No.1260 (2019/04/09) 矢ヶア克馬/避難者通信61号
放射線被曝被害から命を守るための放射線防護基準を考える

 さて、現在の福島で政府や東電によって進められている原発事故に対する健康影響評価や帰還基準は、ICRPという原発推進組織による、しかも緊急時の基準が適用されているという、非人道的な内容です。今回はICRP基準のカウンターとしての基準について紹介します。


避難者通信61号 2019年4月6日

各位
 お元気でいらっしゃいますか?  沖縄の「つなごう命の会」です。

 今回は

 放射線防護学を「社会的経済的戒律から真実と人権を重んじる誠実な科学へ」
というテーマで通信をお送りします。

 現在世界の放射線被ばく防護のスタンダードは「国際放射線防護委員会」であると言えます。これは放射線学、医学、看護学、核工学などの分野の初度教育のテキストからそれぞれの現場の放射線被曝指針に至るまで全てのプロセスの基準として使用されています。

 今回の福島原発事故でも人々に被曝を強制し、さまざまな形態でたくさん出ている健康被害を隠し去る仕掛けを提供しています。

 これをヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)は「放射線被害の極端な(10〜100倍以上の)過小評価の体系である」として批判しています。そして放射線リスク係数を抜本的に現実に合わせて実態化しようとしています。

 ECRRの手法はICRPの体系をほぼそのまま使い、リスク係数だけを「改善」して実態にあわせようとしています。

 被曝がどれほどの健康被害をもたらすかという正直な予測ができる「放射線防護」が世界住民を守る上で必須です。

 矢ヶア克馬は真の放射線防護学の確率には、リスクを予想できることは最低限必要ですが、科学としての防護学を構築することが根本として必要であると考えます。そのためにはECRRのリスク係数の実態化という方法はICRPを土台とする限り科学としての限界を内包していると考えます。ICRPが科学ではないからです。

 ICRP体系は、核(核兵器と原発)推進を防護・推進する「武器」として構築されてきました。いたるところで科学の原則を踏み外しています。国際原子力ロビーの「社会的・経済的」という用語を借りると「社会的・経済的」戒律であり、科学ではないのです(科学ではないから戒律という用語をしました)。ここで、社会的・経済的という言葉は国際原子力ロビーの特殊用語であり、真の意味は「核推進を妨げないように、国や産業に大きな負担を掛けないように」という意味を持ちます。

 ICRP体系では基本的概念である「吸収線量」などの定義をしながら実態は定義を無視し、定義どおりの使用を全くしておりません。定義した吸収線量があるのに、実態は全て照射線量で置き換えています。

 科学的根拠のない恣意的な物理量(生物学的等価線量、実効線量、シーベルトという単位等々)をICRP「体系の基本」として使用しています。

 放射線を被曝してからの生体内の諸反応の実態を科学せずブラックボックスに閉じ込め、科学の基本である「因果律」を無視しています。

 真の放射線防護学を確立する必要が人類には求められています。

 「社会的・経済的」戒律から真実と人権を重んじる誠実な科学へと転換する必要があります。

 ICRP体系を客観的に批判するには、科学と民主主義の観点が必要なのです。

 松元保昭さんが7年前にECRR勧告とレスボス宣言の普及のためにQ&Aをしてくださいましたが、このほどそれを最整理してくださいました。それが「ICRP体制に終止符を」です。

 「ICRPを科学の目で批判する」という論考(概略)も加えて皆様にご紹介いただきました。

 添付ファイルをご覧いただければ幸いです。

矢ヶア克馬

ICRP体制に終止符を! ―内部被曝の真実


 

 

No.1259 (2019/03/28) 環境問題と人為的温暖化・再エネの虚妄G
リサイクル技術を環境問題から評価する視点

 これまで見てきたように、環境問題の本質とは、地球の生態系を含む表面環境の定常性ないし持続可能性を保証している大気水循環による廃熱の処理機能と、大気水循環の中で生じている生命活動を含む物質循環の定常性を、何らかの形で阻害することです。
 現代の工業化社会の中で起こっている環境問題・環境破壊は、大きく三つに分類することができます。

@水循環の大規模な改変・破壊
A物質循環の破壊
B大気水循環・物質循環の中で分解できずに生態系の物質循環を阻害する物質、毒性を持つ物質の環境への拡散による汚染

 この内Bが現在の工業化社会による環境破壊・環境問題の特殊性であることは前回説明したとおりです。

 近・現代の工業文明を持続させること、さらなる工業化によって人類の「豊かさ」を追及することが絶対的に正しいという現在の先進工業国や企業経営者の価値観に基づいた環境戦略は、本質的な環境問題の意味を理解していないものです。

