軍隊という国家の暴力組織を政治がコントロールする「文民統制 (civilian
control of the military )」によって、不用意な武力衝突を回避することが出来ると考えられてきました。
しかし現実は全く異なったものでした。米国の政治屋は、実質的に米国によって世界を支配するという覇権主義的な世界戦略を実現するための道具として、軍隊を利用しています。その結果は、民主主義国家の頭目と目されている米国が第二次世界大戦後の期間において、最も数多くの戦争に介入して最も多くの人間を殺してきたという事実が如実に示しています。私たちはこの事実を客観的かつ論理的に理解しなければなりません。
つまり、民主主義国家は平和国家であるという認識は幻想にすぎないのです。更にこのことは、民主主義国家の政治による軍隊の統制によって、必ずしも平和はもたらされないことを示しています。
形式的に民主主義国家である日本では安倍〜岸田という国民の意見を顧みない米国盲従のファシストが政権を握り、不戦を国是とする日本国憲法を無視した軍事国家化が暴走し始めています。安倍〜岸田ファシスト政権は自ら進んで米国の傀儡となり、東アジア地域における米国の番犬となることで日本の国民と国土を戦火の危険に晒すことによって、その見返りとして米国の後ろ盾によって政権を安定させ、米国のおこぼれに与かろうという浅ましい売国奴です。彼らは、米国同様、自衛隊をそのための道具としてしか見ておらず、一兵卒の命など眼中にはないのでしょう。
それに比べて、自衛隊の制服組、中でも下士官や兵卒は政治屋たちの危険な火遊びの道具として、現実に矢面に立って殺し合いに巻き込まれる危険性を知っているだけに、政治屋どもよりもよほど戦争に対して抑制的です。東京外国語大学の伊勢崎氏等の著書「非戦の安全保障論」にある通り、岸田ファシスト政権の軍備拡張路線ではむしろ日本の平和は危険に晒されることになるのは必定です。
先週、叔母の法事で上京していた家内が親族と会食した折、弟の、恐らく陸自習志野空挺団の士官であろうと思われる知人の話として、今後日本では沖縄・鹿児島の島嶼部だけでなく九州本土の兵力が傾斜的に増強されることになると話し、自らもこのコーナーでも紹介した大分県玖珠町日出生台で行われた日米合同軍事演習に派遣され、九州に赴任すると話していたといいます。その際、危険なので家族は残して単身で九州に赴任すると言っていたそうです。
ある意味自衛隊員は米国のアジア戦略によって戦闘に巻き込まれることを覚悟しているように思えます。しかしこれは日本国民の命や国土を守ることはできない、米国の番犬としての正に「犬死」でしかありません。
先週水曜日3月15日から3日間の予定で、幕張で国際兵器見本市が大々的に開催されました。平和国家であった日本でこのような催しが行われるようになるとは、隔世の感があります。今回の見本市では、軍事費を膨張させる岸田ファシスト政権をターゲットに、世界中の「死の商人」たちにも力が入っているようです。とりわけ、防衛三文書の改悪によって攻撃型の兵器に対する新規需要の拡大が「期待されている」ようです。以下朝日新聞電子版の記事を紹介します。
武器見本市、日本で4年ぶりに開催 防衛費増で海外企業が熱視線
3/15(水) 19:57配信
朝日新聞デジタル
日英伊が共同開発を決めた次期戦闘機の模型=2023年3月15日午前11時34分、千葉市の幕張メッセ、田嶋慶彦撮影
国際的な武器の見本市「DSEI JAPAN」が15日、千葉市の幕張メッセで3日間の日程で始まった。4年ぶりに日本で開かれた今回は、前回より5割多い250社以上が参加。日本政府が昨年末に防衛費の大幅増を決めたことを受け、ビジネス拡大を見込む企業が日本市場に熱視線を送っている。
【写真】会場には各国企業のブースが立ち並ぶ=15日、千葉市の幕張メッセ
会場には日本や米国、ドイツ、イスラエルなど65カ国の企業のブースが並び、日本、英国、イタリアが共同開発する次期戦闘機の模型がゆっくりと回転しながら展示されていた。防衛省関係者のほか、制服を着た海外の軍関係者の姿も目立ち、さっそく企業と商談にのぞんでいた。
DSEIは英国で1999年から2年に1度開催され、2019年に日本で初めて開かれた。21年に2度目の開催を予定していたが、コロナ禍で中止に。前回に続いて出展したというドイツ企業の幹部は「今回は、人の数がまったく違う」と話した。
今年の冬は寒さの厳しいものでした。最近は温暖化という言葉よりも「気候変動」という言葉の方が多用されるようになりました。「温暖化で寒い」というのはさすがに論理矛盾が明白なので(笑)、「気候変動の影響で寒い」と言うようです。人為的なCO2放出によって気温変動幅が大きくなり、暑さ寒さが極端になるのだそうです(笑)。本当ですか??
