No.1526(2024/09/07) 東電には原子力発電を運営する能力はない
被曝労働を下請けに押し付けて成り立っている原発という非人道的発電システム

 国や東電が福島第一原発事故処理の要といっている、原子炉内の溶融核燃料の取り出し実験作業が計画から3年遅れで8月22日から行われるという大々的なニュースが流れました。
  ところが、初日に取り出し設備の不備が発覚し実験は中止されました。曰く、現場作業は下請けに任せており、東電の技術者は現場に出向かず、取り出しの設備や段取りが確認されていなかったというのです。

 つい最近、六ケ所村の核燃料再処理工場の完成が予定としていた今年9月には間に合わず、27回目の計画延期が確実となったという報道がありました。
 こうした状況を見ると、日本の原子力発電は完全に失敗したという判断をすべき時期だと考えます。そもそも六ケ所村の再処理工場は本来であれば高速増殖炉核燃料サイクルの一環として、軽水炉使用済み燃料の再処理によって高速増殖炉用のプルトニウムMOX燃料の製造を目指したものでしたが、既にご承知の通り、肝心の高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」は失敗し廃炉が決まっています。仕方なく、軽水炉用のMOX燃料を製造しようとしていますが、MOX燃料の製造コストは通常の軽水炉核燃料よりも高価であり、経費がかさむばかりで軽水炉原子力発電の発電コストもさらに上昇することになります。これは原子力発電のエネルギー産出比がさらに低下して使い物にならないことを決定づけることを意味しています。

 そして今回の東電の原子炉廃炉処理の失敗です。

 1979年初版の堀江邦夫氏の「原発ジプシー」という本をご存じの方は少なくなっているのでしょうか(2011年5月『原発ジプシー』〔増補改訂版〕として復刊)?原発に関わる被曝労働は、当初から下請け、孫請けに押し付けられてきました。
 1980年代にゼネコンの原子力部門に就職した大学の後輩は、原発の労働では一日の労働時間は個人ごとに被ばく線量で管理されているが、一々それに従っていては作業が進まないのでアラームを止めていると話していたことを思い出します。
 彼は大手ゼネコンの社員でしたから、電力会社からの一次下請けであり、更に孫請けや日雇いの労働者は高い放射線の下での過酷な労働をしていたのです。

 今回の東電のデブリの取り出し実験の失敗は、図らずも1980年代と同様に未だに原発の現場では、下請けや孫請けの必ずしも原子力発電の技術的な問題に詳しくない労働者による被曝労働によって支えられている実態が明らかにしました。高被ばく線量の原発の現場では、労働者の勤続年数が通常の職場とは異なり短期間になるため、熟練労働者が育たないのです。

 原子力発電システムは、高速増殖炉核燃料サイクルの失敗で、既に商用利用に科学的・経済的妥当性がないことが明かになっています。出来るだけ早く撤退する以外に選択の余地はありません。
 それに加えて、消費者が電気を得るために、原発で働く下請け、孫請け、派遣労働者の被曝労働を前提として成り立つ非人道的な電力供給など、あってはならないと考えます。

 

No.1525(2024/08/28) 合理的な判断能力の欠如したマスコミ人間
災害非常用電源として再生可能エネルギー発電・蓄電池システムは不適格

 当地にも影響のある大型台風10号が接近しつつあります。

 さて、先日のテレビ朝日の朝の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」の中で、災害非常用の電源として太陽光発電と蓄電システムを備えることが有効などという発言がありました。私は耳を疑いました。一体こいつらは何を考えているのだろうか???

 再生可能エネルギー発電装置は、太陽光発電・風力発電、その他も含めて多くは自然エネルギーを利用する発電方式であり、必然的に自然環境中に直接さらされることになります。それだけ自然災害時には大きな影響を受けることになります。
 太陽光発電は平らで軽量なため、暴風の影響を強く受ける構造であり、台風の場合には吹き飛ばされたり、あるいは飛来物の衝突で破損する可能性が大きいと考えるのが常識的な判断です。また雨が続けば発電量は十分には得られない可能性が高くなります。
 したがって、自然災害時には太陽光発電を始め、風力発電などの再生可能エネルギー発電は利用できない可能性が高くなります。自然災害に対する避難所の非常用電源としては、内燃機関の非常用発電機を設置して、発電用の燃料を備蓄しておくことが最も合理的であり、同量の電力供給能力を得るためには最も安上がりであることは冷静に考えれば必然的な結果です。

 本当にマスコミ文化人の科学的な判断能力の低さには愕然とします。

 

