No.926 (2014/04/10)小保方問題と研究者の資質について

 昨日来、新聞のトップ記事は理化学研究所の一研究員である小保方晴子氏のSTAP細胞に関する論文におけるデータ捏造疑惑に関する反論記者会見の記事で占められています。

 今年1月に行われたSTAP細胞についての理研の記者会見からして、違和感を覚えました。一昔前ならば、自然科学の専門分野の論文発表が華々しく商業紙やマスコミに報道されることなどなかったように思います。自然科学が現世利益を産み、商業的に利用価値のあるものとして扱われるようになった象徴的な出来事であったように思います。

 このような傾向は、大学や国家系研究機関の独立行政法人化によって、基礎的な研究費が削られる一方で、国家戦略的・経済的に見て価値があると判断された研究に対して巨額の研究費が集中的に投入されるようになったことに大きな原因があるように感じます。研究資金を少しでも多く獲得するために、研究機関は一般大衆や政治家・官僚に対してアピールすることを重視し始めました。

 その点で、STAP細胞が実在するならば内容的に成長産業分野である先端医療分野における画期的な成果であり、しかもそのプロジェクト・リーダーがうら若い女性研究者となれば、理研としてもその利用価値は抜群に大きいと考えた結果が、1月の異常な小保方フィーバーだったと考えます。

 たとえば、これまでの国家的プロジェクトの典型的な例である人為的CO2地球温暖化脅威仮説についての研究に対しては、莫大な研究費が投入されてきています。地球温暖化に携わる研究者は研究費で優遇される一方で、現実的な成果を常に求められることになります。
 その結果、常にマスコミに露出して些細な事まで針小棒大に語り、温暖化の脅威を煽る一方で、自らの研究成果を誇示することに躍起になっています。そしてついには自らの研究の正当性を宣伝するために気象観測データの改竄・捏造までが横行するようになり、Climategate事件が起こりました。
 しかしその内容たるや、極めて幼稚な気候数値モデルをつかったコンピューターゲムに等しい児戯のような内容ばかりでした。温暖化の数値シミュレーションに携わる研究者たちは、ことさら灼熱の未来予想図を示し、更に温暖化研究費の増額を求め、企業は温暖化対策という国家プロジェクトから巨利を得ようとしています。

 さて、自然科学の本質とは、自然の中で生じている現象を観察してデータを集積し、これを系統的に整理し、分析することによって、その現象を理解する帰納的な過程です。当り前のことですが、こうして得られた理論は自然現象の一つの側面を正しく反映しているからこそ意味があるのです。
 ところが、人為的CO2地球温暖化脅威仮説に代表される巨大科学は、電子計算機技術の進歩にともなって実際の自然現象の観測的事実よりも、巨大計算機の計算結果を重視するようになり、変質してきました。特に若い研究者の中には、基本的な観測事実よりも、彼ら自ら描いたシナリオによる数値モデルの計算結果を正しいと考える倒錯した自然観が蔓延しているように見えます。
 気象研究に携わるある国家機関の技術官僚が講演において、「気象シミュレーションと観測データが合致しないのは、観測データのほうが間違い」という、笑い話のような発言をしたと知人から聞いたことがあります。

 工学の研究に携わっていた者として、自然科学において観測事実ないし実験結果が全てだと考えています。自然科学は自然界で起きている現象、あるいはその部分的な再現実験を観測し、現象を理解することが目的です。これは幾ら時代を経たとしても変わることのない普遍的な真実です。
 その意味において、気象観測データより幼稚な数値シミュレーション結果を重視する気象研究者は自然科学者とは最早呼べないでしょう。

 同様に、STAP細胞の研究において、もっとも重要である事実を写しだした写真データを取り違えたと主張する小保方氏を、私は到底信頼できる研究者とは認められません。あるいは、本当にうっかりして写真を取り違えただけで、STAP細胞を作り出す実験は成功しており、実在するのであったとしても、自然科学者として基本的な資質が欠落しており、研究者として不適格だと考えます。

 まさに今、基礎科学研究に携わる研究者の資質や倫理観が危機的な状況にさらされているように思います。自然科学的な正しさよりも、現世利益的な研究のみがもてはやされる風潮は、その内大きな災いをもたらすことになるでしょう。

No.925 (2014/04/08)大分県教育庁に対する申入れ

 3.ある大分県の県立高校・PTA・教育委員会の実態9. PTAは県立高校のマネーロンダリング装置で大分県教育庁高校教育課の高畑課長からの回答を紹介しましたが、ご都合主義の出鱈目な回答でしたので、再び娘の通う県立高校に対して指導を行うように申し入れを行いました。全文を紹介しておきます。

 この申し入れを行って2週間が経過しますが、年度替わりでバタバタしているのか、まだ回答を受け取っていません。

 大分県教育庁からの審査請求に対する回答と高校教育課の回答を受け取った段階で、行政不服審査法に基づく異議申立てを行う予定です。

No.924 (2014/04/07)原発と周辺住民の生存権

 安倍ファッショ内閣は、日本の軍国化同様、原子力発電の再稼働や海外売り込みに対しても前のめりです。福島第一原発の事故の実態すら明らかになっていないのに、『世界で最も安全な原発』などという触れ込みで海外への原発輸出を国家挙げて売込みを図り、国内でも早期再稼働を強硬に推し進めています。

 国内で原発再稼働の既成事実を作ることに躍起になっている安倍政権や電力各社は、早期稼働のための手続きをできるだけ簡素化・限定化しようとしています。その最たるものが原発の設置による地元住民の当事者資格の限定です。
 福島第一原発事故による経験から、原発において重大事故が発生すれば、原発から半径30kmの範囲程度で放射性物質の汚染がとても収まらないことが明らかになってきました。短期的には北関東から東北一円にわたって、放射線管理区域に相当する放射性物質による汚染が広がりました。原発事故から3年余りが経過した現在でも、とても住民が安心して暮らせないレベルに汚染された地域が存在しています。下図は平成25年11月19日の空間線量率分布図です。