裏庭のささやかな菜園の秋植えの野菜たちは寒波と霜でだいぶ痛みましたが、何とか一部は生き残りました。今週は暖かくなるという週間天気予報を信じて(笑)防寒用の不織布を外したところ、この2、3日は真冬並みの気温に逆戻り、大した予測精度です。
それでも、庭の春の花が少しづつ咲き始めました。
豊後梅
八重咲の椿
さて、連載記事「環境問題・資本主義・自由貿易・ウクライナ」について、環境問題についての考察が一区切りとなりました。
そこで、今日的なテーマである脱炭素社会ないしSDGsとも関連する「工業文明の持続可能性について」の部分をまとめて図面などを追加の上、独立したレポートとして公開いたしました。ご笑覧いただければ幸いです。
4−7 終わりに 〜人類の二つの選択肢〜
これまでの検討から、工業文明を本質的に成立させているものは、天然資源である化石燃料という優れたエネルギー資源による工業的なエネルギー供給システムであることが分かりました。また、化石燃料に替わって工業生産を維持することのできる工業的なエネルギー供給システムは存在しないことが分かりました。
一方、世界人口は既に80億人を突破し、国連の推計では今世紀中には100億人を突破するとされています。現在の食糧生産は、地球の生態系を酷使しながら、それでも工業的なエネルギーを大量に投入した工業的な技術によって辛うじて食糧需要を賄っています。
化石燃料という極めて優れたエネルギー資源を得たことによる工業文明という物質的に豊かな文明は、人類の10万年余りの歴史における束の間の僥倖にすぎません。その陰で、工業的な豊かさの追求が生物としての人類が生きるための最も根源的な基盤である地球生態系の豊かさを蝕んでいることを認識することが必要です。
化石燃料が枯渇した後も人類文明は継続していきます。イースター島の教訓に学び、ポスト工業文明を生きる子孫に出来るだけ良い状態で地球生態系を引き継ぐことが工業文明という特殊な時代に生きる私たちの責任です。
人間社会が工業的な生産を続ける限り、否応なく数百年先には化石燃料が枯渇し、地球生態系の更新性資源に依拠した社会システムに移行することになります。この更新性資源に依拠した新たな社会=ポスト工業化社会への移行がどのような形で行われるか、それは工業化社会に暮らす私たちの選択によって大きく変わります。
現在に生きる人類は、化石燃料の枯渇によって工業文明が終焉を迎えることを事実として受け容れることが必要です。
その上で、ポスト工業文明に向けて、人口を緩やかに減少させ、同時に異常に肥大化した工業生産物に過剰に依存した社会システムを縮小していくことが必要です。化石燃料が枯渇する以前に、十分余裕をもって、主要な社会構造を地球生態系の物質循環から定常的に得られる更新性資源に基づき、非工業的な生産手段によって運用する自給的な社会システムに置き換えることが理想です。
SDGsとは全く逆に、ポスト工業文明の阻害要因となる、例えば巨大都市構造をはじめとする工業的巨大インフラに代表される工業文明の残滓を取り除くことに工業的な手段を傾注することを後期工業化文明の目的とすべきです。同時に、産業革命以前の優れた手工業的な生産手段を最新の科学的な知見を用いて発展的に復活させることが必要です。
こうして、工業文明から化石燃料の枯渇したポスト工業文明への移行が無理なく進むようにすることこそ人類の英知だと考えます。
しかし現実の世界は、米国、西欧を中心に更なる工業的な発展を貪欲に追及する国々によって暴走し続けています。こうした国々によってまとめられたDXとGXに依拠するSDGsに基づいて、爆発的な人口増加を放置したまま、更なる工業生産の拡大によって豊かさを求め続けていけば、化石燃料が枯渇する以前に地球生態系を徹底的に痛めつけて、イースター島の文明崩壊と同じ道を歩むことになります。
既に人口増加に対して食糧供給が絶対的に需要を賄えない時が近づいています。工業的な技術による無理な食糧増産によって、農地の酷使で生態系が破壊され、急速に飢餓状態が拡大する可能性が高いと考えられます。
最も危惧することは、ウクライナ紛争を見ればわかる通り、米国、西欧諸国は、自らの豊かさの追求を正義と見なし、そのためには武力による侵略をも厭わないという価値観を植民地支配以後、今日まで持ち続けていることです。さらに付け加えれば、寒冷化による可耕作地の減少です。
このまま工業的な膨張を続ければ、イースター島文明崩壊の時と同様に、工業文明の末期には食糧や化石燃料を争奪する熾烈な世界戦争が勃発する蓋然性が極めて高いと考えます。高度に工業化された戦争による地球生態系の破壊と寒冷化はポスト工業化文明の苦難に直結することになるでしょう。
果たして人類はいずれの道を選択するのでしょうか。
(続く)