No.1524(2024/08/23) 理解できない日本人の「戦争」に対する感覚
米欧のウクライナ・イスラエルに対する戦争幇助行為を批判しない日本人

 8月15日の敗戦の日を過ぎて、やっと平和を希求する日本という「イメージ」をこれでもかと押し付ける偽善的な「不愉快」な季節が終わりました。マスコミ報道は、「平和は何よりも尊い」、「二度と戦火を繰り返してはいけない」などの言葉の大安売りでした。
 世界では米欧の関与する戦闘がこの期間も続いています。彼らは世界を牛耳ることに執着し、自分たちが世界中で「自由」に富を収奪することが出来ることを目指しています。そのためには戦争は厭わないというのが彼らの「正義」です。

 日本政府は、こうした米欧の世界を好き勝手にする「自由」を守る戦いを「自由と民主主義を守る戦い」と言い換えて正当化しています。愚かな国民大衆も、第二次世界大戦後の米国傀儡政権の下で飼い慣らされた結果、これを信じているようです。

 日本人が本当に平和を尊ぶ価値観、二度と戦争を行ってはならないという思いをを持っているのであれば、まずはあらゆる戦争において、戦争行為を出来る限り速やかにやめさせることにこそ心を砕くべきですが、どうも違うようです。米欧に従わない悪者、米欧の傍若無人を良しとしない国に対する攻撃は「正義」であり、勝つことが必要だと考えているようです。

 戦争行為はいずれの国においても弱い庶民の命を犠牲にすることだということです。国家の権力者の思惑で、個人的には何の恨みのない個人どうしが戦わされ、殺し合いをし、巻き込まれた非戦闘員までが死んでいくのです。正しい戦争などの意味付けなど、戦渦に巻き込まれた庶民には関係のないことです。庶民はひたすら戦闘のない平穏な日々を求めているのです。

 平和は何よりも尊いといいながら、マスコミはこの間もロシアや中国や北朝鮮に対する日本の「防衛力」=戦闘能力の強化や、中国を念頭に置いた、大分県も含めた、日本各地での日米合同軍事演習を平然と報道し、米韓による北朝鮮挑発の軍事演習報道を流しながら、一切の批判的な論説はありません。
 防衛力の増強は決して平和をもたらしません。これに対抗して相手国もさらに軍備を増強し、ますます緊張関係が高まるだけです。北朝鮮は日米韓の軍事的包囲網の中で、ついに戦略核兵器保有国になってしまいました。
 本当に日本が東アジアの平和を希求するのであれば、ロシア、中国、北朝鮮、韓国との信頼関係を構築することこそ肝要であり、これを邪魔する米国・米軍を日本から撤収させることこそまず行うべきことです。

 私は日本の核廃絶運動についても疑念を持っています。「核兵器は非人道的な兵器」だから廃止するということが理解不能です。「人道的な兵器」があるのでしょうか?通常兵器や無人戦争ロボットは人道的な兵器なのでしょうか?
 平和を尊ぶというのであれば、核兵器も含めてあらゆる兵器の使用を禁止する、即ち日本国憲法の精神である、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」ことこそ求めるべきだと考えます。
 また、反核運動の方向にも大きな疑問があります。日本は米国という核兵器大国の核抑止力を前提とした防衛構想を持っていることは周知の事実です。「まず隗より始めよ」であり、他国に対して働きかける以前に、日本政府に対して米国の核抑止力を否定することを求めることが第一に行うべきことです。

 敗戦の日から年を追うごとに、「平和を尊ぶ」などと口では言いながら、実質は、日本はますます世界で最も凶暴な軍事国家である米国との同化が進み戦争国家へと変貌しつつあるのが現実です。

 さて、米国では大統領選挙の年です。能天気な日本人や日本のマスコミは、「平和や民主主義を守るためには民主党大統領」が望ましいという勘違いをしています。
 ウクライナにおいてネオナチ組織を軍事的にテコ入れして、2014年に選挙で選出された正当なウクライナ政権を軍事クーデター=「マイダン革命」によって米国傀儡の軍事政権を作って、ウクライナ国内のロシア語圏ウクライナ(東部地域)に対して虐殺を行った首謀者たちはヌーランドら「リベラルホーク」という米国民主党のタカ派勢力です。バイデン政権がウクライナ戦争に対して極めて前のめりであったことも、リベラルホークの影響が強いからでしょう。彼らは、ウクライナを利用してロシアの弱体化させるのが真の目的なのです。
 リベラルホークとは、米国の傍若無人な自由を守り、認めさせるためには戦争による力による行動を辞さないという集団です。テロとの戦いを進めたオバマ政権は中東諸国でドローン兵器を投入して戦闘を続けました。また、現在のイスラエルのパレスチナに対する残虐行為を支持しているのもリベラルホーク・民主党です。
 バイデンに代わったハリスを大統領候補にした民主党大会で挨拶したヒラリー・クリントンもリベラルホークの一味です。ハリスが大統領になれば、ウクライナ紛争も終わらないし、イスラエルのパレスチナ殲滅作戦も終わらないでしょう。