 概ね0.6μSv/時間を超える地域(赤〜緑の範囲)は、年間5.2mSvの放射線管理区域に相当する放射線レベルです。このような地域では、一般公衆の立ち入りを禁止し、18歳以下の子どもたちは決して立ち入ってはならないというのが日本の放射線防護に対する法体系の基本なのですが、日本政府は年間20mSv/年を目安に順次避難指示を解除しようとしています。

 話を元に戻します。つまり、重大事故後、3年間以上が経過しても、人が住めるような状況にならない地域が、事故現場を中心として半径30kmを超える範囲にまで広く分布しているというのが現実です。
 この状況を見れば、原子力発電所の運転について影響を受ける範囲=地元とは、広大な範囲に及ぶと考えるべきです。原発の立地する地元の範囲を極めて狭くしようとする電力会社や安倍ファッショ内閣の主張は、全く福島第一原発事故に学ばない、安全神話の延長線上にある非科学的で、相変わらず原発周辺住民の生命や健康を軽視する、生存権を無視した暴挙です。

 こうした電力会社や国に対して、経済的な恩恵を受けることなく事故のリスクだけを被る原発周辺自治体からの反発が強まっています。その中で、青森県大間町に建設中のJパワーのプルサーマル発電用の原子力発電所建設に対して、海峡を隔てた北海道函館市から、建設中止、原子炉設置許可の取り消しを求めて裁判が提訴されました。これは極めて妥当な対応です。

 No.919「九電・川内原発再稼働の非科学性について」でも取り上げた通り、原発周辺自治体は住民の将来的な健康を確保する重大な責任を持っています。この函館市の手法は、電力会社や国の責任を裁判記録に残すという意味からとても有効だと考えます。日本国中で同様な訴訟が提訴されることを期待したいと思います。

 

No.923 (2014/04/04)IPCC第5次評価報告書を考えるB

 前回、昨年公開された第一作業部会報告の科学的な根拠について検討しました。その結果、IPCC報告の最も根源的な“自然科学的根拠”である『人為的に放出されたCO2による付加的な温室効果の結果として気温が上昇する』という仮説が全く誤りであることが明らかになりました。従って、人為的CO2地球温暖化仮説に基づく気候の長期シミュレーションによる将来予測は、コンピューターの仮想空間における虚構にすぎないということです。

 ここで少し気候の数値シミュレーションによる長期予測ついて触れておくことにします。連載の初回に少し触れたように、JAMSTECの中村元隆も認める通り地球の気候現象に対して影響を与える要素は多岐にわたり、しかも錯綜した関係を持っているため、これを数値モデル化して有効な長期的な予測を行うことなど、全く不可能です。また地球の気候現象は、太陽活動を含めて予測不能の外的要因によって極端に変化します。
 従って、数値モデルによる地球の気候の長期予測が不可能だということは、コンピューター技術というレベルの問題ではなく、その自然現象としての本質によるものであり、将来的にも実用化することはありません。
 まして、人為的CO2地球温暖化仮説という自然科学的に間違ったロジックによる数値モデルなど、全くお話しにならないものなのです。

 ということで、人為的CO2地球温暖化仮説による数値シミュレーションによる将来予測に基づく第二作業部会(影響、緩和、脆弱性)報告など、正に砂上の楼閣なのです。これを踏まえた上で、その内容を少し見ておくことにします。

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次評価報告書第2作業部会報告書(影響・適応・脆弱性)の公表について(平成26年3月31日、文部科学省・経済産業省・気象庁・環境省)から紹介しておきます。

 報告の『B.将来のリスクと適応の機会』に挙げられている8つの項目の根拠として挙げられている『懸念の理由』は、人為的CO2地球温暖化仮説に基づく数値シミュレーションによる将来予測を元に描かれているようです。信頼性に乏しく、全く役に立たない内容です。
 8つの項目の最初に挙げられているのが、「海面上昇」による影響ですから、情けない限りです。前回紹介したように、仮に地球の平均気温が上昇したとしても、海面上昇につながるかどうか、誠に疑わしい話です。

 第二作業部会報告に挙げられた内容は、砂上の楼閣に過ぎませんから、これ以上検討する必要もないでしょう。

 さて、日本における温暖化対策の中核は、人為的CO2地球温暖化仮説を正しいものとして、人為的なCO2放出量の削減=エネルギー供給システム、中でも特に電力供給システムの燃料としての石炭・石油消費量の削減という、極めて近視眼的な内容です。

 前回示したように、近年観測されている大気中CO2濃度上昇の大部分は自然の変動であり、化石燃料の燃焼などによる人為的な放出とは無関係なのです。現在の大気中CO2濃度に占める人為的な要素の影響は最大でも12ppmにも満たないのです。
 更に、大気中のCO2濃度の上昇による付加的な温室効果によって気温が上昇するという現象は観測されておらず、原因と結果が逆で、気温の上昇が大気中のCO2濃度の増加を起こしているのです。

 従って、温暖化対策として、石炭や石油の消費量を削減する必要性など存在しないのです。むしろ、優秀なエネルギー資源である石炭や石油の代わりに、資源浪費的な原子力発電や自然エネルギー発電を大規模に導入することは、原子力災害の危険性を増大させるばかりでなく、鉱物資源消費量の爆発的な増大をもたらし、総合的には石炭や石油消費量を増大させることにさえなるのです。
 もっとも、原子力発電や自然エネルギー発電は非効率的であるがゆえに施設規模が大きく、高価になるため、短期的には経済規模を拡大するため、重電・重工メーカーにとってはこの上ないビジネスチャンスになります。しかし、資源の浪費は長期的には自らの首を絞めることになるのは、自明です。

 もう一度エネルギー供給技術について、徹底的な自然科学的な評価を行うべきです。石油に対して『環境税』を課してそれを非効率的な自然エネルギー発電の普及のために投入するなど、二重の意味で犯罪的で愚かな政策だと知るべきです。