 蛇足ですが、現在の日本を含めた先進(?)工業国の多くでは、物資・サービスの供給量が既に、人の実質的な豊かさを超える過剰なレベルに達しており、むしろそれによって文化は退廃し犯罪が横行するようになっているように感じます。その一方で富の再分配システムが機能しておらず、モノあふれる社会において貧富の格差が拡大し、ホームレス、ひいては餓死者が出るなど悲惨な状態が続いています。
 現代社会は政治・経済・社会システムという上部構造の制度設計において、大企業・金融資本や権力者の都合ばかりが優先された結果、有用資源の浪費が加速され、一部の富裕層のみに富が集中する異様な社会が出現しています。アベノミクスはその典型の一つです。
 先進工業国では、いかに人々の欲望を掻き立て、「社会的に無意味な有効需要」をマッチポンプ的に創設し、いかに無駄を増やすかが企業収益の増加に結び付くという、およそ健全な商慣行から逸脱した異常さが肯定される社会になっています。
 さらなる工業生産の増大によって豊かさを追及するという戦略は、それだけ工業化社会の破局的な終焉を近づけることになることは自明です。この戦略は、将来のことはともかく、短期間であってもよいから、目前の快楽を出来る限り楽しもうというイソップ童話のキリギリスの戦略といえるでしょう(※ただし、本当のキリギリスの生態は子孫が生存できなくなるような愚かな生存戦略ではないことは当然です。あくまでも「イソップ童話の登場者としてのキリギリス」のお話です。)。
 確かにこのキリギリス戦略を100%否定することは出来ません。現世において太く短く生きることの自由を制限する正当な理由を示すことは困難です。しかしながら、現在世代が有用資源を必要以上に浪費し、枯渇させ、環境を破壊することは、将来の人類社会の持続・維持に過酷な条件になります。工業生産のさらなる増加によって豊かさを目指すという経済戦略は、生物種としての人類の生存戦略と明らかに対立するものです。
 大衆はこの辺りで立ち止まり、人の豊かさ、幸福を何に見出すか、という価値観を根本的に見直すべき時期に来ていると考えます。

 少し話が脱線しましたが、本題に戻します。

 前回も触れたとおり、有限の地下資源の利用によって支えられている工業化社会は、有用資源の枯渇、特にエネルギー資源の枯渇によって終焉を迎えることになるのは自然科学的必然です。
 そこで、有限の地下資源に依存する工業化社会というシステムの下で持続可能な社会を構想するという、自然科学的に見て本質的な自己矛盾を内包する夢物語によって大衆を騙して、問題を先送りして短期的な儲けを極大化しようとしているのが現在の経済政策です。あろうことか、この虚妄に対して自然科学に携わる研究者や技術者たちが加担しているのが、悲しい現状です。

 現在の「キリギリス戦略」(笑)の中で考えられている持続可能戦略は大きく分けて二つに集約されます。一つは資源の工業的なリサイクルであり、もう一つは永続的なエネルギー供給技術の確立です。

 まず今回は、リサイクル戦略について考えます。本来、工業生産は生態系の物質循環の枠外において、地下資源を一方的に消費することによって実現されていました。

 リサイクルでは、一旦工業製品として使用され、使用期間が過ぎて廃棄されたものの一部から有用資源を回収して、再び工業原料として再利用するものです。しかし、リサイクル可能なのは工業製品の一部分であり、製造段階で廃棄された不純物や、使用済み製品の再利用できない部分は環境中に廃棄され、環境を汚染することになります。生態系の物質循環のように完全なサイクルではないのは言うまでもありません。

 資源の有効利用という意味で、『有効なリサイクル』は行わないよりも行う方が良いのは確かです。問題はその有効性の判断です。リサイクルが有効なのは、廃棄物を再利用することによって、工業製品の製造過程で消費される副資源の使用量が節約され、排出される環境汚染物質の総量が削減可能であり、投入されるエネルギー資源が節約可能な場合です。
 廃棄物を再利用するよりもバージン資源を利用した方が環境汚染物質の排出量が少なく消費するエネルギー量も少なければ、リサイクルはまったく無意味です。
 昔から行われていた廃品回収業者による屑鉄、銅製品、アルミ缶などの回収は有償で買い取るものでした。これは間違いなく有効なリサイクルでした。これは回収した屑に経済的な価値がある=再利用した方がバージン資源を利用するよりも低コストの生産が可能であること、つまり副資源量やエネルギー消費量が削減され、その結果として環境汚染物質の排出量が削減できることを反映しています。
 一方、近年行われるようになった理念先行の政策的リサイクルは逆有償、つまり廃品回収業者が金を受け取って廃物を受け取る場合が多くなっています。これは回収するごみに経済価値がないこと=再製品化の段階で多くの手間、副資源、エネルギーの投入が必要であり、あるいは資源としての需要がない、再生品が低品質であることを意味しています。このような無理な廃棄物再利用は環境問題を悪化させる愚かなリサイクルです。
 例えば、需要のない紙くずや樹脂製品廃棄物の回収は無意味です。近年この無意味な回収が増えているのは、のちに詳しく触れることになりますが、「人為的CO2地球温暖化脅威論」のバカ騒ぎによって、ゴミを燃やすという処分方法に悪者のレッテルを張ってしまっている愚かな社会状況が原因です。自然科学的な判断、あるいは経済合理性に基づいて判断すれば、原料資源として需要のないものは焼却処分することが最も合理的です。
 この「人為的CO2地球温暖化脅威論」という愚かな手枷を外せば、紙くずや樹脂製品廃棄物を効率的に燃やすことで最終処分すべき物質量は劇的に削減されるだけではなく、その過程で放出される二酸化炭素CO2は生態系の物質循環に還元されて植物の成長に寄与し、ゴミの燃焼熱は火力発電や温水製造に利用することが可能になります。その結果、紙くずや樹脂製品廃棄物には新たな経済価値が生まれ、有償で回収されることになります。そうすれば不法投棄による、例えば、No.1239(2018/10/24)で紹介したマイクロプラスチックによる環境汚染も収まることになります。

