No.1353(2021/05/19) 非科学によるCO2温暖化対策の「常識」を考えるD
「CO2に次いで大きな温室効果ガス、メタンCH4の削減が必要」という主張

 CO2地球温暖化が虚像であることは既に詳細に報告してきました。詳細については、『温暖化の虚像』の3章、4章をご覧ください。

 今朝のNHKのニュース番組で、温暖化防止研究として、『牛のげっぷ』や排泄物からのメタンCH4などの温室効果ガスを減らすための研究が大真面目で行われているという、およそバカバカしい研究が行われていることが紹介されていました。
 ネット上を探すと、時事通信社のホームページに関連記事がありましたので紹介しておきます。


 まず、『温室効果がCO2の25倍』についてです。これは、地球温暖化係数(GWP)のことであろうと思われます。この記事だけを見ると、メタンが増えるのは大変だと思う方も多いのではないでしょうか?

地球温暖化係数(GWP:Global Warming Potential) とは、二酸化炭素を基準にして、ほかの温室効果ガスがどれだけ温暖化する能力があるか表した数字のことです。すなわち、単位質量(例えば1kg)の温室効果ガスが大気中に放出されたときに、一定時間内(例えば100年)に地球に与える放射エネルギーの積算値(すなわち温暖化への影響)を、CO2に対する比率として見積もったものです。(JCCCAのホームページ)

 まず、地球の大気組成を見ると、CO2の体積濃度は400ppm程度、CH4の体積濃度はわずか1.9ppm程度です。CO2の分子量は44、CH4の分子量は16です。したがって、質量比は

400×44 : 1.9×16 = 17600 : 30.4 ≒ 579 : 1

です。単位質量当たりで25倍という数字は、殊更メタンの赤外活性の大きさ=温室効果を大きく見せるための詐欺的な表現です。現状の低層大気による地表面放射の吸収局面において、メタンの効果は無視してもかまわない存在です。

 次に、地球温暖化係数は、放射エネルギーの『積算量』だけに注目していますが、これでは全く話になりません。温室効果=赤外活性には、赤外活性気体毎に固有の吸収波長帯域があることを全く無視しています。

 上図は、地表面放射の波長分布(M(λ,255)は温室効果のない平均温度255Kの地球表面からの赤外線放射、M(λ,288)は平均温度288K、15℃の地球表面からの赤外線放射)を示しています。
 その下は、地球の対流圏下層大気の主要な温室効果ガスの赤外線吸収率の分布を示しています。一番下は大気の合計の吸収率を示しています。

 図から、対流圏下層大気の赤外線吸収において主要な役割を果たしているのは圧倒的に水蒸気H2Oであることがわかります。
 水蒸気以外では、4.2μm付近と15μm付近でCO2による吸収があります。更に10μm付近でオゾンO3の吸収が確認できます。

 図からわかるように、電磁波に対する吸収率は1.0を超えることはありません。水蒸気による吸収率1.0の帯域と重なってしまう部分は全く効果はありません。したがって、CH4の7〜8μm付近の帯域はH2Oの吸収率1.0の帯域にほとんど重なっているため、いくら増えても効果はありません。また4μmから短波長側では、地表面放射がほとんどゼロなので、この範囲も全く効果はありません。
 以上から、現状から多少メタンが増えようとも、地球大気の温室効果に与える影響はほとんど観測不能なほど小さいのです。「牛のげっぷに含まれるCH4を減らす」などというのは誠に愚かな研究と言うしかありません。

 

No.1352(2021/05/14) 非科学によるCO2温暖化対策の「常識」を考えるC
「再生可能エネルギー発電電力は地産地消の分散型エネルギー」という主張

 前回の続きの議論から入ることにします。

 現在、家庭用の太陽光発電装置を利用されている方も多いのではないでしょうか?テレビCMでも「電力自給型の住宅」という類のキャッチフレーズをよく耳にします。

 現在の戸建て住宅用の標準的な太陽光発電装置の定格出力は3kW〜5kW程度でしょうか。面積は30m2〜50m2程度でしょう。日本の平均的な気象条件での発電実績は120kWh/(m2年)くらいでしょう。3kWシステムでは1日当たりの平均発電量は次の通りです。

120kWh/(m2年)÷365(日/年)×30m2=9.86(kWh/日)≒10(kWh/日)