No.922 (2014/04/02)無謀な福島県田村市の避難指示解除

 昨日、福島県田村市都路地区に出されていた避難指示が解除されました。避難指示の解除の要件は次の通りです。

避難指示区域とは

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、政府が避難指示を出している「避難指示区域」は、福島県の11の市町村の1150平方キロメートルの範囲で、対象となる住民は8万人余りに上ります。
避難指示は、▽半径20キロ圏内の地域は、事故翌日の平成23年3月12日に、▽その北西方向で、比較的、放射線量が高い飯舘村や葛尾村などの地域には、その1か月余りあとの4月22日に出されました。
この「避難指示区域」は、放射線量によって、3つの区域に分けられています。
▽ 年間の被ばく線量が20ミリシーベルト以下となる地域が、住民の早期帰還を目指す「避難指示解除準備区域」、▽20ミリシーベルトを超えるおそれがある地域が、引き続き避難を求める「居住制限区域」、▽50ミリシーベルトを超える地域が、長期にわたって居住を制限する「帰還困難区域」です。
避難指示区域では、原発事故の1年後のおととし7月に、田村市都路地区で初めて本格的な除染が始まり、去年6月、避難指示区域の中で最も早く除染が終了しました。都路地区は、これまで「避難指示解除準備区域」に指定されていて、今回の避難指示解除の対象となるのは、3月下旬の時点で116世帯、355人です。

避難指示の解除には

東京電力福島第一原発の事故に伴う避難指示を解除するのは、政府の原子力災害対策本部です。
解除の前提となるのは、年間の被ばく線量が20ミリシーベルト以下であることです。
そのうえで、さらに3つの条件を設けています。
1つは、▽電気、ガス、水道などのインフラや、医療、介護などの生活に関連するサービスが復旧すること、2つ目は、▽住民の生活環境で除染が十分に進むこと、そして、3つ目が、▽政府が県、市町村、住民と協議を行い、地域の実情を十分に考慮することです。政府が、ことし2月に開いた都路地区の住民との意見交換会で、赤羽経済産業副大臣は、放射線への不安などから解除に反対する一部住民に対し、「避難指示は憲法で保障されている居住の権利を制限する、極めて強制力の強い指示だ」と説明し、条件を満たせば政府が速やかに避難指示を解除することに理解を求めていました。

NHK NEWS WEBより

 これは無謀であり、しかも法令違反です。日本は法治国家であるはずですが、国民に対して敢えて法律を犯させるようなことをするとはどういうことなのでしょうか?全くふざけた話です。

 日本の放射線防護に関する法律の体系では、一般人が居住する環境の放射線レベルは年間1ミリシーベルトより小さいとされているのです。No.680から日本の法体系のまとめを再掲しておきます。

@放射線管理区域

 人工放射線を取り扱う作業所などにおいて、特に放射線レベルの高い場所を放射線管理区域とし、一般公衆の立ち入りを禁止している。また、管理区域内で 18歳未満の就労を禁止している。放射線管理区域の設置基準は法律ごとに多少表現は異なるが、概ね次のような条件である。

●放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律による管理区域
放射線を放出する同位元素の数量等を定める件(平成十二年科学技術庁告示第五号)
最終改正 平成二十一年十月九日 文部科学省告示第百六十九号 第四条

1.外部放射線に係る線量については、実効線量が3月あたり1.3mSv
2.空気中の放射性物質の濃度については、3月についての平均濃度が空気中濃度限度の1/10
3.放射性物質によって汚染される物の表面の放射性物質の密度については、表面汚染密度(α線を放出するもの:4Bq/cm2、α線を放出しないもの:40Bq/cm2)の10分の1
4.外部放射線による外部被ばくと空気中の放射性物質の吸入による内部被ばくが複合するおそれのある場合は、線量と放射能濃度のそれぞれの基準値に対する比の和が1

●関連するその他の法律
医療法令:医療法及び同施行規則第30条の16
労働安全衛生法令:労働安全衛生法、電離放射線障害防止規則
人事院規則:人事院規則10-5により定められている。

A放射線業務従事者の被ばく限度

●労働安全衛生法による放射線業務従事者の被ばく限度
(電離放射線傷害防止規則)
第四条
事業者は、管理区域内において放射線業務に従事する労働者(以下「放射線業務従事者」という。) の受ける実効線量が五年間につき100mSvを超えず、かつ、一年間につき50mSvを超えないようにしなければならない。
2 事業者は、前項の規定にかかわらず、女性の放射線業務従事者(妊娠する可能性がないと診断されたもの及び第六条に規定するものを除く。)の受ける実効線量については、三月間につき5mSvを超えないようにしなければならない。

B一般公衆の人工放射線に対する年間被曝限度

 一般公衆が受ける人工放射線量としては、国際放射線防護委員会(ICRP)が2007年に勧告を出しており、平常時は1mSv/年以下、緊急時は20〜100mSv/年、緊急時の後の復旧時は年間1〜20mSv/年としている。
 日本の法令では、人工放射線については通常の生活をする一般公衆の生活とはほとんど関わりがないため被曝線量の限度は、放射線業務従事者に対する線量限度を定めている。ICRPの勧告を受けて一般公衆については放射性物質を扱う事業所の敷地境界での放射線レベルの上限値を与えており、これが一般公衆の被曝線量限度と解することができる。原子炉等規制法では敷地境界において1mSv/年を上限値としている

 これから見ると、3ヶ月間の実効線量が1.3ミリシーベルト、つまり年間実効線量が5.2ミリシーベルトを超える地域は放射線管理区域にして、一般人の立ち入りを禁止し、更に労働従事者であっても18歳未満であれば就労を禁止する地域なのです(実効線量については、No.878を参照)。
 空間線量率分布図において、空間線量率が0.6μSv/hよりも高い赤〜緑で着色された部分は放射線管理区域に相当する地域です。2013年11月時点では、今回避難指示が解除された地域の中にも放射線管理区域に相当する高い空間線量率を示す地域がかなりあることが分かります。
 避難指示解除の目安が年間被ばく線量が20ミリシーベルト以下というのはあまりにも高過ぎる数値です。このような地域に一般住民の居住を許し、まして小中学校を開校するとはどういう神経なのでしょうか。