 自然科学的な視点の欠落した理念だけの非科学的な環境対策は必ず失敗することになります。


No.1237 (2018/10/17) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄@
No.1239 (2018/10/24) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄 番外編
No.1245 (2018/11/22) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄A
No.1249 (2019/01/11) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄B
No.1251 (2019/01/16) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄C
No.1252 (2019/01/20) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄D
No.1253 (2019/02/05) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄E
No.1256 (2019/03/08) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄F
No.1262 (2019/04/24) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄H


 

No.1258 (2019/03/16) 「未来のための金曜日」という愚かな取り組み
無知と軽薄による善意は、往々にして悪を成す/科学的で冷徹な判断を

 昨日3月15日金曜日のNHKの夜のニュース番組において、東京の学生たちが温暖化対策の推進を求める「未来のための金曜日」というデモンストレーションを行ったことが報道されていました。愚かなことです。

 そもそもこの「未来のための金曜日」というのは、北欧スウェーデンに住む女の子グレタ・トゥーンベリ嬢が毎週金曜日に学校を休んで、パリ協定を推進することを求めてストックホルムの議会前に座り込みを行っていたことに端を発しているといいます。

 今日的温暖化問題というフィクションが広まっていなければ、北欧という寒い地域に住む人にとっては、暖かくなることこそ喜ばしいことだと思うのですが・・・(笑)。かわいそうなこの幼い女の子は、おそらく周囲の知識人面した大人に「人為的な温暖化が大変だ!」などと刷り込まれ、訳も分からずにそれが正しいことなのだと信じ込んでしまい、若者の純粋さで行動を起こしたのでしょう。
 そして、これを彼女自らかどうかは知りませんが、SNSという安易な方法で情報拡散し、これを利用できると思った周囲の大人たちに利用されているというところです。この少女が3月15日に行動をするようにSNSで呼びかけたそうです。

 思惑通り、SNSでこれを見た日本の東京に住む若者が、これまた温暖化問題の何たるかもまともに考えたこともないような軽薄な善意で、そして一部にはSNSで目立ちたいというような下心もあってか(?)、今回の東京の行動になったのであろうと想像します。

 東京のデモンストレーションに参加した学生たちはNHKニュースウェブによりますと、曰く、

 大学2年の男子学生は「日本でも異常気象で多くの人の未来が奪われた」とスピーチして、若い世代に温暖化に関心を持つよう訴えました。

 参加者は「気候は変えず、私たちが変わろう」などと書かれたプラカードを持って、買い物客でにぎわう表参道を行進し、対策を呼びかけました。

 大学4年の男子学生は「温暖化は遠くの問題のように感じるが、自分の問題として考えたいと思った」と話していました。

 ということです。彼らの自然科学的な裏付けのない呼びかけには絶望し、落胆するばかりです。彼らの主張はまったく科学性のない情緒的なスローガンばかりです。本当に日本において、人為的CO2地球温暖化という現象による異常気象で未来を奪われた人が多数存在しているのですか?本当に人為的に放出されたCO2によって異常な温暖化が生じているのでしょうか?学ぶことを本分とする学生が、SNSなどというイカガワシイ手段で拡散されている北欧に住む子供による科学的根拠のない戯言に踊らされてどうするのですか!!

 20世紀の温暖化という現象の主因が人為的なものではないということは、義務教育で科学的・論理的な思考を学んだ普通の人であれば、まして大学生という最高学府(?)で学ぶことを本分とする若者であれば、本来ならば容易に理解できなければならない事柄です。
 地球大気の温室効果の95%程度は水蒸気が担っています。二酸化炭素CO2が担っている温室効果はどう多く見積もっても全温室効果の5%にも満たないのです。さらに、大気中に放出されるCO2の内、97%は自然起源であり、人為的な放出量は3%程度です。つまり、全温室効果に対する人為的に放出されたCO2による影響は、0.05×0.03=0.0015=0.15%に過ぎないのです。例え、人為的なCO2放出をゼロにしたとしても、削減できる温室効果は0.15%、ほとんど誤差の範囲にすぎないことは当たり前です。

 前回の福島原発事故に対する矢ケ崎さんの報告にもあるように、福島原発周辺の福島県は明確な放射能汚染地帯であり、食物であろうが土砂、木材であろうが、これを域外に移出することは放射能の日本全国への拡散・汚染であり、やってはならないことです。無知の善意による福島県産品を「食べて応援」などということは、百害あって一利なしの愚かな行動です。
 こうした無知の善意は国や資本家に利用され、これを批判することは「風評被害を助長する」などといって正論を排斥するために大いに利用されているのです。
 無知で愚かな個人が、自らの責任においてどのように行動するかについて、とやかく言うつもりはありません。しかし、少なくとも第三者に対して行動を呼びかけるような運動に携わるのであれば、最低の責任として、呼びかけの内容について明確な分析と論理的な裏付けが必要であると考えます。軽いノリと情緒的なシンパシーだけで行動を起こすような軽率な行為は、ファシストにとって思う壺であることを認識すべきです。

 現在は、科学までもが体制を維持するための道具として、国民大衆を騙し、洗脳するための道具として機能する社会になっていることに気づかなくてはなりません。

 

No.1257 (2019/03/12) 矢ヶア克馬/避難者通信59号
福島原発事故の実態を「風評」として隠蔽する安倍ファシスト政権

 福島第一原発の過酷事故発生から8年が経過しました。マスメディアでは被災地の復興が演出された番組が放映され、無知の善意の人々によって福島を応援するために福島県産品を消費しようなどという、放射能汚染を全国に拡散するとんでもないキャンペーンが行われ、その映像が流れてきます。