 一方、一般的な家庭の消費電力は20kWh/日〜30kWh/日程度でしょうか。つまり、設置している太陽光発電装置だけでは全く自家消費分を賄えないということです。
 では不足分をどうするのか? これは通常の電力供給ネットワークに接続して、足りない電力は電力供給ネットワークから調達するということです。一方、余剰電力が出れば、電力供給ネットワーク側の都合にかまわず「逆潮流」として流し込み、電力供給ネットワークに大きな負担をかけているのです。

 このように、個人住宅用の太陽光発電装置は基本的に従来の電力供給ネットワークに接続して運用することが大前提であり、地産地消=自給型の独立したエネルギー供給システムとは程遠いのです。

 では独立したエネルギー供給システムにすることは出来ないのでしょうか?これは技術的には不可能ではありませんが、べら棒に高額になるために現実的には採用されていないのです。では一体どのくらい高額になるのでしょうか?モデル計算をしてみましょう。

 モデルの条件は、家庭の平均電力消費量を20(kWh/日)、太陽光発電装置は6kWシステム(実質の平均発電量が概ね20kWh/日)とします。
 しかしこれだけでは家庭の電力を賄うことは出来ません。十分に発電のできない日や夜間電力を供給するために蓄電装置が必要です。独立したエネルギー供給システムとするためにはどの程度の容量が必要なのかは、かなり難しい判断です。比較的小さめに見積もって、3日分の電力を備蓄できるものとします。つまり必要な蓄電容量は

20(kWh/日)×3日=60kWh

 このモデルの費用を考えます。少し安めだとは思いますが、太陽光発電装置価格は50(万円/kW)、蓄電池価格は20(万円/kWh)とします。耐用年数は太陽光発電装置を20年、蓄電池を10年とします。下表は『タイナビ蓄電池』の蓄電池の容量と価格相場です。

 

 太陽光発電システムを20年間運用するためのコストは以下の通りです。

太陽光発電装置費用
50(万円/kW)×6kW=300万円

蓄電池費用
20(万円/kWh)×60kWh×(20年間/10年間)=2400万円

 20年間順調に運転して大きな事故がなかった場合の総経費は、

300万円+2400万円=2700万円

20年間に供給した電力の平均単価は、

2700万円÷{20(kWh/日)×365(日/年)×20年}=185円/kWh

 現在の火力発電による平均的な小売り電力価格は20(円/kWh)を少し超えるくらいでしょう。発電原価は10(円/kWh)程度でしょう。

 ちなみに、既存の電力供給ネットワークから全ての電力を購入する場合の同じ期間の電力料金は

20(kWh/日)×365(日/年)×20年×20(円/kWh)=2920000円≒300万円≪2700万円

です。これはほぼ太陽光発電装置の価格と同程度ということです。

 当初はFIT制度によって、家庭用太陽光発電装置で発電した電力の買取価格は電力小売価格より高額に設定されていました。その結果、太陽光発電を系統連系しておけば、同じ量の電力を売り買いすれば、収入の方が大きくなり、これをインセンティブとして、太陽光発電導入量を増やそうという政策がとられたのです。
 ところが、平成28年ごろを境に太陽光発電電力の売電価格は電力の小売り価格よりも低くなりました。このころから個人用太陽光発電の導入は完全な赤字になることになりました。
 最近は家庭用太陽光発電は売電するより溜めて使おうというキャンペーンになっていますが、これではますます高コストの電力になることはこれまで見て来た通りです。

 話を元に戻します。太陽光発電システムで独立した電力供給を目指すと火力発電に対して18倍以上のコストがかかることになるのです。これは、火力発電よりもはるかに大量の化石燃料と、莫大な鉱物資源を浪費することを示しています。
 また、これほど高価ではとても販売することは出来ません。したがって現実的には、よほどの特殊事情がない限り、再生可能エネルギー発電電力は独立した分散型のエネルギー供給システムとして運用することはないのです。

 再生可能エネルギー発電は余りにも不安定で制御不能です。また電力需要も短時間で大きく変化します。その結果、単一の再生可能エネルギー発電システムで単独の需要を賄うためには莫大な蓄電システムが必要となります。これを回避するためには、発電側、需要側を大規模にネットワーク化することで発電量、電力需要の変動を小さくすることが現実的だったのです。その結果、再生可能エネルギー発電は既存の電力供給ネットワークに接続して運営する現在の系統連系が行われるようになったのです。