 20ミリシーベルトという数値は、国際放射線防護委員会ICRPの勧告において一般公衆の放射線の受忍限度の目安を原発事故後の復旧時において1〜20ミリシーベルト/年としており、日本政府はこの上限値を採用しているということです。
 しかし、日本の法体系に従えば、本来一般公衆の居住地域の放射線レベルは1ミリシーベルト/年未満であり、同時に実効線量5.2ミリシーベルト/年を超える地域は放射線管理区域に相当し、一般公衆の立入を禁止しなければならないのです。1〜5.2ミリシーベルト/年はグレーゾーンということになりますが、少なくとも避難指示の解除の目安は、放射線管理区域に指定すべき地域、つまり実効線量5.2ミリシーベルト/年よりも低い放射線レベルであることが必要です。

 今回の措置で、田村市に帰還する住民と帰還しない住民の間に補償や賠償の格差が生じることが懸念されます。

 

No.921 (2014/03/31)IPCC第5次評価報告書を考えるA

 今回は、第一作業部会報告の内容を検討しておきます。温暖化の非科学的な主張を日本全国に流布している悪名高き「全国地球温暖化防止活動推進センター」(JCCCA)のホームページから見ておくことにします。

 残念ながら、ここに書かれている「結論」は、ほとんど人為的な影響によるという自然科学的な根拠の無いものです。

「地球温暖化の原因」において、人為的な影響の可能性が95%以上としていますが、全く意味不明です(笑)。これは、人為的CO2地球温暖化仮説を正しいとしての主張ですが、後ほど少し詳しく検討します。
 大気中の二酸化炭素濃度などの記録が80万年前まであるはずはありませんから、これは現在の地球環境に残された痕跡からの推定です。たとえば、代表的なものとして、南極ボストーク基地におけるアイスコアの成分分析の結果を示しておきます。

 緑で示したCO2濃度を見ると、現在の値(左端)が極端に高いとはいえないことは明らかです。蛇足ですが、人為的なCO2放出がなくても大気中CO2濃度や気温は周期的な変動を示し、気温が高い時期には大気中CO2濃度は高くなるのです。これは化学平衡から考えて当然のことです。気温が高くなるとその結果として大気中CO2濃度が高くなるのです。

 「現状」において、『温暖化については「疑う余地がない」』は噴飯物です。観測事実として、1800年代の小氷期後期から気温の上昇傾向が続いているのは観測事実として正しいでしょう。しかし、Climategate事件で発覚したように、最近の特に1970年代以降の気温観測データには恣意的な改竄があるので、注意が必要です。
 近年の気温の上昇傾向が正しいとしても、問題はその気温上昇の主要な原因が人為的な影響ではないという点なのです。

 「将来予測」において、『CO2の総累積排出量と世界平均地表気温の変化は比例関係にある』というのは、科学的に実証されたことではなく、むしろこの仮定のもとに彼らの温暖化理論が構成されているのです。この点について、少し詳しく見ておくことにします。この点について次の図が示されています。

 上図の2010年までの黒の実線が気温の観測値であり、それ以後はIPCCのシナリオ別の推定気温を示しているものです。横軸は1870年以降の人為的に放出されたCO2の積算量、縦軸は基準年からの気温偏差を示しています。

 人為的CO2地球温暖化仮説の主要な構成要素は2つあります。

1. 大気中CO2濃度増加量は、人為的に放出されたCO2の半量程度が大気中に蓄積されたものである。
2. 近年観測されている気温上昇の主因は大気中CO2濃度の増加に伴う付加的な大気の温室効果の増加である。

 この2つの主張が正しいものとすれば、結論的に大気中CO2濃度の増加の原因は人為的な放出の蓄積であり、大気中CO2濃度と地表気温が比例する、つまり大気中に放出された人為的なCO2放出の蓄積量と気温が比例するというストーリーです。これは全く噴飯物の主張です。

 IPCC第4次評価報告書の炭素循環図を示します。

 この図に限らず、一般的に地表環境(海洋部分も含む)と大気の間には巨大な炭素の循環構造があり、年間200Gt/年(=2000億トン/年)程度が交換されているというのが共通認識です。上図の数値を元に、大気をめぐる炭素の移動について考えてみることにします。

 以上の検討から分かるように、仮に、地表面気温が大気中のCO2濃度の増加量に比例して変動するとしても、大気中のCO2濃度増加の主要な原因は自然自身の変化であり、人為的な影響ではないのです。ボストーク基地のアイスコアの成分分析でも述べたように、むしろ気温変動が原因となって大気中のCO2濃度が変動するのです。

 この点について、このホームページでは槌田敦氏との共同研究の結果を詳細に報告しています。ここでは要点だけを示しておきます。

 まず、気温と大気中CO2濃度の両方について、時間に対する変化率を同じ時間軸にプロットした図を示します。

 図から明らかなように、気温が変動して1年間程度が経過して後に大気中CO2濃度が追随するように変動しているのです。つまり、気温変動の結果として大気中CO2濃度が変動するのです。
 更に、気温そのものと大気中CO2濃度の時間変化率の変化を同じ時間軸にプロットした図を示します。

 つまり、気温と大気中CO2濃度の時間変化率が同期しているのです。これは、気温が大気と地表環境の間のCO2の移動速度=化学反応速度を制御しているということです。
 気温と大気中CO2濃度の時間変化率についての散布図を示します。

 この分析の気温偏差の基準値である1971年から2000年の30年間の平均気温に対して−0.62℃で大気中CO2濃度の増加が停止することを示しています。

 以上2つの考察から、次の結論を得ることが出来ました。

1. 大気中CO2濃度変化の主要な原因は自然現象であり、人為的なCO2の放出とは無関係。
2. 気温変動が原因となって地表環境の炭素循環速度が変化し、大気中のCO2濃度が変化する。

 IPCC報告のすべての前提となっている人為的なCO2の増加による気温の上昇というストーリーの自然科学的な根拠は全て誤りだということです。つまり、IPCC第5次評価報告書は全く無意味な内容だということです。