 既にこのホームページでも繰り返し述べているように(例えばNo.1241)福島の原発事故被災地の帰還の基準は年間20ミリシーベルトであり、これは福島県以外の日本の放射線防護レベルである1ミリシーベルトの20倍というとんでもない数値であり、福島県は正に無法地帯なのです。

 政府主導の「原発事故影響はなかったキャンペーン」がマスメディア、義務教育などあらゆる情報媒体を導入して、全国民に対する洗脳が行われています。正に安倍ファシスト政権下では、温暖化に対する恐怖宣伝とまったく同じ、棄民・愚民政策が蔓延しています。

矢ケ崎さんの避難者通信59号を紹介します。


避難者通信59号 2019311
東電福島原発事故より8年経ちました。

 福島県内から避難した皆様、福島県以外から避難した皆様、また、放射能汚染された地域に居住する皆様
どれほどの苦渋と心身のストレスがあったのか計り知れません。この8年間良く耐えてこられました。良く頑張りましたね。
残念ながら、この間命を落とした方が多数いらっしゃいます。ご冥福をお祈りいたします。
 

本日のテーマは8年を見る視点をどう定めるかです。
「社会的・経済的」基準で牛耳られてきました。
「社会的・経済的」基準を人権に基づく科学的基準に変化させましょう。
汚染地内外の被災者同士が対立するのではなく共通の人格権を守る共通基盤を明確にし、被ばく被害を無くし原発を廃棄する共同行動を実現しましょう!
被曝問題に限ってお話ししようと思います。

チェルノブイリ法は住民を保護する精神で作られた法律ですが、事故後5年目に成立しました。同じ事故後5年目で日本は「帰還制限区域」などを縮小し、避難者の住宅支援を停止しました。ここに巨大な日本の壁が存在します。棄民という壁です。 

この間日本の住民の「放射被曝線保護」は進んだのでしょうか?

(1)日本の住民は「社会的・経済的」基準に苛まされてきました。
「社会的・経済的基準」と国際原子力ロビーの用語を使いましたが、これは欺瞞的な表現です。率直に真意を申し上げると「核推進の政府に都合の良いように・核産業に過剰な負担を掛けないように」という功利主義哲学の市民に本質を悟られないようにという思惑で使われる用語なのです。 

事故直後「原子力緊急事態宣言」が発せられ、法律では公衆(一般市民)は年間1ミリシーベルト以下で守られなければならないことになっているところ、あろうことか、年間20ミリシーベルトまで被曝を強要されることとなりました。これと同様な事態が、放射性廃棄物の制限にも出現しました。法律では100Bq/kgであったものが8000Bq/kgまでとされました。
このほか、法律の基づかない政府の実施要領はあちこち(あらゆるところ?)で実害をもたらしています。

(2)日本政府は巨大な嘘を連発し、放射能被害を自分の都合よい「嘘」で乗り越えようとしています。
@まず、政府の放射能放出量の評価は過小評価過ぎます。チェルノブイリの
6分の1としていますが、科学的にきちんと見れば4倍を超えているのが真相です(渡辺悦司ら:放射線被ばくの争点(緑風者)2016)。
A安倍首相はオリンピック招致が決まった時「放射能による健康被害は今までもなかったし、今もこれからも無い」と宣言しました。全官庁あげて「風評払拭リスクコミュニケーション強化運動」を行っています。放射線による健康被害は無いという教条を基盤にして「知ってもらう・食べてもらう・来てもらう」を組織化する運動です。
B復興庁は「放射能のホント」という虚偽満載の「学問の到達点」に背を向けた教材を作りました。ほぼ内容を同じくして、小・中・高校生用の「放射能読本」を副教材として与えました。真実を教えるべき学校で世界の常識を覆す教え込みが行われるところまで住民の「洗脳」活動は徹底しています。
 

日本政府は「健康被害は一切ない」と虚偽を働いてまでも、何としても住民の視点が人道と科学(住民保護)に向かうことを阻止しています。 

(3)日本独特の強制被曝状況
チェルノブイリでは年間1ミリシーベルト以上では政府が「ここは危険です。移住を希望する人が有れば政府が面倒を見ます」、5ミリシーベルト以上では「ここには住んではいけません。生産もしてはなりません」とし、33年経った今でも子供の保養などを筆頭に市民生活が被曝から保護されています。前述のとおり日本では年間20ミリシーベルトまで被曝を強制するものです。法律の1ミリシーベルトより20倍も高い基準で初めて規制が行われました。

(日本の事故処理特徴)
政府が住民保護に力点を置くか核推進に力点を置くかの違いから日本特有の被曝状況が作られました。核推進に力点を置くことは住民を高線量被曝下に置くことです。
IAEA1996年のチェルノブイリ会議のまとめで「住民は十分にリスクを受け入れる用意がある」としていますが、その通りの方針が日本の事故に適用されました。 

チェルノブイリと異なった日本独自の被曝の拡大のしかけがあります。その一つは汚染地での生産による食料の放射能汚染と「食べて応援」。二つ目は住み続ける条件として行った「除染」の結果集積された大量の「除染廃棄土」が生じてしまったという特徴があり、「除染廃棄土」を政府は再利用で減少させようとしています。汚染土を全国に拡散させようというわけです。2次被曝を全国に拡散するものです。政府はこの汚染土砂を全国の公共事業等に使うことによって福島の汚染フレコンバッグを減らそうとしています。
放射能処理の鉄則は汚染地帯から非汚染地帯へ放射性物質を拡散してはならないことです。燃やしてもなりません。いずれも
2次被害が必ず出ます。
安易な政府の汚染土の処理方法をやめさせなければなりません。
 