 再生可能エネルギー発電による電力供給量が少なかったうちは、既存の電力供給ネットワークの大きな容量と既存の発電施設の発電量の調整能力によって調整されていましたが、次第に再生可能エネルギー発電による既存の電力供給ネットワークに与える負荷が大きくなり、再生可能エネルギー発電の不安定な発電量の変動が調整能力を上回るようになり、再生可能エネルギー発電を一時的に系統から切り離す「解列」が始まり、同時にこれ以上の再生可能エネルギー発電の導入が難しくなりました。
 菅政権の2050年CO2排出ゼロ目標によって、更なる再生可能エネルギー発電の導入のために、再生可能エネルギー発電の不安定電力を調整するために、遠距離の送電線網の増設が始められようとしています。しかし、どんなに高規格の送電線網を作ったとしても、それだけで発電量と電力需要を調整することは不可能であり、別途巨大な蓄電システムも必要になることは必定です。

 時事通信のホームページからの記事を示しておきます。


 このように、再生可能エネルギー発電による電力供給ネットワークは既存の火力発電による地域的な電力供給ネットワーク以上に大規模な日本の国土を覆いつくすような高規格の送電線網が必要なのです。

 火力発電ではスケールメリットによって大きな発電所ほど電力原価は安くなる傾向にあります。しかし、不安定で制御不能の再生可能エネルギー発電の導入量を増やすためには、更なる大規模な蓄電システムと大規模・高規格の送電ネットワークが必要になるため、発電原価はますます高くなる=ますます化石燃料消費量と鉱物資源消費量が拡大し、工業生産規模が肥大化せざるを得ないのです。

 

No.1351(2021/05/13) 非科学によるCO2温暖化対策の「常識」を考えるB
「再生可能エネルギー発電電力は蓄電すれば有効に使える」という主張

 少し前のNHKのニュースで九州電力、三菱商事、NTTの三者で再生可能エネルギー発電電力を蓄電して「有効に使う」システムを構築することが報道されていました。本当にそうでしょうか?

 まずこれを報道したNHKのホームページの記事を示します。



 この問題は、この連載の第一回に紹介した「高価な工業製品はそれだけ大量に化石燃料を消費する」ということの応用問題です。

 「利用できなかった(=需要のなかった)余剰電力を溜めて使うのだからCO2放出削減に対して有効に決まっている」などというのは単なる思い込みに過ぎません。この事業がCO2放出削減という目標に対して有効か否かの判断基準を明確にすることが必要です。

 第一回で紹介した通り、一般的に再生可能エネルギー発電は火力発電よりも化石燃料を大量に消費します。今後大規模に導入される計画である洋上風力発電は更に化石燃料の消費量が増大します。したがって、CO2放出量削減のためには再生可能エネルギー発電を出来るだけ使わないことが正しい選択です。
 そもそも、「需要のない電力」を発電すること自体が全くの無駄です。更に、この需要のない電力を一旦蓄電池に溜めた上で消費者に供給する場合、その電力を供給するためには再生可能エネルギー発電装置に加えて蓄電システムを必要とすることになります。したがって

再生可能エネルギー発電電力原価<(再生可能エネルギー発電+蓄電池システム)電力原価

です。したがって、蓄電池システムを介した電力の方がより大量の化石燃料を消費し、CO2放出量を増大させるのです。

 今回の場合、既存の蓄電池を使うということなので追加の設備投資はないのかもしれません。しかし、再生可能エネルギー発電+蓄電池システムによって発電量と電力需要を調整するシステムを普遍化することによって再生可能エネルギー発電の導入量を大規模に拡大するためには専用の蓄電池システムの増設が必要となり、その結果、「再生可能エネルギー発電+蓄電池システム」電力は単純な再生可能エネルギー発電よりも更に化石燃料消費を増大させ、CO2放出量が多くなるのです。

 

No.1350(2021/05/11) 非科学によるCO2温暖化対策の「常識」を考えるA
「日本の高温化は人為的CO2地球温暖化の直接的な影響」という主張

 大分合同新聞に掲載された記事を紹介します。

 日本の近年の高温化は、人為的CO2地球温暖化の影響ということについて疑う人はほとんどいないのではないでしょうか?しかし本当でしょうか?