 

 もう少し観測事実についてコメントしておくことにします。IPCC第5次評価報告書の第一作業部会報告が出て以降、最悪のケースで海面が82cm上がると、日本沿岸の砂浜がほとんど全て失われるなどと言って脅威を煽る報道がありました(笑)。

 温暖化に伴う海面上昇の主要な原因は陸地に固定されている氷河の減少です。海氷や陸地から海洋にせり出している棚氷がいくら溶けても、海面はほとんど上昇しません。これはアルキメデスの原理から中学生でも分かる話です。一頃、温暖化の脅威を煽る映像として、南極の棚氷の先端が崩落する光景がよく使われていましたが、これは全くお笑いでした。

 温暖化の脅威や海面上昇を印象づけるために、北極の海氷面積の減少の図が示されています。

 確かに、北極の海氷の面積は減少傾向が顕著ですが、前述の通り、海氷面積は海面上昇には直接は結びつきません。また、2013年の夏には北極海の海氷面積は急激に増大しました。

 比較のために南極海の海氷面積の変動を示しておきます。

  南極海の海氷面積は明らかに増加傾向を示しています。温暖化の脅威を徒に煽るためだけに一面的なデータだけを示すのは感心できません。

 では、肝心の陸地に固定された氷河の量について考えてみます。陸地に固定されている氷河の大部分90%以上がは南極大陸にあります。まず、南極と北極の気温分布を見ておきます。

 図からわかるように、南極大陸は北極圏に比較して圧倒的に低温です。南極大陸では夏でもその平均気温は氷点下です。これに対して、北極圏では夏には北極点でも0℃程度にまで気温が上昇します。
 氷点下の温度域で気温が上昇するのと、0℃以上で気温が上昇するのとでは全く意味が違います。
 年間を通じて氷点下である南極大陸の周辺で気温が上昇することは、大気中の水蒸気量の増加をもたらし、南極大陸の降雪量の増加をもたらします。降雪量の増加は南極大陸の氷河を増大させることになるのです。6000年前の古代4大文明の栄えた、現在よりも高温であった、ヒプシサーマル期に南極大陸の氷河の体積は最大であったという説もあるのです。
 これに対して、北極圏の大きな陸地であるグリーンランドでは、夏には海岸線に近い場所は0℃を超えているため、気温の上昇は氷河の減少に結びつく可能性が高いでしょう。
 これらを総合すると、気温上昇にともなって南極大陸では氷河が発達し、グリーンランドでは氷河が後退すると考えられますが、総合的には氷河が増加する可能性のほうが高いと考えられます。気温上昇に伴う顕著な海面上昇の脅威は杞憂と考えてよいでしょう。

 

 それ以前に、2000年を過ぎた頃から地球全体の平均気温の上昇傾向は鈍化し、むしろ低下し始めているようです。
 このようなことを書くと、現在のように気温の観測体制が整っているのに、単純な地球の平均気温気温の観測値に間違いがあるわけはないのではないかという声が聞こえそうです。ところが、現実には気温観測点の選択方法によって求められる平均気温、その変動傾向は大きく変化します。地球の平均気温を確定するのはそれほど簡単なことではありません。Climategate事件に関わる気温の改竄においても、観測点の恣意的な選択が利用されているようです。

 まず、現在の一般的な気温観測点を用いた気温変動の最近の傾向を示しておきます。

 この図からも、2000年を過ぎた辺りから気温の上昇傾向は予測値と大きく乖離して、殆ど上昇していないように見えます。
 更に、気温観測点の都市化による影響を取り除いた場合の気温変動の一例を次に示します。

都市部の気温観測点を取り除くと、2000年以降は明確に気温の低下傾向が現れ始めています。時を同じくして、太陽活動の低下傾向も顕著です。

 以上、いくつかの最近の観測事実を紹介しましたが、人為的CO2地球温暖化の脅威を支持するようなものはないようです。むしろ、太陽活動の異常な低下などから、寒冷化が心配されます。

(続く)

No.920 (2014/03/31)IPCC第5次評価報告書を考える@

 現在、IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)において、第5次評価報告書の取りまとめが行われています。第二作業部会の審議が昨日まで横浜で続けられていました。

 内容的には基本的に前回の第4次報告書と同じ論調であり、特に目新しい物はありません。前回報告の後に発覚したClimategate事件によって、人為的なCO2放出による温室効果の増大による地球温暖化仮説の自然科学的な信憑性は著しく失墜しましたが、IPCCという国際政治の舞台では、相変わらず人為的CO2地球温暖化仮説が科学的根拠となっています。
 まず注意して欲しいのですが、IPCCを主導しているのは自然科学ではなく、あくまでも国連を舞台とした国際政治だということです。科学的な正確さよりも各国の政治・経済的な思惑のほうが重視されていることを確認しておかなくてはなりません。

 今回、横浜で開催されたのは第二作業部会(影響、緩和、脆弱性)であり、第一作業部会(科学的根拠)についてはすでに昨年に取りまとめが行われており、このコーナーでも報告しています。

No.886 (2013/08/29) 人為的CO2地球温暖化の空騒ぎA
No.898 (2013/10/03) 人為的CO2地球温暖化の空騒ぎB

 日本では、気象庁の気象研究所や独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)などの政府系研究機関や東大などを中心とする日本気象学会に集まる御用学者が中心となって、人為的CO2地球温暖化仮説を強力に支援してきました。
 しかし、残念ながら彼らが「科学的な根拠」と主張する内容は、自然科学的な観測事実とは多くの矛盾を含むコンピューターの仮想空間における幼稚な数値モデルの計算結果にすぎないのです。