 ウクライナ紛争に関して、日本の政治家である鈴木宗男議員の行動や発言は特筆すべきだと思います。かつては「疑惑のデパート」と呼ばれ、公共事業がらみでしばしばマスコミをにぎわせた人物です。私自身、鈴木宗男という議員に対してマスコミに植え付けられた偏見がありましたが、現在の日本では得難い優れた外交感覚の持ち主です。
 ウクライナ紛争に対する彼の視点は確かなものがあります。そもそもの原因を作ったのが米国によるNATOの東方拡大政策であること、ウクライナ国民の犠牲を少しでも少なくするために即時停戦を求める発言は全く同感です。動画の後半部分の発言は感動的でさえあります。是非最後までご覧ください。
  

 

No.1523(2024/08/16) 脱炭素化のためにクリーンな核融合発電の研究
1970年代に既に結論の出ている愚かで非科学的な核融合発電の商業利用

 先月14日の大分合同新聞に、温暖化対策、脱炭素化のためのエネルギー供給システムとしての核融合発電の研究を加速する趣旨の記事が掲載されました。

 核融合発電についてはこれまで何度も実用化の話が持ち上がってきました。日本の原子力利用のロードマップでは、まず軽水炉原子力発電を実用化し、次に高速増殖炉を実用化し、高速増殖炉核燃料サイクルによって日本の自前のエネルギー供給システムを実現し、更には核融合炉を実現するというものでした。
 しかし現実には、軽水炉原子力発電は商業利用されているものの、高速増殖炉は事実上開発が断念されています。高速増殖炉並びに高速増殖炉核燃料サイクルが実現しなければ、原子力利用は高価で非効率的なおもちゃにすぎません。理論的にはこの段階で原発からは撤退することが合理的な判断です。
 しかし、日本政府は原子力利用を「安全保障に資する」つまり核兵器開発のために温存する方針を示しています。

 核融合炉に対しては太陽光崇拝による幻想が付いて回ります。曰く「地球生物の生命の源である太陽光による恩恵を地球上に実現する」のだという情緒的な幻想です。
 太陽では、自らの莫大な質量による巨大な重力のもとで安定して水素H原子四つが結びついてヘリウムHe原子が生成される核融合反応が定常的に実現しています(下図参照)。

 しかし、地球上には太陽のような高い重力場は存在しません。そのため何らかの物理的な力によって超高温・高圧の空間を作り出さなければなりません。その核融合反応を行う「場」を作るためだけでも莫大なエネルギーを必要とすることは誰にでもすぐわかることです。
 それでも地球上では太陽の様にH原子四つで核融合できるほどの高温・高圧の環境は実現出来ないので、重水素2H=Dと三重水素=トリチウム3H=Tを核融合させるいわゆるD-T反応と呼ばれる核融合の実現を目指しています。

 D-T反応でも、核融合を起こすためには1億℃程度の温度が必要とされています。しかし、1億℃で溶けない物質など存在しません。したがって、何らかの手段で容器に接触しないように高温・高圧の場を作り出すことが必要です。
 それにはいくつかの方法があります。もっとも単純なのは強力な爆発力で瞬間的に高温・高圧にすることです。原爆の爆発力を使って高温・高圧場を作って核融合反応を起こす爆弾、これを水爆といいます。

  水爆のように巨大なエネルギーを瞬時に開放する技術は既に実用化され、核兵器として利用されています。
 しかし、核融合反応を定常的に持続することは水爆とは全く別次元の技術的な困難さがあります。現在考えられているのは、強力な電磁石の磁場によって高温のプラズマを閉じ込める方法と、レーザーを用いる方法です。いずれの方法も強力な磁場やレーザー光を利用するために巨大な装置システムとエネルギーが必要になることは想像に難くありません。

 1970年代、日本の理化学研究所でも熱核融合の可能性の研究が行われていました。研究員であった槌田敦は磁場によって高温プラズマを閉じ込めるトカマク型核融合についてその可能性を検討しました。その結果は、「核融合発電の限界」(物理会誌1976 年 8 月号)と「核融合発電の限界と資源物理学」(物理学会誌1976 年 12 月号)の二つの論文が採用されました。
 その論文で、核融合発電装置を製造、運用するために投入されるエネルギーが核融合発電から得られる電気エネルギーよりもはるかに大きくなるので、核融合発電は無意味であることが述べられました。
 理論的には核融合反応によって莫大な熱エネルギーが放出されることばかりに目を奪われ、それを実現するための装置システムの製造や運用に投入される莫大なエネルギーが必要だという事実を軽視したために核融合発電に対して過大な評価が生まれたのです。これに対して槌田敦は技術を実現するための装置システムの製造や運用までを含めて検討することが必要だとして、資源物理学の基本的な理論を構築しました。