 一般的に、上図に示すように、産業革命以降現在までに地球の平均気温は0.6〜1.0℃ほど上昇したのではないかと言われています。では日本ではどの程度気温が上昇しているのでしょうか?

 上図は日本の地方都市として島根県、地方中核都市として福岡県、そして東京都の1895年の気温を0とした場合の気温偏差の変動を記しています。
 島根県はこの100年間余りの期間で1.2℃ほどの気温上昇を示しています。これに対して同じ期間に福岡県では2.4℃程度、東京都では2.8℃程度の気温上昇を示しています。

 ここに示した日本の3都市の気温上昇は、地球全体の気温上昇に比較して明らかに高い上昇を示しています。このように、地球全体の気温変動と局所的な気温変動は単純には結び付けることは出来ません。
 日本国内においてさえ、場所によって大きな差が生じています。島根県と東京都を比較すると、東京都の方がこの100年余りで1.5℃以上も温度上昇が大きいことがわかります。上昇率は2倍以上です。都市化の進んだ場所ほど気温上昇が大きくなる傾向がみられるのです。
 気象観測点は比較的都市部に設置されているため、都市化の影響を強く受けています。つまり、ここに示した日本の3地点の気温上昇の大きさは地域の都市化の進行程度に応じたヒートアイランド現象の影響を示しているのです。ヒートアイランド現象については既に何度も取り上げていますので、例えば「日本の夏の暑さの原因はヒートアイランド現象」をご覧ください。
 ヒートアイランド現象によって日本の臨海部の大都市で豪雨が頻発する一方、内陸部の乾燥化が起こり、全般的な気温上昇が進行していると考えられます。

 おそらく産業革命以後の全地球的な温暖化の影響は、比較的に都市化の影響が小さいと思われる島根県の気温上昇よりも少し小さい程度、最大に見積もっても1.0℃未満であると考えられます。日本の耐え難い夏の高温化の主要部分は地球規模の温暖化の影響よりも都市化による影響の方が遥かに大きいのです。
 日本の生活環境を改善することを目的とするならば、影響も定かではないCO2の削減を目指すよりも、直接的に都市の不透水性の舗装・排水システムの変更、緑地化、遊水地の増設、巨大都市の縮小・分散化などに資本投資する方が遥かに効果的です。

 

 

No.1349(2021/05/08) コロナ感染症の蔓延と東京オリンピック・パラリンピック
相変わらず無能・無策の菅政権/日本政府は一体何のために存在しているのか?

 コロナ感染症が顕在化して1年余りが経過しました。蔓延し始めたごく初期の段階においてさえ感染症の専門家の間では、蔓延収束には少なくとも2〜3年程度はかかるであろうと予測されていました。しかし、無能な我が日本政府はその後もまったく非科学的な後手後手の対応を繰り返し、今また最大の感染拡大が起こっています。

 関西圏では既に医療崩壊と呼ぶべき状況になり、十分な医療措置を受ける前に失われる命が少なくない状況です。蔓延地域の医療関係者の疲弊は明らかです。足りない医療スタッフを補充するために現場を離れている看護資格を持っている人に募集をかけても思うように集まらない現状です。

 このような状況下で、東京オリンピック・パラリンピックをこの夏に開催することをいまだに目指しているIOC・日本政府・JOC・東京都は一体何を考えているのでしょうか?東京オリンピック・パラリンピックを安全に開催するために延べ1万人以上の医療スタッフを集めるというのは正気の沙汰とは思えません。また、安全開催のためにオリンピック・パラリンピックの大会関係者全員に対して優先的に無償でワクチン接種を行うという不平等がまかり通ることもおかしくないですか?
 現実に日本の国内で医療資源の枯渇によって、適切な医療措置を受けられないままに死亡する人が少なからずいるというのに、更に医療現場をひっ迫させるような、しかも不要不急のオリンピック・パラリンピックというお祭り騒ぎのために医療スタッフを集めるなど、私は狂気の沙汰としか思えません。

 私は、もともとオリンピックという金儲けのためのスポーツ興行に莫大な国家資金を投入することには反対です。しかし、開催を目前に控えたこの時期に東京オリンピック・パラリンピックに対しては私のような者だけではなく、国民の7割以上が開催に否定的な意見を持っているという、異常な状況になっています。
 無観客でオリンピック・パラリンピックの開催を強行すれば膨大な赤字が残ることになります。