 Climategate事件以降、さすがに政府系の研究機関の中にも人為的CO2地球温暖化仮説はあまりにも信頼性が低いと考え始める研究者もいるようです。
 たとえば、ブログ「管理者の雑記帳」で紹介したJAMSTECの中村元隆(地球環境変動領域主任研究員)は、NHK公共放送の番組の中で「気候変動の長期的な数値予測は役に立たない」と公言していました(笑)。
 今更、槌田さんや私を含めて、コンピューターシミュレーションの信憑性に疑問を呈して人為的CO2地球温暖化仮説を批判する者を名指しで“非国民”扱いしてきた(たとえば東大IR3S『地球温暖化懐疑論批判』など)JAMSTECの研究者が、これまでの総括も行わないまま、こっそり宗旨変えするなど、言語道断ですが…。
 まあそれは置くとして、政府系の研究機関の研究者でさえ公の場で人為的CO2地球温暖化仮説の唯一の“科学的根拠”としてきたコンピューターによる気候変動の長期予測技術が無意味だと発言ができるほど、その信憑性が失墜しているというのが現実であることを、ぜひ認識していただきたいのです。

(続く)

 

No.919 (2014/03/29)九電・川内原発再稼働の非科学性について

1. 原発の新安全基準について

 福島第一原発を受けて、原発の早期再稼働を目指す政府・経済界の要請によって、十分な事故の原因究明を行わずに、とりあえず原子力規制委員会の審査を開始するための基準がまとめられました。安倍晋三は『世界で最も厳しい安全審査基準』だとしていますが、そもそも安全審査基準がまとめられるということは、裏を返せば原発を再稼働させることがその前提にあるということです。
 絶対的な安全性を求めるような基準を作れば、安全審査に合格する原発はなくなりますから、原発から撤退することになります。従って、原発再稼働・新設の許認可手続きそのものが不必要になり、安全審査基準も不必要ということになります。安全審査基準を作るということは、原発再稼働ないし新規建設の許認可手続きという行政処理を可能にすること=原発再稼働・新設を開始することを示しています。

 上の図(日経新聞から)に示すように、新安全基準のポイントとして5点が挙げられています。1、2、4は原発事故の原因となる可能性のある事象の見直しです。これは特に目新しい物はありません。これまでより多少大きめの自然現象を想定し、新たにテロによる物理的な攻撃を加えただけです。
 この種の事故原因の想定(テロや戦争は除く)は、過去のデータに基づく確率的な評価になります。それ故、事故の発生確率をゼロにするためには、対象とする地震加速度や津波の高さに対して、有限の値を設定することは理論的に出来ません。つまり、どのような基準を設けても、それをクリアーしたから絶対安全という保証はできない、というのが唯一の科学的・論理的な解なのです。
 逆に、確率論ではなく、現象論的に判断することが可能かといえば、近代的な自然現象の観測の歴史は浅く、直接的なデータから現象のメカニズムを特定して、起こりうる最大規模の現象を確定することなど、とても出来ません。

 原発に限らず、全ての構造物の設計の基準となる自然現象の強度は確率論的に定められています。同じ構造物の設計においても、その構造物の社会的な重要度によって、想定する現象の再現期間は異なり、重要構造物ほど長い再現期間を想定し、大きな現象を対象にします。確率論的には対象となる構造物の耐用期間中に想定しうる最大の自然現象に対して安全だとしても、実際には想定を超える現象が発生し、構造物が壊れることもあるのです。これが設計の限界であり、それを甘んじて受け入れるというのが構造物の設計思想です。
 過酷事故を起こしてはならないという原子力発電所設備が、この構造物の設計思想と相容れないものだということです。

 福島第一原発の過酷事故を経験した現在、もっとも重要なのは『原子力発電を運用する限り、過酷事故が起こることを想定しておかなければならない』ということです。それ故、本質的に重要なのは、安全審査基準を厳しくすることよりも、事故が起こった場合にどう対処するのかを具体的に示すことなのです。
 しかし現実には、原子炉周辺の実際の状況は未だに高い放射線のために確認することが出来ず、事故の発生経過、そして現在の状況はあくまでも想定されるシナリオにそって推測されているだけに過ぎません。原発事故の状況が把握できていない段階で的確な事故処理対応を立案することは出来ません。
 原子力発電所における廃炉への第一段階である事故発生原子炉の安定的な冷却と冷却システムの安定運用すら未だに暗中模索の状態が続いています。また、広範囲に拡散した放射性物質の処理技術も全く確立されていません。事故が起きるたびに日本の国土だけでなく世界中に拡散した放射性物質による汚染でバックグラウンドの放射能レベルは高くなるのです。

 結局、新安全審査基準は、画餅に過ぎず、これによって原発の安全性が担保されることはありません。

2. 原子力発電システムの根本的な議論と事故責任の明確化が急務

 福島第一原発事故からの最大の教訓は、果たして過酷事故や核燃料サイクル、バックエンドの廃炉後の高レベル放射性廃棄物の管理までを含めた『原子力発電システム』が、本当にエネルギー供給において合理性を持ち・必要なのかという問い直しであったはずです。まともな政策立案者であれば、まずこの議論を徹底的に行うことが必要です。
 少し脱線しますが、私は小泉純一郎という政治家は危険な人物だと思っていますが、少なくとも安倍晋三や電力会社を始めとする大企業経営者、脳天気に東京オリンピック誘致に浮かれる都民に比べれば、はるかに福島第一原発事故から多くのことを学び取ったのであろうと考えます。その彼が、都知事選挙において原発の隠された費用は莫大で安くはないと言った事実は重いと考えています。
 残念ながら、経済政策最優先、オリンピック招致に浮かれた安倍晋三や東京都民には期待しても無理なようです。日本は、福島第一原発事故という原発廃止の最大の契機を逸しようとしています・・・。

 3年が経過した現在、政府は電力会社の短期的な経済性の要請だけを考慮して、事故を起こした東京電力の責任追及も曖昧なまま、原発の再稼働を急いでいます。このようなことを断じて許してはいけません。

 福島第一原発事故は、原子炉の崩壊を含む初めての過酷事故であったため、それまでの原子力安全神話にあぐらをかいてきた東京電力は十分な事故処理の能力も資金も準備していなかったために、被災地住民を一刻も早く救済するために、緊急避難的に政府が税金を投入して事故処理にあたったことは現実的には仕方がなかったとも言えなくはありません。
 しかしながら、事故を起こした当事者である東京電力の責任を問わずに税金を投入することは許されません。東電はすべての資産を売却した上で解散し、当面は国家管理する以外にないでしょう。

