島の悲劇によってようやく原子力発電の問題を自覚し始め、焦眉の課題は高レベル核廃棄物の処分場をどうするのかという、いわば敗戦処理に移行しつつあります。

 もう一つの例は、冒頭でも少しふれましたが、土木屋としても関係の深い地震予知研究です。地震予知研究は1965年に開始されました。私が土木工学を学び始めた1970年代後半には、防災に役に立つようなレベルで地震を予知することは不可能であるということは、業界内では半ば常識となっていました。
 これは巨大地震の再現の時間スケールと人間のライフサイクルを考えれば、地震防災で必要なピンポイントの時間スケールの予測が不可能であることは、何も地震研究の専門家ではなくても、論理的な思考の出来る一般人にとっても理解できる当たり前のことでした。しかし現実には、その後30年以上も地震防災に役立てるという名目で地震予知研究は継続されました。
 25年前に阪神・淡路大震災の巨大地震災害を経験し、その後も鳥取県西部地震、中越地震という震度7を超える地震が起こりました。
 その結果、地震予知に携わる研究者たちも、ようやく地震防災のための地震予知は不可能であるということを認めざるを得なくなり、2008年10月1日から『緊急地震速報』を発表することに方向転換した
のです。
 地震予知と緊急地震速報はまったく次元の違う情報です。緊急地震速報は、地震が発生した後に出される情報であり、その有用性には疑問がぬぐえません。
 そして、2011年には東北地方太平洋沖地震という巨大地震を経験することになりました。しかしながら、被害が広範囲に及ぶ巨大地震や、熊本地震のような内陸部の直下型地震では、『緊急地震速報』は全く役に立たなかったことは、私自身、熊本地震で誘発された別府での地震で身をもって経験しました。

 戦後日本において、自然科学者や技術者たちによって引き起こされた国家や国民を騙し続けることで莫大な国家予算を食いつぶした出来事を紹介してきました。結局愚か者の国民は現実の巨大地震や原子力発電所の大災害によって悲惨な実体験をするまで、彼らの嘘を見抜けずに、唯々諾々と彼らのいうことを信じてきたのです。

 そして現在は『人為的CO2地球温暖化』です。
 人為的CO2地球温暖化説が誤りであることは、中学生にだってわかることです。地球低層大気の地表面放射に対する吸収量の90−95%程度は水蒸気が担っており、CO2による吸収は幾ら多めに見積もっても5%程度です。そして、大気中CO2量に占める人為的なCO2放出量の割合は4%程度です。
 したがって、地球の低層大気の地表面放射に対する吸収量に占める人為的に放出されたCO2による影響は全体のわずか0.2%に過ぎません。これはほとんど誤差の範囲であり、問題にする必要がないことは分かり切ったことです。
 しかし今、またしても能天気な人々は思考を停止してしまい、まんまと悪知恵の働く気象研究者の言葉を信じて『人為的CO2地球温暖化説』という世界を巻き込む巨大な嘘に騙されているのです。

 

No.1295(2020/01/16) グレタ嬢の活躍を最も期待しているのは誰?
それは『CO2排出量削減対策』によって最も利益を得る者

  グレタ嬢の話題には飽きてしまわれた方も多いかもしれません(笑)。グレタ嬢は思い込みの強い世間知らずの女の子であり、その純粋さ故に、本人自身も気づいていないかもしれませんが、極めて排他的な考え方に凝り固まっているようです。しかしこれは、わずか16、7歳の女の子としては珍しいことではなく、ことさらに非難されるべきことではないと思います。
 しかし、グレタ嬢の考え方を組織的・大規模に敷衍することは極めて危険なことです。繰り返しこれまで述べてきたように、これは温暖化問題に対する学問的な研究までを攻撃する『温暖化ファシズム』と呼ぶべき化け物です。
 本当の問題は、世間知らずで科学的知識の乏しい十代の少女を担ぎ上げてマスコミに曝している取巻きの大人たちの行動です。
 マスコミや似非知識人たち、そして世論は、女性や子供などの弱者というカテゴリーに属する存在の意見に対しては極端に寛容で、非論理的になり、面と向かった論理的な批判を放棄してしまう傾向があります。この性向を利用して、運動や政治の旗印に少女を担ぎ上げることで、論理性よりも感情に訴えることで、非論理的な主張に対する批判的思考の停止状態を作り出し、無理筋の主張を社会的に認めさせようとたくらむ者たちがいるということです。
 このような策略はこれまで何度も繰り返されてきています。例えば、欧米によるイスラム圏に対する横暴を正当化するために担ぎ上げられたノーベル賞受賞者であるマララ・ユスフザイ嬢は記憶に新しい所です。
 一般的に、子供や女性、弱者を旗印に担ぎ上げるような政治・社会運動には危険なものを感じるべきだと考えます。

 少し前置きが長くなりました。さて今回の本題は、『グレタ嬢が主張する温暖化対策』の推進を最も期待しているのは誰であり、それはなぜなのかという点について考えることにします。