 結局、菅や小池は在任中に東京オリンピック・パラリンピックを開催するという彼らにとっての『勲章』に固執しているのであろうと思います。しかしこれは国民をないがしろにした愚かな指導者としての勲章にしかならないと考えます。
 ワシントンポスト紙は世界中がコロナ感染症で疲弊している時期の東京オリンピック・パラリンピックは中止すべきであるという姿勢を一貫して取っています。また、ワシントンポスト紙はバッハIOC会長を、オリンピック開催費用を開催国に押し付ける一方で、オリンピックの放映権による莫大な儲けに固執する「ぼったくり男爵」と揶揄しているそうです。また、ぼったくり男爵のために日本・東京は踏み台にされているとも。

 

 昨日でしたか、立川相互病院の窓にオリンピックの開催は無理だという、医療現場の悲痛な声が張り出されました。国民の安全よりもIOCの金儲けや菅や小池のメンツのために開催を強行しようとする日本政府・JOC・東京都に対して、医療スタッフにとどまらず、全ての国民は声を上げるべきではないかと思います。

 

No.1348(2021/05/02) 非科学によるCO2温暖化対策の「常識」を考える@
「温暖化対策のためには、高価でも環境にやさしい技術を選択する」という主張

 既にこれまでのこのホームページ上での議論によって、人為的CO2地球温暖化仮説は自然科学的に完全で誤りであり、温暖化対策技術は工業生産規模を爆発的に大きくし、環境を破壊し、化石燃料の浪費を加速することの理論的な説明は言いつくしています。これ以上言うこともないと思います。

 そこで、この連載では、言わば『応用問題』として、人為的CO2地球温暖化仮説や温暖化対策技術に対して世の中で「常識」として信じられている事柄について、個別に取り上げ、どこに誤りがあるのかを具体的に示していくことにしようと思います。

 今回俎上に載せるのは
「温暖化対策のためには、高価でも環境にやさしい技術を選択する」
という主張です。

 環境問題や人為的CO2地球温暖化対策に熱心な人たちからは、よくこの言葉を聞くことがあります。これは工業生産の仕組みを理解していない、敢えて言わせていただければ「良心だけで科学性が欠如している」愚かな主張としか言いようがありません。

 まず、「環境にやさしい技術」とは何でしょうか?人為的CO2地球温暖化仮説が信じられるようになって以後、「環境にやさしい技術=CO2を放出しない技術」という、とんでもない価値観が広がっています。
 「環境にやさしい技術」とは、本来は地球生態系の物質循環を破壊し、あるいは汚染することのない技術のことを指します。
 CO2は生態系の第一生産者である光合成生物にとって必要不可欠の原料資源です。したがってCO2は生態系の物質循環を豊かにするものであって、それを破壊したり汚染したりすることは一切ありません。
 しかも現在の地球大気に含まれるCO2の濃度は光合成生物にとって十分ではありません。その結果、CO2濃度を上げることによって光合成生物の生産性は高くなります。実際に温室栽培においてはCO2濃度を高くすることで生産性を高めているほどです。

 生態系を構成している生物は全て炭素化合物で構成されています。したがって炭素の酸化物であるCO2は生態系において普遍的な存在であり、生態系を破壊したり汚染することがないのは当然です。CO2が「ダーティー」だとして忌み嫌われるようになったのは非科学的な人為的CO2地球温暖化脅威説が登場してからのことであって、CO2が赤外活性を持つこと、非科学的で世俗的な表現としての温室効果を持つからという理由からです。
 ここでは詳しく触れませんが、CO2の赤外活性は大気の赤外活性の主要な要素ではなく、近年観測されている気温上昇の主因でもありませんから、全く見当違いと言うべきです。

 では次に、「高価な技術」と「環境にやさしい技術」について考えることにします。
 高価な工業技術とはどういうことでしょうか?