上記2点が、チェルノブイリの放射能規制と日本の規制の差がもたらしたチェルノブイリには無い日本独特の放射線被曝問題です。 

(4)食品の放射能汚染問題⇒人格権・基本的人権を意識しない対応は社会を破壊する 

(@放射能汚染の拡大再生産)
汚染地域内で生産された放射能含有食材が全国に流通しています。チェルノブイリでは住民保護のために年間5ミリシーベルト以上の汚染地内での生産は回避されました。しかし日本では100万人に上る農漁民の方がこの汚染レベルで生産を続けています(セシウム137の放出量だけで比較しようとする方法が見られましたがそれは間違いです。セシウム134の放出割合が異なりますので、他の基準値である年間吸収線量で比較した矢ヶアの汚染比較マップ(地球の子ども新聞132号)をご覧ください)。
そして「食べて応援」の政府の掛け声で流通機構が太く開かれ、放射能汚染食品が全国に拡散されました。全国的に深刻な内部被曝状況が作り出されました。これにより食べて応援した市民が多数健康異常(疾病と死去)をきたしました。事故後の日本の対応策の特徴です。
 

(A事故後急増した死亡率)
残念ながら、2011年以降の諸死亡率は2010年以前からの予測死亡率に比べて異常に高い値が継続されています。全死亡率などは、1995年から2010年まではほぼ直線的に増加が続いていますが、2011年以降この予想直線よりずいぶん高い死亡率が記録されました(厚労省人口動態調査データから抽出)。
この
2010年以前の直線的変化に比較して、例えば福島県では年々約9%程度の死亡増が続き、2011年〜2017年までの過剰死亡者合計は12千人程と見積もられます。
2011年では地震津波の犠牲者のほか、約4倍の死亡数が記録されました。
この方法で見積もると、国全体では
30万人も過剰死亡者が観測されます。
特に
2011年以降死亡率が急増している疾病(分類事項別)では、お年寄りの老衰死亡とアルツハイマー認知症などの脳神経系の疾患です。

この死亡増の原因が全て放射線被曝であると断定することはできません。しかし強い蓋然性として「放射線被曝」が原因の一因になっているとみるべきです。放射線被曝による可能性を否定することはできません。 

汚染地内の生産者が塗炭の苦しみを伴いながら食べるためには生産しなければならず、その生き抜くために生産した作物が生産者と消費者の命を奪う事態が続いているのです。
この矛盾は日本での原発事故処理の大矛盾です。政府の事故処理基準が政府と原発産業に偏っているところから派生している大問題です。
この矛盾を住民側に傾けるには、汚染地内と汚染地外の住民の力をともに人格権の保護を基盤に据えることにより手を携えて非暴力でたたかうことしかありません。 

(5)放射能は食料生産者の基本的人権を冒涜する
そもそも食糧生産者の「使命(天命)」は安全なものを消費者に届けることです。この使命が全うできない放射能汚染は、生産者の生きざまに対して破壊的に打撃を与え歪めるものです。

生産したものを自ら食べて健康被害を受ける。食べて応援した消費者が健康被害を受ける、そんな農漁業などは健全な社会では許されないことです。
今の政府の放射能対策では生産者に与えられた天命を全うできません。
自分が生産したものが「害を与える」などとは全く思いたくない現実です。
自ら「安全食品」の天命を意識し、それを守る思想を持たない限り「安全」の掛け声にすがるしかありません。
生産者の誠意を作物を通じて消費者に届けることが根本において破壊されています。
命を大切にする基本的人権が破壊されているのです。

これが、政府が棄民している第一の犯罪です。 

現状は100ベクレル/kg以下は安全」という大合唱がまかり通って人命を奪い、健康を破壊します。政府指針に従う限り、危険を知りながら乗らざるを得ない現実があります。意識するとモラル(人格権)の破壊を感ぜざるを得ないものであります。

(食糧流通制限の意味)
食糧流通基準「100ベクレル/kg」以下は安全ということは虚偽です。
食料の放射能制限の、そもそもの意味は「リスクがあることを承知しながら、社会の食糧確保などのためにやむを得ず流通させるうえでの制限値」であると言えます。多くの国が緊急時の基準と通常時の基準を持っています。
リスクとは

放射能に弱い人は死に至る健康被害を得る可能性です。食料制限値そのものの理解としてリスクがあることを認識しなければなりません。
放射能に強い人は全くぴんぴんしています。 放射能に弱いお年より、乳児、小児、体にすでに機能不全・弱点のある人(病人、肥満体質、疲れやすい人・・・)などの方々がまず犠牲になります。
弱い人の生きる権利を遮断する社会は人権無視の強権・強者社会です。 