 さて、記事に戻ると、米国のローレンス・リバモア国立研究所のレーザー核融合実験施設で2022年に、核融合の燃料である重水素2Hとトリチウム3Hに投入したエネルギーよりも取り出すことのできた熱エネルギーの方が大きくなったということです。しかしこれでは全く実用上話にならない成果とも呼べないものです。

 核融合発電とは、要するに火力発電と同じ汽力発電の一種であり、その熱源として化石燃料の燃焼熱の代わりに核融合反応による熱エネルギーを使うものです。したがって、核融合発電の汽力発電としての熱効率は0.3程度であり、核融合で得た熱エネルギーの内で有効に利用できるのはは1/3以下に目減りしてしまいます。
 さらに、巨大な核融合炉の製造・運転には莫大な資材とともにエネルギーを必要とします。これらをすべて含めれば、かつて1970年代に槌田敦が指摘したとおり、投入エネルギー量を発電量が上回ることは不可能です。

 そればかりではありません。軽水炉の燃料となる重水素やトリチウムの製造にも大量のエネルギーが必要です。重水素2Hは自然界に0.015%の割合で存在しますが、これを軽水素Hから分離して濃縮するためには大量のエネルギーを必要とします。
 さらに問題なのは水素Hの放射性同位体である三重水素=トリチウム3Hは自然界には存在せず、原子炉(高温ガス炉など)を運転することで製造することが必要です。ここでも莫大なエネルギーを必要とします。これらの核融合の燃料を製造するために必要なエネルギーを考慮すれば、核融合発電が発電装置として無意味であることは間違いないでしょう。

 核融合は「地上の太陽」などという詩的な表現をされることがあります。脱炭素化、温暖化対策のための「クリーンな発電技術である核融合」という報道を見かけますが、とんでもないことです。
 もっとも単純な核融合の実用例である水素爆弾を考えてみてください。1954年、米国のビキニ環礁で行われた水爆「ブラボー」の爆破実験において日本の漁船第五福竜丸の乗組員は被曝しました。
 水爆と核融合は異なるといいますが、中性子線の放出によって核融合設備や冷却水は放射化され放射能を持ちます。更にトリチウムという放射性物質を大量に取り扱うことになります。トリチウムの製造には原子炉の運転も必要になります。高レベル放射性廃棄物の処理については原子力発電と同じ問題を持っているのです。

 1980年代に槌田敦・室田武は資源物理学の立場から、石油代替エネルギー、今で言えば再生可能エネルギーはすべて石油をはじめとする化石燃料の浪費であると結論しました。その予測通り、再生可能エネルギーは現在でも使い物にならず、ただ広大な自然環境を破壊しているだけです。
 同様に、1970年代に槌田が示したとおり、恐らく核融合発電が実用になる可能性は限りなく小さいと考えるべきでしょう。
 一方、日本以外の先進国と呼ばれる国やロシアやインドはいずれも核兵器保有国ですから、水爆核弾頭を製造するためには軍事的目的から経済性を度外視したトリチウム製造は必要な技術であり、そのついでに民生用の核融合発電にトライすることは可能なのかもしれません。
 しかし、核兵器は開発しない、核兵器廃絶を国是とする日本ではトリチウム製造は純粋に民生用であり、核融合発電が経済的に実用にならない限り無意味な技術です。
 核融合発電は実現の可能性の極めて低い経済的リスクが極めて高い博打のような技術開発であり、愚かな開発競争に拙速に参加せず、静観すべきです。仮にうまく核融合が出来ることが分かれば、技術を買えばよいのです。

 あるいは、日本は原子力発電で兵器級プルトニウムを大量に保有したように、核融合研究と称して水爆用トリチウム製造を実用化することを目論んでいるのかもしれません。

註)中性子線被曝について(NTTのホームページから)

2-2. 中性子線の人体への影響

 中性子線は「電離放射線」のうち、非荷電粒子線に分離される、いわゆる放射線です。中性子線は、原子核が2つ以上の原子核へ分裂する「核分裂」によって発生し、平均 200万電子ボルトの非常に大きなエネルギーを持ち、速さは光速の10分の1程度と非常に高速です。前述のとおり、中性子は水素に吸収されるため、約60%が水分である人体への影響は大きなものがあります。被爆することで人体が受ける影響は、同じく放射線であるガンマ線と比べ、約3〜200倍の腫瘍誘発、15〜45倍ほどの寿命短縮など有害なものであるといわれています。

 

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