 COP25では、パリ協定の実施に関して、ほとんど具体的な取りまとめができずに終わりました。この点について、グレタ嬢や環境保護運動家たちは一様に落胆したわけです。
 しかし、この結果はとても歓迎すべきことだと思います。COP25に参加した国家の代表たちは、国家や国民に対して責任を持たねばならないはずですから、無責任な環境保護運動家とは異なり、予算措置を伴うからには実効性のある方針を示さなければなりません。今回のCOP25で具体的な進展がなかったのは、ようやく現在の「温暖化対策技術・政策」では、CO2放出量の削減がおぼつかないということを政策担当者も理解し始めた現れではないかと考えます。

 くどいですが、確認のためにこのホームページの『温暖化問題』に対する立場を確認しておきます。

 産業革命以降の温度上昇は、基本的に自然現象としての小氷期からの温度回復過程において現れたものであり、主に太陽活動の活性度に応じた温度変化です。また、産業革命以降の大気中CO2濃度の上昇量100数十ppmは、主に温度上昇による結果です。産業革命以降の人為的なCO2放出による大気中CO2濃度の上昇は、高々15ppm程度です。
 したがって、自然現象である温暖化に対する対策として人為的なCO2放出を削減するなどということは、主因を見誤った上に、原因と結果を取り違えた無意味な対応です。

 さて、それでも限りある石炭・石油・天然ガスなどの有用資源を有効に使うという意味で、これらの化石燃料に対する依存を減らすことは正しい選択です。したがって、温暖化対策はさておき(笑)、CO2排出量削減=化石燃料依存度の低減については支持します。

 ところが、現在温暖化対策=CO2排出削減対策として提案されている技術の内容は、温暖化対策以前の工業システムに比較して、温暖化対策のための新たなシステムを付加することによって、資源浪費的、したがってエネルギー浪費的なものになっています。つまり、温暖化対策の普遍化によって、CO2放出量は増加する可能性が極めて高いのです。
 その帰結として、同じ便益を得るための製品価格は高くなります。本来の自由経済の市場原理からは、このような高価な製品は売ることは出来ず、市場によって淘汰されます。
 ところが、温暖化対策という錦の御旗によって、国家政策として温暖化対策を施さない製品にはペナルティーが科され、逆に温暖化対策製品には国家からのお墨付きが与えられるばかりでなく価格の一部が金銭的な補助として支払われます。

 こうして本来ならば売れるはずのない高額商品が温暖化対策という大義名分を得て売れる商品になっているのです。したがって、企業は濡れ手に粟の高利益率の高額商品を売ることができる温暖化対策には大賛成することになります。

 象徴的な出来事だったのは、COP25で見るべき具体的な施策が決定できなかった半面、日本の巨大企業の仲良しクラブである経団連が『CO2排出ゼロ』を目指すとした方針を打ち出したことです。

 内容を見ると、技術イノベーションによって新規事業を開拓し、投資を呼び込み成長産業分野にするということです。

 総じて、国家の温暖化対策予算を引き出して、更なる工業化社会の拡大を目指す『経済戦略』をまとめたものです。冷静に考えれば、工業生産に基づく経済成長路線は、本来環境問題の解決と全く逆行するものであり、工業生産規模の拡大=材料資源・エネルギー資源消費量の増大、つまり、CO2排出量の増加になることは、ほとんど自明のはずですが、企業はそんなことを本気で考えることはないのです。企業の目的は、経済の肥大化、儲けの最大化なのだということを確認しておかなくてはならないでしょう。

 つまり、グレタ嬢の主張する温暖化対策で最も利益を得るのは、温暖化対策という名目で消費者から巨額の利益を得ることになる企業集団なのです。

 年明けに、これまた象徴的な出来事がありました。経団連の主要企業の一つである、トヨタが、技術の粋を結集した(笑)、スマートシティーのプロトタイプを建設する計画をラスベガスで発表したのです。

 スマートシティーとは、極限までメカトロニクスに依存した、資源、エネルギー浪費的な都市です。温暖化対策とスマートシティーが並立的に扱われるところに、科学的批判精神の欠落した社会状況が反映されているように思います。

 

No.1294(2020/01/06) 寒中お見舞い申し上げます。
人為的温暖化の脅威という虚像に立ち向かう時代錯誤のドン・キホーテ

 今年は気候変動に関する国際連合枠組条約締約国によってCOP21において採択された2020年以降の気候変動(=温暖化)に対する国際的枠組み協定=パリ協定の開始の年です。

 この協定の対象である人為的CO2地球温暖化による自然環境に対する脅威は、自然科学的に何ら確認されたものではなく、虚像に過ぎません。自然科学的に確認できていなくても、予防原則を盾にこれを正当化することが出来るという者もいますが、そうでしょうか?予防原則が合理性を持つのは、自然科学的な因果関係を立証するには至っていなくても、その蓋然性が極めて高いと認められる場合です。
 人為的CO2地球温暖化説は、きわめて自然科学的に出来の悪い仮説であり、それにもかかわらず、現在では政治的に強力に庇護され、その科学的検討作業が半ば禁止されており、これに反対する科学者・市民は社会的に抹殺される状況にあります。「人為的温暖化の脅威」とは「温暖化ファシズム」という政治体制によって強制された思想になっているのが現状です。

 それでも、将来世代に対してこの誤った温暖化ファシズム体制による被害を少しでも削減するために、心ある諸賢の奮起を期待するものです。

 以下、今年の寒中見舞いの全文を掲載しておきます。

 

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