(6)政府のファシズムーー嘘のスローガン「健康被害は一切ない」の棄民策下の悲劇
「健康被害は一切ない」の下に現実の健康被害を認めず、被害者を切り捨てています。
深刻なことは「健康被害は一切無い」という政府の事実でない見解(嘘)や施策を現実に当てはめ、現実を嘘の下に処理する逆立ち政治が行われています。「小児甲状腺がんは事故と関わりない」あるいは「避難者の住宅確保予算をゼロにして『避難者は居なくなりました』」というようなまさに逆転した嘘の政治が進もうとしています。
現実に逆転した政策(嘘を現実に押し付ける政治)の下に放射能汚染の危害は全て「風評被害」に置き換えられ、復興と帰還が強烈に強調されました。
復興は被災者全ての悲願です。死亡率が急増している中、避難指定区域を解除しても85%の人が帰還は困難と判断して帰還していません。高汚染地帯への早すぎる帰還・復興は命を縮めます。先の死亡率のグラフ中の南相馬市をご覧ください。
2015年以降の急増が「帰還による死亡率の増加」の恐れがあります。
民間でも「放射能の健康被害が無いと思えば幸せになれる」と閾値が無くて低線量でも危害が現れるという科学上の到達見解を否定して「心で無いと思えば被害は無いのだ」という住民を騙す逆転した見解が政府見解となり、住民の心身の健康被害を封じ込めます。まさに客観的事実を精神上の問題に置き換えようとしています。これが洗脳と言われるものなのですね。
この政府と「専門家」の強烈な圧力のもとに、戦前の「侵略戦争を進める政府とそれを支える国民」が一体となって戦争を遂行する関係を髣髴させる状況が進行しているように思います。日本では民主主義国家の主権者が育っているのか?と口の悪い外国の友達が言っていいたことを思い出しました。
 

(7)民主主義社会の主権者は主権者らしく人権を守る意思表示しよう
憲法改悪を阻止しようと思う皆さん、辺野古の強権的推進を止めさせようと思う皆さん、否、憲法「改正」も軍事基地拡大もしょうがないと思う皆さん、全ての皆さんが国によって命が守られることを民主主義政治の当たり前の基本と思ってください。
住民を主権者として大事にする政治を望んでください。
嘘をもとに進める政治は住民に苦しみを与えるだけです。だから放射能問題に現れたアベ首相の政治に市民が協力することは自らの人格権を否定されることにつながります。決して協力せず、「やめなさい」と言いましょう。
 

(8)食品の放射能汚染は今なお深刻
厚労省の食糧の汚染測定では、今なお、東日本(東北、関東)全域で汚染状態が続いています。また、食べて応援した一家の健康異常の手記をご覧ください。
http://geiger.grupo.jp/blog/2465695

皆さん、食べて応援は止めましょう。「食べて応援」で寿命を縮めるのではなく、汚染地内で生きる住民も汚染地外で生きる住民も手を取り合って人権を守る共通の意識で本質的なたたかいをしましょう。

(9)避難先の自治体も「子ども被災者支援法」の精神を共有できるはず。国と福島県だけを相手にするのではなく、受け入れ先の自治体でも「子ども被災者支援法」の精神の実践を訴えましょう。
来年度の原発事故避難者への支援は、沖縄県が全国で唯一、単独事業で名目を「生活再建支援」として支援の継続を予算化してくれました。沖縄県は既に2ヶ年間、各家庭に支援を行い、さらに来年度再来年度と支援継続を決定してくれました。
故翁長雄志知事が肝いりで実施を決定し、玉城知事が翁長知事の遺志を継いで予算化してくれました。

全国の自治体で避難者受け入れ自治体として長期的視点で「子ども被災者支援法」精神を施行するよう要求いたしましょう。
また、西日本の自治体では、福島等の汚染地のこどもの保養を自治体の公費出費で行うよう、「本質的支援」を要求しましょう。
個人としては決して食べて応援はしないでください。いろいろな応援:本質的応援ができるはずです。
科学(真実)を踏まえた人道的支援、ともに人格権を増大させる共通の課題で力を合わせましょう。      

つなごう命の会(矢ヶア克馬)

ご支援の訴え 

既に多くの方からご支援をいただきました。とてもありがたくいただきました。
しかし残念ながら「アンケート報告集」出版事業は赤字です。
皆様のご支援をいただければ幸甚です。
なお、ご支援いただいた方にはアンケート報告集をお礼として差し上げます(過去にさかのぼって実施します)。よろしくお願い致します。
 

振替口座

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口座名称:        つなごう命の会 (ツナゴウイノチノカイ)
 
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No.1256 (2019/03/08) 環境問題と人為的温暖化・再エネの虚妄F
環境問題は文明と同時に始まった/現在の環境問題の特殊性

 前回見たように、ヒトによる環境破壊あるいは環境問題は、完新世の温暖化による環境条件の好転によって、ヒトが単なる大型哺乳類であることを脱して人間・人類としての文明を築き始めたことによってはじまりました。人力や畜力を基盤にした農耕文明であっても、決して環境破壊・環境問題と無縁であったわけではないのです。

 環境問題の本質とは、人類の文明が、地球の生態系を含む表面環境の定常性を保証している基本的な循環構造を阻害することによって生じます。これは現在でも同じです。
 古代農業文明による環境破壊は、収奪的な農業によって定常的な物質循環を上回る農産物を生産したことによって土壌栄養分が枯渇し、土壌生態系が破壊された結果不毛な土地となり、水循環が破壊され砂漠になってしまいました。

 近現代の環境問題の特殊性は、動力機関の導入による大規模な工業生産が肥大化している点です。

 工業生産プロセスとは、上図に示すように、地下資源を利用・加工することで人間・社会にとって有用なものを製造することです。
 地下資源は、エネルギー資源と原料資源に大別できます。エネルギー資源は主に石炭と石油・天然ガスという炭化水素燃料です。但し、石炭・石油は原料資源としても重要です。