 更に地元住民の安全に責任をもつべき自治体は、福島第一原発事故を経験してもなお原発の再稼働を望む電力会社に対して、少なくとも過酷事故が発生した場合には、国家から一切の経済的・人的・制度的な補助を受けずに全責任を負う体制と、影響を及ぼす可能性のある地域における対原発の安全対策の全てと、事故処理のための資金を用意し、確実な事故処理が出来る事を技術的、経済的に保証する事ができない限り、再稼働を許してはならないでしょう。

3. 原発再稼働と地元自治体の責任

 私の住んでいる大分県別府市の周辺には3つの原子力発電所があります。九州電力の玄海原発と川内原発、そして四国電力の伊方原発です。

 ご存知のように、別府は阿蘇火山帯の火山群を擁し、温泉の湧出量は世界有数です。地質的には、四国佐多岬から大分市佐賀関に繋がる中央構造線のすぐ北に位置しています。別府を含む大分県中部は南北に伸長しつつあり、別府〜島原地溝帯を形作っています。別府市の南北には断層があります。このような複雑な地形から、別府では時々局地的な群発地震が発生することがあります。

 さて、日本最大の断層帯である中央構造線の直上に伊方原発と川内原発があります。ここにかぎらず、日本中に活断層があり、火山があります。これは大陸周辺の弧状列島の宿命であり、地震や火山災害を避ける事は出来ません。

 今月14日未明の地震には、少し肝を冷やしました。大分県では震度4から5-を観測しました。

震源は上関原発建設予定地のそばの伊予灘でした。

 さて、原子力規制委員会は、九州電力の川内原発について優先的に安全審査を進めることに決めました。九州電力は今年中に川内原発の運転を再開させたい意向のようです。
 近くの原発の中では川内原発が最も別府市には影響が少ないと考えられますが、それでも風向きや天候によってはどうなるかわかりません。福島第一原発事故クラスの事故が発生した場合の放射性物質の拡散マップの例を示しておきます(クリックすると大きな図を見ることが出来ます)。

 さて、このような状況を受けて、川内原発の地元である薩摩川内市では、教育委員会が市内の小中学校向けに「学校における原子力防災マニュアル」を作成したそうです。

 読売新聞電子版の記事を紹介します。


 薩摩川内市立すべての小中学校と幼稚園が、九州電力川内原子力発電所1、2号機の重大事故を想定した防災マニュアルを完成させた。避難の際に子どもたちを保護者に引き渡す方法などを盛り込んでいる。

 県や市の原子力防災計画に基づく措置。小中学校49校、幼稚園13施設で、
(1)川内原発からおおむね5キロ圏内の予防的防護措置準備区域(PAZ註1)内
(2)同5〜30キロ圏内の緊急時防護措置準備区域(UPZ註2)内
(3)UPZ外
のいずれに当たるかで、マニュアルの内容が異なっている。

註1)PAZ=Precautionary Action Zone
註2)UPZ=Urgent Protective action Planning Zone

PAZ内は水引小、峰山小、水引中、高江中の4校、UPZ内は小中学校37校と幼稚園9施設、UPZ外は小中学校8校と幼稚園4施設。

 例えばPAZ内の場合、「大地震や大津波が発生した時点で保護者に子どもたちを引き渡す」「(川内原発の外部電源が途絶するなどして高齢者ら)要援護者に避難指示が出た場合は市が手配したバスで30キロ圏外の指定された避難所へ子どもたちを避難させ、そこで保護者に引き渡す」などとしている。

 子どもたちの引き渡しが円滑にできるよう、保護者の連絡先や携帯電話のメールアドレスを事前に把握しておくという。

 市教委学校教育課は「子どもたちを早く、安全に保護者に引き渡すことが重要。万一の際はマニュアルに沿って落ち着いて行動してもらいたい」と話している。市は私立学校などにも策定するよう求めていく。

<川内原発PAZ避難計画作成 病院など7施設>

 県は28日、九州電力川内原子力発電所(薩摩川内市)から半径5キロ圏内のPAZにある病院や社会福祉施設の避難計画作成が完了したと発表した。

 PAZ内には、病院と社会福祉施設が7施設ある。計画では、震度6弱以上の地震が発生したり、原発内で事故が起きたりした場合、鹿児島市や姶良市の13施設が患者らの避難を受け入れるとしている。

(2014年3月29日  読売新聞)

 しかし、これはおかしな話です。原発事故は自然災害ではないのです。たかが民間企業の一事業所が事故を起こした場合の避難計画なのです。原子力発電所周辺の監視体制、事故発生時の避難施設の整備、避難受け入れ施設の費用、マニュアル作成、避難訓練を含めて、すべての費用を含めて九州電力が準備すべき事柄です。

 原子力規制委員会による安全審査を通過することは、原発再稼働にお墨付きを与えることではありません。それは幾多の必要条件の最も基本的な一つの条件に過ぎません。

 地元自治体が行うべきことは、税金を使って避難マニュアルを作ったり避難訓練をすることではありません。地元自治体が行うべきことは、事業者である九州電力に対して、原発事故が起こることを前提として、事故前の監視体制、避難設備の整備、避難計画、事故被害想定とその補償、現状復帰のための実効性のある復興計画などを具体的に提示させ、それを実現するための確実な担保を求めることです。少なくとも納得できる担保が得られない限り、原発の再稼働を許さない事こそが地元自治体の責務です。
 地元自治体の原発に対する責務とは、原発のバックエンド処理の数百年〜数千年に及ぶ長大なライフサイクルを考慮して、現世利益を求める今生きている住民だけではなく、将来生まれてくる未来の住民の安全をも保証することだということを肝に銘ずべきだと考えます。

