No.1347(2021/04/09) 非科学によるCO2温暖化対策技術の惨状E
技術の細分化と科学技術万能主義による誰も責任を取らない共同幻想社会

 これまで5回の連載でCO2地球温暖化対策技術・脱炭素技術に関する科学不在の恐ろしい現実について、いくつかの事例を取り上げて書いてきました。しかし一体どうしてこんなバカなことが起こるのか、昭和に自然科学教育を受けた私には全く理解不能です。
 かつて熱物理学の槌田敦さんと話したのですが、槌田さんは理化学研究所時代には核技術に関してコンピューター解析に忙殺されたこと、その結果コンピューターの中に創られた仮想現実に引きずられて、現実世界の現象としての科学を見失うことになったと語られました。これを教訓に、それ以後は紙と鉛筆で思考することにしているとも。
 私自身も鋼構造物などについてのコンピュータープログラムの開発、構造解析を行ってきましたが、やがて技術屋はコンピューターのオペレーターになってしまい、解析結果に対する妄信、解析条件の誤りについて無頓着になっていったことを覚えています。

 コンピューターの登場によって、自然科学は大きく変質してしまいました。特に超大型高速コンピューターによる仮想現実空間における数学モデルによるシミュレーション(現実世界の現象の模倣計算)の普遍化によって、研究者自身が仮想空間と現実の境界を見失ってしまいつつあるようです。
 科学とは本来、現実世界の現象を注意深く観察し、その現象の本質的な仕組みを帰納的に抽象する過程でしたが、大型コンピューターの登場とシミュレーションの普遍化によって、科学はコンピューターの仮想空間で再現され、実験され、検証されるもの、演繹的な過程になってしまいました。
 演繹的な過程からは何も新しい自然科学的な知見を得ることは出来ません。なぜなら、コンピューターコードとは、過去の自然科学的な知識からプログラマーが選択した限られた理論によって組み立てられたものなので、プログラマーの認識を超えるような現象は表現不可能です。プログラマーが全知全能の神でない限り、現実世界の自然現象を100%写し取って模倣することなど端から不可能なのですから。
 しかし最近の若い研究者の多くはコンピューターの仮想空間における現象こそ「真理」なのだと認識するようになっています。コンピューターシミュレーションの結果と現実世界の現象の結果が合わない場合には、現実世界の現象の方が『異常』なのだという倒錯した判断を平気でするようになってしまいました。
 「まさかそんなことはないだろう」とお考えの方も多いかもしれません。しかし正に人為的CO2地球温暖化に対する現在の主流の考え方がそうなのです。
 だいぶ前になりますが、福岡在住の気象予報士の知人の話では、気象予報士会に講師として招いた気象研究者は、会場からのシミュレーションと実際の気象現象が合っていないのではないかという問いに対して、「実際の気象の方がおかしくなっている」と大真面目で答えたそうです(笑)。
 また、2017年の九州北部豪雨に関するNHKの特集場番組に登場した名古屋大学の坪木和久氏はこの豪雨をコンピューターシミュレーションでは予測できなかったことを告白した上で、『それほど温暖化で現実の気象が異常になっている』と述べていました。ん、これは変でしょう?
 人為的なCO2放出による異常な温暖化を解明するためにシミュレーションを行っているわけですから、異常だから予測できないとは、人為的CO2温暖化シミュレーションの存在意義を否定するものです。つまり、コンピューターの仮想空間の気象モデルは現実の気象を正しく模倣することができていないということに尽きます。

 自然現象とは、如何に稀な現象であったとしても、それは物理的必然の表れであり、100%「正常」な現象です。現在使われている「異常気象」と言う言葉の意味は、自然科学的な異常=超常現象という意味ではなく、観測史上に記録がほとんどない稀な現象という意味であることに注意しなければなりません。
 少なくとも自然科学者の端くれであろう気象研究者が、実際の気象現象に対して『異常』=稀な自然現象なので予測できないと言うのは、自然科学者としての諦めであり、敗北宣言です。自ら作った気象シミュレーションの結果が現実と合わないということは、単純に気象シミュレーションが現実の自然現象を正しく表現できていない、誤りであるというだけのことです。

  全く蛇足ですが、理化学研究所の超高速コンピューター「富岳」を使って盛んにコロナ感染症に関して飛沫飛散のシミュレーションが行われています。あきれ果てます(笑)。
 飛沫の飛散程度の規模の現象であれば、実際に人を使って実験すれば済むことです。わざわざ不完全な数値モデルを使って映像化しなければならない必然性など存在しません。あるいは、超高速コンピューターの使い道は飛沫の飛散計算程度しか使い道がないのでしょうか?(笑)。富岳の飛沫飛散のシミュレーション映像をありがたがって報道するマスコミの愚かさは救いようがありません。