 一般に工業製品の経済価値と使用価値について絶対的な評価をすることは困難です。それは、工業製品の使用価値に対する評価は、消費者側の意識によって変化するからです。例えば、ある人は工業製品の機能的な価値よりも外形上の美しさを重視するかもしれません。また、人命を救うためならばいくら高価な機械でも安いと感じる人もいるでしょう。

 一般的に工業製品の適正な価格、経済価値とは、原材料の希少性と加工度の大きさによって決まります。希少な原材料を用いた加工度の高い製品ほど高価になります。
 ではなぜ希少な原材料資源が高価になるのか?それは希少な原材料資源を得るために必要な工業的なエネルギーが大きいからです。
 加工度の高い製品とは複雑な作業工程を経て製造されることを意味します。それは各加工段階に投入された工業的なエネルギーの総量で測ることができます。
 したがって、工業製品価格は概ねその製品を製造するために投入された工業的なエネルギーの総量によって推定することができます。日本の統計によると、工業製品の原価に占める工業的なエネルギー費用は10%〜20%程度です。

 図に示すように、現在のエネルギー消費量の8割以上が石炭・石油・天然ガスという化石燃料です。実質的には原子力や再生可能エネルギーは有効なエネルギーを供給していない(解題「温暖化の虚像」Q参照)ので、9割以上が化石燃料によって供給されています。したがって、工業的なエネルギー費用とは概ね消費した化石燃料の対価と考えて差し支えありません。

 以上の検討から、高額な工業製品とは、それだけ大量の化石燃料を消費していることを意味しています。

 例えば、電力も工業製品です。したがって、定性的に見て、発電原価の高い電力ほど電力の生産段階で大量の工業的なエネルギー=化石燃料を消費していることを意味しています。

 確かに発電方式によって、発電原価に占めるエネルギー費用の割合は異なります。化石燃料を電力の原料として消費する火力発電では発電原価の7割程度がエネルギー費用です。
 これに対して、電力の原料として化石燃料を消費しない再生可能エネルギー発電では、一般的な工業製品同様、原価の10%〜20%程度がエネルギー費用です。高度な工業製品である再生可能エネルギー発電装置の場合、原価の20%程度をエネルギー費用としてよいでしょう。
 火力発電電力の原価は10円/kWh程度です。これに対して再生可能発電電力の平均的な原価は40円/kWh程度です。したがって、

10円/kWh×0.7=7円/kWh>40円/kWh×0.2=8円/kWh

なので、再生可能エネルギー発電の方が化石燃料消費が大きくなるのです。そればかりではなく巨大な再生可能エネルギー発電装置システムは、火力発電に比較して圧倒的に大量の鉱物資源を浪費しているのです。
 再生可能エネルギー発電同士の比較では、単純に発電原価の高い発電方式ほど化石燃料を大量に消費していることを示しています。
 例えば、陸上風力発電電力よりも太陽光発電電力の方が単位発電量当たりの工業的エネルギー消費量が多く、したがってCO2放出量が大きくなります。風力発電でも洋上風力発電の方が陸上風力発電に比較して圧倒的に大量のCO2を放出することになります。

 CO2放出量の多寡によって「環境にやさしい技術」かどうかを評価するのであれば、「高価な工業技術」ほど大量の化石燃料を消費しているのであり、したがって「高価な工業技術ほど環境にやさしくない技術」であるということになるのです。

 昨年菅政権が打ち出した「2050年CO2排出ゼロ」の目標達成によって年間190兆円の経済効果という意味を考えます。これは、社会構造を脱炭素化するために必要な費用支出が現在よりも190兆円も大きくなるということです。消費者が現在と同じ便益を受け、社会を脱炭素化するために現在よりも190兆円も高額の工業製品を使った社会構造にするということです。
 これは、高価な工業技術を大規模に導入することであり、したがってCO2放出量を削減するという目標とは裏腹に、現実には化石燃料消費が大幅に増加することを意味しているのです。

 

No.1347(2021/04/09) 非科学によるCO2温暖化対策技術の惨状E
技術の細分化と科学技術万能主義による誰も責任を取らない共同幻想社会

 これまで5回の連載でCO2地球温暖化対策技術・脱炭素技術に関する科学不在の恐ろしい現実について、いくつかの事例を取り上げて書いてきました。しかし一体どうしてこんなバカなことが起こるのか、昭和に自然科学教育を受けた私には全く理解不能です。
 かつて熱物理学の槌田敦さんと話したのですが、槌田さんは理化学研究所時代には核技術に関してコンピューター解析に忙殺されたこと、その結果コンピューターの中に創られた仮想現実に引きずられて、現実世界の現象としての科学を見失うことになったと語られました。これを教訓に、それ以後は紙と鉛筆で思考することにしているとも。
 私自身も鋼構造物などについてのコンピュータープログラムの開発、構造解析を行ってきましたが、やがて技術屋はコンピューターのオペレーターになってしまい、解析結果に対する妄信、解析条件の誤りについて無頓着になっていったことを覚えています。