 下図に示す、生態系の循環構造と比較することで、工業生産の限界は明らかです。エネルギー資源、あるいは原料資源という工業生産の基盤となる地下資源は、有限であり、生態系の物質循環構造とは違って、自ずから更新されることはありません。つまり、工業文明は短命であり、持続可能な文明の基盤にはなり得ないのです。
 地下資源の枯渇、特にエネルギー資源の枯渇によって、工業生産は終焉を迎えることになります。エネルギー資源から得られる人間にとって有用な動力・熱・光という使用価値は、熱力学の基本法則から、一方的に環境中に散逸・拡散するものであって更新されることはありません。また、工業生産の過程で生じた廃物や、あるいは長いスパンで見れば工業製品そのものもやがては廃物となり地表面環境に廃棄されることになります。

 では、工業生産プロセスと生態系の定常的な循環構造の関係について考えてみます。
 工業生産プロセスからの廃物が必ずしもすべて生態系の循環構造を阻害し、破壊するものではありません。工業生産プロセスからの廃物のであっても石炭や石油などの燃焼によって排出される二酸化炭素CO2は生態系にとっても極めて有用な資源です。CO2は工業生産が始まる以前から環境中に大量に存在していたものであり、大気中に放出されるとすぐに生態系の第一生産者である植物の光合成の原料として利用されます。
 問題となるのは、生態系にとって毒物となる物質、生態系の物質循環を阻害する要因になる物質、あるいは人為的に合成された、もともと生態系に存在していなかった物質の生態系への拡散、汚染です。
 例えば、日本の工業化の黎明期に見られた足尾鉱毒事件、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなどは典型的な環境問題です。近年では東北地方太平洋沖地震の際に発生した福島第一原発の過酷事故による放射性物質の環境への拡散の問題が挙げられます。
 このように、現在における環境問題の特徴の一つは、工業生産プロセスから発生する物質が、生態系の定常的な循環構造の中で分解されることなく、毒物あるいは阻害物として拡散し、環境を汚染することです。

 そしてもう一つの特徴は、工業文明という強力な動力文明によって生態系を含む地表面環境の改変が空前の勢いで進められていることです。

 


No.1237 (2018/10/17) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄@
No.1239 (2018/10/24) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄 番外編
No.1245 (2018/11/22) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄A
No.1249 (2019/01/11) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄B
No.1251 (2019/01/16) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄C
No.1252 (2019/01/20) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄D
No.1253 (2019/02/05) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄E
No.1259 (2019/03/29) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄G


 

No.1255 (2019/03/06) 矢ヶア克馬/避難者通信58号
沖縄米軍基地問題、福島原発事故対応から見える安倍政権の反民主主義

 2月24日に行われた沖縄県の辺野古基地移設の賛否を問う県民投票は、圧倒的な多数で反対の意思が示されました。投票率は52.48%、基地移設反対票は投票資格者(速報値115万3591人)の4分の1(28万8398票)に達し、昨年9月の知事選で玉城氏が獲得した39万6632票も超え、43万4273票(71.74%)という圧倒的な多数を占めました。

 しかし、国会での安倍ファシスト政権の防衛大臣である岩屋毅は、県民投票結果は国の政策には全く関係ないので、辺野古埋め立てはそのまま継続すると言い、ファシスト安倍は投票結果は真摯に受け止める(?)が、埋め立ての方針は何ら変わらないという支離滅裂な対応です。
  県民投票に国政に対する法的な拘束力はありませんが、これは有効な県民投票結果を県が国に対して通知するという制度は、当然国は、最も直接的な影響を被る利害関係者である民意として、これを尊重する対応をとることが民主主義国家として当然の対応であるから、敢えて法的に成文化する必要さえないからだと考えます。民主主義の根幹が正に破壊されているのが安倍ファシスト政権です。
  蛇足ですが、現防衛大臣の岩屋毅は私の選挙区の代議士であり、付け加えれば同い年でもあります。個人的に忸怩たる思いがあります。

  また、沖縄県の基地問題同様、福島県でも相変わらずの棄民政策が続いています。民主主義を成立させるためにはもちろん議会運営が民主的であることが必要ですが、それを成立させるためには民主主義国家における「第四権力」とも呼ばれるマスメディアから発信される情報の公正性と正確性が重要です。現在の日本のマスメディアは、ことに安倍ファシスト政権発足以降の行政からの圧力に屈し、惨憺たる状況になっています。忖度行政と忖度報道によって、日本の民主主義は瀕死の状態です。

  今回は、矢ケ崎さんの避難者通信58号を紹介することで、NHKの実態の一端を紹介したいと思います。


原発避難者通信 58号 2019年3月4日

 皆様お元気ですか?