No.918 (2014/03/22)PTAは高校のマネーロンダリング装置

県立高校に納める費用のまとめ

 県立高校において就学するために高校ないし大分県に直接支払わなくてはならない必須の金員は入学金と授業料の2費目のみです。

 現状の日本の教育環境においては、前記の必須の費用の他に、生徒ないし保護者が負担しなければならない費用には、教科書代、教材費、その他学校教育に必要で生徒個人の所有となる物品に対する費用があります。これらは、県立高校や大分県に支払う費用ではなく、生徒ないし保護者がこれらの物品の購入に支払う費用です。

 その他に、学校教育のために必須と言えるかどうかには疑問が残りますが、修学旅行代、卒業アルバム代などが生徒ないし保護者の負担とされています。

 以上の費用は、多少問題があるものの、理解は出来るものです。しかし現在の大分県の県立高校では、そして全国の多くの公立高校では不法な方法で保護者ないしPTA会員から様々な名目で金員が徴収されています。代表的なものを以下に示します。

分類 費目 徴収主体 徴収事務 支払義務 備考
学校関係団体費 PTA会費
620円/月
PTA 高校 PTA会員のみ
体育文化振興会費
1200円/月
体育文化振興会 高校 PTA(体育文化振興会)の名前で徴収して、高校が使用する

3100円/月=37200円/年
学校援助的経費 特別指導費
350円/月
PTA 高校
空調電気代
350円/月
PTA 高校
朝・土曜講座代
1200円/月
PTA 高校
学校
取扱金
高体連会費
1000円/年
高校 高校  
高文連会費
800円/年
高校 高校  
 

 学校関係団体費PTA会費・体育文化振興会費は、適切な加入手続きを経たPTA会員あるいは体育文化振興会会員から徴収するのは正当です。
 しかしながら、現在の大分県の県立高校における
PTA会員、体育文化振興会会員の自動加入=強制加入手続きは消費者契約法に違反するもので無効です。また、PTA、体育文化振興会は任意団体なのでいつでも退会することが出来ます。

 PTAが会費以外に徴収する費目は学校援助的経費と呼ばれ、学校の運営経費を補填するために使われています。学校教育法において、学校の運営経費は、本来、県立高校の設置者である大分県が支弁するものであって、保護者に転嫁してはならない費目です。また、地方財政法から、県立高校の運営経費に使う目的でこれを割り当てて強制的に徴収することは禁止されています。従って、学校援助的経費がPTAによって予算化され、PTA総会で承認されたとしても、これをPTA会員に割り当てて強制的に徴収することは不法であり、PTA会員には支払う義務はありません。あくまでも自由意志で支払いたいPTA会員が支払えばよいのです。 

 高体連会費、高文連会費は保護者に支払義務はなく、高体連・高文連の意義に賛同して自由意志で支払いたい保護者が支払えばよいものです。 

 私は、大分県と県立高校に抗議する意味で、表に示した費目すべての支払を拒否していますが、県立高校、大分県教育庁からは一切の支払いの督促はありません。

 

県立高校・PTA会計の問題点

 PTAの組織運営及び学校援助的経費の徴収と予算執行は出鱈目と言わなければなりません。

 本来、PTA社会教育法において社会教育関係団体に分類される県立高校とは独立の任意団体です。PTAの運営に対して、地方公共団体=県立高校管理職・教職員が統制的支配や干渉することは、社会教育法に違反する行為です。

 大分県のPTAでは県立高校の校長をはじめとする管理職がPTAの重要な役員ポストを兼務しています。しかも、PTA副会長に就いた校長は、PTAの会計の全権を委任されています。実質的にPTAは県立高校の統制下にあります。PTA会費、体育文化振興会費、学校援助的経費の全ての徴収、そして予算の執行権を県立高校の校長が持っており、校長のもとで高校が事務処理を行っています。

 体育文化振興会は実質的にPTAと同一組織ですので、体育文化振興会費もPTA会計に含めて論じることにします。
 PTAの会計の内、PTAの事業経費に使われるのはPTA会費だけです。体育文化振興会費、学校援助的経費(特別指導費、空調電気代、朝講座・土曜講座代)は全て県立高校ないし部活動の運営経費として使われます。
 これらの予算は、実際に県立高校の運営に携わっている校長・教頭・事務長など県立高校管理職であるPTA役員の主導によって編成されています。しかも、PTAの会計の事務処理の一切は執行権を持つPTA副会長である校長を介して県立高校に丸投げされています。
 つまり、体育文化振興会費、学校援助的経費は、その予算編成から徴収、執行の全てを校長ないし県立高校が行っています。本来ならば
PTAを介在させる必然性は存在しません。

 これらの費目を敢えてPTAの会計という形をとる意味は、学校教育法地方財政法上、県立高校が入学金・授業料以外の費目で県立高校の運営経費を生徒ないし保護者に転嫁することが難しいため、「形式的」に県立高校とは独立の任意団体であるPTAという組織の名義を使って金の流れを迂回させて『マネーロンダリング』を行うためです。
 つまり、
PTAとは県立高校の保護者に対する不当な資金徴収のためのトンネルあるいはダミー組織であり、県立高校の集金装置なのです。
 こうして高校が保護者から不法・不正に徴収した資金の総額は、娘の高校の生徒数を800人とするとその総額は、

37200円/年・人×800人=29,760,000円/年

年間、概ね3000万円にも上るのです。

 現在、高校が私から不法に徴収した学校援助的経費などの返還を求めています。また、上級庁である大分県教育庁に対して、高校に対して返還に応じるように指導するように求めています。

大分県教育庁高校教育課からの回答を次に示しておきます。

 不法・不当な徴収の責任が問われても、高校や大分県に責任が及ばないように考えだしたマネーロンダリングの筋書き通りの、実にご都合主義の回答です。
 PTAの学校援助的経費などの判断は、実質的にはPTAの予算執行権をもち、学校援助的経費等について主導的に予算編成に携わっている校長をはじめとする県立高校の判断そのものです。このように、PTA・県立高校・大分県教育庁が一体となって責任の所在をあいまいにして保護者を騙し、不正を行っているのです。規範意識の欠落した彼らには自浄能力は期待できないようです。

 

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