 コンピューターの登場によって、自然科学は大きく変質してしまいました。特に超大型高速コンピューターによる仮想現実空間における数学モデルによるシミュレーション(現実世界の現象の模倣計算)の普遍化によって、研究者自身が仮想空間と現実の境界を見失ってしまいつつあるようです。
 科学とは本来、現実世界の現象を注意深く観察し、その現象の本質的な仕組みを帰納的に抽象する過程でしたが、大型コンピューターの登場とシミュレーションの普遍化によって、科学はコンピューターの仮想空間で再現され、実験され、検証されるもの、演繹的な過程になってしまいました。
 演繹的な過程からは何も新しい自然科学的な知見を得ることは出来ません。なぜなら、コンピューターコードとは、過去の自然科学的な知識からプログラマーが選択した限られた理論によって組み立てられたものなので、プログラマーの認識を超えるような現象は表現不可能です。プログラマーが全知全能の神でない限り、現実世界の自然現象を100%写し取って模倣することなど端から不可能なのですから。
 しかし最近の若い研究者の多くはコンピューターの仮想空間における現象こそ「真理」なのだと認識するようになっています。コンピューターシミュレーションの結果と現実世界の現象の結果が合わない場合には、現実世界の現象の方が『異常』なのだという倒錯した判断を平気でするようになってしまいました。
 「まさかそんなことはないだろう」とお考えの方も多いかもしれません。しかし正に人為的CO2地球温暖化に対する現在の主流の考え方がそうなのです。
 だいぶ前になりますが、福岡在住の気象予報士の知人の話では、気象予報士会に講師として招いた気象研究者は、会場からのシミュレーションと実際の気象現象が合っていないのではないかという問いに対して、「実際の気象の方がおかしくなっている」と大真面目で答えたそうです(笑)。
 また、2017年の九州北部豪雨に関するNHKの特集番組に登場した名古屋大学の坪木和久氏はこの豪雨をコンピューターシミュレーションでは予測できなかったことを告白した上で、『それほど温暖化で現実の気象が異常になっている』と述べていました。ん、これは変でしょう?
 人為的なCO2放出による異常な温暖化を解明するためにシミュレーションを行っているわけですから、異常だから予測できないとは、人為的CO2温暖化シミュレーションの存在意義を否定するものです。つまり、コンピューターの仮想空間の気象モデルは現実の気象を正しく模倣することができていないということに尽きます。

 自然現象とは、如何に稀な現象であったとしても、それは物理的必然の表れであり、100%「正常」な現象です。現在使われている「異常気象」と言う言葉の意味は、自然科学的な異常=超常現象という意味ではなく、観測史上に記録がほとんどない稀な現象という意味であることに注意しなければなりません。
 少なくとも自然科学者の端くれであろう気象研究者が、実際の気象現象に対して『異常』=稀な自然現象なので予測できないと言うのは、自然科学者としての諦めであり、敗北宣言です。自ら作った気象シミュレーションの結果が現実と合わないということは、単純に気象シミュレーションが現実の自然現象を正しく表現できていない、誤りであるというだけのことです。

  全く蛇足ですが、理化学研究所の超高速コンピューター「富岳」を使って盛んにコロナ感染症に関して飛沫飛散のシミュレーションが行われています。あきれ果てます(笑)。
 飛沫の飛散程度の規模の現象であれば、実際に人を使って実験すれば済むことです。わざわざ不完全な数値モデルを使って映像化しなければならない必然性など存在しません。あるいは、超高速コンピューターの使い道は飛沫の飛散計算程度しか使い道がないのでしょうか?(笑)。富岳の飛沫飛散のシミュレーション映像をありがたがって報道するマスコミの愚かさは救いようがありません。

 閑話休題、こうした超高速コンピューターによる仮想空間における数値モデルによるシミュレーション絶対主義が現在の自然科学の一つの大きな問題だと考えます。特に、超高速コンピューターによるシミュレーションは、その計算条件も含めて、一般国民や部外者にとって検証作業を行うことすら不可能ですから、ペテン師や詐欺師にとってこれほど大衆や政治家、経済屋を騙し操るのに都合の良い道具はないのです。

