解題「温暖化の虚像」⑰

CO2温暖化対策が環境・社会を破壊する⑤

原子力工業化社会は成り立たない
 日本を含めて一部の国では原子力をエネルギー供給システムとして利用しています。原子力はもともと核兵器としての使用が目的であり、第二次世界大戦後に核戦力を維持するための方便として原子力の平和利用が開始されました。

 現在実用化されている原子力によるエネルギー供給は、ウラン、正確には235Uを用いる軽水炉が一般的です。核分裂性の235Uのエネルギーを熱源として利用する蒸気機関=外燃機関です。火力発電と異なるのは熱源として化石燃料の燃焼熱の代わりに235Uの核分裂反応を利用することです。

 ひと頃は「ウラン(正しくは原子量235の核分裂性を持つ235U)1gは石炭3t分のエネルギー」というキャッチフレーズが聞かれました。
 これは235Uの1gが核分裂反応したときエネルギーを8×1010J程度とした場合、石炭3t程度、石油ならば2000ℓ程度に相当するということを表したものです。これをそのまま受け取れば、原子力はエネルギー密度の高い優れたエネルギー資源なのではないかと考えるかもしれません。しかし、そう単純ではありません。

 ウランは地殻や海水中に広く分布して存在しています。しかし広く分散して存在するということはエントロピーの高い状態にあること、拡散していることを示しています。現在原子力の核燃料の原料として採掘されている天然ウラン鉱の品位は概ね0.1%~0.3%程度です。
 さらに、天然ウランの99.3%程度は非核分裂性の238Uであり、核燃料として利用可能な235Uは0.7%程度しか含まれていません。
 このように、235Uは天然の鉱物資源ですが、拡散した高エントロピー状態で産出します。その結果、原子炉用の核燃料(235Uを5%程度まで濃縮)に加工するために長大な物理・化学的な工業的なプロセスが必要になり、その過程で大量の化石燃料を消費します。
 さらに放射性物質を取り扱う工業プロセスは通常の工業プロセスにはない放射線被ばくの危険性があるため、取り扱いにくく、厳重な安全管理が必要になるため、余計に資源・エネルギーを消費します。
 さらに、原子炉では高密度のエネルギーを取り扱うことが必要になり、また、環境中に散逸することの許されない放射線や放射能を持つ物質が生成されるなど、同じ外燃機関を用いた発電方式である火力発電に比較して桁違いの厳重な安全管理と難しい運転が要求されます。その結果、発電所建設自体も火力発電とは比較にならない資源とエネルギーの投入が必要になります。
 そして致命的なのが、使用済み核燃料を始めとする高レベル放射性廃棄物を大量に生み出すことです。発電終了後に、放射性廃棄物の毒性が十分減衰するまで数千年~数万年に及ぶ超長期間にわたって環境から隔離して管理することが必要になります。その安全性を保障するためには厳重な施設の建設と管理が必要であり、そのためにも莫大なエネルギー消費が必要になります。しかし現実的には、このような超長期間にわたって危険物を環境から隔離するための構造物を建設し維持・管理していくことは人間社会の経験したことのない事業であり、100%の安全性は保証できないというよりも必ず破綻すると考えるべきです。

 世界の一次エネルギー消費量でわかるように、世界で消費されているエネルギーの大半は石炭・石油・天然ガスという化石燃料であり、原子力は4%程度に過ぎません。原子力は限られた国でしか利用されていませんが、それでも核燃料の原料用に利用できる品位のウラン鉱石の可採年数は石炭の132年よりも短い99年です。熱量ベースで考えれば、

石炭=157.9EJ/年×132年=20842.8EJ≫原子力=24.9EJ/年×99年=2465.1EJ

原子力で供給できるエネルギー量は化石燃料に比べて少量なのです。
 ウランは地殻や海水中に広く分布して存在していますが、あまりにも高エントロピー状態の密度の低い状態にあるものを、核燃料にするためには現在の核燃料製造工程よりもはるかに大量のエネルギーを投入することが必要になります。

 このように、235Uは前回示した工業生産を支えてきたエネルギー資源に求められる三条件の内、
②低エントロピー状態で適度にエネルギー密度が高いこと。
③量が豊富であること。