 この4月から国・福島県は原発事故避難者への住宅支援を完全停止します。
幸い、沖縄では県が単独事業として原発事故避難者の生活再建支援を予算化してくれました(沖縄県が唯一)。
 もうすぐ原発事故8周忌ですが、まだ放射能の事故炉からの流出が続き、住民の死亡率増、患者増の健康被害の増加状況も非常に危機的です。
しかし政府は「健康被害は一切ありません」と事実無根のキャンペーンで切り捨て一方です。背景には強権と虚偽による住民の命と民主主義破壊があります。

今回は避難者切り捨てと通底する2件の訴えをします。
沖縄辺野古問題と
NHK「文化福祉部」解体です。

(1)沖縄の民主主義とサンゴ礁を救おうーー署名お願いします!
Save the democracy and coral reef of Okinawa

沖縄の民意は示されました。しかし辺野古埋立工事は強行されています。

 ハワイ在住のロバート・カジワラさんが米ホワイトハウスの請願サイト「ウィ・ザ・ピープル」で、名護市辺野古の米軍基地建設の中止を求める新たな署名を呼びかけています。2月27日に開始され、米政府が60日以内に何らかの対応を行う条件となる「開始30日で署名10万」をめざしています。
 13歳以上で電子メールアドレスをもっていれば、国籍を問わず誰でも署名できます。
https://petitions.whitehouse.gov/petition/save-democracy-and-coral-reef-okinawa

署名とメールアドレスを送れば、確認の返信が来ます。それに対応してください。

(2)NHK最後の「良心」ともいえる「文化福祉部」を解体する動きが報じられました。解体させないように市民の意思・抗議をNHKに届けましょう。

 NHKへ視聴者からの意見・抗議をする方法は、NHKのメール案内ですぐにわかります。「NHK 視聴者の意見」などと打ち込んで検索しますと「みなさまの声にお応えしますメールによるご意見(400字以内−かなり書けます)」「みなさまの声にお応えします電話によるご意見」などの項目が出てきます。
是非「解体するな」のメールあるいは電話をお願いいたします。

以下に福島市の根本さんとNHKYさんからの訴えを貼り付けます。
週刊ポストの記事案内もしてあります。

 

〜福島市・根本 仁氏より〜  *情報として

 公共放送NHKは報道局(ニュース記者、スポーツ・ドキュメンタリーなどの担当ディレクター)と番組制作局(ドキュメンタリー・福祉・科学・ドラマ・歌・古典芸能・幼児番組・Eテレなどを担当する幅広い分野のディレクター)の二つの放送部門から成り立っています。その中で昔から「NHKの良心」と言われてきた部署は、番組制作局のドキュメンタリー・福祉番組(文化福祉番組部)チームです。

「ETV特集」や「こころの時代」「ハートネットTV」「バリバラ(NHK大阪制作)」など、原発問題やアイヌ・障害者などの社会的少数者にも目を配り、優れた番組を生み出してきた、かつて「教養部」と呼ばれていたドキュメンタリストの後継者たちです。

 そのNHK最後の「良心」ともいえる「文化福祉部」に外部・内部から解体の動きが報じられました。

そして長年この部署で番組を制作し、3年前に定年退職した氏から緊急メッセージが届きました。

昨日私は東京で公害・環境問題の会議があり、日刊ゲンダイを新幹線の中で広げましたら『スクープNHK 安倍<遺恨>部署 解体検討』の文字が躍っていました。そして福島に戻りましたら氏からのメールが届いていました。これまで見こともない切迫した文面でした。

 氏はNHK仙台、NHK東京時代、原発をテーマに何本もの番組を制作してきました。東北Z「原発事故が奪ったものは(20146.20)」、ETV特集「終わりなき戦い〜ある福島支援プロジェクトの記録〜(20154.18)、ETV特集「帰還への遠い道〜福島・楢葉町 一年の記録〜」(20159.19)、そしてNHK定年後に現役のディレクターと組んで制作したのが、私も原告である「生業(なりわい)・福島原発訴訟」の原告たちを追ったドキュメンタリー・ETV特集「忘却に抗(あらが)う〜福島原発裁判 原告たちの記録〜(20183.10)」でした。この番組はギャラクシー賞の月間優秀賞を受賞しました。 

 前書が長くなりました。Y氏からの緊急メッセージをご覧ください。そしてNHKへ電話での、FAXでの、メールでの、視聴者からのメッセージを発信していただくとともに、できる限りの支援をお願いする次第です。
 NHKの「この部署」はジャーナリズムの本筋を守り続けてきただけに、これまで何度も何度も権力側とNHK内の内通者の攻撃に晒されてきました。しかし、その都度、それらの勢力を跳ね返してきた経緯があります。
 しかし、NHK内部に精通する氏の極めて苦しげな文面を拝読しますと、今回はただ事ではない!と感じます。

 

 

お世話になっています。
Y です。
きょうは私からのご連絡、そしてお願いです。
すでにお聞き及びかもしれませんが、

(OBの)私や現役ディレクターXの出身母体である
文化福祉番組部がいま解体の危機にさらされています。
(関連する記事のリンクを貼りました)

もちろん、
組織再編が即「ETV特集」潰しにつながるものではありませんが、
これまでの経緯を知る身としてはかなりのキナ臭さを感じざるを得ません。
自分たちでいうのはいささか口幅ったいのですが、
記事にあるように「NHK最後の良心」とも言える部署です。

どうしても守りたいという気持ちが私にはあります。 

https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/nhk

 現役の後輩たちも彼らなりの方法で戦っているようですが、
やはり外部の方々の支援なくしては解体は免れないと考えています。
また、NHKを正真正銘の「御用放送」にしないための戦いでもあります。
どうぞ、可能な方法で、
OBの方々のみならず、広く外部からも声を上げていただければ幸甚です。
よろしくお願いをいたします。

週刊ポストhttps://www.news-postseven.com/archives/20190217_871306.html

                     (矢ヶ崎克馬)



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