 こうした科学状況を受けて、政治家や経済屋、あるいは文科系の似非知識人の多くは、ほとんど科学万能主義に洗脳されてしまっています。自然科学や技術によって、もはや人間様にとって解決不可能な技術的な問題はないのだとでも言うような傲慢な世界観が普遍化しているようです。
 したがって、温暖化は人間の放出したCO2が原因であることはコンピューターシミュレーションのご神託であって疑う余地はなく、人間社会からCO2放出をゼロにすることは、もはや科学技術の問題ではなく、政策選択の問題である、という結論が導かれているのではないか、と推測します。

 更に、現在の科学技術は分野が細分化され、周りの見えない蛸壺のような自らの領域内における問題にしか興味を持たない技術屋が大半を占めていることが、この無責任体制に拍車をかけています。
 脱炭素社会の要となるエネルギー供給技術については、再生可能エネルギー発電装置を製造する電機・機械・重工メーカーの技術者でさえ、自らの製造する発電装置が発電段階でCO2を出さないことにだけしか興味を持っていません。発電装置の製造、運転、メンテナンス、更新においてどれだけのエネルギーを消費しているのかなどには全く無頓着で、果たして実質的に電力を供給しているのかについてさえ考えていないのです。
 派生的なエネルギー供給技術である電気分解水素製造やメタネーションも然りです。

 また、エネルギーを消費する技術側では、例えば、車屋は車が走るときにだけCO2を出さなければよいと考えています。車が走るための電力や水素は車屋にとって所与のものであり、あずかり知らない問題です。車の製造に使う材料や機械設備や電力だって所与のものなのです。

 このように、政治家、経済屋、似非知識人、一般大衆は科学万能主義に洗脳され、科学や技術の内容については「専門家」と呼ばれるペテン師たちの言葉を疑わず、企業技術者たちは蛸壺に潜り込んで辺りを見ることを放棄しています。こうして誰もが責任を取らない無責任な共同幻想社会が今の世界なのであろうと考えます。共同幻想が破れた時の責任は、国家や企業がとることはありません。我々個人が責任をとる以外にないということを銘記しておかなければなりません。

 

No.1346(2021/03/30) 非科学によるCO2温暖化対策技術の惨状D
大分の誇るべき草原景観が愚かなメガソーラー発電所建設によって喪失する

 私は技術屋なので、人間社会にとって本当に必要不可欠な開発であれば、人間の手で自然環境を改変することを否定するつもりはありません。しかし、まったく馬鹿げた行為によって自然景観が破壊されてしまうことに対しては激しい憤りを感じます。

 個人的には豊かな自然の中で草花や景観を眺めることが大好きです。私の住む別府市は、阿蘇くじゅう国立公園の東の入り口にあたります。阿蘇くじゅう国立公園の特徴的な景観の一つが起伏豊かな草原景観だと思います。

 この景観は昔から連綿と人手をかけて野焼きを継続してきたことで維持されたものであり、原始の自然ではなく人と自然のかかわりの中で守られてきた言わば自然・文化景観です。毎年2月から3月にかけて広大な草原に火が放たれ、前年に伸びた草木が燃やされます。今は野焼きの直後の焼け野原状態の荒涼とした風景です。
 4月に入るとキスミレの大群落がそこここに広がり、湿原ではサクラソウが咲き誇ります。ハルリンドウやエヒメアヤメが咲いて、5月には緑の草原に再生します。野焼き後の草原の変貌には目を見張るものがあります。私の最も好きな季節です。蛇足ですが、「温暖化の虚像」の表紙は5月の由布岳南麓の草原の写真です。

 そんな草原景観の一つが由布岳・鶴見岳・伽藍岳の北麓に広がる塚原の草原です。ここに愚かにもメガソーラー発電所が建設されることになりました。

 既に、隣の日出町の里山の南面が広範囲にわたってメガソーラー発電所の建設によって剥ぎ取られ悲惨な姿になっていることは何度かこのコーナーで紹介しました。この里山の西に隣接するのがこの草原地帯です。

 現在の日本や世界の人為的CO2地球温暖化の狂騒状態の下では、「温暖化防止」のためという大義名分のもと、近視眼的な金銭欲に侵された守銭奴たちによって、日本中の豊かな里山や美しい自然景観が破壊され続けることになります。温暖化対策による環境破壊はまだ始まったばかりです。悲しいことです。温暖化がカラ騒ぎであったことに気付いた時には、国土は荒れ果てているのであろうと思うと・・・。

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