の二条件を満たすことができないため、工業生産を行うために有効なエネルギー資源にはなり得ないのです。
 また原子力固有の問題として発電終了後の超長期間にわたって放射性廃棄物を管理し続けなければならないという解決できない問題をはらんでいます。人間社会が原子力によるわずかなエネルギーを得るために、このような大きなリスクを負うことは狂気の沙汰としか思えません(原子力の存在は、エネルギー供給技術としてではなく、平時において核兵器技術を担保するためと考える以外に合理的な解釈はありません。)。

 既に軽水炉原子力発電による電力原価は、核廃物処理費用を考慮していない現状でも、火力発電よりも高額であり、エネルギー産出比は火力発電に劣ると考えられます。本来高速増殖炉で使用するはずであったMOX燃料を軽水炉で使用するプルサーマル発電では、通常のウラン燃料を使用する以上に高額になります。
 したがって、原子力発電の投入化石燃料に対するエネルギー産出比<0.35≪1.0であり、原子力工業化社会というものは実現不可能です。安全性とエネルギー産出比はバーター関係にあり、安全性を高めればさらにエネルギー産出比は低下します。
 原子力発電は化石燃料による工業化社会の下でのみ存在出来る効率の悪い汚れた徒花なのです。可及的速やかに原子力発電は全廃すべきです。それでもなお、既に作り出してしまった放射性廃棄物処理問題は深刻です。

ウラン(原子力)は一次エネルギー資源ではない
 エネルギー統計では一次エネルギーという分類があります。その定義は「自然界から得られた変換加工しないエネルギー」ということになっています。これは工業生産を支えるエネルギー資源の三条件で示した第一の条件である「天然資源」と同義です。これだけではあまり意味がありません。
 天然ウランで見たように、天然資源であれば必ず工業生産に対して有効なエネルギーを供給できるわけではありません。原子力発電では、発電出力が大きいことばかりに目を奪われ、それを実現するために核燃料以外に投入された莫大な鉱物資源や化石燃料消費を見落としているのです。ウランが天然資源であっても、投入化石燃料に対するエネルギー産出比≦1.0であり、これは工業生産に対して有効なエネルギーを供給をしていないことを示しており、工業的に価値はありません。
 原子力発電において、投入化石燃料に対するエネルギー産出比は1.0に満たず、それどころか火力発電のエネルギー産出比にさえ劣るのです。つまり、原子力発電を行わずに火力発電で電力を生産する方が化石燃料消費を節約できます。原子力発電は何ら有効なエネルギーを供給しておらず、むしろ化石燃料を浪費しているのです。

 エネルギー統計では一次エネルギーに原子力を計上しています。しかし、天然ウランにはそのままエネルギーに転化する能力はありません。高エントロピー状態にある天然ウランに対して、大量の化石燃料を始めとする低エントロピー資源を投入した長大な工業的な生産プロセスを経て原子炉用の「核燃料という工業製品」が製造されています。
 したがって、原子力とは「自然界から得られた変換加工しないエネルギー」ではなく、高度に加工された工業製品です。したがって、原子力は一次エネルギーではなく二次エネルギーです。

 一次エネルギーという言葉には、工業生産に対して一次的に有効なエネルギーを供給するものという意味合いが込められています。そのためには、天然資源であると同時にエネルギー産出比が1.0よりも大きいことを条件にすべきです。原子力は工業生産に対して有効なエネルギーを供給することができないので、この点からも一次エネルギー資源から除外すべきです。

エネルギー産出比による評価
 再度エネルギー産出比を用いたエネルギー供給技術の評価基準を示しておきます。ここでのエネルギー産出比算定のための投入エネルギー量は、化石燃料によるエネルギー供給量とします。

①エネルギー産出比>1.0
 工業生産に対して有効なエネルギー供給システムになれる可能性がある。
②1.0≧エネルギー産出比>0.35
 火力発電のエネルギー産出比を0.35だと仮定すると、化石燃料によるエネルギー供給を前提として、そのサブシステムとしての電力供給を火力発電から代替する合理性がある。
③エネルギー産出比≦0.35
 全く利用する合理性はなく、化石燃料を浪費するだけ。

 原子力は③に該当するため、エネルギー供給技術として全く無意味です。勿論、CO2温暖化対策としてCO2放出量を削減する能力はありません。

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