 閑話休題、こうした超高速コンピューターによる仮想空間における数値モデルによるシミュレーション絶対主義が現在の自然科学の一つの大きな問題だと考えます。特に、超高速コンピューターによるシミュレーションは、その計算条件も含めて、一般国民や部外者にとって検証作業を行うことすら不可能ですから、ペテン師や詐欺師にとってこれほど大衆や政治家、経済屋を騙し操るのに都合の良い道具はないのです。

 こうした科学状況を受けて、政治家や経済屋、あるいは文科系の似非知識人の多くは、ほとんど科学万能主義に洗脳されてしまっています。自然科学や技術によって、もはや人間様にとって解決不可能な技術的な問題はないのだとでも言うような傲慢な世界観が普遍化しているようです。
 したがって、温暖化は人間の放出したCO2が原因であることはコンピューターシミュレーションのご神託であって疑う余地はなく、人間社会からCO2放出をゼロにすることは、もはや科学技術の問題ではなく、政策選択の問題である、という結論が導かれているのではないか、と推測します。

 更に、現在の科学技術は分野が細分化され、周りの見えない蛸壺のような自らの領域内における問題にしか興味を持たない技術屋が大半を占めていることが、この無責任体制に拍車をかけています。
 脱炭素社会の要となるエネルギー供給技術については、再生可能エネルギー発電装置を製造する電機・機械・重工メーカーの技術者でさえ、自らの製造する発電装置が発電段階でCO2を出さないことにだけしか興味を持っていません。発電装置の製造、運転、メンテナンス、更新においてどれだけのエネルギーを消費しているのかなどには全く無頓着で、果たして実質的に電力を供給しているのかについてさえ考えていないのです。
 派生的なエネルギー供給技術である電気分解水素製造やメタネーションも然りです。

 また、エネルギーを消費する技術側では、例えば、車屋は車が走るときにだけCO2を出さなければよいと考えています。車が走るための電力や水素は車屋にとって所与のものであり、あずかり知らない問題です。車の製造に使う材料や機械設備や電力だって所与のものなのです。

 このように、政治家、経済屋、似非知識人、一般大衆は科学万能主義に洗脳され、科学や技術の内容については「専門家」と呼ばれるペテン師たちの言葉を疑わず、企業技術者たちは蛸壺に潜り込んで辺りを見ることを放棄しています。こうして誰もが責任を取らない無責任な共同幻想社会が今の世界なのであろうと考えます。共同幻想が破れた時の責任は、国家や企業がとることはありません。我々個人が責任をとる以外にないということを銘記しておかなければなりません。

 

No.1346(2021/03/30) 非科学によるCO2温暖化対策技術の惨状D
大分の誇るべき草原景観が愚かなメガソーラー発電所建設によって喪失する

 私は技術屋なので、人間社会にとって本当に必要不可欠な開発であれば、人間の手で自然環境を改変することを否定するつもりはありません。しかし、まったく馬鹿げた行為によって自然景観が破壊されてしまうことに対しては激しい憤りを感じます。

 個人的には豊かな自然の中で草花や景観を眺めることが大好きです。私の住む別府市は、阿蘇くじゅう国立公園の東の入り口にあたります。阿蘇くじゅう国立公園の特徴的な景観の一つが起伏豊かな草原景観だと思います。

 この景観は昔から連綿と人手をかけて野焼きを継続してきたことで維持されたものであり、原始の自然ではなく人と自然のかかわりの中で守られてきた言わば自然・文化景観です。毎年2月から3月にかけて広大な草原に火が放たれ、前年に伸びた草木が燃やされます。今は野焼きの直後の焼け野原状態の荒涼とした風景です。
 4月に入るとキスミレの大群落がそこここに広がり、湿原ではサクラソウが咲き誇ります。ハルリンドウやエヒメアヤメが咲いて、5月には緑の草原に再生します。野焼き後の草原の変貌には目を見張るものがあります。私の最も好きな季節です。蛇足ですが、「温暖化の虚像」の表紙は5月の由布岳南麓の草原の写真です。

 そんな草原景観の一つが由布岳・鶴見岳・伽藍岳の北麓に広がる塚原の草原です。ここに愚かにもメガソーラー発電所が建設されることになりました。

 既に、隣の日出町の里山の南面が広範囲にわたってメガソーラー発電所の建設によって剥ぎ取られ悲惨な姿になっていることは何度かこのコーナーで紹介しました。この里山の西に隣接するのがこの草原地帯です。

 現在の日本や世界の人為的CO2地球温暖化の狂騒状態の下では、「温暖化防止」のためという大義名分のもと、近視眼的な金銭欲に侵された守銭奴たちによって、日本中の豊かな里山や美しい自然景観が破壊され続けることになります。温暖化対策による環境破壊はまだ始まったばかりです。悲しいことです。温暖化がカラ騒ぎであったことに気付いた時には、国土は荒れ果てているのであろうと思うと・・・。

Copyright (C) 2013 環境問題を考える All Rights Reserved.